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141. プディング目当てではないそうです(本編)


見上げた先にいた生き物は、無垢な堕天使のような姿をしていた。

藍色がかった黒い髪に、藍色から紫紺、そして黒い風切り羽に向かう素晴らしいグラデーションの大きな翼。

見上げたネアと視線が絡み合った瞳は、淡い紫色だ。

その瞳の色を覗き込めば、あの事件以降会うこともなかった雪食い鳥の王を思った。

とても良く似ているが、この生き物の翼は一対だ。


「ほわ…………」


美しい男性はどこか儚げで、無垢という感じがする。

人外者らしい透明な輝きのある瞳を瞠って、逆さまの姿勢で地上のネアを覗きこむようにした。


「君は雨が好き?」


低く甘い声もやはり透明さを感じる。

そんな問いかけにネアが首を傾げると、すかさず魔物に抱き込まれた。


「雨降らしの問いかけには答えてはいけないよ」

「むぅ」


(これが、雨降らしさん…………)


控えめに言えば、既に大好きな感じがするので、ネアはおもむろに首飾りの金庫から小さな包み紙を取り出すと中身を指先で摘まんだ。

反撃しようとしていると思われたらしく、慌てたように、こちらで排除しますからというヒルドの声が聞こえる。


「はい。これをどうぞ。甘くて美味しいですよ」


耳元で囁く為にか持ち上げられていた片手に、背伸びした人間から何かを押し付けられて、逆さまに覗きこんだまま雨降らしは困惑の表情になる。


「ネア………」


ご主人様が目の前で新しい生き物を餌付けしようとしたので、魔物の声が恨みがましくなった。

またばさりという羽音が響き、ヒルドが一閃した剣撃を避けるようにして雨降らしはぱっと飛び上がった。

雪食い鳥のように純粋な翼による動きなのか、魔術を併用しているものか、滑らかな動きと大きな翼の羽ばたきが野性的で美しい。

ぐっと翼を広げ、力強く羽ばたいてぐんぐんと高度を上げてゆき、あっという間にいなくなってしまう。

ヒルドも羽があるが、飛行できる高度が違うので深追いはしないようだ。


「逃げてしまいました………」

「ネア、食べ物を与えるのは駄目だと言っただろう?」

「しかし、鳥さんですよ?」

「………そう言えば、ネア様の認識はそのままにしてありましたね」


剣を収めたヒルドがそう眉を顰めたので、ネアは首を傾げた。

不思議なことに、男三人は顔を見合わせて難しい表情になる。


「違うのですか………?」

「…………そうだね、あれは鳥だよ」


なぜか苦悶の表情を浮かべ、魔物はそう教えてくれる。

背後でヒルドが遠い目をしているがなぜなのだろう。


「鳥さんであれば、綺麗なので餌付けしてみたかったです!」

「ネア様、雨降らしは雪食い鳥の試練のようなものを持つ鳥です。くれぐれも、接触には気を付けて下さい」

「もしかして、さっきの質問がそうなのですか?」

「雨降らしの謎かけだね。よほど慎重に応えないと、耳の奥でずっと雨音が聞こえるようになるんだ。その呪いを解除出来ないと、狂死してしまったりするから気を付けるように」

「なんと、そんな嫌がらせをする鳥であるのなら、餌付けはしません」

「…………その前に、お前はなぜいつも高位の生き物を懐かせようとするのだ」

「エーダリア様も餌をあげてみたかったですか?儚げで綺麗な鳥さんでしたものね」

「成る程、ネア様にとっては、庭の小鳥たちと同じ感覚なのですね………」

「雨降らしは、雪食い鳥と同じように獰猛な種族だぞ?」

「むむ………」


あんなに儚げな感じがするのにと、ネアは意外な思いで黙り込む。

餌付け…と呟く声が広場のあちこちから聞こえるのは、今のやり取りを聞いていた者達が、まさかの雨降らしを餌付けしようとした豪胆さに愕然としているからであるらしい。


「ネア、雨降らしには近付かないようにと言っただろう?」

「通り雨の魔物さんは、ご近所にいませんでしたし、綺麗な目の鳥さんでしたので餌をあげるだけのつもりだったのです……」

「ご主人様が鳥に浮気をする………」

「浮気の定義とは………」

「それにしても、まっすぐにネアを狙ってきたな。やはり、高位食いか」

「エーダリア様、その不穏な言葉な何でしょう?」

「境界の揺らぐ夏至祭だからこそ、己の力に自信のある人外者は、あえて高位のものに守られた人間を狙うことがある。高位の者に守られた人間は魔術可動域が高いので…」

「蟻程度しかありませんが」

「そ、そうだな。お前の場合は例外だ」


ネアが酷く荒んだ目になり、エーダリアは慌ててその話題を終わらせた。



正午を過ぎると、時間の系譜がどんどん黄昏や夜に傾いてゆくので、ここからは気が抜けない時間になってゆくのだそうだ。


「この後は、エーダリア様とヒルドさんも、中にいらっしゃるのですよね?」

「ダリルとその弟子達に集約を任せ、リーエンベルクの中から、街の結界や行方不明者確認、特異点の観察などに入るのですよ」

「所謂ところの、対策本部のような感じになるのですね?」

「ええ。しかしダリルは夕刻から出てしまいますので、その後の現場監督はダリルの門下生達が引き継ぎます。今年の統括はウォルターでしたね」

「そうでした。恋多き妖精さんにとっては、楽しい夜なのですものね」


(ヒルドさんは、そんな風に妖精さんが楽しむ日を、お仕事で辛くないのだろうか)


そう思ったネアに心配そうに見つめられて、ヒルドは淡く苦笑したようだ。


「私の心を傾けるものは、このリーエンベルクにおりますから」

「そうでした!エーダリア様のお傍にいてあげて下さい!」

「…………そうですね」


なぜか一瞬固まってから、ヒルドはそつなく頷いてくれる。

エーダリアが激しく首を振っているので、個人名を出されるのは恥ずかしかったかなと、ネアは反省した。

男性同士の師弟関係からの家族のような絆であるし、気恥ずかしい部分もあるのだろう。



「君は、やっぱり翼のある生き物も好きなんだね」


門の中に入り、少し歩いたところでディノがそうぽつりと呟いた。


「先程の鳥さんは綺麗で可愛かったのですが、人型で翼のある方には信仰心が疼くのは確かです。気質の良し悪しはともかく、損ないたくないという気持ちにはなりますね。でも、その感情は、ディノに向けるものとは路線がかぶりませんので、ディノの持ち分は変わりませんよ?」

「私の持ち分………?」

「先程、私がヒルドさんと踊っている時に、可愛らしいお嬢さんと、色っぽい素敵なご婦人に話しかけられていました」

「私が、………かい?」

「まさか、気付いてなかったのですか?!」

「そうだね。多分、君を見ていたから……」


ディノは不思議そうに目を瞠ったが、ネアはあの時少なからずむっとしたのだ。

つまりそれは、そういう意味で自分事なのである。


「ディノの領域は、私のものだという認識で、他の競合にむしゃくしゃするようなものなのです。私はとても冷酷な人間なので、あの時ばかりは、競合の奴らめ逃げ沼に落ちてしまえと念じずにはいられませんでした……」

「ネア………」

「因みに鳥さんは偶然邂逅しただけの野生の生き物なので、誰が可愛がろうが何の感慨もありません」


少しおろおろとしてから、魔物はふんわりと頬を染めた。

ご主人様から嫉妬心を向けられるのは初めてなので、とても嬉しそうだ。

あまりの喜びように、ふわりと髪が輝いている。

なんとも淡く透明な輝き方だが、ネアには魔物も光るのだなという新しい発見だった。


「夏至祭だからと言って、私の魔物との契約を横取りしようなど、許されざる行為です!ディノは誰にも渡しません!」

「………………思っていたのと、何か違う……」

「あら、なぜ落ち込んでしまったのでしょう?」


しょぼくれて光らなくなった魔物の手を介護のように引いてやり、エーダリア達に呆れられつつリーエンベルクに入れば、また違う騒動が持ち上がっていた。


「ぎゃ!」

「ネア、落ち着いて。怖いものではないからね」


戻った先に、黒く煤けたノアが膝を抱えて蹲っていたのだ。

家事妖精に見張られながら、綺麗な廊下の隅っこに黒い人影が座っていたので、ネアは一瞬、良くない生き物かと思って心臓が止まりそうになる。


「ネイ、………どうしました?」


黒焦げになったのかと慌てたネアを制して声をかけたのはヒルドだ。

表情が冷やかなのは、どうしてそうなったのか目星をつけているからだろう。


「夏至祭だからって求婚してきた妖精がいてね。断ったら、焼身心中されそうになった……」

「そうでしたか。家事妖精の邪魔になりますので、自分の部屋で着替えるように」

「ヒルドが冷たい!ネア、ヒルドが慰めてくれないんだけど」

「………修羅場過ぎてびっくりです………。怪我はしていませんか?」

「煤けただけで済んだけど、火の中から燃えながら怒鳴ってて怖かったよ………」

「それはもう呪いなのでは……」

「一応ね、付き合う時にいつも、呪ったり出来ないような口約束をしておくんだ。始めの頃は盛り上がってるから、みんな別れる時のことだって気付かないであっさり約束してくれるからね」

「ノア、今のは屑度を上げる証言ですよ?」

「こうなるのが嫌だから、精霊は避けてるんだけどなぁ。妖精でも怖かった……」


はぁと小さく溜息をついて、ノアは悲しげに鼻を鳴らす。

自業自得なので誰も同情的ではないが、ディノがこれも洗ってやる必要があるのかなと首を傾げているので、人型の時は洗わなくてもいいと教えてやった。


「それと、いつかディノもこういう場面になったら、不誠実な別れ方をしてはいけませんよ」

「ひどい。ネアが虐待する………」

「なぜなのだ」


もう一段階しょぼくれてしまったディノを連れて、ネアは煤だらけのノアを部屋まで送ってやった。

対策本部に入るエーダリア達とは暫く別行動になり、ネアとディノは、早朝に摘んできた薬草の仕分けと仕込み作業だ。

夏至祭の夜明けに摘んだ薬草は、万病を治す祝福があると言われている。

実際にはそこまでではないが、格段に効能が高くなるのは確かで、夏至祭の朝にしか収穫出来ない特殊な薬草もあった。


なので部屋に帰るとまずは一度着替え、作業のしやすいいつもの服装になる。

夏至祭のドレスはまた着るのでハンガーにかけておき、可愛らしい花冠はディノに状態保全の魔術をかけてもらって、夜まで窓辺に飾っておいた。


夏至祭でダンスを踊れるのは未婚の間だけなので、この花冠はとっておきたいような少しだけ感傷的な気持ちになる。

普通に考えれば一年後もまだ婚約期間中だが、もう一度ダンスの代表選手になれるかどうかはわからない。

ネア以外の選抜者がそうだったように、夏至祭の花輪の塔の周りで踊るのは、街でも名の知れた美しい少女達なのだ。

今年はリーエンベルクの代表枠で出られたものの、来年はもっと相応しい参加者がいるかもしれない。


(エーダリア様だって、お相手を見付けるかもしれないし。ヒルドさんも。グラストさん……は、ないかな)


グラストに関しては、クッキーモンスターが死の防衛線を築いているので、そこを突破出来る女性が現れるとも思えなかった。

グラストが貴族として維持している屋敷の使用人達も、いつの間にか健気で愛くるしいゼノーシュの味方になっており、あの可愛い魔物を悲しませてはならないという気運であるそうだ。

グラスト本人も子煩悩な父親のような目をして、歌乞いになった時にこの先は独り身を通す覚悟は固まっているからと笑っていた。

しかし最近、銀狐のお世話でペットの可愛さにやられてしまい、密かに犬を飼いたいとは考えているそうだ。



「さて、まずは夏至祭の朝露の整理をしてしまいましょう」

「………うん」

「まだしょんぼりなのですね、素敵な服装で一緒に踊ってくれたディノに、ご主人様はご褒美をあげた方がいいですか?」


狡賢い人間にそう誘惑されて、ディノは、ボールをちら見せされた時の銀狐のように目をきらきらさせた。

先程までの艶麗な盛装姿が見る影もない感じではあるが、こういう稚い部分は好きなのだ。


「頭突き………」

「よりによって一番刺激的なものを選びましたね!」


しかしご褒美はご褒美なので、ネアはよいしょと魔物を椅子にすると、ごすっと鈍い音を立てて頭突きをしてやった。

体の角度の問題で椅子にするというご褒美も発生してしまったが、この場合は変なところに頭突きがずれないようにする為には致し方ない。

うっかり軌道がずれて、鼻や目に当ってしまったら大惨事だ。


「…………可愛い」

「喜んでくれたようで何よりですが、痛くはありませんか?」

「どこも折れてもいないし、切れてもいないよ?」

「………そのような効果の頭突きをする能力は、持ち合わせてないですからね。でも、赤くなっていないので大丈夫そうです」


綺麗なおでこなので少し可哀想になってなでなですると、魔物は初めての攻撃にくしゃくしゃになって蹲ってしまった。

最近新しい攻撃に当りがちな魔物だが、ネアは頬っぺたのクリームを指で拭って食べてあげてはいけないということに加えて、おでこをなでなでしてはいけないと心の中に書き留めておく。


「ディノ、蘇って下さい。お仕事の途中なのです」

「……………ずるい。ネアが可愛いことばっかりする」

「ディノが特別大事な魔物だからですよ。さぁ、朝露の選別をしましょうね」


叩き起こされてまた少し弱ってしまった魔物と一緒に、ネアはその後二時間程、薬草や朝露の作業にかかりきりになった。

金色を帯びた朝露があったのと、葉っぱの裏が真っ白な薬草があったことを除けば、概ね時間通りに仕事も片付き、夜のダンスに向けてひと休憩することにした。


あえて部屋ではなくて会食堂に赴いたのは、エーダリア達の様子が心配だったからだ。

誰か来ないかなとそわそわしていると、案の定ひょっこり姿を現した者がいる。



「良かったです。綺麗になりましたね」


お茶を運んできた家事妖精の後ろから歩いて来たのは、すっかり元通りの白さになったノアだ。

お風呂に入った後は少し寝てたのか、まだ目がとろんとしている。


「夜にはネアと踊るからね」

「参加者がどれだけ残っているかにもよるようです」

「さっきまでエーダリアの執務室で寝てたんだけど、あの後で、夜に参加する筈の子達が二組いなくなったみたいだよ。人数的には足りないんじゃないかな」

「割と大事件に感じるのですが、こちらの皆さんが粛々と流してゆくのが謎でなりません」

「だってほら、一番大変な時間はこれからだから。多い時は百人近く行方不明になるみたいだよ」

「未曽有の大災害ではないですか」

「そうかなぁ。夏至祭でそのくらいなら、少ない方じゃないかなぁ」


ノアもディノもけろりとしているので、ネアは元の世界で言うところの夏の災害ひとくくり、即ち嵐や水害、山や海での山岳水難事故の総括人数の合計で、この夏至祭の被害者数とイコールに結ぶとそんな感じだろうかと繋ぎ合せてみようとする。

しかしこちらは拉致誘拐なので、やはり上手く納得出来なかった。


「よくわかりませんが、もうそういうものだと納得するしかありませんね」

「そうそう。全員が食べられる訳じゃないし、妖精や魔物の方も、出てきた所為で殺されたりしてるしね」

「…………そう考えると、出てこない方がみんなの心に優しいのでは」

「ありゃ、確かにそんな気もするね。でもほら、窓のとこにいるような生き物達は、害がないから殺されないし、ああいう出てくるだけの無害な種類もいるからね」

「窓………。むぎゃ!」


ノアの誘導にはまり、うっかり窓の方を見たネアは悲鳴を上げてディノの影に隠れる。

窓にびっしりたかっている妖精は、小さな動物や毛玉などの姿の害のなさそうなものばかりだが、じっとりとした目でこちらを見ておりたいへんに恐ろしい。


「怖かったね、ネア。排除してあげるよ」

「排除だと可哀想なので、追い払うに留めて下さい。と言うか、あんな風に恨めし気にこちらを見ているのは、テーブルにあるプティングの残りを狙っているのでしょうか?」

「いや、人間の血肉や伴侶、或いはその皮が欲しいのだろう。でも彼等はそういうものを手に入れられるだけの階位ではないから、ああして羨望の眼差しで見ているんだよ」

「怖っ!」


確かに、ボールサイズのテディベアのような妖精は、じゅるりと涎をたらしてネアを見ていた。

ディノが何かをしてくれたのか、蜘蛛の子を散らすようにして逃げて行ってしまったが、ネアはふと勿体なかったのではないかと考えた。


「もしや、狩りをするにはいい日なのでしょうか?」

「ネア、境界が揺らぐと守護が弱まると話しただろう?」

「むぅ、そうでした。では、ほこりを連れてきてあげて、お庭に放せば食べ放題だったのでは」


その発想はなかったという目で魔物達が顔を見合わせたので、ネアは随分と大きくなってしまった雛玉を思う。

アルテアか崇拝者の誰かが、夏至祭のお得情報に気付いて教えてあげているといいのだが。

気になったのでアルテアへのカードにそう書いてやれば、ほこりは本日、アイザックが連れ出しているそうだ。

お前は自分のことだけを心配してろと叱られてしまい、ネアはふふんと勝ち誇った微笑みを浮かべる。

目新しい体験もあったものの、まだ何も事故っていないので、夏至祭は無事に乗り切れそうな気がしてきていた。


(寧ろ、大晦日の怪物の方が怖かったかな……)


今日のことをウィリアムも心配していたが、夏至祭にウィリアムが地上にいると大変なことになるらしく、今日は死者の国に避難しているのだそうだ。

死者の行列にいるような種類の妖精や精霊達が沸き出すと聞き、ネアはその賢明な判断に感謝する。



「ネア、ここにいたか………」


そこに、ひどく疲れた様子のエーダリアが入ってきた。

探されていた風だが、気分転換にこちらに足を運びつつ、帰りにネア達の部屋に寄るつもりだったそうだ。

慌ててお茶を用意して貰うと、ほっと人心地ついたように椅子に沈み込む。


「エーダリア様、どうされましたか?何かお手伝いします?」

「いや、手伝いというより、心構えだな」

「む。何か事件が起きたのですね?」

「夜のダンスで踊る筈だった乙女達が、半数になった。ネイとも踊って貰いたい」

「やった!」


無邪気に喜んだノアに、ネアはそんな塩の魔物を手で指し示して頷いて見せる。


「この通りノアは大喜びですよ。私も、ノアの恋人さんに刺されないように、気を付けて踊ります」

「それから、鴉の精霊の群れが出たそうで、ヒルドはその駆除の指揮を取っている。もし合流が間に合わなければ、どうにかネイと曲数を稼いでくれ」

「ヒルドさんは大丈夫でしょうか?そちらも大変そうであれば、頼って欲しいです!」

「駆除と言う意味では問題ないだろう。しかし、そういう状態であるので、花輪の塔までの移動のときには、私もお前達と一緒に動かせてくれ」

「勿論ですよ!エーダリア様には指一本触れさせません!」

「あくまでも立場上の体裁の為だが、一人で動くとまずいからな。夜の儀式もリーエンベルク前広場より外周へ出る訳ではないし、私には不可侵の誓約もある。一番不安なのは、お前だということを忘れるなよ?」

「もう一度、金鉱脈の妖精さんの国にお邪魔するのであれば、やぶさかではありません」

「お願いだからやめてくれ」


そうエーダリアに懇願させた、金鉱脈に興味津々過ぎるご主人様は、荒ぶる魔物の膝の上に隔離されてしまったので、その状態で話が続けられることになった。


「それと、正午のダンスの際にお前が手を払ったのは、どうやらガシュラであるようだ」

「初めましてのお名前ですね」


ネアは首を傾げたが、ディノが小さく息を吐くのがわかった。


「因果の成就を司る精霊で、因果の精霊の王だ。ジーンの弟だよ」

「世間は狭いです………」

「元々、こちらに渡ってくる時期ではあったんだ。ガシュラは何か言ってきたのかい?」

「いや、今のところは何もない。だが、最高位の精霊も出没しているということを心に留めておいてくれ」

「でも、そんな精霊が出てくるってことはお目当ての子がいるんだね」

「は!まさか、ダンスの時にお隣だったお嬢さんでは……」

「ああ、あの少女が目当てだったのだろうが、幸いにももう大丈夫だ。正午のダンスを踊りきっているからな」


エーダリア曰く、彼女はリーエンベルクの騎士の遠縁、従兄弟の娘にあたるのだそうだ。


お相手の青年が容姿の差を非常に気にかけており、確かに突出した美貌の少女は人外者に狙われやすいということもあるので、二人がずっと一緒にいられるようにとあのダンスに参加したらしい。

その親族である騎士から、踊るならネア達の後ろがきっと安全だと聞き及び、踊る順番としてはあまり華々しくないあの位置を選んだのだそうだ。

親族の助言の通りに守られたと両家の家族は大喜びで、後顧の憂いもなく二人がウィームの大学を卒業した後で正式な婚約となるそうだ。


「確かにネア達の後だと、色々駆除された直後だから安全だよね」

「確かに、私もブーツで踏んでいますし、ディノやヒルドさんはもう少し積極的に滅ぼしていましたからね……」


何であれ、あの初々しい恋人達が守られたなら良かった。


「そしてつまり、あのお嬢さんにはもう手を出せなくなってしまったので、こちらにその恨みをぶつけてくる可能性があるのでしょうか?」


ネアの質問にエーダリアは首を振った。


「因果の成就を司るだけあり、ガシュラは身の危険を避ける因果を持ち合わせているそうだ。噂通りの精霊ならば、お前に手を出すようなことはないと思うが、お前の周りではまさかという事件も起こるからな。念の為に用心するように」

「不本意な称号ですが、否定しきれないので充分に用心しますね。怪我をしないように、ディノやノアから離れないようにします」

「ネアの場合、怪我は出来ないくらいの守護なんじゃない?侵食や契約に気を付けようよ」

「因果の成就………」

「頼むから興味を示してくれるなよ?」


エーダリアに窘められたネアの隣で、魔物達はその精霊王の話をしていた。


「シル、ガシュラのことって知ってる?」

「一度だけ、宴で一緒になったことがあるよ」

「僕はあんまり知らないんだよね。不用意に遭遇すると、またジーンの時みたいになったら困るね」

「その方向であれば大丈夫だろう。この子は、その手の系譜の者の興味は惹かないそうだ」


ノアが興味深そうにこちらを見たので、何となく釈然としない気持ちで、ネアは説明する。


「春の系譜さんは、ちょっと捻くれた方以外は全滅で低評価でした。因みに捻くれていても、藤の妖精さん的にもなしのようです。アルテアさん曰く、夏の系譜も全滅だろうと。そして、清く正しく明るくといった風な方々にも、圧倒的に評価されない予測を立てられています」

「うん。確かにそんな感じ」

「とても悔しいので、そんな誰かをぎゃふんと言わせてやりたくもなりますが、事故になるかもしれないので自重しますね。本気を出していないので、見向きもされなくても悔しくありません」

「わーお、ネアが拗ねてるぞ………」


ネアとしてみれば、かつて酵母の魔物との転職交渉が進んでいたことを言いたいところだが、ディノの過去の傷を掘り返してしまうことになるので、ぐっと堪えた。

他の要素で反論したくとも、ドリーやグラストにも女性としてはぱっとしない心象であるようだし、唯一行けたと思っていたウィリアムは、案外拗れている属性だったようだ。


「あ、でもそうなると、鴉の精霊とかには好かれそうなのかな」

「ヒルドが手間取るようであれば、全滅させよう」

「ディノ、荒ぶってはいけません。鴉の精霊さんは陰湿な感じですので、私も交友を深めたい相手ではないのです。しかし、鴉の魔物さんであれば、お会いするのはやぶさかではありません」

「浮気………」

「ネア、これ以上言うと鴉の魔物が消滅するからやめようか!」

「むぅ。………では、金鉱脈の妖精さんで我慢します」

「ご主人様…………」

「わー、欲まみれだねネア………………」

「鉱脈など掘らずとも狩りの獲物だけで充分ではないか」

「エーダリア様はわかっていませんね!庶民階級の人間の本能には、金を掘り当てるという一攫千金への憧れが詰まっているのですよ。成金と呼ばれてもいい。金で一山当てたいのです!」


大真面目にそう宣言したネアにエーダリアは半眼になったが、魔物は深刻そうな顔で少し考えた後、今度金の鉱脈探索に連れて行ってあげるので、決して金鉱脈の妖精の巣に押しかけてはいけないと約束させられた。

そういうことであれば構わないので、欲深い人間は笑顔で頷く。



そうこうしている内に午後も回り、エーダリアはひとまず一度執務室に戻って対策本部の続きをするので、時間になったら一緒に出ようということになった。

当たり前のようにエーダリアについてゆくノアを微笑ましく見送り、ネアは魔物らしい酷薄な目で窓の外を見ていたディノにばすんと体当たりしてやる。


「夏至祭の夜は怖いのですよね?」

「影を繋いでおくけれど、夜闇に浸食されてしまうから、昼間のように効果はないんだ。君にもしものことがあるといけないから、これを飲んでおこうか」


そう言って渡されたのは、少し大きめのビーズ玉のような、綺麗な結晶石だ。

手のひらに落とされて、きらりと光る。


「む。………木苺の飴のようなやつです。対策道具ですか?」

「以前、ウィリアムにも核を持たされただろう?趣きは違うが、そのようなものだよ」

「であれば、ぱくっとやっておきますね」

「ネア…………。うん、そうだね。やはり、…………危なくないのが一番だから」



なぜかその時、ディノは少しだけ途方に暮れたような顔をした。

ネアに渡した小さな赤い宝石のようなものをじっと見つめ、まるで取り戻したいかのような、切なげな目をする。

しかし、ネアが首を傾げると、困ったように淡く微笑んで首を振った。




ゆっくりと太陽の加護が薄らいでゆき、ざわざわと禁足地の森が波打った。

木々の枝葉の影や、中庭の植え込みの隙間から視線を感じるのは、害あるものを排除するリーエンベルクの地であっても、様々な生き物達が這い出してきているからだろう。


ネアは、どこか憂鬱そうにこてんと寄り掛かってきた魔物の頭を撫でてやりながら、リーエンベルク内にも焚かれたかがり火を眺めてぼんやり思う。


本当の意味で、夏至祭はこれからなのかもしれない。










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