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145. おかしな列車に乗りました(本編)


無事にブナの森駅に着いたネアは、まずは空になった飲み物の容器を駅のゴミ箱に捨てた。


豊かな森の中にある素敵な駅で、小鳥の囀りが聞こえたり、風の音がする。

たおやかな木漏れ日につま先を踏み入れると、何だか嬉しくなった。


(無人駅なのかしら………)


駅には、たった今降りてきたネアしかいないようだ。

しかし怖くはなく、穏やかな静けさに包まれていた。


ネアが改札のところにある小さな水晶の箱に切符を入れると、綺麗な回収箱が淡く光ってぱかりと改札の扉が開く。

回収箱に切符を精査する能力があるようだが、これでは急遽降りたくなって切符の代金が足りない場合など、どうすればいいのか謎だ。


そして、ぺっと新しい切符を吐き出した。


「む。もう一枚の切符が……」


眉を顰めたネアはその切符を凝視し、手に取ると、周囲をきょろきょろと見回した。

ようやく小さな注意書きのある掲示板を見付けたのは、改札を出たところの待合室まで探しに行ってからだ。

恐らく駅のホームにも注意書きがあったに違いないが、ネアが見落としたのだろう。



“ブナの森駅は、先日の凝りの竜の襲撃により、車両数の多い長距離列車の受け入れが難しくなっており、現在仮設駅舎になっております。ブナの森駅までは、こちらでお乗換え下さい”


その注意書きを読んで、ネアは首を傾げた。

元は違う世界の出身なのでよくわからないが、新しく駅舎を増やすよりは、元の駅を復旧した方が早いのではないだろうか。


(地盤の問題とか、何か大きな質量を受け入れられない理由があるのかな?)


よくわからないなりに頷き、ネアは新しい切符を持って駅を出てすぐのところにある簡素な石造りのホームに立った。

そこから出る列車が次に来るのは、十五分後である。

周囲の綺麗な森を見ながらベンチに座っていると、もすんもすんという謎めいた足音を立てて、葉っぱの塊のお化けのような生き物が同じホームに並んだ。


ディノくらいの身長なので少し怖いが、安らかな灰色の目をしているのできっと列車を待っているだけなのだろう。

手には大きなお弁当箱を紐でぶら下げており、首から水筒も下げている。

ジューシーなステーキの匂いがするので、お弁当の中身はまずそれに違いない。


暫くすると、今度は長靴を鳴らして一人の男性がやって来た。

草臥れたコート姿でブリキのランタンのようなものを持った、人懐っこい目をした丸眼鏡の男性だ。


(グエンさんに似ているような………)


そう感じた第一印象から、ネアはこの男性は少しだけ警戒することにした。

グエンに似た雰囲気となると、手練れの魔術師である可能性もある。


会釈されたので会釈を返したが、先に会釈した葉っぱに邪魔されてネアは見えなくなってしまう。

律義に挨拶をしたこちらの葉っぱは、きっと良い葉っぱに違いない。

そんなことを確信したところで、ようやく列車がやって来た。


ごとんごとんと穏やかな走行音を立てて、二両編成の列車がホームに入ってくる。

扉が開くと、篭を背負った妖精や、愛玩犬サイズの竜のようなものがわらわらと下りてきて賑やかに去ってゆくので、ブナの森には多くの住人がいるのだろうか。


乗客が降りたところで、がしゃんと音がして進行方向向きだった座席が反転する。

妙なところが全自動なので、ネアは目を丸くした。

寂れた臨時列車を想像していたが、赤い天鵞絨張りのシートで、思いの外きちんとした車両だ。

三人がけの座席が左右にあり、中央通路がある。

窓も凝った形で可愛いし、深緑の車体に優美な紫色の装飾線で模様が入っていた。


(古城とは言えお城があるくらいだし、観光地だったりすれば列車が立派なのもわかるわ)


また少しわくわくとしたネアは、躊躇うことなくやって来た列車に乗り込んだ。

ここで警戒を怠ったのは、公共の乗り物を信じて疑わない前の世界の感覚だったのだろう。




「こりゃ列車じゃないぞ」


乗って暫くして、隣の車両に乗り込んでいた丸眼鏡の男性がこちらの車両までやって来て、そんなことを言い出した。


お弁当を開けて焼肉弁当的なものを食べている葉っぱと、そのお弁当に視線が釘付けだったネアも顔を上げれば、丸眼鏡の男性は肩を竦めてみせる。


「あわいの列車、列車の祟りものだ」

「………列車の祟りものがあるのでしょうか?」

「珍しいんだが、あるんだよ。お嬢さんも災難だったな。降車客がいたので俺も油断しちまったが、ありゃ過去の記憶の幻影だったんだろう」


そう聞いて、葉っぱは大きな長方形の焼肉弁当を慌てて食べてしまうと、もさもさした手で列車の座席を撫でている。

何度か撫でてから、もふぅという悲しげな溜め息を吐いたので、厄介なものに乗り込んでしまったと確認出来たのだろう。


「あの、知識がなくて申し訳ないのですが、あわいの列車に乗るとどうなるのでしょう?」

「実在する線路ではないところを走るからなぁ。どこに連れて行かれるかわからんぞ。最悪、死者の国に連れて行かれるって噂もある」

「あら。そうなのですね」


さして驚かずに頷き、ネアは座席に座り直した。

死者の国にまた連れて行かれてしまったら困るが、困るだけで危機という感じにはならない。

何しろそこにはもう、感じのいい知り合いがいるのだ。

しかし、またみんなに迷惑をかけ、あの食べ物に悩まされると思うと、少しだけ渋面になった。


「………あんた、女のくせに泣き喚かないんだな」

「ええ、図太いたちなのです。ひとまず駅に着かないことにはどうもしようがありませんが、願わくば、あまり物騒な土地や、辺鄙な土地でないといいですね………」

「どっかのお嬢さんのようだが、肝が据わってるなぁ。一人旅ってことは、家出か宿下がりかなんかか?」

「いえ、家出した同居人を迎えに行く予定でした」

「家出ねぇ。そんなお気楽な最中でこの有様でも、呑気なもんだ」

「強いて言えば、どこかでお昼ご飯を食べてくるか、素敵なお弁当を買ってくれば良かったです。美味しいソースをかけたお肉が食べたくて仕方ありません」


ネアからじっとりとした気配を感じたのか、葉っぱがぎくりと体を揺らしていた。

欲深い人間が自分のお弁当を狙っていたのだと知り、心なしか体を縮こまらせている。


「………お嬢さん達はここで大人しくしてな」


呆れてしまったらしい男は、そう言い残すとネア達を無視して列車を調べ始めた。


なぜか男性が離れたことに安堵して、ネアは心を落ち着けながら窓の外の景色を楽しむことにする。

少しだけやってしまったという感じがしないでもないが、どんな駅に辿り着くかで判断しようと思い、まずは滅多に乗れないであろう祟りもの列車を堪能する所存だ。

この列車が乗客を食べてしまうと言うなら話は別だが、そうでもない限り転移門も持っているしそこまでの恐怖はない。


(だから、不安定かもしれない移動中に使うのはやめよう……)



以前に、緻密な操作の効かない転移門は、あわいの中で使うと行き先が狂うと聞いたことがある。

こういう非常事態では、焦って行動すると真っ先に死んでしまうのがパニック映画のセオリーだ。



もすんと音がして視線を上げれば、反対側の座席にいた葉っぱがネアの後ろの席に移動してきていた。

害はなさそうだし、案外怖がりなのだろうかと思い、したいようにさせておく。

ごとんごとんと、列車は規則正しくのんびりとした音を立てて走ってゆく。

穏やかな森の景色を不謹慎ながらも楽しんでいると、ふっと森が途切れた。



「…………海が」



ネアがそう呟いたのは、森の先が海辺の街になっていたからだ。

曇り空の灰色の中、淡いエメラルドグリーンの海が広がっている。

海を見るのが初めてなのか、葉っぱは飛び上がって反対側の窓の方に駆けて行ってしまった。


(静かなところだわ………)


先程までの森の豊かな緑とは違い、寂寥を滲ませた灰色と淡いエメラルドグリーンの景色がしばらく続いた。

灰色の砂浜に淡い色の波が打ち寄せ、砂浜にはところどころ昼顔や、紫色の花を咲かせたビテックスの茂みが見える。

幸いにも、気温にはそこまで変化がないか、少し暖かくなったくらいのようだ。


(この海辺は、どこまでも続く雪原を見ているような感じがする)


どこまでも静謐で心が澄んでゆき、そのままゆっくりと眠りたくなるような静寂だ。

美しく平坦なその景色の中に、吸い込まれて均されてしまいそうな感覚になるのはどうしてだろう。


(うん。お茶でも飲もうかな……)


あまり見入ってしまうと怖いような気がしたので、そう思ったネアは鞄を開けたところで眉を顰め、そっと閉じた。


首飾りの金庫に入れればいいのに雰囲気重視であれこれ詰めたのは自覚していたが、そんな荷物がすっかりなくなっており、代わりにすやすや眠る銀狐が入っていたのである。

無賃乗車になるので、慌てて隠したのだ。


(いつの間に!)


いたのであれば寧ろ、牛頭を滅ぼしたあたりで起きて欲しかったところだが、案外あの賑やかな列車を降りたところで尾行するのが難しくなり、鞄の中身と入れ替わったのかもしれない。

とは言え、何よりも一人ではないとわかって嬉しかった。


これなら、安心して次の駅で降りて転移門でも使えばいいのだ。

なかなか迎えが来ない魔物が荒ぶらないか心配になってしまうが、駅に着いたら乗り過ごして変なところに来てしまったとでも指輪に報告しておこう。


「………む。駅ですね」


そう思っていたら、がくんと列車が揺れた。

走行速度が落ちてゆき、列車は音もなく小さな駅に滑り込む。


小さな木造の駅舎の周りには、海辺の小さな町が広がっていた。

伸び上がって窓から観察すれば、ホームに駅名はなく、可愛らしい薄緑色壁の家々が連なっており教会の尖塔も見える。

まるで南国のリゾート地だなと思い、ネアはひとまずここで降りてみることにした。

ここは穏やかそうな町だが、次の停車駅もそうだとは限らない。


列車のタラップを降りようとすると、慌てた素振りで葉っぱが付いて来た。

はしっとネアの鞄の紐に掴まったので、置いて行かないでくれということなのだろう。


「あら、ご一緒しますか?私にもここがどこだかわからないので、賭けになりますよ?」


もふんと頷いた葉っぱに、ネアは微笑んでやる。

ネアはもう色々あり過ぎて慣れてしまったが、いきなり知らない場所に放り出されるのは怖かろう。

その点ネアは大雑把なのか、まだ大丈夫そうだ。

可哀想なので、転移門を使うかノアを叩き起こして助けてもらう際に、この葉っぱも一緒に送ってあげようと考える。


(そんな場合じゃないけれど、綺麗な森深くにあるお城を想像していたから、何だかイメージが……)


目的地の印象が違うので、何となく視界が腑に落ちない。

そんなことを考えながら葉っぱ連れで下車したところで、今度は慌てたような声がかかった。


「お、おい!あんたら降りるのか?!」


丸眼鏡の男だ。


「はい。ひとまず、紛争地域とかそういうところでないのは確かですから」

「ここは沈黙の町だ。海から……が、上がってくるぞ?早く列車に戻れ!」

「む?」


肝心な言葉は、発車ベルに掻き消されて聞こえなかった。

ネアはぺこりと頭を下げ、手を振る。


「往々にして、最初のところで手を打っておいた方が被害は少ないものです」


したり顔でそう言ったネアに、閉まった扉の向こうで丸眼鏡の男は何とも言えない顔になった。

そして次の瞬間、がらりと窓を開けてホームに飛び降りるではないか。



「まぁ、……」

「あんたの言うことも尤もだ。海から上がって来るものは、屋内に入れば防げるからな」

「そういうものなのですね。実は先程は聞こえなかったのですが、何が上がってくるのでしょうか?」

「穢れた神だ」

「穢れた神………」


不穏な響きに転移門の出番かと思ったネアは、とても嫌な注意書きを目撃する。

駅の掲示板にあったのは、海上がりの日であるので本日から明日の朝まで、近隣一帯で転移が封じられているというお知らせだった。

眉を寄せて鞄をさり気なく叩いてみたが、銀狐が動く気配はない。


「…………屋内必須となると、のんびり観光をしていないで、早めにお宿を探した方が良さそうですね。葉っぱさん、行きますよ!」


目つきを鋭くしたネアがそう急かせば、葉っぱはもふんと頷いた。

頼りになる相棒を取られると思ったのか、ネアの苦手な丸眼鏡との間に入ってくれるのが素晴らしい。


幸いにも切符は改札で引っかからなかったし、この駅には人がいた。

ネアは、がたがたと音を立てて駅室を閉めている青年に声をかける。


「すみません、こちらの町にはお宿はありますでしょうか?」

「………ええ。……うわっ?!」

「あ、こちらの葉っぱさんは良い葉っぱなので怖がらないで下さいね」

「…………駅を出たら坂道を登ると、宿が一軒ありますよ。今日は海上がりの日だから混んでいるかも…」

「なぬ?!有難うございました!」


僅差で部屋を取られては困るので、ネアは慌てて葉っぱを引き連れると駅舎から飛び出した。

困ったことに、丸眼鏡も付いてくるようだが、ネアは、なぜか不安を覚える存在であるこの男性と同室になるのだけは避けたかった。



駅を出ると、麦色の素朴な煉瓦の小道がある。

道の両脇には幾つかの商店があるが、今日は店を閉めているようだ。

家々のプランターには色鮮やかな花が咲き乱れていて可愛らしい町だが、人の気配がなくしんとしているのが異様で、その静けさに急かされるようにして急いで坂道を登った。


(ノアは、………寝てるのよね?)


あえて鞄を大きく動かして銀狐の目覚めを待ったのだが、やはり一向に起きる気配がない。

いくら何でも様子がおかしいと思ったが、あえて隠れていてくれるのかもしれないと良い方に考え直した。

暫定、本人が出てくるまでは、このまま鞄の中にいて貰うことにしよう。



「ここですね。………大きいです」

「小さな宿かと思ったら、まぁまぁの規模だな」

「この規模なら、空室がありそうで安心しました……!」


坂を上がりきったところにあったのは、南方の町らしい色鮮やかな花が咲き誇る、砂色の壁のエントランスがある立派な建物だ。

繊細なレリーフに神殿めいた柱があり、リゾートホテルのような造りの建物に、ネアは安堵の微笑みを浮かべる。

よくわからない現象に巻き込まれるのであれば、施設は立派な方がいいではないか。


そう感謝しつつホテルに入ると、ほぼ同時にドアマンらしき制服の従業員と、オーナーめいたご婦人がやってきて、正面玄関が閉鎖されるところであった。


「丁度良かったですね。この後はもう戸締りを確認しなければいけないので、お客様は取らないのですよ」


感じのいいご婦人がそう教えてくれる。

そしてやはり、ネアの隣の葉っぱを見てぎくりとした。


「お部屋は空いていますでしょうか?」

「二部屋ございますね。ただ、一室は貴賓室になりますので、少し高価なお部屋になりますが」

「俺は普通の部屋にしてくれ」

「むむぅ。………では、私は貴賓室の方で構いません」


さっと狡猾な丸眼鏡に安い方の部屋を押さえられてしまい、ネアは渋面になった。

しかし、別の部屋になったのは幸いであるし、こちらには葉っぱがいるので、部屋が広いに越したことはない。

死者の国で、緊急時の拠点の大事さは身に染みている。


(幸い、地精のボーナスも入ったばかりだし……)


葉っぱはとても狼狽してぱたぱたしていたので、ネアは慌てて手を差し伸べた。

自分の部屋がなくなってしまったとか、部屋を押さえるお金がないとかそういうことだろう。


「私のお部屋は立派なようですので、ご一緒しましょう。ただし、浴室と寝台は女性優先です!」


そう言ってやれば、ぷるぷると身を震わせてから強めに頷いた。

あまりにも勢いよく頷いたので、首からかけた水筒が大きく揺れる。


「そりゃ良かったな。じゃ、またな」


そして丸眼鏡はさっさと自分の部屋に案内されてゆき、ネアは少しほっとした。


(またなどない!)


どうしてだか、見た目が異形である葉っぱよりも、あちらの方が得体が知れない感じで警戒してしまう。

うまく言えないが、近付かれるとぞわりとするのだ。


謎めいた葉っぱ怪物が一緒なのでとても怖がられながら、ネア達も廊下の奥にある貴賓室に案内された。

フロントでネア達を任された壮年のホテルバトラーは、ぎくしゃくと葉っぱの前を歩いている。


「お部屋はどこも、海側なのですね」

「ええ。当施設の部屋は全ての海向きです。ただし今日は、決して窓とカーテンを開けませんよう」


廊下の窓はまだカーテンが下りていないので、監視台でぱたぱたと揺れる旗のようなものや、穏やかな波の打ち寄せる砂浜が見える。

綺麗な街並みと海を見下ろせるのが、本来はこのホテルの良さだったのだろう。


「よく知らないので粗相をしたくないのですが、今日はどんな日でどう対策すればいいのでしょう?」

「それで、よりにもよって今日いらしたんですね。……海から良くないものが上がってきますので、夕方から夜明けまでは、決して海の方を見てはいけません。外にも出ませんように」

「それだけで防げるのですか?」

「ええ。土地の誓約があり、屋内にいる者には手出し出来ないんですよ。ただ、窓から見てしまうだけで狂死しますのでご注意下さい。それと、窓からかけた網と籠は決して外さないで下さいね」

「それも、そやつを避ける為のものなのですね?」

「はい。網の結び目と、籠目が災厄避けの形となっているそうですよ。私は専門的なことまでは存じませんが、昔から軒先や窓辺には必ずありましたから」

「わかりました。………あの、お食事等はどうすればいいでしょう?」

「後一時間ほどであれば、お部屋までお届けします。それ以降は注文も出来ませんから、夜の分のお食事も手配された方がいいですね」

「ふむ」


ネアは少し考えた。

この宿の宿泊費は、素泊まり一泊でザハのディナー五回分くらいだ。

決して安くはないが、ボーナスが吹き飛ぶくらいで、困窮するほどに高いという事もない。

食事については節約しようとも思ったが、部屋に缶詰めになるのであれば、後で後悔などしないようにルームサービスを取っておいた方が安全なのかもしれない。


「では、お部屋の案内をしていただいたら、その場で注文させて下さい」

「はい。それでは、こちらがお部屋になります」


カチャリと観音開きの扉を開けば、部屋はすっきりとした青色に統一されていた。

窓を開け放つことが出来れば、もっと気持ちのいい開放感のある部屋なのだろう。

ミントグリーンがかった、生成り色の掠れた風合いの床板と家具が爽やかで、そこに深みのある青いリネン類が素晴らしく映える。

部屋が思っていたより綺麗で、ネアは少し気持ちを持ち上げた。


「主寝室はこちら。浴室は二つ、ここがリビングで、従者用の部屋がこちらになります」

「とても素敵なお部屋ですね。では、葉っぱさんはこちらの部屋でいいですか?中央のお部屋は共有にしましょうね」


従者用の部屋を示されて、もふりと葉っぱが頷く。

少し可哀想な気もしたが、居候させていただくので文句を言わないやはり良心的な葉っぱである。


(主寝室にはバスルームがついているし、従者用の部屋にもシャワーがあるから別に使えて良かった)


共用でも構わないにせよ、葉っぱの生態的にバスルームを綺麗に使えるかどうかわからないので、分けて使えるのであれば万々歳だ。

ここでネアは、一度寝室に荷物を置いてくる体で一人になると、鞄の中に手を突っ込んで銀狐の体をばしばしと叩いてみた。

生暖かい毛皮がびくりと体を揺らし、指先を舐める感触があり、涙が出そうなくらいほっとする。

ありがちなホラーだと、この銀狐が最後まで起きてくれなかったりするのだが、そうでもなかったらしい。


(そして隠れていたのではなく、寝ていただけの模様……)


「狐さん、どうも変なところに迷い込んだようで、ここで一泊しなければいけないかもしれません。食事を頼むので、欲しいもののところで合図をして下さいね。それと、一緒に泊まる方がいるので今は少しだけ隠れていて下さい」


鞄の隙間から鼻を出したので、そう言い含めてからそっと閉じた。

ふすんと鼻を鳴らしたので了解の合図だろう。


安心したネアはリビングの方に戻ってくると、先にルームサービスのメニューを見ていた葉っぱの隣に並んだ。

葉っぱは、もふもふの葉っぱの手でオムライスのようなものを指し示している。

それが食べたいということだろう。


「葉っぱさん、お弁当の直後ですが、これはお夕飯用ですか?これは今食べてしまって、もうひと品頼みます?」


少し躊躇ってから、もふんと葉っぱは頷いた。

震えているのは、お会計がネアにつくので、気がひけるのだろう。

ネアはメニューを読み上げ、鞄の中の銀狐が動いたところで注文をする。


ローストビーフのサンドイッチをネアの分と合わせて二つ、そしてネアが今食べたい海老と牛肉の香草グリルのセット、冷めても飲める冷製のポテトスープとパンを二つ頼んだ。

因みにこれは全部自分用なので、他にきちんと頼むようにと言われた葉っぱは、恐るべき人間の胃袋に慄いているようだ。

震えながら、トマトと鶏肉のサンドイッチを頼んでいた。


「蛇口の水は飲めますでしょうか?」

「ええ。飲料水にお使い下さい。魔術ポットもありまして、紅茶の茶葉は三種類、南国の果実のものと、薔薇とアプリコット、オレンジとショコラの紅茶になります」

「良かったです。それなら安心して紅茶を楽しめそうですね」


念の為に今飲む用の冷たいレモネードを三つ頼み、それでオーダーを完了させた。

思わぬ大量オーダーに慌てて帰ってゆくホテルバトラーを見送り、ネアは小さく息を吐く。


「葉っぱさん、お食事が届くまでの少しの間各自お部屋でゆっくりしましょう。私はひとまず寝室で寛ぐつもりですが、この真ん中のお部屋にいてもいいですし、何かあったらお部屋の扉をノックして下さいね」


またもふんと頷き、葉っぱはもすりもすりと自分の部屋に入ってゆく。

扉を閉める前にぺこりとお辞儀をした律義さに、ネアは微笑ましくなった。


(ルームサービスが届くまでには、半刻くらいはかかるかな)


ネアは寝室の扉を閉め、斜め掛けの鞄を下ろした。

待っていましたと言わんばかりに、しゅたっと銀狐が飛び出してくる。

そのまま床に着地するや否やぼふんと人型に戻り、同時に何かの魔術を敷いたのか部屋の壁が淡く光った。


「はい、大丈夫。音の壁を展開したからね」

「ノアが尾行してくれていて助かりました!」

「えっと、波音がするけど、ここどこなんだろう?何でこんなにしっかりカーテン下ろしてるの?」

「謎の港町です。駅に駅名の看板がなかったのと、尋ねて下手に怪しまれるよりは、普通の観光客を装いお部屋を押さえることを優先しました。ブナの森駅の臨時駅舎からブナの森駅への列車に乗り換えたら、なんとあわいの列車で、ここに連れて来られてしまったのです」

「ありゃ…………。あわいの列車だったんだ……」


ノアが悲しげな目をするのは、寝ていて危険に気付かなかったからなのだろう。

寝室の窓辺に立っているが、そこだと微かに波の音が聞こえた。


「ノアは、どこまで起きていたのですか?」

「乗り換えの時に、君の鞄に入ったんだよ。置き換えの魔術があるからね」

「私の水筒や、素敵なハンカチなどは……」

「あ、それなら持ってるから安心して。まだ明るいのにホテルに篭るからには理由がありそうだね。おまけに相部屋してるの?」

「本日は、夕方から夜にかけて、海から穢れた神様が上がってくる日なのだそうです。ノアがいるので大丈夫かなとも思いましたが、念には念を入れて、まずは宿を押さえてしまいました。先程の葉っぱさんは列車で一緒だったのですが、寄る辺ない子供のようで放っておけません」

「葉っぱ?…………それにしても海からかぁ。……モナか、ダンジュ。あとはカジャルフーナの港町にもそんな逸話があったかな」

「まだ夕暮れになっていないので、カーテンをこそっとめくると街並みが見えますよ」

「わーお、…………モナだ」


こちらを見たノアの表情がかなり嫌そうだったので、これは一筋縄でいかなさそうだぞと察したネアは、きりっとして頷いてみせた。


「ひとまず、現状をエーダリア様達と、ディノへのカードで報告しますね。転移などは禁止されているようですし、ずるして帰れない雰囲気ですものね?」

「うーん、今の時間にもよるかな」

「午後の三時を少し過ぎたあたりです」

「そうなると、町そのものが結界で隔離されて、穢れが外に出ないようになってる筈だよ。………どうするのがいいのかなぁ。君の場合、強引に連れてこの町を出るのと、大人しくここでじっとしてるのと、どっちが事故らないんだろう?」

「むぐぅ………。かなりの事故物件として扱われています」

「そりゃそうだよ!ひとまず、急いでどっちにも報告しよっか。シルが家出中なのが困ったね」

「不貞腐れていて、カードを見ていないと困った感じですよね………」


見上げたノアは、冴え冴えとした青みの強い多色性の白い髪を濃紺のリボンで結んでいる。


「ノア、ごめんなさい。巻き込んでしまいました。……一人では、ブナの森駅にすら行けませんでした」


そう謝れば、ノアは鮮やかな青紫の目を丸くしてから微笑んでくれる。


「僕なんか寝てたし、あわいの列車は判別が難しいんだ。エーダリアあたりなら気付くだろうけど、グラストでも気付かないで乗っちゃうんじゃないかな。だから元気を出して、まずは報告しよう!」

「はい!」


エーダリア達への報告はノアが書いてくれたので、ネアはディノへのカードに集中することにした。


“ディノを迎えに行こうと思い、地図にあったお城の最寄のブナの森駅まで行こうとしたら、乗った列車があわいの列車とやらでした。結果、モナという町に連れて来られてしまい、今夜は海から穢れた神様が上がってくる日だそうです。安全の為にお宿をとりましたし、鞄に狐さんも入っていましたが、少し怖いのでご機嫌が直ったら助けに来て欲しいです”


カードに吸い込まれてゆく文字を見ていたが、死者の国の時の様にすぐに返事がくることはなかった。

念の為に指輪にも囁いてみて、しょんぼりとしたまま乳白色の指輪の表面を撫でる。

ノアが居てくれるので一人ぼっちの怖さは軽減されたが、家出中の魔物を迎えに行けないまま時間をロスしているのが悲しかった。



「そっちはどう?」

「…………まだお返事がありません」

「ありゃ。すぐに飛んで来ると思ったけど、本格的な家出なのかな。こっちはエーダリアが応じてくれたよ。無理に結界を破って町に被害が出ると困るから、じっとしている方針で」

「有難うございます!ところでノア、モナというのはヴェルクレアの中なのですか?」

「ううん。カルウィの隣の小さな国の国境沿いの町だよ。他国だからさ、町に何かあってこっちの所為だってばれるとまずいんだろうね」

「そういうご事情での判断なのですね。………素敵な港町ですが、随分と遠いところでした」


項垂れたネアに、ノアは小さく苦笑するとさらりと一度抱き締めてくれる。

友人らしい抱擁に、胸があたたかくなった。


「ここは潮の流れが独特な海でね。遠浅で途中までは淡い色の澄んだ海なんだけれど、その奥から急に深くなるんだ。海の系譜の者を埋葬する、有名な海岸の一つだよ」


思いがけない説明に、ネアは目を瞠る。


「埋葬地なのですか?」

「海で浄化する訳だから、神聖な土地だとされてる。でも、一年に一度だけ死者の穢れを食べ続けた精霊が海から上がってくる日があってね、その日だけはそこら中が酷い穢れになるんだ」

「たまたまそんな日に当たったのですね……」

「と言うより、そんな日だからこそ引き寄せられるんだろうね。地元の住人は隠れちゃうから、あえて遠い土地から獲物を呼び寄せるのかもしれないよ。はぁ………。穢れの精霊は見た目が酷いんだ。シル来ないかぁ……」

「むぐぅ。さては、あまり戦力にならない感じですね」

「ちょっと色々あって苦手なんだよね。でも、君と僕の為に、この部屋は完全に隠すから安心していいよ。……シルの返事はまだない?」


ここにも一人あの魔物を待つ仲間が出来たようだ。

二人で念じていれば、思いが届く可能性も高くならないだろうか。


(ノアは苦手な生き物だっていうことだし、ディノが来てくれれば心強いのにな……)


「こうなった元凶として、ブナの森駅を襲った凝りの竜めを、私は許しません!」

「え、シルに怒るわけじゃないんだ………」

「ディノに怒ると、同時に本に夢中だった私や、無謀におでかけした私にも叱責が跳ね返ってきそうなので、安全な敵を設定したのです」

「………っていうか、この状況でもその本は手放さなかったんだね」


ノアが目線で示したのは、寝台の上に置かれた塩の魔物の転落物語の十四巻だ。

乗ったのが変な列車だとわかったときも、ホテルを探すときもずっと、小脇に抱え持っていた大事な本である。

ハードカバーなので、いざと言う時には角での打撃が邪悪な感じの武器にもなる逸品だ。




「…………まだこの本読んでる」


ふっと、そんな悲しげな呟きが部屋に落ちた。



見るなと言われると外を見たくなってしまうものなのか、窓の方に寄っていたネアとノアは、がばっと後ろを向く。



「ディノ!」

「シル!」


いきなり二人に飛びつかれた魔物は、過剰な歓迎に目を丸くした。







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