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四つ辻の呪いと藤の館 3


竜の巣は、グリシーヌの街の西側に位置する、谷の底にあるそうだ。

谷への道は、細いけもの道になっているので、ディノだけではなくヒルドにまで転がり落ちるとか、滑り落ちると言われてしまい、ネアはどれだけじたばたしても地面には下して貰えなかった。

なんて過保護なのだろうと若干引いた顔でこちらを見ているエゴンの眼差しに耐えながら、そろそろ自分の足で歩きたいと申請し続けて、ようやく下して貰えたのは谷底に着いてからだ。


「一面、お花畑ですね………」


ネアが見惚れてしまったのは、谷底一面を覆っている花々の多さだった。

様々な種類の花が咲き乱れ、そこだけ楽園の一角を切り取ったような美しさだ。

しかし、あまり陽の射さない谷底がそんなふうに彩られていると、どこか異様な場所であるという危機感も覚える。

命綱として持たされている魔物の三つ編みをぎゅっと握って、はぐれないようにした。


「ここまで魔術の地脈が濃い土地は珍しいですね。リーエンベルクに匹敵するかもしれない」


そう驚いているのはヒルドで、ディノは竜の巣の芳香が気に食わないらしく嫌そうな顔をしている。

エゴンは、あまりにも濃密な魔術に酔ったそうで先程から青い顔をしては口を押えていた。


「と言うことは、ここは凄い土地なのですね」

「後天的な魔術貯蓄だよ。巣に持ち帰った獲物をここで食べたんだろう。竜の気配が濃くて、祟りものにもなれなかった残骸が、魔術として大地に沁み込んでいるんだ」

「ぞわりとしました。土の中から手が出てきて、足を掴まれたりしませんか?」

「ほら、おいで。だから自分で歩くのは危険だと言っただろう?」

「ディノに任せておくと、安全な土地がなくなってしまう気がします」

「ご主人様………」


ネアは足元にだけ気を付けて、ひとまずは自力で歩くことにした。

その代り、三つ編みはやめてディノに手を繋いで貰うことにする。


「………見上げると、断崖絶壁、という感じがしますねぇ」


ネアがそう見上げたのは、歩いてきたけもの道の両サイドにそびえる、切り落とされたように垂直にそびえたつ岩壁だ。

高山植物のようなものが茂り花も咲いてはいるが、翼や羽のない生き物では手が届きそうにない。

竜の巣というのは特殊な場になるそうで、転移で侵入することは出来ないらしく、そうなると天然の要塞という感じなのだろう。


中に入ってすぐ、ディノとヒルドが意味ありげに視線を交わした。


「あまりにも魔術や命の残滓が濃いから判別が難しかったけれど、巣を出られてしまったようだね」

「む。竜さんはいないのですか?」

「ほら、転移の気配だ。悪食だと聞いていたから、追手を心配したのかもしれない。逃げたようだよ」


そう言ってディノが見せてくれたのは、足跡状に咲いた不思議な赤い花だった。

濃い魔術の跡に開く花なのだそうだ。


「そう言えば、竜の方が転移するという話を聞くのは珍しいですね」

「飛ぶことを好むから滅多にしないんだ。ある意味、それだけ変わり者の竜だということでもある」

「………悪食という方の認識は、私の中では白夜の魔物さんと、ほこりなのです。どっち寄りなのか見極めたかったですね」

「………………浮気……?」

「同じ食事嗜好であれば、アルテアさんに仲介して貰って、ほこりのお友達になるかもしれないと企んだのですが、逃げられてしまいましたね。…………むぐ」


花畑の奥は惨憺たる有様だった。

谷底の奥に、小さな岩山があり、竜はどうやらその部分を寝床にしているらしい。

小さな岩山に沿って生えている木々には、食い散らかされた獲物の残骸が引っかかっており、踏み荒らされた花々には鮮やかな深紅が広がっていた。

魔物がさっと目隠しをしてくれたが、ちらりと見えてしまった光景にネアは喉を詰まらせた。


(肉食獣の食べ方に、残虐性を足した感じ………?)


ライオンや豹なども、獲物を取られないように木の枝に持ち上げておくことがある。

そんな感じにも見えたが、なにぶん乱雑にあちこちに放置されていたので、凄惨極まりない。


「ディノ様、私は少し奥まで見てきますので、ネア様をお願いします」

「そうしよう。血臭が強いから、この子は奥には連れて行けないからね」

「ぼ、僕は………!」

「エゴン、あなたは上を見ていて下さい。もし竜の影が見えたら、声を上げていただけますと助かります」

「は、はい!」


エゴンはもうふらふらだったので、ヒルドは単身で奥に進むようだ。

ネアは少し不安になったので、ディノにこっそり耳打ちする。


「もし危ない気配がしたら、ディノもヒルドさんを手助けしてあげて下さいね」

「………………ずるい、可愛い」


しかし、耳打ちのシステムに未だ慣れない魔物は、へなりとなってしまった。

しっかりするようにべしべしと肩を叩いたのだが、逆効果のようだ。

魔物が虫の息になってしまいネアが密かに慌てていると、幸いにもヒルドはすぐに戻ってきた。

魔物の手のひらをばりっと剥がした瞬間だったので、驚いたように目を瞠るヒルドと目が合ってしまう。


「ネア様………」


怒っているときの低い声で名前を呼ばれて、ネアは少しだけ申し訳なくなる。

こんなことで心配されていては、足手纏いもいいところだ。


「大丈夫ですよ、ヒルドさん。野生というのはとても残酷なものです。不本意なご褒美でディノが少しだけ弱ってしまったので、ヒルドさんが心配になって視界を奪還してしまいました」

「………私は元より、竜を狩ってきた一族でしたからね。それと、奥には人間の亡骸もありますので、あまり見ない方がいいでしょう」

「であれば、ヒルドさんだって見て気分のいいものではなかった筈です。それに、ヒルドさんが襲われたら困りますから!」


放っておくと無理をしかねないので、ネアはそう言ってわしっとヒルドの手を掴んだ。

ただでさえ、竜の巣に不法侵入中である。

上から襲われても、これならば連れて逃げられるだろう。


「む…………?」


なぜかヒルドが固まってしまったので見上げると、鋭利な美貌のシーは、目元を僅かに染めて途方に暮れた顔をしていた。

思わず、ぎゅっと抱き締めたくなる無防備さである。


しばし小さく息を吐き、ヒルドは微笑んでネアの手の中から指先をそっと引き抜いた。

悲しい顔になったネアを、まるで母親の様に諭す。


「お気持ちだけで充分ですよ。私は、念の為に両手を空けておきませんと」

「…………確かにそうですね。でも、私も竜には勝てる気しかしないので、きちんと頼って下さいね?」

「ええ。あなたがいれば、私は大丈夫ですから」


(さすが大人。優しく頼りにしてる感を出してくれた……)


そう考えたネアは誇らしげに頷き、なぜかエゴンは、ここも泥沼なんじゃと呟いて青い顔をしている。


「やはりここに巣食っているのは、沼地の竜のようです。悪食であれ沼地の竜にしては獲物が大きいような気もしますが、巣の領域魔術が沼地のものでしたからね」

「沼地の竜さんは、綺麗な白と桜色の竜さんなのですね」

「………白?」

「お屋敷の窓から見た竜さんは、そんな色合いでしたよね?」

「いえ、私が目を向けた時にはもう雲間に入っておりましたので、飛影しか見ておりませんでして……」


困惑したように目を細めたヒルドに、ディノまでもが眉を顰めた。

余談ではあるが、ネアにはそのような表情に見える現在のディノだが、周囲にはどう見えているのだろう。

ヒルドやエゴンには、その表情まで伝わるのだろうかと心配になる。


「ネア、君が見た竜の外見を詳しく説明出来るかい?」

「ディノ?……頭の方と翼の白い竜さんでした。体の中心の方は素敵な桜色で、尻尾は黒っぽかったです。可愛い色彩なので嬉しくて、あんな風に声を上げたんですよ」

「…………変異体かもしれないが、沼地の竜にはない色彩だね」

「なぬ。沼地の竜さんは、本来どんな色合いなのでしょうか?」

「茶色から深緑だ。属性的にも、白持ちになるだけの階位の竜ではない」

「そうなると、別の種類でしょうか?でも、ほこりのような例もありますしね……」


身近に特別変異体の例があるので、ネアがそう言えばディノとヒルドは困ったような顔をした。

ディノにおいてはかなり悩ましげな目をしているので、どんな種類の竜なのか特定しないことには、やはり不安要因であるのだろう。

そこでネアは、一生懸命に記憶を辿ってみた。


「お日様を見上げた弊害で、実は生成り色とか、淡い砂色かもしれません」

「厳密に言えば白ではないかもしれませんが、やはり白まで考えておいた方が良さそうですね」

「ヒルドさん、あと、雪竜さんより胴体部分が小さくて尻尾が長かったです」

「………そうなると、ますます沼地の竜ではないようです。ネア様、棘や角などはありましたか?」

「棘………はなかったと思いますが、下から見上げる感じでしたから。頭の部分も雲に入る前のところだったので、あまりよく見えていないです。ごめんなさい」

「いえ、色や造形を大まかに覚えていて下さっただけで、助かります。火や水で悪食が出ると、この街ごと壊滅しかねないので厄介ですが、尾長となると事象系のものでしょうか」

「体の形で、種類が変わってくるのですか?」


そこでヒルドは、大まかな竜の造形を説明してくれた。

まず、絶滅してしまった光竜と、その対となる咎竜は、言わば東洋の龍のようなにょろにょろ系の形をしている。

四肢は短く縦長の瞳孔を持ち、蛇のようにふわりと空に浮かぶ最古の血筋の竜だ。

次いで、その古い種類に近い水竜もまた、他の竜達よりは体が細長く、縦長の瞳孔をしている。

その他の竜種は、火や風や土、雪竜や氷竜などがどっしりとした獣型の体を持つ竜が主流だ。

そこから更に様々な種が派生しており、沼地の竜は土竜と森竜の中間種なのだという。


「しかし、体よりも尾の長い竜は、光竜や咎竜からまた違う分岐を経た、形を成さないものを司る種であることが多いんです」

「形を成さないもの………」

「最も有名なのが、夏影ですね。咎竜の直系に近く、夏の宵に影の中に潜んで子供たちを攫う竜だと言われています。音触りのように、音楽を好み歌劇場に忍び込むだけという罪のない竜もおりますが、あまり生態がよくわかっていない竜が多いのが実状でして……」

「………つまり、私の見た竜さんは、通りすがりの罪のないどなたか、或いは、関わっているかもしれない謎の第三者なのですね?」

「ディノ様は、どう見られますか?」


深刻そうな眼差しのまま、ヒルドはディノに判断を仰いだ。

あまり楽観的な様子ではないので、悪い方の懸念を抱いているのかもしれない。


「私が見た竜も影だけだったが、他の竜があの位置を飛ぶとなると、沼地の竜がまだこの地に留まっているのならば、領域争いになっていても不思議ではないね」

「………そうなりますと、沼地の竜はこの地を離れているということですね」


ネアはそのやり取りに首を傾げた。


(一種しかいないのであれば、無関係かもしれないから寧ろいいのではなくて?……………あ、そうか!)


「つまり、この巣にお食事の跡が生々しく残っているということは、現在この巣を使っているのは、沼地の竜さんではないということなのですね?」

「加えて言えば、ディノ様は近日中には高階位層の移動はないと仰っておられましたので、あの竜は少し前からこの地に滞在しているのでしょう」

「待ってください!」


そう声を上げたのは、まだ顔色の宜しくないエゴンだ。


「しかし、ここは閉鎖的な土地である反面、観光地でもありますよね?本来の生息種ではない新種の悪食が出現したのであれば、報告があってもおかしくないのでは?」

「だから妙なのですよ。伯爵夫人は竜について後ろ暗い様子はなかったでしょう?」

「そうか、討伐して欲しいような言いようでしたね。そうなると、………巣の中の竜が入れ替わっていることに、伯爵家では気付いていない?」

「もしくは、気付いていた上で、我々をそこに差し向け、竜の餌食にしようとしたのか」

「うへぇ。どっちでもぞっとする話ですね」


難しい顔になった男達を見上げ、ネアは少しだけ考える。

前者であれば問題が二つになる危険があるし、後者であれば伯爵家を被害者として宥めつつ、その悪事を暴く必要がある。

どちらでも面倒なのは間違いない。


「我々としては、呪物とは別案件であれば、ヴェルリアの管轄なので肩の荷が下りるのですが……」

「そうでした!いっそ別案件になった方が、依頼料も別途ですものね」

「ええ。ヴェルリアの竜の問題となれば、ドリー様の力も借りれますしね」

「………ドリーさん」


薔薇の祝祭に、魔物のせいで無駄に振られて以来、あまり接点のないドリーを思ってネアは遠い目になった。


そんなネアが心の傷を思って憂鬱になる時間も含め、四人はあれこれ議論しながら元来た道を戻った。

道中、ネアは大きな岩の影にほわほわの茶色い兎が二匹蹲っているのを発見して、相好を崩す。


「ディノ、兎さんがいますよ」

「おや、土くれの魔物だね」

「何だか切ない名称の魔物さんですね、ぷるぷるしていて愛くるしいです」

「ほら、君はやっぱり毛の多い生き物にすぐ目移りしてしまうんだ」

「………そしてふと思ったのですが、この子達から目撃情報は得られませんかね?」


ネアがそう思い立ったのは、岩陰に巣穴があるので、この魔物達は竜の姿を見ている可能性があるのではと考えたからだ。

折良く王様がいるのでその権威を乱用させて貰い、素敵に協力的になってはくれないだろうか。


「兎さん、現在ここの谷に住んでいる竜さんが、何竜なのかわかりますか?」


ディノを見上げて震え上がっているので、不憫になったネアは優しい声を出した。

事情聴取をしているネアに、前を歩いていたヒルド達も振り返る。


「ネア様、この谷の固有種は……!」


ヒルドが何かを言いかけたようだが、その前に二匹の兎が老人のような嗄れ声を発した。


「みすぼらしい人間め!」

「グリオ様の餌にもならない人間め!」


愛くるしさを裏切る声音にびっくりしたネアに、兎たちは尚も言い募る。


「竜は腹から砕いてグリオ様が食べるのだ」

「そうだそうだ。養分にするのだから、お前達には渡さない……ぎゃ!」


二匹目の兎が悲鳴を上げたのは、ネアの後ろから手を伸ばしたディノに捕まってしまったからだ。

耳を鷲掴みにされて宙吊りにされて、だらんと手足を下げたまま震えている。


「そのまま土くれに戻しても構わないけれど、ヒルドならこれを使うんだろうね」

「ええ。事情を知っているようですので、勿論です。しかし、この谷の生き物は藤のシーに忠誠を誓っており、死んでも不用意な言葉は吐かないと聞いておりましたが、迂闊な生き物もいるものですね」


口の悪い兎達が不愉快だったのか、冷やかな微笑を交わし合うディノとヒルドに、土くれの魔物の罵声を浴びたネアの方がきょとんとして振り返った。

ふっと視線を岩の方に戻すと、残った方が逃げようとしたので、すかさずネアも、先程のディノの見よう見真似で捕獲する。


「ぎゃ!」

「もう一匹めも捕まえました!」

「ネア?!」


驚いたのはディノで、慌ててネアが捕まえた方の兎も引き取ってくれた。

兎たちは、そのまま見えない箱のようなものに詰め込まれて、空中にぷかりと浮かぶ。

ヒルドがどこからか出した濡れタオルで手をごしごしと拭かれながら、ネアは箱の中で震え上がっている兎達を眺めた。

エゴンが隣で、魔術可動域が六なのにと呟いているが気にしないことにした。


「よく考えたら、一匹いれば充分ですね。いらない方はお鍋にでもしますか?」

「ネア、これは土くれだから食べても美味しくないよ?」

「あら、お鍋にすらならない兎さんなのですね。となると、煮込んだら何になるのでしょう?」


あまりにも残虐なネアの言葉に、兎達はいっそうに縮み上がってしまった。

抱き合ってわぁわぁ言いながら震えているのは可愛いのだが、やはり狡猾な老人声なのが惜しい。

脅しも込めて手をわきわきさせて眺めると、兎老人達はぴっとなっていっせいに喋り出した。


「この谷に住んでいるのは、沼地の緑色!」

「緑の竜は、グリオ様が砕いて養分にする予定なのだ!」

「そうだ。悪くなった餌を食わせて、腹から砕くのだ!」

「呪いを食べさせると聞いたぞ!」

「儂は、呪われた人間を食わせると聞いたぞ」

「櫛の中に入っている」

「そうだ、櫛の中の呪われた人間だ」

「とにかく、それを食えば竜は壊れるのだ」

「そうだ。壊れた竜は泥になる」

「それを養分にするのだ」

「グリオ様が強くなれば、儂等も安泰だ」

「そうだそうだ」


そこで煩くなってしまったのか、ディノがぱたんと箱を閉じた。

上手く言えないが、そんな感じにふいっと指先を動かせば、箱は真っ白になって中身が見えなくなる。

兎達はこのまま解放すると、そのグリオとやらに告げ口されるので、そのまま壊してしまうと言うディノに、ネアは魔物を説得してどこか遠い国に捨ててくるに留まらせた。



「………だいたい、筋書きが分かりましたね」


ネアは晴れ晴れとした気持ちになる筈のところなのに、何だか疲労感を覚えて半眼になった。

清々しいまでの忠誠心のなさは、見る者の心を疲弊させるようだ。


「そうなると、伯爵夫人の線はないでしょうか。どやで言い出した推理が外れて心苦しいです」

「どうだろう、人間の方も関わっているんじゃないかな?」

「むぅ、こういう場合、生半可な慰めはかえって辛いのです」

「ご主人様…………」

「呪物を使おうとしているのは、グリオですか………」

「ヒルドさん?」


ヒルドが頭を抱えてしまったので、ネアがそっと腕に触れれば、やけに暗い溜め息を吐いていた。


「この谷の藤のシーですよ。確かに彼であれば、そのくらいのことはするでしょうね」

「その妖精さんは、食いしん坊なのでしょうか?」

「………己の美貌を保つ為になら、何でもする男です。虚栄心が強く、女性を籠絡することに長けていますが、その代わりに醜いものは、自分の子供でも殺してしまうという妖精でして。本来の藤のシーとは叡智に富み穏やかな気質なのですが、この谷の藤の妖精達は藤の負の部分を凝らせた一族ですからね」

「…………ヒルドさんと、擬態を解いたディノで囲めば死ぬのでは」


ぽそりとネアがそう言えば、名前を出された二人はびっくりした顔をした。

あまりにも想定外の提案だったのか少し動揺してしまったようだが、ややあってヒルドが短く首を振った。


「………グリオは私のことを知っておりますので、今更でしょう。あれは、社交シーズンになると、王都を訪れますからね」


(あ、…………)


その時のヒルドはきっと、あまり望ましい状態ではなかった頃なのだろう。

だからヒルドは、グリオが嫌いなのだ。


「確かにあの藤のシーだと、あまり関わりたくありませんね」

「エゴンさんもご存知なのですか?」

「直接には知りませんが、確かに美しいそうなので、それでもそんな藤のシーを一目見たいという観光客も多いですけどね。醜い生き物が謁見すると、殺されてしまうというのも有名な話です」

「……………むぐ。会いたくありません」

「ネアは可愛いよ?」

「そう言ってくれるのは、ディノが私の婚約者だからですよ。繊細な一般人としては、無駄に心の傷を増やしたくないので、その方に会う危険は犯せません。ボラボラの脅威と同じです」

「私としてもネア様は充分に魅力的だと思いますが、グリオに会わない方がいいのは確かですね。興味を持たれたら斬らずにいる自信がありませんから」

「ヒルドさん…………!」

「ヒルド様、落ち着いて下さい」


(身内贔屓で慰めてくれたせいで、エゴンさんが大困惑してしまった……)


でも、そんなヒルドの優しさにネアはほろりとした。

精神攻撃の予感につい後ろ向きになってしまったが、やはりこれは仕事なので頑張るしかない。


「ヒルドさんの暖かな励ましで我に返りました。お仕事ですので頑張らねばです!………しかし、遭遇したら殺されてしまうかもなので、上手く立ち回らないとですね」

「ネアは可愛い…………」

「ディノ、勝手に落ち込まないで、一般論で話しましょうね?」

「もう、そのシーを壊してしまえばいいんじゃないかな」

「ディノ様、私としても是非にそうしたいのですが、グリシーヌの地にはやはり彼が必要なのも確かですから」

「他のものを充て替えばいいのではないかい?」

「………出来るのですか?」


(黒幕がわかって進展した筈なのに、私怨みたいになってきた……!)


ネアが困って視線を投げたエゴンが、奮起して一番大事なことを指摘してくれた。


「でも、という事はこの谷の竜が入れ替わっていることは、まだそのシーも知らないんですよね?」

「そ、そうです!さっきのウサ爺達は、沼地の竜の前提でいましたよ?」

「………成る程。グリオは、白持ちの竜を取り込める程の器ではありませんからね。これはもう、放っておけば自滅しそうですね………」

「ヒルドさん………」


よほどグリオが嫌いなのか、ヒルドは珍しく投げやりだ。


「ヒルド様、呪物の中には浄化しなければならない被害者達がいるのですから!」

「それさえなければと、僅かながらに考えてしまいますが、確かにその通りですね」


慌てたエゴンに説得され、ヒルドは渋々頷いている。

ディノもどこかうんざりとした様子で、藤なんて枯れてしまえばいいのにと呟いていた。

こちらはそのグリオとやらとは面識もないので、もしネアを醜い認定したらという勝手なイメージからの私怨で更にたちが悪い。



「………と言うか、今夜のお宿はあの伯爵邸なのですよね?」


先程から、ネアが一番心配しているのはそこであった。

最初は、ヒルドが厄介なお部屋訪問でもされやしないかとハラハラしてたが、今はもう、確実にその藤のシーが出てくる気しかしない。



(なんかもう、泊まるまでもなく潜入してその呪物だけ盗み出してくればいいんじゃないだろうか)


しかし、この土地はそのシーのテリトリーのようなものなので、活動にはお作法があるらしい。

招かれた者しか藤のシーの領域には入れないので、正式な招待客になっておかなければ、自由に屋敷周りの探索も出来ないのだそうだ。

それを説明されて、ネアは渋面になる。

宿泊環境が思わしくないというのは、多大なるストレスではないか。


「もう、そのシーの方には竜さんを壊そうとして自滅して貰いましょうか?」

「ネア殿?!」


唯一の穏健派仲間を失いかけたエゴンが情けない声を上げ、ネアは溜め息を吐く。


「考えて下さい、エゴンさん。今夜のお宿はまず間違いなく雰囲気的に居心地が悪く、ヒルドさんはきっとあの伯爵夫人に悩まされますし、その藤の妖精さんも暗躍します。更に、謎に包まれた沼地の竜ではない白っぽい竜がいるのですよ?」


ネアの説明に、エゴンは呆然と肩を落としていた。


「忘れていました、呪物を回収して、その浄化もするのですよね?」

「僕は今、初めて依頼人を見捨てたい気分です」

「依頼人?」


ネアはその言葉に首を傾げた。


(だって、あのウサ爺達の言い分であれば、呪物は沼地の竜の餌にする為に手に入れたのではなくて?)


藤の妖精の目論見としては、何でも食べてしまう悪食の竜にそんなものを食べさせてお腹を壊してしまうように仕向け、死んで土になった竜を養分としようとしている筈なのだ。



「ヒルドさん、そのガレンへの呪物回収依頼は誰が出したのですか?藤の妖精さんとしては、ガレンが呪物を回収に来たら困るのではないでしょうか?」



ネアのその言葉に、長めの沈黙が落ちた。

そろそろ一行は谷を抜け、市街地に出ようとしているところだ。

内緒話に向いた竜の巣の排他結界を抜け切る前にと、足を止め顔を見合わせる。



「エゴン、調査依頼を出したのは誰だ?」

「…………グリシーナ伯爵夫人です」



グリシーナ家を継ぐ者は、生まれた時に得た名前を捨てて、グリシーナとだけ名乗るようになる。


それは、グリシーヌの土地で藤のシーの代理人となり、その繁栄を助ける代わりに藤のシーの加護を受けることが出来るという、ただ一人にしか許されない名前なのだという。



ネアはふと、あの擦り切れた藤色の手袋を思い出した。











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