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125. 絶対的報復措置となります(本編)



夕方からの火の慰霊祭の儀式を前に、ウィームの街中で火の幻影が生まれたという報告が、リーエンベルクにも入った。


ヒルドから通信が入り、念の為にリーエンベルクの周囲でも注意するようにというお達しである。

ディノが一通り調べてくれたのだが、途中でおやっという顔をして門の前を見に行ってしまった。

部屋に残されたネアと銀狐は、すぐさま正門が見える部屋に駆け込んで、ディノが何を処理しに行ったのかを見に行く。

先程まで震えていた銀狐は、自分の領域を危険に晒す何者かにいたくご立腹であり、ネアの肩の上で尻尾を振り回して指揮官気取りで荒ぶっている。


「狐さん、尻尾で後頭部をばしばし叩かないで下さい!」


尻尾がもふもふと当たるので文句を言いつつ、ネアは、正門の向かいにある部屋に入り、以前、凝りの竜の現れた日にディノを叱りつける為に開けた窓を久し振りに開けた。


「…………ディノは何をしているのでしょう?」


門の内側に立ったディノは、正門の外にある王宮前の広場をじっと見ているようだ。

首を傾げたネアの肩から銀狐が飛び降りると、背後でぼふんと音がして、肩口にずしりと重みが加わった。


「幻影の予兆を消してるんだね」

「…………ノア」


背後から羽織りものになってきたノアに、首を捻って振り返れば、青紫の瞳を揺らして淡く微笑む。

少し疲弊した気配が残っているが、気が逸れているからか元気そうだ。

彼らしく何でもない白いシャツを着崩した姿だが、先日ネアに貰ったばかりの害虫退けの結晶石がついた首輪をしたままなのが、妙に扇情的に見える。

これはお散歩用だと散々言ったのだが、新しい首輪が嬉しくて屋内でも外さないのだ。

こうして、人型になるときには魔術で大きさの調整をした上でアクセサリー代わりにしていた。


更に言えば、エーダリアと契約したことによって不要になった免罪符は、部屋の飾り棚に御神体のように祭り上げられているので、ディノのリボン事件の時のように、そろそろ品物をしまうという教育をした方がいいのかもしれない。



「幻影の予兆と言うことは、あの辺りに火の幻影が…………あ」


ディノの視線を辿れば、確かに門の外の広場の一角にはらはらと白いものが降る一角があった。

雪のようにも見えるが、雪の加護を受けたウィームの雪は、粉雪であれ、きらきらと光るのだ。

しかし今降っているものには、まるで光が入らない。


(……………あれは、灰なんだわ)


「火の幻影を呼び寄せる魔物が彷徨っているみたいだね」

「むぅ、そんな困った魔物めがいるのですか?」

「故意にあちこち動いているのか、本人はどうでもいいけど呼び起こしてしまうのか、どっちなのかなぁ…………」

「ノアでも特定出来ないのですか?」

「擬態してるみたいだから、この状況では僕には無理だね。せめてあの足跡のありそうな、広場まで行かないと。シルならわかると思うよ」

「だから近くまで行ったのですね」

「と言うより、あれは幻影が立ち昇る道を閉じているんだと思う。幻影が湧き出す入り口ってね、髪の毛の先ほどの時間の罅割れなんだ。そこに土地に残っている怨嗟が染み込んで、過去を漏れ出させるわけ。その小さな罅割れを閉じるのって結構面倒なんだよ」

「そんな小さなものからなのですね………」

「普段は何ともないけど、条件が整うと荒れるんだ。今日は火の怨嗟が強くなる日。一年の終わりになると、違う階層から怪物が出てきたりするしね」

「…………大晦日の怪物ですね」



少しすると灰の雨は降り止み、ディノがこちらを見た。

頭の上でノアが頷く気配がしたので、この姿に戻ったのは臨時の護衛の為でもあるようだ。

無事に作業が終わったようなので、ネアもほっとする。

しかし、街は大丈夫だろうかと遠くを眺めようとしたネアは、視界の端っこに謎の不審者を発見してしまう。

思わずぱちぱちと瞬きしてしまってから、ノアの袖を引っ張った。


「…………ノア、不審者がいます」

「ありゃ、変なのがいたの?どれ?……うわぁ……」


ノアがげんなりするのも尤もな光景であった。

リーエンベルクの西側の通用門のところに、遠目でも身なりが良さそうに見える少年が、あからさまに怪しい動作で顔を覗かせている。

ひょこっと顔を出したかと思えば、さっと隠れてしまい、またうろうろとリーエンベルクの壁沿いを歩いているので、見るからに不審者ではないか。


「あ、また覗いていますよ。不審者め!」

「うわっ、頭悪いのかな?魔術結界の壁に触ったよ……」


ディノも気付いたのかそちらを見たので、ネアはさっと指をさして不審者の位置を知らせた。

どんな不審者だろうと、あの迂闊さを見る限りディノに危害を加える事は出来なさそうだ。


「と言うかもしや、リーエンベルクに勤めるどなたかのお子さんだったりするのでしょうか?」

「違うんじゃない?あの子、多分魔物だしね」

「…………と言うことはもしや……」

「幻覚の呼び起こしをしてる奴っぽいね」

「むぅ、それは懲らしめる必要がありそうです!」


羽織りものな塩の魔物と共に捕物を観戦していると、ディノはひょいっと敷地の外にいる少年の背後に転移すると、問答無用でその襟首を掴んで持ち上げた。

うわぁっと悲鳴が聞こえ、罵声になった直後にぴたりと静まる。

後はもう、自分を持ち上げたディノを見たまま凍りついた少年と、凝固した少年を片手にぶら下げたディノが向かい合うばかりだ。



「………ノア、あそこに行けますか?うちの魔物が、捕まえた不審者をどうするのか悩み始めたようです」

「…………うーん、ま、シルも困ってるみたいだけど、危なくないかな………」

「む。外出は危ないかもなので、通用門の内側にします!」

「良かった。それなら安全だね」


一度窓から離れてきちんと戸締りしてから、ノアに抱え上げて貰って転移の薄闇を踏んだ。

くらりと世界が入れ替わり、小さな白い花がみっしりと満開になっている、蔓薔薇に覆われた通用門の前に到着する。




壁の内側と外側ではあるが、双方の姿は見えるので、すぐに気付いた少年が通用門越しにこちらを睨んだ。


「ノアベルトか!」


だいぶつんつんしているが、長い黒髪をポニーテールにしたとても綺麗な少年である。

しかしながら、金緑の瞳でやけに好戦的な様子なので、漆黒の正装姿もあって毛を逆立てている黒猫のようである。

そして、その少年を見た途端、ネアを抱えたままのノアはさっと体を強張らせた。



(この子の言葉からすると、知り合い?もしかして、ノアを訪ねて来たのかしら?)



一瞬、ネアはそう考えかけたが、どうやら違うらしい。

顔を顰めたノアに対し、門の向こうの少年も露骨に嫌そうな顔をする。


「……………何で君がここにいるのさ?僕はね、今日はあまり君には会いたくないんだけどな」

「うるさい!散歩ぐらい構わないだろ!」

「さては儀式が嫌で脱走したね?」

「ふん。誰があいつらと一緒に仕事なんかしてやるもんか。一人で来たんだからな」

「…………ってことは、王都に誓約で紐付けられた魔物が、無断で他の領土に入り込んだのかな?君の契約主は知ってるのかい?」

「う、うるさい!ドリーは知ってるからいいんだ!!」

「じゃあ、彼と一緒に来たんじゃないか」

「…………と言うことは、ドリーさんのお知り合いなのですね?」


ネアにもこの魔物の残念感が伝わったので、ひとまず本人との対話は後回しにしてそうノアに尋ねてみると、少年がはっとしたようにこちらを見るのがわかった。


「……………お前が、リーエンベルクの歌乞いか」

「あら、私のことをご存知なのですか?」

「…………そうか、ノアベルトが契約の魔物か。………ふうん。王都に気配を感じなくなったと思ったら、ここで捕まっていたのだな!女好きの魔物らしい浅はかさではないか。………にしても、貧弱な人間だな。美しくもなければ、賢そうにも見えないぞ?」


ネアをじろじろと見た後で、少年は馬鹿にしたようにそう微笑んだ。

馬鹿にされてしまったネアと、契約の魔物に間違えられたノアは、ぎょっとして少年を捕獲しているディノの方を見てしまう。



「おや、イヴリース。私の主人が気に入らないようだね」

「……………え?」


穏やかなディノの声に、襟首を掴まれ吊り下げられたまま、少年は首を傾げる。

その言葉を飲み込むまで暫し困惑した後、目を瞠ったままさあっと蒼白になった。

寧ろ、よくもこの状況を一瞬でも忘れられたものだと感心するくらいの迂闊さだ。



「ネア、これは捨ててきてあげよう。どこがいいかな?」

「……………わ、我が君?」

「それとも、良い魔物の道具になるかもしれないから、骨を削って武器にでもするかい?」

「む!もしや、狩りの時に使える武器に出来ますか?」

「うん。欲しいものがあれば、作ってあげるよ?」

「悪いやつのようですし、それなら武器にしてしまいましょう!」

「わあっ!ネア、ちょっと待って!この魔物が死ぬとヴェルリアが色々困るから待って!」

「………では、死なない程度に武器にしますか?」

「駄目だよ!骨を削られたら、暫くは使い物にならないんだから!」


ぶら下げられた少年はあんまりな提案に放心してしまったのか、無抵抗で震えるばかりになっていた。

その代わり、ノアがなぜか大慌てでネアを制止に入る。

がくがくと揺さぶられて、ネアは荒ぶる乗り物に掴まった。


「つまり、使い物にならないと困る魔物さんなのですか?」

「これでも、火薬の魔物だからね」

「…………………火薬の魔物さん」


確かそれは、残忍であるので近寄らないようにと注意されていた、とてもすごい魔物ではなかっただろうか。

こんな風に猫の子のようにぶら下げられている不審者姿は決して想像していなかったので、ネアはぎりぎりと眉間の皺を深くした。



「違うと思いますよ、ノア。火薬の魔物さんは強くて残忍だと伺っています。この子は、ちょっと迂闊で残念な、ただの不審者さんですね!」

「ネア、さらっと心を抉るのやめてあげて!」

「……………だ、黙れ醜い小娘め!」

「イヴリース!本能的に言い返すのはやめようか!何で自分で言っておいて、恐怖で気を失いそうになってるんだい?!」

「お口の悪い魔物さんなので、ダリルさんの特製の呪いを差し上げましょうか?」

「うん、愚かな魔物だね。ネアの好きにしていいよ」

「シル?!」

「では、秋になるとべたべたした気持ち悪いきのこが身体中に生えてくる呪いと、死ぬまで耐えられないくらいにお尻が痒いままの呪い、皮膚が派手派手なピンクと黄緑の水玉模様になる呪いのどれがいいですか?」

「ネア!一応この子はヴェルリアの国防の要だから、どれもかけちゃ駄目だよ!」

「あら、どの呪いもお仕事には支障がありませんよ?」

「うわ、思ってたより容赦ない感じだった!」


ノアはこのままではまずいと思ったのか、ネアを一度地面に下ろすと、その肩にがしりと両手を置いて説得モードに入る。


「ネア、僕がきつく叱っておくから、ダリルの呪いはやめようね?」


珍しく大人の立ち位置であるノアを立ててやろうと思うよりも、ネアは雨風を自力で弾けない人間を霧雨の中に自立させてしまった魔物に、じっとりとした眼差しになる。

先程までは魔物であるノアが抱き上げていたので濡れなかったが、今やネアは自然の猛威に晒され放題である。

しかし残念ながら、ノアだけではなくディノも、ご主人様が不必要に湿度を高めていることに気付いていないようだ。

小さく溜め息を吐いてから、ネアはまずは目の前の問題を解決してしまうことにした。



「しかし、青少年の暴言は適切なお仕置きで矯正してゆかねば、立派な大人に育ちませんよ?」

「その矯正って言葉がすごく怖いとか、そもそも彼は君の何十倍も生きてるとか、色々突っ込みどころはあるけど、まずは一度深呼吸しようか?」

「むぅ。……………深呼吸をしました。爪先を踏み潰すだけでも許せる気がします」

「どうしよう、人間が思ってたより残虐過ぎる…………」

「もしくは、あの髪の毛を毟り取ってアクス商会に持ち込めば、いいお値段がつくでしょうか?」

「…………何かもう、髪の毛ぐらいいいかな」



ネアが湿気問題でいつもより短気だとは気付かず、ノアが説得に疲れて妥協しかけたその時、頭上でばさりと羽ばたきの音が聞こえた。

ぱっと顔を上げたネアの目に、気配をまるで感じさせず飛来した真紅の竜の大きく凛々しい姿が映る。



「ほわ!ドリーさん!」


もうひと羽ばたきしてから、火竜は淡い魔術の光に包まれて、見慣れた男性の姿に変化した。

重さを感じさせない優雅さでディノの隣に降り立つと、まずはそちらに丁寧に頭を下げる。



「万象の王、イヴリースが失礼をした。すぐに連れて帰るのでどうか容赦して欲しい」


他種族からすればかなり丁寧な謝罪であるが、ディノは柔和に微笑んだだけで火薬の魔物を離すつもりはなさそうだ。


「さて、それは難しいかもしれないね。これは私の主人を貶めたし、魔物の領域に竜が口を出すべきではない」

「…………その非礼は重々に承知している。だが、ヴェルリアの安定には彼が必要でもあるのだ」

「おや、それは困ったね」


ふるふるしながら、イヴリースという名前らしい火薬の魔物は、心なしかドリーに手を伸ばしているようだ。

生意気盛りだが、頼れるお兄さんには甘えてしまう子猫のような仕草にはネアも驚いたが、自分でも無意識だったのか、自覚してからぎょっとした後、さっと手を元の位置に戻してしまう。


そちらを見たドリーが、珍しく少し怒ったような目をする。

だが、イヴリースのことは一瞥しただけで、すぐにネア達の方を見てきちんと頭を下げてくれた。



「ネア、イヴリースが失礼なことを言ったのだな、申し訳なかった」

「いえ、ドリーさんの所為ではありませんから、謝らないで下さい。聞くところによればいいお歳の魔物さんのようなので、自身の行いは自身で償わなければ」


それは決して無罪放免のお知らせではないので、ネアの微笑みに何を見たのか、ドリーが慌てて火薬の魔物を叱り始めた。

これは早々に謝らせないと、この人間がとんでもない仕返しをするに違いないと察してしまったのだ。


「イヴリース、勝手に抜け出してはいけないと言っただろう?」

「……………用があったんだ」

「イヴリース?まだきちんと謝ってないだろう、一緒に…」

「………何度も言わせるな、ここに用があったんだ。お前に、指図を受ける覚えはない!」



(おのれ、自分の代わりに頭を下げてくれた人に向かって、なんたる暴言!)



その一言は、ドリー大好きのネアの堪忍袋の緒をぷつりと切るのに充分な一言であった。

これはもう、きのこの呪いの刑に処すしかないと思ってそちらに向かおうとしたところで、ネアは、隣に立ったノアが小さく体を揺らしたことに気付いた。



「…………ノア?」


そっと名前を呼んだが、聞こえていないようだ。

虚ろな目でディノ達の方を見ており、酷く顔色が悪い。

その視線を辿る形でそちらを見てから、ネアはひやりとした。



(……………もしかして、ドリーさんを見てる?)



以前にヒルドから、ノアは火竜が嫌いなようだと聞かされていた。

とは言え、カルウィではドリーと一緒にいたこともあるのだしと油断していたが、火の記憶に怯えるくらいなのだから、統一戦争の際にこの城を落とすのに力を貸したドリーを、今日のこの場所で竜姿で見てしまったことは心の傷を深く抉るのかもしれない。



「………ディノ、その魔物さんのお仕置きは後にします。ノアをお部屋に連れて帰りますよ!」


ネアがそう鋭い声を上げれば、はっとしたようにディノもこちらを見た。

ぽいっと火薬の魔物を放り出し、すぐにこちらに来てくれる。

驚いたようにこちらを見たドリーが、ノアの様子に気付いたのか痛ましそうに顔を歪めるのがわかった。

地面に落とされて呆然としている同僚を素早く回収すると、もう一度深くこちらに一礼する。


悪いのは困った魔物であって、ドリーの失態ではないので、ネアはドリーに微笑みかけ、小さく首を振った。

さすがの状況判断力で、竜の姿に戻らずに、ドリーはイヴリースを連れたまま素早く転移で退出した。

今日の儀式では、ドリーの存在も火を鎮める為に必要だと話されていたので、そういう意味でも素早く帰参したのかも知れない。



「ノア、………大丈夫ですか?」


そっと手を伸ばして頬に触れれば、ノアは、びくりと肩を揺らしてから、深い深い息を吐いた。

もう誰もいなくなった壁の外を凝視してた視線が動き、そろりとこちらに向けられる。


万が一に彼が暴走しても大丈夫なようにか、ディノが周囲を見回すのがわかった。

さり気なく調整をかけているのかも知れない。


「ネア、………君はここにいる?」

「ええ、勿論。今日は一緒にいると約束したでしょう?」

「…………僕の大嫌いな火竜に傷付けられていないかい?」


あまりにも不安そうに言うので、ネアは頬に手を添えてやったまま、安心させるように微笑みかけてやった。


「あら、私はドリーさんを一撃で倒して、狩ってしまったことがあるんですよ?闘ったら負けません」

「……………うん」

「それに、カルウィでも一緒だったので、ドリーさんが私を助けてくれるのは知っていますよね?どうして、また警戒してしまったのですか?」

「…………うん。………そうだったね。…………僕も、ドリーだけは割と大丈夫だったんだけど、リーエンベルクの近くを飛んでる姿を見たら、………ちょっとね」

「よりにもよって今日だったので、怖い記憶が蘇ってしまったのですね?」

「……………うん」



悲しげにくすんと鼻を鳴らして、ノアはネアの手を取ると、なぜかディノと手を繋がせた。



「ネア、シルから離れるのは禁止だよ。僕も傍にいるけれど、やっぱりシルの方が強いからね」

「あらあら、心配性になってしまいましたね。では、こちらの手が空いているので、こちらはノアが手を繋いでくれますか?」


もう片方の手を差し出せば、ノアは少し嬉しそうな顔をした。

既に片手を繋いでいる方の魔物が体を強張らせたが、繋いでいる手をぎゅっとして戒めると、小さくずるいと呟きながら許してくれた。


「ほら、これで私は安全です!後はもう、雨の降っていない室内に入って、早く乾燥させてくれれば完璧です!」

「あ、…………」

「え……………」


そこで魔物達はようやく、ネアが少ししっとりしてしまっていることに気付いたようだ。

人間は雨を弾く仕様ではないことを思い出したのか、ぎゃっとなって慌てて屋内に駆け込んでくれる。



駆け込んだ室内で、ディノがすぐさま乾かしてくれた。


「ごめんね、ネア。寒くなかったかい?」

「ふわっと水分を飛ばしてくれたので、元通りです。しかし、今後は防水加工ではないことを忘れないで下さいね」

「ごめんね、ネア。僕がすっかり忘れてた………」

「今日はノアを甘やかす日なので、ノアの罪は問いません!ディノに素敵に乾燥して貰ったので、午後は三人で楽しく過ごしましょう」

「……………ネア」



小さく呟いて目を瞠ったノアは、可哀想になってしまうくらいに無防備な目をした。

家事妖精の塵取りから拾ってきたあの日、膝の上でこちらを見上げていた青紫の瞳と同じ、安堵や喜びにも似た透明さに、ネアはつい頭を撫でてやりたくなる。

しかしながら、現在はまだ両手が塞がっているので、そろそろご主人様を自由にして貰おう。


「もう安全な屋内なので、そろそろ手を離して下さい」

「ネアが浮気するといけないから、繋いでおこう」

「今日は僕を甘やかしてくれるんだよね?」

「好意が罰ゲームのような顛末に行き着きました。自由を返して下さい!」


両手を拘束されてしまったネアは荒れ狂ったが、ディノもノアも楽しそうにするばかりで離してはくれなかった。

これはもう、おいそれと魔物を甘やかしてはいけないという天啓だろうか。


しかし、自由を愛するご主人様が、最終手段として足を持ち上げると、二人ともさっと手を離してくれる。


「むぅ、拘束犯達が逃げました!」

「ネア、僕は爪先を踏むんじゃなくて、もっと違うことをして欲しいな」

「それなら、撫でて差し上げるので、私の厨房に美味しい薔薇のお塩を提供して下さい」

「塩くらい、いつでも作ってあげるのに」

「…………ネアが浮気する」

「ディノ、これは物々交換ですので浮気ではありません。それと、ノア、こちらにいると落ち着かないでしょう?私の厨房でのんびりしませんか?」

「…………いいの?」

「お菓子作りでもして、お喋りしましょう。疲れているようなら、揺り椅子があるので…」

「クッションを用意してあげるよ」


ネアの提案を遮るようにして、ディノが優しく提案した。

やはりノアのことは好きなのだなと思って見上げれば、水紺の瞳は少しも笑っていない。


(あらあら、ディノのお気に入りの揺り椅子だからかしら………)


どきりとするよりも、そんな領土主張に可愛く思っていると、ノアは不思議そうに首を傾げた。


「…………クッション?」



なぜあえてそんなものを推してきたのだろうと首を傾げていた塩の魔物は、厨房のある屋敷の居間で、ディノの巣の横にも設置されているふかふかの大きなクッションに出会い、容易く陥落してしまった。


ばすんと飛び込めば、優しく体をホールドしてくれる恐ろしい誘惑のクッションなのだ。


やはり一人でいるのは寂しかったのか、そのクッションを厨房まで引き摺ってくると、欲望のままにクッションに飛び込み、幸せそうにすぅすぅと眠り込んでしまう。


「あら、お菓子を作る以前の問題でしたね……」

「これでノアベルトは静かになったね」

「敵を斃したかのように言ってはいけません」

「これでやっと二人きりになったね」

「ものすごく頻繁に二人きりでいるのに、どうしてそう欲しがりになってしまうのでしょう?」

「さっきは、怖くなかったかい?イヴリースの言葉は、不愉快だっただろう?」



体を屈めると瞳を覗き込んでそう言う魔物に、ネアは、この魔物がずっとそのことを心配していたのだと、今更ながらに気付いた。


あの場では必要以上に過激な言動はなかったものの、そこそこに怒ってもいる様子である。

目を瞠って見上げれば、真珠色のまつげの影が瞳に落ちる。


「…………もしかして、ノアが落ち着くまでと、随分我慢してくれたのですか?」

「そうだね。………でも、今日はノアベルトを甘やかす日なのだろう?」

「ふふ。私の魔物は、なんて素敵な魔物なのでしょう」


その言葉を優先してくれたことが嬉しくて、ネアは正面の魔物にぼすんと抱きついた。

戻り時の妖精の事件があったばかりなので、こうしてネアの都合を優先させてくれたことが特別に優しく感じられる。


「………大丈夫ですよ、傷付いてはいません。しかし、私は容赦のない人間ですので、マナーとして暴言には罰を与えようとは思いますが、他人の好みはそれぞれですからね。イヴリースさんに好かれなくても、私にはディノがいるので充分です」

「……………ネア」


褒められた直後にそう言われてしまった魔物は嬉しそうに頬を染める。

とは言え変態でもある魔物がおずおずと爪先を差し出したので、危険なブーツを履いていることを思い出させてやり、代わりに三つ編みを引っ張ってやった。



「しかし、火薬の魔物さんはもっと老成した雰囲気で想定していたので、イヴリースさんの性格がいささか心配ではあります。戦果は上げているようですので、あんな子猫さんのようでも、戦場では強いのですか?」

「残虐さを好む魔物だよ。整ったものを壊すのが好きだし、生き物を殺すのも大好きだ。君はヴェルクレアの歌乞いだという意味で守られているだろうけれど、それでも近付くのはお勧めしない。あれは、その代わりに周囲の者を壊そうとするだろうからね」

「そういう気質の方なのですね。………となると、あの魔物さんが一番怖いのは何でしょう?お仕事に支障があると困りますので、精神面でのお仕置きにしましょう!」

「………ウィリアムの言うことはよく聞くようだね。同じ領域の上の階位として、彼を恐れてもいる筈だ」

「………ウィリアムさんに、あの暴言を告げ口してみましょうか?」

「それでいいのかい?私から叱ってあげても構わないんだよ?」


勝手に手を下さずそう尋ねるのは、この魔物が、自分が手を下すことでネアに不利益が生じないかと譲歩してくれている証拠だ。

あんな出会い方ではあったが、イヴリースはヴェルクレアの王が契約する魔物であり、統一戦争の時の勝利の立役者でもあるのだ。


「あれでもヴェルクレアの大事な魔物さんのようですし、ディノが厳しくやってしまって、イヴリースさんの不調で王都から睨まれても困りますしね。外側からじわっと報復措置を取る感じで、ひとまず反省するかどうか様子を見ましょう」

「わかった。懲りないようであれば、私からあらためて叱っておこう」

「………そう言えば、用事があって来たようなことを仰っていましたね」

「リーエンベルクに用事があったのかな」

「むぅ。となると、また来てしまうのでは。要件を聞いてから解放すれば良かったですね………」


少し気になったのでそのことも合わせてヒルドに報告しておけば、何とも思いがけない訪問の理由が後から知らされた。



どうやらイヴリースは、ヴェンツェル経由でのアルテア立会いのもと、ほこりとお見合いをさせられたことをたいそう不安に思っているのだそうだ。

ほこりの名付け親のネアが、更にアルテアを使い魔にしていると知ったことで、この縁談が完全に流れるよう口添えして貰おうとしていたらしい。



火薬の魔物の弱点がとてもよくわかる事情であったので、ネアからは、きちんと暴言を謝れないのであれば縁談は進めてしまうと返答しておいた。


生意気なことを言っているとヴェンツェルあたりが不快感を示すだろうかと少し心配であったが、後日エーダリア経由で、最近我が儘に拍車がかかっていたらしいイヴリースが、お利口な魔物になったと知らされた。


万が一火薬の魔物が荒ぶった時には、アルテアを介してほこりを招集すればいいと知り、ヴェンツェルはとてもご機嫌なのだとか。

報酬は帆立で良いので、ゆくゆくは国王となりイヴリースの次の主人となる彼からすれば、火薬の魔物の操縦という不安材料が一つ片付いたというところなのだ。



雛玉が地道に手に職をつけているので、名付け親は少し誇らしい気持ちになった。




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