カーライル
カーライルは、劇作家をしている。
演劇を司る魔物の祝福を受け、既にその才は各国に名を知らしめており、カーライルの公演や滞在を待ちわびている者は多い。
そして、彼はどこに行っても持て囃された。
それはもう口惜しい程に。
(あんまり持て囃されても、心が動くわけがないんだよな。僕は、これでも作家なんだから)
放っておいても勝手にすり寄ってくる者達には、かけらの物語もない。
つまり、そうされてしまった段階で彼らはカーライルの想定内のものとなり、美貌や才能などの自身の武器を無駄にしてしまうのだ。
そうなると、この世にはつまらない者達ばかりである。
カーライルが見てみたいのは、見知らぬ物語を持つ心惹かれるものであった。
香水臭い手でこちらにしなだれかかる美女ではなく、才能を食らってやろうと忍び寄ってくる作家殺しの妖精でもなく、新しい物語を知りたいのだ。
そう思って執筆の為に気分を変えるべくシュタルトまで来たのに、そこで見かけた二人連れは、カーライルの見慣れたつまらないばかりの色合いをしていた。
(…………あーあ、またこんなもんか。大方、人間を隷属させた魔物か精霊だな。うん、魔物だろうな)
片方の男性は、それこそ目が覚めるような美貌である。
すぐに印象が記憶から剥がれ落ちてしまうので、人目を引かないような魔術を施しているのだろう。
しかし、カーライルはいつも、その手の魔術を通り抜けてしまう体質であった。
普段であれば厄介ごとに巻き込まれないように、奇妙なものが見えたら関わらないようにしていたが、今回は同じホテルに泊まっている他の客というだけなので、あまり視線に悟られないようにしつつ、ほんの少しだけ盗み見する。
(男があれだけの美貌の、恐らくは中階位から高階位の魔物なのに対し、ぱっとしない同伴者だな。多分、捕まって魂を食われている途中なのか、隷属にされた元魔術師かなんかだろう)
階位の高い人外者の玩具にされてしまう人間は多い。
なので、せっかくの素晴らしい配役を無駄にするようなその月並みな関係性にがっかりしていた。
傍目で見ていても、連れである少女は、相手の男の面倒をよく見てやっているようだ。
まず間違いなく、籠絡されて知らぬ間に命を削られている愚かな恋に狂った女か、下僕として主人の世話を焼いている哀れな人間なのだろう。
音の魔術が施されて会話は聞こえなかったが、果たして明日の朝までこの少女は生きているだろうかと、少しだけ意地悪な気持ちで二人の姿を見ていた。
「特別なことなんて、この世にはほとんどないのかな」
部屋に帰ってきて、湖面流星群を眺めながらそう呟く。
この時期のシュタルトには、高位の珍しい生き物たちが集うと聞いていた。
だから、そんな特別さを期待して訪れてみたのだが、さして代わり映えのしない保養地の一つにしか見えない。
湖には竜が帰ってきたという噂話も聞いたが、行ってみたものの竜がいる様子もなかった。
街で出会った地元住民らしき二人の男にその話をしてみたが、シャーベットを食べながら二人とも微妙な顔で黙り込んだので、竜というのも集客の為の作り話である可能性が高い。
そう言えば、片方の男性は目を惹く美貌だった。
シュタルトの街にはちらほらと飛び抜けた美貌の者を見かけたので、整った容姿の者が生まれやすい土地なのだろう。
その後は、街で出会った高位の魔物だと嘯く中年男と飲みに行ったが、爆発したような白髪は、酔っ払って白く染めていると口走ったので、高位の魔物を騙る魔術師か何かに違いない。
髪を白く染めるなんて愚かな振る舞いだが、白持ちを詐称すると敬意を払われるのは確かだ。
時々、それ目当てで危険を承知の上で白持ちを名乗る馬鹿者がいる。
その類だったかとがっかりして、酔い潰れた男は介抱もせずに道端に捨ててきた。
舞台公演をしているせいで、酒飲みには見飽きているのだ。
旅先でまで酔っ払いに絡まれたくはない。
「…………つまらん!」
そう呻いて寝台に倒れ込み、面白そうな物語を考えてみる。
例えばこのホテルには、とんでもない残虐な魔物が姿を隠して泊まりに来ているのだ。
美しく高位の魔物だが、うだつの上がらない中年男にでも扮しており、自分を馬鹿にして見ている他の宿泊客達を注意深く観察している。
そして、そのお客達の中から、次に弄んで殺す犠牲者を選ぶのだ。
(…………そうだな、宿泊客には、身分を隠して泊まりに来ている王子、それから僕と同じだけれど売れない作家、高慢で無慈悲な主人とそのお付きの冴えない女。後は、人には言えない趣味を隠した訳ありの男女)
つらつらと構想を練りながら、窓の外を明るくする流星群の残光に目を細める。
(…………魔物はどうするかな。残虐で得体が知れないとなると、………まだ誰も正体を知らないという仮面の魔物か)
しかし、実在の魔物を作品にするとうっかり殺されてしまったりするので、カーライルは、その魔物は仮面の魔物を元にして、創作の魔物にすることにした。
「…………物語をひっくり返す為に、ホテルの主人をとんでもない奴にしよう。………いや、訳ありの男女の方にするか?」
少しだけ悩んでから、主人公はあえて魔物にした。
高位の魔物が、愉悦を隠しながら獲物選びをしており、その目線で愚かしい宿泊客達の振る舞いを描くのだ。
「…………うん、悪くないな」
面白くなってきたので慌ててペンを取りながら、無慈悲な主人とそのお付きの設定は、先程見かけた二人連れを参考にしようと思う。
美しく地位の高い主人に、冴えないお付き。
しかしながら女は主人に恋い焦がれており、何とか主人の弱みを握って関係を持とうとしているのだ。
(作家役は…………)
冴えない作家役の男には、実は高位の魔物である中年男を元にして、つまらない物語を考えさせよう。
魔物はそんな作家を弄び、彼が狂喜して妄想を膨らませるような要素を少しずつ見せてやるのだ。
やがて推理が暴走した作家は、その中年男を正体を隠した大国の公爵だと思い込み、取り入ろうとして殺されてしまう。
「………うん。悪くない。と言うか、なかなか面白いじゃないか」
やはり、事実は侘しくもつまらないばかりで、こうして作り上げる物語には敵わない。
そう考えてしまうと少し虚しくなったが、とは言えまぁそんなものだろう。
その晩は筆が乗ったこともあり、そのまま夜明けまで執筆に没頭してしまった。
そして、思いがけない光景を見たのは、その翌朝の朝食の席でのことだった。
(…………昨日の二人連れか)
一睡もしていないので早い時間の朝食に出たカーライルは、作品の参考にしたこともあり、その美しい男と少女を何気なしに見ていた。
(…………ん?)
すると、今日は音の壁を作り忘れているのか、二人の会話が聞こえてきたのだ。
「昨日は嫌じゃなかったかい?」
そう微笑んで少女の頬を撫でた男に、おやっと思って目を逸らしながら内心首を捻る。
一言でも関係性がわかる一瞬というものがある。
どこか高慢に囁かれた甘い言葉だが、耳に残った響きでわかるくらいには、真摯にその反応を気にかけている気弱さも窺える。
これは、本命ではない相手には発されない響きではないか。
(……………へぇ。本気のお相手なのか。あんな地味な女の子に夢中だなんて、案外いい奴かもしれないな)
この二人は、どうやらカーライルが想像するような雰囲気ではなさそうだ。
そのことに興味を持って、こっそり二人の会話に聞き耳を立てる。
しかし、次の瞬間、少女は大人しい顔をして恐ろしいことを言い出したのだ。
「ふふ、ディノは思っていたより普通ですね!何だか想像していたような玄人な感じではなくて、少し安心してしまいました」
(……………お、男に何てことを言うんだ?!)
その言葉を聞いた途端、カーライルは飲んでいた水を吹き出しそうになった。
卵料理を運んできていた給仕にも聞こえたのか、がちゃりと皿を揺らして動揺している。
男同士だけにわかる、あまりにも恐ろしい言葉に顔を見合わせてから、給仕はそそくさと戻ってゆき、カーライルはとんでもない評価を下された男の方を見てみた。
案の定、目を見開いた男の方は凍りついてしまい、それに気付かずに少女は嬉しそうにサラダをつついている。
(……………うわぁ。いや、そうなるよな。他人の僕が聞いても胸が痛いくらいだからな)
朗らかな彼女に対し、男の方は衝撃のあまり震えてさえいるようだが、あれは今後の心の傷として大丈夫な範疇なのだろうか。
もしかしたら、男はただ美貌を買われただけの人間で、こちらの少女の方が魔物か何かなのかもしれない。
(いや、でも完全にわかってないで言ってる風だぞ?………まぁ、だからこそ余計に胸に刺さるだろうな)
「ディノ、しょんぼりですか?………もしかして、もっと特別なところを出したかったのでしょうか」
そうこうしている内に、全く己の発言の残虐さに気付いていない少女が、またしても残酷なことを口走っている。
(…………おいおい、両手で顔を覆ってるぞ。ありゃ、立ち直れないだろうな)
そう言われた男性の方は更に可哀想なことになってしまっていたが、カーライルには、彼がその前に呟いたご主人様という言葉も衝撃的であった。
この二人が、見た目とは正反対に主従が逆の立場であるのも驚きの事実ではないか。
視線の端では、カーライルが何か訳ありかなと思って見ていた一人で朝食を摂っていた青年が、見るに見かねたのか席を立ち少女に何かを言いに行っていた。
そこからは音の壁を展開されてしまい、会話は聞こえなくなったが、少女の残酷な言葉で心を傷付けられてしまった男は、中々顔を上げられなかったようだ。
ようだと結ぶのは、カーライルが早々に朝食を切り上げて部屋に戻ってしまったからである。
もう少し、その三人のやり取りを見ていたい気もしたが、会話を音の魔術で遮られてしまったので、もうここまででいいだろう。
それよりも、今朝まで書いていた作品を手直ししたくて堪らなくて、居ても立っても居られない気分だったのだ。
(主従が逆に見えるが、実は女の方が主人。…………いい!いいぞ!!)
乗りに乗ってその日に最後まで書き上げた作品は、公演を打診されていたヴェルクレアの王都での舞台で初披露されることとなった。
生粋の王政の国と違い、ヴェルリアは商人の街でもあるのでなんとも価値観が幅広い。
大国らしいおおらかさもあり、主従逆転の物語や、残虐なだけではない魅力的な魔物が出てくる物語でも批判の対象にされることもない。
(これは、僕の代表作になるぞ………!!)
そう確信した通り、事実その公演は大当たりであった。
後日、ご主人と召使いの舞台はヴェルリアの劇場で喝采を浴びた。
侍女に扮して旅をしている権力争いで国を追われた元女王と、その主人役を演じている護衛の騎士が、とあるホテルで、宿泊客を狙っていた魔物を見事な機転で追い払うのだ。
魔物は女王に密かに恋をしており、知恵比べで負けたふりをして去ってゆく。
仮面の魔物を少し捻り、顔のない魔物、誰も正体を知らない何の魔物だかわからない魔物としたこともあり、王都ではその魔物の正体を推理する熱い議論が交わされているそうだ。
お忍びで観に来てくれた第一王子が、この舞台の騎士と女王が知り合いに似ていると連れに話していたそうで、またその言葉から考察が盛り上がり、舞台は最終日まで盛況であった。
実際にあった秘密の事件を描いてると想像させる程に、観る者を喜ばせる物語の裏話はない。
第一王子の発言は、とても良い燃料になってくれた。
「もし、その時の青年が本当に仮面の魔物だったらどうするんだ?」
そう尋ねたのは、酒場で再会して一緒に飲み始めた相手、数年前にもよその国で会ったことのある男だった。
身なりから察するに騎士か、貴族の三男あたりだろう。
人当たりが良く嫌味のない気のいい男だが、それだけなのが惜しい。
だからか、よく見れば顔など整っているくせに、あまり女性の目は惹かないようだ。
「はは、ないよ。それこそ、酒場で酒を飲み交わしていた相手が、実は死者の王だったっていう話の方が、まだ信憑性がある」
「………その話は、まぁ、よく聞くよな」
「自慢話と、怪奇談のいいとこ取りだろ。実は死者の王と飲んでいました!みたいな、男の下らない自慢話だな。作家的には捻りがなくて悲しくなる」
「君は、もし、俺が死者の王だと言い出したらどうするんだろうな」
「おいおい、やめてくれよ!そういう陳腐な話は置いておいて、あんたが来たっていう、スールの話をしてくれ」
「死者の王の話より、戦争の話か」
「当たり前だろ。使い古された怪奇談より、行ったこともない国の話の方が百倍は面白い」
そう言ったカーライルに、男は困ったように苦笑していた。
がやがやと煩い大衆酒場にいるには、妙に品のいい男である。
「やれやれ、俺も、こんな風に邪険にされたのは初めてだな」
「さてはお前、死者の王の名前でも騙って、女の子をひっかけてるんだろう」
「そうかな。死者の王の名前だと、逆に敬遠されないか?」
「はは、確かにそうだ!僕も、創作欲を刺激してくれるとしても、死者の王とだけは一緒に飲みたくない」
「…………嫌なんだな」
その男とは朝まで飲んだ。
シュタルトでの話をたいそう聞きたがったので、あれこれ話してやり、ご主人様と召使いの発想元になった二人連れのことを教えてやる代わりに、幾つもの戦場の話を聞いた。
次回作は、スールの革命軍を参考にして、大衆が喜ぶ英雄譚にしようと思う。