死者の市場とスポンジまんじゅう
死者の国での、ネアのタイムスケジュールが固まり始めた。
八日目以降からは、ウィリアムを加えての規則正しい生活が整い始めたのだ。
死者の国は昼と夜が逆になっている。
地上の時間で言うところの十七時から朝が始まり、太陽光が嫌いな死者は、翌朝五時から六時にはほとんどが眠りにつく。
五時から十六時くらいまでの長い時間を睡眠に充てるのは、死者独自の生態によるものだ。
その中、まだこちらの時間に完全に順応していないネアは、少しだけ生者仕様の時間割になっていた。
二食しか食べない死者達とは違い、三食編成のネアは通常の配分では難しかったということもある。
ネアは、朝の六時頃を朝食の時間にしていた。
かなりの軽食にして、八時くらいを目安に寝室に入る。
とは言えここから、魔物とカードでのメッセージラリーが始まってしまうので、実際に就寝するのは十時くらいだ。
すっかり明るくなって、死者達の気配が完全に消えると安心するというのもあるのだろう。
そこから何だか浅い眠りでの寝たり起きたりを繰り返して十三時頃になると、くたくたになったお父さんが帰宅して、もそもそと隣で眠りにつく。
ここ数日でネアは、疲れている時のウィリアムは、穏やかな微笑みの下で沸点が低くなることを知った。
ネアは十五時くらいで起きてしまうのだが、ウィリアムはそこから更に二時間程眠るので、ネアとウィリアムが隣り合って眠るのは二時間くらいだ。
一度だけ、境界線を越えて押し潰されたことがあり、熟睡しているウィリアムをどかすのに苦労した。
十七時頃にウィリアムが起きると、一緒に遅いお昼なのか早い夕飯なのかの謎の時間枠の食事を採り、買い物に付き合って貰ったり、死者の国を見て回ったりした。
環境的勝者になったことで心を広くしたネアは、一度だけジュリアンとリーベルの家に食材を届けておいた。
壁の崩れたお家が可哀想なので虫よけの小枝の束も添えてやれば、ウィリアムからはお人好し過ぎると叱られてしまう。
出掛けない日にはウィリアムと話をしたり、応接間の長椅子でぐったり眠っていたり、手帳片手に鳥籠の展開予定を組んでいるウィリアムを遠くに見ながら料理をしたり、遊びに来たグエンとお喋りをしたりした。
(グエンさんも、すっかり慣れた気がする……)
出会ってまだ四日ではあるが、グエンは今やウィリアムと普通に会話が出来るまでになった。
その日はネアもウィリアムが来てくれたばかりでバタバタしており、ウィリアム自身も、地下室の結界を破った問題で忙しなくしていたところ、ケープを忘れたということで早めに来訪したグエンと玄関で鉢合わせしてしまったのだ。
死者の国でも魔物のままでいられる唯一の魔物がウィリアムなのだが、外に出るときは無用の混乱を避けて人間に擬態していることが多いらしい。
しかしその時は、家にいたこともあり、すっかり擬態を解いていた。
グエンは声を上げて飛び退るだけで済んだが、知人宅を訪れたところで白い髪の魔物が出てきたらさぞかし恐ろしかっただろう。
特等の魔術師であったからこそ、ウィリアムの階位を推し量るだけの目があったので尚更だ。
『俺が死者の王だとわかって畏れる者も多いが、信仰の対象にされたり、生き返らせて欲しいと懇願されるのが煩わしくてな』
一通りの紹介が済んでから、外では擬態している理由をウィリアムがそう話せば、グエンは神妙な顔をして頷いていた。
『十三区の教会がまさにそれだ。あいつ等はおっかないぞ』
グエンが言うその教会には、カルウィの先代女教皇がいるらしい。
水竜の加護を受け生まれた魔術特等の人間で、死者になった今も人知を超えた者を信仰の対象にすることに生き甲斐を見出している。
死者の国に定期的にあるという大規模な古参死者の入れ替え行事の際に、本来の姿でいるウィリアムを見て以来、心酔してしまったようだ。
あの教会を先代の死者より引き継いだ後、すぐさま信仰の対象を死者の王に変えて今に至るのだとか。
『カルウィの教皇は表舞台には出てこないが、代々女性が教皇になり、月に一度水竜に人間の生贄を捧げる役目を持つ。そんな訳で、人間にしては残忍な気質の者が多いんだ。魔術可動域的には特等にあたり、あの国の王族と並んで権力を持つ人間だな』
そう教えてくれたウィリアムに、ネアはぞぞっと背筋を寒くした。
高い魔術可動域が故に絶世の美女であることが多く、人間を生贄にすることに疑念を抱かないように教育されるため、信仰の主以外の人間に対しては、言わずもがな。
だが、信徒を増やす為の意識操作にも長けており、そんな女教皇にふらふらと惹き込まれてしまう人間も多いと聞いたが、ネアは会わなくて良かったと心から安堵する。
『だが、彼女の気質だと、君みたいな男性は誘われるだろう?』
『うへぇ。やめてくれ。こっちに来たばっかりの時に生前の仕事を聞かれたから、飲んだくれてて最終的には教会兵に殺されたって話してやったら、それ以降音沙汰がない。出来れば、このまま二度と会いたくないね』
(む。だから、あまり私を連れて外出したがらなかったんだわ)
グエンはその女教皇については話さなかったので、その界隈を避けていた理由がやっとわかった。
生者のアテンドをしているところなどを見られたら、まず間違いなく再び目をつけられてしまうだろう。
そういう事情もわかってきたので、ネアの外出のお供は今後ウィリアムが引き受けてくれることになった。
(そうか。………だから、最初に買い物に一緒に来て欲しいと言った時には嫌そうだったし、行ってくれた時には一週間分もまとめ買いしたんだわ)
今のところは大丈夫だったとしても、いつどこでネアと一緒のところを教会の人間に見咎められるかわからない。
そういう危険もあったのだと知り、ネアはあらためてグエンに感謝した。
その危険があるから目立つ場所で一緒に居たくないのだと言わずにいたのは、いざという時にネアが助けを呼ぶのを躊躇わないように采配した、彼の優しさだと思うのだ。
そんなグエンが、熱心にウィリアムに聞いていたことがある。
三十年程前にあった、商船の難破事故の被害者たちの話だ。
『ああ、覚えてる。ヴェルクレアの場合は、ヴェルリアの公爵も一人乗ってたから、王都でも大きな騒ぎになっていた。あの時は確か、商船に乗っていたロクマリアの王子が雲の魔物の怒りを買ったんだ。海の魔物は宥めようとしたそうだが、海の精霊がな………その、雲の魔物に恋をしていたとかで、そちらについてしまったらしい』
『……………そうだったのか。俺達ガレンの魔術師には、海の精霊が荒れたとしか話が下りて来なかった。あの船は特殊な航海魔術で運行していてな。その術式に貢献したガレンの同僚の一人が、処女航海で同僚の妻子達を特別に乗せてやるってご機嫌で引き連れて行ったきり、港には戻らなかった』
大型商船に出資したのは、ロクマリアの王族に、ヴェルリアの公爵、そして航路での中継基地となる数か国の貴族達だったそうだ。
航路上の大国がまだ平和だった時代、そんな海の黄金期の大型造船の一つであったらしい。
そういう背景のある船だったが故に、王族や貴族達の人気取りも兼ねて、関係各国の子供達も招待してのお披露目航行だったのだそうだ。
『海での死者は、海の精霊に魂を食われちまうって話があるだろ?俺だって魔術師だ。死者を取り戻そうなんざ大それたことは考えないが、無事に死者の国に行けたかどうかだけが気掛かりでなぁ……』
そう言って遠い目で微笑んだグエンに、ウィリアムが短く一度頷く。
『大丈夫だ。あの時の死者は、雲の魔物と諍いを起こしたロクマリアの王族と、海の精霊に気に入られて連れ去られたロクマリアの騎士以外は、全員が死者の国に迎え入れた。そう言えば、ヴェルクレアの人間は全員この十三区に収容されたんじゃなかったかな』
『…………ここか!』
『確かに、母親と子供達の組み合わせが多かった。すまないな、君のご家族までは覚えていないが、赤い髪のご老人が、張り切って誘導してたのをよく覚えてる。ロクマリアの方の死者達は随分と動揺していたが、こっちの死者達はよく助け合っているし、大丈夫そうだなと安心したんだ』
『リット爺さんだ。…………あの頃は、処女航海に誘ってくれたことを随分と恨んだりもしたが、そうか、死者の国で面倒を見てくれてたんだったら、文句は言えねぇわな。そう言えば、あの爺さんは面倒見が良くて有名だった…………』
そう笑ったグエンは本当に嬉しそうだった。
人間は、得てして良い報せをくれた相手に好意を抱き易い傾向がある。
その時の会話が警戒心をなくしたのか、その後もエーダリア達とのお喋りに立ち寄るグエンは、ウィリアムとも会話を弾ませている。
憂いが晴れ、人生の最後にいい時間を持てたなぁと何度も言っているので、ネアは、ウィリアムがもたらしたのが良いニュースであることに感謝した。
なぜならば、この魔物はとても思慮深いところもあるが、思いがけないところで空気を読まないからだ。
『そう言えば前にも死者の行方を尋ねられたことがあって、四区の火の森に落ちたって教えてたら泣きだした女性がいたな………』
その日、グエンが帰った後にそんなことをウィリアムが話していたので、ネアは、グエンのご家族がこの十三区で安全に暮らせたという事実に心から感謝している。
その質問をした女性が探していたのは、若くして亡くした我が子だったのだそうだ。
ウィリアムは困ったなぁという風に笑い話にしているが、そんな事実を知ってしまったその女性は惨憺たる思いだっただろう。
魔物らしい酷薄さであるので、安易に死者の王に死者の行方を尋ねない方がいい気がした。
そして十二日目の夜、ネアは三度目の買い物に行けることになった。
「今日は、買い物に行きたいんだよな」
「はい。小さなスプーンと、お野菜が欲しいです。後は、少し欲しい食べものがありまして、この前グエンさんと歩いた時に似たようなものを見かけたので、売っていたら欲しいです」
「野菜も味が薄いだろう。上から持って来ようか?」
「いえ。味付けでどうにかなるものは、こちらのもので賄おうと思います。自分で加工出来ない食品は、嗜好品としてお願いしてしまいますが、それもお時間がある時だけで大丈夫ですよ」
「ネア、遠慮しなくていいからな。食べたいものくらいは、幾らでも言っていいんだぞ?」
「ふふ、ウィリアムさんはやっぱりお父さんですねぇ」
「うーん、お父さんなんだな…………」
疲れ果てて長椅子で眠っている姿を見ると、あまり我儘は言えなかった。
ネアの性格とウィリアムの気質の兼ね合いもあるのだろうが、悩み事などのしっかりした相談をお願いするのにはとても向いた相手だが、しょうもないことで我が儘を言ったり、つまらないことを頼んだりするには気がひけてしまう。
しかし、生活となるとそういう部分が多いのも確かで、ネアが幾つかの要求を押し篭めているのは秘密だ。
(例えば、洗濯室にある謎の戸棚に何が入っているのか知りたいとか……)
こちらの世界の巻き戻しの法則上、あまり使われることがないのが洗濯室だ。
そもそも魔術可動域の低いネアには洗濯機を回せないので、使わずに済んでほっとしている。
そして、そんな洗濯室の一角に、妙に高い位置に設置された作り付けの棚がある。
何が入っているのか知りたいような気もするのだが、地下室に次いで洗濯室も怖くなったら事なので、ネアはあえて自分では調べないようにした。
だからもし、ここにいる魔物がディノやノアであったなら、その棚の中を調べて不穏なものであれば廃棄して貰い、ネアにはその詳細を教えないで欲しいとお願い出来たのだ。
因みに、アルテアだとわざと怖いものだったと教えられて苛められそうなので、そちらも却下である。
ウィリアムがこちらに滞在出来るのは、長くても七時間程度。
それ以外の時間を、がらんとした家に一人で過ごす時間をやり過ごす為に本が欲しいとか、小さな花を一輪でも机に飾れれば明るい気持ちになるのにだとか、考えては浮かび上がる欲求を沈める度に、ネアは、人間はなんて欲深い生き物なのだろうかと思う。
自分は恵まれているのだ。
それ以上を望んだら我が儘というものである。
(でも、今日はお買い物に行けるから、通りすがりで欲しいものがあれば買えるんだわ!)
初回の市場探索は、グエンとの駆け足ショッピングで、二回目の買い物は、ネアが怪我をしたてだったこともあり、少しぴりぴりムードのウィリアムとの必要なものを買い揃えようという生真面目な会だった。
その次の回は、街の道案内教室にされてしまったので、必要最低限より少し緩い部分での買い物が出来るのは今日が初めてだ。
密かにウキウキしていると、微笑んだウィリアムが手を繋いでくれる。
「ネアが攫われないようにな」
「こちらで、ウィリアムさんの隣から私を攫えるような強者がいるでしょうか………」
とは言え有難く手を繋いで貰ったまま、まずは街の中心地にある市場を訪れる。
市場があるのは街の中心地で、まるで港のような煉瓦造りの人工的な区画に、所狭しと簡易店舗が並んでいる。
籠や麻袋、木箱などに詰められた商品を見ていると、ここだけ唐突に港町の様相であった。
「いつ見ても不思議な感じですね」
「ここは、国だった頃のヴェルリアの市場を切り貼りしてるんだ。品揃えが多くて豊かだったからな」
「ふむ。だからお魚があったり、珍しい香辛料もあるんですね」
残念ながら、ネアには死者の国の食べ物の味がほとんど感じられないので、きちんと地上にあるヴェルリアの市場にいつか行ってみよう。
お料理してみたいような生鮮食品も、味があまりしないとなると尻込みしてしまうものも多い。
特に魚などは、味があまりしないと食感に神経が向いてしまうので、好ましくない食材であった。
「ジャガイモとズッキーニに玉葱。葉物野菜を買います」
「ネアはキノコが好きだったんじゃないのか?」
「味と香りのないキノコは、謎のゴム食感なのです………」
同じ理由で香味野菜も避け、パンも無難な白パンにした。こちらは味がなくても、ウィリアムがチーズやバター、ハムを買って来てくれるので素敵なサンドウィッチになる。
人影がほとんどないことと、夜であることを考えなければこの街の市場は賑やかだ。
たくさんの市が並び、色とりどりのテントの下には見事な果物や野菜が並んでいる。
しかし、そんな目にも楽しい市場が無人となると、あるべきものが感じられないという強烈な違和感から、寂しさよりも恐怖を感じてしまうのが不思議だ。
多分、一人だったらネアは怖くてこの市場には足を踏み入れられないだろう。
本当だったら欲しい林檎や檸檬の篭の横を擦り抜け、ネアはお目当ての雑貨屋さんの看板を通りの向こうに発見する。
市場の並びの商店には店主がいるようで、明かりがついており、窓越しにゆらゆらと死者達の影が見えた。
(お茶にお砂糖も入れたいけれど、それは我慢。でも、牛乳好きのウィリアムさんに牛乳を持ってきて貰えたから、今夜はミルクティーが飲める!)
であれば、小さめのスプーンが欲しい。
そう思ってそちらに向かいながら、ネアはその途中で、グエンと来た時に見付けたお惣菜屋さんを発見した。
「ウィリアムさん、あのお店です!あのお店にある、白っぽい蒸しパンが食べたかったんです!!」
実は、明日からウィームでは、ネアの楽しみにしていたお祭りがある。
とある商店主が始めたという、フードフェスティバルの要素が強いお祭りだが、領民達はそこに、強引に春の中間を労うという謎の理由を結びつけた。
よってその日、ウィームでは、各広場でほこほこに蒸し上げたおまんじゅうを売る屋台が沢山並ぶのだ。
有名店でもその日限りのおまんじゅうを売るので、ネアはとても楽しみにしていた。
どの店や、どの広場でどんなおまんじゅうが売られるのかを教えてくれるパンフレットも配布されており、ネアはそれを一冊貰ってきて熱心に読み込んでいた。
(おまんじゅう祭り、楽しみにしてたのに………)
変わりまんじゅうもたくさんあったので、その場で食べる用や、持ち帰ってお土産にする用など、綿密な作戦を練っていたネアは、悔しさもひとしおだ。
その悔しさが今朝ほどから再熱しており、グエンとの買い物の際に見かけた蒸しパンを食べたくて仕方ない気分なのである。
味はまるで違うだろうが、食感的には同じようなものだと思うので、代替品で心を慰めるつもりだったのだ。
「ああ、ヴェルリアの蒸しパンだな。中に海鮮のトマト煮込みが入ってるんだ」
「まぁ、美味しそうです!」
おまんじゅう祭りの口惜しさを払拭するべく、ネアはその蒸しパンを買って紙に包んで貰った。
「ウィリアムさんも食べますか?」
「うーん、俺は死者の国の食べ物はいいかな」
爽やかな笑顔でそう言われると少しだけ気分がくさくさしたが、ネアは気を取り直して生者のお客に慄いている店主にお金を支払い、蒸しパンにかぶりついた。
こういうものは、ほこほこで食べてこそだと思うので、淑女のお行儀をぽいっとかなぐり捨て、立ち食いに挑んだのである。
「…………むぐふ」
それは、ネアが食べ慣れた蒸しパンとは違い、味のない高密度のスポンジを食んでいるようであった。
もすもすとスポンジを噛み切ると、中にはとろりとした餡風のトマト煮込みが入っている。
困ったことに、具材は烏賊とキノコであるようだ。
(スポンジまんじゅうに、ゴム…………)
余計に悲しくなっただけのネアは、しかし、食べ物を粗末にするつもりはないので、根性でそのスポンジまんじゅうを食べきった。
食べ進めれば進める程に、顔がどんどん強張ってゆくらしく、ウィリアムからはもう諦めて捨ててはどうだろうと提案されたが、死者達には美味しいものであるし、きちんと手をかけて作られた食べ物なので、有害でもない限りは完食する主義である。
たいへんに心を損なったネアは、ティースプーンを買うのも忘れてよろよろと帰路についた。
“今日は軽率な気持ちで、ほかほか蒸しパンを買って食べてしまいました。私にはまだ、死者の国のお料理は難易度が高過ぎたようです………”
ウィリアムが帰った後、カードからディノにそう愚痴れば魔物はしきりに哀れんでくれた。
とは言え、だからといって食べたいものをあれこれ聞くのは心がささくれ立つのでやめて欲しい。
「…………さて、お風呂に入って、……」
万が一のことを考えて体力を損なわないよう、深夜零時にも一食摂るようにしている。
一度だけウィリアムが深夜から明け方にかけて来たこともあったが、死者の王は夜の方が忙しいらしく、だいたい二十時くらいには地上に戻ってゆく。
そこから就寝する朝十時までは、一人ぼっちだ。
あまりにも寂しくなると墓犬を撫で回してしまうが、ネアはこの時間を出来る限り自分で使いこなせるようにしようと考えていた。
既に地下室の問題など他の怖さを抱えているので、寂しい程度の余計なことで思い悩んでいる余裕などない。
そもそも、ネアはかつて、随分と長く一人で暮らしていたではないか。
あの頃は、仕事や買い物など以外で一ヶ月以上喋らないこともざらにあったのに。
“…………ネア?”
返信が止まってしまったからか、魔物が不安そうに呼びかけて来る。
小さく唇を綻ばせて目元を拭うと、ネアは大事な魔物の文字に触れた。
死者の門が開くまでの一ヶ月、こちらでの生活も、もうすぐ折り返し地点だ。