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124. 火の慰霊祭が訪れます(本編)



祝祭の中にはあまり喜ばしくない種の祝祭、高位の人外者の慰霊祭も幾つかある。

その霊を慰め、災いを防ぐための祝祭であり、祝祭の儀式の中で呪いや穢れを祓い落とす。

この時期に訪れる火の慰霊祭は、火竜の王子と火の精霊を鎮める為のものだった。



統一戦争の際に、このウィームを攻めていた火竜の王子と火の精霊が斃れた。

勿論陥落させられたウィームに属する者達が多くの命を落としたのは言うまでもないが、やはり難攻不落の人外者の寵愛と庇護を受けるとされたウィームであったからこそ、ヴェルリアや先に併合された二国の者達も合わせて、数多の者達がこの土地で命を落としたのだ。



その中でも、気性の激しい火竜の王子と火の精霊の怨みは深く、毎年雪と冬の加護が途切れるこの時期になると、何もない筈の場所に突如としてぼうっと火の手が上がる。

その火は明るく燃え上がる健全な火の色ではなく、全てを灰燼に帰してもなお燻る、黒く赤いぞっとするような怨嗟の色をしているのだとか。


ウィームはこの怨念のせいで何度か統一戦争の後も大火を経験しており、ヴェルクレア建国当時の魔術師長や、ウィームの再建を任されたヴェルリア貴族達が話し合った結果、火を焚いて火の系譜の鎮魂を行う祭が執り行われるようになった。


逆に言えば、王都ヴェルリアでは冬の入りの初雪の日に必ず雪の慰霊祭を行う。

そちらにはそちらで、斃したウィームを守護した人外者達の怨念が極北の気候を連れてくる日があるのだ。

残忍さでは夏の系譜に劣るとされる冬の人外者達だが、その一日王都はホワイトアウトし、生粋のヴェルリアの血筋の者が外に出ようものならたちまち遭難してしまうのだとか。


しかし、エーダリア曰く、北の王族の血を引く彼だけは、ただの穏やかな雪の降る一日に見えるらしい。


「戦争を知らぬ世代からすれば理不尽な災いだが、人ならざる者達の残す災いというものはそういうものなのだ。…………あのネイですら、やはりヴェルリアの民にウィームを介さず塩を手に入れられるようにしてやろうとは思わないのだからな」


エーダリアがそう言うのも尤もである。

今は元気にボールを追いかけているノアですら、やはり気紛れで恐ろしい魔物の公爵の一人。

こうして火の慰霊祭を恐れ震えていても、きっちりとヴェルリアに大いなる呪いを刻んでいる。



「本日の仕事は薬作りではなく、塩の魔物を宥めてやってくれ」

「エーダリア様は慰霊祭に出られるのですよね?何か手が足らないようなことはありませんか?私はここでノアについているとしても、ディノを貸し出せますよ?」

「いや、大丈夫だ。気を使わせたな。今夜の祭りは元々、慰霊の為の儀式と、火の系譜の祟りもの達に火をおこさずとも既に火の手が上がっていると勘違いさせる為のものだ。民達も早々に家に戻り、儀式を任された魔術師や領主、そして王都からかつての同胞達を鎮める為に訪れる者達だけで執り行うものだからな」

「エーダリア様には、何か危ないようなことはありませんか?」

「ああ。儀式を執り行う際には、必ず私の隣に兄上とドリーが並ぶ。それだけで災いが避けて通るのだ」

「まぁ、ヴェンツェル様もいらっしゃるのですね」

「ヴェルリア王家の血を引く者が参列すると、やはり儀式が滞りなく済むからな」


四年前に一度、第一王子が暗殺未遂による傷を負い、参列が叶わない年があった。

その年は鎮魂というよりは、怨霊調伏の儀式になり、たいそう手こずったのだとか。

ヴェルリア王家の血は、傍流でも構わないとされているが、やはり指揮をとる階位の者がいる方が儀式が安定するらしい。


「と言うことは、ヴェルリアでの、雪の慰霊祭の時もそうなるのですか?」


ネアがそう尋ねれば、エーダリアはどこか切なげな眼差しをした。


「いや、私が参列するといっそうに悪化してな。彼の地で荒ぶるかつてのウィームの守護者達からすれば、私は不当にヴェルリアに留め置かれた虜囚のように思えるらしい。私がウィームに着任してから、雪の慰霊祭の日の気候も随分と穏やかになったそうだ」


静かにそう語る口調に滲むのは、微かな苦さとどこか切なげな遠い想いと。

きっとエーダリアは、そんな雪の慰霊祭では肩身の狭い思いをしたのだろうが、それでも雪の眷属達の死しても向けられる庇護が嬉しかったのだろう。


「きっと、エーダリア様というまだ守れる方が残っていてくれたので、皆さんも張り切ってしまったのでしょうね。ウィームの方達はそう張り切ってしまうのに対し、火の系譜の方がヴェンツェル様の訪れで大人しくなるというのが、それぞれの関わり方の違いのようで不思議ですね」

「………ああ。あのジゼルですら、夏ごもりの後には必ず、ちゃんと食事をしていたのかと尋ねるのだ。まったく、雪や冬の系譜の者は……」


そう言いながらも、エーダリアは唇の端で微笑んでいる。

ネアもこの世界に来てから知った感情ではあるが、自分とはまったく違う長命な者たちに慈しまれると、思いがけず気持ちがほかほかとするのだ。



火の慰霊祭の日は、必ずどんよりとした曇天になる。

その薄暗い一日の夕方あたりから、どこからともなく焦げ臭さを感じるようになり、延焼を知らせる鐘の音が聞こえてきたり、燃え上がる街の幻影を見たりもするらしい。

そんな有様なので、統一戦争時代を知るものはこの日の外出を嫌う。


店なども午前中で閉めてしまうのが習わしで、リノアールやザハなどの有名店ですら本日は半日の営業だ。

運が悪いと、うっかり火災の幻に引き摺り込まれてしまい、焼死体で発見される者もいる。

やはり、人外者達の怨念というものは恐ろしく根深いものなのだ。



「お前も、今日は念の為に外出を控えた方がいいだろう。万が一、灰が雪のように降っている場面に遭遇したら、決して魔物達の傍を離れるなよ」

「それが、火の災いの合図なのですね?」

「ああ。それと焦げ臭い臭気もそれだな。この日は、ウィームの民達はその臭気が紛れてしまうことを恐れて、夕方以降は火を使わない。よって、晩餐は冷たいものになるので、それも覚悟しておくように」

「あら、私は何でも美味しくいただきますよ?」

「…………だろうな」


しかし、夕方以降は火を使わないとなると、商店などはさぞかし苦労するだろう。

仕込みの必要な料理などもあるだろうし、料理以外でも火の恩恵を借りる職業もある。


「いや、それは対処のしようもあるのだ」


そう心配したネアに、エーダリアは苦笑して首を振った。

近年では作った料理などを温かいまま状態保持することは可能だそうだが、やはり慰霊祭の日ということを尊重し、儀式の一環として、リーエンベルクでは冷たい料理を食べるのだそうだ。

そういうことなら一安心と、ネアは微笑んで頷いておく。


毎日火を通さなければいけないような、継ぎ足しで作るソースなどに被害が出たら一大事ではないか。




エーダリアの執務室を後にして、こつこつと廊下を歩きながら、ネアはリーエンベルクの美しい庭を眺めた。

春の花が咲き乱れ、もう雪はどこにも残っていない。

この穏やかで美しいところが、かつては戦火に包まれたのだと思えば胸が詰まる思いがする。

美しく健やかなものが損なわれるということは、ただそれだけで恐ろしく、悲しい。

それがもし自分にとっての日常のものであれば、脆弱な人間であるネアだってきっと祟るだろう。

こうやって今も残る鎮魂の儀式に見える過去から、終わってしまったものの悲しみが思われた。



「あら、ノアはどうしたのでしょう?」


部屋に帰ると、ノアの相手をしていた筈のディノが戻ってきていたので、ネアは心配になってしまった。


「この後は、グラストがボール遊びをしてくれる時間みたいだよ。走っていった」

「となると、もしかして今日はみっちり予定を詰めたのでしょうか」

「かもしれないね。昼食はエーダリアとヒルドと一緒で、その後はこちらに戻ってくるらしい」

「だからエーダリア様も、ノアが怯えていることをご存知だったのかもしれないですね。今日はいつもの仕事はいいので、ノアの傍にいるようにと言われました」


ネアがそう言うと、ディノは少しだけ考えるような顔をした。


「君は、今日の慰霊祭は見なくていいのかい?」

「慰霊祭というものですし、見学したいというような感覚はないですね。それに、私とて学びました。これで外出すると、まず間違いなく火事の幻影に捕まる気がします!」

「…………ご主人様」

「先程、エーダリア様に注意喚起されたのです。経験上、私はそうやって気を付けるように言われたことに遭遇しがちなのです。逆に、指摘のなかった災いにはまず遭遇しません………」

「なぜなのだろうね。やはり、ジーンの弟と会っておいた方がいいかもしれない」

「ジーンさんの弟さん…………」


ネアはとても嫌という顔をしてしまったが、苦笑した魔物が弟の方は怖くないのだと教えてくれた。


「成功や成就の因果を司る精霊なんだ。ネアは春の系譜にはあまり好まれなかったと聞いたから、きっと成就の因果も君に個人的な興味は示さないだろう」

「むぅ。良い事なのですが、そこはかとなく悲しくなるのはなぜでしょう……」

「穏やかなものや、良いもの、春や夏の系譜は大丈夫かな。冬の系譜や、終焉の子供達には気を付けた方がいいね」

「…………むぐぅ」



そうこうしている内に、外は少し雨が降ってきたようだ。

薄っすらと春の霧にけぶった窓の外に、これなら火の手が上がることはないと安心していると、ディノがそうではないのだと教えてくれた。


「霧を伴う雨は、魔術基盤が大きく動いている証なんだ。太陽や月の周りに虹が見えたり、真夜中の靄や、夜明けや夕暮れが異様に赤く輝くとき、そういう時には領域にない魔術が動いているから気を付けるようにね」

「………それは、危ないようなものが動いているのですか?」

「良いものが訪れる時はまた違う予兆があるんだ。でも、悪しきものが必ず害を為すとは限らないから、どの予兆であっても注意するのが正解かな」

「………そう言えば、咎竜めが現れた時も、満月が異様に赤く見えたのを思い出しました」


その言葉に、ディノは少しだけ悲しそうに微笑むと、ネアの頭をそっと撫でた。

まだこの話題は、魔物の心を揺らすようだ。

どれだけ心配させたのかがわかるので、ネアは、背伸びをするとその手のひらに頭を押しつけてやることにした。

窓の近くに立っているので、さあっと音を立てる春の雨の音が聞こえる。


「月が赤く見えるとなると、アルテアもそういう質を持っているね。魔物にもそれぞれ、己の司るものに見合った質が効果として現れることが多いんだ」

「ディノにもあるのですか?」

「私の場合は影響そのものを抑えてしまうことが多いから、あまりないかな。でも、一般的には深い霧や、夜の虹、季節外れの花が満開になるのが前兆だと言われているね」

「あら、お花が満開になるなんて素敵ですね」

「魔術が潤沢になると咲いてしまうことが多いんだよ。だからほら、土地そのものが魔術に満ちているリーエンベルクの花はいつも満開だろう?ここでは美しいものとしてきちんと原因まで理解されているけれど、魔術が浸透していないような国では畏れの対象になる」

「知らないということは、怖いものでもありますからね」


個人的には、花が満開になるくらいであれば吉兆ではないかと考えてしまう。

嵐や地震などの有難くない前兆ではないのだから、有難く楽しめばいいのに。


「人間が困ってしまうような前兆を連れてくる方もいるのですか?」

「ウィリアムの前兆は、破滅的な流言や疫病、害虫の大量発生だったりするね。川が赤く染まったり、子供の死産が増えたりもする。ただしこの場合は、鳥籠が発生するような仕事の時の顕現の前兆になるけれど」

「……………虫」


それは何だか、聖典に記された災厄の前兆そのものに思えた。

恐ろしくも思えるが、それはやはり終焉というものだからだろう。


「ウィリアムさんであろうと、私のご近所に虫の大群を連れて来たら許しません!」

「ネアは本当に虫が嫌いなのだね」

「奴らとて自然界の一部ですから、私の生活領域に入って来なければ構いません。しかしながら、近寄ろうものなら私の頼もしい魔物に駆除して貰います」

「わかった。その種の生き物は、君には近付けないようにするね」

「うむ!人間は我が儘で残忍なのです!」



さあさあと雨の降る感傷的な淡く煌めく灰色の光の中で、ネアは窓の向こうの禁足地の森を眺めた。

悪夢の時と違い、火の災厄は都市部のみに訪れるもののようなので、森はしっとりと恵の雨に濡れて静かな佇まいだ。


空の上では風が強いのか、時折雲間から射す陽光が霧雨をきらきらと輝かせる。



「ディノ、午後からノアがこちらに来るのなら、厨房でお菓子でも作りますか?」

「そうだね。あれでも公爵位の魔物だから、あまり場を乱さないように気持ちを他のものに向けた方がいいかもしれないね」

「今までこの時期は毎年遠い国に居たのですよね。今年はどこかに行こうと思わなかったのでしょうか」

「………君がここにいるからじゃないかな」

「ヒルドさんやエーダリア様かもしれませんよ。最近は、ディノにも甘えん坊ですしね」

「…………え」


ディノは少し複雑そうであったが、予防接種事件以降、ノアはディノが自分を守ってくれる最後の砦だと思い始めた節がある。

最近は銀狐のときに叱られると、ディノかグラストの陰に隠れていた。


(でも、そんな風にノアが自分の世界や信頼を深めてゆくのが好き)


あの少し困った生き物が、安心しきった末っ子のように穏やかに生きていると、何だか嬉しくなってくる。

エーダリアが初めて高位の魔物に自ら手を差し出したり、ヒルドが出来の悪い弟のように面倒を見ているところ。

ディノがお風呂に入れてやり、ノア自身もここを自分の家としてよく守っている。



「…………む!」


窓の外を見ていたネアは、ふと雨に濡れた庭石に灰色のヘドロのようなものがこびり付いていることに気付いて、隣に立っていたディノの手を掴む。

魔物がとても恥じらってしまったが、これは安全対策だ。


「ディノ、あの庭石についているのは灰ですか?」

「灰のようだね。この敷地内では異変を感じていないから、恐らく、風に乗ってどこからか舞ってきたものが雨の前に落ちていたのだろう」

「そうなると、雨が降る前からどこかに火の幻影が……?」

「かもしれない。でも、災いが呼び起こす幻影というものはね、そうやって前兆を残して不安を煽るものなんだ。あまり動揺してはいけないよ」

「灰が落ちていることを、エーダリア様に伝えた方がいいですか?」

「ゼノーシュが観測師をしているから大丈夫だろう。伝えておくなら、通信を使うといいよ」


そんなことを話していたら、エーダリアの方から通信が入った。

どうやら昼食を摂り終えた後、その部屋で解散しようとしたところノアが動かなくなったらしい。


「………どうしたのでしょうか?」

「一人になると思ったら身が竦んだのかもしれないね」


ディノがそう言ったことに、ネアは少しだけ驚いた。

この魔物にも、そんなことを推測出来るような恐怖があったのだろうか。

そう考えると可愛くなったので、大事にしようという欲も出る。


「………ディノは大丈夫ですか?手を繋ぎます?」

「……………ご主人様」

「恥じらう場面ではなく、ご主人様は魔物の心配をしたのですよ?」

「私は大丈夫だけれど、ネアが迷子にならないようにね」

「むぅ。立場が逆転されました…………」


魔物が張り切ったので仕方なく手を繋いでやり、ご主人様は逃げないという姿勢を見せることにした。

エーダリア達はこの後が仕事になるので、急ぎ転移で部屋に駆けつければ、頭を抱えたヒルドと、エーダリアの服裾に爪を立ててぶら下がったまま仏頂面の銀狐がいた。



「………動かないというのはこういう意味だったのですね」

「この通り、べったりでして」

「最初はヒルドに爪を立てようとしたのだが、躱されてしまってこちらに来たのだ」

「狐さん、ほら、ディノと一緒に迎えに来ましたよ」


ネアがそう手を伸ばせば、涙目の銀狐はべりっとエーダリアの服裾から爪を剥がし、とことこと歩いてくると、とうっとネアに向けてジャンプした。

けばけばの銀狐を抱き締め、よしよしと背中を撫でてやればじっとネアを見上げている。

不安なのかなと思って微笑みかけてやれば、なぜか妙に切実な眼差しでほわりと安堵の表情を浮かべた。


「この通り、私とディノがいれば無敵です。今日はもうずっと一緒にいましょうね」


重ねてそう約束してやると、毛羽立っていた尻尾が落ち着き、ふりふりと振られた。

その様子を見て、ヒルドが小さく息を吐く。

出立前のごたごたと言うよりも、やはり友人として心配だったのだろう。


「これで一安心ですね。ご足労いただきまして、申し訳ない」

「いえ、もう本日はずっと介護班がついているので安心して下さいね」

「介護…………」


エーダリアが少し遠い目になってしまったが、ヒルドは微笑んで頷いてくれた。


「我々は夜まで出てしまいますので、何かありましたらご連絡下さい。それと、外出される際にはどうぞご注意されますように」

「狐さんもいますので、今日は午後からは厨房でお菓子教室をしまして、夜もリーエンベルクでゆっくりしています。もし、そちらで何かありましたら呼んで下さいね」


ドリーもいるので大丈夫だろうと話しつつ、ふと足を止めたエーダリアが注意事項を補足する。

ふわりと揺れたケープは、淡い水色に白と銀糸で見事な刺繍があり、ウィーム領主らしい装いだ。


「それと、アルテアのことは暫く呼ばない方がいい。兄上と、何やら血生臭い他国調整をやっているようだからな」

「ディノからも聞きましたが、エーダリア様の方にもご連絡があったのですね」

「………そちらが気になるようで、兄上が気もそぞろでな。今夜の打ち合わせも、はたしてきちんと聞いていたのやら……」

「まぁ、………打ち合わせ不足だと、儀式が失敗してしまったりしませんか?」

「いや、そういう失態は決してしないのが兄上なのだ。どれだけ無茶をしても、なぜかいつも己を損なわないのが不思議でならない……」

「ドリーさんの祝福が、それだけ強いのかも知れませんね。あ、それとリーエンベルクのお庭に、少しだけ灰が舞った跡がありましたよ」

「…………灰が?」


ネアが慌てて報告すると、エーダリアはさっとディノの表情を仰いだ。


「まだ歪みは出ていないよ。ただ、歪みの予兆となると、私よりそれを司るゼノーシュの方が目がいいだろう。もし例年にないことであれば、今年は抑えが弱いのか、抵抗が強い可能性がある。アルテアが難しいのなら、何かあった場合は私を呼ぶといい」

「そう言っていただけると、こちらも助かる。万が一の時には、連絡させて貰うかもしれない」


エーダリアがディノにそう言えるようになったことに、ネアはまた少し胸が暖かくなった。

出かけてゆくエーダリアとヒルドに手を振り、ネア達はのんびりと歩いて会食堂に向かう。


儀式の打ち合わせをしながら早めの昼食を摂っていたエーダリア達に次いで、今度はネア達の昼食の時間なのである。



「さて、今日はお膝にいても構いませんが、ブーツが最強な私と、王様でもあるディノと、どちらのお膝にいたいですか?」


食事の前にそう尋ねたネアに、銀狐はネアの膝にへばりつき、隣の魔物が少し文句を言い始めた。


「ずるい、膝枕してる………」

「膝枕ではなく、これはもはや椅子ですね」

「ネアに椅子になって貰ったことはないな………」

「やめて下さい、ディノが私に座ると、私が潰れてしまいます!」

「爪先……………」

「多頭介護みたいになってきた!」


本日の昼食は、火の慰霊祭の前とあって、暖かい料理が多かった。

夜は冷たい料理になるので、こうして今の内に体を温めてくれるのだろう。


「きのこポタージュのパイ包み!」


その結果、ネアは大好物の登場に椅子の上で弾んでしまい、銀狐ががくがくと揺らされてしまう。

尻尾を毛羽立たせて前足でたしたしと膝を叩かれ、抗議活動にネアは慌てて詫びた。


「ごめんなさい狐さん!うっかり、きのこのポタージュのパイ包みの方が、狐さんより優先度が上がってしまいました」

「ご主人様…………」


あまりにも正直な告白を受け、銀狐は食事中のネアはまずいと判断したのか、慌てて隣のディノの膝の上に避難する。

涙目の銀狐と顔を見合わせて、隣の席の魔物が、またしても一緒に落ち込んでしまった。


「ディノ、素敵なラビオリもありますよ?交換しますか?」

「する…………」


先日のカフェご飯以降、魔物はラビオリにはまっていた。

前菜のお皿に、チーズとほうれん草のラビオリがあったので、ネアはそれを一つ分けてやった。

狡猾な人間の目論見通り、そのお返しには鴨の燻製が一切れやって来る。


「白身魚のカルパッチョに、ハムとマスタードソースは冷製、………今日はサラダにも暖かいものがありますね」


サラダに乗せられたズッキーニや茄子も揚げてあり、酸味のきいたドレッシングで口の中でほろりと崩れる。


「そして、シュニッツェルがさくさくです!」


昼食のメインは、ミートハンマーで叩いて薄くした牛肉に、さらさらの細かい香草パン粉をつけて揚げたウィームの伝統料理の一つだ。


一枚のシュニッツェルは三分の一には、あつあつのチーズがかかっており、古典的なスグリジャムとグレービーソースも添えてあるので、何回にも分けて味を変えられる仕組みだ。

一種のメニューから嗜好の様々な人々を満足させる王宮料理だからこその、こうして毎回様々なソースがあるのが、ネアはいつも楽しみだった。


ネアがそんな風にシュニッツェルに夢中になっていると、ディノが視線を窓の方に向けた。



「少し空が暗くなってきたね。儀式を早めた方が良さそうだ」

「む?………エーダリア様に連絡します?」

「いや、私からヒルドとゼノーシュに伝えておくよ」

「確かにぐっと暗くなりましたね。これもやはり、あまり芳しくない前兆なのですか?」

「火の幻影がどこかで発生したのかもしれない。この暗さは、前兆と言うよりはその影響だろう」

「………街が大丈夫だといいのですが……」

「先程までとはがらりと空気が違うね。誰かが良からぬ悪さをしているのかな」

「なんと!悪いやつがいるのですか?!」


ネアがむむっと眉を顰めれば、ディノが微笑んで頭を撫でてくれた。


「愚かな魔物だね。見付けたら少し叱っておこう」

「…………哀れな魔物さんですね。それと狐さん、怒るのは構わないですが、こちらの膝にまで爪を立てないで下さいね」


先程まで不安げな様子だった銀狐だが、いまや火の幻影を煽る者が許せないのか、むがむがと荒れ狂っていた。


災いに影響を与える魔物がいるのは心配だが、銀狐が少し元気になってくれたのでネアは少しほっとした。

荒れ狂う銀狐の口元に、さっとデザートのシフォンケーキを近付けてやると、ぱくりと食べる。

食べてから何だこの美味しいものはという顔になり、ふぁっと目を丸くした。



「ふふ、今日は春告げの苺のシフォンケーキなのですよ。ざりっとしたシュガークリームでいただきます」


ヒルドから、あまり食が進まないようだと聞いていたので、食べ出してしまえば食いしん坊の銀狐を上手く籠絡してしまうことにしたのだ。

素敵なシフォンケーキに出会ってしまった銀狐は、すぐさま一皿出してもらい、がつがつと食べてくれた。



(………それにしても、火の幻影を早めに引き起こしてしまうような魔物さん………?)



ディノが叱っておくよと言うような感じであるので、階位的には少し下の魔物なのだろうか。


ここからはその火の幻影は見えない。

窓から見える中庭はどんよりと暗くはあるが、春の花が可憐な花壇も麗しく、どこにも災いの気配はなかった。


時計の針を読めば、まだ正午を少し回ったばかりの時間である。

夕方からだと言われていた火の幻影が既に出現したとなると、今夜の火の慰霊祭はどうなるのだろう。


ネアは少しだけ不安になって、死の舞踏の靴紐をきっちりと結んだブーツを撫でた。





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