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狼狂いの騎士と、生け贄の騎士 2



本日の火の慰霊祭において、エーダリアにとっては頭の痛い事件が幾つか起こった。


一つは前例のない火薬の魔物の襲来であり、もう一つは毎日のように起こるリーナの暴走だ。

しかしながら、珍しいことではないと言えど、今日の様にアムレイア家の人間に怪我を負わせたのは久し振りのことであるので、これはもう除籍処分の上、拘束術式を使用せねばなるまい。


以前にも一度、アムレイア氏を襲ったことがあり、その際にエーダリアの方から、リーナを除籍処分にした上でウィームから追放するという提案をしたこともある。

足を折られた上に窓から投げ捨てられたアムレイア氏が、二日間も意識を取り戻さないという重症であったことを重く見たのだ。


しかし、それを却下したのがこのアムレイア夫人である。

あえてリーエンベルクの騎士としてリーナを在席させた上で、きちんと終生管理して欲しいと言われたのだ。

その温情に感謝した上で、エーダリアも騎士契約を強化したし、リーナが普段は実直な騎士と言うこともあり、竜の習性では辛かろうと不憫がった同僚達も良く目を配ってくれていた。

その事件があってから二年程は、リーナも反省したのか大人しくしていたのだ。

しかし、今年に入ってからはまたアムレイア夫人をつけ回しているようだという報告を受けており、何か手を打つべきかと思案している内にとうとうこういう日が来てしまった。

先日ネアから、事が起こる前に対処するように言われていたことを思い出し、苦い思いを噛み締める。


「お聞きしましょう。ただ、その前に今回のことは私の…」

「あら、お待ちになって」


立ち上がって頭を下げようとしたエーダリアに、アムレイア夫人ことレクティは目を瞠ってから微笑んだ。

さっとエーダリアの謝罪を遮った闊達さと、ぴしゃりと伸びた背筋の鋭さに、リノアールに一人で店を構えるまでになった女性の強さと有能さを見る思いであった。


「エーダリア様のせいではありませんし、不在を見逃がしてしまった騎士達の所為でもありませんわ。二年前の事件の際に、今後どのような騎士契約でその行動を制限するのか、あなた様はきちんと私の意見も聞いて下さいましたし、出来上がった契約の再締結の際には同席させて下さいました。そちらにいらっしゃいますグラスト様やゼベル様も、何度、我が家に足を運んで異常はないかと声をかけて下さったことでしょう。先日の薔薇の祝祭や悪夢の発生の際には、その騎士が問題を起こさぬようにと、私達家族をヴェルリアに退避させていただきましたわね。ですので、これはもうね、仕える主人や仲間達の同情を顧みることもなく全てを掻い潜ってきてしまう、その愚か者の問題なのです」


ゼノーシュに抑え込まれたまま、アムレイア夫人の冷やかな声にリーナがびくりと体を揺らす。

悲しそうに目を潤ませるが、そろそろ出会い頭に駆除されてしまっても文句は言えないところだ。

普段は害獣を傷付けることさえ厭う穏やかな地竜の系譜であるくせに、どうしてだか片思いの相手の家族は許せないようなのだ。


「おばあ様、リーナを殺してしまうのは嫌です」


しかし、張りつめた部屋の空気を和らげたのは、そう言ってアムレイア夫人の袖を引いた幼い少女であった。

まだ十二歳だと聞いているが、魔術可動域が高いのか大人びた眼差しをしている。

ヴェルクレアではある程度の可動域があれば大人としての権利を得ることも出来るので、随分と小さく見えてもこの少女もそのような子供の一人なのかも知れない。


「ローナ、二年前の時とは違うのですよ。あの時は、あそこまでの襲撃は初めてでした。今回はその時の罰を受けた上での二回目です。三回目があれば、おじい様はどうなってしまうのでしょう?あなたのお父様は?あなたの妹達は?」


穏やかな声で諭されて、無理を言ってついて来てしまったのであろう少女は唇を噛んで項垂れる。

このアムレイア夫人の孫娘がリーナに恋をしているのは有名な話で、彼女の幼い恋心を傷付けない為にと、アムレイア家ではリーナに甘くなってしまっていたところがある。

春の木洩れ日のような淡い金色の髪を左右の耳の上で二つに結び、淡い水色のリボンをした美しい少女だ。

グラスト曰くこの少女が水色のリボンを好むのは、それがリーナの制服の色であるからなのだとか。

ゼノーシュが酷く警戒しているが、グラストの亡くなった娘には似ていない。


(似ているどころか寧ろ真逆だな………)


そしてそんな少女は、大きな目を悲しげに潤ませて、ゼノーシュに拘束されたリーナに向き直る。

小さな手を握りしめた様子が可憐に見えた。


「リーナ、きちんと反省して下さい。もう二度としないと言えば、おばあ様もきっと………!」

「勝手に僕の名前を呼ばないでくれないか」


抑揚がないから、冷やかに聞こえる声でそう切り捨てられ、少女は大きな緑色の瞳を潤ませた。


「ローナのことがお嫌いですか………?」

「興味がない」

「私も頑張ります。だから…」

「レクティと僕の間に立つな。そのぼんやりした髪の色も、白い肌の色も醜い。僕はお前には興味がない」

「リーナ!」


幼い思慕を向けた少女に対してあまりにも残酷な言葉に、グラストが声を荒げる。

自分の娘に似ているとは思わないだろうが、それでもこのような小さな子供がみんなの前で傷付けられることを許す男ではなかった。


「あらあらあら、……」


しかし、そのリーナの一言が最も怒らせてしまったのは、この場にいる男達ではなく、孫娘を溺愛しているという噂のアムレイア夫人であった。

いっそ朗らかな程のその言葉に、男達は全員ぞっとして青ざめる。


「醜い?………この、太陽の欠片のような美しい髪をしたローナが、雪の結晶石のような美しい肌をした私の孫が、あなたには醜く見えるのかしら?私の自慢の孫が、醜い?それは困ったわねぇ………」

「レクティ、………いや、その気分を害したならすまなかった。あなたには遠く及ばないと…」


さすがに何か不穏なものを感じたのか、慌てて弁解したリーナに、アムレイア夫人はふっと鋭い微笑みを浮かべたが、視線を向けることすらしなかった。


「エーダリア様、わたくしは決めましたわ。この愚かな竜を、リーエンベルクの騎士から降ろして下さいまし」

「…………ああ。今回の件があっては、その処分を…」

「駄目ですわ、おばあ様!リーナはリーエンベルクの騎士でなければなりません!!」

「ローナ、言ったでしょう?わたくしは、……」


ここで男達は、世にも残酷な少女の本音を聞かされることになる。


「リーエンベルクの騎士様の服を着ていなかったら、リーナはくすんだ茶色と黒の地味な殿方になってしまいます!この制服を着ているから素敵なのであって、お休みの日のお姿も拝見しましたけど、何を着ても地味ですし、ぱっとしない上に陰気でちょっぴり気持ち悪い感じではないですか!リーナは騎士様の服を着てないと駄目なのです!!」

「…………あらまぁ、ローナ。リーエンベルクの騎士の制服が好きなのね?」

「騎士様の淡い水色の素敵な制服を、お顔がぱっとしないリーナが着るから良いのですわ!しかも、皆の憧れの騎士様でなければ、リーナはただの暴れん坊です!お婿さんに貰っても、お友達に自慢出来ません!!」

「まぁまぁ、……騎士様がいいのであれば、おばあちゃんから、エーダリア様に紹介のお願いをしてみましょうか?」

「おばあ様、竜の血が混じっていて、肌の浅黒い貴族の家の出の騎士さまは他にいません」

「困ったわねぇ。随分、条件が厳しいのね?」

「少しお顔が残念めなのにぱりっとした制服を着ているのがいいのです。それに、お家柄は確かですわ!」

「でも、ローナ。この騎士は素行に問題があるのはわかっているでしょう?」

「おばあ様がエーダリア様に許可をいただいてくれれば、私が躾けます!今日はそのお願いをしようと思って付いて来たのですわ!」


以前に出会った時からエーダリアはこの少女がずっと誰かに似ていると思っていたが、その最後の一言でぴんときた。

このローナという少女の嗜好や物言いは、どこかネアに似ているのだ。

それはつまり、とんでもない人間に違いないという直感でもあった。



「…………躾ける?」


首を傾げてしまった祖母から視線を外し、小さな体で子供用の椅子から下りて立ち上がると、ローナはぴょこんと頭を下げた。

着席させずに、部屋の壁際で拘束されたままのリーナの側に立ち、自分を地味で少し気持ち悪いと称した子供に呆然としている騎士を一度見て微笑んでから、きちんと謁見するレディの礼を取った。


因みに、リーナは整った容貌だと言われることはあっても顔がまずいと言われることはない。

しかしながら、アムレイア家の男性は厳しい面立ちにごつごつとした肢体の大柄な男性が多く、エーダリアはそちらの嗜好がアムレイア家の女性の基準なのだろうかとこっそり考える。



「領主様、どうか、リーエンベルクに属さない者はその騎士を従えてはいけないというお約束を、リーナに限って解除していただけないでしょうか?そうすれば私が、リーナがおじい様やおばあ様に悪さをしないよう、きっちり躾けてみせますわ!」

「…………躾ける」

「そう言えば、ローナ嬢は確か、竜騎士の資格を取るべく勉強されていましたね」


一瞬話に付いて行けなくなってしまったエーダリアの代わりに、ヒルドがすかさずその情報を取り上げてくれた。

考えてみれば竜騎士の家系なので、後継者教育を施すのはない話でもないのだが、まだ幼さの残る少女である為、想定していなかったのだ。

そして、その言葉に微笑んで頷いたローナは、恐ろしい告白をした。



「竜騎士の資格は、最上級の白リボンを持っております。使い魔習得の許可証も、最上級まで取りましたし、人心操作の上級魔術もたくさん覚えました!いざとなれば、抵抗したくても私の命令を聞いてしまうように出来ます!」


男達は、ふんすと胸を張った小さな少女からそっと視線を外し、無言で顔を見合わせた。

何やらこの年の子供が持つには恐ろしい称号ばかり聞こえた気がしたが、空耳だろうか。



「まぁ、ローナ!聡明な子だと思っていたけれど、もう白リボンまで取ってしまったの?」

「おばあ様には、来週のお誕生日のパーティで発表する予定だったの」

「使い魔にすることも検討したのね。そちらも許可証を取ってしまうなんてすごいわねぇ」

「でもね、人間では高位の生き物を使い魔にするのはやはり難しいようなの。歴史上では、下位の竜までしか成功例がないそうなのだけど、やってみればいいかなと思って」

「ええ、そうね。挑戦する心が大事だわ」

「ローナは頑張ります!」

「そんな頑張り屋さんには、お祝いで竜騎士用の鞭を注文してあげるわね。うんと丈夫なものにしましょう!」



(………そうか、歴史上は人型になれない下位の竜までしか報告例がなかったな)


その記録を更新してしまった人間が同じ屋根の下に居るので、エーダリアは何やら複雑な気持ちになった。

自分の敷いた術式陣がアルテア以外でも成功するかどうかを試してみなければ判断出来ないが、あれはネアだからこその成功例と言えなくもない。

しかし、いずれこの少女がリーナを使い魔にすることに成功すれば、人型の竜の血を引く者を人間が使い魔にしたということで歴史は塗り替えられるだろう。


(私があの術式を試すにしても、竜は選ばないからな………)


竜の寵愛や気質はとても厄介なので、エーダリアはさすがに竜を使い魔にしようとは思わなかった。

どれだけ風竜の伴侶への憧れがあっても、使い魔ともなればどれだけ厄介なことになるのかは想像出来るからだ。



「失礼ですが、ローナ様、人心操作の魔術はどなたから学ばれたのでしょうか?」


ヒルドがそう尋ねたのは、その手の高位術式は禁術扱いであるので、教えられる者が限られているからだ。


「ゼベル様のお兄様からです!」

「…………成程、ガーウィンの枢機卿ですね」

「…………あの兄に」

「ゼベル様が何度かお見舞いに来て下さった時に、たまたま一緒に来て下さった枢機卿様が、困ったら自分のところに人格矯正の方法を学びにおいでとおっしゃって下さったので、お母様が是非にって。学費の問題は、ダリル様がお父様にご連絡を下さって、リーエンベルクの騎士の為に備えるのだからと、無料にして下さったんです」


少女はそう無垢に微笑んでこちらを見たが、初耳だったエーダリアは曖昧に微笑んで頷いておいた。

何だかもう同じ男としては恐怖しか感じないが、向こうで青ざめたまま必死に首を振っているリーナは、この少女に託してしまうしかあるまい。


直属の騎士が民間人を傷付けたのだから、ただでさえ、エーダリアにはこの申し出に異論を唱えるような権利はない。

例えば、アムレイア家の者が極刑を望んだ場合は、せめて裁判にかけその判断を軽減するよう口添え出来るくらいだった。


リーナの生家はウィームではそれなりに名の通った貴族であるものの、守るべき領民の、それもご老齢の女性を騎士が追い回しているとなると、世論も黙ってはいまい。

人外者や魔術と長くから触れ合って来たウィームはその習性に寛容な分、リーナのように人間として生きる者への規律もしっかりと定められている。


成人した段階で、どちらの生き方を取るのか選べたリーナが人間としての生活を望んだのだから、その人間としての責任と罪は果たさなければならない。


そしてその責任を果たすということは、管理者であったエーダリアにも問われることであった。


「領主様、やらせて下さいますか?」

「そうだな。それだけの資格を既に持っているのであれば、被害を受けた側のアムレイア家に管理を委ねるのが正しい裁きにもなるだろう。だが、騎士としての生活を続けさせるのであれば、ウィームに害を為さないよう、契約や管理の詳細を確認する必要はある。魔術習得の際に関わったのだから、その確認は君の得た魔術について理解しているダリルに任せるのが適切だろうか」

「あらあら!ダリルとならば、わたくしも容赦なく我が儘な意見が言えますわね。うふふ」


そう微笑んだアムレイア夫人に対し、エーダリアの頭が上がらない理由はそこにもある。

このご婦人は、ダリルの個人的な友人の一人なのだ。

リノアールの花屋の店主でもある彼女は、お得意であるダリルと懇意にしているばかりか、その花の扱いの繋がりから手を広げ、ロクサーヌとも交友がある。

その人脈の手強さもまた、今回リーナの処遇を任せるしかないと諦めた理由の一つだった。


「しかし、高階位の者を屈服させる為には、保有する魔術をそれだけ塞いでしまうこととなる。ローナ嬢は、この段階でそこまでの魔術を解放してしまって支障はないのだろうか?もし、道具の補填を希望されるようであれば、今回の件の賠償として竜の媚薬などの購入も検討させていただくが」


リーナ一人を差し出して終わりにする訳にもいかないと思い、そう申し出たエーダリアに、アムレイア夫人は微笑んで首を振った。


「駄目ですわ、エーダリア様!好きな殿方を捕獲するには、自分の力で為さなければね。そうでしょう?ローナ」

「ええ、おばあ様!それに、悪い事をして上司にご迷惑をかけるようでは駄目なのです!ローナがしっかりお仕置きしますね!」

「そ、そうか。素晴らしい心構えだな。頼もしい限りだ」


そう言えば、竜騎士の組合では全ての騎士の言動は自己責任だ。

組合では、彼らの振る舞いには一切の責任を持たない。

竜騎士が使う竜達は人型の竜とは違い、獰猛な獣のようなものである。

そんな竜を駆る竜騎士達はどこか荒々しい気質の者が多く、今はしっかりと統制の取られているウィームの竜騎士組合も、かつては荒くれ者達の集まりだった時代がある。

その頃の運用を伝統として引き継いでいるのだが、アムレイア家はその竜騎士組合を治める一族の一つだった。


(自己責任という文化が根強いのかもしれない……)


師弟制度を取る魔術士もまた、独立後は自己責任という文化であるが、いざという時は師が弟子の不始末の責任を取ることが多い。

所属する場所によって、そのあたりの価値観も変わってくるのだろうか。



そして恐ろしいことに、この竜騎士達は、鞭で竜を調教するので有名だ。



「………アムレイア夫人、そのような処分とすることで異存ないだろうか?」


うっかり思い直してくれたりはしないだろうかと考えて意志確認をしたのだが、アムレイア夫人は自慢の孫娘の成長にご機嫌で頷いた。

自分の手で今の仕事と地位を確立した彼女は、すっかり孫娘の成長に感動してしまっている。

ローナの頭を撫でて偉いわねと褒めながら、嬉しそうに相好を崩していた。


「当初はね、エーダリア様にご協力いただいて、ロティの力も借りて主人の使い魔にでもしてしまおうと思っていましたのよ。さんざんあの人や息子に怪我を負わせたのですもの。やはり、我が家に報いてくれなくてはね。でも、ローナの勉強の成果が試せるのであれば、それが一番ですわ」


その瞬間、成果を試すという認識なのかと、男達はまたぞっとして顔を見合わせてしまった。

夫人がロティと愛称で呼んでいるのは、彼女の友人の薔薇のシーであるロクサーヌのことであり、誘惑や愛情を司る薔薇のシーの力を使われてしまえば、今回より遥かに不本意な形で従属にされた可能性もあったのだと、エーダリアは少しだけほっとした。

恋焦がれていた女性を奪った憎い男だと思っている相手に、意識を書き換えられて敬愛で仕えるなどという顛末は男としても悲し過ぎる。


「ローナの大好きな騎士服のままでいてくれるよう、お仕事には支障がないように調整しましょうね?」

「はい、おばあ様!」


ご機嫌の女達をよそに、リーナが必死に視線で救いを求めようとしても、青ざめた男達は巧妙に目を逸らして気付かないふりをした。

同性としてはどうにかしてやりたいが、そうして今まで手を貸してやってきたことを無駄にしてしまったのはリーナ自身であるのだ。

それに誰も、ダリルとロクサーヌを敵に回したくはない。




一通りの話合いが済んで、リーナは笑顔で引き取りにきたダリルに引き渡され、アムレイア夫人とその孫娘と一緒にこの部屋を出て行った。

あまりにも不憫なので明日は非番としてやり、職務復帰は明後日の午後からになる。

明後日の午後に帰って来るリーナを、騎士達はどういう風に迎えてやればいいのだろう。

こんなことなら、さっさと竜の媚薬を使ってしまい、本人も意識しない内に他の者に恋をさせてやれば良かったと、エーダリアは深く後悔した。


例えば、手足を切り落とすにしても、麻酔魔術があるかなしかでは随分と恐怖が違うだろう。

リーナにとってこそ、竜の媚薬は麻酔魔術代わりの救いになったのかもしれないのに。


「やれやれ、結局その他の賠償については一切受け取って貰えなかったな………」

「アムレイア夫人は、老獪な商人でもありますからね。屋敷の修繕や怪我人の治癒が済んでいる以上、ある程度の貸しを残しておく方がアムレイア家にとっても有用なのでしょう」


そう指摘したヒルドに、グラストは片手で顔を覆う。

心配そうに見上げたゼノーシュの頭を撫でてはいるが、これからも直属の上司となるので何かと気苦労が多いだろう。

こちらもこちらで、あまりグラストに負担をかけると、ゼノーシュがリーナを排除してしまいかねないので要注意だ。


「…………すみません。僕がもっとしっかり、リーナを見ていてやれば。今日も、火の災いの処理で手間取ってしまっていまして……」


そう項垂れたのはゼベルだ。

彼はリーナと仲が良く、お互いの報われない思いを語り合う為に飲みに行くことも多々あったという。

しかし、ゼベルの狼への執着が結婚という形で報われてしまった結果、一人残されたリーナは、伴侶を捕まえることに焦ってしまった節もあるのだとか。


「今回の事件は、リーナ自身が選択し、実行してしまったことだ。お前の所為じゃない。俺ももっと注意していてやれば良かったな」

「グラスト様………。それか、ネア様にでも相談してみれば良かったです」

「いや、どうだろうな。ネアの提案は竜の媚薬だったからな…………。私も、再契約した術式の隙間を縫われるとは思わなかった。まさか個人宅の襲撃を、本当に民間人の救助とその障害の排除として認識するとはな……」


リーナ自身がそう信じていなければ、エーダリアの施した契約によって、行動が制限されていた筈なのだ。

エーダリアはつまりのところ、リーナという騎士の考えをきちんと理解しきれておらず、今回はその認識の甘さからの事故である。

ある意味、ダリルはそれを見込んだ上でローナの教育を無償化しておいたのだろうか。


「案外、上手く収まるかもしれませんよ。ローナ様はアムレイア夫人によく似た面立ちですし、成長されれば美しい女性になるでしょう。それに、何と言っても血縁ですからね」

「とは言え、竜は鞭で躾ける一族だぞ?」

「しかし、使い魔にしようとしたアムレイア夫人に対し、ローナ嬢はあくまでも彼を伴侶として考えています。その差が救いになるかもしれませんよ」

「引退した元竜騎士長とその片腕でも歯が立たなかったリーナを、あの少女が躾けられるのもどうなんだろうな」

「ダリルが問題ないと保証した以上は、問題ないと判断されるだけの実力があるのでしょうね………」

「…………戻って来る頃は、人間不信だったりするんですかね。よりによって、ダリル様に自分より性格が歪んでると認定を受けたあの兄が教えた術式ですから」


不安そうにそう呟いたゼベルに、男達は遠い目をした。

場合によっては人格すら矯正されているかも知れないので、あまり深く考えてはいけない。



「今夜は引き続き火の系譜の警戒にあたるが、明日は何か予定はあるのか?」


そう尋ねてみれば、全員がすぐに意図を察したようだった。

エーダリアとしては、自分の失策の部分も多いので、少し部下達の気持ちを和らげてやらねばなるまい。

こういう場合の、男達の息抜きの仕方は大抵相場が決まっているのである。


「私は通常通りですが、グラストとゼノーシュは休暇ですね」

「通常休暇ですので、リーエンベルクにおりますよ」

「僕は甘いものがあればいいよ」


そう言ったグラストに、リーナの拘束がダリルに移管されてからずっとグラストの袖を掴んでべったりなゼノーシュも頷く。

余程ローナを警戒したのだろうが、あの力強さは、決してグラストの娘には似ていないので安心していいと思う。



「あ、僕はリーナの代理で仕事になりましたけど、夜は空いてますよ!」

「では、明日の夜少しどうだ?」

「良いですね。ネア様に夜の盃を借りて参りましょうか」

「ゼベル、好きな酒を価格を気にせず好きなだけ飲めるぞ」

「………相変わらず、ネア様は凄いものを持っているんですね」

「森の賢者に献上させたらしい」

「森の賢者は爵位持ちなので、出会ったら逃げろとガレンで教わりましたけど………」

「…………あれは特別仕様だ。ダリルやロクサーヌもだが、ネアにも用心しておくといい。あれはまた違う意味で、とんでもない事をさらりと引き起こすことがある。まぁ、契約の魔物がいるので何とかなっているが……」

「そういう意味では、ローナ嬢はリーナが一人で受け止めてくれた図式ですね」


ゼベルが何気なく呟いた言葉に、言い出した本人も含む全員がはっとした。

もし、ローナがリーナに恋をしなかった場合、あの才能と情熱が他の誰かに向かった可能性もあるのだ。

今回のように、周囲も致し方ないと差し出せる相手ではなかったとしたら、身の毛もよだつような捕獲作戦に巻き込まれてしまったかも知れない。


「……その、………リーナには、感謝しなければいけないのだろうか」


最近は若返ったようだと何かと好条件のお相手として狙われてしまい、悪夢の遮蔽時などにすっかりご婦人方の猛攻で震え上がってしまったグラストがそんなことを言い出した。

そう言われてみれば確かに、散々迷惑をかけられてしまったが、仲間達を強敵から身を挺して守ってくれたのだと思えば、リーナの犠牲は尊いものに思えなくもない。


「僕、リーナに感謝する」


誰よりもローナを警戒していたゼノーシュがそう宣言し、エーダリアも思わず少しだけ頷いてしまった。

ゼベルは既婚者であるし、ヒルドは羽の庇護を与えているネアがいる。

もしリーナが居なかった場合は、犠牲になりかねなかった二人だ。


「そうですね。ローナ嬢は特に騎士の制服にもご執心でしたから、他の条件は諦めても騎士達の中から選ぶ可能性はありましたしね」


そう重々しく述べたヒルドに、ゼノーシュは険しい顔で頷いていた。




後日、小さな少女に付き添われて職場に戻ってきたリーナを、大いなる犠牲に頭の下がる思いで騎士達は出迎えた。

ローナはご機嫌であり、リーエンベルクの第三席の騎士は終始涙目であったとか。

最初はローナのような可愛らしい少女であれば娘が出来たようでいいではないかと冷やかしていた騎士もいたが、そこそこな恐怖政治を垣間見たらしく、翌週からは口を噤んだそうだ。


エーダリアはリーナの家族が何か言うだろうかと少し警戒していたが、度々暴行事件を起こして謹慎などの処分を受けていた息子が、この年で白リボンを持つ天才と呼ばれる少女に見初められたことに、リーナの両親はほっとしたようだ。

彼らは彼らで、竜は恋するものから引き離されると死んでしまうこともあるので、今回の件では頭を痛めていたらしい。

特に竜である父親は、魔術師である母親に狩られてしまったところからの縁だそうで、子は親に似るのだなとおおらかに笑っていた。



その一件をネアに話したところ、いずれ美しく成長したローナにくしゃりとやられれば、案外あっさり恋に落ちてしまうかもしれないと珍しく良いことを言ってくれたので、エーダリアはその言葉を信じていようと思う。



その後、真面目に働くばかりになったリーナに対して、今夜は帰りたくないと項垂れる彼を飲みに誘う同僚は多くなったそうだ。

ローナ嬢がきちんとした大人の女性になるまでは彼がリーエンベルクの騎士棟で住み込みで働けるよう、グラストはかなり奮戦している。






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