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126. 襲撃事件が起きたようです(本編)


日が暮れると、ノアはそわそわし出した。

少し眠れたのはいいことであるが、意識がしゃんとした分、今度は心配事が出てきてしまったようだ。

ネアの厨房のある空間でうろうろと歩いたり、少しリーエンベルクに戻ってみて様子を見てきたりと忙しない。


火薬の魔物の突撃を経て、火の怨嗟の濃度が濃くなってしまったというリーエンベルクの周辺が心配でならないそうなので、ネアはトラウマ克服のきっかけになるだろうかと好きにさせている。

しかし、長時間外に出るのはやはり怖いらしく、少し出歩いてはぴゃっと帰ってくるので、その度に慰めてやった。



「すっかり暗くなりましたね」


リーエンベルクの側に戻れば、何度か、どこか遠くで鐘の音が聞こえた。


教会などの穏やかな鐘の音でも、ネアの悪夢の中で聞こえた葬送の鐘の音でもない、短く鋭い火事を知らせる為の半鐘の音に似た、不穏な響きのものだ。

実際に火が出現しているのだろうかと思えば、魔物達に過去の切れ端から聴こえてきている音なので決して近付かないようにと言われた。

こういう鐘の音に慌ててしまい、どこが火元だろうと走っている内にいつの間にか火の幻影の中に取り込まれてしまう者が多いのだそうだ。


「ディノ、リーエンベルクの中なのに、この音は微かに聞こえてしまうのが不思議です」

「ここはね、あえて音が届くようにしてあるのだと思うよ」


音は予兆となる現象の一つなので、このようなものまで遮断してしまうと外の様子が把握出来ずに見逃してしまうものもある。

なので、リーエンベルクの中では風や雨の音は勿論のこと、魔術的な事象の予兆になる音もある程度拾うような結界になっているのだそうだ。


「部屋にいると聞こえないんじゃないかな」

「区画ごとの結界の条件付けが違うのですか?」

「そうなると魔術の継ぎ目が出来るから、あまり他の国ではやらないだろう。ウィームのように、精緻な魔術が好まれる国の習慣だと思うよ」

「それはもしや、廊下にある小さなシャンデリアのお花の細工が、夜になると閉じているのも同じような嗜好だったりします?」

「リーエンベルクのこちら側は、居住を目的とした王宮だからね。外客用の棟になると、夜はまた違う趣向が施されていた筈だ」

「それは気付いていませんでした。今度探索に行ってみますね!」


ネアとディノがそんな話で盛り上がっていると、ネアの袖を摘まんだまま窓の外を見ていたノアが、面白いことを教えてくれた。


「時々、旧王朝時代のシャンデリアが混ざっているみたいだよ。直に魔術の火を焚いて、少し煤けたシャンデリアを見付けたら手を二回鳴らすといいらしい」

「む。二回鳴らすと何か貰えるのでしょうか」

「シャンデリアに住んでいる、火入れの魔物に悪戯をされないようにね」

「………必ず鳴らします」


今は魔術開発も進み、より安定した穏やかなまあるい光を灯せるようになってきている。

しかしシャンデリアにも魔術で直に火入れをしていた時代があり、その時代は火を入れたシャンデリアを巻き上げる為の行程がひどく面倒だったのだそうだ。

そんな時代に重宝された火入れの魔物は、我儘で悪戯好きな魔物だったそうで、現在ではあまり姿が見えなくなっている。

暗い赤色の狐猿に似た生き物で、仕事に疲れるとシャンデリアの上から火の粉を投げ落とすという困った魔物だ。

火の粉を投げ落とされたら絶対に許さないので、ネアは妙なシャンデリアを見付けたら必ず手を鳴らそうと心に誓った。



「ほら、リーエンベルクもそうだし、街の方が随分暗いだろう?今夜はこうして家々の灯りを落して、火の予兆に気を付けるんだ。今のところは火の事件は起こってなさそうだね」

「これだけ暗くすると星が見えたら綺麗なのでしょうが、火の慰霊祭はいつも雨模様なのですよね………」

「雨か霧のどちらかだろう。雨の方が多いと聞いているから、魔術の揺れが大きいのだろうね」


歩きながら廊下を抜けると、今度は遠くからオーケストラの音楽が聞こえた。

これは事前にヒルドからも説明されていたが、火の気配のする日には、統一戦争の開戦前夜に開催されたウィーム王家最後の舞踏会の音楽が聞こえることがあるのだそうだ。

こつこつと踏む床にいつもより暗い夜の庭が映り、もう春になった筈なのに窓には蜘蛛の巣のような霜が広がる。


「もうすぐ大きな火が焚かれて、その後でエーダリア様達はこちらにお戻りになるのですよね?」

「問題になっている火竜や、火の精霊が命を落とした時間になるんだ。その時刻の前後から大きな火を乗せた山車であちこちを回って、最後に街外れの河に送り火のようにして流すみたいだね」

「…………僕は、あの山車が大嫌いだ」

「あらあら、ノアにとっては嫌な感じの山車なのですね?」

「火竜と妖精の形を模しているからね」

「では、その火が焚かれてしまう前に、さくさくと会食堂に移動してしまいましょうね」

「………うん」


また少しだけ真っ暗な外を見ていたノアが、少しぞわりとしてしまったのか、ぴゃっとなって戻って来る。

今日のノアは、ネアとディノ間に入り込めば安心だという認識でいるらしい。

そして、決してネアに窓側を歩かせようとはしなかった。


「ネア、絶対に一人にならないようにね」

「むぅ、そうそう燃やされませんよ?」

「でもほら、君はすぐに色んなところに迷い込んでしまうから」

「ディノも居ますし、ノアもいます。迷い込む時には、二人とも道連れですね。とても頼もしいので、やはり安全です!」

「うん………」


そう微笑みかけてやれば、ノアはほっとしたような切実な安堵を滲ませた。

一緒にいないと守れないのだとさかんに言うので、やはり統一戦争の時に恋をした相手を失った記憶が蘇るのだろう。

ネアが初めて出会った頃の朗らかで軽薄な塩の魔物ではなく、今こうして見ているのはその後のノアを色付けた事件の影なのだと思えば、抱き締めて背中を撫でてやりたくなる。

銀狐になっていてくれれば抱いていってあげるのだが、イヴリースの訪問以降は有事の際に動けるようにと本来の姿のままでいることにしたようだ。


「晩餐は食べられそうですか?今日はあまり食べていないでしょう?」


そう問いかけたネアに、ノアは淡く微笑む。

ノアに構っているご主人様に寂しくなってしまったのか、反対側の魔物が羽織ものになってきた。

そちらも撫でてやりつつ、ノアとの会話を続ける。


「お昼にケーキを食べたし、ネアのクッキーも貰ったからね」

「クッキーはいつでも食べられるので、きちんとお食事になるものを食べた方が胃が落ち着きますよ?」

「でも、今夜はこのクッキーの方が元気が出そうなんだ」

「栄養バランスが………!」


ノアは元々、あまり朝食を食べない魔物である。

寝ていることが多いのと、夜にお酒を飲みながら誰かと食べるのが好きなのだとか。

なので昼食をあまり食べていない今日は、まだほとんど食事らしい食事を食べていないことになる。


対するネア達は、しっかり朝食も昼食もいただき、おやつのクッキーも通り抜けてきた。

そうなると食べっ放しに思えなくもないが、途中でクッキー生地との闘いがあり、更には庭の畑に現れた豆の精との死闘も挟んでいるので、食べただけのエネルギーは既に使い果たしている。


そう考えていたネアは、死闘の相手であった豆の精への憎しみに体を震わせた。


(おのれ、斃してもお金にもならない上に、豆を悪くする悪党め………!)


豆の精とは、小さな大豆ぐらいの真っ黒な生き物だ。

とても硬く素早く弾んで、ぱちんと体当たりしてくるので地味に痛い。

この豆の精が豆の木に取り付いてしまうと、育った豆がみんな黒く固くなってしまう。

頭に来たネアは捕獲して追い出そうと試行錯誤したが、素早すぎるのと小さいのとで、困難を極める戦いになってしまった。


滅多にない程に苦戦して倒したのだが、豆の精は売っても鳩の餌も買えないような脆弱な生き物だったのだ。

悔しいので、倒した豆の精は森の奥に向かって投げ込んでやり、畑の隅に上等なお酒を撒いておくと現れないそうなので、ネアはすぐさまその対策も済ませておいた。


その間の魔物はというと、荒ぶるご主人様のことを可愛い可愛いと愛でながら観戦していただけだ。

ちょこまか動く豆の精に翻弄されるネアが、初めて見た動き方をしていたのだとか。

これもとても悔しかったので、万が一また豆の精が出た場合には、ディノが駆除するように言い含めておく。


その死闘の後、ノアが起き出したのはもう陽も落ち切ったような時間であったので、クッキーは強請られてその場で一枚口に放り込んでやった後、残りは袋に詰めてお土産に持たせている。



「まぁ、エーダリア様からの伝言ですね。………火の幻影とは別に、街の方で何か事件があったみたいです」

「個人宅の襲撃って何だろう……」


会食堂に入れば、エーダリアからの伝言が、敷地内の騎士を介して届けられた綺麗な砂色の紙に記されている。

銀色のお盆に乗せてその紙を届けてくれた家事妖精にお礼を言い、魔物達と一緒に伝言を覗き込んだ。

街の方で個人宅の襲撃事件があったらしく、そちらの対応に騎士を割いてしまうので、何かあった場合はリーエンベルクの外周の警備にあたっているゼベルを呼ぶようにということだった。

内容的に少し心配にもなったが、大事はないと結ばれているのでほっとする。


「ありゃ、この感じだと、誰かが個人宅を襲撃したのかな………」

「むぅ。エーダリア様やヒルドさんではないといいのですが」


ネアが案じたのがその二人だけであったので、ノアが不思議そうに首を傾げた。


「グラストやゼノーシュは心配じゃないの?」

「正当な理由なく個人宅を襲撃しなさそうな二人ですね。ゼベルさんはこちらにいるようですし、他の騎士さんとなると残念ながらあまり存じ上げていない方達ばかりです」

「そう言えば、同じ敷地内に住んでるくせに、ネアはあまり騎士達とは遊ばないんだね」

「色々な方がいるようなので、是非に一度ぐらいは親睦会をしてみたいのですが……」

「ネアが浮気する……」

「………この通り荒ぶる魔物がいるので、難しいのです。グラストさん以下は、偶然に親交を持てたゼベルさんしかお名前と顔すら一致出来ない有様でして。個人宅を襲撃するような荒くれ者がいるのでしょうか?」

「そっか、ゼベルは既婚者だから安心なのかぁ」

「狼さんにしか気持ちが向かないからでしょうね。………は!そう言えば、リノアールの店員さんをつけ狙う、尾行犯が一人いると聞きました!」

「うわ、精霊かな………」

「お父様が竜だということでしたよ」


ネアがその言葉を出した途端、魔物達がさっと表情を曇らせた。

ここまで来るともう不本意なくらいなので、ネアは、全ての竜に興味津々ではないのだとあらためて説明するしかなくなる。


「竜の血を引いているというだけで、リーエンベルクを守って下さっている騎士さんを捕獲したりはしません!しかもその方は、お仕事は出来ても、女性の方を影から付け狙う怪しいやつです!」

「って言うか、襲撃犯ってその騎士なんじゃないかなぁ……」

「なぬ…………」


言われてみればそんな気がしなくもない。

上手くは言えないが、何か予感めいたものがしっくりきてしまったのだ。

だが、まさかこんな唐突に過激派に転じたりはしないだろうと、ネアは慌てて首を振った。


「おや、ネアの大好きなジャガイモのスープがあるようだよ?」


少しの嫌な予感にふるふるしていると、昼食の際にネアがきのこのポタージュで大喜びしたことを覚えていてくれた給仕妖精が、今晩のお食事のメニューを広げてくれていた。

先に見たディノが、そこにビシソワーズの記載を発見し手招きして教えてくれる。


「ビシソワーズ!!」


狂喜乱舞したご主人様は、素早く指定の席に座るとナプキンを綺麗に広げた。

いつでも始めていただいて構わない所存である。


ネアの期待度が伝わったのか、幸いにも料理はすぐに運ばれてきた。

料理が冷たいので味わいで工夫してくれたのか、スパイスを効かせたトマト煮込みや、お酒の風味が上品な香草で蒸した鶏肉と茄子の冷製など、火の慰霊祭の制限があるとは思えない素敵な料理ばかりだ。


昼食を早めに食べたエーダリア達は、今度は慰霊祭を終えて帰ってきてからの遅めの時間にこの晩餐をいただくのだそうだ。

味付けがしっかりした素朴めなものが多いのは、疲れて帰ってきた彼等の為であるのかもしれない。

ここに菩提樹の花のお茶を飲むのが、火の慰霊祭の夜の習わしなのだそうだ。


「お花のお茶にも意味があるのですよね?」

「そうだね、災い避けに。でも、災いを削いでしまうから、魔術師や魔物は飲まないんだ」


優雅に食事をしながら、ディノがそんなことを教えてくれる。

ノアはだらしなく頬杖をついてこちらを見ていたが、端麗な魔物らしく決して無作法には見えないのが不思議だ。


まだ少し、窓の向こうからは静かな雨音が聞こえる。



「飲んでしまうと困ったことになったりするのですか?」

「魔術には管理出来る規模の災いを使うものも多いからね。弱い魔物だと、魔術を失ってしぼんでしまう」

「だから、虫系統の魔物の駆除には、菩提樹の花茶をかけるといいらしいね」

「ノアも詳しいんですね」

「昔に一緒に暮らしていた女の子が、香草畑を持ってたんだよ。よく、薬の散布を手伝わされたな」

「珍しくほんわりした恋のお話を聞きました………」

「君に出会った時に、消えてしまった子だったかな」


決して良い顛末の恋ではなかったので、ネアは虚ろな目でパンを千切る。

二人だけの会話になりかけてしまったせいか、ディノが膝の上に三つ編みを投げ込んできた。

パン屑が落ちると困るので、クロワッサンを食べている時はやめて欲しい。



「………火が動き始めた。山車を動かすと、牽制にもなるけれど、火の記憶の蓋が開くんだよ」


その時、ノアがそう言って小さな溜め息を吐いた。

あまりにも悲しそうに項垂れるので、ひとまずラベンダー畑で消えてしまった妖精のことは記憶の奥にしまい、ネアはその顔を覗き込む。


「ノア、ここに居るのが辛ければ、厨房の方にいますか?」

「いいんだ。ストーブだって、君が側にいたら大丈夫になったしね。………それと、この角度だと口付けを強請られているみたいで堪らないね」

「ボール遊びを禁止…」

「ごめんなさい………」


メランジェ仕立てになったビシソワーズの上の泡をスプーンですくいながら、ネアはふと森の賢者に貰ったスプーンを思い出す。

何なのかよくわからないままなので、ディノに相談して使ってみよう。


「ほわ!この泡は檸檬の香りがします!」

「檸檬の皮を削って香り付けしてあるのかな。面白いね」

「檸檬の泡を混ぜると、スープの味が変わるのも面白いですね。ほら、ノアもやってみて下さい」

「ネアは誘惑上手だなぁ。もっと色々誘って欲しいかも」

「ノアベルト?」

「ごめんなさい」


今度はディノに叱られつつも、ノアはスープも飲んでくれた。

前菜も食べたようだし、食事に相当するものを口にしてくれたので一安心だ。


(一日くらい食べなくても大丈夫だとは思うけれど……)


心や体が不健康であることは、やはり好ましくない。

デザートの生クリームを添えたメロンをいただきながら、ネアは魔物達が取り留めのないお喋りをするのを聞いている。


「ふふ、こうやって二人のお喋りを聞いていると、家族のようでほっこりしますね」

「………婚約期間を早めるかい?」

「なぜ前のめりになったのだ……」

「僕はネアにとって、どんな家族?恋人?伴侶?」

「ノアはリーエンベルクの末っ子ですね!それとディノは、さり気なく爪先を近付けてきてはいけません」

「ご主人様…………」

「僕、君だけじゃなくてエーダリアやヒルドよりも年上だけど……」

「ボール遊び大好きっ子ではないですか。でも、ノアは魔物さんの中では結構年上なのですか?」

「派生してからごろごろしてた時期が長いから勘違いされがちだけど、僕はウィリアムとアルテアよりも年上だからねぇ」

「……………なんて年長感のない魔物さんなのでしょう」

「それって、若く見えるってことかな」

「むぅ。喜んでしまうのですね…………」



会食堂の窓は中庭に向いているので、ネアにとってはいつもの穏やかな晩餐の時間が過ぎていった。

時折弱ってしまうノアを撫でてやり、それを止めることはしないものの拗ね始めた魔物の三つ編みを引っ張りながら介護に追われてはいるが、概ね順調にこの夜は終わりそうだ。

ノアが山車が出たと口にしてから一時間あまり経過したので、そろそろ慰霊祭も終わる頃だろう。


火の系譜の標的にされやすいエーダリアは、慰霊祭が終わると速やかにこちらに戻ってくる予定だ。

慰霊祭が終わっても街に留まると、かえって鎮めたものを呼び覚ましてしまうらしい。


(今夜は魔術の切り替わりまで起きているということだし、ノアのことがなければ変わって差し上げたいのだけどな)


負担が大きくはないだろうかと申し訳ないような気持ちになったが、今夜はノアをきちんと寝かしつけたい。

そうなると、こちらのチームは寝台に入ることになってしまう。

そんなことを考えながらノアの熱いボール論を聞いていると、ノアがぱちりと一度瞬きをした。


「………帰ってきた」


安堵したように眼差しを緩めて顔を上げたノアが、もそもそと立ち上がる。

ちょうど、ボールはよく弾むよりもよく転がる方が好きだったと告白されたところだ。


「エーダリア様達が帰ってきたのですね!様子を見に行きますか?」

「うん。どこも焦げてないかどうか転移で見てくるよ。ネアは、ここでシルと一緒に居てくれるかい?」

「一緒に行かなくても大丈夫ですか?私もお疲れ様でしたのご挨拶をしたいので、一緒に行きますよ?」

「ううん。そろそろ、就寝準備をする時間だろう?今夜はあまり出歩かないで欲しいから、挨拶なら伝えておくから部屋で待ってて。でも、僕が戻るまで寝ないでね」

「……………むぅ。ここからお部屋に帰るのと、エーダリア様の執務室に行くのとでは、さして変わりがないのでは?…………あ!言い逃げしましたね!!」


ネアの反論にぎくりとした顔になり、ノアはぽふんと転移で姿を消してしまった。

慌てて捕まえようとしたのだが取り逃がしてしまったネアは、やれやれとディノと顔を見合わせる。


「統一戦争の時はね、やはりウィームの王族が重点的に狙われたものだ。だから、君を執務室の方に近付けるのが怖いんじゃないかな?」

「…………ふと思ったのですが、統一戦争で亡くなられた歌乞いさんは、どちらの棟で亡くなったのですか?」

「中央棟だったと聞いているよ。だからかもしれないね」

「エーダリア様の執務室も中央棟ですものね………」


これはもう嫌がる理由がわかったようなものなので、ネアは渋々、魔術通信で本日の報告と、そちらに行けない旨を伝えた。

リーエンベルクに帰ってきたばかりのエーダリアは、例の襲撃事件とやらのせいかぐったりしているようで、なぜかもっと早くお前の忠告を聞いておけば良かったと言われてしまう。


(これはもう、あの騎士さんがストーカーの果てに刃傷沙汰を起こした的な事件なのでは…………)


やはりストーカーは怖いとぞわりとしたネアだったが、ふと隣を見ると、かなりの年代ものの同じ嗜好を持つ魔物が目に入る。


「…………ディノ、今はもう、私の髪の毛を拾い集めていませんよね?」

「…………ご主人様」

「怖っ!」

「ほら、また髪の毛から宝石を紡いで貰えるかもしれないから、勿体ないだろう?」

「その時には、新鮮な………新鮮な?髪の毛を提供するので、それは捨てて下さいね」

「ネアのかけらなのに…………」

「ご主人様は震えが止まらなくなりそうなくらいに恐怖しているので、髪の毛を拾い集めてはいけません!やめられないのなら、同じお部屋での生活を中止してしまいますよ?」

「ネア!」


びっくりした魔物が飛びついてきたので、ぎゅうぎゅうと抱き締められながら、ネアは半眼になる。

多少のことであれば受け入れられるが、髪の毛だけはどうしても嫌だ。

と言うか、普通の婦女子は断固拒絶してもいい婚約者の趣味だと思うのだが、異種族となると受け入れるべきなのだろうか。

鴉などは光物を集めてしまうそうだし、犬などもご主人様の持ち物を隠し持つ習慣がある。

だとすれば、これが魔物の習慣として特殊ではない可能性もゼロではないのかもしれない。


「じゃあ、今持っているものは宝石に紡いでもらってしまうよ。それならいいだろう?」

「どれだけ持っているのだろうという恐怖が加算されましたので、私にわからないように済ませて下さい。髪の毛のままで持っていていい猶予は五日間とします!」

「これからもそうするのなら、集めてもいいのかい?」

「金輪際禁止ですよ。私の本体だけで満足出来ないのであれば、…」

「やめる…………」


言質は取れたので、ネアは安堵した。

しかしながら前回も禁止令を出した筈なので、決して油断は出来ない。

お風呂の排水周りや共有しているブラシは、マナー上も綺麗にしているつもりだ。

となるとどこからそれだけ集めたのかは謎めいてくるので、寝ている間に髪の毛を毟られていないか不安になってきた。

しっかりやめさせないと、将来の頭皮まで不安になるではないか。


(他人事で怖いと言えるだけの余裕すらなかった………)


個人宅襲撃事件を決して他人事に思えないことが、とても辛かった夜であった。

気を取り直して、自室に帰ろうと廊下を歩いていたネアは、明らかな銃声が聞こえて眉を顰める。

叱られてしょんぼりしていたものの、火の慰霊祭であることを考慮して隣を歩いていた魔物も、おやっと窓の方を見た。


「…………こちらにも襲撃でしょうか?」

「やれやれ、またなのかな。向こう側の結界だね」

「窓を開けて様子を見てみてもいいですか?それとも、危ないので近付かない方がいいのでしょうか?」

「構わないよ。私も一緒に行こう」


魔物にひょいと持ち上げられて、短い転移を踏んで大きな窓の前に立てば、窓の向こうにあるリーエンベルクの壁の向こうに何やら人影が見える。

通用門の所に立ってくれているので、柵越しにその姿が見えるのだ。

そういう意味でも、不審者としては迂闊な振る舞いであった。


「あの青い髪の少年が、侵入者でしょうか。見覚えがあるお顔ですね……」

「そして、ゼベルに捕まったんだね」

「ゼベルさんは、火薬の魔物さんを拘束出来る実力者だったのですね。…………む、もう一人騎士さんが」


しかし、同僚が来て気が緩んだのか、ゼベルの拘束が解けてしまう一幕があった。

心配なので既に脱いで手に持っていたブーツを、ネアは躊躇いもなくイブリースの顔面に投げつける。

そこそこにいい音がして、火薬の魔物が倒れるのが見えた。


「……………ネア。私に頼んでいいんだよ」

「より遠くに飛ばせる投擲方法を、グラストさんに教えて貰ったばかりなのです。夜渡り鹿の件で投げても効果ありと学んだので、実地訓練をしてみたかったところでした!それと、ディノ。ブーツの回収がてら、騎士さん達のお手伝いをしてあげてくれますか?イブリースさんがうろうろして、火の手が上がってしまったりしたら大迷惑です」

「王都に送り返してしまうかい?」

「いえ、あくまで不審者を拘束したゼベルさん達の、お手伝いという範疇でお願いしてもいいですか?悪い奴を捕まえたということは、騎士さんにとっては誇らしいことでしょうし、どうするべきかは、ゼベルさんが決めてくれる筈ですから」


火薬の魔物を拘束したゼベルの手柄を奪ってしまわないように、フォローのお願いをする。

ゼベル達にも声をかけ、ディノを送り出そうとしたところで、魔物はまず一度エーダリアの執務室に断りもなく転移すると、ご主人様をノアの手に託してから外に出て行った。



「ネア?何かあったのかい?」

「ネア様………?」


驚いたノアとヒルドが声を上げ、ノアは慌ててネアを抱き上げる。

エーダリアまで椅子から立ち上がりかけたので、ネアは慌てて火薬の魔物が再び侵入を図ったことと、それをゼベルが捕獲したのでディノに手伝いに行かせたことを説明した。


「それと、噂の尾行犯も一緒にいましたよ」

「そうか、リーナもそこにいたのだな!探す手間が省けた」

「それはやはり、襲撃犯はそのリーナさんだということでしょうか」

「ああ。後で話すが、そのリーナだ。……………ネイ?」

「ふがっ?!」


突然、ノアが抱き上げているネアを怯えたようにしっかりと抱き込んだ。

いきなり顔面を抑え込まれて抗議の声を上げると、すかさずヒルドが手を出して気道を確保してくれる。


「ネイ、その抱き締め方では呼吸が出来ませんよ。あなたらしくないですね」

「…………ごめん。火が見えたから、つい」


そう呟いたノアの視線を辿れば、指先程の淡い炎が木立の影に揺れている。

火の幻影を呼び起こせそうな程激しいものではなく、リーエンベルクの結界にぶつかると、ぽひゅんと消えてしまった。


「イブリースが来たことで、火の気が強まったのだろうな。すぐに、兄上に迎えに来て貰おう。確かまだ、ダリルと話があるということでウィームに残っていた筈だ」

「すぐに通信をかけます。ネア様、ネイをお願いしても宜しいでしょうか?」

「任せて下さい!ノア、お部屋に連れて帰って下さい。ボールで遊びましょう?」

「…………ネア」


青紫の瞳を瞠って頼りなげな視線を向けた塩の魔物は、そう微笑んだネアの瞳をしばらく覗き込んでから、こくりと頷いた。

やはり心配そうにノアを見ているヒルドが手を離しても、今度はネアを強く抱き締めてしまうことはなく、そっと抱き上げると大事そうに背中を撫でてくれる。


「君は、今日はどこも怪我をしていないね?」

「ふふ。豆の精におでこにぶつかられただけですよ。火では怖い目に遭いませんでしたが、あの黒豆めには二度と会いたくありません…………」

「豆の精…………。割とどこにでもいるよね?」

「おのれ、大嫌いです!………それと、エーダリア様、どうやら火薬の魔物さんはリーエンベルクに用があるみたいですので、何かあったら呼んで下さいね」

「ああ。お前に関わることであれば連絡しよう。それと、こちらはリーナの件もあるので、時間がかかりそうだ。今夜はもう休んで構わないからな」

「お気遣い有難うございます。エーダリア様とヒルドさんも、どうぞ無理をなさらないで下さいね」



また少し顔色が悪くなってしまったノアに抱えられて、ネアは部屋に戻った。

火薬の魔物の訪問理由は、どうやらほこりの縁談相手にされたのが怖かったからであるらしい。

そこには一切同情しない方針で厳しく接し、ネアは部屋に戻ってきたディノと一緒に就寝仕様に姿を変えた銀狐をお風呂に入れてやり、しばらくボール遊びをしてやった。



しかしながら、いざ寝るとなったところで、今度はとんでもない領土戦争が起きたのである。

ネアはここで、契約の魔物の奇妙なこだわりに直面することになってしまった。





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