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壁の崩れた家と煤顔の魔物


「…………悪くないかもしれんな」


そう呟いたジュリアン王子に、リーベルはほとんど無表情で振り返った。

先程から鏡を熱心に見ていたので、嫌な予感はしていたのだ。

鏡を見て項垂れているならまだしも、この王子は様々な角度からの微笑みを試していた。


「…………何がでしょう?」

「この呪いは、悪くないかもしれないということだ。高位の魔物と遭遇して呪いを受けたものの生き延びたという箔も付くし、顔の半面が少し灰色がかったことで、高位魔術者達がよく身に背負う術式模様や傷跡のような趣が出たとは思わないか?こちら側の目が、少し灰色がかったのも悪くない」

「俺は、時々あなたの性格が羨ましくなりますよ。死者の王に睨まれて、よく前向きでいられますね……」

「なに?!あれは、死者の王だったのか?!」

「…………死者の国の生き物達を傅かせたのです。他に誰がいますかね」

「では尚更好都合ではないか!死者の王と交戦して、生き延びた王族がいると思うか?」

「交戦はしていませんよ。それと、俺をそのお披露目に巻き込まないでいただきたい」

「ふん、意気地なしめ。この体一つで証明に足りるのだ。お前など必要ではないわ」


そうせせら笑った王子から視線を逸らしながら、リーベルはこんな時だと言うのに、かつてのゼベルの言葉を思い出していた。


『兄さんは性格が捻じ曲がっているくせに不器用だから。自分の為に妙な野心を持つより…』


今回の一件を経て、リーベルはその言葉を痛感していた。

愚かな計算をしてネアを切り捨てた結果、どうも貧乏くじを引き続けている気がする。

最初から彼女を切り捨てずに三人で行動していれば、今頃はこの厄介な王子を一緒に面倒見てくれる同志になっていたのだろう。


(………と言うか、そろそろ星渡りを捨ててくれ………)


ジュリアン王子がネアから略奪してきた腕輪には、金庫に加工した結晶石がついていた。

たいへんに高価なものなので王子は喜んでしまい、中に入っている星渡りの遺体は不吉だから捨てるようにと言っても、自分が狩ったことにするのだと頑として譲らないままだ。

今回の不運続きはその所為かもしれないので、そろそろ学んではくれないだろうか。


良く考えれば、そうではないか。


自分達がこの国では家を手に入れるしかないのだと知ったその直前に、なぜか死者の国への道が閉ざされていたという死者達が大量にこの街に押し寄せる事態があった。

新参者の死者達が一気に物件を購入していった結果、リーベル達が家探しをした時にはもう、だいぶ条件の悪いものしか残っていなかったのだ。

あと数時間早ければ他にもいい家があったと言われ、ジュリアン王子は陰謀だと憤慨し、リーベルは落ち込んだ。


先日の死者の王との遭遇事件もそうだ。

あの前日にも掃除婦という兎頭の怪物に追いかけられたのだが、その時には街の住人を囮にして上手く逃げおおせた。

子供の死者を囮にした王子の選択には胸が悪くなったが、ともあれ生き延びられたのは確かだ。

しかしあの日に限っては、もう死んだとばかり思っていたネアに再会したばかりか、偶然彼女を囮にした直後に死者の王に見咎められている。

現場を押さえられれば言い逃れも出来ないので、よりにもよってという瞬間であった。


(とは言え、あの死者の王に出会ったことで、掃除婦に食われる危険を回避している辺りが、ジュリアン王子らしいと言えばらしいのか………)


あの場で死者の王が現れなければ、リーベル達は確実に殺されていただろう。

そんな風に結果としては助かってしまうので、この王子は懲りないのかもしれない。


「………左右の瞳の色が違うというのは、いいものだな」


まだ、うっとりと鏡を見ている王子を見ながら、溜め息を噛み殺した。

せめて、食材が尽きていることなどを気に掛ける頭はないのだろうかと思わずにはいられない。

一度こうして拠点を得てしまえば、唯一隙間風の入らない部屋はジュリアン王子のものであり、食糧などの調達はリーベルの仕事であった。

一人で子守をするつもりはなかったので、なんやかんや王子が気乗りするような理由をつけて一緒に連れ出していたが、あの王子と一緒に居る方が危ないのかも知れない。


(ネア様は、死者の王の覚えもめでたいのか………)


白い靄が服を着ているように見えた恐ろしい生き物が、ひどく過保護に彼女を抱き上げる様を思い出す。

死者の王の加護を得て過ごすのであれば、さぞかし安心して日々を過ごせることだろう。

遭遇したあたりの区画を思い出せば、なかなかに閑静な住宅地だった。

立ち去ってゆく二人の後ろ姿は、霧のようなもので隠されてしまったが、あの辺りに家があるのだから、きっと立派な邸宅だろう。


のびやかに寝台に眠り、隙間風に怯えることもないのだと思えば、羨望の念に駆られる。

今からでも遅くないので、あちらに乗り換えたいぐらいだが、死者の王が一緒に居るのだとすれば無理な話だった。


(ネア様の感触的には、最後に助けようとしたことで少し緩和しているのだがな……)


そう考えかけて、弟の言葉を思い出して策を巡らせるのをやめる。

何か画策しようとしても、裏目に出る気しかしなかった。



香りのいい紅茶が飲みたいという声を聞き流しながらよろよろと部屋を出て、一面だけ壁の崩れた家を出ようとしたときだった。

家の前にある配達箱から、木の枝のようなものがはみ出しているのを見付けて眉を寄せる。

恐る恐る開いてみれば、そこには紙袋に入った食材の山があった。

水色の紙でメモが添えられており、それを手に取って目を通す。


“保護者を得て心が広くなったので、食材のお裾分けです。野菜は、お料理出来ないようでしたらご近所さんに差し上げて下さいね。木の枝は虫よけなので、壁の崩れたところにどうぞ”


そのメモを読んで、リーベルは不覚にも少し泣きたくなった。


現在、色違いになった左右の瞳に鏡で見惚れている馬鹿王子は、せっかく手に入れた金庫の腕輪も、買い出し用に共有しようということもなかった。

せめてあの腕輪を使えば、買い物を一気に済ませることが出来るので都度出かける必要もないと言ったのだが、奪われるとでも思っているのか、単に面倒臭いのか、もう仕舞ってしまったからという一点張りで取り出そうともしない。

リーベルの魔術でもある程度の重量軽減は出来るが、質のいい金庫を持つということがどれだけ有利なのか考えざるをえなかった。


(重量のあるものばかりだな………)


玄関前の配達箱は、牛乳缶などの受け取り用の大きな木箱である。

そこに差し入れられたのは、素人でも比較的扱い易い野菜に、パンが二斤、飲み物や瓶の酢漬け野菜にジャム、缶入りのソースや保存紙に包まれたハムの塊など、使い勝手のいいものが多かった。

恐らく自炊というものに縁のあった女性らしい目線で、尚且つ、こちらで生活する上での最大の弊害でもある、味のない食べ物の中でも比較的食べやすいものばかり。


聖職者としての誓約に縛られて、手を切った筈の厄介な王子の面倒を見る羽目になったリーベルにとっては、天の恵みともいえる贈り物ばかりだ。


(いや、………俺とて、彼女は死ぬだろうと思いながらも、助けに戻るつもりはなかったんだ。自らこちら側を選んでしまった俺が愚かだったということだな……)


ゼベルの言うように、上手く身を振っているつもりで、相手を見極める力に欠けていたのだろう。

間違えたから、こうして自ら苦難を背負ってしまったのだ。


「………ん?」


食材の中に一つ、小さな円形の箱が紛れていた。

箱を縛る紙の紐にも水色の紙が差し込まれている。


“これはリーベルさん用に。心が折れそうな時にどうぞ”


首を傾げて箱を取り上げて、すぐに理解した。

他の食材とは違い、その箱を手にした途端ふわりとチーズの芳醇な香りがしたのだ。


「地上の食べ物か!」


思わずはしゃいだ声を上げてしまってから、リーベルは慌てて周囲を窺った。

得体の知れない死者の国の住人達もそうだが、ジュリアン王子にだけは知られたくない。

すぐに枢機卿が持つ装飾腕輪の中の底の浅い金庫を展開し、そこに必ずしまい込む聖典を雑に取り出すと、代わりにチーズの箱を恭しく押し込んだ。

大きさ的になんとか入るだろうと思ったが、幸運にもぴたりと収まってくれる。

黄金や宝石で装飾された携帯用の聖典が外に出てしまうが、こんなものは最悪失くしても構わない。

今は、一かけらのチーズの方が余程貴重に思えた。


持ち帰った食材は、不味い不味いと言いながらもほとんどがジュリアン王子の胃袋に入ってしまったが、小枝と地上の品物であるチーズは、リーベルのものになった。


虫よけの枝は扉の隙間に詰め込めば、隙間風を防いでくれたし、入り込む虫を近づけさせない為に、わざわざ結界を張る必要もなくなりそうだ。

香りの強い木なので、部屋でこっそりチーズを齧っているのを誤魔化すことも出来る。



数日後に、街中でネアを見かけた。

何時の間に合流したものか、契約の魔物と手を繋いで歩いており、その反対側には墓犬まで従えている。

それだけでも慄くしかなかったのだが、唐突に彼女達の前に立ったあの女聖職者が、この街におられる間、ご不便なことがあれば何でもお申し付け下さいと頭を下げているのを見て、もうリーベルは訳が分からなくなった。

墓犬もそうであるし、どうやってあの女を手懐けたのか、もはや謎しかない。


よくわからないが、二度と彼女の反対勢力につくのはやめようと、心に固く誓った。

敬愛するダリルもそうであるが、世の中にはそういう逆らってはいけない存在がごく稀にいるのである。



地上に戻った後、リーベルはダリルに今回の件を陳謝し、きつい御咎めを貰った。

彼女の契約の魔物がどれだけ厄介なのか、あれ程刺激しないようにと言われたのに、なぜその歌乞いの身を危険に晒したのかということだ。

ゼベルにも告白したところ、結婚してからすっかり頼もしくなってしまった弟に引き連れられ、あらためてリーエンベルクに謝罪に向かう運びとなる。


一緒に頭を下げてくれた弟に感謝しつつ一連の出来事を詫びれば、どうやら最初の暴行は報告されていなかったらしく、危うく墓穴を掘るところであった。

幸いにもリーベルはその場におらず、後から、彼女から腕輪を奪い蹴り落としたということを、ジュリアン王子が得意げに語るのを聞かされただけであるのでそこまでの制裁を受けずに済んだが、その身を損なわせる為にだけ振るわれた暴力があったことを知ったヒルドの怒りはすさまじかったようだ。


「羽の庇護を与えた相手が傷付けられたんだ。殺さないだけマシだと思いな」

「は、羽の庇護………」


後日、その顛末を話して聞かせてくれたダリルからそう教えられ、あの歌乞いは一体どれだけの守護を取り揃えているのか恐ろしくなる。


「因みにディノの報復の方が、よっぽど恐ろしいけどね」

「…………それを聞いて、俺は心臓発作とか起こしませんかね………」

「あはは。言っちゃうけどね。煤顔の魔物の印をつけられたんだよ」


それは、リーベルも初めて聞く魔物の名前だった。

ダリルの言うところによると、ガレンでも専門家しか知らないようなかなり古い魔物なのだそうだ。

煤顔というのは、のっぺりとした瓜のような形状の顔を持つ女の魔物で、煤に汚れたような真っ黒な顔でその獲物の印をつけた対象者に付き纏う。

引き出しの隙間や、壁の隙間、カーテンの間などから害を与えずにじっと覗いてくる気味の悪い魔物だ。

元々は人間の作った呪物から生まれた魔物で、その術式が誰かに跳ね返されたことで術が破れ、術者が死亡したまま彷徨える呪いとなったものらしい。


「南方の国の古代の呪物だから、とにかく陰惨でね」


そう笑うダリルは、絶世の美女のように赤い唇を歪めて目を輝かせる。

ああこれは、師の大好きな種類の報復だったのだなと思えば、リーベルはこの話を最後まで聞かずに部屋から逃げ出したくなった。

魔物や精霊の残酷さと、妖精の残酷さは少し趣が違う。

リーベルも様々な生き物を見てきたが、一番残忍なのは妖精ではないかと思っていた。


「陰惨、なのですね」

「そうそう。新月の夜には決まって、背の高い木の上に自分がいて、木の下をその煤顔が這いまわる悪夢を見るそうだ」

「…………唐突ですが、ダリル様。ネア様の喜びそうなものは何でしょう?今の内にもう少し印象を改善しておきたくなりました」

「あの子の気を惹きたいなら、自分にしか手配出来ない美味しいものでも見付けるんだね。それか、仲良くやってるあんたの弟との親密さを見せつけるしかないねぇ」

「ゼベルの新居に週一で通います」

「…………あのねぇ、あんたの基盤はガーウィンだろう。ウィームに通い詰めたりして、余計な憶測を呼ぶんじゃないよ。それか、私にとって有用なところを見せな。状態が悪化するのが惜しいと思えば、口添えしてあげるよ」


どうにか自分も満更ではない方策を得たので、リーベルは安堵した。

しかし、煤顔の弊害というのは、そこまでに語られたものだけでは済まなかったのだ。


「新月の夜に見る夢は、煤顔を最初に使役した国の森で、最初の被害者が見た光景らしい。呪いがあまりにも長い時間を彷徨った結果、魔物として成り立ちを変えた珍しい魔物なのさ」

「成程。術式そのものが命を持ったようなものですね。そういうことは、他にもあるのですか?」

「興味を持ったようだが、試しても無駄だよ。遭遇する者達を殺しながら何千年も彷徨ったからこそ、煤顔は命を得たんだ。百年や二百年でどうこう出来るもんじゃない」

「ふむ。……術返しをされたことで、術者の命を食ったことも力を得た理由なのかもしれませんね」

「煤顔の恐ろしいところは、生きている間はその程度の悪さしかしないってことだ。本当のお楽しみは、死んだ後だからね」

「…………し、死後はどうなるんです?」

「知らない方がいいと思うけど、どうする?具体的にはね、体の中身を…」

「聞かないことにしましょう!」


真っ青になって首を振ったリーベルに、嫣然と微笑んだダリルは美しかった。

恐らく、本当の災厄に見舞われるのが死後のことなので、その気が失せれば、いつでも回収することの出来る便利な制裁なのだろう。


ネアには、付き纏い隙間から覗いてくる呪いというところまでしか伝えられなかったようだ。

そこまで重くない報復で良かったと彼女は安堵しているようだが、人間ではない者達は皆、その本当のところを知っている。

ジュリアン王子の話題が出る度に、彼等が人外の者らしい残忍さで人の悪い微笑みを交わす姿を見ては、リーベルはそういう生き物達の恨みを買わないようにと己を戒めた。

リーベルとて、対外的には手段を選ばない残忍な男だと噂されているし、先日も交渉の邪魔になった青臭い理想を振りかざす貴族の青年を、事故に見せかけて処分したばかりだ。

それでも、ふっと凄艶な愉悦の微笑みを交わし合う人外者達の酷薄さには、遠く及ぶまい。



ガーウィンにしかない奉納用の飴細工の店で、特注の美しい飴細工の詰め合わせをウィームの歌乞いに送るようになってから、もうすぐ一年になる。

季節のものを象った飴細工を贈っているので、ネアはとても楽しみにしているらしい。

もし飴に飽きるようなことがあればすぐさま連絡をくれるように、ゼベルには固く言い含めておいた。



あの死者の国に落とされた日々を境にして、リーベルの好物はチーズになった。

ウィームの歌乞いは、過酷な環境下で慈悲をかけるのと、仕返しはまた別問題という運用であるらしく、とある事情から豆の精と紙容器の精が苦手になったがそれはまた別の話である。






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