129. 死者の国で試行錯誤します(本編)
ネアと墓犬は二十分ほどかけて森林公園を抜けると、街の中を歩いていた。
相変わらず人影は見えないが、誰も住んでいない訳ではなくて、寧ろ生活感は至る所にある。
煉瓦造りの閑静な街並みに、よく手入れのされた街路樹。
全てシャッターは閉まっているが、商店もちらほらと見える。
建築様式が違うが、アルビクロムの街に少し似ていた。
公園を抜けるまでにぐっと暗くなってきた空に、ぽつりぽつりと灯り始めた街灯や家の明かり。
そんな中をてくてくと歩きつつ、ネアは万が一にもリーベル達が近くに来たら教えてくれるよう、きっと感覚が鋭いに違いない墓犬にお願いしておく。
時々撫でて欲しそうにこちらを見る度に、置き去りにされてしまった大事な魔物はどうしているのだろうと胸が痛くなる。
ガゼットの時のように、きっとしょんぼりしてしまっているに違いない。
またしても目を離した隙にこんなことになったので、とにかく落ち込んでいるだろう。
(でも、ジュリアン王子があの部屋に出現した転移門は、ノアが作ったみたいだったし……)
以前から、ノアはその手のものが得意だと話していた。
魔術の成り立ちを見られるだけあり、彼は結界周りや道にまつわるところ、そして契約や呪いにも長けている。
元々は王族の魔物というところもあり、生まれながらの魔術貴賎として、許されている魔術は広いのだそうだ。
手の込んだ分野ではノアの技術がディノより長けていることもあるそうで、ジュリアン王子の不法侵入はそんな隙間を縫えるだけの道具だったのだろう。
なのだから、あまり落ち込まないで欲しい。
細工などの技物に長けているノアやアルテアに、大技と言うか広範囲の調整に長けているディノやウィリアム。
彼等もそれぞれに得手不得手があり、魔物達は決して万能ではないからこそ、ネアはどうして助けが来ないのだろうと腹を立てたりはしない。
寧ろこの一件のせいで、ディノが出会った頃に手放した自然調整を取り戻したいなどと思う方が問題だ。
あれをしてしまえばほぼ無敵だが、自分では何もする必要がないということは、心が閉ざされるに等しい。
(せっかく、ここまで来たのに………)
初めての旅行では、ディノにも楽しかったという思い出を作って欲しかった。
戻り時の事件などで荒れた部分を癒す為の、とても繊細なところだったのに。
そう考えると、悔しくて涙が出そうになる。
「ガウ!」
そこで、墓犬が吠えたのでネアは我に返った。
ぼんやりと考え事をしながら歩いてしまったのは、この街が人影もなく静かだからだろう。
「ここは、…………何でしょうか。宿屋さんではないようですね」
墓犬がネアを連れて来たのは、チケットと鍵のモチーフの看板がある、ウィームではあまり見かけない赤茶色の煉瓦の建物だ。
この通りの建物は全て、歩道からの玄関階段を挟んでの入り口になる。
各戸の玄関先には、郵便箱という生活感のたっぷりのものがあるかと思えば、死者の国らしく喪章がかけられてもいた。
とりあえず看板を出しているからには、商売をしているのは間違いないだろう。
ネアは少しだけ躊躇ってからから、墓犬を足元に寄せ、こつこつとノッカーを鳴らしてみた。
「…………無反応ですね」
中の明かりはついているので、叩き方が弱かっただろうかともう一度強めにこつこつ鳴らすと、扉の向こうから呻き声とも返事ともつかぬ声が聞こえて来た。
(……………変なのが出て来たら、ブーツで戦おう)
少し怖くて震えてしまう指先を握り込みながら、そう覚悟して扉から少し離れて待っていると、少し待たされてからガチャリと扉が開いた。
「あのなぁ、まだ夜になってないだろうが。どこの馬鹿野郎だ!……………ん?」
荒っぽく扉を開いたのは、一人の男性であった。
灰色がかった白い肌に、真っ青な瞳。
色の濃い金髪を肩口まで伸ばした容貌は貴族的でもあったが、無精髭とだらしのない服装が崩れた印象を与える。
前の世界で言えば中年にあたるぐらいの年頃だろうが、どこか家庭などの気配は薄い感じがした。
筋骨隆々という訳ではないが、がっしりとした体型でかなり背が高く、体の鍛え方で言えばグラストやドリーに似た体格の持ち主だ。
(ううむ。語れない過去のある騎士団長とか、貴族崩れの盗賊団の団長とか、陸に上がった海賊とか、そんな感じの品の良さといかがわしさの中間、みたいな感じだろうか………)
目をつけられると厄介そうな人でもあったので、ネアはまた個性の強そうな人を案内されてしまったと、少しだけ悲しい気分になる。
人の良さそうな平均的な容姿が素朴でほっこりする宿屋のおじさんなど、この世界にはいないのだろうか。
(…………でも、この人が、………死者?)
ネアはゾンビのような人間を想像していたが、まるで生きている人間みたいに見えた。
確かに肌は灰色がかっているし、目の下には濃い隈がある。
でもそれだけだった。
「………あの、こちらの墓犬さんのご案内で伺ったのですが」
男はネアの姿を見て、明らかに驚いているようだった。
ネアを上から下まで眺めると、一度首筋の傷に目を止め、今度は墓犬の方を見てからもう一度ネアに視線を戻す。
「…………もしかして、あんた生者か」
「はい。…………数時間前にこちらに迷い込んだので、ちょっと色々と困ってまして」
「…………くそ、門番め!厄介ごとを持ち込みやがって」
がしがしと頭を掻いてから、男は大きな溜め息を吐いて玄関先に蹲った。
じろりとネアを観察して、どこの貴族のお嬢さんだよと愚痴っぽく呟いている。
(………ジュリアン王子も話してたけれど、門番というのは墓犬さんのことかな)
その場合、こちらでの墓犬とはある程度の権限があるのかもしれない。
現にこの男は、かなり嫌だが断れないというような気配を滲ませているではないか。
それでいいのかなと思って墓犬の方を見ると、妙に厳しい顔をして男を睨んでいる。
これはいけそうだ。
「…………初対面で大変に図々しいお願いなのですが、門番さんの紹介なので、手を貸して欲しいのです」
「ああそうだ。あんたみたいな厄介ごと、迷惑以外のなにものでもないな」
にべもなく男がそう言った途端、墓犬がぐるると唸り声を上げた。
「………どうやって門番を手懐けた?」
「よくわかりませんが、追いかけ回された後に、完全服従してくれた気弱な子に出会いました」
「………………そいつは門番長だ。侵入者を真っ先に噛み殺す、残忍な門番だぞ」
「あら困りましたね、危害を加えられるのならば、夕飯にしてしまう約束なのです」
ネアがそう言ってちらりと視線を向ければ、またしても墓犬は尻尾を巻きこんでしまってきゃふんと鳴いている。
降伏の証なのか片方の前足を上げているので、ネアはよしよしと頭を撫でてやった。
「そんなことはない、良い墓犬さんでしたね。夕食には他のものをいただきましょう」
「…………あんた、見かけによらず相当にえげつない魔術師かなんかだな」
獰猛な墓犬を手懐けているので、男はそう判断したようだ。
またネアを上から下まで観察してから、わざとらしい溜息を吐いて、ひょいと手招きをした。
「中に入れ。話を聞いてやる」
「…………というか、訪問しておいてなんなのですが、墓犬さんのご紹介で伺っただけですので、こちらがどんなお店なのかを教えて下さい」
「んあ?…………ああ、何でも屋だな」
「墓犬さんは、なかなかに交友範囲が広いのですね。そして、本物の何でも屋さんにお会いするのは初めてです」
「本物じゃない何でも屋っつーのは、何なんだ」
「本などの創作ものの中で出てくるのを、読んだだけの知見でした」
「創作かよ。ありゃいい加減なものばっかりだぞ?」
「何でも屋さんの正解とは何なのでしょう………」
男の商売がお金で仕事を引き受けてくれるものだと判明したので、ネアは店の中に入ることにした。
やはり一人では怖いので、特に許可も得ずに容赦なくボランティア護衛の墓犬も同伴する。
男はかなり嫌な顔をしたが、墓犬と目を見合わせて牙を剝かれてから苦い顔をして無言で頷いた。
「さてと。…………まずは、あんたが、どんな罪で死者の国に落とされたのかだな」
中に入って通された部屋は、簡素な応接室のようなところだった。
こちらの世界らしく上品な家具ではあるが、良く使い込まれており、所謂市民階級のお宅の応接室という感じなのだろう。
部屋の中には珈琲の匂いと、煙草のような香りもする。
最近のリーエンベルクで会うアルテアは、ヒルドの嫌煙を考慮して煙草を吸わないので、どことなく懐かしい匂いでもあった。
勧められた椅子に座りながら珈琲を出されれば、完璧に死者の国のお宅訪問の気分である。
「死者の国は、罪を犯した方が落とされる場所なのですか?」
「生者の場合はな。門を開くのが手間だから、国家的な重罪人を落す場所とされている」
「そういう誤解があるといけませんので告白しますが、とある王子様を狙った罠に偶然巻き込まれた一般人です」
「……………お前、王子の護衛魔術師かなんかか?」
「いえ、魔術師でもありませんし、その王子様とも初対面です。旅行先で偉い方に遭遇した結果うっかり目をつけられてしまい、その王子様が私を見に来たところでの事故でした」
「……………あんた、よくもまぁそこまで冷静だな。普通は取り乱すぞ?」
「取り乱したいのですが、まずは滞在先や食べ物の心配をどうにかしたいのです。きちんと安全な場所で落ち着いてから、心ゆくまで取り乱そうと思います」
そこで一度、男は存外に厄介な迷子であるお客にうんざりしてしまったのか、のけぞるようにして天井を仰いだ。
かなりだらしない服装はしているが、妙に品のいいところもあるのが不思議だ。
そして、粗雑な口調で中和してしまっているが、瞳は澄んでいるし頭もキレそうなのだ。
生前は何をしていたのだろう。
「その王子はどうしたんだ?門番の餌食にでもなったか」
「いえ、一緒に落ちてきた王子様と枢機卿さんは、足手纏いになる私を置いてどこかへ行ってしまいました。正確にお伝えするのなら、王子様は私から金目のものを取り上げて、墓犬さんの囮にするべく、お腹を蹴り飛ばして公園の斜面から落としました。枢機卿さんは、明らかにそうなるだろうなという雰囲気を分った上で知らんぷりです」
「…………えげつないが、まぁ、世の中はそんなもんだ。……王子と枢機卿ねぇ」
「はい。仰る通りそんなものなので、奴らよりも先に安全を確保して、どうだ愚か者どもめと高みの見物をして溜飲を下げてやる所存です」
「すっかり心が荒んじまったな。…………にしても、門番を屈服させるほどの能力者を足手纏い扱いするなんざ、よっぽどな男尊女卑国か?それとも、あんたがよっぽど嫌な女なのかもな」
「魔術可動域が六なのがお気に召さなかったようなので、嫌な女だったのでしょうね。足手纏いなのは事実でしたので、そっと置き去りにしていってくれれば、恨みもしなかったのですが」
「……………六?六ってのは、ただの六か?」
「ただの六です。蟻より低い魔術可動域です」
ネアがそう認めれば、男はまずは一回無言で珈琲を飲むと、一度立ち上がって窓の方へ歩いていった。
大丈夫だろうかとその挙動を眺めていれば、そこでがくりとしゃがみ込んでしまって両手で頭を抱えてしまう。
「………………お嬢ちゃん、魔術抵抗値は幾つだ?」
「計測器を振り切ってしまったので不明ですが、竜の王様や公爵位の魔物さんでも問題ないくらいでしょうか」
「………………あんたの交友関係は謎が深まったが、ひとまず生活してて死なないことはわかった」
「ええと、何でも屋さん。…………取り急ぎ本題に入りますと、お外はすっかり夜なのですが私は今夜の宿もないのです。お店などが閉まってしまう前に、こちらの世界での、死者の日までの身の振り方の相談に乗って下さい」
「安心しろ。こっちは、昼と夜が逆だ」
「まぁ、そうなのですね!」
だからさっきまでの街は、あんなに静かだったのだとわかり、ネアはほっとした。
そうなると今度は、目の前の机に置かれたいい香りのする珈琲が気になって仕方ない。
「あの、………食べ物の問題はどうでしょう?こちらのものを口にしたら、何か弊害が出たりはしますか?」
場合によってはとても失礼な問いかけであったが、聞かずにはいられないことだった。
目の前の男性は儀礼的なことよりも直接的なやり取りを好むようだったので、ネアは敢えて率直に問いかけてみる。
「食べ物も飲み物も問題ない。だが、味は随分と曖昧だぞ。こっちでは、味のしっかりとした生者の国の食べ物は高価だ。貨幣価値や金や宝石、魔術階位には差はない。国家みてぇな管理はないから、国境線も曖昧で国籍はばらばらだな。いろんな奴らが流れ込んできて、ごった煮みたいな街だよここは」
「国家が存在しなくても、貨幣価値があるのですね」
「商売をするには何かを貨幣として使わなきゃいけないからな。死者の国には独自の通貨があるが、大国の金貨などは生前のものでも普通に使える」
男の説明はわかりやすかった。
死者たちは皆、死んだ瞬間の身なりのままでこちらに落ちてくる。
魔物に殺されただとか、亡霊として向こう側との行き来が可能である死者とは違い、ここにいるのは亡霊になれなかった健全な死者達だ。
そして人間の死者の国であるので、魔物や妖精、精霊に竜も存在していない。
異種族の伴侶を得ていた者などは、その残酷さに泣き暮らす者もいるのだとか。
「死者としての待ち時間があるのは、そもそも人間くらいらしいからな」
「人外者の皆さんの死は、火を消すようにふっといなくなってしまうそうですよね」
「呪縛や術式で魂を残す方法はあるけどな。でも、そうやって残っている奴らは例外だ。まともに死ねりゃ、消えてなくなるだけだ」
墓犬は、ネアの足元の床で丸くなっていた。
目は開いて男の方を時折見ているが、随分と寛いだ感じなので、ここは安全なところなのだろう。
「こちらの国に、生きた人間の方が迷い込むことはあるのですか?」
「咎人が落とされることはよくある。特に貴人の場合は、殺すことでの呪い返しを恐れて、死者の国に直接落とす処刑方法が多い。その場合はな、首からそいつの名前を書いた札を下げさせて、質素な服装で落とすんだ」
「質素な服装なのは、こちらの世界での財産を持たせない為ですね?名前の札はなぜでしょうか?」
「こっちの世界の住人に、名前を奪われると帰れなくなるからな」
「……………何よりも先に教えて欲しかったことでした」
「書かなければそこまでじゃないさ。書いたものを取り上げられるのが一番まずい。それを奪われると、名を取られたことになって、死者の国の住人になる儀式が完了しちまう」
この世界に落ちてきた死者は、まず死者の国の住人になる為の儀式をするのだそうだ。
自分の名前を紙に書き、その紙を転入手続きの役所に持ち込み処理されることで晴れて死者の国の住人になる。
その手続きはあくまでも専門職のものに名前を奪う儀式を任せているだけで、紙に書いた名前を奪ってもらうのは、死者の国の住人であれば誰でもいいらしい。
「でもそうなると、死者の国の住人になりたくないと、駄々をこねる方がいませんか?」
「…………この街には、黒い鳥が随分といるだろう?」
「ええ。落とされた直後にたくさん飛んでいるのを見ました」
「死者が正式な手続きで住人にならないと、あんな姿になる。実際に鳥になった奴を見たことがあるが、人間の体が鳥に作り替えられちまうんだ。ありゃ、拷問だな」
「…………大人しく名前を奪われた方が幸せそうですね」
(墓犬さんもそういう存在なのだろうか………)
ネアがそう考えたのがわかったのか、男は小さく笑った。
「そいつらは違う。寧ろ、この死者の国で一番得体の知れない存在が、その門番のような管理者達だ」
「管理者?」
「ああ。門番の墓犬、花売りの影法師、黒兎の掃除婦がいる」
「う、兎さんがいるのですね!」
「目を輝かせるな。あいつらは、化け物の一種だからな」
「むぐ………」
男の説明によるとこうだ。
門番である墓犬は、黒い大きな犬の姿をしている。
管理者の中では意思疎通が可能な知能を持っており、衛兵としての役割もこなすようだ。
ある程度の階級を持ち、死者の国の住人達は墓犬には逆らわない。
花売りの影法師は、もやっとした影が動いているもので、姿を持たない家事妖精に似ている。
ただし、影法師はいつも焦げ臭い匂いがして体の一部がぼうっと赤く燻っているので、火の事故で死んだ死者の成れの果てだと言う者もいるそうだ。
彼等はいつも真っ黒な花を売り歩いており、その花を買うと同じ花売りになってしまう。
意志や感情などがないとされている彷徨う存在であり、自死により死者となった者などは、早々に自ら花売りになってしまうのだとか。
黒兎の掃除婦は、人間の体に黒兎の頭部を持つ掃除婦達だ。
この存在が一番厄介であり、掃除婦達は定期的に現れては、無差別に死者を食べてしまう。
枝切り鋏を持つ掃除婦と、箒を持つ掃除婦がおり、かならず二人一組で現れる。
枝切り鋏で細かくされてしまって食べられた後、残った衣服などのゴミを、箒の掃除婦が片づけるのだ。
死者が増えすぎると現れるだとか、調和を乱すと現れるとか言われており、死者達も出現条件がわかっていないらしい。
「掃除婦さんに出会ったらどうすればいいのでしょう?」
「死ぬ気で逃げるんだな」
「特定の標的を定めたりはしないのですか?逃げても、ずっと追いかけられたら困ってしまいますよね」
「そういう話は聞いたことはないな。因みに、掃除婦と交戦して勝てたという話も聞かない」
「私は庶民ですので、兎さんを見付けたら大急ぎで逃げますね」
「庶民よりかは蟻並みだな。…………だがまぁ、あんたの場合は門番がいれば大丈夫だろうが」
「む。墓犬さんの方が強いのですか?」
「さぁ、順位付けまではわからんが、墓犬が出てくると掃除婦が消えちまう。苦手なんだろうという話だぞ」
良いことを聞いたので、ネアは安堵の表情になった。
この墓犬がどこまで付き合ってくれるかはわからないが、傍にいてくれる内に生活を安定させてしまおう。
(金貨や宝石の価値が変わらないのなら、金庫の中にあるお金と宝石でどうにかなるかな。とは言え、狙われたりしないように身元のしっかりしたところで換金して貰わなければ………)
「何でも屋さん、こちらでは生者の扱いはどうなるのでしょう?やっぱり、苛められたりしてしまいますか?」
「まずは犯罪者扱いだな。後は、稀に頭のおかしい魔術師が乗り込んでくるから、変人扱いもされる。そっちの方がまだマシだ」
「では、魔術可動域六でも、魔術師さんのふりをしてもいいでしょうか?手持ちの資金で、何とか門が開くまで食い繋ぎたいのです」
「…………換金は、………そうだな、俺が頼まれてやる。二割でどうだ?」
「ふっかけられている気もしますが、物価によってはそれで構いません。死者の国の物価が異様に高かった場合は、手持ちのお金で足りない可能性もありますから」
「物価という意味じゃ、大国の王都並みだ。決して安くはないが、べらぼうに高くもない。余所にも街はあるし、南方には農村地帯なんかもあるみたいだが、街の中じゃないと例の掃除婦が多いという危険もある」
その表現の仕方に、ネアは少しだけ考えた。
ここはもしや、死者の国の中でも比較的生活水準が高い土地なのではないだろうか。
その分建物がしっかりしており、掃除婦などの被害も少ないのかも知れない。
しかし、街を歩いてきたネアが一番心配していたのは、宿についての疑問だった。
「そして、とても大事なところなのですが、宿泊施設はあるのでしょうか?」
ネアがそう言うのは、歩いて来た道中にはホテルのようなものが一つも見当たらなかったからだ。
言わばこの街は、住宅地と生活に必要とされる上での商店に尽きるとしたら。
良く考えなくても、死者の国で観光客商売というのはあまり需要がなさそうではないか。
「率直に言えば宿はない。街を移る者はいるとも聞くが、所詮ここは乗り換え案内待ちの場所だ。待ち時間で死者の国を開拓するよりも、その場で快適に過ごすことを考える者が多いな」
「魔物さんに殺された亡霊の方達とは、また待ち時間は違うのでしょうか?」
「あわいの亡霊は百年だったな。こっちでは長くても十年程度だな」
「でも、十年にもなると、手持ちの資金では生活しきれない方が多そうですね……」
「それを言えば、ほとんどの者がそうだな。ここに来た死者はまず住処を手に入れる。手持ちがない奴らは共同住居だ。仕事をしながら共同住宅を出たり、待ち時間が終わる知人から家を貰ったりもする」
「………そうなると、お家そのものも足りないというような事情があるのでしょうか?」
「いいや。物件そのものはかなりあるぞ。ただ、死者の国の妙な規則があるんだよ」
「規則………。あ、珈琲いただきますね。淹れて下さって有難うございます」
ネアはここで、えいやっと珈琲を飲んでみた。
香りはいいが、確かに随分と味が薄い。
色合いはしっかり濃い目の珈琲だが、お湯で薄めた珈琲もどきの味だった。
(チーズクリームと、ジャムがある……)
ネアはホテルでお土産に買った瓶詰に心から感謝した。
厨房の保存庫に入れに行く手間を惜しんで、首飾りの金庫に放り込んであったのだ。
持ち込まれた全ての食べ物が味を失うというのでなければ、この瓶詰が大切なご馳走になりそうだ。
ちまちま使って、何とかひと月もたせよう。
(…………あ、そう言えば、クッキーと、クラッカー、保存食の干し肉とチーズの塊もある!)
悪夢の時の経験を生かし、保存食を災害グッズとして持ち歩こうと思って張り切ったことがあった。
ネアは形から入る派なので、いそいそと保存食を買い込み、首飾りの金庫に状態保存の布袋に包んで保管してあるのを思い出したのだ。
あくまでも食糧がない時用のものではあるが、こちらでのご飯があまりにも酷ければ使ってしまうのもありだ。
しかし、食事問題にしても、誰かに連絡が取れないか試みるにしても、やはり個人の空間は必須である。
前述の肌感からしても、生者であるネアはきちんと自分の住居を押さえた方が良さそうだ。
「ここはな、人間の生前の澱を洗い流すところだ。夜の光で暮らし秘めやかに乗り換えを待つことで、生きてた頃への未練を洗って次の生へ向かうんだとよ。だからか、譲渡と購入以外の方法での、家の確保がなぜか出来ない。盗みも出来なければ、不法侵入もだ」
「つまり、共同住居の方々は、あくまでも個人宅を手に入れる手立てのない方ということなのですね」
「まぁ、死後の乗り換え待ちで共同生活は、逆に澱を溜め込む気がするがな」
ふむと考え込んだネアに、何でも屋の男はカップを持ち上げながら注意深く観察の目を向けた。
何でも屋という仕事があるのだから、死者の国でもある程度の型に収まらないことはあるのだろう。
何にせよ、こういうわかりやすい男がいてくれて良かった。
(私の貯金は、引退後の素敵な別宅を買う為のものだったのにな………)
そう思えば胸が苦しくなるが、勝手の分らない世界で身の安全を図る為にはつべこべ言っていられない。
幸運にもこのような事情通に苦なく巡り合せて貰えたのだから、ある程度は我慢しよう。
「では、便利屋さん。お部屋かお家が欲しいので購入したいのですが、一番安価なところでご紹介いただけないでしょうか?勿論、手数料もお支払いいたします」
膝に両手を揃えて、きちんとお願いしたネアに、無精髭の男はにやりと笑った。
ぺこりと頭を下げたネアに代わり、床に座っていた墓犬はすっと立ち上がって何でも屋を軽く威嚇する。
この墓犬は、良い保護者にもなってくれそうだ。
(…………頑張って、元気なまま大事な魔物のところに帰ろう)
ディノのことを思えば涙が出そうになったので、慌てて振り払って気持ちを立て直す。
落ち込んでしまうと下りの滑り台が止められないかもしれないので、全てが落ち着いてからまとめて落ち込もう。
「いいぜ。俺は残念ながら、死者になっても欲深い方でな。お蔭さまで、報酬が貰えるなら生者の世話を焼くのもやぶさかではない」
「よろしくお願いします。私もそこそこに欲深いので、よい取り引きが出来ると思います!」
「じゃあ、早速家探しだな。………ん?」
「そして、それよりも先に、ご飯を食べられるところを紹介して下さい!」
力強くそうお願いしたネアに、男は少しだけ遠い目をした。
しかしながら、お昼ご飯もまだだったネアとしては、そろそろ晩御飯をいただきたいのである。