16. うちの魔物が怪我をしました(本編)
北の都とも言われるウィームを離れ、ネア達が訪れたのは東の王都、学徒と書架の街とされるアルビクロムだ。
白を基調にし、様々な色彩を好む華やかで優美な北のウィームの建築に比べると、東の建築は黒檀色の石で威圧感のある窓の少ない建築を好む。
ゴシック建築を彷彿とさせるガーゴイルに、街中に塔が多いのが特徴だった。
窓が少ないのは書架の街としての特性らしい。
太陽の光を好まない、雨と霧の街では、人々の服装も暗い色のものが多い。
「じっとりとした街ですね。この手の雰囲気が好きな方には、堪らない雰囲気かもしれません」
「こういう街は好きかい?」
「色相がより暗いのですが、私の祖国に少し似ているでしょうか。ホラーハウスはあまり得意ではありませんでしたが、切り裂き魔が出そうで少し興味深いですね」
「……お前は、一体どんな文化圏で育ったんだ」
本日の服装は、人間達は皆アルビクロムの正装である漆黒のケープ姿だ。
学聖に敬意を払い、この街の人間は黒いケープを纏う。
フード付きのケープは、身分に応じ裏地の模様を変える。
学び舎では皆平等という声に合わせ、一見しても格差がわからないようになっていた。
石畳の道を歩き易いようにと、底のしっかりとしたブーツも好まれている。
「いつもとは違う服装で、スカート丈が短いのでそわそわしますね」
「……………ネアは可愛い」
「ディノは、服装をこちら風にしないんですね」
「私達は魔物であることを隠さないからね。少し擬態するけど、そうでないと君も無用心だし」
ネアとペアで動くディノは、魔物らしい装いのままで、髪色をネアと同じ青灰色にしている。
老舗のテーラーで誂えたようなコートは上質で上品だが、華やかな装いにはどこか鋭さが滲む。
静かに立っていても得体が知れない、背中を向けるのがいやに恐ろしいような、そんな魔物独特の気配だった。
「さて、行こうか」
そう言われて差し出された腕を取った。
ここからは別行動なので、また後でと視線を交わすと、エーダリア達に背中を向ける。
事前に必要な情報は共有しており、ネア達は劇場などの立ち並ぶ区画へ向かい、エーダリア達は商館の立ち並ぶ街の公的な建物などが多い区画に向かう。
「ディノは、アルビクロムの劇場には行ったことがありますか?」
「ここは独特だよ。物語や音楽ではなくて、学術や数式を分かりやすく浸透させる為に、劇場を建てたんだ。更には、人間の欲求に紐付くような演目を好む特別区画もある」
「前述のものを舞台でとなると、何やら難しそうな演目ですね」
「通りの反対を見てご覧、この街は煙草屋も多いだろう?」
「まぁ。書物と煙草は相性が悪そうなのに、お店を並べてしまうのですね……………」
「そういうところが、人間の面白いところかな」
二人が歩いているのは、街の中央を通る大通り沿いだ。
馬車が多く行き交い、騎兵の姿もちらほら見える。
労働者階級でも自由に暮らせる反面、この街の治安は他の都市程に安定はしていない。
「あの黒い大きな塔は何ですか?」
「あれは武器庫だよ。ここは国境域でもあるから、ああいうものが幾つかある」
雪を沿わせる高い山と、深い森、更には深淵の湖に囲まれた北の王都は、自然の要塞に守られている。
魔術に長けた人間も多いので、防衛は目に見える形で特化していない。
そのせいか、自然の要塞に守られたウィームより、ネアがこちらで初めて目にする、分かりやすい戦の気配がたくさんあった。
「……………この国は、近く、戦争になるようなことはないのでしょうか?」
「双方の武力と国力が拮抗しているから、百年くらいはないと思うよ。それが天秤になるからこそ、このような兵力の誇示も必要なのだろうね」
しかし、そんな軍備の気配の窺える通りを超え、言語学と民俗学の図書専門店の角を曲がると、通りの気配は一転した。
石畳は黒煉瓦から赤煉瓦に代わり、華やかな看板を出した店が多く並んでいる。
通りの反対側にある博物館と、その周囲を取り囲む大きな公園を辿るように、数多くの飲食店や商店がひしめき合っていた。
「パイのお店、ケーキのお店、飴の専門店まであります。ゼノが喜びそうなお店が多くなりましたね」
「アルビクロムはあまり食べ物が美味しくないそうだから、ゼノーシュは喜ばないのではないかな?」
「まぁ。……………美味しくないのですか?」
「調理法が雑で大味らしいよ。私達、魔物もあまり好まない」
名残惜しげにパイの店を眺めつつ、ネアは神妙に頷いた。
こちらの世界にも食べ物が美味しくない土地があるのなら、食文化が豊かな都市に回収された事は幸いであった。
「ここで分岐なのですが、まずは、王立図書館に行きますか?それとも、ノーレム聖堂の墓地に行きますか?」
ネアのチームに依頼されたのは、王立図書館に住む妖精の事情聴取と、墓地に住むとある魔物の聴取。
そのどちらも、ある程度高位の魔物が同行しないと難しいものだ。
ゼノーシュも公爵位の魔物なのだが、相手が荒ぶった場合に対処出来るとなるとディノになる。
愛くるしいクッキーモンスターは、その外見に相応しく、戦う事よりも探索の得意な魔物であった。
「墓地を先にしようか。あの辺りは繁華街だから、あまり遅い時間に、ネアをあの界隈に連れて行きたくないな」
成る程。その手の界隈であるらしい。
「仮にも大聖堂の周りを繁華街にしてしまうのも、何だか凄いですね」
「裏手の墓地が異様に広いし、その周囲に屋敷を建てる者が少なかったんだろう」
こちらの墓地は、木々が繁り花に溢れて長閑なものだ。
しかしながら、時折死者が脱走するらしく、頑丈な魔術仕掛けの鉄門で囲まれているらしい。
埋葬の丁寧さによっても脱走具合が変わるのだが、このアルビクロムの墓地の外壁は、国内で最も高いのだそうだ。
その理由を考えて遠い目になっていると、華やかな店構えの区画に入った。
店先に立っている女達の様子にどのような場所なのかを知り、ネアは、こちらの世界にも歓楽街があるのだなと目を丸くしてしまう。
(……………おまけに、綺麗な女性の方がこんなにもいるのだわ)
噂話の伝達が早いらしく、店々の戸口から、華やかできりりとした化粧姿の女性達が、呆然とした顔でこちらを見ているのは、髪色を変えても、ディノの艶麗さが変わらないからだろう。
歓声を上げて見守るには、ディノの造作はいささか温度が低く、こうして大人しく歩いていると、畏怖に打たれる種の美貌となってしまう。
エーダリアに言わせると、それこそが人外者と人間の美貌の違いなのだそうだ。
(でも、ここにる魔物は自分ではリボン結びも出来ない魔物なので、なぜか大変に心苦しい……)
あまりにも女性達が呆然と見送ってくれるので、ネアは少しだけいたたまれなくなった。
どこか落ち着かないまま歩いていると、ディノが足を止める。
「あそこが墓地の入り口だね。許可書を出しておくといい」
そう言われて、左側のポケットから引っ張り出したのは、エーダリアに渡された許可書だ。
二つ折りにされた上質紙には、王家の押印と許可書を発行した塔の絵柄に、塔の魔法使いの署名がある。
墓地と言うのは大変に魔術的な敷地であるらしく、こうして許可証が必要となるくらいに、部外者の立ち入りは厳しく制限されているのだ。
「ここにいる魔物さんは、どんな魔物ですか?」
「黒煙の魔物だよ。火葬場や墓地に住む魔物の一種で、ここの個体は、月の魔物に執着が深い。月の気配のものを探し出すように、月指す羅針盤を作ったくらい」
「………ストーカー」
「すとーかー?」
「相手の同意なく、脅かすようなつけ回しや、収集をする不届き者です」
ネアの説明にディノが首を傾げたが、こちらの魔物もどちらかと言えば後を付いてくる方だ。
ネアは契約相手なので構わないが、どうか見知らぬ人にはついていきませんようにと、こっそり祈っておく。
(……………立派な建物だわ)
近付いた墓地の入り口は、まるで美術館の受け付けのようなだった。
魔術汚染が発生しても活動が制限されないよう、監視員は屋根付きの小さな小屋に常駐しており、物々しい雰囲気なのは、この墓地に魔物が住んでいるからだと言う。
ネアはその窓口の前に立ち、何か御用ですかと声をかけてくれた監視員に持っていた許可証を提示した。
「はい、ガレンからも連絡をいただいております。歌乞いのネア様と、御同行の薬の魔物様ですね」
「有難うございます。黒煙の魔物さんはいらっしゃいますか?」
「墓地の中央にある、月の女神の像に住み着いていますから」
「………やはり、ストーカーの類では……………」
ざざんと、広大な敷地を風が吹き抜ける。
墓地は整然としており、かなり広かった。
小高い丘を内包した土地で、その真ん中には確かに白い彫像が見える。
そちらの台座の影にはなにやら黒いものが見えるので、それが黒煙の魔物だろうか。
「ネアは、私から離れないように」
「わかりました。黒煙の魔物さんは、強いんですか?」
「よく分からないから」
「さては、知らない階位ですね?」
「……………うん」
墓地を。また新しい風が吹き抜けてゆく。
美しく感傷的なウィームの墓地と違い、ここの景色は規則的で管理されているように見えた。
「あ、こちらに気付きましたよ」
ふいに、風に煙の香りが混ざった。
丘の上でざあっと煙が広がり、小さな竜巻のように渦を巻く。
人型の姿は見えず、濃密な黒煙が蠢くばかり。
「……あ、少しまずいかな」
「え………?」
突然、ディノが不穏な事を言い出した。
ぎくりとしたネアが視線を戻すよりも早く、軋むような低い声が耳元で聞こえた。
「お前もダイアナ様目当てか!」
「………っ!」
体を竦ませたネアは、けれども、ディノの腕の中にすぐさま抱き込まれる。
ふわりと魔物特有の甘い香りに包まれ、周囲の世界から断絶されたその直後、ぶわんと強い風が吹き荒れた。
「………ディノ?」
ややあって、恐る恐る声を上げると、優しく頭を撫でられた。
「ごめんね、ネア。怖かったよね。今回は私の調整が甘かった」
すっぽり包まれた腕から顔を出せば、しょんぼりとした顔のディノがいる。
その周囲のどこにも、黒煙の気配はなかった。
「黒煙の魔物さんは…」
「腕を落としたら逃げられた」
「腕………を、落としてしまったのですね」
「君に何かあるといけないから、ここから追い出すことを優先させたんだ、壊すとネアは嫌がるしね」
つい地面を探してしまったが、腕らしきものは落ちていなかった。
なんの変哲もない緑の芝生があるだけだ。
「あの魔物さんは、どうして喧嘩腰だったのですか?」
「私を、……………敵だと思ったみたいだね。恋敵だと思い込んで魔物には異常反応すると聞いたから、魔物としての質を封じてはきたんだけど、そもそも同性が嫌なのかもしれない」
「………やっぱり、少しばかり普通ではない方なのですね」
エーダリア達がこちらの調査を外れたのは、この黒煙の魔物を刺激しない調整が難しいからだと聞いていいたのだが、このような理由だったようだ。
ネア達なら男女一組なので良いだろうと思ったのかもしれないが、逃げ出した魔物はそのような事は考慮しないらしい。
「やれやれ、これなら、最初から有無を言わせず捕獲してしまえば良かったな」
魔術をあまり含ませると、墓地は荒れやすくなるという理由から禁止された作戦だったが、そちらの方が有用だった可能性が高いそうだ。
全ての男性が恋敵に見えるとは、かなり重症なのだろう。
「………ディノ?」
ここでふと、違和感を覚えた。
ディノの左手首に、鮮やかな真紅が閃いたのだ。
はっとして見つめた先にじわりと滲んだ色彩に、ネアは、瞳を大きく見開いた。