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132. 死者の国で追いかけられます(本編)



日が暮れて外が真っ暗になると、ネアはまた少し怖くなってきた。

昨晩見た花売りのことを思い出してしまう夜の暗さには、もう大丈夫だと思っていても、鳥肌が立ってしまうのだ。

こちらの暗闇には、妖精も精霊もいないのでただひたすらに暗い。

一度そう考えてしまうとぞわりとするので、ネアはカーテンを開けるのは諦めて、グエンが扉をノックしてくれるのを待った。




待ち始めてから一時間くらいしてから、こつこつと扉が鳴った。

扉に張り付いて待っていたネアは、飛び上がってから一瞬躊躇ってしまう。

ホラー映画の定番では、張り切って開けると怪物がいたりするのだ。


「ガウ!」

「墓犬さん!」


しかし、そんなネアの躊躇いを吹き飛ばしてくれたのは、声がけしてくれた墓犬であった。

ほっとして扉を開ければ、草臥れた緑のツイードスーツに焦げ茶色の編み上げのブーツ、その上から黒いフードケープという昨日とは違う服装ではあるが、やはり少しだらしない風の仕上げになるグエンに、真っ黒な牧羊犬めいた墓犬が並んで立っている。


「………お嬢ちゃん、まさか扉の前で待ってたのか?」

「目安のお時間がわからなかったのです。ノックを聞き逃してしまって帰られてしまったら、一人でお買い物に行かないといけませんから」

「………………少し鷹揚に構えておけ。死者ってものはな、時間の感覚が曖昧になってくるんだ。最悪、忘れることもある」

「………ふぁい」

「落ち込みすぎだろ!」


何はともあれ、ここからが時給発生となるので、ネアは大急ぎでグエンを家の中に引っ張り込もうとした。


「グエンさん!ちょっとだけ、お話させて下さい」

「嫌だよ。面倒臭ぇな」

「エーダリア様をご存知ですか?」


顔を顰めた何でも屋が逃げて行こうとしたので、ネアは慌ててその名前を出した。

その途端、びっくりしてしまうくらいに顕著な反応が現れる。


「…………あいつを知ってるのか?」

「今の私の上司で大家さんですし、元婚約者でもあります」

「…………あんた、もしかしてウィームの歌乞いか?!」

「私のことをご存知だったんですか?!」

「森に落ちてた、顔もぱっとしない上に何を考えてるのかわからなくて、特等の魔物を連れて来た歌乞いだな?」

「………情報がとても古いようですが、今は仲良しなのです」


ネアが眉をぎりぎりと寄せながらそう答えると、グエンはとても疑わしそうにこちらを見るのだ。


「お、おのれ!風評被害です!エーダリア様に責任を取って貰い、今は仲良しだと訂正して貰います!!」


しかし、ネアがそう言った途端、グエンはネアの肩をがしりと掴んだ。


「ガウ!」


あまりにも勢いよく肩を掴まれたので、驚いたネアが目を丸くするのと同時に、墓犬が体当たりでグエンをどかす。

低く唸ってネアの前に立ち塞がった墓犬に、突き飛ばされてドアにぶつかったグエンは、灰色がかった顔色をさらに悪くして、もう一度ネアに掴みかかろうとする。


「エーダリアがここに来たのか?!まさか……」


まるで我が子の身を案じる父親のような表情に気付いて、ネアはグエンがここまで取り乱してしまった理由を察してはっとした。

ネアの言葉が足りなかったのだ。


「ち、違いますよ!エーダリア様は、リーエンベルクでお元気なままですよ!昨晩、こちらからでもやり取りの出来る、素敵な魔術道具があることがわかったのです!!」

「生きてるんだな?」

「ぴんぴんしてますよ!見て貰った方が早いので、こちらに来て下さい」

「…………いや、玄関にしてくれ」


ほっとしたように両手を下ろしてくれたのだが、動揺を鎮めるように息を整えてながらそう言われて、ネアはグエンの瞳に根深い疑念の影が過るのを見た。

その鋭さと暗さにひやりとして、この人は殺された死者なのだということを思い出す。


「そうですよね、大切に思う方の名前を出されて、見ず知らずの人間に家の中に誘われれば、私とて警戒します。ここで、扉を開けたままご覧になって下さい」


穏やかな声でそう言えば、グエンが静かにこちらを見るのがわかった。


「すまんな。あんたのその様子を見ている限り、大丈夫なのはわかるんだが、もうこれは性分だな………」


無精髭の顎を掻きながら悪戯っぽく言ったものの、グエンの青い瞳は笑ってはいなかった。

それだけの、染み付く程の危険に晒された人なのだろう。


「ふふ、私も昔、家の扉がノックされる度に、ああ今日こそ見付かって殺されるのだろうかと考えていた日々がありました。なので、グエンさんのお気持ちはわかりますし、エーダリア様の大切なご友人なので、特別扱いもしてしまいます」


そう微笑んだネアに、小さくグエンの気配が揺れた。


「私はまだあの方をよく存じ上げていなかった頃ですが、グエンさんが亡くなった時、エーダリア様はとても落ち込んでいました。当時エーダリア様が恋をしていた私の魔物を特別に貸し出そうとしたのですが、ちっとも効果がないくらいで………」

「………ん?待てよ、あんたの魔物は」

「はい、男性ですが、本物の恋に性別を問うなど野暮なことですよ。とは言え、今は私の婚約者なので絶対に渡しません」

「…………エーダリアに色々と聞きたいことが出来た。早くその魔術とやらを展開してくれ。……いや、そもそもあんたに展開出来るのか?」


その事に思い至り、グエンはまた疑わしげな顔をされてしまった。

グエンの事務所で最初の依頼をした時に、厨房の鍵が使えるかどうかを試させて貰うシーンがあった。

多分、単純に死者の国の運用上使えなかっただけなのだが、グエンはあれを魔術が発動出来なかったのだと疑っている節がある。

そうして今回も魔術可動域を疑われてしまったネアは、自慢げに白いカードを取り出して見せびらかしてやる。


「ふっ、甘いですね!その場にある魔術を利用して文通出来るカードなのです」

「自然利用の場面魔術か!」

「む。もしや、ご存知ですか?」

「俺が死者の国まで追いかけたっていう元上司が、その魔術を持ち逃げするところだったんだ」

「案外、世間は狭いのですね…………」



扉を開けっぱなしにするので、ネアはグエンにドアストッパー代わりな位置に座って貰い、家の中から持って来た小さな丸テーブルを置くと、その上にカードを広げた。


うっかり先に引っ張り出してしまったカードには、ご主人様から返事がないとしょんぼりした魔物がいたので、慌ててそちらは回収してお返事する。

ドリーのものを取り出せば、タイミング良く、こちらが使えるようになったぞというエーダリアからのメッセージが揺れていた。


「ちょっと待って下さいね」


ネアはそう前置きして、その紙面に釘付けになっているグエンの前でさらさらと最初の言葉を書き込む。


“エーダリア様、お待ちかねのグエンさんが来ました!お二人で話したければ、私は少し席を外しますよ?ただし、私がろくでもない歌乞いだという疑いを晴らして下さい!”


ネアの言葉がふわりと紙面に飲み込まれるのと同時に、初めて見る文字がすぱんと飛び込んで来た。


“ネア!怪我したって本当?僕がすぐにでもそっちに行ってあげたいよ!”


「むぅ、割り込みがいますね。でも、嬉しいのでちょっとだけお返事させて下さい」


“ノア、ご心配をおかけしました。確かに怪我はしましたが、もう大丈夫なので安心して下さいね。それと、私の大事な魔物がくしゃくしゃにならないよう、お手数をおかけしますが面倒を見てあげて下さい”

“えー、僕の心配は?”

“ノアにも心配をかけてしまったので、戻ったらたくさんボール遊びしてあげます!”

“予防接種なしにしちゃう?”

“それは却下で”


ついついやり取りしてしまってから、ネアははっとした。

下の方に、エーダリアからのメッセージも来てるではないか。


“………すまない。すぐに、ヒルドがネイをどかすからな”

“それと、グエンを連れて来てくれて礼を言う。ここにいるのか?”


「…………ネイ?どこかで聞いた名前だな」


またしてもグエンが考え込んでしまう中、ネアはノアに今はエーダリアが優先なのでまた後でと挨拶をすると、ペンをグエンに渡す。


“エーダリア、か?”


そして、無骨な男性らしい癖のある字でそう書かれた文字に、エーダリアの返事までは少しだけ間が空いた。


“………ああ、私だ。お前に、ラガーツェルトの術式を教えて貰い損ねた、ガレンのエーダリアだ”


がたんと、グエンの大きな体が揺れた。

それはきっと、二人だけに通じるような会話の続きなのだろう。

たったその一言で、もはやネアは目に入らなくなってしまったらしく、微かな表情皺が味わい深い目元をくしゃりとさせて、小さなカードをじっと見つめている。


「グエンさん、少しいいですか?私は墓犬さんに付き添って貰って、お家の地下の様子を見て来ますので、中に入ってゆっくりとお喋りしていて下さい。エーダリア様にもそう伝えますね」


一度ペンを返して貰い、エーダリアにもそうメッセージを残した。

頭の中が真っ白なのか、言われるがままによろよろと丸テーブルを持って扉を閉めているグエンを見ながら微笑むと、墓犬を伴ったネアは少し離れた。


「このペンをそのままお使いになりますか?」

「…………いや、自分のものを使おう」

「はい。では、ごゆっくりどうぞ。お茶を出したくとも備えがないので、喉が渇いたら勝手にお水を飲んで下さいね。コップと水差しはこちらに置いておきますから」

「ああ。…………ありがとな」

「どういたしまして」


会話から自分の役目を察し、お利口にこちらについてきてくれた墓犬を撫でてやり、ネアは玄関ホールから廊下へと出ながら一度だけ振り返った。

小さなカードに何かを一生懸命書いているグエンは、父親くらいの世代の男性なのに子供のように見える。


(良かった。グエンさんにとっても、エーダリア様はとても大事な人なのだわ)


エーダリアはもう、ネアにとって家族のような人だ。

そんなエーダリアの大切な友人のその姿に、心がほんわりと暖かくなった。


しなくてはいけない買い物はあるのだが、最悪、もう一日くらいは水と同じ服で頑張るので、今日はもうゆっくりと二人で話していてくれて良いとさえ思う。



しかし、そんな感動の再会とは別に、ネアには目下片付けてしまいたい一つの問題があった。



「墓犬さん。私は先程、このお家には地下室があることを発見してしまったのです。あまりにもホラーの定番の場所ですので、是非に一度、一緒に捜査して下さい」

「ガウ」

「一ヶ月間開けないことも考えましたが、住まいの下に得体の知れない場所があると考えると、心が弱ってしまいます」

「ガウ!」


頼もしい返事にほっとして、ネアは今日も遊びに来てくれた墓犬にほにゃりと眉を下げた。

先程、グエンはまだかなと夕方にも関わらずに玄関に向かおうとして、うっかり階段の横に地下室行きの扉を見付けてしまったのだ。

あまりの恐怖にそれ以来、廊下は忍び足でしか歩けなくなってしまった。


「ゆ、行きますね………」


いざ地下に降りる意を決するにしても、勇気を総動員しなければならなかったので、ネアはひとまずインテリア用の飾り燭台を武器として手に取り、手持ちのカードでは、ディノに墓犬と地下室の捜査をする旨を書いて乗り込むことにする。


魔物はご主人様の冒険にたいへんに不安がっていたが、これならもしネアが行方不明になっても、ディノからエーダリア、エーダリアからグエンの順番で連絡が回り、きっと助けが来ると踏んだのだ。



きいっとドアを開けた。

カビ臭いような感じはしないが、地下室特有のひんやりとした空気が上がってきており、ネアはぞくりとする。


明かりは魔術で稼働しているようで、スイッチのように壁の魔術陣に触れればパチリと明るくなるのだ。

ネアでも動かせるのでとても良い仕組みだし、雰囲気のあり過ぎる蝋燭などの灯りでないのが幸いである。


こつりと石の階段を踏み、ネアがぞわわっと背筋を震わせていると、墓犬が素早く先導してくれた。

男前な優しさに感動して、ネアはぱっと笑顔になる。

その微笑みを向けられて、墓犬の尻尾がふりふりと揺れた。


(し、しかし、なんて雰囲気抜群の階段なのだろうか)


なぜ壁を濃紺に塗ってしまったのかとか、なぜこんな風に靴音が響いてしまうのかとか、ホラー嫌いなネアとしては物申したいところがたくさんある。

しかし、ここで地下室なんか何てことはないと証明してしまえば、この紺色の壁もお洒落に見えてくるかもしれない。


やっとの思いで階段を降り切ると、そこには、地下室らしい石造りの五メートル四方の小さめの部屋があった。

その中を見渡した途端、ネアはがらんと燭台を落としてしまう。



「…………むぎゃふ!」



そこにあったものに驚愕して腰を抜かしそうになってしまったのだ。

へなへなと座り込んでしまったネアに、さっと墓犬が寄り添ってくれる。


「な、なんで、………なんでこんな趣味を地下に隠したのだ!」


あわあわと四つ足で階段の方に移動しつつ、墓犬の体にがしりと手を回して防壁にした。

ネアに抱き着かれた墓犬は、きゃふんと気の抜けた声を上げたが、それでも護衛としてしっかり正面に向かい合ってくれた。


「ホラーでした。思ってた以上に、定番最悪のホラーでした………」


地下には、よりにもよってな前の住人の趣味が隠されていた。

整然と並んでこちらを向いているものに、ネアはちょっとだけ泣きたくなる。


そこには、かなりの数の絵がイーゼルで立てられていた。

様々な色に塗られたキャンバスがぼんやりとした明かりに浮かび上がり、油の香りがする。

椅子の上に置かれたままのパレットには、出されたままの油絵の具に、油壺が添えられていた。

絵の具の色が落ちたどろりとしたオイルには、幾つものイーゼルに立てかけられた絵画が映り込んでいる。


(絵が!よりにもよって、心安らぐ風景画とかではなくて、どうしてこんな絵を描いたのだ!!)


並んだ絵は全てが、子供の筆のような稚拙なタッチで描かれた花売りの姿だったのだ。



「…………むぐ。…………こ、この絵の全てを、どれだけお金がかかっても、グエンさんに破棄して貰いまふ……」


ぶるぶるしながらそう決意の言葉を呟き、ネアはよろりと階段の方に這い寄った。

階段に手をかけて何とか立ち上がると、ようやく人心地つく。


墓犬に背後を守って貰って階段を上がると、地下室への扉は厳重に鍵を閉めた。

はぁはぁと肩で息をしてから、またくしゃりと廊下に潰れる。

落とした燭台の回収が出来なかったが、あの絵の真下まで拾いにゆく勇気はネアにもない。

万が一、あの絵から何か出てきたら逃げられない距離ではないか。


(こ、怖かった……。怖過ぎた…………)


特に害はないのだとしても、あの絵が並んでいる光景はきっと夢に見るだろう。



「おい、どうした?」

「むぎゃ!」


急に声をかけられて、ネアはまた飛び上がった。


「ガウ!」


精神虚弱中のネアを脅かしてしまったので、グエンは墓犬に叱られている。


「おいおい、どうしたんだ」

「ち、地下室に、恐怖心を煽るような絵が沢山あったのでふ!」

「ああ………確か、前の家主は画家だったな」

「ホラーだと鉄板で嫌なやつ!」

「ほらー?」

「お給金は弾むので、あの地下の絵をぽい……は、流石に呪われそうですし申し訳ないので、どこかのどなたかに差し上げて下さい!」

「おお、構わないが、その前にこれを外に捨ててきてやるよ」

「…………む」


とても恐ろしいことに、グエンはネアの髪から何かを摘まみ上げて、すたすたと外に出ていった。


(ま、まさか…………)


何が髪の毛についていたのか、ネアは推理してしまう思考をぱたりと閉ざして心を無にした。

深く考えると多分、心停止で死んでしまう。

ここで死んだら、大事な魔物が可哀想だ。


「は!」


ここで現実逃避したネアは心配性の魔物を思い出し、慌ててカードに無事に地下室から生還した旨を書いておく。

案の定、カードを開けば、ご主人様の地下探索を心配した魔物が荒ぶっていた。



「おーおー、契約の魔物を宥めてんのか」

「グエンさん!私の髪にはもう何もついてませんか?くるっと回るので見て下さい!」

「んー、………ああ。もう大丈夫だろ。巣はくっついてなかったから、上から落ちて来たんだろうな」

「…………し、心停止していまうので、詳細は教えないで下さい……」


やけに低い声でそう念を押されて、グエンはなぜかにやりと笑った。


「もしかして、お嬢ちゃんは蜘蛛が苦手か?」

「ぎゃ!」


グエンにとって想定外だったのは、ネアの精神が思いの外重症の傷を既に負っていたことだ。

床に突っ伏してのた打ち回ったネアに、グエンは墓犬からたいそう叱られる羽目になった。




「エーダリア様とはお話出来たのですか?」


その後、無事に正気に戻ったネアはグエンからカードを返して貰った。

どこか晴れ晴れとした目をしており、グエンはそのカードを優しい目で見ている。


「ああ。あいつは、………変わったなぁ。元より、歳の割には出来たガレンの長だったよ。だが、どこか頑なさが隙になる部分があった。ところが、柔軟な考え方が出来るようになったじゃねぇか。おまけに、あの母親代わりのヒルドが側仕えになって、あんたの連れて来た塩の魔物と契約したそうだしな」


嬉しそうに語るグエンに、友人であるだけでなく、まるで歳の離れた兄のようだと微笑ましくなる。

この男は、本当にエーダリアを可愛がっていたのだろう。


「…………俺は、あいつに黙って、契約の魔物を殺した妖精に報復しに行って殺されたからな。エーダリアがどうその報告を受けたかと考えると、それが心残りだった」


時間の問題があるからと、家を出て買い物に向かう道すがら、グエンはそう教えてくれる。


「契約の魔物さんを………?」


さっと表情を強張らせたネアに、こちらを見ずに小さく口元を歪める。


「あいつは頑固なところがあってな。よせばいいのに、レーヌに突っかかっちまった。それで目障りだと思われたんだ。………それについても、お前さんには礼を言いたい。俺にはレーヌを滅ぼす力はなかった」

「もしかして、レーヌさんに報復に行かれたのですか?」

「だが、その手前で教区の兵に殺されたよ。信仰の使徒に葬られた人間は、咎人として死者の日に封鎖結界で地上への道を封じられるんだ。だからあの女は、俺を教会兵に殺させたかったんだろう」

「と言うことは、その教会兵の方達も、レーヌさんのお仲間だったのでしょうか」

「レーヌはな、黄昏を司るシーで祟りものの操作に長けててな。その一つを俺に取り憑かせたんだ。教会兵の奴らは、職務を全うした善良な兵士だ。寧ろ、祟りものになった魔術師と交戦するなんざ、酷い目に遭わせちまった………」


ようやくその経緯を知り、ネアは小さく息を飲む。

思ってたよりも遥かに悲惨で、壮絶な最後ではないか。


「………私はとても心の狭い残忍な人間ですので、そういう話をもっと早く知っていれば、或いは私があの嫌がらせを受けた後であれば、……あの方にはもっと嫌な報復をしてやったところです」


ぎりぎりと眉間に皺を刻みつつネアがそう怨嗟の呟きを落とせば、グエンがふっと笑うのがわかった。


「………あんたは、いい人間だな。整ったり、利口だったりするばかりじゃない、お嬢ちゃんみたいな人間が側にいるのは、エーダリアにとっていい事だ」

「褒めているようで、少し虐められています」

「はは、俺からしちゃ褒め言葉なんだけどなぁ」


グエンは上機嫌に笑い、ネアの頭をぽすぽすと叩いてくれた。

今日も死者の国は曇天で、街路樹は昨日と同じ形に整っている。

少し気になる事といえば、ネアを見た街の人々が昨晩より嫌そうな顔をすることだ。


「………グエンさん、エーダリア様からお聞きになったかと思いますが、私と一緒にこちらに落ちて来たのは第四王子様なのです」

「ああ。腐れジュリアン王子と、途中で色惚けでウィームに寝返ったリーベルだな」

「…………む。言葉の響きから、少し不穏な気配を感じましたが、なので、もしかしたらこちらで出会ってしまうかもしれません」

「昨晩会ったぜ」

「…………とても悪どい笑顔を浮かべていますね」

「安心しろや。嫌がらせはしたが、死んじゃいねぇよ。あれでも、それなりに使える二人だ」


グエンはそう笑い飛ばしているが、ネアは遠い目をした。

これはもう、そこそこの嫌がらせをしたに違いない。


「本音を言えば痛快ですが、ここは淑女として心を痛めるふりをしておきますね」

「掃除婦に追いかけられてたから、居場所を教えてやったのさ。ま、その後も上手く立ち回ってたようだから、まだ生きてるぞ」

「昨晩早々に帰られたのは、あの二人を探していたのですね」


ネアの言葉に、グエンが振り返るのがわかった。

少しばかり試すような、年長者らしい顔つきでこちらを見る。


「…………ほぉ、何でそう思う?」

「グエンさんなら、私の言葉から、こちらに落ちて来たのがあのお二人だとわかったのではありませんか?」

「あれっぽっちの情報でかい?」

「か弱い女性のお腹を蹴っ飛ばすような王子様は、さすがに限られていそうですから」

「………エーダリアの話を聞く限り、お前さんがか弱いかどうかはさて置きだな」

「むぅ!エーダリア様は、またしても私の間違った評価を振り撒きましたね!」

「仲間内にそう言えるだけの相手がいるってこたぁ、俺としては喜ばしい限りだけどな」


そんな風に保護者感を出されてしまうと、ネアは黙るしかなくなる。

これは経験豊富な、狡くて懐の深い大人の技だ。


「………グルル」


その時、墓犬が低く唸り声を上げた。

はっと視線を巡らせたグエンが、ぎゃっとなるネアを構わず抱え上げる。


「ふぁ?!……グエンさん?」

「追加料金なしで運搬してやるから静かにしておけ。まさかの警報前の出現地に遭遇かよ…………」

「しゅ、出現?」

「掃除婦だ」


あまりのホラー続きに固まったネアの視線と向こうに、ゆらりと漆黒の影が揺れた。


「グアウッ!」


牙を剥いて短く吠えた墓犬に、ゆらりと揺れた影が躊躇うように震えるのが分かった。

グエンに教えられたように、二人一組で行動するのは確かなようだ。

そして、墓犬を見て方向を変えて反対側の通りの方に消えてゆく。


しかし、暫くすると今度は、その影が消えて行った方で死者達の悲鳴が聞こえた。


「ガウ……」


ネアを見上げて、墓犬が尻尾を下げた。

どうも最近は犬成分が不足気味のネアは、しゅんとした墓犬が大事な魔物のようで愛おしくなる。


「さてはお仕事なのですね?どうぞ行って来て下さい。私はグエンさんといますし、お仕事の隙を縫って側にいてくれて嬉しかったです」

「ガウ!」


優しく声をかけて貰い、墓犬はぱっと駆け出していった。

墓犬は門番であり衛兵でもあると言うので、こういう事態の時こそ働き時なのだろう。


(………本当は、行かないで欲しいのだ)


心の端っこで、ネアはぽつりとそう考える。

でも墓犬は親切なボランティアであるし、それは結局のところエーダリアの友人であるグエンもそう。

だから、嬉しいものは受け取って、期待し過ぎないようにしないといけない。


今はもう痛くないお腹をさすって、そう考えた。


頼もしい魔物が一緒にいる地上でだって、世界はあんまり優しくないこともあった。

それなのに、今いるここにはネアの為の誰かは側にいないのだ。

ジュリアン王子は大嫌いだが、ああして無造作に向けられる悪意があるのだと、謙虚にならなければいけない。


(うん。……ここに居る間は少し、自立することを覚えなきゃ駄目だ)



「あの、グエンさん。自分で歩け…」

「いいのか?掃除婦は行動範囲が広いぞ?」


しかし、大人の対応をしたことに自惚れ気味に胸を張ったネアに、手近な影に飛び込み姿を消した墓犬を見送りながら、グエンが恐ろしいことを言い出した。

ぎりぎりと軋む首を捻ってそちらに視線を向ければ、どこか呆れ顔になっている。


「………それをもっと早く知りたかったと言わざるを得ません。自立する決意は早々に捨てるので、グエンさん、追加手数料込みで安全なところまで一緒に行って下さい」

「あのなぁ。蜘蛛ごときでへばってる可動域六が、自立だなんだと格好つけてんじゃねぇよ。ほら、とりあえず屋内に退避するぞ。すぐに警報が鳴る」

「むぎゅ……………。蟻的分際の可動域敗者には、なんとも心に刺さるお言葉です……」

「………よく考えたら、蟻相当ってことは、そりゃ蜘蛛は怖いか」


グエンが身も蓋もない一言を言い終わるや否や、ゴーンと遠くで鐘が鳴った。

教会の鐘とは違う響きで、やけに音階が低いのがまたホラーである。


「…………む」

「…………おいおい、言った側からかよ」


二人の視線がとある一角に固定された。

よりにもよって、まだ数分も経っていないというのに、二人が進もうとしたその方向の街灯の明かりの輪の中に、先程は反対方向で見かけた二つの影が揺れている。


恐ろしいことに、その手には何かを引き摺っているようだ。


「良くはないのですが、お食事中とあれば少しの猶予が…」

「ないな。彼奴ら、一瞬で切り刻んで一口だ」

「おうふ…………」

「ずらかるぞ!」



グエンの言葉が終わる前に、二つの影は引き摺っていた何かをぽいっと空中に放り投げ、鋏でちょきちょきと解体すると、それが重力に従って落ちてくる前にぱくぱくと食べてしまった。


(全力でスプラッタ系のホラー映像を見てしまった………)



食事が終わると、影がこちらを向くのがわかる。


「これだけ距離がありゃ、楽勝だな」


両手で口を押え、半泣きのネアを抱えたまま、グエンは猛然と走り出す。

その自信に満ちた軽やかな足取りに安堵しつつ、自立は当分見送ろうと諦めたネアは、真っ青な顔で運ばれていった。



なお、追加料金はそこそこに高くついたので悲しい一日となった。







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