138. 死者の国から出たら燻製にされます(本編)
とうとう、待ちに待った日がやってきた。
「やっと、お前さんも今日で家に帰れるな」
そう労ってくれたのは、何かとお世話になってしまったグエンだ。
先程、死者の国でネアが購入した家を引き継がせて貰い、焦ったり困ったりしながらも受け取ってくれた。
あのフィリップ少年に譲るかどうかは、彼の勤労意欲を見てから考えるそうだ。
せっかく働くことを楽しんでいるので、性格を見極めて、場合によってはきちんと買わせるかもしれないとか。
「………それにしても、これはいいのか?」
「非常用に温存してたものですから、是非使って下さい。もし、こちらでの時間が長くなって、もう使わなくなるようであれば、墓犬さんに渡しておいてくれれば、ウィリアムさんが回収してくれるそうです」
ネアがグエンに渡したのは、もう一組買ってあった例のカードである。
グエンに片方を、もう片方をエーダリアに預け、定期的な文通を可能にしつつ、有事の際には死者の国の情報も仕入れられるかも知れないという、素敵な非常回線となる。
本来はこういうものは禁止なのだそうだが、ウィリアムは現在、ネアにとても優しい。
「すまねぇな」
「それくらいのお世話になりましたし、こちらにとっても有難いことですから」
「確かに、死者の話を聞けるなら便利なもんだ」
「いえ、そのことですが、エーダリア様は余程の事があって、それしか手段がないという窮地にでも立たない限りは、そういう使い方はしたくないそうです」
ネアがそう言えば、グエンは虚をつかれたような顔をした。
「ただ、純粋に、友人と文通が出来る恩恵としてなら受け取ると仰っていました」
そう微笑んだネアに、グエンの顔が少しだけくしゃくしゃになる。
「……………あいつは、相変わらずの頑固な馬鹿野郎だな」
「ふふ。そんな風に不器用な方なので、グエンさんに文通をしていただけると、とても頼もしいです」
「しょうがねぇな。人生相談に乗ってやるよ」
そう笑ったグエンに手を振り、ネア達は十三区の街の外れにある小さな小道にさしかかった。
「ガウ」
「墓犬さんも、ここでお別れなのですね」
「………ガウ」
「墓犬さんは命の恩人で、心から頼もしい素敵な墓犬さんでした!また、どこかでご縁や機会があればお会いしたいです」
「…………ネアが虐待する」
「ディノ!死にたいと言っている訳ではないので、荒ぶってはなりません!」
「…………ネア、さすがに今の台詞は誤解されるぞ。それと、秋の豊穣祭にある死者の日には、墓犬も地上に上がる。会いたければ、その時に会うといい」
「そんな素敵な日があるんですね!墓犬さん、もし用事が早く片付いたり、予定のない年があれば、是非にリーエンベルクに来て下さい」
「ガウ!」
「ネアが…………浮気?……する」
「まったくもう。浮気かどうか、自分でも迷子ではないですか。落ち着いて下さい」
「………ご主人様」
拗ねた魔物に後ろから拘束されつつ、ネアは墓犬の頭を丁寧に撫でて別れを告げた。
ファービットこと掃除婦達は、意外にシャイなのだそうで、ウィリアムから別れの挨拶を伝えて貰うことになっている。
(リーベルさん達、大丈夫かしら………)
そして、リーベルとジュリアン王子は、正規の日までの残り十一日間を、引き続き死者の国で過ごすことになった。
今回開く門はあくまでも臨時の門なので、何人も通す事は出来ないのだそうだ。
置いていって万が一のことがあると可哀想なので、ネアはその二人が必ず地上に帰れるように、ウィリアムと約束をしてある。
「ウィリアムさん、リーベルさん達をお願いしますね」
「………ネアは、思ってたより博愛主義だな」
その言葉にネアは眉を顰めた。
何をどう取れば博愛主義になるのだろう。
こういうところが、ウィリアムは天然な感じがする。
「むぅ。リーベルさんがダリルさんの弟子で、尚且つゼベルさんのお兄様でなければここまで気にかけませんし、ジュリアン王子様も一応はエーダリア様の弟さんです。後は、一緒に連れて帰れば助かったのにという事態になると、寝覚めが悪いからですね」
「今回は俺が噛むし、周囲も手を貸せるから構わないが、こういう時は無理をせず切り捨てた方がいいぞ」
「安心して下さい。ほどほどの知り合いの方に、自分はもういいから先に逃げてくれと言われたら、強く頷いて逃げる方です!」
「…………どうだろうな。君は時々お人好しになるから」
ウィリアムは疑わしそうであったが、ひとまずその話はおしまいにしてくれて、すぐに開門の手続きをしてくれた。
「はわ…………」
大きな鉄の扉をばたーんと閉めたらこんな音がするだろうか。
或いはとても重たい鐘を撞いたらこんな音かもしれない。
ゴーンという、澄んだような鈍いような不思議な音がして、目の前に見上げるほどに大きな壮麗な門がそびえていた。
「………これが死者の門なのですね」
一片の透明さもない整った白い門だ。
繊細で精緻な彫刻は美しく素晴らしい。
だが、ふとその整った美しさがひやりと背筋を寒くするという不思議な感覚になる。
花々や天候、建物に文化、文字と術式陣に様々な生き物達に様々な歴史。
ずっと見ていたいけれど、あまり見ていると良くないような気がする。
この門には何か、根源的な恐怖を感じるのだ。
「あまり見ない方がいい。ネアは終焉の子供だし、これは死への入り口だからな」
「………はい。少しだけ怖いと感じました」
「それはいい事だ。あまりにも死に近しいと、美しくて目が離せなくなるそうだから」
「むぅ」
「ネア、おいで。早く地上に戻ろうか」
「ディノ、ちょっと待って下さい。………ウィリアムさん」
門をくぐる前にと、あらためて名前を呼ばれてウィリアムは眉を持ち上げる。
「ネア?」
こちらを見た彼は、見慣れた美貌の白い髪の美しい男性だ。
飛び抜けて美しいけれど、どこか近しさもある、終焉そのものの美しい容貌。
「こちらでは大変お世話になりました。随分と無理をさせてしまったので、今度あらためてお礼をさせて下さいね」
「…………それは、もう許して貰えたのかな?」
「怖い思いをさせられたことについては、こうして規則を曲げて早めに出して貰っていますから。そうなると、後は助けに来てくれた恩が残ります」
そう言ったネアに、ウィリアムはなぜか少しだけ残念そうに微笑んだ。
「………恩か。今回は、そんな距離感を少し詰めようと思ってたんだがな」
「む?何かお気に召しませんでしたか?」
「これ以上言うと、シルハーンに叱られそうだ。ネア、また近い内に」
「はい。無理し過ぎないように、程々に休んで下さいね」
「はは。安心していい。死ぬ気で働いて、丸々三日空けたばかりだ」
「…………それって」
その言葉の意味をネアが飲み込む前に、しびれを切らした魔物がご主人様を抱え上げて門の中に飛び込んだ。
「……っ?!」
ぐりんと、世界が揺れて切り替わる。
質の悪い転移のようで、また新しい不思議で壮絶な感覚に、ネアは慌てて口を押さえた。
上に吸い上げられたような、深い穴に落ちるような、よく分からない天地の逆転の酩酊感を経て、すぽんと地上に吐き出される。
「はぎゅ?!」
またしても奇声を上げてぺっと吐き出されたネアは、久し振りに見る眩しい世界に目をしぱしぱさせる。
眩しくて朝日が目に沁みたが、そんな刺激もまた懐かしい。
(…………地上だわ)
鳥の声が聞こえる。
ネア達が吐き出されたどこかの森は、淡くきらきらと輝いていて、そこかしこに生き物の気配があった。
とてとてと歩いてゆくのは、足の短い狸のような妖精だ。
その背中には、小さな毛玉みたいな生き物が勝手に無賃乗車している。
にゃーんと鳴いて茂みから飛び出して行ったのはコグリスだろうか。
それを追い回しているのは、どうやら椋鳥の魔物のようだ。
風には温度や匂いがあり、世界が生きているということはこういうことなのだと、心の底から思う。
「………そして、すっかり夜型になりました。眩しいでふ」
「大丈夫かい?すぐに部屋に連れて帰ってあげるよ」
気遣わしげに抱き上げたネアの頬に手をあてた魔物に、涙目のまま、ネアはぶんぶんと首を振った。
「それよりも、何よりもまず、ディノはその怪我を治して下さい!治療の邪魔になるでしょうから、私は一度降りますね…」
「駄目だよ、ネア。君は目を離すとすぐに逃げてしまうからね。まずは、リーエンベルクに戻ろう」
「に、逃げません!それより…むぐ?!」
騒ぎ立てたご主人様は、口の中にふわふわのギモーブを押し込まれた。
中にとろりとしたジャムが入っており、もぐもぐするととても幸せな気持ちになる。
「は!危うく騙されるところでした。治療を!!」
口の中のギモーブがなくなって我に返ったネアは、二人がいるのが先程の森の中ではなくなったことに気付いた。
それどころか、とても見慣れた場所にいる。
「ネア!おかえり!」
「ほわ、ゼノ!」
「あっ、狡い!僕が先に言おうと思ってたのに!」
そこは、リーエンベルクの中庭だった。
まだ朝日が差したばかりの時間なので、起き抜けだろうに、全員がそこに出て来てくれている。
「みなさん…………」
じわっと涙ぐんだネアに、ノアが首を傾げた。
「ネア、唇に粉がついてるよ?」
「む!さっきディノに、注意を逸らすためにギモーブを食べさせられたのです!」
そんな申告に、不審そうに眉を顰めたのはエーダリアだ。
「ギモーブ………?」
「エーダリア様、この度はご心配とご迷惑をおかけしました。いきなりですが、一拍ご猶予を下さいね!みなさん、少しだけ失礼します」
「………ど、どうしたんだ?」
まずは上司にきちんとご挨拶をしてから、体を捻り、ネアはがしりと魔物の頬を両手で挟んだ。
驚いたディノが、綺麗な水紺の瞳を瞠る。
「ディノ、早く自分の手当てをして下さい!……もしかして、治すのも負担があったりしますか?」
叱りながら、怖い可能性に気付いてそう声を細くすると、吐息が触れそうな程の距離から、ディノが不思議そうにこちらを見返した。
視線の先のネアが青い顔をしていることに、少しだけ首を傾げる。
「ネア?」
「シル、ネアはその目が治せないのかなって怖いんだと思うよ。早く治しちゃいなよ」
「ああ、そういうことだったんだね。…………ほら、これで安心したかい?」
ふわりと温度のない風が凝るような感じがあった。
その微かな変化にはっとしている間に、いつの間にか修復は終わってしまったようだ。
ネアが次に見たのは、何事もなかったように顔の半面を隠していた髪を搔き上げるディノだった。
そこには、ネアの見慣れた美しい対の瞳がある。
「……………な、治りました!その、……ちゃんと見えてますか?不具合や、痛みはありませんか?」
「…………可愛い、心配してる」
「こらっ、そんなことを言っている場合ではないのです!大切な魔物に後遺症が出たりしたらどうするのですか!」
「可愛い…………」
二週間近く離れていたせいで、最近この魔物はすっかり耐性がなくなってしまっていたのを思い出し、ネアは溜め息を吐いた。
ひとまずこちらは落ち着いてからにして、仲間たちにへのお礼を再開しよう。
「…………む」
視線を戻したネアが見たのは、物々しいガスマスクのような不思議道具を装着したエーダリアとグラストだった。
手には何故か、火のついた枝を持っている。
「お、お仕置きでしょうか………」
突然の変身に慄いたネアに、エーダリアは重々しく首を振った。
「すまないな、ネア。死者の国から帰って来たとなると、一応浄化の儀式が必要になる」
「ネア殿、ディノ殿、失礼いたします」
火のついた枝を持った、エーダリアとグラストがそう言って近付いてきたので、ネアは体を強張らせる。
「ディノ様、お手数をおかけします」
そう詫びたのは、どうやら最初から道具の準備をしていたらしいヒルドだ。
いつもみたいにすぐ声をかけてくれなかったのは、寝起きで不機嫌だった訳でも、騒ぎばかり起こすネアにうんざりした訳でもなく、魔術詠唱をしていたからのようだ。
「形式なら仕方ないね。この子は人間だし、万が一があると困るから」
「ディノ?!ちょっと待って下さい、私にはさっぱり事情がわかりません……むがっ?!」
突然、もくもくと白い煙が立ち込めてきた。
朝日の涙目から、煙くて堪らない涙目になりつつ、ネアはラベンダーのような香りのする濃密な煙に包まれる。
視界はあっという間に真っ白になった。
「げふん!げふ、……な、何で……げふん!」
「ネア、喋ると噎せるだろう。少しだけ我慢しておいで」
「事情を説明……げふん!げふん!」
空気の対流がないところを察するに、どうやら結界的なもので囲まれているらしい。
燻製になるつもりはないネアは大暴れしたが、ご主人様をしっかりと抱えた魔物の拘束はぴくりとも動かなかった。
宥めるように背中を撫でられて、反燻製派のネアは獰猛な唸り声を上げる。
(人間は、燻されたら死んでしまうのに!)
煙が目に沁みて涙が溢れた。
「お、おのれ…」
「終わったよ、ネア」
「むぐ………?」
終わったと言われても、目が痛くてぎゅっと瞑っているネアには何も見えない。
しかし、ほろほろ溢れている涙に口付ける感触があったと思ったら、眼の痛みがさっと引いた。
そうっと目を開いて、涙目のままぽかんとしていると、歩み寄って来たヒルドが不憫そうに目を細めてくれる。
「これで終わりですよ。お帰りになられて早々、申し訳ありません」
「ふぇ、………ヒ、ヒルドさん、この手荒い儀式は一体………」
燻されて、心も体もしわっしわになっているネアに、ガスマスク的なものを外しながら、グラストが申し訳なさそうに頭を下げる。
エーダリアは、珍しい儀式だったらしく、どこか晴れ晴れとしているのが歪みない。
そちらをちらりと見て、ヒルドがやれやれという顔をした。
「死者の国というのは、やはり凶兆となりますからね。ウィリアム様の守護がある以上は障りなどないでしょうが、定型の儀式はやらせていただきました」
「…………ふみゅ。決まった儀式なのですね」
「本来は、死者の門を開いた術者用の儀式だ。行き来した者というのは、あまりいないからな」
「エーダリア様、事前に一言言って下さい!」
「あれ、ネア、シルから聞いてない?」
「ノア?」
エーダリア達のように謎めいたガスマスクはつけていない魔物達が、顔を見合わせてこてんと首を傾げる。
「ネア、もしかしてディノからこの祓えの儀式のこと聞いてなかったの?」
「ゼノ!さっぱり聞いていませんでした」
「そっか。それだと、びっくりしちゃうよね」
優しくて愛くるしいクッキーモンスターの声に、ネアはほろりとする。
しかし、乗り物になったままの魔物は、困ったような悲しげな顔をして、反論してきた。
「ネア、死者の門をくぐった後で、話しただろう?」
「…………もしや、あの三半規管どころか感覚も大混乱のさなかに言ってくれたのですか?」
「うん」
「………ディノ、か弱い人間には、誰の言葉も耳に入らない、過酷な環境下における瞬間というものがあるのです」
「そうなんだね。気付いてあげられなくて、ごめんね、ネア」
「突然の燻蒸に、折檻かと思いました……」
ネアがしみじみとそう言えば、魔物は少しだけしゅんとして反省していた。
とりあえずわざとではないのでそれ以上落ち込まないように微笑みかけてやり、暴れた際に乱れた髪を直してくれたヒルドに視線を戻す。
「申し訳ありません、心の準備がなければ、さぞ怖かったでしょう。それと、遅くなりましたが、無事に戻られて良かったです」
「ヒルドさん……!」
「ネア、死者の門をくぐった時のことを覚えているか?何か術式のようなものはあったのか?」
「エーダリア様……………」
優しく労ってくれたヒルドと、一刻も早く死者の門の話が聞きたくて堪らないエーダリアに、ネアはくすりと微笑んだ。
(儀式の為とは言え、みんなこんな風に待っててくれたんだわ)
そう思うと堪らなく幸せな気持ちで、心がほかほかする。
「さっき、すごい暴れてたね」
「レインカルみたいだったなぁ……」
しかし、こそこそ話しているゼノーシュとノアは、聞こえているし、レインカルは嫌なのでやめて欲しい。
「レインカルに似ていると言われるのは心外です……」
「そう?シルは可愛いと思ってるみたいだし、いいんじゃないかな?それに、女の子は少し刺激があった方がいいしね」
「ノアの場合は、その刺激が事件性を高めるので、是非に穏やかな方とお付き合いして下さい」
「………そっか、だから昨日も刺されそうになったのかな」
ノアはへらりと笑ってそう言っていたが、初耳だったのかヒルドの目が険しくなったので、後で叱られるに違いない。
「ディノ、ひとまず降りますね」
「…………では、これを持っていようか」
「三つ編み…………」
真剣な眼差しで渡されたが、果たしてこれは過保護さが爆発しているのか、ご褒美相当なのか、どちらだろう。
「シル、僕も死者の薬を作ってたんだから、言ってくれれば良かったのに」
そう声をかけたのはノアで、あまり聞かないような声音なのは、やはり彼なりに心配していてくれたのだろう。
ディノも少し驚いたのか、目を瞠ってから、珍しく無防備に困惑を示した。
「………君が、死者の薬を作れるとは思わなかったんだ」
「作れるよ。昔ね、死者の薬が欲しくて欲しくて、材料を集めたり、製造方法を探し回ったりしたからね。………でも、今回もシルの用途には足りなかったから、役には立たなかったかもね」
そう言って彼らしいどこかおどけた微笑みを浮かべたノアに、ディノはおろおろとしてネアの方を振り返った。
「こういう時は、有難うというのが正解ですよ」
「…………有難う……?」
「うわ!僕、今鳥肌立った!シル、今度からはもっと何でも相談して!ボール時間の延長で手を打つから」
「ボールでいいんだね」
「と言うか、この世にボールより心踊るものって、あるのかな………」
真剣な目でそう呟いた塩の魔物に、ネアはむっと眉を顰めた。
うっとりとしているノアの奥で、なぜかエーダリアがさっと視線を逸らしている。
「…………エーダリア様?」
「いや、………この前、魔術操作であちこちを生き物のように動くボールを買い与えたらな、はしゃぎ過ぎて半狂乱になったんだ」
「狐さんは、与えすぎると戻れなくなると言っておいたではないですか……」
「美味しいものと同じで、一度食べたらもう駄目だと思うよ」
「ゼノの言い分が正解のようで、将来が不安になりました」
「………そうか、だからクッキーの食べ過ぎを止められないのか」
「グラスト、それはあなたがゼノーシュ様に甘過ぎるからだと思いますよ」
そこから、どうやら最近ゼノーシュが食べ過ぎているという問題に頭を悩ませているらしいグラストの独白となり、ヒルドがにべもなく切り捨てている。
(太るわけでもないのだから、大丈夫じゃないかしら)
ネアはそう思うのだか、最近少しずつ父性に目覚め始めたグラストは、真剣に体に悪いかどうかを気にしている。
しかし、不摂生をするとグラストが心配してくれると知ってしまったクッキーモンスターは、尚更にお菓子を頬張るようになっていた。
何とも可愛い攻防戦なので、見かけると心が温かくなる。
「ネア、目が治ったら体当たりをしてくれるんだよね?」
「なぜうちはこうなのだ」
「好きなだけ、体当たりをしてもいいからね」
「好きなようにするなら、体当たりはゼロになりますよ」
「………じゃあ、たくさんかな」
「こうなる前に、無理のない回数を設定するべきでした。自分の愚かさが悲しいです」
「助走をつけるなら、部屋の方がいいかい?」
「しかも、割と今すぐの感じなのですね。帰ってきたばかりなので、落ち着くまで待って下さいね」
「…………ひどい、ネアが虐待する」
「この言葉を教えてしまったノアに、文句が言いたい気分です」
変態欲が再熱してしまった魔物にへばりつかれ、ネアは半眼になる。
「ありゃ、もしかして悪化してる?」
「今回の件で、とても怖がらせてしまったので甘やかしてあげたいのですが、方向性がこちらに振り切っているので、とても複雑な気分です」
「ネア、朝食が残してあるみたいだよ。お風呂に入った後で、食べたら?」
「ゼノが毎回癒し過ぎて、胸が苦しいくらいです!」
ご機嫌な提案をされたネアは、喜びのあまり少しだけ弾んでしまった。
ご主人様が勝手に弾んでしまったからか、ディノが慌てて三つ編みをしっかり持っているようにと言い含めてくる。
「そうだな、燻香は祓えが終わった後は消して構わない。こちらに上がってきたばかりだし、ゆっくりしてくれ」
「有難うございます、エーダリア様。では、お風呂に入ってこの煙臭を洗い流した後、朝食をいただきますね。みなさん、お出迎えや儀式までして貰って、本当に有難うございました」
「いや、今回のことであらためて、ジュリアンがどれだけ厄介なのかを再認識した。顔合わせを指示してお前を巻き込んでしまっておきながら、私は恩恵を得るばかりですまないな」
「ふふ、エーダリア様は律儀ですねぇ。私としては、またしてもご心配をおかけしたので、少しでもお土産が出来てほっとしました」
「そうか!では、朝食の席で死者の国の話を聞かせてく…」
「エーダリア様?ご朝食は先ほど食べられたばかりでは?決済の必要な書類がありますから、早々に仕事を始めて下さい」
「………ヒルド」
悲しげな顔をしたまま、にこやかに一礼したヒルドにエーダリアは連れ去られてゆき、ネアはさっと空いてる方の手をノアに取られた。
「ネア、今日は一緒にごろごろしよう」
「ノア、こうしてみんながそばに居てくれると、帰ってきた気がして嬉しいです!」
「僕も、朝ごはん一緒に食べる!」
「まぁ、ゼノ!賑やかで嬉しいです」
「ゼノーシュ、食べたばかりなのでは……」
ウィームの朝日はきらきらしている。
咲き乱れる花々の馥郁たる香りに、ネアは緩んでしまった口元をもにょもにょさせた。
涙が滲むのは、明る過ぎる光が眩しいからだろう。
何となくだが、今夜はいい夢が見れる気がした。