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146. 脱いで欲しかったです(本編)



寝台の横に立ってしょんぼりと塩の魔物の本を見ているのは、心なしかぱさぱさになっているディノだった。

いつもはそれ自体が光を孕むような美しい髪も、艶をなくして三つ編みが乱れている。

ネアは何だか可哀想になってしまって罪悪感が疼いたが、それよりも過激に反応したのはノアだった。


「シル、この本だったら燃やしてあげるから、不浄の精霊を………ってあれ、入って来たってことは、この町の結界って大丈夫?」


不安になったのか少し黙り込んで何かを調べると、ノアはほっとしたように頷いた。


「あ、良かった無事だ。壊れてなくて良かったよ。……ん?ってことは、僕らも出れるのかな?」

「そんなことより、ノア!しっかりとディノを押さえていて下さいね。只今拘束中です!」

「ネア、それ何………?」

「災害七つ道具として、常に持ち歩いてる丈夫な縄なのです。手が擦れたりしない素敵な素材で、こうして魔物を繋いでおくことも出来ますからね」


ノアが押さえていてくれるのをいいことに、ネアは急いで魔物の腰に縄を縛りつけた。

臨時のハーネス代わりにこれで捕まえておくのだ。

しかし、縄を縛り終えてから顔を上げると、呆然とした目でこちらを見ている魔物達がいるではないか。


「むぅ。誤解しないで下さいね。これは迷子紐の進化系のようなもので、家出した魔物が再び逃げ出さないように、しっかりと捕獲する為の暫定の措置なのです!」

「ネア、縄で縛ってどうするのさ。本を燃やせば済むのに……」

「……………何だろうこれ、…………可愛い」


自分の腰に括りつけられた縄を見下ろし、ディノはほんのりと目元を染めた。

呆れ顔のノアとは対照的な反応を示し、そっと縄に触れ、その端をしっかり握りしめているネアまでを視線で辿ってからもじもじとする。

本気で危ない反応だったので、ネアはかなり複雑な気持ちになったが、ご機嫌が直ったようであればこのまま放置しよう。


その時、ぼふんぼふんと部屋の扉を叩く音がした。

葉っぱからのお呼びのようで、どうやらルームサービスが届いたらしい。

ネアはさっと魔物達を確認し、ノアの手も掴んで二人とも連れてゆくことにした。

二人揃えばもう無敵だと思うので、こそこそするよりもお客が増えたことをホテル側にも伝えておこう。


「はい!今行きますね。………は、葉っぱさん?!」


扉を開けた瞬間に葉っぱが昏倒してしまったので、ネアはびっくりした。

はっとして振り返れば、ディノもノアも見事に白い。

慌てて首を振って擬態させると、葉っぱ怪獣が倒れたので動揺している従業員に、探していた同行者が無事に合流したので二名増えたことを伝えた。

内一名は縄で繋がれているので大変動揺してしまった女性従業員に、これは趣味なので気にしないようにと言い含めれば、青ざめた表情でこくりと頷いてくれる。



「良かったですね。お部屋代としての宿泊費なので、追加でタオルなどを頼まない限り、料金に変更はないそうです。葉っぱさんには奢りですが、お二人とは宿泊費を割り勘にしますよ!」


抜け目のない人間にそう言われ、魔物達は解せない顔で倒れている葉っぱの塊を見つめた。


「ネアはよほど森の賢者が好きなんだね」

「む!こやつは森の賢者なのですか?どんぐりではありませんが……」

「三千年くらい生きてる珍しい個体だよ。森の賢者たちの長老みたいな感じかな」

「なんと………。首から水筒をかけているので何かの子供だと思っていましたが、お偉いやつなのですね!」


ネアは、森の賢者が複数体いるとは思っていなかったが、どんぐり状態のものに加え、やや育った枝状のもの、そしてさらにその上に位置する葉っぱの塊状のものがいるのだそうだ。

このクラスになると目撃例も百年単位で出てこないそうで、かなり稀少な生き物らしい。

この生き物が森の賢者だと知らない者も多いくらいなのだ。


「普通に駅まで歩いて出てきましたよ。そして、列車の中では素敵な焼肉弁当的なものを食べていました」

「え、…………森の賢者って肉食だっけ?」

「水と陽光で生きている筈だから、嗜好品なんじゃないかな」


更に言えば、洒落者として社交の場で人気があるのは若い森の賢者達で、木の枝クラスになるとあまりにも経験を積み過ぎていて、ご婦人方もよほど自分に自信がないと手が出せなくなるそうだ。

そのあたりを、社交界で持て囃される高位貴族くらいの規準で判断すれば、葉っぱクラスの森の賢者は、人間で言うところの大国の美形王子様レベルなのかもしれない。


「しかし、礼儀正しい幼気な葉っぱなので、引き続き面倒を見ます」

「……ネア、……………浮気」

「浮気ではなく、困った時の助け合い精神ですね。そして、私が触って魔物が荒ぶると困るので、どなたか葉っぱさんを優しく起こしてあげて下さい。オムライス的なご飯が冷めてしまいます」

「うーん、踏めば起きるかな」

「やめるのだ。ノアは女性でないと案外冷たいですよね………」


踏まれて葉っぱがへしゃげると可哀想なので、ネアはしゃがんで揺さ振ってやった。

縄で括られた魔物が荒ぶったが、縄を引っ張ってやると何故か静かになった。

ネアは、この状況にうっとりしている魔物の姿に、新しいご褒美を与えてしまったようで徐々に怖くなってくる。


「………葉っぱさん、良かった起きましたね。………ま、また倒れてはいけません!ここにいる魔物達は、私の知り合いなので大丈夫ですよ!ほらっ、どちらか葉っぱさんを安心させてあげて下さい」

「料理が冷めるのをこの子が気にしているから、早く食べるといい」

「ディノ、言い方!」

「それもそうだけどさ、自分の宿泊費くらい自分で出せないのかなぁ」

「ノア、苛めっこな発言はいけません!」

「でもほら、宿泊費だろうが、何かの対価を他人に負わせるということって、魔術的には縁になるんだ。ここに置いておくにしても、支払いはネアがしない方がいいよ」

「魔術とは面倒なものなのですね………」

「相手が高位の魔物だからね」


じっとりした目のディノにそう言われ、ネアは震えている葉っぱの塊を眺めた。

相変わらずどこか無防備で、子供の様な姿だ。


「ふむ。ディノやダナエさんのような気質の生き物なのでしょうね。葉っぱさん、口は悪いですが、この魔物達は存外に優しいので、気にしなくていいですよ」

「……………僕さ、今気付いたんだけど、寧ろネアのことを怖がってない?」

「……………む?こんなに穏やかに生きている私が、どうして怖いのでしょうか?」

「だってほら、縄で高位の魔物を縛ってる訳だし」


ノアがそう言った途端、葉っぱの塊こと森の賢者は激しく頷いた。

カサカサ音をさせながら頷かれて、ネアはぎりぎりと眉を寄せる。


「解せぬ」

「怖がってるなら、いいのかな」

「ディノ、ご主人様が酷い誤解を受けているのに安心してはいけません。ここは、いかにご主人様が善良なのかを葉っぱさんに教えてあげるところです」


しかし魔物は、どこか頑固な目をするとふいっと視線を逸らしてしまった。

ご主人様の評価が上がるようなプレゼンをするのは嫌なようだ。


「あら…………」


そしてそこで、葉っぱはもさもさの手のひららしき部分を、さっと差し出した。

葉っぱの手のひらの上には、小さな銀貨が三枚乗っている。

思わず顔を見合わせてしまったネア達に何かを訴えかけているが、動きから判断するに、あのお弁当を買ってしまった結果、残金は銀貨三枚のようだ。


「わーお。僕、貧しい森の賢者って初めて見た」

「ノア、言い方!」

「隠遁しているような個体なのかな。確かに珍しいね」

「いいんですよ、葉っぱさん。お金は気にしなくて結構ですので、その代わりにここで安全なところに居て下さい。変な列車に乗っていたとき、葉っぱさんがいてくれて心強かったので、その恩返しですから」


そう言って微笑んだネアに葉っぱは暫くふるふるしていたが、こくりと頷くと、さっと小さな銀色のベルを取り出した。

それを両手で献上するので、ネアは困ってしまう。

どんぐりからであれば惜しみなくいただく所存であるが、銀貨三枚の貧しい葉っぱから銀器を取り上げたくない。


「葉っぱさん、それはきっと大切なものだと思うので受け取れません。その代わりに、いつかお住まいの近くの森にみんなで遊びに行くので、綺麗なところがあれば案内して下さい。きっと、あのブナの森にお住まいなんですよね?」


葉っぱが激しく頷き、背後でノアが溜め息を吐くのがわかった。


「ほら、ネアはまた変な知り合いを増やすんだから」

「いいではないですか。もしかしたらいつか、葉っぱさんの知恵を借りる日がくるかもしれませんよ?ディノ、葉っぱさんの森に遊びに行きましょう。森林浴は好きですか?」

「森林浴?」

「あら、と言うことは初めてですね。また新しい楽しみが増えるので、一緒に散策するのが待ち遠しいです」


狡猾な人間にそう言われてしまった魔物は、視線を彷徨わせて困り果てていたが、終始穏やかな微笑みを崩さなかったネアに言い包められてしまい、こくりと頷いた。

あちゃーと呟くノアも、森の中でボール遊びをするのも楽しいでしょうねと言われた途端にぴたりと黙った。

どうにか場がおさまったので、ネアは頼んでおいた料理にとりかかることにする。


「ディノが来てくれたので、ここから帰れるかもしれないということはさて置き、まずはこれを食べてしまいますね」

「ご主人様………」

「お肉も海老も、冷めてしまったら台無しなので時間勝負なのです。はい、ポテトを食べますか?」


フォークで刺したポテトを差し出され、魔物はふるふるしながらぱくりと食べた。

食べさせて貰うのはまだ刺激が強いようで、すぐにくしゃりと蹲ってしまう。

家出問題も未解決の一番危ういところを無力化したので、ネアは安心して食事にとりかかった。



「美味しいです!」


さすがリゾートホテル風のところの料理なだけあり、複雑さという感じには欠けるものの、素材の味も含めてとても美味しい料理だった。

焼肉弁当から連想したような味をしっかり染み込ませたお肉ではないが、香味野菜を刻んだとろりとしたソースが美味しくて幾らでも食べられそうなくらいに美味しい。

葉っぱは、オムライス風の食事を部屋に持ち帰り、ストレスの少ない環境で一人で食べるようだ。

萎縮してしまってもいけないので、後でお茶を淹れてあげようと思いつつ、ネアは少しだけ首を傾げる。


「ノア、後で葉っぱさんにもお茶を淹れてあげようと思ったのですが、葉っぱを煮出した飲み物を差し上げるのは残酷でしょうか?」

「わーお、そんなこと考えたこともなかった」

「うむ。では与えて見て様子をみますね」

「そういうところは、君も容赦しないよね……」

「あの水筒の中身がお茶であることに賭けます!」


ばすんと、窓が鳴った。

風が強くなってきたらしく、軒下に吊るした籠が窓に当ったようだ。

そちらに視線を向けたネアは、縄で繋いだ魔物の方を振り返る。


「ディノ、あわいの列車は、乗ると時間も狂うのでしょうか?」

「おや、時間の齟齬があったのかい?」

「ええ。こちらの駅に着いたとき、乗っていたと感じた時間よりも、余分に二時間程経っていました」

「であれば僅かな時間の歪があったのだろうね。距離的にも、ヴェルクレアからここまで来てしまっている訳だし」

「………何日も経っていたりしなくて良かったです」

「そこまでの干渉となると守護が弾くよ。今回は、君の体に害がない程度のものだったんだ」


ネアはその線引きに首を傾げたが、確かに何日も気付かずに乗っていれば、寝食などの意味で体を損なう。

些細な怪我等とはまた違い、生命維持を損なう作用としてすぐさま弾かれるのだそうだ。


ふと、意識の端に妙な記憶が引っかかった。

走り去っていったあわいの列車に、あの丸眼鏡の男が持っていたランタンが置き去りにされていたような気がする。

赤い天鵞絨の座席ではなく、列車の戸口にかけられたランタンを見たような気がした。


(………何でそんなことが気になったのかしら?)


もやっとしたがどうでもいいかなと思い、その記憶は精査しないことにする。


「………ディノは、モナで海から上がってくる生き物を見たことがありますか?」

「ヴォジャノーイだね。巨大な蛇のようにも見えるけれど、実際には植物の系譜の精霊だ。大蛇のような巨大な体の両端に、老人の頭と魚の頭がついている。年に一度、夏至の直後の満月の夜になると、老人の頭の方が陸に上がって来て、陸の生き物達を食べるのだそうだ」

「…………もうその説明だけで絶対に嫌いなやつですが、魚頭のときには悪さをしないのですか?」

「普段は、老人の頭の方は体に巻き込んで隠しているようだよ。魚の頭で海の中の穢れを食べて、海水を浄化する良き精霊だ」


ネアは得心した。

普段はとても良い魚頭なのだろうが、年に一度貯め込んだフラストレーションが爆発するのだろう。

そのような経緯があるから、この町の人々もやり過ごす方針で来たに違いない。


(そして、こちらの魔物のフラストレーションは収まったのだろうか……)


腰に括られた不格好な縄を、嬉しそうに撫でている魔物をちらりと見た。

寝台の上の本はそのままだし、ネアとしては最終巻まできちんと読みたいと思っている。


「ディノ、そう言えば地図を貰ったのですが、私の魔術可動域では、ディノのお城には行けないそうです」

「君が入れるように、君の為の道を作ってあるよ?」

「なぬ?そうだったのですね。であれば、行ってみたかったです」

「何もないところだけれどね。…………静かだったよ」


リーエンベルクは賑やかだ。

例えネアが寝てしまっていても、同じ屋根の下に家事妖精や様々な仕事人達が行き来しているし、庭や隣接した禁足地の森にはたくさんの生き物がいる。

そんなところで馴染み始めた魔物が、豪奢だが誰もいないお城の中に一人ぼっちでいる姿をネアは想像してしまった。


(泣いてはいなかっただろうか。一人ぼっちで、迎えに来てくれるのを待っていたのだろうか)


可哀想になって丁寧に撫でてやると、ぐりぐりと手のひらに頭を擦り付けてくる。

いい場面の筈なのに、腰の縄のせいであまり他人様にはお見せ出来ない絵になってしまった。



「ねぇ、ディノ。私は多分これからも、面白い本に出会ったら夢中になってしまいます」


そう言えば、ノアがうっという顔をしたが、ディノは悲しげに澄明な瞳を瞠っただけだ。

けれどその奥には老獪な魔物らしい鋭さを見て、撫で続けて鎮めつつネアはその先を続ける。


「それは多分、ディノにとっては寂しいことでしょうが、狐さんにとってのボールのように、私には必要な心の養分の一つで、削ることは出来ません」

「…………削ることは出来ないんだね」


静かな静かな声に、ネアはあえてにっこりと微笑んだ。


「ですので、そういう時は、ディノが時間の使い方を工夫して下さい」

「私が工夫するのかい?…………私の方が年上だから?」

「いえ、この場合はお互いに無理をすると、爆発してここの海から上がってくる生き物のようになるので、双方の欲求の釣り合いを取りましょう」

「双方の釣り合い……」

「はい。私が本に夢中になっている時には、これは狐さんにとってのボール遊び、心の読書欲栄養補給中と思っていただいて、その間に自分の用事を片付けてしまうとか、ぐっすり寝たり、夜遊びにでかけたり、いつもより長風呂したりして下さい」

「夜遊びには行かないんじゃないかな」

「でも、私はその間お部屋で本としか向かい合っていませんので、安心してお友達と会ったり出来ますよ?リーエンベルクの中で誰かと晩酌したりしてもいいですし、アルテアさんやウィリアムさんと出かけたりも出来ます。言わば本が私の子守り代わりなので、ディノが他の用事に充てられる貴重な時間でもあります」

「…………うん」


頷いたものの、魔物はまだ項垂れていた。

仕方なくネアは、ここで自分の取り扱い方を一つ教えてやる。


「どうしても納得のいかない時は、私の読書を遮る形で、読んでいてもいいから読み終わったらこういうことをして欲しいとか、こんなものが食べたいという取引を持ちかけて下さい。もう一冊読みたいときと、もう少し眠りたいときはかなり防衛力が弱まるので、実は攻め時なのです」


小さく息を飲んで、ディノは不思議そうにネアを見つめた。


「君は浸食を嫌がるのに、………それでいいのかい?」

「勿論、私とて意識のある状態です。あんまり無茶を言われてしまうとその交渉はとん挫するでしょうから、私が読書欲と引き代えにするくらいのものを選ぶといいでしょう。普段であればぎりぎり却下されるくらいのものは、認可されてしまう筈ですから」


そう言われてディノは少し考えたようだ。


「巣を洗いに出さないとか」

「それは衛生面が気になるので、一定期間を提示すれば洗濯の時期が延びたりはするでしょう」

「料理……………」

「高確率で交渉成立します」

「…………ご褒美は」

「………それは一気に幾つもおねだりすると私が我に返ってしまうので、少しずつ言ってみてくださいね」


何故か腰の縄を見ながら言われたので、そこでネアの微笑みは少しだけ引き攣ってしまった。


「浮気をしない?」

「むぅ。本を読んでいる間はどこにも行かないので、ある意味、浮気が出来ない状態になっている筈ですよ。寧ろ、美味しいご飯と、素敵な睡眠と、面白い本があれば私はそこに住みつくのでどこにも行きません」


その途端、魔物はぱっと目を輝かせた。


「では、君を動かしたくない時には、それを用意すればいいんだね」

「…………む。いささか、弱点を知られ過ぎた気がしてきました」

「ネアが逃げようとしたら、その三つを用意しよう」

「そうなると、逃げられる気がしません。おのれ、何という恐ろしいことになったのだ」

「わーお。逃げられなくなるんだ……」


うっかり最大の弱点まで握られてしまい、ネアは怯えの目になった。

ノアは呆れているようだが、ノアだってボール遊びで釣られたら思うがままにされる筈だ。


そんな話をしていたら、遠くで鐘の音が聞こえた。

火事の鐘に似ている響きなので、海から上がってきたものがいるのだろうか。

いつの間にか外は暗くなっており、風の音も強くなっている。


「まだ夕方だけど、今日は曇っているから暗くなるのが早いのだろう」

「満月の夜というご指定なのに、月が出ている必要はないんですか?」

「満月の夜なのは、魔術の満ち欠けの為かもしれないね。…………ノアベルト?」


なぜか、厳しい顔をしたノアが、部屋中の見回りをしている。

何かあったのだろうかと思ってディノと顔を見合わせると、こちらを見たノアが神妙な声で教えてくれた。


「随分前にね、付き合っていた女の子に、簀巻きにされてあの精霊の前に放り出されたことがあるんだ。食べられかけて逃げ出したけれど、もう二度と会いたくないからこの窓は少しだけ封鎖しておいたよ」

「寧ろ、その彼女さんに何をしたのでしょう」

「他の子と一緒にいるのを見付かったくらいだよ。強い麻痺薬を飲み物に混ぜられて、いつの間にか醜い精霊の前に置かれていたんだ。あれは怖かったなぁ………」

「ディノ、こういう男性になってはいけませんよ?」

「ネアが虐待する………」



その後ネアは、葉っぱの様子を一度見に行ってやった。

夕方に食事をしたばかりなので、九時くらいに夜食にするが、もし時間が合うようであれば一緒にと言えば、葉っぱはもすんと弾んで喜んでいたようだ。

戸口に謎めいた葉っぱの魔術陣のようなものを組んでいるので、やはり馴染みのない海のものは怖いのだろう。

残金も残り少ないようであるし、行くはずだったブナの森駅までは送り届けてあげようと思いながら、ネアは問題がなかったらしい紅茶を渡して帰って来る。



部屋では、縄の端っこを持つのがノアだととても嫌だというディノが荒ぶりながら待っていた。

双方ダメージを受けてしまっていたので、慌てて縄付きの魔物を引き取る。

ネアが縄を引くととてもご機嫌になるので、ディノは余程この仕打ちが気に入ってしまったらしい。

また強請られたらどうしようと思わないでもなかったし、もう話し合いで双方納得したので縄を解きたいのだが、試しに結び目に手をかけると魔物はしょんぼりしてしまう。


「どうしましょう。お外に居るに違いない穢れた神様とやらよりも、うちの魔物におかしな癖をつけてしまったことの方が怖くてなりません」

「もうシルは覚えちゃったと思うよ」

「困りましたね。これを外でやっていたら、完全に不審者扱いされてしまいます」

「三つ編みも微妙だと思うなぁ」

「この縄、可愛いよね。ネアがすごく懐いてる感じがする」

「むぅ。完全に味をしめましたね…………」


実はその後、読書中は魔物を縄で繋いでおくとうっとりとして大人しくしていることがわかって大変に重宝するのだが、その時のネアは穢れた神様が這いずる音が聞こえてくることよりも背筋が寒い思いをしていた。


葉っぱは外の音がたいそう怖かったらしく、ネアが入浴している隙に、魔物達の所に遊びに来ていたようだ。

何やら妙に仲良くなったようで、ディノがその後葉っぱに優しくなったのが驚きだ。


先に関わっていたネアとしては、何だか釈然としない避けられ方であったし、魔物同士でいるときには寛いで葉っぱを脱いでいたという話にも驚いてしまう。

あの葉っぱは脱げる仕様なのかと驚いてしまったネアは、その後ついつい葉っぱの外皮を凝視してしまうことが多くなった。

着ぐるみ系の生き物は初めて見たので、どこかに着脱用のファスナーのようなものがあるのか、気になって仕方なかったのだ。

その結果葉っぱはたいそう怯えてしまい、ネアが近付くと小刻みに震えるようになった。



「そう言えば、同じ列車にもう一人いたのですよ。丸眼鏡の少しグエンさんのような雰囲気の男性です」

「…………ふうん」

「よくわかりませんが、不審めな感じでしたので、私がディノ達を連れているところを見られたくありません」

「君は、不思議と勘が鋭いときがあるよね……」

「む?悪い奴なのですか?」

「ネアがそう思うなら、あまりよくないものかもしれないってことだよ。ねぇ、シル?」

「こちらではもう会わずに済むように調整するよ。安心していい」

「はい。そうしていただけるなら、お任せしますね」


不自然に微笑んだ魔物達の瞳の残忍な美しさに、ネアはそこに隠された真実がありそうな気がしたが、そのまま気付かないふりをすることにした。




翌朝、綺麗に晴れたモナの町は美しかった。


心配して待っているエーダリアやヒルドがいるので、ネア達は早々にホテルをチェックアウトしたが、この町では美味しい海老料理が食べられるそうで、また今度遊びに来ようということになる。

朝食に食べるのもやぶさかではなかったが、昨晩のことの直後なのでまだ海が荒れているらしい。

確かにあちこちで、町民が町を掃き清めている姿が見える。


(昨晩は、一晩中ずるずるという音が聞こえていたし、結構近くに音が来たこともあったような……)


勿論窓の外は見えないのだが、何者かが見えない窓の向こう側からこちらを覗き込むような気配を感じたりもした。

あの穢れた精霊は、水葬で海に沈んだ亡骸の穢れを溜め込むことで穢れるので、水葬にしなければならないような汚れを纏う、高い魔術可動域を持つ者を憎んでいるのだそうだ。

なので、地上に上がって来ると、魔術可動域の低い者と、高階位であっても穢れを溜め込まない一部の妖精や、死ぬと塵になって消えてしまう階位の魔物を好んで食べるらしい。

ネア達の部屋はきっと、あの精霊にとってはご馳走の宝箱のようなものだったのだろう。



今はただ、穏やかな優しい色の海が広がっている。

青みがかった白灰色の砂浜に、きらきらと朝日を煌めかせ寄せては返す波は穏やかだった。



無事にブナの森駅に送り届けられた葉っぱは、もすんもすん弾みながら手を振ってくれた。

別れ際に、さっと焼肉弁当のお店の割引券を差し出されたので、そればかりは有難く拝受した。

かなり素敵な香りのお弁当であったので、次の週末でお弁当を買いに行こうと思う。




暫くしてからネアは、あわいの列車を呼び寄せる、誘導人という人間の祟りもののことを知った。

ブリキのランタンを持ち、誘蛾灯のような役割を果たすランタンの毒の光から目を守る為に魔術仕掛けの眼鏡をかけているそうだ。

祟りものや凝りなどの存在達と提携し、誘導人が獲物を配達する仕組みになっているらしい。

ということはあの男性はまさかと思って、あの晩の不自然な魔物達の様子を思い出した。

丸眼鏡の男性がどうなってしまったのかは、深く考えないようにしよう。









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