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アーサー



アーサーは死者だ。


好きだった女の子に祖父から受け継いだ魔術稀覯書を持ち逃げされて、追いかけたら仲間の男達に殺されてしまった。


なかなかに劇的な人生だが、死ぬ二時間前まですっかり騙されて結婚する気でいたので、幸せから急転直下、その上、崖から落とされて怖くて気絶してる内に死んでしまった。

とても驚いた記憶ばかりが強くて、あまり悲惨な最期の感じがなかったので良かったかもしれない。



そんなアーサーは、死者の国に来て半年、今は教会で鐘撞きの仕事をしている。

あの綺麗な教皇がものすごく怖くて、助けを求めて入った教会から逃げられなかったのだ。


中の仕事は怖くて泣いてしまうので、仕方なく鐘撞きの仕事に回された。

ここには、教皇様の崇拝者である幼い子供達が何人もいるので、交代制となっている。

あまり要領のよくないアーサーは、一日一回の鐘撞きしかさせて貰えないので、仕事はすぐに終わってしまう。



でも、幸いにも家はあるので、アーサーは満更でもない生活を送れていた。

こちらに来たばかりの日に道路脇で怖くて泣いていたら、もうすぐここから発つという老夫婦から家を譲られたのだ。



(今日は、せっかくだから果物でも買って帰ろうかな)


そう考えたのは、今日はアーサーがこの死者の国に来てから半年ちょうどの日だったからだ。

あの日は驚いたり悲しかったりと滅茶苦茶だったが、今は一人で買い物も出来る。

そう考えてうきうきして市場に向かうと、とんでもないものを見てしまった。



(い、生きてる女の子だ!)


そこには、健全な肌色の女の子が歩いていた。

はわはわしながらすぐさま物陰に入り、どうして自分は隠れてしまったのだろうと首を傾げる。


(そ、そうか!僕は死者だから、恥ずかしかったんだ)


多分そうなのだと力強く頷いてから、恐る恐る、その女の子を見た。


(うわぁぁ、生きてる女の子だ!可愛いなぁ…………)


生きてる女の子はいい。

肌も綺麗だし、暗い目をしてなくて、きっとぼそぼそ喋らないし、きっとどうやって死んだのかを当たり前のように話してきたりしない。

何よりも、死んでないから怖くないのだ。


「いいなぁ、可愛いなぁ。友達になれないかなぁ。……………怖っ!」


しかし、もじもじしながら見ていたら、その隣にとても恐ろしい生き物がいることに気付いてしまった。


(何あれ?!何あれ?!)


震え上がってさっと目線を逸らす。


灰色の髪の可愛い女の子の隣には、暗い靄のようなものが歩いていた。

黒いコートを着た背の高い影で、人間の影に見えるけれど黒い靄のようだ。


(ううん、違う………。黒く見えるけれど、白い靄だった。あまりにも暗く眩しくて、黒く見えるんだ)


ぞっとしてそちらを盗み見れば、一緒にいる相手が何なのか気付かないらしく、女の子は微笑んで何かを話しかけている。

怖くないのだろうかと考えて、もしかしたら気付いてないのかも知れないと、はっとする。


(だって、いかにも普通のお嬢さんじゃないか!きっと、良くない生き物に騙されてるんだ。………どうしよう、可哀想だけど怖いし……)


そこでアーサーははっとした。

ここ、死者の国には魔物や妖精はいない。

この国にいる人間でない生き物は、死者の王と墓犬と花売り、そして掃除婦だけだ。


(と言うことは、あのモヤモヤは新種!)


ぎゃっとなったアーサーは、物陰からもう一度そちらを覗いた。

もし怖いものならばここでしっかり観察しておいて、その知識を自分が遭遇したときに逃げる為に活かしたい。


(ウズマ様に教えてあげたら、叱らなくなるかな………)


そう考えてから、教皇様も女性なのだと思い直した。

怖いものがいるのなら、危ないことはしないように教えてあげるのが男性の務めだ。

あんなに長い爪は転んだら折れてしまいそうだし、姉達から、女性は恐ろしく見えても実際はか弱いのだと教えられている。


(と、時々魔獣みたいに見えるけど、腰だってあんなに細いし、き、きっと本当はか弱い女性なんだと思う!………多分!)


アーサーは弱いので守ってあげられないが、きっと護衛の人達に教えてあげれば、教皇様を守って下さるだろう。



しかし、そこまで考えてから、アーサーは悲しくなった。



そんなことを考えているくらいなら、あのモヤモヤと手を繋いでいる女の子を助けてあげるべきなのだ。


(だって、あの子はまだ生きてるのに。もしかしたら、生きてお家に帰れるかもしれないのに)



そう考えたら居ても立っても居られなくなって、こっそりへっぴり腰で追いかけると、二人の会話が聞こえてきた。

モヤモヤの声が、妙にいい響きの魅力的な男性の声であることに、少しだけ驚く。



「………味がないだろう?無理しないで捨てていいんだぞ?」

「むぐふ!でも、死者の皆さんにとっては素敵なご飯なのです。私は、竜は倒してもご飯は捨てない主義なのです」

「やれやれ、君は偉いな」


(ん?いい人?………そう?)


いたって和やかにお喋りをしているので、もしかしたら、あれはちょっと形の崩れてしまった死者なのかもしれない。

であれば、あんな姿だけれどいい人でも不思議はない。



「そう言えば、ネアは蜘蛛が苦手なんだよな」

「……………むぐ」

「屋敷の敷地内からは締め出してあるが、地上に戻っても出会わないこともないだろう?いっそ、慣らしたらどうなんだ?」


その提案に、灰色の髪の可愛い女の子は、とても暗い目でモヤモヤの顔の辺りを見上げた。


(うん。そりゃ嫌だよね、食事中に虫の話とか、それも嫌いな虫の話なんて泣いちゃうよね………)


アーサーも虫は苦手だ。

バッタでも怖いので、蜘蛛という単語だけでも震えそうになる。

それなのに、そんな話題を食事中の女の子にするなんて意地悪だ。


「…………慣らすまでの経緯を踏むくらいなら、この世から蜘蛛を滅ぼします」

「うーん、よく見れば知的な感じがしないか?」

「…………しません」

「親しみやすい個体と触れ合ってみるといいかも知れないな。……妖精あたりなら、蜘蛛の姿でも害のない…」



「お、女の子にそんなこと言ったら駄目です!!」



そう叫んでから、アーサーははっとした。

気付けば、その二人の後ろまで駆け寄っていて、ぶるぶるしながら立っている。

ぱっと振り返った二人の視線を向けられて、アーサーは頭が真っ白になった。



「え、ええと、………女の子は、虫が苦手なものです!ぼ、ぼぼ僕も、バッタが膝に乗って失神した事があるんです!だから、も、もう、そんな話しないであげて……………下さぃ…………ぴぇ」


靄の中から視線のようなものを強烈に感じてしまい、アーサーは震えが止まらなくなる。

しかし、その隣にいた女の子がぱっと顔を輝かせた。


「まぁ、優しい方なのですね!私も、バッタは少しだけ苦手なんです。一緒ですね」

「そ、そうなんだね!僕は、犬とかもちょっと怖い……」

「あらあら、犬さんは怖くないですよ?もふもふしているので、撫でると幸せな気持ちになります。でも、あまりお勧めしてしまうと、先程の私の気持ちになってしまいますね」

「こ、子犬は平気!だって僕、男だもの」

「ふふ、勇ましいのですね」


そう微笑みかけられて、アーサーは生きてたら真っ赤になるところだった。

しかし、幸いにも死んでいるので赤面症は克服している。



「…………ネア、もしかして、さっきの会話は嫌だったか?」

「………むぐ。少しだけ心がギシギシしました。想像するだけで、通り魔になりそうなくらい苦手なのです」

「うわ、そこまでだとは思わなかった。ごめんな」

「あ、あの生き物の話はもう禁止です!」


ぷんぷんしながら可愛いらしくそう言った女の子の頭を、影がよしよしと撫でている。

やっぱり悪い感じはしないので、もしかしたら怖いものではないのかもしれない。


(…………でも、)


アーサーは少しだけ心配になった。


(この子、元気そうにしてるけど、あんまり元気じゃなさそう?)


そう考えて目を瞠ると、ちらりとこちらを見た女の子が、少し驚いたみたいにしてから、秘密めいた瞳の表情だけで淡く微笑むのがわかった。


(………そっか、さっきの話は実はかなり嫌だったんだ。でも、相手の為にそこまで辛かったってことを見せないようにしてるんだ)


そんな健気な姿に、随分と会ってない妹のことを思い出して、アーサーは目の前の女の子の頭を撫でてあげたくなった。


(でも、僕はもう死んでるし………)



「あの、」


そう考えて少しだけしゅんとしていたら、女の子から声をかけられた。

出会ったばかりの二人の前で心ここに在らずになってしまっていたことに気付いて、アーサーは慌ててしゃんとする。


「は、はいいっ!」

「声をかけてくれて、有難うございました」

「う、ううん。………だって君は、生きてる女の子だから、大事にしないとね」

「俺も、良かれと思って話してたんだが、無神経だったんだな。少年、お陰でネアに嫌われずに済んだよ、有難う」


そう言って、モヤモヤの手がアーサーの頭の上にぽすんと乗った。

ぞぞっと身体中の毛が逆立ったが、アーサーは踏ん張って失礼のないように彼を見上げる。



(……………あ、)



その時、アーサーは頭を撫でてくれた相手が、びっくりするくらいに綺麗な男性に見えた。

白い炎のような目をしていて、白い髪の美しい男の人だ。



ぴゃっとなって地面に座り込んでしまったアーサーに、女の子が慌てて手を貸してくれる。


「だ、大丈夫ですか?!むぅ!怖がらせてはいけません!」

「はは、褒めたつもりだったんだが、刺激が強かったかな」



(ち、違うよ…………!)


そう笑ったモヤモヤに女の子は申し訳なさそうに手を貸してくれたが、アーサーは恨みがましい気持ちで涙目になる。

体が乾燥しているのか、生きている時ほどには泣かなくなったが、今でもアーサーは泣き虫だ。


そんなアーサーに勇ましいと言ってくれた女の子の前で、こんな風に腰を抜かしたくなんてなかった。

でも、むぐっと唇を噛んで頬を膨らませてしまいつつも、アーサーは首を振って立ち上がる。

その間、怖くてモヤモヤの方は見えなかった。


(だってさっき、………僕のことを怖がらせようとしたでしょ?)


アーサーは泣き虫だし鈍感だと叱られることも多いが、馬鹿ではない。

さっきの触れ合いは牽制だった。


そう確信出来る表情を見たので、鈍感なりに考えて何でもないふりをしたのだ。

アーサーは別に、このモヤモヤから女の子を奪おうとしてる訳ではない。


(そりゃ、僕だって怖くない可愛い女の子とお友達になれたら嬉しいけれど、べ、別に下心なんて…………!)



「大丈夫ですか?お尻が痛くはありませんか?」

「だ、大丈夫!僕、よく転ぶから!!」


女の子があまりにも優しく立たせてくれたので、アーサーは恥ずかしくなって、ぺこりと頭を下げると慌ててその場から駈け去った。



「ふふ、ゼノとは違う趣で可愛らしい方ですねぇ」

「そうか、あれは可愛いんだな………」



そんなやり取りを背後に聞きながら、アーサーは涙を堪えて家に駆け戻った。

しかし、買い物を忘れたことを思い出して、またすぐに市場に戻る羽目になる。


いろんな意味で感慨深い半年記念日になってしまったが、その日は無事にケーキも買って帰り、一人でお祝いをした。

お花がなかったので、買ってきた林檎と苺をテーブルの真ん中に並べてみた。

赤くて可愛いので、何だか嬉しくなる。



余談だが、後日墓犬を引き連れて歩いているその女の子を見た。

街の住人達もざわざわしてたが、それを見かけてしまったアーサーも震え上がる。


(も、もしかしてあの子…………)


そして今日は、あのモヤモヤではない相手と手を繋いでいるようだ。

またしても背が高い男性だが、今度はしっかり人間の姿をしてる。


「し、してるけど、…………人間なのかなぁ?」


じわっと涙目になって見ていたら、その男性が女の子のことを嬉しそうにご主人様と呼んでいた。


(や、やっぱりー!!!!)


実はあの後、アーサーは大事なことを思い出していた。

白い色を持つ人ではない生き物は、とても凄いのだ。

公爵や王様のようなものなのだと教えられていたことを思い出して、あのモヤモヤは凄い相手だったのだと、今更ながらにぞっとしてしまう。


そして、あの灰色の髪の女の子は、そんなモヤモヤを少しだけ叱ってたのだ。

あのモヤモヤよりも偉いとは限らないが、同列の感じがした。

そして今日は、墓犬を引き連れている。



「…………やっぱり、きっとそうだ。あの子がきっと、死者の王の仮の姿なんだ」



ぐっと拳を握り締め、アーサーはそう呟いて頷くと、決して不敬のないようにそそくさとその場から立ち去る。

いけないと思う時に限って失敗するので、立ち去るのが一番だと思ったのだ。




「ウズマ様、ほ、本当なんです!死者の王様が、女の子の姿で十三区に滞在しているんですよ!」



翌日、アーサーがしたのは、次の仕事の前に教皇様に謁見を申し出て、そのことをご報告することだった。

なぜならば、死者の王は、ウズマ様の大切な主人なのだと何度も聞かされてきたからだ。

大切な主人に会えたら、きっとウズマ様も嬉しいだろう。

女性はとても恐ろ………可憐なので、大事にしてあげないといけないのだ。


「まぁ、アーサー、不思議なことを言うのですね?彼の方が、少女の姿に擬態していると?」


キラキラ光る豪華な椅子からこちらを見下ろした教皇様の鋭い眼差しに、アーサーは震えが止まらなくなった。

ふっと赤い唇を歪めて微笑まれると、獅子に睨まれたようで怖くて泣きたくなる。


「ウ、ウズマ様の仰る通り、す、素晴らしい方でした!!僕がみっともなく転んだら、助けて下さって…………。そ、その、ウズマ様の教えの通りの方でした!」


「まぁ、」


そう呟く声が鋭くなり、ぎしりと椅子が軋む。


コツコツと靴の音がして、教皇様がこちらに歩いてくるのがわかったアーサーは、失神しそうになる。

胸を押さえたまま半泣きでほとんど意識がなくなりかけていると、すぐ目の前で低い声が聞こえる。


慌てて跪いて頭を下げたアーサーは、教皇様の素晴らしい靴の装飾を見て必死に意識を保っていた。


「彼の方がお前に触れたと?嘘を吐いたりはしていませんか?私はこれでも、魔術には長けております。お前に触れれば、特別な方の気配を見ることが出来るのですよ?」

「う、嘘は吐きません!本当にいらっしゃったんです!!」

「…………本当であれば良いのですけれどね」



ひんやりとした手が額に触れるのがわかった。

小さく息を飲む音に、衣擦れの音。



「…………なんてこと」


そう呟いた声には、驚愕の響きがある。

わかってくれたことにほっとして、アーサーは安堵の息を吐いた。



「確かに、お前は彼の方に触れたのですね」


その教皇様の声に、聖堂はざわめきに包まれた。


「良かったです、わかっていただけて。ウズマ様の大切な方だと伺っていましたので、お知らせしなきゃと思って!今ならまだお会い…」

「となれば、彼の方が触れたお前は聖遺物と同等。すぐにこのみすぼらしい服を着替えますよ」

「え?」



その後、アーサーはよく分からないままに揉みくちゃにされ、死者の王の福音を受けた死者として祀り上げられた。


その後お忍びで街に出た教皇様も、あの死者の王のお忍びの姿には遭遇したらしい。

うっとりして戻ってくると、教会の者達には決して彼女の怒りを買ってはならないと通達が出される。



よく分からないままに祀り上げられてしまったアーサーは、鐘撞きの仕事を失った。


でも、ミサの間に座っているだけでみんなが大事にしてくれるようになり、教皇様からも優しくして貰えるようになったので、なんだか毎日が幸せだ。

この前は、教皇様があまりにも死者の王への信仰を語るので、返事に困ってウズマ様は目がきらきらして可愛いですねと返したら、どうしてだかものすごく動揺していた。

その日からお菓子をくれるようになったので、嬉しくなった。

でもなぜか、アーサーが他の女の子とお喋りすると怒るのだ。

そういう時は、仲間はずれが寂しいのかなと思って、ごめんねと謝ってから頭を撫でるようにしている。




やがてお忍びの視察が終わってしまったのか、あの女の子の姿は見なくなった。

アーサーは、半年記念日の贈り物だったのだと思って、良い思い出だと考えている。

きっと、女の子との出会いに恵まれない一生だったアーサーの為に、死者の王は可愛らしい女の子の姿になって幸運を届けに現れてくれたのかも知れない。











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