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狼狂いの騎士と、生け贄の騎士 1



その日の夜、イヴリースは再度の脱走を図った。


万象の王が恐ろしいのは間違いなかったが、とは言え王は直接イヴリースに危害を加えた訳ではない。

であれば、何はともあれあの星鳥との縁談を破棄させるのが一番だ。


(それに、あの醜い人間が我が君と契約したなど、ある筈がないではないか)


あの時は驚いてしまったが、よく考えれば人間の歌乞いは、魔術抵抗値からしても万象の王を捕まえられる筈などないのだ。

その種の騙し遊びであったのかも知れず、きちんと確認するべきであった。


「………そう言えば、ウィリアムも気に入ってたんだよな」


(アルテアも気に入ってたような………)


若干嫌な予感がしないでもなかったが、ふるふると首を振って先ほどの通用門とは反対側の入り口の前に転移で飛び降りた。


音もなく駆け抜けてゆく足跡がぼうっと燃え上がる。

今宵は火の怨嗟が強い夜なのだ。



「よし!」


周囲に誰もいないことを確認してから、薄いリーエンベルクの結界ににやりと唇を歪めた。

こんな脆弱な結界など、簡単にばりんと割ってしまえるではないか。

ノアベルトが出てきたところで、心臓のない塩の魔物など恐るに足りない。


「………あれ?」


しかし、短銃で銃弾を撃ち込んだ結界は、罅の一つも入っていなかった。

光るでもなく揺らぐでもなく、欠片の変化もないままそこにあった。


「な、何でこんな丈夫なんだよ?!」


今までイヴリースは、他国との戦で幾つもの強固な結界を破壊してきた。

統一戦争の時にこのリーエンベルクに攻め入った夜にも、イヴリースはいたのだ。


それなのに、この結界は一体どうして壊れないのだろう。


「くそぅ!何で硬いんだ?!……いや、これ硬いのかな?」


むきになってその結界に何度も銃弾を撃ち込んでいると、唐突に声をかけられる。


「おい!何をしてるんだ…………」


苛々して振り返れば、リーエンベルクの警備をしているらしい一人の騎士が立っている。

不審そうにこちらを見ている眼差しはおどおどしていて、イヴリースはふんと鼻を鳴らした。

背は高いが猫背だし、髪型も汚らしい。

きっと下級騎士が運悪く見回りに来たのだろう。


「うるさいな、人間」


下位の人間が火薬の魔物に話しかけたのだ。

王都であれば、その報いとしてどうなるかくらい誰でも知っている。


「リーエンベルクの結界を攻撃してたのか……」

「お前、逃げもしないのか。馬鹿だな………」


カチャリと撃鉄を起こす音がすれば、ぼさぼさの髪の騎士が、少し嫌そうに向けられた短銃を一瞥する。


「………これ、危険手当でるのかな」

「ふん。まだそんな呑気なことを言って…………何だお前?!」


悲しそうにそう呟いた騎士を嘲笑った瞬間のことだった。

突然背後から毛むくじゃらのものに激突され、イヴリースは驚いて振り返る。

そこには、牙を剥いて唸る灰紫色の小さな夜狼がいた。


「お、奥さん?!」


しかし眉を顰めたイヴリースよりも、声を上げて驚いたのは先程の騎士の方であった。


「奥さん!危ないから下がって!!っていうか、何でついて来ちゃったんだ?!見回りは危ないからって何度も言ったのに!」


男のあまりの剣幕に、きりっと鋭い目をしていた夜狼が尻尾を振ってキューンと鳴く。

ちっともよく分からないがこれは身内なのだなと思い、イヴリースはあえてそちらに向けて銃弾を撃ち込んだ。





「むがっ?!」

「奥さん!大丈夫だったかい?怖くなかった?…………ああっ、焦げてる!奥さんの綺麗な毛が少しだけ焦げてる!!!」


突然呼吸が出来なくなったイヴリースが手を振り回して踠いている内に、ゼベルは大切な伴侶に駆け寄って抱き上げると、そのふわふわの小さな体を抱き締める。


「うちの可愛い奥さんを焦がすなんて、恥を知れ!よし、このまま窒息死……」

「やめよう、ゼベル。これは火薬の魔物だ」


背後からそう声をかけて来たのは、先程まで行方不明だった同僚だった。

二人一組の見回りだったのだが、夕方からどこにも見当たらなかったので部下達に捜索を任せ、仕方なく一人で見回りをしていたのだ。


今夜は火の慰霊祭の夜。

多少の問題があっても、見回りをおろそかにすることは出来ない。

現にゼベルも、見回りに出た瞬間に火の幻影に足を踏み入れてしまい、先程までその中で奮戦していた。


「リーナ!……やっぱりこの少年は、火薬の魔物か………」

「うん。髪の毛を青くしただけじゃすぐにわかる。偉い魔物だから、傷付けない方がいい」

「でも、このちびっ子はうちの奥さんを焦がしたんだぞ?!」

「…………………新婚だものな、ゼベル」

「うわ、しまった!ご、ごめんな、リーナ」

「新婚はいいだろうな。………僕も、……好きな人と一緒に暮らしてみたい」

「落ち着け、落ち着こう、リーナ。…………って、その腕の怪我どうしたんだ?まさか、………」

「…………ぷはっ!……貴様ら何をしたのか知らないが、いい加減に、……………ふごっ?!」



ゼベルの気持ちが緩んだ隙に拘束が剥がれてしまい、うっかり火薬の魔物を取り逃がしかけたところで、どこからともなくもの凄い勢いで飛んで来たブーツが、その魔物の顔面に直撃した。


「…………いつも思うけど、あのブーツ何で出来てるのかな」


尻尾を振っている可愛い奥さんを抱き締めながら、ゼベルはころりと地面に落ちた白い革のブーツを拾い上げた。

そのブーツを投げつけられた火薬の魔物は、完全に伸びてしまっている。



「ゼベルさん、大丈夫でしたか?」


柔らかな声に顔を上げれば、門に程近い棟の窓が開いており、ネア様がこちらを見下ろしていた。

さらりと青みがかった灰色の髪が揺れ、悪夢から助けてくれたネア様を大好きな奥さんの尻尾がふりふり揺れる。

ものすごく可愛くて独り占めしたくなるので、ゼベルは家に帰りたいという願いを何とか押し殺さねばならなかった。

この隣にいる同僚にそんな考えを知られたら、またひと騒動起きてしまう。


「ネア様、助力いただき有難うございました。お陰様でこちらは大丈夫です」

「今日は不審者の多い日のようですね。ブーツの回収がてら、うちの魔物を派遣しますので、どうかあまり無理をなさらずに」


リーエンベルクの護りは騎士の役目。

一瞬その心遣いは断ろうと思ったのだが、ゼベルは隣にいる同僚の謎の負傷を思い出し、有り難く手を借りることにした。

恥ずかしい話だが、身内も信用出来ない非常にまずい状態である。

本人の目の前で指示板を確認することは出来ないが、この様子では恐らく何かの騒ぎを起こしているので、何とかして逃さずに上司の元へ連行しなければならない。


(僕が火の幻影の中にいた間に、事件が起きてたのか……)


ゼベルはこれからのことを思ってげんなりしたが、また違う理由でげんなりしている魔物もいるようだ。



「やれやれ、擬態を変えてまた来たのか。懲りない魔物だね」


すぐにこちらに転移してきた白持ちの魔物にブーツを差し出し、不審者の拘束も任せることにする。

白を持つ公爵の魔物なのだから、火薬の魔物の扱いにも長けていそうだ。

これだけの魔物が側に来ると、ゼベルは思わず身構えてしまうが、助けてくれたネア様と一緒にいた魔物という認識なのか、奥さんはまたしても尻尾を振っている。

可愛いさのあまり、ゼベルは唇を噛んだ。


「先にも訪問があったんですね。今は、リーエンベルクの結界を攻撃してたようです」

「うん。結界を傷付けているのがわかったからネアと見に来たのだけれど、イヴリースはあまり頭が良くないのかな……」


強烈な皮肉かと思ってそちらを見ると、目も眩む程の美貌の魔物は、困ったように首を傾げていた。

こんな風になるのがこの魔物の不思議なところで、これだけ高階位の魔物でありながらも、どこか無防備にさえ思えることがある。


(そして、ネア様のことが大好きだ)


そこは新婚として何だか親近感を覚えるところであったので、火薬の魔物がリーエンベルクの結界の前で横柄に振る舞ったことを一緒に考えてみる。


「恐らく、統一戦争の時には侵略した王宮ですし、王都では要となる偉い魔物ですからね。きっと、この振る舞いが許されると思ってしまったのでしょう」

「壊したら怒られるかな………」

「…………さすがに、ヴェルクレアの国防の要ですからね」

「じゃあ、エーダリアに預けようか。手伝うよ」

「気性の荒い魔物ですから、お力添えいただけると助かります。恐縮ですが、お願い出来ますか?」

「いいよ。向こうに行けばノアベルトもいるしね」

「……………はぁ」


さらりととんでもない名前が出て来たし、それは塩の魔物の名前だった気がする。

ウィームの子供達は皆、塩の魔物の悲恋の話を親から聞いて育つのだ。

ディノ様の言い方では、エーダリア様と一緒に塩の魔物がいるかのようではないか。


(…………偉い魔物同士で、ご友人だったりするのだろうか)


お客で来てるなら塩の魔物に会えるのかなと考えていると、こちらが落ち着いたからだろうか、リーナがおもむろに立ち去ろうとした。


「僕は残る」

「リーナも同行してくれ。状況の報告は、一人より二人分あった方がいい」

「でも僕は、ゼベルがこの魔物を捕まえてからしか見てない」

「ああ。それでも同行してくれ。リーエンベルクの見回りは、まだシェンスン達の班がいる」

「……………わかった」


この歯切れの悪さはもう間違いないので、このような時用にグラスト様から預かっていた、魔術のかかった小さな棒をポケットの中で折っておく。

これは騎士達が全員持っているもので、問題を起こしたリーナを連れて行くので、どうにか対処されたしというメッセージを共有するものだ。


(今夜は何をしたんだ、何を…………)


左手を大きく負傷しているので、そこそこな騒動を巻き起こしたに違いない。

隣を歩くディノ様が、どうかこのリーナの怪我について触れませんようにと心から祈った。


長い黒髪を揺らして歩くリーナは、端正な顔立ちをした物静かな騎士だ。

騎士としての能力も高く高潔な気質で、リーエンベルクでも屈指の魔術を持つ強者である。

浅黒い肌に黒髪と淡い水色の騎士服が映え、絵のような騎士として他国の貴族のお嬢さん方からもとても人気がある。



しかし、人生とはままならないもので、リーナはとても重い一つの病を抱えていた。




「イヴリースを捕まえたよ」

「…………ディノ様っ?!」


リーエンベルクに入ると、真っ直ぐにエーダリア様の執務室に直行され、ノックもなしに扉をばぁんと開けられてしまった。

仮にも元第二王子であるし、そんなエーダリア様は意外に気さくであっても、ヒルド様が兎に角礼儀に厳しい。

こんな風に部屋に押しかけるなど、減俸ものの振る舞いではないか。

しかし、震え上がっているこちらを見たヒルド様には、幸いにも怒っている様子はなかった。


塩の魔物とやらはいないようなので、ゼベルは少しがっかりした。

被害者として業務中に堂々と持って来た奥さんに、塩の魔物を見せてやりたかったのに。


「ディノ、手間をかけてすまないな。今、兄上とドリーが回収に来る。………見回りに当たっていたのは、ゼベルとリーナか」


ここでエーダリア様の視線がリーナの腕の負傷に向いたので、こっそりと首を振ってみせた。

腕の中の奥さんが不思議そうに首を傾げるが、微笑んで何でもないよと頭を撫でてやる。


幸い、伝えようとしたことが伝わったらしく、エーダリア様はどこか疲れた顔をした。



「おや、ノアベルトとネアはどうしたんだい?」

「ネイはな、窓の外に火が見えた所為で少し具合が悪いそうだ。今はネアに付き添って貰って部屋に戻している」

「それなら、あの火竜が来るまでは私がここに居た方が良さそうだね」

「すまない、頼めるだろうか。私とヒルドでは、さすがにイヴリースを無力化することは出来ない」

「ゼベルは出来そうだけれどね」


いきなり会話の矛先がこちらに向いたので、奥さんを取り落としそうになってしまった。

けれど有難いことに、説明が苦手なゼベルの代わりに、ちらりとこちらを見たヒルド様が説明してくれる。


「ゼベルは、空気の精霊の守護が厚いので、いざという時にはこれ程の抑えもないのですが、彼の感情の揺れ幅によってのみ発動される魔術でしてね。持続という意味ではあまり期待出来ないのが難点なのです」

「エアリエル達の祝福をここまで受けられるのは珍しいよ。でも、祝福と守護から動く力だから、やはりそれに応じた分量しか取り出せないのだろう」

「ディノ様が見られても、やはり珍しいのですね」

「空気の精霊は視認出来ない精霊でもある。数が多いからそれなりに大きな力を持っているのだけれど、意識されること自体少ないからね」



ゼベルの家系は、代々著名な魔術師を輩出してきた名家であった。

その中でも次男であるゼベルは、幼い頃から魔術師になることを義務付けられていたと言っても過言ではない。

ゼベルの生家では、長男は教会に入り、次男は魔術師に、そして三男が家を継ぐという決まりが長らく続いてきたのだ。


そしてそんなゼベルは勿論、幼い頃から魔術師としての英才教育を受けた。

しかし、決して魔術可動域は低くないものの、魔術師に不可欠な研究欲というものが圧倒的に欠けている子供であったそうだ。

幼い頃からゼベルが好むのは狼達ばかりで、術式などにはさしたる興味を持てなかったのだ。


そうして、早くも壁にぶつかっていた幼いゼベルが、ある夜に乳母から読み聞かされたのが、精霊達の特性について説いた一冊の絵本であった。


恐らく、そうやって読み聞かせをすることで、ゼベルの興味の幅を広げようとしたのだろう。

火や水の精霊など、その特性や危険性を子供に分かりやすく説いたもので、そこでほんの少しだけ触れられていたのが、空気の精霊エアリエルである。


空気の精霊であるエアリエルは、狼の姿をしていると言われているが何しろ目に見えないので、その姿を見たものはいない。

とてもたくさんいるらしい。


絵本に書かれていたのはたったそれだけの文書で、幼いゼベルは大好きな狼の姿をした精霊への言及の少なさに憤慨した。

子供らしい癇癪を起こし、泣きながらエアリエルの表記が少ないのは不平等だと乳母に訴えたのだ。


その場では苦笑した乳母に受け流されてしまったその訴えだが、たまたまその言葉を聞いて心を動かされた者がいた。


それがなんと、当のエアリエルであったのだ。


自分達の為に泣きながら抗議した人間の子供は、あっという間にエアリエル達のお気に入りの子供になった。

あちこちのエアリエルが集まってきて、お気に入りの子供に次々と祝福を与え、守護を与えた……という事らしい。


詳細がわかっていないのは、そもそもエアリエルが見えないからである。

教会に勤めていた兄が休暇で家に戻って来た時に、弟にかけられた祝福と守護の数が物凄いことになっていると気付いて調査がされるまで、ゼベル自身もそのことには気付かずにいた。



(…………まぁ、そこからも苦労ばかりだったけれど)



あまり例のない属性の魔術師となってしまった為に、ゼベルはとても苦労した。

特異体質ということで、魔術の粋を集めたガレンに迎え入れられたのだが、ガレンは研究などの成果を出せない魔術師には、決して居心地の良い場所でもない。

国中からガレンを目指して魔術師の卵達が集まってくるので、やはり魔術師達の入れ替えも多く、研究欲もなく力を安定させられないゼベルにとっては肩身の狭い職場であった。


そして、その頃のゼベルが夢中になったのが狼達との触れ合いである。

安定を欠く魔術師としての道などよりも、ゼベルはせめて一頭でいいから大好きな狼と仲良しになって、その狼と一緒に暮らしたいという野望があった。

しかしその夢には随分とお金がかかってしまい、大型討伐の報奨金を得られないゼベルはあっという間に困窮した。

そこでも随分と悩んだが、兄の助言を受け、ウィームの領主直属である騎士団の騎士に志願することで、何とか首の皮が繋がったのだ。


リーエンベルクは魔術の基盤が潤沢であり過ぎるが故に、普通の騎士では住むことすら出来ない。

祝福や守護を多く受けた者や、高階位の魔術師であった者、或いは多種族との混ざりものなど、特殊な条件を備えた者にしか勤められない職場であった。


結果として転職先はゼベルに合っていたようで、給金はガレンの高等魔術師並みになったし、住み込みなので家賃の心配もいらない。

毎日の食事は美味しく、何よりも人ならざる者達に愛されたウィームの土地には狼達が沢山いる。

全てを狼に使ってしまうので家計は火の車であったが、ゼベルはこの新しい職を死守する為に良く働き、気付けば第二席までになっていた。


先月の悪夢の中で出会った夜狼と伴侶になり、結婚式でゼベルの家族達は絶句していたものの、夢まで叶って人生は順風満帆だ。



(なので、うちの可愛い奥さんを傷付けるような奴にはさっさと帰って貰おう……)



「……と言う訳でして、うちの奥さん………家内を傷付けようとしたところで、一度拘束したのですが、やはり長くは保ちませんでした。取り逃がす訳にはいきませんので、ディノ様に助力をお願いした次第です」

「リーナはどこから見ていたのですか?」

「外を歩いていたら、ゼベルの声がしたんです。交戦しているようでしたので、駆けつけましたが、拘束済のところでした」

「そして、拘束が緩んだところで、ディノ様が来て下さったと?」

「いえ。その前にブーツが飛んで来てその魔物の顔面に当たりました」

「…………その一言で、誰が投げたのかわかるのが複雑だな」


ゼベルが言い淀んだことをさらりと告白してしまったリーナに、エーダリア様が額に手を当てる。

あのドリー様ですら屈服させたという実力を持つネア様の最強の武器は、ブーツなのである。

ゼベルも一度目の前で見ているし、祟りものと化した夜渡り鹿を倒した話は騎士達の中ではあまりにも有名だ。


リーエンベルク直属の騎士達とはまた別に、ウィーム領の中のウィームの街に属する騎士達がいる。

彼等もまた魔術に長けた精鋭であるのだが、そんな騎士達にすら被害を出していたというのに、ネア様はどうやらブーツで叩きのめして勝利を得たのだとか。

あの日以降、ウィームの騎士達には、靴に強固な破壊魔術を仕込むものが増えている。

蹴り技で外敵を滅ぼすという冴えた身技に、憧れる者が続出してしまったのだ。



「おや、いらっしゃいましたね」


ヒルド様のその言葉に、ゼベルとリーナは慌てて部屋の壁際まで下がり、正式な臣下の礼を取った。

これからやって来る客人は直接の主人ではないが、次期国王陛下なのである。



すぐに部屋の扉が開き、グラスト様とゼノーシュ様が、ヴェンツェル様とドリー様を先導して入ってくる。

グラスト様はエーダリア様に一礼すると、役目を終えてこちらに退いた。

契約の魔物は主人以外の者には決して首を垂れない為、ゼノーシュ様はグラスト様の横に並んだくらいだ。

よく見れば、万が一の時にはグラスト様を守れるような位置に立っているのがさすがである。



「よくもまぁ、イヴリースを無力化出来たものだな」

「ヴェンツェル、二度も迷惑をかけたのだから謝らないといけない。……ディノ、エーダリア、イヴリースが何度も申し訳ない」

「イヴリースは、あまり頭が良くないのかな?」

「………いや、尋ねても教えてくれないのだが、どうもネアにどうしても頼みたいことがあるらしい」

「ネアにかい?」


そこで部屋の空気がぐっと冷え込んだので、ゼベルは指先が震えそうになった。

契約の魔物は、主人に邪な興味を向ける者を決して許さないのだ。



「それはな、ネアが名前を付けたとかいう、星鳥との縁談を破棄して欲しいからだそうだ」


そんな空気をものともせず、さらりと火薬の魔物の不審行動の理由を明かしたのは、ヴェンツェル様であった。

鳥との縁談という言葉からして謎めいているが、国の要ともなる火薬の魔物の縁談相手なのだから、物凄い鳥なのだろう。

きっと、ゼベルが知っている星鳥とは別種の高位の生き物に違いない。



「ああ、そう言えばアルテアが、ほこりと見合いをさせたと言ってたかな」



(…………ほこり?!)


「ほこりと見合いをさせたのか………。それで、その見合いは成功したのだろうか?」

「ほこりが気に入らなかったみたいだよ」

「それなら、もう破談で済んだ話なのではないか?」

「イヴリースはその鳥がよほど恐ろしかったようでな、ネアに確実に破談にして貰おうと思ったようだな」

「………兄上、そのことをご存知でしたら、一報をいただければこちらでも対処しましたのに」

「私としても、まさか二度も乗り込むとは思っていなかったが、そもそも個人的なことなので関与はしなかった」

「ヴェンツェル…………。契約で縛れるのだから、きちんと管理しなければ駄目だ。騎士達にもしものことがあれば、公式な事案となってしまう」

「これだけの魔物を備えておいて、むざむざと見過ごすものか」


しれっとそう言った第一王子だったが、部屋の空気を変えたのはヒルド様であった。


「ヴェンツェル様、他国の戦況に興味を持たれるのは構いませんが、自国の管理も出来ないようでは情けないと言わざるを得ません」

「…………ヒルド」

「………………むが」

「おや、目を覚ましましたね」


そこで火薬の魔物が目を覚まし、ディノ様の前で震え上がる一幕があった。

何度もお許し下さい我が君と呟いていたので、もしかしたらイヴリース様はディノ様の領土内で暮らしていた魔物なのかも知れない。

魔物も公爵領できちんと民を管理しているのだなと、不思議な気持ちになった。

腕の中の奥さんが静かなので怖がっていないかとそちらを見れば、いつの間にかすやすやと眠っている。

夜行性なのに夜に寝てしまうところが、最高に可愛らしい。

世界一可愛い。


結局、火薬の魔物は、通信で事情を聞かされたネア様から、暴言の謝罪が出来ないようであれば縁談を進めてしまうと言われて竦み上がってしまった。

ドリー様にも叱られ、消えてしまいそうな声でぼそぼそと謝罪し連れて帰られることとなる。


「イヴリース、今度正当な用もないのに私の主人に近付いたら、君を練り直してしまうよ?」

「我が君?!…………申し訳ありませんでした。二度とこのような不始末は…」

「返事をするのが嫌なのかな?」

「と、とんでもない!!はい!二度と近付きません!そして…」

「面倒臭いからもう連れて行って構わないよ」

「ディノ、イヴリースが本当にすまなかった」

「ふむ。やはりイヴリースとて、王には萎縮するものだな」

「ヴェンツェル、みんなに謝ったのか?」

「……………迷惑をかけたな」


忙しなく王都に帰っていく彼等を見送りながら、ヴェンツェル様の言葉がどうしても引っかかる。

王とは何だろう。

どうもディノ様の方を見ていたような気がするが、あまり知らない方がいいという気もした。

拳を握り直して、記憶に蓋をすることにした。




ここでディノ様も退出し、ゼベルとリーナは再び上司の向かいに立たされた。

今回はそちら側にグラスト様も立ち、あらためて聴取の続きとなる。


「さて、あなた方の報告で一つ気になったのですが、なぜリーナはゼベルと一緒に行動していなかったのですか?別の事案に携わっていたのであれば、その報告もして下さい」


微笑んで言われた言葉であるが、ヒルド様の目は全く笑っていない。


「それと、とあるご家族からリーエンベルクの騎士に家族を傷付けられたという通報を受けております。本日の夕刻に、ナルハ区にある邸宅を襲撃したという騎士に心当たりはありますか?」


ぎょっとして隣の同僚を見てしまったゼベルに、リーナは思いがけない反論に入った。


「し、襲撃などではありません。火の幻影が出たと聞いたので、レクティを安全な場所に…」

「おや、私の聞いた報告によれば、その騎士は個人宅を襲撃した挙句、アムレイア夫人を攫おうとしたばかりか、妻が攫われるのを防ごうとしたアムレイア氏と交戦になり、左腕の骨を折る暴行を加え、父親が殺されるのを止めに入った息子のエンドール氏にも頭部裂傷と肋骨を三本折る暴行を加えたそうですが?」

「レクティを護ろうとしただけなのに、邪魔をしたからで…」

「リーナ!」


ここでグラスト様が鋭く名前を呼び、リーナは反論を飲み込んで項垂れた。

これがこの麗しい黒髪の騎士の病であり、近年騎士達の頭痛の種になっている、リーナの片想いによる度重なる事件の最新版になるようだ。


何しろ、リーナは竜の混ざりものである。


竜は自分より強いものには粛々と従うが、万が一自分より弱きものに心を奪われた場合には、その者を自分の巣に連れ帰り伴侶とする習性がある。

もしリーナが生粋の竜であれば、アムレイア氏にそのご子息やご子息の細君、その子供達を全て殺してからアムレイア夫人を攫うという行動になるが、困ったことに彼は半分人間である。

人間の社会で生きていくという選択をした以上は、その法に従わねばならないのだ。


小さく溜息を吐いて、エーダリア様が口を開いた。


「リーナ、お前がアムレイア家の者を傷付けたのは何度目だと思う?」

「…………申し訳ありません」

「今回で十五度目だ。薬で治るとは言え、恐怖や苦痛の記憶までは癒えない。治療を受けられなければ命を脅かしかねない怪我を負わせたこともあるな?」

「………はい」

「アムレイア夫人への接触に至っては、報告を受けているだけで二千回を超えている。私は、騎士の契約に、嫌がる領民を追い回してはならないと契約したのであれば、その誓いを破ってはならないという項目を増やさねばならないようだ」

「し、しかしレクティは…………」

「今回、アムレイア夫人はたいそうお怒りでな。直接の嘆願にと、こんな時間まで儀式の終わりを待ってリーエンベルクを訪問してくれている」

「レクティが会いに来てくれたのですか?」


なぜかリーナはその言葉に笑顔になってしまい、エーダリア様は頭を抱えてしまった。

ぐっと堪えてはいたがゼベルも頭を抱えたかったし、グラスト様もそうだろう。

エーダリア様が、やはりあの葉を売るかと呟いているが、何か妙案があるのかも知れない。

まず間違いなく騎士達の総意になるだろうが、解決策があるのであれば早々に助けて欲しい限りだ。



「アムレイア夫人と、そのご家族です」


さすがに領主の執務室ではまずいということで、他国の使節などとの会談にも使われる部屋に移動することになった。

この部屋であれば護衛達が殺し合いをしても扉や窓が壊れないそうで、そう説明したヒルド様の言葉の裏に、足が竦みそうになる。

すぐに、二人の騎士が被害者家族を案内してきた。

その騎士達も目が虚ろになっているのだから、今回の事件の詳細は語られずとも想像がつくのだろう。



「ご無沙汰しておりますわ、エーダリア様。グラスト様。ヒルド様はお初にお目にかかります」


年老いてもなお玲瓏と美しい面を曇らせて、華やかな黄色の服を着たアムレイア夫人は入室するなり穏やかに挨拶をくれた。

状況を思えば怒鳴り込んできてもいいところなのだが、アムレイア家は竜騎士の一族であるので、竜というものの性質がどれだけ厄介なのかを理解してくれているのだ。

その上で我慢してきてくれた年月は幸いにも長かったが、とうとう堪忍袋の緒が切れたのだろう。


漆黒の髪に麦色の肌、鮮やかな緑の目を持つアムレイア夫人は生粋のウィームの民ではない。

竜に狙われるという予言を産婆より下され、自立出来る歳になるとすぐに国を出た彼女は、人外者の管理に長け、魔術に長けた者が多いウィームの街に移住してきたのだ。

代々の竜騎士の一族に嫁ぎ一安心かと思えば、まさかの相手に付け狙われることになってしまったという経緯である。


「レクティ!」


喜んでしまったリーナが椅子から立ち上がって飛び出そうとして、髪の毛を掴んだ少年に床に引き倒された。

もがくリーナを押さえつけているのは、成長して白持ちになったという、グラスト様の契約の魔物だ。

グラスト様の指示を受け、そのまま壁際までリーナを引き摺ってゆくと、少し離れたところで拘束した。


無作法な騎士を氷のような目で一瞥したアムレイア夫人は、リーナを抑え込んだゼノーシュ様には慈母のような微笑みを浮かべる。

成長して幼さを備えたゼノーシュ様の可愛らしさは飛び抜けており、ネア様だけでなく、騎士達にもお菓子を貢がせている。


だが、その顕著な温度の差に、どれだけ彼女が激昂しているのかが現れており、ゼベルは背筋が寒くなった。



「さて、この度はこのような場を設けていただきまして、有難うございます。エーダリア様、わたくしの方から、是非にご相談させていただきたいことがございますの」



そうして始まった、アムレイア夫人による嘆願は、恐ろしい顛末を迎えることになる。

ゼベルはその恐ろしい夜のことを、長らく忘れることは出来なかった。




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