18. 最近呼ばれ過ぎだと思います(本編)
王立図書館の妖精には、エーダリア達が会ってきてくれることになった。
こちらは何一つ任務を遂行出来なくて申し訳ないと頭を下げると、グラストは笑って首を振ってくれる。
黒煙の魔物が、これ程に狭量だと知らなかったので、寧ろ厄介な任務を引き受けて貰ったと言うのだから、何とも心憎い。
「この扉は何でしょうか……」
そして、そんなエーダリア達が出かけてしまい、自己満足かもしれないが、ディノをあまり動かしたくないので一人屋敷の中を探索していたネアは、奇妙な扉に出会った。
とある部屋に続くらしい扉に、メモ用紙が釘で打ち付けられている。
曰く……………、
「自由への扉はここだ!論文の締切など忘れて飛び出そう!……標語かしら……」
魔術師は変わり者が多いと言うし、きっと論文に追われて哀れなテンションになった者がいたのだろう。
論文に追われていないネアは、ただこの部屋の中身に用がある。
恐らく、ここはバスルームの筈だ。
(どこかで、手持ちの水筒に入れる水を手に入れたいのだけれど……………)
今度こそはと思いがちゃりと扉を開けると、なぜかその先も廊下だった。
「……………まさかの貴族の邸宅に、二世帯住宅的な仕切りがいるのでしょうか」
あての外れたネアは、がっかりしてそう呟いてしまった。
この屋敷は元々、王都のガレンに骨を埋めた男爵位の魔術師の別宅であった。
相続人もないので、今は塔の所有として論文執筆用のホテル扱いになっているが、設計は男爵邸当時のままの筈だ。
であれば、なかなか目的の部屋が発見出来ていないものの、厨房や浴室は必ずどこかにある筈なのでと足を進めると、カチャ、と小さな音を立てて背後の扉が閉まる。
自分で閉めた記憶がないネアは、眉を顰めた。
(……建て付けが悪いのかな?)
そう考えかけて嫌な予感がしたのは、こんな展開をよくホラー映画で見た体。
怖々と視線を前に戻すと、廊下は突き当たりの応接室に続いている。
(ここにも………?)
幸い特異な間取りではないのだが、先程にも同じような部屋を見たばかりであった。
二階にも応接室があるとは、やはり奇妙だ。
「屋内で迷子になるのだけは、やめていただきたい」
「俺としても、やめて欲しかったところだな」
「………!!!」
振り返った背後にいつの間にか立っていたのは、黒い天鵞絨のベストに白いシャツ姿のアルテアだ。
袖を捲り上げた手首には、何やら凝った意匠の腕輪をつけている。
そして、彼の背後に、通ってきた筈の扉はなかった。
「アルテアさんは、私を呼び過ぎだと思います」
「俺としては、お前が混ざり過ぎだと思ってるぞ。不注意で諸共破棄したらどうしてくれる」
首を傾げて弄うように微笑めば、一級の悪意そのものだ。
親し気な口調に聞こえるが、温もりが一切感じ取れない。
「余程俺に会いたかったらしい」
だが、そう言われたネアは、そう言えばと閃いてしまった。
「言われてみれば、適材です!アルテアさん、魔物の捕らえ方と、怪我の治し方と、報復の仕方を教えて下さい!」
「おい、何で俺にそれをする義理がある?おまけに、最後の要求は何だ?物騒なお願いまで混ぜ込むな」
「あなたはディノのお友達ですし、ディノの怪我を治してあげたくはありませんか?」
「………あいつが?」
そう言えば、拍子抜けするくらいに驚いてくれたので、ネアは目的をぼかして事情を説明した。
途中気持ちが入り過ぎて、黒煙の魔物が極悪人の変態ストーカーに仕上がったが、この際やむを得ない。
「いや、治るだろ」
しかし、漸く事の経緯を説明し終えたネアに、アルテアは困惑したままそう口にした。
「さすが、アルテアさんです!是非にその治療法を教えて下さい!お給金があるので、ある程度なら報酬とお支払いします。或いは、クッキーのお支払いでもいいですか?」
「自分で治せるだろってことだ。……………クッキー?」
「ですが、治せないみたいなのですよ。すっかりしょんぼりしてしまって、髪の毛が擦り切れそうなくらい、頭を撫でてと強請るような有様です」
「………おい、まさか」
「重篤ではないかもしれませんが、酷く落ち込んでいるのですよ。私は、あの傷をつけた黒煙めが絶対にが許せません!」
「反応が良かったからそのままにしているだけで、確実に治せるだろ………」
「アルテアさん?」
なぜか最後は、壁の方を向かれてしまってボソボソと呟かれたので、まったく聞き取れない。
様子がエーダリア達に似ているので、やはり事態は深刻だと判断したのかもしれない。
「つまり私は現在、何とかしてあの黒煙めを捕らえ、治療法を聞き出した上で凄惨な報復をするべく頭を悩ませていたので、その熱意が、こうしてアルテアさんに会わせてくれた可能性があります!」
「……………心から、巻き込まれたくないな」
「まぁ。友達甲斐のない方ですねぇ」
「魔物に人間的な感情を求めるな。元来た道を帰れ」
「…元来た道というと、……………これは前回と同じような仕組みですよね?帰して貰わないと帰れません」
「お前が、魔術の道でここに進入してきたんだろうが」
「いえ、私は滞在先のお屋敷で、水回りのお部屋を探してうろうろしていただけです。魔術の道とやらは使っておりません」
「……は?」
相当に驚かれたのでネアは首を捻った。
まさかあのメモ用紙に、何らかの意味があったのだろうか?
(脱出扉的な?)
「それなら、来る時に展開した魔術を再現しろ」
「私の、魔術可動域は四です」
「単位は何だ?」
「だから、四です。数字の下にゼロはつきません」
今度こそ、アルテアは絶句した。
「いや、じゃあ、お前はなんで生きていられるんだよ」
「魔術抵抗値は観測機器を振り切ったくらいなので、魔物の方とお会いするのは問題ないんですよ」
「マッチに火も付けられないような魔術可動域で、偉そうにする資格はないからな?!」
「……………アルテアさんに心抉られたことは、忘れずにディノに言いつけることにします」
「わかった。すみやかに元の場所に帰してやる。それで帳消しにしろ」
「その前に、ディノに心配しないでいいよと伝言することは出来ますか?」
「いいか。俺は通信妖精じゃない」
「…………アルテアさん、ディノから、私が毟り取ってしまった装飾品についてのご連絡は入ってますか?」
「ああ、前回のお前の収穫物のことだな。連絡は貰ってないが」
「…………なんと」
ネアは渋面になった。
あの段階での謝罪と連絡が入っていなければ、この場の優位性が揺らいでしまうではないか。
後でディノを叱りたいが、今は可哀想なので今度叱ろう。
そして、さも意図的に奪い取ったように認識されてしまっている。
「ごめんなさい、不注意でした。ディノにその旨をお伝えして貰ったつもりでいたのですが」
「別に構わない。俺達は、力に優位性を持たせるからな。あれはもう、お前のものだ」
「…………ものすごく高価そうなので、ご返却します」
「いや、持ってろよ。後で後悔するぞ?」
「……………では、頂戴します。有難うございました」
そう言って笑ったアルテアの表情を見て、ネアは大人しく頷くことにした。
彼の悪ふざけや悪意の道筋に、あの装飾品が意味を成す時があるのかもしれない。
「で?入口はどこだったんだ?お前の道を辿ろうとしたが、逆探知不可能な術式だったぞ」
「どうやら、論文の〆切から逃げる人用の脱出路だったようです……」
「どれだけ死ぬ気で構築したんだよ………」
「では、アルビクロムの…」
住所の半ばまでを諳んじる。
不確定要素の大きい魔物に、あの屋敷を教えるのも考えものだ。
アルテアは意味ありげに笑ったが、幸いそのまま何も言わないでくれた。
しかしネアは、その笑みの理由をすぐに知ることになる。
「ここはどこなのだ………」
アルテアがネアを転移させたのは、見知らぬ森林公園の前だった。
ほとんど森だが、遊歩道がありそこまで暗くはない。
だがしかし、ひたすらに純粋に、森が広がるばかりで住宅地は見えない。
そろりと振り返ると、わざとらしい笑顔で説明される。
「お前が口にした住所だとここになる。因みに、アルビクロムは宅地開発が割りと杜撰だったからな。一部同じ区画名であっても、飛び地的に位置が点在しているぞ?」
「………ふむ。一回分はここで使い果たしたという状態ですね?」
情けないのと悔しいので座り込みそうになったネアは、ふと、公園の案内板に目を止める。
貴族達の乗馬コースとしても使われているのか、設備品は上質なもののようだ。大理石版に優美な文字で刻まれたその説明に、無言ですっと背筋を伸ばした。
(ダイアナの噴水………)
ダイアナは、月の魔物の最も一般的な名称だ。
美しい女性型の魔物であるので、このようにモチーフとしての使用も多い。
屋敷に戻った時に調べたところ、アルビクロムにあるダイアナ由縁の土地は、あの墓地と、観光地としても有名な噴水、そして旧王宮内のモニュメントになる。
「どうした、歩いて帰るか?」
「いいえ!気になる要所を発見したので、仇討がてら寄ってゆきます。ご送迎、有難うございました」
「………仇討?」
ネアがそう言えば、アルテアはものすごく嫌そうな顔になった。