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加算の銀器と惨劇の宴



その日ネア達は、とある魔術道具を試してみようとしていた。

加算の銀器と呼ばれる、食品の効果や味を加算してくれるスプーンだ。

名前こそ加算であるが、実際には倍にしてくれるとても優れたスプーンである。



「ネアが森の賢者に恐れられていて良かった!」


そう無邪気に喜ぶのは、お料理を前に笑顔のゼノーシュだ。

夜の盃のときもそうだったが、この手の食品周りの効果には目がなく、ネアは愛くるしい食いしん坊の姿に早くもメロメロだ。

一緒に参加する予定だったグラストは、結婚指輪を見回り中に失くした部下に泣き付かれてしまい、本日はまだ来られずにいる。


「加算の銀器か、まさか実物を見る日が来ようとはな」


エーダリアはアイテム自体に興味があるのか、こちらも目を輝かせていた。

隣のヒルドは、主人が羽目を外さないようにの監視役である。

案外、本日は人型で参加するノアの監視役なのかもしれない。


「使い方をダリルさんに調べて貰ったところ、スプーンの所持者が命じるままに、このスプーンさんは食べ物を素敵に美味しくしてくれるそうですよ!」

「僕、試してみたい!!」

「スプーンさん、ゼノのオニオンスープを五倍美味しくして下さい」


早速試してみたゼノーシュがスープを飲む姿を、全員でほくほくと見守った。

ごくんとスープを飲みこんだゼノーシュが、ぱっと目を輝かせて頬を紅潮させる。


「美味しい!」

「なんと、素敵な贈り物でした!!」


スプーンを使い回すので、衛生面も配慮して薄手の使い捨ておしぼりのようなものが用意されている。

そのウェットティッシュ的なやつで都度綺麗に拭い、ネア達は小さなスプーンを使いまわして美味しいスープを飲んだ。

テーブルの上には、様々なもので試してみようという趣旨で、料理からデザート、果物などあらゆるものが並べられている。

一部実験的な苦い薬草ゼリーや、まだ熟していない酸っぱい果物も参戦予定だ。


「こんな素敵なものなのですから、ご入り用な方に貸し出せるといいですよね。都度私が命じなくていいように、スプーンさんにお願いしてみましょうか?」


主に可愛いが正義なゼノーシュに貸し出す為に、ネアはそんな改革に乗り出した。

各自の名前を挙げ、ここにいる全員に権利を付与するとスプーンに命じてみれば、なんとその通りスプーンは誰にでも使えるようになる。


(森の賢者さん、何て素敵な贈り物!)


隣の席で五倍美味しいグヤーシュに打ち震えている魔物を眺め、ネアは珍しく穏やかな飲み会を楽しむことにした。

このスプーンで美味しさが加算されたお料理があれば、更に美味しくお酒が飲めるというものだ。

夜の盃もあるので、かなり思うがままの飲み食いが可能となる。


「あら、ディノはもういいのですか?」

「ネアが使っていていいよ。いいものを貰えて良かったね」


どうやら、美味しいものを食べてほわほわと笑顔になるクッキーモンスターをネアが愛でているように、魔物はご主人様がゼリーを食べている姿を鑑賞しているらしい。

ご主人様の方も魔物が喜ぶ姿が見たいので、ネアはスプーンを拭いて小さな足付きグラスに入ったとろとろプリンをすくいあげ、ずいっと魔物の方に差し出す。


「スプーンさん、五倍でお願いします」


(ディノは、ゼリーよりもプリンの方が好きみたいだから……)


「ディノももっと楽しんで下さい。ほら、美味しいですよ?」


そうスプーンを差し出されて、ディノは目を瞠ると、ぷるぷるとしながらぱくりと食べた。

雛鳥のようで可愛いと思っていたネアだが、次の瞬間、魔物はぽふんと音を立ててしまいそうなくらいに真っ赤になり、そのままテーブルに突っ伏してしまった。


「むぅ。スプーンで美味しかったのか、この動作自体で死んでしまったのか、謎ですね」

「いや、動作だと思うよ。ネアは自覚しなってば」

「ノア、うちの魔物の頭に金柑を飾らないで下さい」

「白いから色が映えるなぁと思ったんだけどな」

「ともかく、このスプーンさえあればちょっとイマイチな食べ物も美味しく、尚且つ美味しいものは飛び切りの美味しさになると判明しましたので、これはもう一生美味しさには苦労しない予感です!」


大はしゃぎのネアに、会場の空気は否が応にも盛り上がり、みんながそれぞれスプーンを試し始めた。

言うならば、実際にこのスプーンを使って食事をしないといけないので使い回しが面倒だが、そんな手間を気にしなくなるくらいの効能ではないか。


「五倍で!…………うっわ!苦い!!」


珈琲を五倍にして、美味しいけれど苦い地獄に入ったのはノアだ。


「指定が甘いのではないですか?旨味を五倍にすればいいのではないかと」

「でもさ、ヒルド。味の調和が崩れない?」

「ネアみたいに美味しさ五倍って言えばいいんだと思う。………五倍甘くしてね」


ゼノーシュが可愛らしくお願いして食べているのは、まだ熟れ方の足りなかった果物だ。

ぱくりと食べてから頬っぺたを緩ませて、小さく声を上げているのでかなり美味しかったようだ。


「果物はいいかもしれませんね!指定が簡単なので、食べやすいです」

「ネア、これは?」

「むむ!」


またスプーンを借りたノアにそう差し出されて、ネアはスプーンの上がとろとろプリンだったので、ぱくっと食べてしまった。

正面のヒルドが少し不穏な気配を発したが、お酒の席なのでまぁいいかと、とろとろプリンの美味しさを堪能する。


「ふと思ったのですが、こやつで辛さ倍増にも出来るのでしょうか?」

「確かに、そういう使い方も出来そうだな」


気になったのか、自ら被験体になりエーダリアが試している。

スプーンで食べるなり悶絶していたので、とても辛かったようだ。


「と言うことは、このスプーンで食事をさせてネア様が命じれば、ちょっとした事件も起こせますね」

「むぅ、辛さで敵を倒す日がいつか来るような気がします。それと、美味しいものを食べ過ぎて、胸がぽわぽわしてきました。ノアがとても素敵に見えます」

「ネア様…………?」


ヒルドが眉を顰め、エーダリアと顔を見合わせる。


「わーお、僕の魅力に気付いてくれた?」

「はい。綺麗な瞳をずっと見ていたいくらいには、胸が高鳴ります」

「ネア、ほらほらこっちにおいで」

「む。吝かではありません」


ノアがそう言って叩いたのは、膝の上だった。

コクリと頷いたネアがその上によじ登ると、一度抱き上げてから綺麗に座り直させてくれる。

膝の上に女性を持ち上げ慣れたその仕草に、ネアはなぜかとてもむしゃくしゃした。


「ノアが慣れていて悔しいです。今後、私以外の誰かをお膝に持ち上げたら許しません」

「えー、でもあれこれするのに必要だからなぁ。ネアがやってくれるなら、やめるよ?」

「それなら…」

「ネア様!」


ヒルドにぱっと口を塞がれ、ネアはもがーと暴れる。

大事な告白の途中に邪魔をされたので、怒り狂ってその手に噛み付いた。




「…………何で狂犬になってるんだよ。それと、ノアベルトの膝から下りろ」


そんなところで到着したアルテアは、部屋に入るなり渋面になった。


「シルハーンだけもう潰れているんですね……」


ウィリアムは興味深げに、テーブルに突っ伏したままのディノを覗き込んでいる。



「ネアがスプーンでプリンを食べさせたら、寝ちゃったんだよ」

「プリンで?」

「食べさせてくれたのが嬉しかったのかな」

「うーん、シルハーンならあり得ますけれどね。………やぁ、久し振りだな、ノアベルト」

「……………だね。ウィリアム」


腹の底の見えない微笑みで挨拶をしたウィリアムは、そんな知人の膝の上でヒルドの手を齧っているネアに眉を顰めた。


「酒でも飲ませたのか?」

「僕が食べさせたのは、プリンだけだよ」

「ネイ、………そのプリンには何が入っていますか?」

「え、嫌だなぁヒルド。ただのプリンだってば!………痛い痛い痛い!!!」


わざとらしく目を逸らしたノアは、短く結んだ髪の毛をヒルドに容赦なく捕まれすぐさま白状した。


「だってほら、高級店のプリンって、幸福感を演出するために妖精の粉が入ってるでしょ?」

「妖精の粉…………」


ヒルドの眼差しは氷塊のようだったが、ウィリアムも微笑んだまま目をすっと細める。

へぇと興味を示したのはアルテアだ。



「………だと思ったぞ。ほら、ネア砂糖菓子だ」

「むぐ。お菓子……」


スプーンではなく摘んで差し出したエーダリアに、ネアは意地汚くその砂糖菓子も貪り食べる。

そして、その途端にすとんと正気に返った。

何やら砂糖菓子に秘密があったに違いない。


「…………我に返りました。ノアの膝に乗っているのはなぜなのでしょう?」

「君が自分で乗ったんだよ?僕はいつでも大歓迎だからね」

「解せぬ」

「ネア様、どうやらプリンの中に入っていた妖精の粉の効果のようですよ」

「ヒルドさん?…………妖精の粉ということは、……」

「媚薬効果だな」

「………知らない間に使い魔さんがいます」

「それはともかく、ヒルドの手を離してやれ」

「む?」


ここでネアは、ノアの膝の上にいるばかりか、ヒルドの手を握り締めていることに気付いた。

なぜかその綺麗な手には歯型がついついる。


「………私はとうとう、ヒルドさんを食べようとしたのでしょうか?」

「反撃だったみたいだよ。五倍で!」


チーズグラタンを食べながらそう教えてくれたゼノーシュに、ネアは慌ててノアの膝の上から下りると、ヒルドの手をおしぼりで拭いて謝った。


「ご、ごめんなさい!こんな綺麗な手を齧ってしまいまして、大変申し訳ありませんでした!」

「いえ、可愛らしかっただけですので、謝らずとも結構ですよ」

「ヒルド…………途中から敢えて手を噛ませていただろう………」

「おや、邪推するのはやめていただきたいですね」


にっこりと微笑んだヒルドの隣で、エーダリアはどこか遠い目をしている。


「ネア、このゼリーが美味しいよ」

「桃のゼリーですね!」

「うん。困るものは入ってないから安心していいから」

「ゼノは優しいですね!」


さっそく次の獲物に飛びかかってゆくネアを眺め、ノアがぽつりと呟いた。


「多分、シルもプリンで倒れたんじゃないかなぁ」

「ということは、シルハーンは寧ろ倒れて良かったんだな」

「あいつが、またろくでもない武器を増やしたってことだろ」

「アルテアさん聞こえていますよ!辛さ百倍の辛味炒めを食べますか?」

「やめろ」


ここでひとまず後から来た二人にスプーンを使わせることにして使用権限を添付してやり、ネアは華麗に取り出した夜の盃を使って美味しい貴腐葡萄酒を飲み始める。

ゼリーもそうだが、チーズグラタンが秀逸だったのであらためて飲み直しに入った。

白い陶器のグラタン皿が、心なしか輝いて見えるくらいだ。


「幸せですねぇ」

「うん、幸せ!」


ゼノーシュと顔を見合わせて微笑み合い、素敵なひと時を過ごすネア達の向こうで、初めて加算の銀器を試したアルテアが目を瞠っていた。


「…………これは面白いな」

「よりによって、調味料で味を試すのがすごいな………」


何とも玄人な確認を始めてしまったアルテアに、ウィリアムは呆れ顔だ。

ノアはそんな二人の魔物に囲まれてしまったからか、ディノをつついて起こそうとしている。

揺り動かされたディノは、すかさずエーダリアが差し出した砂糖菓子をノアが口に押し込み、不思議そうに目を開いた。

周辺被害が出ないように、ディノへの効果も解毒したようだ。


(というか、あの砂糖菓子はそういう解毒剤なんだ………)


お茶の時になどよく食べさせられている記憶があるので、誰かがネアの身の回りも気にしていてくれたのだろうか。

そう考えながら見ていると、意識を取り戻したディノが、そっとネアの膝の上に三つ編みを乗せてゆく。


「解せぬ……」

「ごめんね、一人にしてしまったね」

「ディノ、効能的なものを倍増出来るのであれば、このスプーンは貴重なお薬などにも有効なのでしょうか?」

「確かにそういう使い道もあるかもしれない」

「試してみたいです!何か体に害がなくて、効果が強まったかどうかわかるお薬はないでしょうか?」

「どうだろう。………そういうものはあるかな。ノアベルトを酔い潰して、酔い覚ましでも試してみるかい?」

「えっ、シル、僕が実験されちゃうの?」

「ネアには使えないだろう?」

「だったら、アルテアが丈夫そうだと思うけど!」


そのノアの言葉に、一同はじっとアルテアを見つめた。

夜の盃を手にしていそいそと何やら高価なお酒を飲んでいたところであった選択の魔物は、ひどく嫌そうな眼差しでこちらを睨み返す。


「やらないぞ?」

「そう言えば、使い魔さんが酔っぱらうのを見たことがありません!」

「おい、やめろ……」

「それと、ウィリアムさんも酔わないですよね……」

「ああ。俺はあまり酔わない体質だから、飲むだけ無駄な感じなんだ」

「ではやはり、アルテアさんでしょうか?」

「コルヘムで試してみる?」


可愛く首を傾げたゼノーシュの提案により、アルテアの前にコルヘムがしめやかに押し出されることになった。

夜の盃を握りしめて抵抗したアルテアの為に、ウィリアムがひと瓶取り寄せてくれたのだ。


「さぁ、アルテア。抵抗しても時間の無駄ですよ」

「ふざけるな。飲ませたいなら、ノアベルトに飲ませろ。っつーか、酔い潰さなくても酔い覚ましは試せるだろうが」

「どうだろう。加減がわからないんじゃないかな」

「ディノ、効果は三倍くらいにしておきます?それとも、いきなり十倍くらいにしましょうか?」

「まずは普通のものを飲ませて、そこから加算の銀器を使って調べた方がいいかもしれないね」

「おい、聞こえてるぞ!」



そこまでは楽しい酒席であり、不思議道具のお披露目会でしかなかったのだ。


ネアは、その事故が起こる直前のことをよく覚えている。


アルテアがあまりにも頑固なので、スプーンで効果倍増にしたコルヘムを飲ませてしまおうかと企んだのだが、スプーンに二十倍を命じてから少し時間が開いてしまい、その後も魔物達があれやこれやと騒いでいる間にとアルテアが持って来てくれたティラミスのようなケーキをぱくりと食べてしまったのだ。


スプーンを二十倍設定にしたことを忘れていたのは自己責任だが、まさか罪のないケーキの原材料に、少量の巨人のお酒が使われているとは思いもしなかったと弁明しておこう。

ネアが食べた瞬間にアルテアがあっと声を上げたので、巨人のお酒に弱いと知っていて悪さをする目的で持ち込まれた可能性も高い。




そして、ぱちりと目を覚ますと部屋の中は閑散としていた。



「良かった。目を覚ましたな」

「む。エーダリア様、なぜ結界を張られているのでしょう?」

「私も命は惜しい。それと、足の下の魔物は生きているのだろうな?」

「足の下…………」


言われて足の下というかお尻の下を見てみると、椅子の座面に突っ伏すようにして死んでいる魔物の後頭部に座っていることが発覚した。

角度的に、ネアの体重で顔面が椅子の座面で押し潰されていたことになるが、呼吸などは出来たのだろうか。


「アルテアさん………?………死んでいるようです」

「………ものすごい音がしたからな」

「エーダリア様、私の可愛い第一位のゼノの姿が見えませんが、もう帰ってしまったのでしょうか?」

「お前が暴れ始める少し前に、グラストが部下の探し物を手伝って欲しいと言って呼びに来たんだ。幸いにも、難を逃れている」

「私が、…………暴れ始める前?」

「統括の魔物を殺す前と言った方がいいかもしれないな」

「アルテアさんを殺す前…………」


椅子に引っかかって伸びている魔物を見下ろし、ネアは首を傾げた。

よく見ればタイを緩めているようだし、ジャケットも脱いだようだ。

あの後で少し寛いだのだろうかと、失われた記憶を辿ったが何も思い出せなかった。


「………ヒルドさんがいません」

「窓際の長椅子に寝てる。お前に襲われたからな」

「私が、ヒルドさんを?」

「妖精の粉の話は忘れろと、あれだけ言ったのを忘れたらしくてな」

「妖精の粉…………」


すっかり思い出せないネアにエーダリアが教えてくれたことによると、ネアはまず、問題のケーキを食べた直後に自分で失態に気付いたそうだ。

うっかり二十倍でケーキを食べてしまったが、効果二十倍で何が二十倍になったのかわからないと首を傾げたネアに、慌てたアルテアが、酔い覚ましを飲ませるのはこっちだと嫌そうに言ったところで、最初の被害者が出た。


ご主人様に薬を飲ませようとした魔物が、スプーンで何かを口に放り込まれてしまったのだ。

美味しいですよと言われて放り込まれたのが何なのか、全員の視線が辿った先にあったのは、心が穏やかになると噂のツベルトの香草パテである。

平穏の妖精の祝福がかかった香草が使われており、食べると幸せな気持ちになるひと品だ。


「わ、シル?!」


ここでディノは、くしゃりと椅子の上に沈んでしまった。

眠そうに目をしょぼしょぼさせているので、心が緩み過ぎてしまったようだ。

早くも一人脱落したので、ぞっとした男達は、早急に荒ぶる人間を抑え込むべく包囲網を狭める。

ディノの欠員が出たところを埋めようとしたヒルドが、次の犠牲者だった。


「ネア様、酔い覚ましを飲みましょうか。さすがに二十倍になると、後で辛いですからね」

「うむ。酔い覚ましをのみまする!」

「お前、もう回ってきたな………」

「アルテアさんの声がするのですが、お姿が見えません」

「あのなぁ、ここにいるだろうが」

「さては透明になりましたね、姑息なやつめ!」

「ああ、すまない。さっき食べてしまったのが媚薬系だとまずいと思って、アルテアを見えなくしたままだった」

「ウィリアム、お前な………」


そこの二人が睨み合っている隙に、ノアがネアを暴れないように押さえておき、ヒルドが薬を飲ませることになる。

加算の銀器ではないスプーンで、とろりとした薄荷味のシロップを口にいれられながら、ネアはじっとヒルドの羽を見ていたそうだ。

そしておもむろに、ぱくりと口に入れたのである。


「ネア様?!」


驚愕したのはヒルドで、がしゃんと酔い覚ましの薬の瓶が床に落ちた。

何事だと振り返ったアルテアとウィリアムは、意地汚く妖精の粉を食べようとしてヒルドの羽を口に入れた人間を見ることになった。


「ちょっとネア!それはまずいって!!!ヒルド、羽を光らせないで、絶対に!!」

「…………い、いや、これはさすがに無理といいますか……」

「おい、すぐに吐き出させろ!!」

「うわ、………羽ごと口に含んだ人間は初めて見たな」

「ウィリアム、感心してる場合か!」


結果的にはアルテアがネアの頭をばしりと叩き、非常識な人間はヒルドの羽を口から出した。

はむはむしていただけで噛み切ろうとはしていなかったようで、幸いにも羽は無傷だったそうだ。

大事な羽を、それも内羽をしゃぶられてしまったヒルドはぐったりしてしまい、美味しかったらしく口をもごもごさせているネアから離れて、窓際の長椅子の方に避難することになる。


「エーダリア、さっきの砂糖菓子は?」

「まだあるにはあるが、さすがに過剰摂取だろう。治癒の方がいいのではないか?」

「おい、味を反芻してないで返事しろ。まだ色狂いにはなってないだろうな?」

「凄いことになったな。ネアがそうなるとどうなるんでしょうね……」


とろんとした目で口をもごもごさせていたネアは、不意に目を鋭くするときょろきょろと周囲を見回し始めた。


「ネア、大丈夫?実は結構どうなるのか興味あるけど、治癒魔術をかけようか……」

「ノア、ヒルドさんがいません」

「うん。君に羽を齧られて傷心中だからね。妖精の伴侶同士で内羽に口付けることはあるけれど、羽を口に入れたって話は聞いたことないなぁ」

「素敵なお味でした」

「わーお、美味しいんだ…………」

「甘くてしゅわっとして、もの凄くいい香りがします。飴として商品化してくれると嬉しいですね」

「つくづく、君って凄い体験するよね。案外普通そうだけど、体はどう?熱くなったり、そわそわしたりしない?」

「よくわかりませんが、ヒルドさんに会いたいです」

「ネイ、治癒をした方がいいだろうな」

「そうだね。ヒルドも男だし、ちょっと既にきてるからね……」

「ネア、ちょっとこっちにおいで」

「むぅ。ノアが何かを企んでいます!」

「あっ、逃げた!」


ノアの様子に不信感を持ったネアが逃げ出し、よりにもよって窓辺の長椅子に発見したヒルドに飛び込むという事件が起きた。

羽を齧られるという前代未聞の珍事に頭を抱えて座り込んでいたヒルドは、突然飛びかかってきた人間を受け止めたものの、膝の上に乗っかられてしまい慌てて羽をきつく畳み込む。

目線を逸らしつつ必死にネアを膝から下そうとするヒルドに対し、ネアはお母さんから引き離されそうな子供のようにへばりついていたようだ。


「ネア、それ以上やると本当にヒルドが洒落にならなくなるからやめてあげて!」


ここではまだ驚愕はしてはいるものの、そこまで深刻な危機を察してはいなかったアルテアとウィリアムは遠巻きに見守る感じになっており、慌ててノアとエーダリアでネアを引き剥がそうとした。

しかしその途端、ネアはなぜかヒルドに頭突きをしたのだという。


ごすっといい音がして昏倒したヒルドを見下ろし、残虐な人間は暗い微笑みを浮かべる。


「ふっ、これで妖精の粉は全て私のものです」

「うわぁ。あれだけ媚薬の直摂取しておいて、そっちの欲望なんだ………」

「ネイ、早く治癒を……」

「そうだった!ほらっ、これでもう安心だからね?」

「む。…………なぜでしょう。ヒルドさんが普通のヒルドさんに見えます。先ほどまでは、あんなにいい匂いがして美味しそうだったのに……」

「そうか。妖精の粉の味わいと、媚薬の効果が暴走して、ヒルドが食品に見えたのだな……」

「大きな塊であるので、閉じ込めてちょっとずつ食べようと思っていました」

「ネア、それ怖いってば………。…………え、何で僕、君に齧られているんだろう?」

「むぐふ。美味しくありません!先程までお口の中にあった美味しいやつを、どこに隠したのだ!」

「ありゃ、もしかして酔いはまだ醒めてないのかな?!……わっ、待って、待ってネア?!」


ここからノアは、美味しいご飯が略奪されたと思い込んだ人間に追い回され、叩きのめされてしまった。

床に伸びてしまった塩の魔物に足をかけた人間は、後ろから忍び寄った魔物に背中に担ぎ上げられる。


「おのれ、仲間がいましたね!成敗してくれる!!」

「はは、ネアは元気がいいな」


ウィリアムは余裕でネアを拘束していたので、この時のエーダリアは、やっと事態は収束したと思っていたそうだ。

しかし、悲劇はまだ続いたのである。



「おい、お前くれぐれも自滅するなよ?」

「ブーツにさえ気を付ければ、可愛らしい感じですよ」


唸り声を上げて威嚇するネアを持ち上げたまま、ウィリアムは子供をあやすように楽しんでいたらしい。

アルテアは最初から警鐘を鳴らしていたが、意に介さず油断をしていたウィリアムは、思いがけない人間の狡猾さによって滅ぼされることとなる。

酔っぱらっていても一部冷静なところがあった人間は、失せもの探しの結晶を使って、テーブルの上の武器達を己の手に取り戻してしまったのだ。


「コルヘム三百倍です」

「………ネア?」

「とりゃ!」


そして油断をしていたウィリアムは、スプーンですくったコルヘム三百倍を、雑に口元にかけられてしまったのだ。

口にさえ入ればいいという悪辣な手法により、一瞬防御が遅れてしまったようで、口元をびしゃびしゃにされた挙句、スプーンを口に突っ込まれてしまった。


歯にスプーンも当たったようであるし、コルヘム三百倍という恐ろしい液体で口元を濡らされた終焉の魔物は、そっとネアを床に放すと口元を手で押さえる。

よろりと後退してから、床に崩れ落ちて静かになったそうだ。


「だから言っただろうが。自滅しやがって」

「食糧強奪犯の仲間を倒しました。しかし、私の美味しい何かが、まだ返ってきません」

「お前はもう殺し過ぎだからな。ほら、こっちに来て座れ。冷めたグラタンでも食ってろ」

「おのれ、なんたる仕打ち。せめてグラタンは、ほかほかにするべきではないのでしょうか」


剣と盾のように加算の銀器と、夜の盃を振り回していたネアは、アルテアに説得されて渋々席に戻った。

小さなティースプーンでもくもくと温め直してもらったグラタンを食べつつ、幸せそうに眠っているディノをつついたりして遊んでいたが、途中で飽きたようだ。

夜の盃にじわっと湧き出させたお酒をスプーンですくい、くんくんと匂いを嗅いでからすすっと遠ざけた。

すっかり武器として独占されていたスプーンがようやく解放されたので、アルテアがすかさずそれを取り上げる。


「むぅ。またしても盗人が現れましたね」

「お前はもう飽きたんだろ。俺はまだほとんど使ってないからな。………この酒は、貴腐葡萄酒か?」

「アルテアさんがイブメリアにくれた薔薇のシュプリなのです。美味しさ倍増にしようとしましたが、先程食べた何かには到底及ばないと思って興味が失せました」

「………そうか。何を食べたのかは覚えてないのだな」

「エーダリア様が盗んだのですか……………?」

「いや、……私ではないからな」


ネアがエーダリアと話している間に、また事件が起こった。

かしゃんと音がしてエーダリアとネアが振り返ると、手を震わせてスプーンを取り落としているアルテアが見えた。


「…………お前、加算の銀器を何倍にした?」

「あら、スプーンで飲んでしまったのですね?」

「………いや、待てよ。シュプリがこんな味になるか?これは何の酒だ?」

「むぅ。シュプリを思って出現させた筈なのですが、違いましたか?」

「よく見ろ。盃の浅さでわかり難いが、泡がないだろうが」

「そうなると、少しだけコルヘムのことを考えたかも知れません」

「な、何倍にした…………」

「美味しくなぁれの気持ちを込めまして、千倍です!」

「くそ、ウィリアムより酷いやつか…………」


ぐらりとアルテアの体が傾いたので、ネアはさっと椅子から離脱し、そこに崩れ落ちたアルテアが顔面から激突したのだという。

その衝撃でディノが目を覚まし、室内の惨状を見回して呆然とする。


「…………ネア?」

「私の美味しい何かを奪った連中を、一網打尽にしました」

「どうして、アルテアの上に座っているのかな?」

「私の椅子の上に乗っかっているのはこやつめです。仕方なく、クッション代わりにしましたが、ごつごつしてあまり良くはありません」

「ほら、そんなものに座るのはやめようか。こっちにおいで。ヒルドの羽を齧ってもいけないよ?」

「…………それが美味しいやつ」

「確かに至高の味覚だとは言うけれど、体に良くないからね」


ディノがそんなことを言ってしまったのは、ネアが殺戮を行った理由を知らなかったからだった。

眠っている間に仲間達が殺された理由を知らず、自ら墓穴を掘ってしまったのである。

その結果は言わずもがな、荒れ狂ったご主人様に襲われ、魔物はすっかり怯えて部屋の隅っこにある小さな飾り棚に逃げ込んでしまったのだとか。




「ヒルドさん以外は、殺戮というよりも自滅した感じの皆さんでしたが、ということは、あの飾り棚の中に魔物が隠れているのですね?」

「正気に戻ったなら、出してやるといい。だがその前に、これを飲むようにな」

「む。酔い覚ましの薬ですね?」

「ああ。お前が眠った隙に少し飲ませたのだが、正式な量には足りていない」

「では、きゅっと飲んでおきますね!」


こうしてネアは酔い覚ましのシロップを呷ると、早速、部屋の隅っこにある飾り棚を解放しに行った。



「むぅ…………」



そこには、涙目で身を寄せ合って震える銀狐とディノがいたので、何となく面白くなかったネアは、ぱたんと扉を閉じてみた。



その日以来、ネアに加算の銀器使用禁止令が出たのは言うまでもない。

ヒルドには、丸一日程避けられてしまった。










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