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131. 死者の国で文通をします(本編)



そのカードには、溢れんばかりの文字が書きこまれていた。

あまりの情報量の多さに、目がちかちかするぐらいの言葉がカードの上できらきら輝いている。

そして、ネアの目を釘付けにしたのは、エーダリアらしい几帳面な綺麗な字の下に、短く“ネア”とだけ書かれた流麗な文字だった。


「ディノ!」


またしても誰もいない部屋で飛び上がってしまい、ネアは大慌てで他の文章を読み漁る。

返信をするとこちらに届けられたメッセージが消えてしまうので、一通り読んでしまわなければならない。

ほとんどは身を案じるものばかりであったが、中に一つ、初めて聞くようなことが書かれていた。


“大丈夫だ。ヒルドに魔術を施してもらったので、私はお前のことを忘れてはいない”


そう書かれた不穏な文章に目を細めていれば、その下にヒルドに指摘でもされたのか慌てたような補足がある。


“一般的には、死者の国に落ちた者のことを、生者は忘れてしまう。人間に限って”


「………そんな副作用まで!」


さすがに一瞬ぞっとしてしまったものの、忘れないでくれているのでほっとして胸を撫で下ろす。

さっき立ち上がった際に床に転がってしまったペンを拾ってくると、ネアは猛然とお返事を書き始めた。


“死者の国にいます。アルテアさんから貰った飴玉が、第四王子様を狙って仕込まれた死者の門だったのです”

“死者の門を置いていったのは、昨晩第四王子様と会っていた魔術師です”

“死者の国には色々な危険とお作法があるので、大散財して大急ぎでお家を買いました”

“第四王子様とリーベルさんは別行動です。一人の方が安全でした”

“ディノ、”


その名前を書いたところで、心がふつりと解けてしまう。

また涙がじわっと込み上げてきて、一度ペンを置いて男前に手の甲で拭った。


“ここにいるよ、ネア”


その間に、ディノはすぐに返事をくれたようだ。

その文字を指で撫でると、それだけでまた少し泣けてしまった。


“大丈夫ですか?怖い思いをさせてしまってごめんなさい。絶対に帰るので、もう少しだけ我慢して下さいね”

“怪我はしていないかい?”

“打ち身と擦り傷は出来ましたが、ディノの傷薬で綺麗に治りました”


ネアの返事が衝撃的だったのか、魔物は返事が書けなくなってしまったらしい。

後を引き取ったエーダリアが、その怪我の状態と理由を聞いてきた。

少しこの先のジュリアン王子の身の安全が保障出来なくなるが、隠しても仕方ないのでネアは正直に告白する。


“エーダリア様からの忠告を読む前に、第四王子様から腕輪を奪われそうになったときに”


全部を言うことは控えた。

その場にいて抑制が出来ないので、魔物が荒ぶるとまずいだろう。

様々な背景を考慮していずれはきちんと共有するが、それは後からすればいいことだ。


“でも、そこで別行動になったお蔭で、偶然にもこちらにいる何でも屋さんに出会えまして、危険なことを教えて貰えたり、物件の仲介をして貰えたりしました”

“…………あの時に、無理に会わせるような真似をしなければ良かった。すまなかった”

“いいえ。今回のことは不慮の事故ですから、エーダリア様は謝らないで下さい。ジュリアン王子のことは嫌いですが、強いて言えば、こうなったのはジュリアン王子を害そうとした魔術師さんのせいです”

“リーベルとは一緒に行動しなかったのか?”

“私の魔術可動域を知って、私ではなくジュリアン王子と行動を共にしようと考えられたようです。非常事態ですし、私が足手纏いだったのは事実なので、その選択については恨んではいません”

“そうか”


カードの向こう側で、少しだけ考え込む気配があった。

さっきから黙ってしまった魔物が心配なので、ネアは大事な魔物に呼びかけてみる。


“ディノ、まだそこにいますか?”


少しだけ間があって、綺麗な文字がカードに浮かび上がった。


“いるよ。守ってあげられなくてごめんね、ネア”

“ちゃんと、ご飯は食べられましたか?寂しいときは、一人ではなくて誰かといるようにして下さいね”


エーダリアのカードから返事が来るのだから、きっとリーエンベルクに戻っているのだろう。

魔物が一人ではないとわかって、ネアは少しほっとした。

リーエンベルクなら、ディノのことをよく知っていて、尚且つ面倒見の良さそうな仲間達がいる。


“私なら大丈夫だよ。………それよりも、君が一人でいるのが、”


少しだけ迷ったように文字が揺れ、残りの文字がゆっくりと浮かび上がる。


“君が一人でいるのが、苦しい”


「…………ディノ」


その文字がとても悲しくて、ネアはまた少し泣けてしまった。

ネアが、悄然としてしまったディノを思うと胸が締め付けられるように、ディノも死者の国に一人でいるネアを思うと苦しいのだろう。

可哀想で、恋しくて、あの真珠色の綺麗な髪の毛をふわりと撫でてやりたかった。


でも、ここからでは届かないのだ。



“私も、さっきまでは大事な魔物はどうしているのだろうと思って、苦しくて悲しかったです。でも、こうして文通出来ることがわかったので、今は嬉しくて堪りません”

“文通…………”

“なので、毎日お返事下さいね。お喋りしてくれると嬉しいです”

“うん。いつでも返事をするよ。ずっとだってここにいるから、何かがあったら……”


ここでまた文章が途切れてしまうのは、人間とは違う率直さを持つ魔物ならではだろう。

何かがあっても、届かないと知っているから、続ける言葉を失ってしまう。


“安全な隠れ家を手に入れたので、何かあるとしたら時々寂しくなるくらいです。だから、お返事をくれるだけで元気になれます”

“それなら、いくらでも返事をしよう”


簡素な防水仕様の紙カップを傾けて、ネアは美味しくないスープを全部飲んでしまったことに気が付いた。

ついさっきまでは飲める気がしないと思った油っぽくて味の薄いスープだったが、みんなと話せると分かった途端、自分でも気付かない内に飲み干してしまう現金さだ。


(だって、みんなと文通が出来るってわかったのだもの)


嬉しさのあまり椅子に座ったまま、爪先をパタパタさせた。

すっかり気分が持ち直したので、やけ食いのクッキーは一枚にしておこう。

傍にいてくれないのはやはり心細いが、この家はもうがらんどうの寂しいばかりのお家ではない。

この小さな四角いカードから、ネアの大事な人達に繋がっているのだ。


“今、アルテアがウィリアムを探している。連絡を取ろうとしたんだが、姿がないらしい”


そう書いてくれたのは、エーダリアだ。


“私もたくさん呼んでしまったのですが、お返事がありませんでした。やはり、このカードだけが特別なのでしょうか?”

“この道具は、その場にある魔術を利用して動くものだ。通常の通信道具は全て使い物にならなかったと聞いているから、その仕組みが良かったのだろう”

“最初にこの道具の存在を教えてくれたドリーさんには、感謝しかありません”


そこでエーダリアは、素敵な提案をしてくれた。

ネアがドリーと分け合っているカードを、ヒルドが借りに行ってくれるらしい。

それを一時的に借りることによって、そちらでエーダリア達が使い、今エーダリアが持っているものを、ディノに持たせっ放しにしてくれるのだそうだ。

そうすればディノとは好きなだけ勝手にやり取りできるので、ネアも一安心である。


“かつて、死者の国を訪れた魔術師によれば、危うい者もいるそうです。どうか、外出の際にはご注意下さいね”


そう書いてくれたのはヒルドだろう。

ネアはその文字も指でなぞって、微笑みを深める。

こうして、みんなの文字を眺めるのはどこか新鮮な気持ちだ。


“墓犬さんが一匹味方になってくれました。その子が、この家を紹介してくれた何でも屋さんのところへ案内してくれたのですよ”

“……………墓犬を味方に”


誰のものだかわからない驚愕した風の一文を挟み、ネアはグエンのことも書いてみた。


“何でも屋さんは、まだ死者になって日が浅い方らしくて、感性が生者に近いのです。色々なことを教えてくれました。明日も必要なものを買いに行く時に、同行していただけるよう時間契約でご依頼しているのです”

“成程、そちらの世界でもその手の職業はあるのですね”

“ネア、教会には行かないように。あそこにいる死者は少し特殊なのだ”

“どうやらリーベルさん達が教会に向かったようですので、私はご遠慮しました。それと、何でも屋さんもあまりお薦めしないようでしたので、近付かないようにしています”

“………………ジュリアン達は、よりにもよって教会に向かったのか”


エーダリアの文字が少し乱れたので、こちらの教会とは余程厄介なところなのだろう。


“怖いところなのでしょうか?あのお二人は、そのことをご存知ないのですか?”

“死者の国にかつて訪れた生者は、ガレンの魔術師だった。生きて戻ったのはその者だけだと言われていることもあって、ガレンとしては外にはあまり詳細な情報を出していないんだ”


「…………ガレンの魔術師さん」


むむっと眉を顰めて、ネアは今日出会った何でも屋さんの発言を振り返る。


“本日お世話になった何でも屋さんが、生前に死者の国に行ったことがあるとお話しされていたのですが……。因みに、生前はヴェルリアにお住まいだったようです”


ネアがそう書いてみると、カードは見事に沈黙した。

おそらく向こう側は大混乱なのだろうというくらいの絶妙な間を挟み、ぱぱっと数行の文字が書かれる。


“名前を聞いたか?”

“魔術師だと名乗ってはおりませんでしたか?”

“一緒にいるのかい?”


ネアは一人しかいないので、三方向から書いてくるのは止めて欲しい。

でも、こんな賑やかさも、先程までは恋しくて仕方のなかったものだ。


“名前はグエンさんと仰っていました。魔術師とは言っていませんでしたが、蔓草の魔物さんをご存知です。そして、グエンさんは物件の引き渡しの後は、ご自宅にお帰りになりました”


“グエン……………”


そう、言葉を途中で途切れさせたのは、エーダリアの文字だ。

そこに滲んだ感情の動きに、ネアは少しだけハラハラとする。


“…………ネア、彼は多分、私の友人だ”


しかし、グエンがもし良くない人だったらどうしようという懸念は、その一言で打ち崩された。


“…………ウィームにご友人がいるそうで、細っこい領主が元気かどうかを気にされてました”

“……………そうか”


その言葉の向こうで、エーダリアが少しだけ微笑んだような気がした。


(そう言えば………)


ネアはそこで遠い記憶を辿る。

いつだったか、エーダリアがまだネアの婚約者だった頃に、エーダリアの友人だという人が亡くなったことがあった。

二回り年上だったのだが、一緒に本屋巡りをしたりしていた仲良しで、確か歌乞いだったと聞いた気がする。


“今思い出したのですが、その方はもしかして、昨年亡くなった歌乞いさんですか?”


慌ててそう書けば、短い文字で、“ああ”と、エーダリアが答えてくれる。

その人だったのかと思えば、ネアは思いがけない偶然に不思議な昂揚感を覚えた。

今回こうして死者の国に落とされたのは不幸以外のなにものでもないと考えていたが、もしここで、その亡くなったエーダリアの友人と、エーダリアを繋ぐお手伝いが出来れば、こんな事故も意味のあることとなる。


(だって、亡くなってしまった人と話せるのなら、どれだけ嬉しいだろう)


ネアも家族を亡くしたときに、そう思ったのだ。

取り戻せないにせよ、一度ぐらい亡霊でもいいから会いたいのにと。

この世界では、その我儘が叶うのだ。



「……………あ、でも死者の日には会えるんだわ」


それを考えると、こちらの世界では暗殺というものは随分と難しい仕事という気がする。

場合によっては、死者の日に本人から告発されてしまうのではなかろうか。

教会兵に殺されたと話していたグエンも、もしその相手が生きていたら報復したいと考えるのかもしれない。


そんなことを考えていたら、とんでもない文章がぺかりと光った。


“ネア、グエンを陥れたのはジュリアンの一派だ。手を下したのはレーヌだが、念の為グエンと話をしたい。明日会うときに、話を繋いでくれるか?”


「……………ほほう」


こちらとは音声も映像も繋がっていないので、エーダリア達は、その一文を読んでしまったネアが、随分と荒んだ目をしたことは知りようがない。

また、まだ正直に告白してもいないので、ジュリアン王子がネアのお腹を力いっぱい蹴とばしたことも知らないのだ。


荒んだ目をした心の狭い人間は、やっぱりクッキーは二枚にしようと思いながら少しだけ思案する。

王子であるという特殊な事情を考慮してその身を害することは出来ないが、これはもう、死ぬまで嫌な奴に付き纏われる呪いを、是非にもジュリアンには投げつけておくべきだ。

もし、こちらに居るのがジュリアンだと知ってグエンが荒ぶってしまうようであれば、その役目を彼に譲ってあげてもいい。


“勿論、お繋ぎしますよ!きっとグエンさんも喜ぶでしょうし、ゆっくりお話してあげて下さい”

“ネア、思いがけない贈り物だ。有難う”

“グエンは、教会兵に断罪されて殺害されましたので、死者の日にもこちらには戻れないのです”


さらりとヒルドがとんでもない情報を置いてゆき、ネアは怒りの度合いをまた一段階高くした。

そんな弊害があるのなら、これはもう許してはおけない。

レーヌはもういないのだとしても、ジュリアン王子を調べていてそうなってしまったのなら、連帯責任であの王子にダリル特製の呪いを投げつけても許されるような気がする。

ネアの恨みは全面私怨だが、身体能力が高そうなグエンなら上手く投げつけてくれそうだ。

製作者がダリルだと気付かれて後々揉めないのであれば、どうにかあの呪いを添付してやりたい。



そこから、エーダリア達は諸々の話合いに入るらしく、カードは暫くディノが貸して貰えることになった。

ネアは、ほこりの吐いた宝石のお蔭で安全な家が手に入れられたこと、スープが美味しくなかったことや、屋敷の裏側にある小さな池が窓から見えて怖いことなどを色々お喋りする。


“ディノが気に入ってお土産に買ったチーズクリームが、私の支えになりそうです。災害時の保存食として、状態保存の魔術を袋にかけてくれたこともあるでしょう?いざと言う時にはあの食べ物があると思えば、こちらの美味しくないご飯でもぐっと我慢出来そうですね”

“もっと、たくさん買ってあげておけば良かった”

“ゼノにあげようと思っていたクッキーもあるんです。実はさっき、ひと箱開けて二枚食べてしまいました”

“戸締りは大丈夫かい?”

“こちらでは、個人宅には侵入が出来ない仕組みなのだそうですよ。とてもいい仕組みですよね”

“ウィリアムが制定したのかもしれないね”


ウィリアムは、現在もなお行方不明中だという。

とは言え何か事件に巻き込まれているというよりは、スールの鳥籠を展開中にふいっと姿を消してしまったそうなので、私用でどこかに出かけており、アルテアでは探しきれないというところであるらしかった。


ある程度高位の魔物になると、無力化されてはしまうが完全擬態というものが可能であり、そうなると追尾が難しかったりするのだそうだ。

それは擬態を得意とするノアのものとはまた違い、姿などは変えずにいても、完全に魔術のスイッチを切ってしまうようなものである。


“それか、隔離されたどっかに入ったかだな”


そう教えてくれたのは、ウィリアム捜索中のアルテアである。

戻り時事件の時に彼にもカードを渡していたので、アルテアとも文通が可能なのだ。


そう言えばと思い出してそちらのカードを開けば、アルテアは魔術の仕組み的にこのカードが使えることはわかっていたらしく、さっさと返事をしろと催促のメッセージが浮かんでいた。


慌てて返事を書けば遅いと叱られたので、貰った飴玉が死者の門だったと言ってやれば、ぴたりと黙る。


(ジュリアン王子に貰った時にも、あの飴玉の正体には気付いてなかったんだ……)


これは、人間に擬態していたから気付けなかったそうだ。


“本来なら、術者によって置かれた現場で受け取ったなら、目眩しの条件付けの魔術の残り香を感じ取れた筈なんだがな”


いささか体裁が悪そうに呟くその文章を読みながらふと、ネアは小さい頃に読んだ幾つかの神話を思い出した。

羊に化けているときに、スープにされてしまった神様や、白鳥に化けているときに捕まってしまった神様。

ネアが知る中でも、高位の者があえて姿や能力を限定することで、手痛い失敗をする話は多い。


(あんな感じなのだろうな………)


それでも魔物達は、擬態もするし、万能さを手放したりする。

それは、乗り物でしか移動したことのない人が歩いてみようと思ったり、ずっと屋内で育てられた子供が自然の中に駆け出してゆくようなもの。

だから、不便さを嘆くよりも、ネアは少し微笑ましく感じてしまうのだ。


“墓犬が懐いたのは、君にかけられたウィリアムの守護かもしれないね”


そう教えてくれたのはディノで、ネアは無用心で脱げないような気分になってしまった白いブーツを眺める。


“でも、蹴飛ばしてませんよ?”

“死者の国に元からある要素であるなら、それはウィリアムの管理下にあるものだ。主人の守護を受けた君は、彼等にとっては上位になるんだよ”

“だから墓犬さんは、私に絶対服従なのですね!”


理由がわかれば、安心して頼ることが出来る。


(と言うことは、最初に追いかけられた時には、気付かなかったのかしら?)


斜面から転げ落ちるネアに噛みつこうとした時に、ブーツの守護に気付いたのかもしれない。


「……………む」


またその時のことを思い出してしまって、ネアは顔を顰めた。

まだ胸が苦しくなるのだから、あんな風に危害を加えられることは、思ってたより悲しかったらしい。

とは言えいつまでも心が曇っていると、いつか復讐心のあまり、失敗をしたりしてしまうかも知れない。

なのでネアは、その時のことを脳内でこう位置付けた。


(私は今まで、沢山の獲物と蹴り技で戦ってきたのだから、その獲物達の怨念があの事故を引き寄せたのだと思おう)


理不尽だと思うから胸がざわめくのだ。

受けるべき副作用だと考えて、これでチャラにしたと思えば気分もすっとする。

それに彼等は、今晩だって野宿してるかもしれないし、教会で居心地の悪い思いをしているかも知れない。


「そして、本命の金庫はこちらなのだ!」


意趣返しをしてやった気分で、ネアは足首に移設していた元々ある方の真珠のついた腕輪を外して眺める。

緊急時に足首に隠す手法を学んでいた結果、こちらの腕輪には気付かれずに済んだ。

ざまあみろなのである。


“ネア、眠れそうかい?”

“ディノとお喋り出来たので、だいぶ落ち着きました。ディノもきちんと眠って下さいね”

“…………うん”

“ノアは側にいますか?”

“ノアベルトはね、あの王子と枢機卿の不在が問題を起こさないように、あちこちに調整に行っているよ”



かつて、死者の国を人外者達から不可侵としたのはこの世界の理であった。

先代の万象がそうしたのかもねと言いながら、理に縛られるディノは辛そうだ。


“死者の国に立ち入ることが出来る人外者は、ウィリアムだけなんだ。何とか彼を見付けて調整をさせるから、我慢して欲しい”

“調整させる………?”

“出ることへの制限よりも、入る方が楽なんだよ。擬態して入れるようにするからね”

“………ええと、ディノに会えるのが一番嬉しいのですが、もしウィリアムさんが会いに来てくれるようであれば、出来るだけこの国の仕組みに無理がないようにして下さいね”

“君を一人で死者の国に置いておけないだろう?それなのに、調整することすら理で禁じられているなんて……”

“あら、私はディノと文通出来るだけでも、一ヶ月我慢できるくらいに幸せなのですよ?”

“……………ずるい”


その文字に指で触れて、ネアは微笑みを深めた。

隣にいれば三つ編みを引っ張ってやれたのに。



“ネア、……あの王子を見ても大丈夫だったのかい?”


暫くすると、ディノはそんなことをおずおずと尋ねてきた。


(…………もしかして)


“ジュリアン王子が、ジークに似ていることを知っていたのですか?”

“前に、ノアベルトが話していたんだ。だから君をあの王子に会わせないよう、アルテアと話している時にあんなことになってしまった………”


思えば、単に狭量からジュリアン王子に会わせない為だけなら、あの時、アルテアと二人で部屋を出たディノの行動は不自然だったことに今更気付いた。

ノアがどうしてジークの顔を知っているのだろうと考えてから、あのラベンダー畑で感傷の効果を添付されたのだと思い出した。

どこかでその時の自分の姿を見て、ジークの容姿を知ったのだろう。


(懸念しているのがジークの問題であることを、私に聞かせたくなかったのかもしれないわ)


せっかく気を回したのにまさかの顛末では、そのこともディノを落ち込ませたに違いない。


“確かに、とても良く似ていますね。その偶然にもむしゃくしゃしたので、今日はどうしてもディノとお喋りしたかったのです。このカードがあって良かったです”

“あの時、手を離さないでずっと君の側にいれば良かった”



その夜、落ち込んでいる魔物は、ご主人様が睡眠を取らなければいけない生き物であることを忘れてしまったらしく、ずっとカードにメッセージを書き続けていた。

地上での夜が白んできたところで我に返ったらしく、お陰でネアはこちらの時差に強制的に体を慣れさせることが出来そうだ。



やがて、外がすっかり明るくなった頃、ネアは疲労困憊して眠りについた。


死者の誰かが使ったに違いない枕カバーには買ったばかりの枕カバーを敷いて眠ったが、形にならない悪夢にはっと飛び起きれば、その度に枕元に並んだカードに浮かび上がった誰かからのメッセージを見て安堵する。


それを繰り返して何とか数時間は眠れた後、ディノが持っているカードをお守り代わりのお供にして、怖々とシャワーを浴びることも出来た。

ご飯は昨日食堂で買っておいた味も素っ気もない白いパンをもすもすと頬張り、本日の買い出しに備える。



まず今日は、グエンとエーダリアを引き合わせなくてはだ。

そのことを思えば、嬉しい作業に何だか元気を貰える気がする。



(一月は出られなくなるのだから、少しでも慣れないとだわ)



そう考えると、胸が痛むのは相変わらずだ。


まだ外は明るい。

ふうっと呼吸を整えて恐怖心を宥めると、ネアはカーテンを開けた。





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