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飴玉と死者の門



のどかな風景の中で、ごろごろと車輪の音が響く。


現在、このシュタルトの観光トロッコ列車には、捕獲したあわい妖精と擬態したアルテアにリーベル、そこにネア達が乗っているので一名の定員オーバーだ。

しかし、お客が戻ってきてくれた安堵から精霊は頑張って運行してくれている。


「魔術でどうこう出来る方は、重量を軽くして下さいね。精霊さんが過労死してしまいます」


道中、トロッコ列車の一番の見所が過ぎてしまっていると気付いたネアは、意識を失ったままのジルフを殺しかねない表情になったので、リーベルは狭いトロッコの中で必死にネアから離れようとしていた。


「この妖精さんはどうするのですか?」

「こいつは泳がせておく約束だからな。適当に条件付けして捨てておくさ。さっきお前が口にした俄か呪いをかけておいてやる」


アルテアがそう言ったのは、ネアが一方的に口先だけでかけた呪いである。

リーベルがそれは何だろうと尋ねたので、鳶色の髪の青年姿に擬態したアルテアが、割と丁寧に教えてやっていた。


(そう言えば、この擬態アルテアさんは、私達との関係をどうやってリーベルさんに伝えてるのかしら?)


この擬態が誰用なのかわからないので、ネアは思い出したように時々悩んでしまう。



「そんなことが恐ろしいなんて、不思議だね」


アルテアの説明であらためてネアの呪い文句を聞いて、そう首を傾げるのはディノだ。


「この方の抱える怖さは、若干矛盾もありますけどね。きっと上手くいかなかった時の怖さが、その種のものと向かい合う怖さに繋がってしまったのでしょう」

「あの妙に具体的な指定には、意味はあるのか?」

「大地色の瞳と言えば、どんな色合いにも捉えられるでしょう?少しだけ具体的な方が現実味も増します。多くの要素でこれはまさかと思わせてしまう、占いなどで使われる技術ですね」

「しかし、恋をさせてやるとなれば、ジルフに都合がいいばかりではないでしょうか?」

「あらリーベルさん、呪いですので、出来るかどうかはまだ未知数ですよ?空腹を拗らせた相手を黙らせるには、問答無用で口にものを押し込んでしまうのが一番です。大人しくさせるのが目的なので、心の傷やら主義主張は知ったことではありません」


疲れた目をしてそう言ったネアに、魔物がよしよしと頭を撫でてくれる。


本来なら、ジルフの考え方も一つの思想である。


それならそれで、自分も納得すればいいのだが、一番の問題は本人が自分を説得出来ていないところだ。

記憶がないのでどうして自分が納得いかないのかもわからず、狂気に囚われて出口のないところでぐるぐるとしている相手とは、そもそもの議論が出来ない。

懇切丁寧に説得してやるだけの根気も叡智も残念ながら足りなかったので、ネアが取れる武器はあの身も蓋もない言葉しかなかったのだ。


つまり、新しい悩み事を放り込んできたのである。



「随分な言われようだったな」

「む!見ていたなら、さっさと排除して欲しかったです!」

「あわいを剥がすには、内側から本人が突破するか、外側から引き裂くかの二択だからな。そいつだって、お前を安心させる為に近くのあわいの中に入ってから、一度出ただろ」

「ディノが側にいる間に、お外から引き裂いてくれれば良かったのではありませんか?」

「そいつを取り込んだままじゃ、あわいが揺れて仕方ない。自分ごと引き裂かれたくはないだろ?」

「むぐ………」


トロッコが終点に近付いてきた。

立ち上がったアルテアが、ぞんざいにトロッコの端に引っ掛けておいたジルフを掴む。

ジルフが意識を失っているのは、アルテアの術式のようだ。

この後で、アルテアとリーベルから条件付けを施され、どこかにぽいっと解放されるのだそうだ。

どうせなら完全に狂わせて捨ててしまえばいいのにとリーベルは言うが、生かして放逐するのであれば、寧ろ大人しくする方向で調整いただきたいと庶民は思う。

どうか、正気を失ったシーなどを野生に返さないで欲しい。


(満腹になってしまって、大人しくなってしまえばいいのだわ)


ネアが意図している呪いは、特定の誰かに結び付けるものではない。

細い橋が危ないと思っていると足がもつれてしまうように、呪いの体裁で語られた言葉に惑わされて、その空っぽの心を動かしてしまえばいいと思うのだ。


彼の狂気の始まりは失ったことだが、その持続は心ががらんどうで苦しいからだとネアは思っていた。

同じようにがらんどうを経由地とした自分がそうであるように、あの呪いを、これからという時間を意識する為の呪いにして欲しい。


アルテア曰く、剥ぎ取った記憶は火にくべてしまったそうなので、もう二度と戻らないものだった。


(でも、いつか…………)


ディノに出会えて心を柔らかくしたネアが、ジークについて考えたあの日のように、ジルフも、忘れてしまった誰かへ向けた気持ちを飲み込んであげられたなら。

あわいの切れ端に打ち捨てられていたあのハンカチを、もう一度拾い上げて、どこかに大切にしまってあげてはくれないだろうか。



「ったく。自分が上手くいかないなら、誰も彼も同じように破滅するだろうっていう辛気臭い思考回路は、まさしく妖精だな」

「そういうものなのですか?」

「絡めた手を好んで情深い分、拗れると手がつけられなくなる。魔物も狂乱はするが、ああした狂気に侵食されるのは妖精だけだ」

「精霊さんは違うのでしょうか?」

「あいつらの激情は通常仕様だ。竜は暴れたりもするが、勝手に死ぬ方だな。お前も、あまり妖精を拗らせるなよ?」


そう言い残して、アルテアはジルフを引きずったまま転移で去って行った。



「………とんだ目に遭いましたね」

「可哀想に、嫌な思いをしたね」

「山頂での素敵な景色を見逃したと知った時には、あの妖精さんを本気で谷底に捨てようかと思ったくらいです」

「ご主人様………」


そうやって慄くくせに、魔物はどこか上機嫌だった。

なぜだろうかと考えてみれば、ネアがジルフに言い返した言葉が気に入ったのかもしれない。



「それにしても、どうしてアルテアさんとリーベルさんという、謎の組み合わせになったのでしょうね」

「ダリルあたりが、中央に恩を売る為に組ませたんだろう。心の操作が出来るなら、あの妖精はなかなかにいい駒になるからね」

「そして、グズリスとファーメンが誰なのかは謎に包まれたまま終わりました」

「ファーメンは、アルテアの偽名の一つだ。グズリスはスールの神官にそんな名前があったかな。珍しい精霊魔術を使う人間で、五百年近く生きていたそうだよ」

「長生きの最後に、まさかのハリネズミになる生き様が壮絶ですね………」


トロッコを降りたネアは、係員の男性にこの精霊はとてもお利口だったと話しておいた。

魔物達には重くならないように調整するようにと言ったものの、途中で定員オーバーしていたあのトロッコを、小さな精霊が頑張って運んだ健気さに報いたかったのだ。

ランタンの扉を開けて出てきた綿毛精霊は、一枚のビスケットに加えて割れたビスケット屑も貰って狂喜乱舞していたので、ネアは言って良かったと嬉しくなる。


(そして、あの執着ぶりは、やはりいけない薬でも入っているのでは…………)


綿毛精霊が泣きながらビスケットを食べている姿には若干背筋が寒くなったが、踏み込まないようにしよう。

うっかりあのビスケットを食べてしまったら、ネアもトロッコ列車を押してしまうかもしれない。



「ディノ、途中であわい妖精さんを挟んでしまいましたが、疲れていませんか?」

「ネアが迷子にならないようにしよう」

「むぅ……………」


トロッコ列車の終着駅からシュタルトの中央までは、綺麗な遊歩道で一本道である。

ハイキングらしい観光客もちらほらいるので、ネアは魔物に持ち上げられてしまって渋面になった。

しかしながら、さっきは魔物を椅子にしていなかったことで離ればなれになったので、ここは一度、大人しく持たせてやるしかないことが苦しいところだ。


「これを持っているようにね」

「三つ編みを持たされました………」

「好きなだけ引っ張ってもいいよ」

「おかしいですね。私の欲求のように聞こえます」

「ほら、ネアの大好きな毛だらけの生き物がいるよ」

「言い方がとても複雑ですが、ほわほわの鹿さんが!」


ディノが教えてくれたのは、柔らかなクリーム色の鹿だ。

白いに近いだけあって高位の生き物なのだそうだが、とても大人しく、足元の草を食べ尽くさない限りは動かない。


「山の精の一種だよ。足元の草花の様子から見ると、二年くらいはあの場所にいるようだね」

「物凄い腰の据わり方ですね。目がくりくりで愛らしいです。狐さんサイズですが、大人なのですか?」

「どうだろう。百年程度かな……」

「ご長老…………?」


その後も二人は、リーエンベルクの側の森にはない不思議な生き物や美しい花々を楽しみながら、ゆっくりと遊歩道を歩いた。

今日はお気に入りの船頭さんがいるのか、湖では湖竜が一艘の船に寄り添って水遊びをしている。

どっしりとした体格の壮年の男性が、そんな湖竜を息子でも見るように微笑んで眺めていた。


昨晩ホテルの支配人に教えて貰ったことによれば、あの船頭が、シュタルトの湖竜の宝なのだそうだ。

正確に言えば竜は船で人間を見分けており、あの船を受け継ぐ人間に懐いているらしい。

湖竜は渡りをする種類であるので、シュタルトを離れるときには、ちゃんと眠れるようにお守り代わりに船の小さな模型を持たせてやるのだとか。

そこまでべったりであれば、街の人間達があの竜が可愛くて仕方ないという雰囲気なのも頷ける。

食いしん坊で甘いもの好きだそうなので、ネアの中では少しだけゼノーシュの面影が重なる。


以前、シュタルトで疫病が流行った際には、妙薬として竜の鱗をありったけ差し出した結果、湖竜の尻尾はぼろぼろになってしまった。

元気になった者達から、今度は湖竜の尻尾の回復術式を編んでやり、みんなで元気になった後で小さなお祭りをした話がネアは大好きだ。


因みに、甘えん坊過ぎて婚期は完全に逃しているらしい。

恋をするよりもみんなと遊んでいたい、やんちゃものでもある。


(とは言え千歳だからなぁ…………)


ネアと湖竜の話をしてくれたホテルの支配人のように、あの竜を古くから知る世代の人間達がそろそろ高齢になってきたことを心配している者達もいる。

自分達がまだ元気な内に恋をしてくれれば、みんなで応援してやれるのにと優しい溜め息を吐いていた。



「あ、お昼の前に麻織物のお店に寄ってもいいですか?」

「うん。今日は貸切ではないみたいだね」

「………実は先程、アルテアさんの擬態版の衣装に、麻のチーフがあったのを大変訝しく思っています」

「………ネア、これは何だろう?」


ディノが目を止めたのは、お店の看板に引っ掛けられた白い布だ。

ネアの元の世界の風習では、不幸があった時などの印に似ているが、こちらの世界での喪章は黒である。

もしや、また魔物のお偉いさんでも来ているのかと猜疑心たっぷりで入店したが、店内には普通の観光客も入っており賑わっていた。


「何だったのでしょうね?………そして、お店の中央に織り機がありますよ!」

「湖水水晶の織り機だね。古いものだがよく手入れされている。ほら、手元のあたりが淡く光っているだろう?何代にもわたって大事にされる道具には、あんな風に祝福が宿るんだ」

「そんな織り機で作られた製品だからこそ、贈り物に喜ばれる有名店なのでしょうか」


素敵な織り機にすっかり目を輝かせてしまったネアは、重厚な灰色の煉瓦造りの店内をうきうきと歩いて回り、ゼベルへの結婚祝いを選び出した。

シンプルな麻織物だが端までしっかり縫製されており、夜狼の奥様が噛んでも長持ちしそうだ。

エーデリアの花の刺繍も美しく、しっかり丈夫に刺された刺繍の出来栄えからしても、ただの飾り織りではなく実用に向いた織物なのだとよくわかる。


(うーん、ディノの髪に麻のリボンは似合わないし………)


魔物がじっとリボンの棚を見ているが、さすがに麻リボンを髪に結ぶイメージではないので、ネアは夏に気持ちの良さそうな枕カバーをお揃いで買った。

ワンポイントの刺繍が由縁のあるエーデリアの花なので、少しだけディノの私物らしい感じにもなる。

両方共淡い紫陽花色だが、少しだけ色味が違うのがとても綺麗だ。

自分用に小さめのハンカチを一枚、共用での食材等のお買い物用の素朴なトートバックも買った。

このトートバックは意外に可愛い上に店内で一番安価なので、お土産として大人気のようだ。


「ディノ、お揃いの枕カバーです。支給品のお洗濯の交代の隙間に混ぜて貰って、二人で使いましょうね」

「ご主人様!」


お揃い好きの魔物はハンカチも見ていたが、そもそもハンカチを使う文化のない魔物に余分に買っても仕方ない。

まだお土産屋さんもあるので、ネアはここで突然倹約家モードに入る。

カイロとしても使えた、火織りのほかほかタオルハンカチとは違うのだ。


(トートバックは、野菜を入れてもいいように、後で内側を防水にして貰おう………)


そんなことを企みつつお会計を済ませたネアは、お店を出ようとしたところで店の主人から声をかけられる。


「実は、二階の個室の方に、お客様を呼んでいただきたいというお二人連れ様がいらっしゃるのですが、ご案内させていただいても宜しいでしょうか?」


山羊髭が素晴らしい初老の紳士にそう尋ねられて、ネアは魔物と顔を見合わせて首を傾げる。


「リーベル様よりお知り合いだと伺っておりますが、お心当たりがありませんか?」

「………もしや、鳶色の髪の男性と、黒い長めの巻き髪の男性でしょうか」

「ええ。そのお二人になります」


ネアがずばりと当てたので、店主はほっとしたようだった。

二階はオーダーメイド用の個室になっており、この店の中でも上客が使うスペースのようだ。

市販品ではない贈答用の刺繍なども承ると書かれた案内書きを見ながら、ネアはディノを先頭にして細い階段を上がった。

使い込まれた黒檀色の階段には、丁寧に磨かれた艶があり美しい。

裸足で歩いてみたくなる誘惑にかられる建物だ。


「やれやれ、帰ったんじゃなかったのかな………」

「他二名様で、増えているのが気になりますね………」

「先程の妖精ではないと思うよ。気配が違うから」

「もしかして、このお店にあの二人がいるのはわかっていました?」

「うん。会う必要はないと思ってたのだけどね」


(…………何だろう。リーベルさんだけなら、ゼベルさんへの買い物かなとも思うけれど、恐らく昨日の休日にお店を貸切済のアルテアさんも一緒で、他にも二人………)


店主曰く、あの看板の白い布は、貴人のお客がいる際にかけるものなのだそうだ。

リーベルに適応されたのだろうかと、ネアは首を傾げる。


通された部屋に入る前には魔物が手を差し出してくれたので、ネアは大人しく手を繋いだ。

この対応を見ると、初対面の人がいるのかもしれない。

店主は扉を開いて中には入らずに去って行き、ネアはなぜか難しい顔をした先程の二人組と再会した。

幸い、他の二人というのはまだこの部屋にはいないようだ。



「何の用だい?我々は、そちらの仕事には関わらなくて良かったのではないかな?」

「いや、これはさっきの仕事とは関係ない」


ディノにそう答えたアルテアにじっと見られて、何だろうかとネアは首を傾げる。

窓際に立っているリーベルはいっそうに顔色が悪くなったようだが、倒れてしまったりしないだろうか。


「その後、事故は起きていませんよ?遊歩道を素敵に歩き、麻織物を買い上げただけです」

「お前に客だ。今回は、こいつの所為で入ってきた客だから、文句があるなら後でこいつに言えよ」

「リーベルさんに…………」

「……………申し訳ありません。国絡みの仕事の前後では、監視が入るのを失念しておりました。昨日街でお会いした時に、ネア様に目を留められたようで……」

「内容はさっぱりわかりませんが、窓から逃げても許されますか?」

「お前の上司からの伝言だ。カードを見ろだそうだ」

「……………むぅ」


そこでネアは、エーダリアに渡しているカードの片割れを開き、そこに、いかにも申し訳なさそうに書かれた丁寧な一文を見る。


“すまないが、挨拶にだけ応じてやってくれ。その後は二度と会わないように調整する”


「……………誰なのだ」


渋面度合を深くしたネアに、リーベルが言い難そうに告白してくれた。


「第四王子の、ジュリアン様です」

「……………思ってたより嫌なやつでした」

「見付かって打診された以上、こいつの立場では断れない。元々は密な間柄の上に、その繋がりを利用して今でも動いているからな。その辺りの線を潰さないように、ダリルも折り合いをつけたんだろう。あくまでも非公式の挨拶だけだ。上手く切り上げてやるから、さっさと済ませろ」

「そこそこ踏み込んだ立場で会話をされていますが、お仕事なのですか?」

「俺は現状、第一のところの日雇い執行官役だからな」

「そういう立ち位置なのですね…………」


ネアはウィームの国に属する歌乞いである。

エーダリアの采配で中央に出ずには済んでいたものの、王子の立場の者から会いたいと言われてしまって断るのは難しい。

弱小歌乞いとして長らく無視されてきたが、昨日のリーベルとの遭遇が良くなかったようだ。


「とは言え、あの方はよく考えもせずに思いつきで行動しますので、今回のはまさしくそれですね。エーダリア様の管轄下のあなたに挨拶をすれば、エーダリア様が嫌がるだろうというだけの暇を持て余した無能な行為ですよ」

「………急な腹痛で帰らせませんか?」

「それでもいいが、どこかで会わなければいけないなら、済ませておくに越したことはないだろう。別れた後に、心底興味が湧かなかったという印象に書き換えておいてやる」

「それなら、済ませてしまうのもいいかもしれませんね。…………ディノ?」


振り返ったネアはぎょっとした。

なぜなのか、魔物がものすごく不機嫌そうなのである。

穏やかに微笑んでいるのだが、瞳が刃物のようではないか。


(そ、そう言えば、以前はヴェンツェル様のこともものすごく敵視していたような…………)


思い返せば、魅力的な容姿の王子様という存在に、この魔物は敏感なのであった。

あわあわと視線で助けを求めたネアに、アルテアも参ったなという顔をする。


「ファーメン、だったかな?少し話せるかい?」

「ったく。さくさく済ませればいいだろ……」

「ネア、この部屋から出ないように。それと、そこの枢機卿は昨日の誓約で縛ってあるから安心していいよ」

「………ネア様を害するような真似はいたしませんよ」


なぜか、ディノは一度アルテアを連れて部屋の外に出てしまった。

そんなに嫌だったのかとネアは遠い目をする。

ぐったりした気配が近くから漂ってきたのでそちらを見れば、リーベルはとても具合が悪そうだ。


「大丈夫ですよ、リーベルさん。ご挨拶だけならば、最終的には説得しますから」

「………契約の魔物がこの手の接触を嫌がるのは、当然なんですがね。しかし、一応は相手も王子ですし、挨拶ぐらいはこなしておかないと、妙な勘繰りを受けないとも言えません」

「ふむ。確かにそうなるでしょうね。となれば尚更、さっと済ませて解散したいのですが………」

「今回は俺の不手際ですが、そうしていただけると有難いです」


ブランコの一件から怯え気味な枢機卿は、やっと少しだけ表情を緩めたが、どうやら運命は彼に対してやけにハードモードな行程を用意してしまったようだ。

二人が顔を見合わせて少しだけ苦笑したところで、部屋の中央がぴかりと光ったと思えば、どかんというものすごい轟音が響いた。


「…………っ?!」


唐突な爆発に目がちかちかしてよろめいたネアの肩に、馴れ馴れしく誰かかが手を乗せる。


「ほお、お前がエーダリアの歌乞いか!」

「ジュ、ジュリアン様?!」

「久しいな、リーベル。どうだ、緊急脱出用の強制転移門を使ったのだ!私を待たせるなど…」


その転移門とやらは出来が悪いのか、煙っぽい成分に喉をやられてネアがけふけふしていると、今度は部屋の扉が大きな音を立てて開く。


「ネア!」

「おい!どうした?!」

「ジュリアン様!!!」


今度はそこに、ディノとアルテアに加えて、隣室で待たされていたらしいこの第四王子のお付きも飛び込んで来る。


「ディ………ほわ?!」


慌てて魔物の方へ避難しようとしたネアは、その直後、すとんと垂直落下した。

煙い中を一歩進もうとしたのだが、その一歩先の床がなかったのである。


恐らく誰も試したことはないだろうが、巨大掃除機に吸い込まれることを想像して欲しい。


今回のネアの落下は、まさしくそんな感じであった。


もやっとしていた煙ごとすぽんと呑み込まれたので、ボラボラに釣られた時や、悪夢に落ちた時より激しい落下だった。

落ちる瞬間にディノ達がどんな顔をしていたとか、手を伸ばせば助かったかもしれないとか、スカートでの落下だから大惨事かもしれないとか、そんなことは何もわからない内に、勢いよく吸い込まれてぺいっと吐き出される。



「………………むがっ!」


ざらりとした地面にぺっと吐き出されて、ネアは情けなくひっくり返る。

幸いにも隣に何か一緒に落ちてきたので、ディノが間に合ってくれたのだろうと、怖さを吐き出した。


「ディノ、変な穴に吸い込まれました。…………おのれ、なにやつ!」

「……………ネア様、ジュリアン様ですよ」

「……………リーベルさん。…………うちの魔物がいないのですが、ええと、ここは?」



ぎゃあぎゃあと、見たこともない大きな黒い鳥が鳴いている。

周囲は霧深く、しかしながら閑静な街並みは整っていた。

濃灰色の重苦しい曇天に、じっとりと薄暗い周囲の景色の中には、通行人の姿は見えない。

どうやら、同じ場所に連れ込まれたのは、あの時側にいたリーベルと第四王子だけらしい。


「街………のようですね」


なぜか、どの家々の扉にも黒い喪章がかかっていた。

風は冷たく、秋の頃の気温と言えばいいだろうか。


「………………最悪ですね。ここは、死者の国だ」

「死者の国、ですか……………」


ネアはとんでもないことを言い出したリーベルを振り返ったが、当のリーベルは完全に項垂れてしまっている。

そして、何にもわかってなさそうに、服が汚れたではないかと文句を言っている蹲ってる王子が一人。


「…………ディノを呼びますね」

「無理でしょうね」


限りなくホラーな気配を察知して慌ててそう言ったネアに、項垂れたままのリーベルがぼそっと呟いた。

髪が長いので、この姿勢だとリーベルの姿もなかなかにホラーだ。

出来れば早く顔を上げて欲しい。


「ここは、魔術の理で隔絶された世界なんです。死者の日になって門が開くまで、外との交信は一切出来ません」

「え……………」


言葉をなくして凍りついたネアの手が、ぱさりと座り込んだままの地面に落ちる。

どこか遠くの方で、葬送の鐘の音が聞こえた。


「お前、この飴をどうした?」


ふいに、物凄くどうでもいいことを言い出した王子がいたので、ネアは胡乱げな顔でそちらを見た。

あらためてしっかりと視線を合わせ、ぎりぎりと眉間の皺を深くする。



(……………どうしてここで)



ジュリアン第四王子は、ネアの知っている人にとても良く似ていた。

そしてそんな男性は、ネアが落下の際に落としたらしい、アルテアから貰った飴に興味津々である。


「……ファーメンさんに貰ったものです」

「ふむ、そうか。私が異国の魔術師から貰ったものでな。昨晩、兄上の執行官だというあの男にやったのだが、自分では食べなかったのか」

「お聞きする限り、ものすごく怪しい飴のような気がしてきました」


顔色を悪くしたネアが視線を巡らせれば、ジュリアンが持つ紙で包まれた飴玉を凝視しているリーベルは、ほぼ真顔である。


「あ、あの、…………リーベルさん?」

「……………我々が死者の国に落ちたのは、それが原因ですね。それは、………死者の門です」

「…………ええと、私が報復するのは、ファーメンさんで良いのでしょうか?」

「…………それは、特定の人間にしか有用ではない条件付けの門なのですよ。ファーメンにとっても、ネア様にとってもただの飴玉ですが、…………恐らく標的とされたジュリアン王子が近付いたか何かしたことで、発動したのでしょう」

「待って下さい。第四王子様から、ファーメンさんに差し上げたものなら、どうしてその時に発動しなかったのですか!」


そこを指摘したネアであったが、ジュリアンはけろりとその奇跡的な不幸の構図を解説してくれた。


「ファーメンの前に会っていた魔術師が、珍しい祝福がある飴だと机に置いて行ったのだ。そのままあの男に下げ渡したので、私は触れてもいない。だが、今も触れてはいないぞ?」

「その飴を身に付けていたネア様に触れたではありませんか。その種の罠は、発動の条件がある程度広いですからね」

「無事に戻ったら、ファーメンさんとその魔術師さんを殺せばいいのですね」

「ネア様…………」

「ところで、リーベル。次の死者の日はいつだ?私は、四日後のカルウィとの輸入交渉を任されているのだが」

「ジュリアン王子、…………次の死者の日はひと月後です」

「な、何だと……………」

「一ヶ月間………………」



ネアはこの時、最悪の事態に見舞われたと思っていた。



しかし、本当の災難はこれからだったのである。










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