リーベル
とんでもない連絡が入ってきたのは、夕刻も過ぎた頃だった。
その日、リーベルは休暇でシュタルトに出かけており、せっかく足を運んだ麻製品の有名店が貸切営業であることにいささかがっかりしていた。
ダリルに褒められて気分が良かったので、弟の結婚祝いを買ってやろうと思ったのだが、珍しく行動的になった時に限ってこういう目に遭うのだ。
しかしながら、姿を消していたジルフに接触が出来たり、なかなか遭遇が叶わなかったウィームの歌乞いに出会えたりと、興味深い収穫もあるにはあった。
(だが、…………)
だが、ネイはリーベルがこの世で最も会いたくない相手だった。
(…………よりによって、ネイに会うなど)
それは、リーベルが第四王子派として暗躍していた頃、一介のはぐれ魔術師のふりをして王子の相談役をしていた者の一人、レーヌでさえ得体が知れないと匙を投げていた男であった。
飄々としており言動も軽薄だが、したたらせてゆく毒は厄介なものばかり。
第一王子派や、旧ヴェルリアの王族達に並々ならぬ恨みがあることだけはその言動で窺えたが、それがなぜなのかはわからなかった。
行動を司る理由が見えない者程、不確かなものはない。
自分を取り立てなかった者達が憎くて堪らないレーヌや、自身の過去を辿る為に王宮で血が流れる様を見たいというジルフ。
あの場所に集う者達の動機は、使い勝手がいい支援者が欲しいだけである自分も含め、非常にわかりやすかった。
それなのに、ネイの目的だけが曖昧なまま。
『ありゃ、君の能力はえげつないなぁ。どうせなら、第一王子の耳元で囁いて欲しいけれど、彼には通用しないだろうしねぇ』
そう微笑んでいたあの魔術師は、魔物のように気紛れに遊び、精霊のように陰惨である。
多くの人命が失われることをこよなく愛するかと思えば、何の益にもならない妖精を助けたりもする。
だから、そんな男が傷だらけのアイリスの妖精を拾ってきたのは、ただの気紛れだった。
『困りましたね、また寝台に引き摺りこんだお相手を食い散らかしているんですか?』
『伝言ごときで勝手に部屋まで入ってきた君に、そんなことは言われたくないね。それに、その子は寝台に入れてないよ。拾ってきたけれど、傷だらけで汚かったから、捨てておいただけ。まだ生きてるかなぁ』
あまりにも無責任な言動に、溜息を吐いて床に倒れたまま動かない妖精を見下ろした。
『面倒臭いのが来ちゃったから、僕は出かけてくるよ。それは君にあげる』
『………ちょっ、ネイ?!』
『今夜の襲撃とか何とかは、僕は不参加で。見たい舞台があるんだよね』
制止の声も虚しく、彼はふわりと転移の足を踏み、姿を消してしまった。
部屋に残されたのは、片方の羽も失い、ぼろぼろになった濃紫の髪の妖精だけだ。
この遺体の処分をするのはまさか自分じゃないだろうなと考えて眉を顰めていると、小さなうめき声を上げて妖精が傷だらけの顔を上げた。
『…………っ!』
あの瞬間の動揺は覚えている。
こんな無垢な瞳をした生き物がまだいるのだという感動と、そんなものでも理不尽に死んでゆくのだなという虚しさと。
しかし、リーベルの想像に反して、その妖精は運よく生き延びることとなった。
数ヶ月後に偶然見かけた時、彼女はとある貴族の代理妖精となっていた。
羽はボロボロだが、怪我が治れば美しい少女である。
幸せそうにその男に付き従う彼女を見ながら、床から拾い上げた日のことを思う。
華奢な体を掴み上げて女中に渡すまでの間ずっと、その夢見るような緑色の瞳がこちらを見ていたことが暫く忘れられなかった。
(妙な妖精だったな…………)
生きているのならば、自分達を滅ぼしたのが誰なのかぐらい覚えているだろう。
リーベルが魔術で改心させ、仲間達を皆殺しにするよう命じた妖精がいたので、その集落や組織にいた妖精に違いないという確信があった。
それなのに彼女の目には、仲間に裏切られたという怨嗟の色合いはまるでなかったのだ。
『リーベル様、また弟さんからのお手紙をこんなところに置きっぱなしにして!』
『興味がないんですよ』
『さてはまた寝ていませんね。術式符の再錬成なんて、もう充分だと思いますよ』
『幾らでも作りなおせるのが符のいいところなんですよ。脆弱で無知な君にはわからないでしょうが』
『脆弱で無知でも、あなたの友人として寝かせなければいけないことぐらいは知ってますからね!』
そのアイリスの妖精は、自分の傷の手当てをしてくれた女中の主人である、レーヌの傘下の貴族の子弟に恋をしたのだと言う。
代理妖精となり、その男に仕えているのだ。
そして不思議なことに、あまり誰かとつるまない自分を友人だと言って憚らない。
寝食の心配をし、口煩くなにかと絡んでくる。
長い濃紫の髪に、少女のような華奢な肢体。
微笑みを浮かべているばかりの緑色の瞳には、驚く程に無垢な善良さがいつまでも揺れていた。
悪意を手配する人間の愛人に成り下がったのだから、もっと薄汚れてもいいはずなのに。
それなのに彼女はいつまでも変わらず、やがていつの間にか、本物の友人になりつつあった。
善良で美しいままだが、時々愛する男の為に罪のない人間も殺す。
そんなちぐはぐな友人と最後に会ったのは、潤沢な知識と魔術を備えたと思った愚かな自分が、弟を餌にして、ようやく隙を見せたダリルダレンの書架妖精を狩りにいったあの夜が最後だった。
あれから、どれだけ経ったのだろう。
ダリルからの通信に気分よく応じたところ、開口一番で叱られながらそう思う。
「リーベル、ネアちゃんのこと苛めたでしょ」
「苛めてなどいませんよ。危ういものと一緒にいるので、忠告したまでです」
「ディノのこと?あんたに、契約の魔物を危険視するようなところなんてあったっけ?」
「………………契約の魔物?彼女と一緒に居たのはネイでしたよ。以前お話しした………」
「ああ、ジュリアンのところにいた魔術師兼、塩の魔物ね。でも、そいつなら、お留守番はもう嫌だってことでヒルドから離れなくなってて、今日はこっちでボール遊びしてるけど?」
「聞き間違えでしょうか?ボール遊びと聞こえたような気がしたのですが…………」
「そ。調べものしてるヒルドに、時々ボールを投げて貰って追いかけてるね。延々とやってるから、ずっと床の上をしゃかしゃか走り回ってて、煩いったらない」
「……………ええと、ダリル様、俺が話しているのは、人型の魔物のことで…」
「そう、だからそれだってば!だからつまり、塩の魔物はここでボール遊びしてるから、シュタルトには居ない筈だよね?あんた早合点したんでしょう?珍しいね」
「………………人違い?」
「だろうねぇ。因みにネアちゃんは相当執念深いから、早めに和解しておかないとどうなるかわからないよ。渾身の呪いも幾つか持たせてるし、本人も思いもよらないえげつない報復方法を編み出すから要注意だよ。そうなった場合は巻き込まれたくないから、こっちには持ち込まないでね」
「ダ、ダリル様………」
「そういうことだから、すぐにどうにかしな。それと、ジルフについては、あんたが手を出しても拗れるだけだろうしそのままでいいよ。あの引きの強い子がどうにかしてくれりゃいいんだけどね」
少しぐらいまともに会話をしたかったのに、リーベルが精神を立て直す前に、通信はそこでぷつりと切れた。
回線の向こうで誰かが、本を齧るなと叱られていたようだが、それはまさかあのネイのことだろうか。
確かに“ネイ”という名前で叱られているのが聞こえた気がしたのだ。
呆然としたまま、今言われたことを脳内で必死に整理した。
まず、今日出会ったウィームの歌乞いと一緒にいた魔物は、塩の魔物ではなかったらしい。
(しかし、メゾンでは確かに、塩の魔物に葡萄酒を渡せたと話していたが………?)
リーベルが店に入った時に、確かにそんな声が聞こえたのだ。
はっとして注意深くその会話に聞き耳を立てていれば、どうやらとある妖精の紹介で食事に来た少女が塩の魔物を連れて来たらしい。
さり気なく懺悔の術式を応用して店員から話を聞き出せば、メゾンの主人は、統一戦争以降交流が途絶えてしまった塩の魔物に葡萄酒を渡せたと涙ながらに喜んでいたと、あっさり話してくれた。
その魔物の同伴者がヒルドという妖精の紹介だと知り、それで灰色の髪の少女であれば、間違いなくウィームの歌乞いだと確信した。
「…………契約の魔物だったのか」
ダリルとの通信用に遮蔽した空間の中で、リーベルは頭を抱えた。
確かにあの男は、自分を知らないと言っていた。
本当に初対面の魔物であったのだから、それはそうだろう。
おまけにその魔物は、階位は明かせないが決して不興を買うなと注意されていた特等の魔物である。
(擬態しても、絶対に容姿は大きく変えず、長い髪のままだと聞いていたのは何だったんだ………)
短い髪をしていたし、あのどこか無防備で人懐こいようなおかしな気配は、ネイのそれに酷似していた。
先日、ダリルからネイがリーエンベルクの側に付いたことと、実は塩の魔物であった彼を懐柔したのがウィームの歌乞いであることを聞かされていたので、まさしくその二人だとばかり思ってしまっていたのだ。
ネアという名前の少女には、いつかきちんと会ってみたいと考えていた。
同じ立場でダリルの寵を競う宰相の息子からも、彼女はとんでもないぞと聞かされていたし、ダリルからも良くも悪くも嵐のような生き物だと聞かされて、会う機会が巡ってくるのを楽しみにしていた。
だからこそ、正式に指輪を得た特等の魔物がいながら、あんな男と休日を過ごしているのかと思い失望してしまい、すっかり陰険な物言いになってしまった。
よりにもよって自分は、契約の魔物とその婚約者に向かって、その関係は愚かしいものだと物申してしまったのだ。
(……………もし、見苦しい制裁になるようであれば、ダリル様のお目汚しをしないようにしなければ)
血の気の引くような思いでそう覚悟を決め、遮蔽を解いてふらふらと歩き出した。
弁解しようにも、婚約者ではなく塩の魔物と羽目を外していたのだと疑われたのだから、どちらにせよ不興を買うことは免れないだろう。
契約の魔物も然り。
あちらについては本気で不愉快そうにしていたので、場合によっては生きて戻れないかもしれない。
(ダリル様と、…………ゼベルにも一文残しておくか)
最悪の事態も想定しておき、念の為に遺書めいた書き置きを作っておくことにする。
契約の魔物の狭量さは有名で、些細なことでその不興を買い命を落とす者は少なくない。
自身への罵倒は場合によっては受け流す魔物だが、歌乞いを恩寵とする契約の魔物に関しては、その歌乞いを損なうことは、ほぼ確実な死刑判決を意味することであった。
並みの魔物であれば各方面から調整のしようもあるだろうが、何しろ相手は特等の魔物。
以前、ネイが塩の魔物だと聞いて酷く動揺した自分に、ダリルが彼女の契約の魔物はその上位だから問題ないと話してくれた以上、公爵位相当の、更にその中でも上位の魔物なのだ。
(そう言えば、前にもこんな手紙をダリル様に書いたことがあったな………)
それは、書架妖精を侮った自分が返り討ちにされ、その残忍で美しい妖精の虜囚となった後のことだった。
何かに心焦がれ、何かの為に生きていきたいと思ったのは、あの日が初めてだ。
無様に転がされて床に這いつくばった自分を、馬鹿な子だねと笑った絶世の美女に恋をした。
後にダリルは男性であったことが判明したが、そんなことは問題にもならない程、その妖精は美しくも恐ろしい心を捧げるに値するものであった。
『あんたは口が達者だからね。この足に取り縋りたいのなら、口先だけじゃない証を持って帰っておいで。手先が器用で口が達者な子供程、愚かなものはない。拾い上げるのに相応しいだけの仕上がりじゃなきゃ、あんたはいらないよ』
真夜中の書架で、鮮やかな青いドレスがふわりと揺れる。
大きく広げられた羽が光っていたのは、リーベルが本を傷付けてこの妖精を怒らせたからだ。
そして、割れそうな程に真っ青な瞳を細めて嗤った妖精が望んだのは、第四王子派の上位貴族の首であった。
『幸いあんたはまだ泥水の中だ。泥の中にいる間に、その惨めさに相応しい仕事をしておいで。上手く戻って来れたら、もっとやり甲斐のある上品な仕事を教えてあげるよ』
刃のような微笑みに魅入られ夢中で頷いたのは、大切なものなどある筈もなく、その要求は容易いのだと信じて疑わず、寧ろこの妖精の為に命を懸けられることを心から喜ばしく思っていたから。
あの夜は、夜の深い新月の夜だった。
『リーベル………』
最後にそう呟いて瞳を怨嗟に歪めたのは、彼のたった一人の友人だったアイリスの妖精。
リーベルが持ち帰ろうとしたのは、彼女の愛する男の首だった。
彼女は強かった。
ネイが連れ帰った夜に捥ぎ取られた羽は六枚羽であり、月光の欠片のように煌めく双剣を使う、アイリスのシーだったのだ。
無防備な子供の様に微笑んで、あの方の側に居られるだけで幸せなのだと笑っていた友人は今、血と土に汚れてこと切れている。
最初に出会ったあの日のように、その瞳が再び開かれることはない。
命じられた貴族の男の首を落すのは簡単だったが、自分の返した魔術でずたずたになった彼女の遺体を目にすると、胸が潰れるような気がした。
あの善良だった緑の瞳を歪めて憎まれて初めて、自分がどれだけこの友人を好いていたのかを知ってしまったからだ。
そして、そんなたった一人の友人さえも、一目見ただけの妖精の為に殺してしまえる己の浅はかさが悲しかった。
血が滴り落ち、視界が曇る。
泣きたい程に惨めなくせに、この首を持ってあの書架妖精に再び傅くのを至福だとも思う。
そんな時に通りかかったのが、あの男だった。
『わーお、殺しちゃったか。最近綺麗になってきたから、デートに誘おうかなと思ってたのに』
女と遊んで帰ってきたのか、だらしない格好で通りがかった彼は、まったく緊張感のない声でそう言い放ち、こちらを見て奇妙な微笑を深めた。
『楽しそうだね、この子も君も。愛する者の為に殺したり殺されたりするのは、ご機嫌なことだものね』
月のない夜にその黒衣が揺らめき、その嘲笑がひたすらに憎かった。
失われたものも、失った者も、これだけの覚悟と苦痛を抱えた者を嗤うこの男が許せなかった。
『そっちに行くなら、もう会うことはないかもね。僕はウィームには行くつもりがないし。………それにしても、花のシーはやっぱり極端だなぁ。知ってるかい?この種の子達はね、羽を捥がれると、その後で自分を庇護した相手に心を渡してしまうんだよ。それも試してみたかったけどね』
『……………まさか、それを知っていて、あなたが彼女の羽を引き千切ったのですか?』
『うん。でも、持って帰るまでにぼろぼろになっちゃったから、興味がなくなったけどね。まぁでも、アイリスは恋が叶わないと死んでしまう妖精だから、どっちにしてもこういう顛末かな』
『…………………彼女は、』
その時、自分が何を言おうとしたのかはわからない。
所詮何を言っても、友人を殺したのは自分であるし、彼女が最後に憎んだのも自分なのだ。
しかし、リーベルが何を言おうとしたのかをまるでわかっているかのように、ネイは悪意に満ちた酷薄な微笑をふわりと浮かべた。
『アイリスは、ヴェルリア王家のお気に入りの花だったからね。今夜はいいものが見れて気分がいいよ。…………あれ?どうしてそんな顔をしてるんだい?君がその手で殺したんだろう?いいなぁ、友達を殺してしまうくらいに夢中なものが出来た君は、これからさぞかし愉快な人生になるんだろうね。それがとても不愉快だから君を殺してしまうのも良さそうだけれど、ウィームに行くなら見逃してあげよう』
気付けばネイの姿はなかった。
願い叶って手に入れた男の首を抱えたまま、さらさらと土くれになって崩れてゆく友人の亡骸の前で慟哭にも似た嗚咽を飲み込んだ。
(ああ、そうだ。俺にはやっと欲しいものが出来たんだ)
だからと嗚咽を飲み込んだリーベルには、涙を流す資格などない。
血を流し過ぎた体を引き摺ってウィームに転移した。
流れ落ちて失われてゆく血を感じる度に、彼女が振るった刃の鋭さと、口煩く自分の世話を焼いていた善良な微笑みの少女を思い出す。
何とか、ダリルダレンの書架の前に辿り着いたところで、重たい体は動かなくなった。
『馬鹿だねぇ。と言っても、このくらいはしてくれないと困るから哀れだとは思わないよ。その代り、あんたはもう不肖だろうが何だろうが、この足元にいるんだ。次から困ったことになったら、私に相談しな。切り捨てるべきか、掬い上げるべきか天秤にかけて、面倒じゃなかったら助けてやるからね』
事の顛末を聞いた書架妖精は、そう微笑んで肩を叩いてくれた。
生まれて初めて感じる胸の熱さと、その後ダリルが教えてくれた様々な手段や策への驚きに、あの夜の苦痛は随分と曖昧になった。
それでも時々、あの緑色の瞳が夢に出てはくる。
だから今でも、リーベルはネイこと塩の魔物が大嫌いだ。
(……………ボール遊びというのは、一体何なのだろう……)
しかしながら、月日が流れてゆくことで変わるものもあるらしい。
まだどういうことなのかよく理解出来ていないが、今のネイは、ボールでウィーム領主の代理妖精に遊んで貰っているようだ。
とは言え、ガーウィンに所属するが為にリーベルがなかなか会えないダリルの側にいるのだから、やはり腹立たしい魔物である。
余談だが、ダリルに自分を再利用しないかと持ちかけたのは弟だった。
特異な守護を持ってはいるものの、社交下手で計算などとは無縁だったと思っていたゼベルだが、滅多に家にも帰らない兄が自分をリーエンベルクの騎士に推した理由は考えたようだ。
そうして考えて出した結論を持って、上司と一緒にダリルに相談に行ったらしい。
『ほら、兄さんは性格が捻じ曲がっているくせに不器用だから。自分の為に妙な野心を持つより、きっとダリル様みたいな方に手玉にとって貰った方が、幸せに生きられるような気がしたんだ。………ダリル様の周りって、そういう人が多いし』
あっけらかんとそう白状した弟に、目を開かされる思いで頷く。
弟の方が大物だねぇと笑ったダリルに、いささか赤面した。
ウィーム領主を失脚させる為の足場代わりに利用されたのに、どうして自分を助けようとしたのか聞いてみれば、勧められて勤めることになったウィームは、狼が多くてとても幸せだからだと言う。
『それに家族は大事だろう。狼は、群れを大事にする生き物なんだよ』
そう大真面目に言うのだから、所詮は狼の受け売りのようだ。
リーベルが、自分が生きて戻れない時はせめてという想いを綴って書き渡した手紙をあっさりと弟に見せながら、悪辣に微笑んだ書架妖精は美しかった。
一筆書くのはあの時以来だ。
何とも言えない懐かしさと胸のざわつきを覚えつつ、どうせあの方はまた誰かに見せてしまうのだろうからと簡単な文章を残す。
どんな言葉だろうと、せめて最後に自分の思いが伝わればいいのだ。
しかし、そんな覚悟を持って謝罪に向かった先で、ウィームの歌乞いと契約の魔物は、趣味の悪い遊びに興じていた。
あまりに無謀な遊具に引き攣った顔を見咎められ、なぜか自分もやらされる羽目になる。
それは、ありったけの魔術で防御しなければ簡単に命を落としてしまうような、おぞましい試練であった。
そんなものをあの少女が気楽に楽しんでいたのも驚きであるし、あまつさえ彼女は、途中で片手を離して獰猛な精霊を狩っていた。
ガレンの魔術師ですら食い殺してしまうけだものを片手で狩ってきた彼女を見たとき、この恐ろしく常識のない歌乞いに特等の魔物が抑えについたことを感謝したものだ。
その後半年は、あのブランコを夢に見ては魘されたので、今後は不用意にあの二人に近付かないようにしようと思う。
因みに、謝罪に対して提示された賠償は、彼女からの小包を五回受け取ることだった。
それは彼女の気が向いた時にだけ送られてくることになっており、必ず自分で受け取って開封しなければならない。
初回の箱には箱いっぱいの豆の精が詰め込まれており、ガーウィンの自宅は大惨事となった。
その次はベタベタとしていて悪臭を放つ紙容器の精を詰め込んで送ると予告されていたので、どうしたら許して貰えるのかをダリルに相談している。
その後、弟に結婚祝いを届けた際に、現在の塩の魔物の姿を見かけた。
ガーウィンに属するリーベルは、付き添いなしではリーエンベルクの敷地内には立ち入れない。
用があるからと同行してくれたダリルによれば、騎士団長にボールを投げて貰って夢中で追いかけている小さな灰色の獣が、あのネイであるらしい。
どうしてあんな姿になってしまったのだろうと慄いていれば、きちんと動物用の予防接種も受けているので感染症などの危険はないと言われ、なぜだか泣きたいような気持ちになった。
もし、どうしても塩の魔物に報復をしたいのであれば、ボールを見せつけて投げないままずっと焦らしていると、悲しくて尻尾の毛が抜け落ちるそうだ。
自分も何か大事なものを失いそうな気がしてならないので、その報復方法を実行に移すことはないだろう。