ソフトクリームとカルフォーチョ
その日、ネア達はウィームにあるアクス商会を訪れ、ダナエの為の通信用カードを購入しに来ていた。
悪食な上にかなりの高位竜となるダナエに、このウィームという拠点を明かすかどうかでは議論があったものの、グリシーヌでネア達の情報を聞き込めばすぐにわかってしまうことなので、仕方がないということになった。
議論をさせてしまったことを申し訳なく感じていたネアだが、ダリルは笑って片手を振ってくれる。
「いんや、悪食の高位とか、最高の知り合い!何かあったらいい餌場を紹介してあげるって言っておいてね」
「しかし、ヒルドさんは、ディノやノアとあれこれ打ち合わせしていて深刻そうでした」
「いいのいいの、ただの領土争いだから。放っておきな」
「私の方からも、ダナエさんにはヴェルクレアで調伏対象にならないように、あらためてきちんとお願いしておきますね」
「…………ネアちゃん、白持ちは正式に討伐対象にならないって知ってた?」
「む…………」
ふいに真顔になったダリルにそう言われ、ネアは首を傾げた。
近いようなことを仮面の魔物の時に聞いたことがあったような気がしたが、記憶がおぼろげである。
「その個体の階位が高過ぎると、手を出す方が環境に深刻な損害が出るからね。場合によっては小さな国一つくらいの規模がなくなるし、災いの子の白い竜なんて絶対に手出しされないよ。それこそ、あの竜がもし王都を襲っても、領土外に追い出すくらいしかないだろうね」
「そんな感じなのですか?王都には、それこそドリーさんや、他にも凄い方がいらっしゃるのでは……」
「ヴェルクレアの王都だって、ネアちゃんの交友関係みたいに白いのばっかりいないからね!ドリーと戦わせたら王都は半壊だろうし、もし王都で白持ちの災いの子竜なんかが死んだら、暫く人間の住めるような環境じゃなくなるからねぇ……」
「なんと…………」
「祝福の子や災いの子は、そういう意味では厄介なんだよ。ほこりみたいな特別変異種もそうだし、シュタルトでアルテアが捕まえてたロクマリアの妖精だって、殺しはしなかったでしょう?」
「それは、利用価値があるからではないのですか?」
「それもあるよ。でも、殺してもいいけどそうしないのは、あれは間違いなく人間に祟るからだよ。人間に執着して、人間の組織に入り浸った妖精だ。まぁ、純粋に人外者達だけの枠の中で殺し合うのは構わないけれど、人間が絡むと組織や土地を守る為に制約があるってことだね」
人間はしぶとく頑丈な生き物だが、それはあくまでも個体に限られる。
街や国を作り上げた人間達は、その作り上げたものを損なわない為の規則があるのだそうだ。
「と言うか、人間が白持ちを駆除出来るって発想自体、ネアちゃんにしかないんだよね……」
ダナエの持つ白は、まだらでもなく、筋でもなく、しっかりとした身体的な特徴としての白だ。
その白の配分を計れば、鹿角の聖女の崩壊の時と同規模からそれ以上の災厄を引き起こしかねない。
それは恐ろしいことである筈なのに、ネアはダナエが狩られてしまう可能性が低いのだと知ってほっとしてしまった。
そんな一幕を挟み、晴れてのお買いもの日和となった。
「それにしても、暇な時で良かったね」
「夏至祭の直前で、みなさんのんびりしている時期だったようです」
ノアがそう言うのは、珍しくエーダリアも参加するからで、とは言えそれぞれに予定もあるので、出たり入ったりと賑やかなことになる。
まず最初の買い物では、ノアが一緒にいてくれる。
市場からはアルテアと交代になり、昨晩はデートで寝ていないノアはリーエンベルクに戻る予定だ。
食事会では、前半でエーダリアとヒルドが顔を出し、後半のデザートのところでゼノーシュが参加する。
もし起きられたらノアもデザートで銀狐として参加予定なので、頑張って目を覚まして欲しい。
「あ!ダナエさんがいましたよ」
「角は隠さないんだ……」
「むぅ、隠し方を知らないのでは?」
「ネア、あの竜はあれでもジゼルよりも上の階位だからね」
「不器用さんなのですね。愛くるしさが倍増です」
「えー」
アクス商会の向かいにある植え込みのところで、ダナエは言われた通りに大人しく待っていた。
ネア達を見付けると嬉しそうに目を輝かせ、いそいそと駆け寄ってくる。
今日も濃紺の髪の毛を片側でゆるやかな三つ編みにし、黒色半透明な素材の美しい髪飾りをつけている。
いつもはその三つ編みに隠れてしまっている方の耳にある耳飾りが、ダナエの持つ金庫なのだそうだ。
淡い藍紫の服は優美なラインで貴族的だが、少しだけ異国風でもある。
身体的な色合いでは擬態する程でもないのだが、美貌が悪目立ちしないように、人々の注意を逸らすような魔術は組んでいるらしい。
あのまま数日グリシーヌの谷で少し時間を潰して貰ってからの再会となったが、ダナエは、今朝訪れたウィームの方が春の系譜の気配が濃くて過ごし易いと嬉しそうだ。
「今日は、アクス商会でカードを買いまして、その後は市場であれこれお買いものです。市場からは料理主任のアルテアさんが合流しますからね」
「…………アルテア」
ネアに会うのを散々邪魔されたそうで、ダナエが少しだけ複雑な顔になるが、本日は料理人でもあるのでそれに関しては満更でもないらしい。
悪食のダナエにも、アルテアが食通だという噂は届いているのだそうだ。
「ネア、カードは買っておいたよ」
「む?」
「アイザックに相談したら、このカードだって。君の魔物の分も欲しかったんだよね?」
合流したダナエに、そう言われてカードを差し出され、ネアはびっくりしてしまう。
確かこれは驚く程高価なものだった筈だ。
ネアは葉っぱと物々交換するつもりでいたのだが、どうやら先に店に入って、ダナエが購入してしまったようだ。
「ちょ、ダナエさん、これは高いものなので、破産してしまいます!」
「春闇の結晶石を渡したら、三組買えたよ」
「ほわ、ダナエさんはお金持ちでした!しかし、ディノにあげるものは私が払いますよ!」
「別にいいよ。結晶石も、知り合いの妖精にあげたりもするし。でも、もう一組は誰に渡せばいいかな」
「まぁ、有難うございます!素敵なご厚意にはさらりと甘えることにしまして、残ったもう一組は、文通したい相手に渡せばいいのではないでしょうか?その妖精さんはどうですか?」
「エティメートと文通しても楽しくない…………」
「お友達なのでは………」
「友達だけど、長く話すと楽しくなくなるから、食べなかった子なんだ」
「わーお、春風の妖精だね」
「ノアはなぜ目を逸らしたのでしょう。さては、その方もお知り合いですね……」
アクス商会での買い物が終わっているとなると、少し時間に余裕が出来てしまう。
なのでネアは、食いしん坊の竜の為に、街角の小さなお店でソフトクリームを買ってあげた。
「…………おいしい」
「もしかして、今迄食べたことがなかったのですか?」
「うん。樽いっぱい食べたい」
「そのくらい奢ってあげたいのですが、いきなりその量を買い占めるとお店の営業に差し支えるので、今度、事前にお願いして予約購入するといいと思いますよ」
ぱくりと一口で食べてしまったソフトクリームがいたく気に入ったらしいダナエの為に、ネアはお店の主人と話をして、予約購入の手続きと支払い予約をしておいた。
前日の午後までに連絡をくれれば、その日の朝に品物を出してくれるそうだ。
やはり、他の商品との売れ行きの兼ね合いがあるので、突然完売させるのは逆に困るのだそうだ。
「ダナエさん、ソフトクリームが食べたい日の前日午後までに私に連絡を下さい。そうしたら、あのお店の方に注文しておきますので、当日の朝に……ええと、営業時間は九時からなので、九時にお店に行けば食べられるようになります」
「有難う、ネア」
あのカードの代金に比べたらちっぽけなものなのだが、ネアはここでダナエにお返しが出来てほっとする。
季節の遷移はとても早いものだ。
ネアが死者の国に落ちたり、復活祭で泥にまみれたり、辻毒の仕事をしている内に、あっという間に季節は初夏に入ろうとしている。
そのまま三人は、市場までの街路樹や花壇の美しい道をお喋りしながら歩いた。
「ネア、僕は交代だ。何かあったら連絡してね」
「ノア、お付き合いいただいて有難うございました」
「うん。僕もダナエに会ってみたかったからね」
市場の入り口のところで仏頂面で立っているアルテアが見えたからか、ノアはそそくさと撤退していった。
ソフトクリーム交渉で少し時間を稼げたが、まだ約束の時間には早いのにとネアは感心する。
そしてノアは、まだ銀狐の正体がばれていないのをいいことに、アルテアに会う機会を制限しているのだという。
「使い魔さん、今日は宜しくお願いしますね!」
ノアに小さく手を振ったダナエと市場の入り口まで歩いてゆけば、大きな郵便ポストに寄り掛かるようにして立っていたアルテアが微妙な顔をした。
お料理会だからか、シンプルなストライプ柄のシャツにジレ姿で、袖は几帳面に捲られている。
「いい加減、お前は増やし過ぎだぞ」
「むぅ。その為に、貴重な獅子さんとの友情をぽいしたのです」
「交換したのは獣だろうが」
「もふふわな獅子さんは私の憧れなのです。使い魔さんは、獅子さんの可愛さを侮っていますからね!」
「………それと、お前の魔物がおかしなことになってるぞ」
「気にしないで下さい。今日のディノは、お食事会が始まるまではああして少し離れたところから監視して、こちらの友人関係に不純なところがないかどうか採点しているのです」
アルテアが指摘したのは、ネア達の少し後方に無言で立っている魔物だ。
実は朝から一緒なのだが、食事会までは調査員なので喋らないシステムであるらしい。
ソフトクリームを買い与えた時には荒ぶりの気配を見せたが、カードのお礼としての正当なご馳走だと一言説明してから行われたので渋々鎮まったようだ。
「…………いや気になるだろ。どんどんおかしくなってきてるぞ」
「寂しくなったら寄ってきますよ。さて、何から買いますか?」
「あざみ玉だな」
「あざみ玉………?」
「あざみ玉は美味しいよね」
謎めいた野菜の出現に、ネアは首を傾げた。
うっかり意気投合しかけたアルテアとダナエが無言で見つめ合っている。
「お前も食べたことくらいあるだろ」
そう言いながら案内して貰ったのは、大きな野菜の専門店だ。
アルテアはウィームの市場を気に入っているらしく、通い慣れた様子で野菜を選んで注文してゆく。
そしてお目当てのあざみ玉は、大きな木箱に入ってお店の角に置かれていた。
値札に書かれた説明書きを読めば、今は旬であるようだ。
「カルフォーチョですね!」
見慣れたその姿に喜んでしまったネアだが、アルテアの説明を聞いてみるとどうやら別物らしい。
外側を剥いてしまうのは同じだが、中身は紫色の熟れたあざみ玉が甘いお芋のような味、まだ緑のあざみ玉は、しゃくしゃくとした筍のような味になるそうだ。
「謎めいたやつですが、美味しいのであれば張り切っていただきます」
「雨の花と、トマトに、アスパラと香草」
「雨の花…………」
またしてもの謎野菜の出現にネアは目をぱちくりさせたが、雨の花というのは雨の時期になると咲く睡蓮のような淡いピンク色の花で、味わいは薄くスライスした茄子のような感じになる。
盛り付けが綺麗になるだけでなく、暑気払いの良い栄養がある素敵な野菜なのだそうだ。
「買った後で花を振らないといけないがな」
「汚れを落したりするのですか?」
「いや、花の中に時々妖精が入り込んでいるんだ。お前の大好きなリズモに似ているが、大した力もなく何の祝福も授けられない花粉の妖精だ」
「その妖精さんを思って悲しい気持ちになりました………」
その後に、肉屋と魚屋、そしてチーズなどの乳製品を購入してひとまず完了である。
大容量の買い出し用金庫にぽんぽんと品物を入れてゆき、お酒も少し買った。
「ふふ、ダナエさん、今日はなんとバルバなのです!」
「バルバ………」
ダナエが首を傾げたが、ネアもこの世界でやるのは初めてだ。
元の世界でもバルバこと、バーベキューをしたのは子供の頃の一度だけである。
やってみると、家族全員アウトドア精神が皆無でかなり向いていないとわかったので、その後はやっていない。
しかし今日は、出来上がった料理を食べるだけなので楽しいばかりではないか。
(ダナエさんが悪食だから、家の調度品を心配したんだろうな)
外でやることになった経緯はとてもわかり易いので、ネアは初めての異世界バーベキューを楽しむことにした。
会場はウィームの禁足地の森の一角を特設会場にして結界で囲い、万が一ダナエが暴れてもいいようにしっかりと覆いをかけてある。
「お外で調理して、みんなでわいわい食べるのが楽しいですよ」
「野営みたいな感じ?」
「お料理の光景は近しいですが、あえて外に料理環境を設置する分、より高度なお料理になります。そして、今回は料理人さんがとても有能ですので、きっと素敵なお料理が!」
そこで、いつもの初めての行事解説が自分ではなくダナエになされていることに焦ったらしい魔物が、ぴゃっとなってネアの背中に張り付いてきた。
「…………ずるい」
「まったくもう。最初から傍にいればいいのに、どうして調査員になってしまったのでしょう。一緒にお喋りしましょう?」
「シルハーンは、難しい魔物なんだね」
「おい、悪食に言われたぞ………」
ダナエは、今朝からの魔物の奇行に困惑しているようだ。
的を射た言葉にネアは重々しく頷き、アルテアは遠い目をする。
「でもとても大事な魔物なのです。ダナエさんも、どうかディノと仲良くしてあげて下さいね」
「わかった」
「ご主人様…………」
ディノは不本意そうだが、ダナエの感覚で言えばネアは可愛い子供なのだ。
そもそもディノの求める関係性とは需要が違うのだと説明しても、森のどんぐりにも荒ぶる魔物は納得がいかないようだ。
「これで買い物は終わりだ。おい!つまみ食いするな」
ディノも初めて見ると言うので、ネアは雨の花をアルテアの金庫から引っ張り出して貰い、魔物に見せていた。
その様子を見ていたダナエが、一つの花をぱくりと食べてしまったのだ。
見逃さず叱ったアルテアに、ごりごりと花を咀嚼していたダナエは渋面になる。
「可哀想に。ダナエさんがしゅんとしてしまいました」
「っつーか、咀嚼音がおかしいだろ」
「花の中に何か入ってた」
「え…………」
それは花粉の妖精だったのではなかろうかとネアは思ったが、ダナエの感想だと毛皮があってもさもさしていたらしい。
花粉の妖精よりは大きいということで、ネアは何を食べてしまったのだろうと悲しい気持ちになる。
(何だろう、ディノに似てるけれど、ゼノにも、それにほこりにも似てる………)
謎の毛皮の生き物を食べてしまったダナエを撫でてやろうとしたネアは、その手をがしりとアルテアに掴まれてしまった。
「む。使い魔さんに謎に手を繋がれました」
「安易に撫でようとしたお前が悪いな」
「アルテア、片手を失くすと調理に響くだろう?手を繋いでもいいのは私だけだよ」
「使い魔さん、この通り魔物が荒れ狂いますので解放して下さい。手を繋ぐのは、こちらの基準ではとても大変なことなのです」
「お前のところの、謎の基準は何なんだ」
「ディノと包丁の魔物さんの間のことなので、私にも詳しくは……」
「ネアのところの魔物は難しいんだね」
「………ダナエさん、今度は何を食べてしまったのでしょう?」
「腸詰だよ。きちんと購入して食べたから大丈夫」
「業務用を、一袋凍ったままで食べたのか………」
アルテアは唖然としたが、ぼりぼりと食べているのは、ダナエ的にはスナック感覚なようだ。
その後、アルテアの対応が妙に小慣れてきておやっと思ったネアは、ダナエへの受け答えがほこりと同じ運用になったことを知る。
「そう言えば、今日はほこりはどうしたのですか?」
「さぁな。信奉者が遊びに来ているらしいぞ」
「まぁ、すっかり人気者になりましたね」
「それに、あいつまでここに混ざったら、事故しか起きないだろうが」
「何というか、ヒルドさんかゼノがいれば大丈夫な気もしますけどね」
そこでネアとアルテアは、半眼で後方を振り返った。
「………アルテアさん、あの二人がしでかしましたよ」
「お前の目論見通り仲良くなったんだろ。良かったな」
「何となくこの先の展開が読めてきたので、今度から、あの二人だけで野放しになることがないように暗躍します」
「…………棘牛はともかく、何で鮫を買ったんだ?」
「ちび鮫ですが、水槽ごと買いましたね」
身なりが良くて世間知らずそうな雰囲気が仇となったのか、ネアとアルテアが話している間に、逞しい商人達に食材を勧められた二人は言われるままに品物を買わされ、明らかに店側も扱いに困っていただろうというものを押し付けられていた。
ディノは棘のある獰猛そうな牛を生きたまま一頭鎖で引いてきたし、ダナエは巨大な水槽ごと買わされた鮫の子供を抱えている。
「アルテアさんの、お料理の腕が問われる日がやってきましたね」
「…………やめろ」
「あ、……………」
そうこうしている内にまた、ディノが、ものすごく喧しく鳴いている駝鳥のようなものを買わされそうになっていることに気付いて、ネアは慌てて止めに入った。
すでに買ってしまったものについては、お料理上手な使い魔がどうにかしてくれるだろう。
そう考えてネアは深く考えないようにしたが、会場で待っていたエーダリアとヒルドは、買い出しから戻って来たネア達を見て愕然としていた。