表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
392/980

130. 死者の国で物件探しをします(本編)


死者の国に来て、半日近くが経った。


ネアは今、墓犬と何でも屋の男と一緒に、死者の国の食堂に来ていた。

食堂とはいっても、こちらではお店で食事をするようなことは滅多にないらしい。

インドア派の死者が一般的のようで、死者達は食堂でお惣菜をテイクアウトして、自宅で食べるのだ。


(………肌の色が灰色がかっていることと、みんな目の下の隈が濃いくらいかな)


ネアの考える死者の姿というより、前の世界で言うところの吸血鬼などのイメージに近い。

物静かで無機質な感じを強くした死者は、こちらでの生活が長い死者なのだそうだ。

こうして我欲や自我をなくしてゆき、ある日ふわりと消えてしまう。

乗り換えが近い者は自分でそのことがわかるそうで、親しい死者に別れを告げに来たり、自分の家を誰かに譲る手続きをしたりする。


「こちらには、娯楽はないのですか?」

「あんまりないな。音楽も何も、出来る奴は自宅の中で自分でやるだけだ」

「教会があるようですが、信徒の方々で交流もないのでしょうか?」

「ああ、唯一欲めいた繋がりを得ているのが教会だ。あいつらは、生前から死に隣り合う魔術に長けていた奴らだから、少し異質なんだろうよ」

「……………否定的、なのですね」

「俺を殺したのは、教会兵だからな」


あっさり告白され、ネアは小さく頷いた。

ここは死者の国だ。

踏み込む必要はないし、語りたければ彼から話してくれるだろう。



「…………お前、誰かが殺されたか、誰かを殺したことがあるな」


そう尋ねられたのは、ネアの言動になにかを感じたからだろうか。

それは単純なスペック確認のようなものであったので、ネアはもう一度頷く。


「ええ。前述のことがあり、後述のことをなしました。自分の手でどうこうする力はありませんでしたので、悪巧みをし、そうなるように仕向けたのです」

「復讐か。それにしちゃ澱んでない」

「始められてしまい、終わらせたことなのです。私は今でも家族を愛していますが、長い時間を経て、この世界の皆さんのように静かに暮らして澱を洗い、その後でまた新しく大切なものを見付けたので、あの頃のことは一つ前の頁の出来事になったのは確かですね」


話しながらネアは得心した。

最初に墓犬に追われた時には怖かったが、こうして何でも屋と二人で街を歩いていても怖くないのは、単純に身の安全が保障されたようだと感じるからだけではなく、ここの空気があの屋敷に似ているからだ。


繭の様に閉鎖的で静謐で、ゆっくりと滅びてゆく穏やかな毎日が揺蕩う場所。



「…………そうか。なぁ、あんた、蔓草の魔物を見たことはあるか?」

「いえ。蔓草の魔物さんとお知り合いだったのですか?」

「…………ああ。俺が知っている蔓草の魔物は死んじまったが、新しい蔓草がそろそろ生まれただろうと思ってな」

「私の…………、私の知っている魔物であれば、新しい蔓草さんを知っていたかもしれないですね。もしかして、何でも屋さんは、その魔物さんの復讐をしたことがあるのでしょうか?」


ネアの言葉に目を丸くしてから、無精髭の男は小さく笑った。


「そうだなぁ。そうかもしれん」


復讐と口にした彼の表情からそう推察したのだが、そう笑った目の奥がとても悲しそうだったので、蔓草の魔物は彼にとって大切な存在だったのだろうと考える。

ネアにも大切な魔物がいるので、同じように魔物に大切な者がいたひとが、取引相手で良かった。

ちっぽけな人間は、親近感というものをとても重要視するのだ。


「ありがとよ、親父」


そう言って男が受け取ってくれたのは、ネアが注文した惣菜パンのようなものだ。

お肉と野菜の煮込んだものが中に入っており、衣をつけて揚げてあるので香ばしい。

食堂にはもっと手の込んだお惣菜もたくさんあったが、このお惣菜パンとグヤーシュのようなスープを買い、物件周りで歩きながら食べようと考えたのだ。


ネアが換金して貰ったお金を支払うと、店主は少しだけ虚ろな眼差しを泳がせた。

まだ首元の傷もそのままなので、犯罪者かと思ってしまったのだろう。

手を出してくれないので、青いタイルのカウンターにお金を置いて出てきた。


「ご店主さんは、もうこちらは長いのでしょうか」

「ああ。俺が来たばかりの頃は、まだ笑ったりしてたけどな。そろそろ、乗り換えが近いんだろう」

「それでも、お料理を作るのですね。…………むぅ、やはりかなりの薄味ですね」

「慣れろよ。こっちはみんなそうだ。俺は死者になってからは普通に美味いと思うが、生きてる頃に来た時には食った気がしなかった」

「…………驚きの事実が発覚しましたが、何でも屋さんは、生きているときにここに来たことがあるのですね?」


からんからんと、食堂の扉の鈴がなる。

店を出たネアは、外で待っていてくれた墓犬の頭を撫でてやり、通行人をぎょっとさせながら歩き出した。

隣を歩く何でも屋が大柄な男性なので、何とも言えない安心感だ。


「昔、研究心が高じてちょっとな。とは言え、死者の日を計算して中に入ったから十日しか滞在しなかった」

「死者の門を開くのは、とても大変なことなのですよね?」

「俺の以前の上司が頭の中に稀少な術式を抱えたまま亡くなっちまってな。追いかけていって聞き出す役目を担ったわけさ」

「上司の方には会えたのでしょうか?」

「探したが、俺が降りた街にはいなかった。お蔭であの術式はお蔵入りかと思ったが、死者の日に無事に帰ってきてくれたんで一件落着という訳だ」

「つまり、死者の日を待たずに追いかけたのですね?待てない理由があったのでしょうか?」

「そりゃ、死者の日に帰ってこない死者もいるからだ。だが、俺が中に潜ったことで、戻ってこない奴らは、花売りになっちまったか、掃除婦に食われたんだと知ることが出来た」

「やっとわかった気がします。何でも屋さんが色々なことをご存知なのは、生者としてこちらに来たことがあるからなのですね」

「まぁな。死者になってから死者の国に来ても、違和感に気付けないことは多いだろうよ。俺があれこれ調べたのは生者の時だ」


こつこつと、石畳に靴音が響く。

すれ違う人々は、生者の姿に驚いたり、無関心だったりと様々だ。

家族連れや夫婦などもいるにはいたが、やはり死というものの特性なのか、一人で歩いている者が多かった。

出歩くことを目的としている者がほとんどいないので、みんな一様に早足である。


歩いている途中、ネアは初めて花売りの姿を見かけた。

ぷんと焦げ臭い香りがしたので振り返れば、煤けた影法師が腰のあたりに燻る火を抱えながら歩いており、篭も花もべったりと黒い。

何でもないかのように言われたが、これはかなりホラーな存在だった。


「も、目的のお家はどこにあるのでしょう?」

「もう着くぜ。ほら、ここだ」

「……………却下します」

「最安値だが、そう言うだろうな」

「壁が崩れていて、屋根が傾いているお家では安心出来ません」


花売りのホラーさにぞくりとしたので慌てて話題を変えようとしたネアは、よりにもよってな物件を紹介されてまた渋面を深くする。

しかし、何でも屋曰く、街の中心地にあるので立地が良く、こんな家でも値段がついているのだそうだ。

自我が希薄になりつつある死者は、このくらいの家でも気にしないらしい。


「賃貸のお部屋のようなものはないのでしょうか?」

「賃貸に出来るようなところは、共同住宅にされちまってるからな」

「共同住宅の斡旋や管理は、最初にどなたが始めたのでしょう?」

「俺も生きてるときに不思議になって調べたが、そもそも管理人も入れ替わっていっちまうから誰も知らなかった。空いた仕事は、入ってきたばかりの死者の中から志願者が引き継ぐんだ。名前を提出しに来た時に、公職に空きがあった死者が一番幸運だな」

「そのようなお仕事の方が割がいいのですか?」

「住居を支給されるし、金払いもいい」

「安定のお仕事でした………」


ざわりと、風に街路樹が揺れていた。

この街は白っぽい建物は少なく、灰色の石造りの建物か、赤茶色の煉瓦造りの建物が多いようだ。

整然とした街並みからは、きちんと区画整理されて作られたこともうかがえる。

土や風の匂いはせず、街灯の火の魔術の香りが僅かにするばかり。


馨しく美しかったウィームでの生活のふくよかさを思えば、やはりのっぺりとした寂しい世界だ。



「…………教会の方に、生者が現れたらしいな」


歩きながら何でも屋がそんなことを言った。

通行人か商店主の言葉を耳にしたらしく、意味有りげにこちらを見る。


「おのれ、こちらも早く安住の地を探すのです!」

「おー、本気で嫌そうだな。案外、その王子達とやらの尖兵かと思ってたが、違ったか」

「やめて下さい。自分のお腹を力一杯蹴っ飛ばした相手の仲間にはなりたくありません」

「そういや、その時の怪我は首と手首だけなのか?」

「お腹も痛いですが、いただいている守護のお陰か、酷い打撲くらいで済んでいるようです。傷薬を持っているので、落ち着いたらきちんと手当てするつもりでした」

「狙われたことに関しては、お嬢ちゃんの根回し不足だな。そういう奴らと行動を共にする時には、切り捨てることに不利益があるように見せにゃならん」

「………少し目測が浅かったのです。大人しく置き去りにされるつもりではいたのですが、蹴り飛ばされるとは思ってもいませんでした。戻った後のことを思えば、その辺りは上辺を取り繕うと考えてしまったのです」


ネアがそうしょんぼりすれば、男は口元を歪めて疲れたような不思議な笑いを浮かべる。


「王族なんざそんなもんさ。お前さんの場合は、墓犬の囮にしようとしたんだろ?あえて痛めつけることで、囮としての効果を高めたんだな」

「突き飛ばしただけではなかったのですね……」

「よく考えてみろや。その体が吹き飛ぶくらいの蹴りなら、魔術階位が低い奴は、普通なら内臓を損傷する。守護があって良かったな」

「…………あの方達が宿無しになっても、絶対に私のお家には入れません」


そう決心も新たにしたネアが拳を握ったところで、次の物件に着いた。

こんな風に空き物件を知っているのだから、この男は元々新参者への部屋の仲介もしていたのかも知れない。


「ここだ」

「………私の考えていたお家より、邸宅感が満載でとても高価そうです」



そこにあったのは、灰色の石造りの邸宅であった。

通りに同じ形の屋敷が並んでいる区画なので庭などはなさそうだが、アプローチ部分の階段には優美なアイアンの手すりがあり、窓も多い。

玄関扉のステンドグラスは、薔薇の意匠だろうか。


「中も見てみるか?」

「はい」


大家さんが近くに住んでるかと思っていたネアだが、ネアが返事をすると、何でも屋はポケットから鍵束を取り出した。

真鍮のような風合いの金属の輪に、じゃらじゃらと黒曜石めいた黒色半透明の鍵がたくさんぶら下がっている。


「………お、大家さん?」

「こっちではな、手配ものの業者には物件の管理も任されてる。それだけ主要なこととして運用されてるんだろう。鍵束はその資格者全員分がどれも同じものを持っていて、どこかで契約がまとまると、その家の鍵だけが勝手に消えて無くなる」

「不思議な運用があるのですね……」

「誰かが基盤を組み立てたんだろうな。ほい、これだこれ」


アプローチを上がって扉の鍵を開けると、ガチャリという重ための鍵音がして、使い込まれた木の床が美しい家の内部が見えた。


壁は石壁の部分と、綺麗に細やかなエンブレム柄の壁紙が貼られているところに分かれている。

内装は淡い水色の壁紙と焦茶色の重厚な家具を基調とした、上品で優しいものだ。

華美過ぎないところが気に入ったので、ネアはまず寝室を見せて貰った。

通された二階の部屋は、綺麗に整えられているが、お布団や枕カバーは洗濯されているのだろうか。


「こちらでのお洗濯はどうなるのでしょう?」

「ああ、言い忘れてたが、その手のものは時間の切り替えで勝手に綺麗になるぞ」

「…………む?」

「上手く説明出来る自信がないが、言わばこの街は街としての時間は止まってるんだよな。丸一日を永遠に繰り返してるって言えばいいのか」

「………みなさんも同じことを繰り返している訳ではないのですよね?」

「同じ時間を繰り返してるのは、街だけだ。人間達はその中で違う動きをする。誰かが作った仮初めの街に、俺たちが間借りしてる感じなのかもな」



男の説明では、こんな感じであった。

例えば市場だが、毎朝同じ品物が並んでいる。

そこからその日の取引分が失われていっても、また翌日には元通りなのだ。

よって、市場は無人販売所として運営されている。

こちらでは、地上とは違う優先順位があり、あくまでも人の手が入る部分だけを仕事や商売として成り立たせているのだそうだ。


食堂を営む者は、仕込みなどで前日から食事を作っても、翌朝にお鍋が空っぽになっていることはない。

しかし、空いたお鍋となると、翌日にはぴかぴかになって使い始める前にあった場所に収納されている。

では手をかけているものはそのままかと思えば、崩れた家は修繕しても翌日にはもとのあばら屋に戻ってしまうそうなので、その線引きはとても曖昧だ。


やはり、ここは得体の知れない場所なのである。


(街の時間が巻き戻る………)


同じ一日を繰り返し続ける死者の国。

そう考えると、気付けなかった閉塞感は否が応にも倍増した。

ここは永遠に同じ季節の同じ天候であり、どんよりとした曇りであったが雨の降らなかった秋の一日を繰り返し続けるのだそうだ。


新品の本はずっと新品のままで、街路樹が育ち過ぎてしまったり枯れたりすることもない。

その日にほころんで咲いた花は、翌日にはまた蕾に戻ってしまう。

同じような法則が死者達に適応されるのは、老いないことと、子を成せないこと。

また、怪我などは通常であれば知らぬうちに治ってしまうのだが、門番や花売り、そして掃除婦にもたらされた傷は決して癒えない。


掃除婦から逃げ切ったものの、失った片手の傷が治らないまま、仕方なく花売りになった者もいるのだそうだ。

そういうことがあるのだと思えば、死者達がただ怠惰に毎日を繰り返すのではなく、家というものに重きを見出したり、教会を維持することにも納得がいった。

ここには、死者の立場であったとしても恐ろしいものがあるのだろう。


(ここは怖いところだわ。穏やかで静謐だけれど、それは自分で選べることではなくて、もうどこにも行けないのだと毎日思い知らされてしまう)


以前にエーダリアから、死者の日になると死者達は大喜びでこちらに戻って来ると聞いていた。

それはきっと、例え死者ではあっても、青い空や芳醇な花々の彩りのある、世界の美しさや瑞々しさに触れたいからではないだろうか。

死者の国の門は、復活祭や収穫祭にも僅かに開くそうで、死者達はそんなチャンスも見逃さないらしい。

どれだけ地上に似ていても、ここは死者の国だった。



「一か月だけだと思うと出費が痛いですが、ここにします。やはり、ここは見知らぬ土地ですし、安全な壁の中にいないと心がくしゃくしゃになりそうですから。お支払いはどなたにすればいいのですか?」

「俺で構わないぜ。そこから手数料を差し引いて、大家に渡すからな」

「むぅ、大金なのでちょろまかさないで下さいね」

「残念ながら、こっちでは家周りでの不正はしたくても出来ない。案外、死者の国の理で住処については守られてるのかもしれんな」


言われてみればそうかもしれない。

整然と管理されている上にその最初のところが見えないのでそら恐ろしくもなるが、共同住宅の割り振りも徹底しているお陰で、この街には宿無しというような者はいないのだそうだ。

宿なしになる可能性があるとしたら、それは落とされたばかりの生者のみである。


「それに、あんたは運がいいぞ。こっちの生活が長い仲介業者はな、物件の良し悪しがわからなくなってるものも多い。俺はまだ生きてた頃の感覚が残ってるから、比較的マシなのから案内出来たんだぜ」

「………最初の壁が崩落していたお家は何だったのでしょう」

「あれは参考物件だよ。安価で需要があるとされちまうが、あの通りのざまだろう?その上更に言えば、最近は死者がぐっと増えたばかりだ。現実的な予算と住み心地が折り合うようないい物件はあまり残ってない」

「では、私がこのお家を押さえてしまった後で、誰かがお家を買おうとしたらどんな感じになりますか?」

「街の反対側にある屋敷が妥当だろうな。だが、あの屋敷の周りには街灯がないから、掃除婦が出没しやすい。そのくせに庭付きでここの倍の金額だ」

「鍵束を持っているということは、物件の管理も把握できるのですよね?どこか、新規で動いたお宅はあります?」

「お前が気にしているのは、一緒にこっちに来た王子と枢機卿だな。………いや、まっとうな物件は動いてないな。なくなった鍵も、値段的には共同住宅を出た奴の分だろう」

「……………ふっ。一歩先を行きました」

「ってか、お前みたいに紅玉を赤ん坊の拳大で持ってる奴はそうそういないだろ」


何でも屋が呆れ顔になるのには理由があって、ネアがこちらのお金に換金しようとした時に、彼に頼んだ換金用の資産のことだ。

世話好きの仲間達にあれこれ持たされているが、ネア自身の隠し財産もかなりある。

ほこりが吐いてくれた中くらいの宝石を見せたところ、この男はあからさまにうわぁという引いた目をしてくれた。

紅玉にしても透明度が高くて質が良いので、最高級の上をゆく物だろうと言うことだった。

換金の手数料は取られたが、お陰さまで、ネアはこうして死者の国にお家を買えているわけである。


(無事にここを出ていけるときには、このお家は何でも屋さんにあげようかな)


存外に面倒見がいい男をちらりと見つめ、ネアはそんな風に考えていた。

歩きながらお喋りしていたら、仕事は好きじゃないが生活の為にしていると言うので、手間賃代わりにこの屋敷を置いてゆけばそれを運用して少しはのんびり出来るのではなかろうか。

ネアが維持出来るわけでもないので、どうせならというところでもある。


「大きな買い物だが、次の開門の日、まとめて死者の日って言っちまっているようだが、正確には直近のは復活祭だな。その日の朝に新しく来た死者に売ることも出来る。売値を下げれば、ある程度は回収出来るんじゃないか」

「考えておきますね。その時には仲介をお願いするかもしれないので、大目に手数料を引いていただいて結構です」

「へぇ、太っ腹じゃねぇか」

「お家に帰れる日になるのですから、ご機嫌になっている筈ですよ」

「そりゃ確かにそうだ」


この先の評価の変更も踏まえ、考えていることは全て打ち明けなかった。

貰った鍵を金庫の中にしまい、やっと一息吐く。

お金は随分と少なくなってしまったが、まだまだ宝石の蓄えはあるし、買ってきたスープもまだ飲んではいない。


くぅんとこちらを見上げた墓犬の頭を撫でてやりながら、ネアは外部業者からの配達物を受け入れる食糧庫を発見した。

屋敷に併設された小さな小屋だが、煉瓦造りでしっかりしている。

厨房から勝手口のような扉で繋げることも出来るし、鍵でしっかり仕切ることも出来る。


「そういえば、墓犬さんのお住まいはどこなのでしょうか?是非とも、ここに居る間は仲良くしておきたいと企んでまして」

「そいつらなら、どこにでもいる。こうして手に入れた個人の領域には勝手に入れないが、外に出れば街中のいたるところの影から這い出してくるぞ」

「まぁ、……では、たくさん遊びに来て下さいね。お仕事もあるでしょうが、頼りにしているのです」


ネアにそう言われた墓犬は、忠実そうな目をして尻尾を振ってくれた。

あわよくば食糧庫で飼おうと考えてしまったが、そう言えばこの墓犬は門番なのだ。

安易に仕事の邪魔は出来ないと思い直し、ネアは少しだけしょんぼりする。


「水は普通に使って構わない。着替えが欲しけりゃ買いにいくんだな。ここまでの道は覚えたか?」

「真っ直ぐで一度左折しただけなので覚えました!大通りから一本入っただけの理想的な立地です」

「両隣は、五年目と七年目だ。ほとんど意志もないから逆に楽かもしれないな」

「便利屋さん、一度お買い物に付き合って欲しいのですが、ご依頼可能な日はありますか?」

「ん?買い物ぐらい自分で出来るだろうが。っつーか、自分で行け」

「私は用心深くありたいのです。まだ、どこが危険かもわかりませんし、兎さんに食べられたくもありません」

「…………今日はここまでだ。依頼料は時間給にしろ。明日、夜になってから迎えに来てやる」

「はい!よろしくお願いいたします」


本当は、家の中を探検するところまで傍にいて欲しかったのだが、さすがにそれは贅沢だろう。

ここまでの道中でも随分と色々なことを教えて貰っているので、この後はその情報を大人しく吟味する時間にすればいい。


「墓犬さん、念の為にですが、このお家に不埒なものはいませんよね?」

「ガウ!」


少しだけ不安になってそう尋ねたネアに、墓犬は即座に保証してくれた。



「何でも屋さん、本日は有難うございました。また明日、宜しくお願いいたします」

「…………ああ。そういやお前、どこの国からこっちに来たんだ?」

「ウィームからです。………あ、ヴェルクレアという国からです」

「………ウィームか」


素性を明かすことに少しの抵抗はあったのに、うっかり条件反射で答えてしまったネアは眉を顰めた。

この男は随分と巧妙だ。

自分の素性や名前は明かさないくせに、会話の中から上手に情報を引き出されている。

やはり、生前にどんな仕事をしていたのか気になった。


(そして、ウィームという言葉に少し驚いたようだった)


「何でも屋さんは、ウィームを知っているのですね」

「そうだな。俺が住んでいたのは、ヴェルリアだ」

「まぁ、同じ国の方だったのですね!」


ほっとして顔を緩めたネアに、男は奇妙な眼差しをあてた。

何かを見透かすような、何かを辿るような眼差しの深さに、ネアは首を傾げる。


「ウィームにも知り合いがいた。……お前が住んでいるウィーム領はどうだ?あの細っこい領主はまだ壮健なのか?」

「当代のご領主様はお元気ですよ。私は去年から住むようになったばかりですが、ウィームは温かくて優しくて、とても素敵なところです」

「…………そうか」


ネアの返答が気に入ったのか、男は目の色だけで微笑んだような気がした。

だからネアは、彼の言うウィームに住む知人とやらは、大切な人だったのかなと思う。


「何でも屋さん、…」

「グエンだ。名前で呼んで構わないが、お前の名前は念の為に名乗るな。仮の名前を作れ」

「グエンさんですね、有難うございます。…………そして、私には素敵な偽名があったのですが、悪いこともしていた知人に使われてしまいましたので、新しいものを考えなければいけません。………むぅ、ネハと呼んで下さい」

「わかった。それと、日中も掃除婦はいるからな。不用意にうろつくなよ。見知らぬ生者にも気を付けろ」

「特に入用なものもないので、お家から出ないようにしますね」

「それがいいな」


そう言った後にもまだ何かを言いたげにはしていたが、グエンは気を取り直したように頷き、ネアの新居から出てゆく。

その大きな背中を見送って、ネアは寂しさでいっぱいになった。

墓犬も仕事に行くようで一緒に出ていってしまったので、ここからは完全に一人である。


一人で、こうして身の安全も確保してしまったので、後はもう充分に落ち込むだけなのだ。



「ディノ。………ディノ、私は何とか安全なお家を買いました。スープはやはり美味しくないですし、兎の掃除婦さんには遭遇したくないです。花売りさんの外見は完全にホラーなので、あんなものを見てしまった以上、怖くてブーツを脱いで寝れません……」


誰もいないがらんとした家の中で、一人ぼっちで応接間の椅子に座って窓の外を眺める。

こちらの世界では活動時間だそうだが、やはり夜なので真っ暗だ。

少しだけ外を観察してみたが、うっかり窓から掃除婦を見てしまったら怖すぎるので、早々にカーテンも閉じてしまった。


ホラーなものを見たばかりなので不安でいっぱいながら、浴室の方に歩いて行って鏡を見て、思ってたより酷かった首元の傷に丁寧に傷薬を塗った。

しゅわっと消えてくれたのでほっとしたが、こんな傷をつけたまま帰ったら魔物が荒ぶってしまうだろう。


(過保護で寂しがり屋の魔物なのだ)


旅先で一人ぼっちになってしまって、どんな思いをしているだろう。

またしてもこんな目に遭ってしまって、もう、何もかもにうんざりはしてないだろうか。

アルテアの方がしっかりしていそうなので、出来ればディノの面倒を見てあげて欲しい。


(お仕事にも穴を空けてしまうし、第四王子様とリーベルさんも消えたから大騒ぎになっていそうだし……)


考えれば考える程に、不安で胸が潰れそうになる。

息が苦しくなって短い呼吸ではくはくとすれば、じわっと涙が滲んだ。


(ここは、暗くて繰り返していて、ホラーな見た目の花売りさんがいる……)


元の世界との唯一の接点は、ネアを蹴り落としたジュリアンと、そうなるとわかっていて背を向けたリーベル。

彼等でも側にいてくれればほっとするのだろうかと考えてしまう瞬間もあったが、無事だと知られてしまうことでもう一度身を危険に晒したくはない。

狡賢くても惨めでも、ネアは無事に戻らなければならないし、余分な負担を抱える程の心的な余裕はないのだ。



「…………っ、」


蹴り落とされた瞬間の驚きと悲しさが蘇る。

単純に蹴られただけではなく、グエンの言うように損傷させて餌にするという目論みもあったのだろう。

考えてみれば、魔物の守護があってもあれだけ痛かったのだ。

ある種の明確な攻撃であったに違いない。


「…………どうして、ジュリアン様はジーク・バレットにそっくりなのかしら」


そして、ネアの心が震えてしまう理由は、そこにもあった。

第四王子であるジュリアンは、ネアの良く知るジークという男に、瓜二つの容姿をしているのだ。

服装も違うし、髪や目の色も違う。

それなのに、やはり造作がそっくりだということで、視覚の中に色濃く刻まれてしまう。


彼が石ころでも見るような目でネアを蹴落とした瞬間の表情が何度も蘇るのは、両親を殺すように手配した時に、ジークもそんな目をしていたのだろうかと考えてしまうからだ。



「…………ディノ。…………ディノ、こんな時には傍にいて欲しいのに」


悲しくて悔しくてそう呟けば、よりいっそうに惨めになる気がした。

大事な魔物が悲しんでいないだろうかという惨めさに、自分の分の辛さまで加算されてしまった。


(でも、明日になって買い物の時に、もう一度グエンさんにリーベルさん達のことを聞いてみよう)


今夜は自分のことを最優先させてしまうが、明日になったらどんな様子かを確かめてみて、困っているようであればこっそり誰かを経由して宝石の一つでも持たせてやればいい。


その場合には、グエンか墓犬にでも頼もう。

今夜は自分も殺されかけたので優しく出来るだけの良心は死んでしまっているが、さすがに明日以降も無視するのは難しい。


(一応、ジュリアン王子はエーダリア様の異母兄弟だし、リーベルさんもダリルさんの弟子なのだし……)


とは言えネアの心は狭いので、自分が関わるのはもう無理そうだと、もやもやする胸を押さえながらそう思う。


「………と言うか、あの王子様のケープを売り払えば、お屋敷ぐらい買えるのでは」


見事な刺繍だけではなく、宝石もふんだんに縫い付けられていた筈だ。

そういう意味では、ネアの腕輪などを盗まなくても、充分に資金にはなった筈なのに。


「むぅ…………」


またしても胸が苦しくなってきたので、ネアは首飾りの金庫からゼノーシュ用に持ち歩いているチョコクッキーを取り出して、ストレス発散で食い荒らすことにした。

残しておかなければ後々の生活が辛くなるが、せめて今夜は三枚ぐらい許して欲しい。

最初からいきなり計画性がなくなったので、そう自分に言い訳しつつ、ネアは金庫の中を探った。


「……………カード」


真っ先に出てきたのは、麻織物の店でエーダリアからのメッセージを読んだ、魔術道具のカードだ。

ここはどこにも繋がらないということだが、無駄になることを承知の上でメッセージを書いてみるのもいいかもしれない。

そんな風に感傷的になって、カードを開いてみたときだった。


「……………え、」


ネアは、驚いてカードを取り落しそうになってしまう。

そのカードには、みっしりと書きこまれた文字が、きらきらと輝いて揺れていた。



“どこにいる?無事だったら連絡をするように”

“死者の国では、決して名前を紙に書いて渡してはいけない”

“兎の頭をした者を見かけたら、すぐに逃げるように”



「私が、死者の国に落とされたことはご存知なのだわ」


あの場にいたディノやアルテアが、どうなったのかを理解してくれたのだろう。

であれば、単なる行方不明とされるよりは、戻れない理由もわかってくれている筈だ。


(…………こんなに沢山)


小さなカードに小さな文字でびっしりと書き連ねられたメッセージに、ネアは目の奥が熱くなった。

そっと指でなぞれば、文字達はきらきらと星屑のように光る。


「ふふ。遅いですよ、エーダリア様……」


“ジュリアンと一緒にいる場合は、危害を加えられないように用心するように”


その文章を指で撫でたら、何だか涙が零れてきた。

ぐしぐしとなりながら文字を読み、ほんの僅かにしか残っていない余白に、届かないとわかっていても返事を書き込んでしまった。


“私は無事です。きっと帰ります”


そう書きこまれた途端、びっしり書き連ねられていた文字は消えてしまった。

そういう仕様のものだとはわかってはいたが、大事なみんなとの繋がりが途絶えてしまったようで怖くなる。

そして、ネアの書いた文字が淡く光って消えた。



「………………ん?消えた?」


涙ながらに自分の感傷的な行動に苦笑していたネアは、その瞬間勢いよく立ち上がってしまった。

大事なカードを両手で持って、自分のメッセージが吸い込まれた部分を凝視する。

消えたということは、すなわち送信されたということなのだ。


「………いや、送信エラーでぽいって返ってきたりするのかな………」


暫し何の反応もなかったので、期待してしまったことを反省しかけたとき。


「……………ほわ」


びっくりするくらいに大量の文字が書きこまれて、カードがぺかぺかと明るく光り出したのだ。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ