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セイレーンの花と湖水葡萄のメゾン


シュタルトの街は夏でも雪をいただいた山々に囲まれ、景勝地としても名高い。

そんなシュタルトの高山地には、エーデリアと呼ばれる幻の白い花が咲く。

ウィーム領主でもあるエーダリアの名前の語源でもある、雪の系譜の薬草の中では最上位にあたる美しい花だ。


雪草の一種であるが薬効が強く、採集者が命を落したり行方不明になることも多い気難しい植物であるので、望んだものを死に誘う美しいものという意味で、セイレーンの花とも呼ばれている。

それでもこの花を求める者達が後を絶たないのは、エーデリアの花が不老不死を司るからだ。


「わ、エーデリアの花があんなに咲いていますよ。やはり、見るだけなら簡単なのですね」


そして、一面に咲いた姿を見るのは比較的簡単であることも、挑戦者を増やしてしまう理由であった。

山肌に群れ咲いている姿が見えるのだからと、軽装で山に登って行ってしまい帰らない者は多い。

それは決して人間に限ることでもなく、魔物や妖精にも行方不明者の話はよくあることだった。


「咲いている様子が下からでも見えるときには、まだ満開ではないんだよ」

「まぁ、そうなのですか?実は少しだけ、皆さんへのお土産に持って帰ってあげようかなと思案していたので残念です」

「お土産……………」


ディノがどこか遠い目になるのは、エーデリアの花が幻の花とされるからだろう。

しかしながら、道中の草原でリズモを捕獲したネアに死角はない。

またしても、収穫の祝福を増やしているのだ。


「不老と不死を司るお花なのですよね?」

「と言うより、不変を助けるものだね。それに、与えられる祝福はせいぜい一年程だから、この花を探すくらいなら春告げの舞踏会の祝福の方が確かなものなんだ」

「今までの犠牲者さん達が一気に不憫になりました。不変ということであれば、死なないのは確かなのですか?」

「例えば致命傷になるような怪我をしても死なないけれど、祝福が切れた途端に死体になってしまうんだ。死を惜しむ残された者達には有用だとしても、当人にはあまり喜ばしい祝福ではないような気がする」

「不滅の愛という花言葉が、一気に凄惨な様相を帯びてきました………………」

「欲しいなら幾らでも作ってあげるよ。元々は、私の足跡から生まれた花だからね」

「………………む」


思いがけない近さに生産者がいたので、ネアは言葉を失う。

お土産にしたいということに対しての反応が微妙だったのは、だからであるようだ。


「だから、お土産にされると気恥ずかしかったのですね」

「花言葉が不滅の愛だから、ネアから贈るのはやめようか」

「そっちだった………」



ネア達は今日、シュタルトに一泊二日の旅行に来ている。

観光地らしく転移到着推奨地があるので、そこまでは転移で一っ跳びをし、後はのんびり早春の湖水地方の風景を楽しむことにする。

通常の旅行客には大荷物があるが、ネア達には素敵な金庫があるのだ。


前回に来た時には全面を雪に閉ざされていた大地には鮮やかな早春の花々が溢れ、枝葉を伸ばした木々には綺麗な色の小鳥がいる。

純然たる気候のみで運用された前の世界と違い、こちらの世界の季節の移り変わりには魔術やその季節を司る人外者の影響が大きい。

その結果、こうして残雪の中から色鮮やかな春の花々が咲き乱れるという光景が出来上がるのだ。


「青いお花が多いのですね」

「ここは塩の気配が強い土地だからね。ノアベルトの持つ色彩の加護をよく受けている」

「そうなんですね!白いお花も多いですし、そこに、淡い黄色や紫、可憐なピンクも混ざるのでとても綺麗です」

「白い花が多いのは、私もノアベルトも白を持つからなんだ。ここは、白持ちの加護が大きい土地でもある。最近では、アルテアも気に入っているようだから、土地的に高位のものが好む要素が大きいのかもしれないね」

「アルテアさんまで………」


聞けば、訪れるのは十年に一度程度ではあるが、白百合の魔物や、虹の魔物の別荘もあるのだそうだ。

シュタルトは、かつてのウィームという魔術豊かな国の中でその優雅な王宮文化を受け継ぎながら、加えて小国のような閉ざされた清涼さをより強める土地でもある。

雪山と湖に研ぎ澄まされた土地には、更に森や星の加護も深く、何といっても魔術の根源を司る塩の加護は大きい。

豊かな森に沢山の生き物が集まるように、シュタルトの豊かな魔術には多くの人外者達が集まるのだ。


「私の生まれた世界では、塩は大地を損なってしまうものでした。塩そのものは生活に不可欠なものなのですが、塩を多く含む大地にこれだけの草木が成長するのが不思議だと思ってしまいます」

「そうなんだね。こちらでは、塩を含む大地は魔術が潤沢だから成長が大きい。その代りに、土地そのものに魔術が希薄だと不毛の大地になると聞いたことがあるよ」

「魔術があるかないかで、全てが変わってきてしまうのですね………」


魔術可動域が低いので、自力で洗濯も出来ないらしいネアは遠い目になる。

すぐさま隣の魔物が、自分がいるから生活には困らないよとフォローしてくれた。

しかしながら、来年のボラボラの祭りにも嫌がって泣き叫ばれないように気を付けなければいけないので、ネアとしてはやはり悲しい限りだった。


二人が歩いているのは、美しい高山植物が咲き乱れる遊歩道だ。

転移推奨地から湖畔にある街の中心に向うには三つの経路があり、湖沿いに歩く一般道に、少し奮発して乗る湖の渡し船。

そして、妖精に攫われてしまったりするので玄人向けな山の中腹を抜ける道がある。

幸運なことに、ネア達が散策している道には他の観光客の姿もなく、二人は昼食までの時間をのんびりお散歩することにした。


「ほわ!ディノ、鳥の羽のある猫さんがいます!!」

「芥子の花の精だね。青いものは幸運をもたらすと言われていて珍しいんだよ」

「見るだけで幸運はもたらされるのですか?」

「どうだろう?見るだけでいんじゃないかな」

「収穫の祝福に次いで、幸運を手に入れました!!」


ネアが見付けたくすんだ藍色の翼のある猫は、どきりとするぐらいに鮮やかな緑色の瞳をしている。

騒がしい観光客にちらりとこちらを一瞥したが、今は擬態していないディノを見付けて、びゃっと木の上に飛び上がった。

羽ばたいた途端、鱗粉のようなきらきら光る粉がふわりと広がる。


「もしかして、あの子は妖精さんなのでしょうか」

「鳥の精霊が持つ脂粉の一種だね。翼を守る為のものだ。雨待ち鳥の粉は、雨乞いに使えるということで南方の国では高く売れるらしい」

「そやつを捕まえてみせます!」

「ネア、雨待ち鳥は、雪食い鳥と同じような危ない生き物なんだ。欲しい時には捕まえてあげるから、君は粉を取る作業に専念するといいよ」

「もしや、雪食い鳥さんの試練のようなものが、そちらの鳥さんにもあるのですか?」

「雨待ち鳥は、水呼びの呪いを持っている。唐突に雨待ち鳥に話しかけられたら、不用意に答えると呪いを貰ってしまうから注意した方がいいね。話しかけられたら、その質問には答えられないと返せばいいんだよ」

「ふむ。覚えておきますね」


少し嫌な予感がしたが、ネアは凛々しく頷いておいた。

水呼びの呪いというものは、ひたすらにじめじめしてしまう呪いであるらしい。

黴てしまったら大惨事なので、湿気取りの魔術を覚えておこうと心に誓う。


(そう言えば、ダリルさんが水竜さんは書庫の湿気取りが出来るって言っていたような……)


となれば、万が一の場合は、エメルに湿気取りをして貰えばいいのだろうか。



雪解け途中の山間の道は、少ししっとりとした土を踏んで歩く。

細やかで個性的な高山の花達は見飽きることがなく、雲の影が流れてゆくその中を歩くのは素敵な気持ちだ。

胸を抜けてゆく空気が、やはり土地によって違う。

ここはきりりと冷たい雪解け水のような涼やかな空気であった。


「ディノ、トロッコ列車は魔術で動くのですか?」


ネアがそう尋ねたのは、向こうの山肌にトロッコ列車のレールを見付けたからだ。


「山の精霊魔術だね。気に入らないお客が乗ると、物凄い勢いで走るそうだよ」

「むぅ。それも楽しそうですが、景色を楽しみたいので普通の早さがいいですね。精霊さん達は無償で働くわけではないのですよね?」

「確かに、どうして定刻に車両を動かせるのか不思議だね。精霊は時間通りという意識を嫌うんだ」

「遅延が多発しかねないので、少し時間に余裕を持って行動しましょう」


少し歩くと、絶景ポイントが訪れた。

角度的に湖とその周囲を覆う森、湖畔沿いのシュタルトの街並みが素晴らしく綺麗に見える角度があり、宝石のような湖がきらきらと輝いていた。

足元には可憐な小花が揺れていて、風が何とも気持ちいい。


「…………懐かしいですね。ここが初遠征地でした」

「送り火の捜索で来たときには、ネアはまだ婚約者じゃなかったしね」

「む。そう言えばそうですね」


魔物は少し誇らしげに言ってみたようだが、ネアはそう言えば婚約者だったくらいのテンションで振り返ったので悲しげな顔をされてしまう。

婚約者であるのは確かなのだが、既に諸々を飛び越えて家族のようになってしまったので、ネアはその響きにあるべき初々しさの欠落に愕然とする。


ネアはさほどでもないが、もし魔物が婚約期間に理想を持っているようであれば、随分と物足りないのかもしれない。


「では婚約者な魔物と手を繋ぎます!」

「ネアが優しい………」

「あら、手を繋ぐくらいいつでもしてあげますよ?」

「体当たりもするかい?」

「……………初々しさとは」

「初々しさ?」


体当たりについては聞き流すことにして、ネアが手を差し出すと魔物も恥じらいながら手を出した。

もじもじしながら手を握ってくるくせに、きちんと手を繋ぎ終えると妙に切実に安堵の表情になる。

それは今朝、どこか得意げに、一緒に旅行をするのだと話していた時の眼差しにも窺えた。



こうして、嬉しい嬉しいと全部で訴えられると心がふわりと緩むのだ。

ネアがこの魔物を手放せなくなった最大の理由でもあるので、それを喜びながらも手放さなければと考えていた頃のことを少しだけ考える。


(あの頃は、この見知らぬ世界で新しく生き直せるのなら、どうしてもっと一般的で有り難みのある相棒と出会えなかったのかしらって、そんな風に考えていたっけ)



だから、戻り時の妖精に刺されたディノに、ネアは自分がかけた言葉に少し驚いた。

築き上げた思い出がもし失われてもそれでもこの魔物がいいと思えるくらいに、そんなにまで大切なものになっているのだと、あらためて思い知らされたのだ。



実はあの後、と言うことは大事な魔物の特別嗜好にも柔軟に対応出来るかもしれないと脳内で実験してみたのだが、椅子から転げ落ちそうになったので人生はそう上手くはいかないらしい。



「ディノは、旅行に行くのは初めてなのですよね?」

「うん。こうして余暇を過ごす為に、誰かと泊まりに出かけるのは初めてだ」

「じゃあ、これからはあちこち行きましょうね」

「………うん」


嬉しそうに微笑んで頷けば、真珠色の髪が淡く煌めいて揺れる。

今日の初旅行にあたり、ディノは現役を引退しつつある、初めて買ってもらったラベンダー色のリボンを結んでいた。

こういうところで時々乙女になってしまうので、ネアはついつい可愛さに頬が緩んでしまう。


「君に見せてあげたい国がたくさんあるよ。でも、危ないところは婚約期間が終わってからにしよう」

「終わった後だと何か違うのでしょうか?」

「…………より守護が深まるから、損なわれ難くなるしね。それと、もう浮気も出来ないし」

「おのれ、浮気者のように言いましたね!」

「ネアはすぐに、珍しいものを捕まえてきてしまうだろう?」

「それは、遭遇であって浮気ではないのです。誰彼と構わず恋を囁いたりはしませんよ?」

「毛皮だと撫でてしまうのに?」

「そこからが浮気だと知りぞくりとしました」

「ご主人様…………」


手を繋いで歩いている途中で、ディノは街歩き用に擬態した。

ネアと同色の髪色は変わらないが、冬服ではなくなっていたり擬態用の服装はさり気なく変わっている。

灰白の貴族的なジュストコールに、ワントーン落として青みを深くした灰色のジレが美しい。

刺繍は夜霧を紡いだ白に様々な夜の色の艶がかかったもので、恐らくこの刺し方はアーヘムの作品だろう。

装飾的で恐ろしく手が込んでいるのだが、とても繊細なので華美ではない不思議な装いだ。

よく人間の貴族や王族が履いてしまうイメージのキュロットタイプのズボンではなく、シンプルな細身のパンツに暗い色合いの青灰色のロングブーツを履いている。

このブーツが特に素晴らしく、装飾などが一切ないくせに、柔らかな革の曲線が肌に吸い付きそうな、形の美しさだけでリノアールの靴屋が倒れそうな逸品であった。


「ディノのブーツ、とても素敵ですね」

「靴職人の妖精がいるんだよ。ネアのものも、今作らせているからね」

「もしや、私の戦闘靴は、このブーツの職人さんが手掛けてくれるのですか?」


ネアが思いがけず大喜びしたので、魔物は照れくさそうにもじもじした。

褒めて貰えたのでご褒美かなと思ったようなので、それはブーツの納品時にと先延ばしにしておく。

勿論、ブーツが届いたらたくさん撫でて殺す方式で、特定嗜好のご褒美は回避させていただこう。

今年のネアは、婚約者をまっとうな嗜好に育てよう週間でもあるのだ。



「…………そして、湖の渡し船がひっくり返ったのが見えました」

「おや、今年は竜が戻ってきているようだね。ネア、湖竜は飼えないから捕まえては駄目だよ」

「精霊さんの片思いの相手に手を出す程、命知らずではありません。遭遇しそうであれば、ディノが回避して下さいね」

「わかったよ、ご主人様!」

「そして、船をひっくり返す悪いやつなのですね」

「あれは、じゃれてるんだろうね」

「大迷惑ですね…………」


確かに遠目でも、青色の竜らしき姿が見えた。

船頭さんにだいぶ叱られているようなので、やんちゃものなのかもしれない。

所謂、こういうものだという造形の典型的な竜で、とても爬虫類らしく同じ水の系譜であっても水竜よりはがっしりとしていた。


伝承によれば美しい青年になるそうなので、少しだけ見てみたいと思う。

でもどうせ竜ならば、ダナエのように角があったりすると人外者らしい美貌で素敵だなと考えた。

ネアは最近、羊の角を持つ水の乙女の容姿が大のお気に入りなのだ。


(うん。やっぱり、鹿角よりも羊や山羊の角の方が、くりんとしていて可愛いかも)


獣耳を持つ雷の魔物にも会ってみたいし、人魚やハーピーも興味がある。

こちらの世界では、自然界に存在しない動物の組み合わせを持つ作り物の命をたいそう嫌悪するが、麒麟に似た生き物はいるのでその基準がイマイチわからない。


蛇の胴体に女性の上半身を持つ精霊は美しいとされるくせに、豹の胴体に美しい女性の上半身、鳥の翼を持つ砂嵐の魔物はたいそう醜いとされるのだ。


(でも砂嵐の魔物さんは、砂の妖精を食べた風の魔物の成れの果てだというから、やはり不自然なものが嫌なのだろうか)


そこで一度虫系統の魔物の絵姿を思い出してしまい、ネアは慌てて愛くるしい魔物の姿を思い出して記憶を上書きした。

一度びくっと体を揺らしてしまったからか、ディノが首を傾げる。


「ネア、何を考えているんだい?」

「山羊の角を持っている鞄の魔物さんが、とても可愛いのです」

「浮気……………」

「違いますよ!あれは、よしよしと頭を撫でてお菓子をあげたい系統の、言わばゼノの区分の可愛らしさです」

「頭を撫でて食べ物をあげようとしてる…………」

「しまった、こちらでは食べ物を与えるのは親愛の表現でしたね…………」



魔物が少し不貞腐れたのでネアは三つ編みを引っ張ってやり、二人は懐かしいシュタルトの街に再びやって来た。


シュタルトの街並みは美しい。

今回の旅では街外れにあるホテルに泊まるので、今日はのんびりと街を散策しながら、湖水葡萄のメゾンに昼食を食べに行くのだ。


名物のこんがり焼いた白い仔羊のソーセージにチーズと湖水葡萄の葡萄酒で作ったソースをかけたものと、かりっと揚げたサーモンに林檎のチーズソースをかけたものが有名で、雪解け水の祝福を受けたきりりと冷たい葡萄酒といただけるこの時期には、各国から湖水葡萄酒のメゾンのファンが訪れる。


ネアの狙いは、余り物で作る素敵な葡萄ジュースでそのランチをいただくことだった。



「ディノ、観光の頭からで気が引けるのですが、その角にあるお店に入ってもいいですか?ゼベルさんに、結婚祝いで差し上げたいものがあるのです」

「いいよ。麻織物の専門店なんだね」

「ええ。地下から組み上げる地下水の動力と加護で、湖麻を織っているそうなんです。ゼベルさんの奥様は、麻紐を齧って遊ぶのが大好きだそうですので、角を噛んでいられるような麻織物を差し上げようと思いまして」


街の通りには既にちらほらと観光客の姿が見えた。



(……………ん?)



ふと、記憶にある誰かに似た人影を見たような気がして、ネアは首を傾げた。




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