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死の導線と砂の精霊



爪先で乾いた地面を踏んだ。

その場所からざあっと広がった終焉の導線に、唇の端を少しだけ持ち上げる。



「…………おっと」


ほとんど無意識にその微笑みを浮かべていて、指先でその形に触れる。

自分が笑っていたことに気付いて、少しだけ苦笑した。



見回したこの国の大地は、乾いた砂地と岩山ばかりの国境域と、海に面した豊かな土地に分かれている。

国境域の民達は、砂の中から生まれる緑の記憶とされる見事なエメラルドを発掘しては、それを王都に持ち込んで僅かな水や食料と交換していた。


乾季になれば、抵抗力の弱い魔術可動域の低い子供達から命を落としてゆき、小さな亡骸が砂に還ってゆく様はあまりにも無残なものだった。

この国の砂には砂の魔物がいるので、墓石の下から子供達の亡骸を喰らうのだ。


国境域の民達は、何代にも渡って魔術の薄い砂地に暮らしているので、魔術可動域の低い子供が産まれやすいという特性がある。

革命軍がこの国の王を倒す為にひたひたとした憎しみを燃やすのは、その誰もが一度は砂に喰われる家族の姿を見たことがあるからだろう。



「さてと、これで導線を辿ってもうひと波乱かな」



そう嗤った彼に、隣にいた風竜の王が顔をしかめた。



「ただでさえ、年明けからここは内戦状態だ。争いを長期化させて良いことなどあるのか?ウィリアムらしくないではないか」

「やっと王妃が倒れたが、第二王子がまだ逃げているんだ。とは言え、長らく虐げられた国民達は王都を落としたことで満足してしまっている。このままだと、またひっくり返されてしまうだろうな」

「悪しき人間どもを滅ぼすのは構わないが、その王子はまだ十歳くらいではないのか?」

「また依り代に砂の精霊を降ろされると面倒だし、下地としてはより厄介な王としての素質がある。それと、アルテアにもある程度自分の仕事をして貰わないと」


眇めた目で捉えた砂煙の向こうで、砂の魔物の怨嗟の唸り声が聞こえた。

美しい女性の半身に、蠍の下半身を持つこの魔物は、さぞかしネアが嫌がりそうな姿をしている。



「……もしかして、アルテアに怒っているのか?」

「どうかな。怒っていると言うよりは、不愉快という感じかもしれない」

「この国を最初に崩したのが、アルテアだからだろうか?」

「崩しておきながら、他の楽しみの為に中途半端なまま放り出したからだ。そうなるとつまり、俺の手間が二倍になる上に、この国の大地も二度にわたっての戦火に焼かれることになる」

「確かに二度も火薬で焼かれてしまったら、森の記憶が死んでしまうな………」



ここはかつて、豊かな森であったところだ。

だからこそ、森の記憶がエメラルドとして砂の中から生まれてくる。

その全てを売り払うのでなく、適切な魔術で育ててやれば、良いオアシスが幾つも生まれる筈なのだが。



「まったく、誰が目隠しをしているやら……」


ウィリアムがそう呟いたのは、エメラルドの売買に関わる王族か、或いは森の復権を厭う砂の系譜の画策なのか、森の記憶を育てれば森が芽吹くという発想が、なぜかこの土地に根付かないからだ。

ここは今や砂の系譜が強く、スールという国名になってから国母とされた精霊が巧妙に人間達を操作していた。



「………っ!」


その時、サラフが小さく唸った。

振り返れば、白い服を着た顔見知りの魔物がうんざりとした顔で立っている。



「やれやれ、やっぱりお前が余計なことをしたか」

「おやアルテア、導線を追いかけてきたにしては、随分と早いですね」

「お前が、もう一度火種を燃え上がらせるのは珍しいな」

「同じ土地を、誰かさんの怠慢で二度も死なせるのは嫌だからな」


そう言えば、砂煙の中でも鮮やかな赤紫色の瞳が細められ、おかしそうに笑うのがわかった。

視線でサラフを促せば、小さく頷くと竜の姿になって飛び去って行く。

風竜の彼は、アルテアがあまり得意ではない。



「珍しい続きじゃないか。お前が不快感を露わにするのも、こうして、死の足跡を私怨で利用するのも。………そんなに、俺があいつの使い魔になったのが許せないか?」

「そのことで死の導線を敷いたわけではないが、アルテアを使い魔にするのは賛成しかねるのは確かだな」

「口調が変わってるぞ?お前、相当苛々してるだろ………」

「俺が今不愉快に思っているのは、身勝手な理由で、革命軍の指揮を執っていた青年を殺してしまったことかな」

「あいつは頭が回るからな。俺も用事があったし、早期終結の為には殺しておく必要があった。それだけだが、今更だろ」



スールに鳥籠の気配を感じたのは、アルテアが仮面の魔物として手をかけた年末が最初であった。


しかし、簡単に地面に落ちるだろうと誰もが思っていた腐った果実は、地面に落ちてから意外な抵抗を見せることになる。

信仰と恐怖で国民を跪かせてきたこの国の指導者達が、指導者のままでいられた信仰の後ろ盾が思いの外頑強であったのだ。


(アルテアに仮面の付け替えをされた王子ですら、先月までは存命してたくらいだからな……)



不思議なことに王が革命軍に処刑されこの内戦は終わったとされても尚、王権派は第二王子を筆頭に抵抗を続けており、その指揮を執っていたのは、それまでは決して目立つこともなかった王妃であった。


そうして、長らく秘されていたことだが、この国の王妃は依り代であり、王妃としてこの国を影から動かしていたのが砂の精霊であることが発覚した。

靄のような存在になってからの高位精霊が人間に関わること自体稀な話であるし、ましてやその精霊が人間を指揮するのは殊更に厄介な事例である。


故に、秘密裏にこの国を革命へと導く為の折り目をつけていたヴェルクレアは、その後暫くはこの国への干渉を控えていたようだ。

これはどうやら、とある事情でこの国への干渉を一度止めなければ、危うくその砂の精霊の策に落ちるところであった、アルテアからの進言によるらしい。


『大晦日の怪物に感謝するしかないな』


アルテアはそうごちていたし、荒ぶる精霊程面倒なものはないので、彼もまたこの国から手を引こうとしていた。



そうして大国の介入を失った革命軍は、あっけなく砂の精霊の加護を受けた王族達からの逆襲を受けるかと思われた。

しかし、ここでもまた一つ、想定外の事件が起きる。

先日、とある精霊がこの国をいたずらに訪れたことに起因して、王妃に宿っていた砂の精霊が剥がれ落ちたのだ。

その途端、またしても戦況は一変した。


おまけに、王妃が加護を失い暗殺された後、革命軍の指揮を執っていた青年が王の側近と刺し違えて命を落とす事件があり、革命軍側の勢いもだいぶ削がれてしまった。


不思議なのは、決して武勇に秀でてもいない肥大した体を持つ老宰相が、剣にも秀でた革命の象徴たる青年に剣技で打ち勝ってしまったことだ。

取り憑かれたような宰相の動きに、その交戦を見守っていた民衆からは、死者の王の采配だという囁きが溢れ、その囁きがウィリアムの耳に届いたのである。


思いがけず突然に起こる英雄や指導者の死には、土地を終焉に導く為の死者の王の呪いが作用しているという言い伝えがあり、彼らはその侵食かと恐れたのだろう。

かくして、双方がその主柱を失い、内戦はひとまず終結したかに見えた。



実際には、春告げの舞踏会の前にひと仕事終えてしまおうとした魔物がいただけなのだ。




「確か、作業時間を三日用意していたものの、何かの疾患で持ち時間を削られたので、一晩で片付けなければいけなくなったとか」

「……………ああ。それを言うなら、元凶は帆立の祟りものだ。帆立を乱獲する漁師達に文句を言えよ」

「…………あれ、ネアから貰ったダリルの呪いじゃなかったんですか?」

「あのな、それだと思ってたなら、ネアを叱ればいいだろ」

「その場合、ネアに興味津々で制裁を受けたアルテアが元凶ですけどね」



春告げの舞踏会で何やら絆を深め、いつの間にか使い魔に収まってしまっているので、てっきりその道筋を練っていてこちらを疎かにしたのだとばかり思っていたので、ウィリアムは少しだけ眉を顰めた。


(……………帆立?)



「帆立の祟りものに何かされたんですか?」

「やめろ、思い出させるな」

「それと、使い魔の件はやはり賛成出来ない。早々に契約破棄をしておいて下さいね」

「お前の取り分が減るからだろ」

「それも勿論とても不愉快ですが、アルテアがこういう遊びばかりしているからですね。ただでさえ、あなたを殺したい者は多いのだから、魔術的契約で彼女と繋がるのは危険が大き過ぎる」

「安心しろ、そんな不始末はしない」

「あえて不安要因を残して遊ぶあなたが?」

「お前だって、今回の件ではネアを上手く誘導してただろうが」

「…………あなたのお陰で、一番大事なところで監督し損ねましたけどね」

「…………まさか、使い魔の件はお前の口添えでもないのか?」

「俺がそんな面倒なことを勧める訳がないでしょう」




あの日、ダリルから一本の通信が入った。



たまたま仕事が綺麗に片付き、サラフのところに顔を出していた時のことだ。

その日ハレムに呼ばれたのは、痴話喧嘩の調停役であった。

サラフが二日続けて一人の妃の閨に通ったとかで、その妃を殺してしまおうと荒んでいた他の寵妃を宥めてから、ネアに香辛料でも持っていってやろうかなと考えていた時だったのだ。



「ダリルか。何かあったのか?」

「ネアちゃんが連絡したら通じなかったみたいだけど、鳥籠で遊んでた?」

「いや。鳥籠には入ってないな」

「ウィリアムを呼び出そうとして、黒い煙だったらしいよ。代わりに、アルテアに相談したみたいだけど」

「…………へぇ。それは妙だな」

「………はぁ、やっぱりか!ディノが手薄になった時に、あいつが張り切らない筈もないからね」

「ダリル、シルハーンに何かあったのか?」

「一時的な記憶喪失。ネアちゃんはかなり落ち込んでるみたいで、アルテアが優しかったとか何とか」

「……………それはそれは」

「あれ、もしかして結構怒った?参戦させる為に煽るつもりだったけど、この状況で現場を混乱させるのだけはやめてね」

「取り敢えず、ネアと話そう」

「会いに行くのは少し待った方がいいね。ディノが少し不安定みたいなんだ。うちの馬鹿王子がいい通信道具を分け合ったみたいだから、ひとまずダリルダレンに来れる?」

「ああ、すぐ行くよ」



しかしその直後、アルテアが中途半端に刈り取りしていったこの国で、疫病達が早まって手を広げてしまう一幕があった。

年始から血を染み込ませた国土は甘く、死者の行列まで集まり始めてしまい、慌てて駆けつけざるを得なくなったその隙に、ネアは使い魔計画を推し進めてしまったのだ。




「アルテアが雑な仕事で幕を引こうとした結果、俺はここで死者の行列の対処に追われていましたからね」


鳥籠のない土地で死者の行列が集まるなど、あまりにも危うい事件である。

覆いのない疫病や死の侵食は、あっという間に他国に飛び火してしまいかねない。


「俺よりも寧ろ、ジーンの所為なんじゃないのか?」

「破滅の因果。よりによって、昔の知人を訪ねたら、相手がジーンの力の影響を受けてしまう人間の器の中に居たなんて、笑い話としても出来過ぎていませんか?………誰かが、上手くこの国にジーンを誘導した可能性もあるかな」


そう言ってやれば、アルテアは小さく微笑んだ。

王妃の中身が高位精霊だったことについて、この国を落とす為の対価を貰っていたヴェルクレアの第一王子から、事前に気付かなかったのかと嫌味を言われたらしい。


(ジーンの誘導に長けたアイザックあたりと共謀して、その砂の精霊に会いに行かせたんだろうな………)


結果として、偶然にも依り代から精霊は剥がれ落ち、加護が剥がれた依り代を偶然その時に乗り込んできた暗殺者に壊されてしまい、戻るべき器を失った精霊は召喚の契約が喪われたことで大気に還った。


ジーンの齎した因果の浸透が妙に限定的なのも、やはり疑わしい。

アルテアが選択として背後から操作したとしか思えない手際の良さだ。



「そういうお前も、今日は操作する側だろう」

「そこまでしたんだから、きちんと終わらせて下さい」

「ったく。あれはまだ子供だろうが。国が荒れるにしても、五年は保つだろ」

「ここまで土地が甘くなっているのに鳥籠を展開しないままだと、その間、俺はここに死者の行列が派生する度に掃除に来ることになりますね」

「その手間を惜しむなよ、死者の王だろ」

「その通り俺は死者の王なので、アルテアの遊び飽きた土地の面倒を見る余裕はありませんね」

「どうだかな。お前ならどうとでもするものを、嫌がらせで押し付けてきた気がするが?」



ぶつぶつ言いながら、アルテアは足元から這い寄ってきた一匹の砂の魔物を杖で突いた。

途端に砂の魔物は、ざらりと砂の塊になって崩れ落ちる。

こうした現場に足を運ぶアルテアは擬態していることもあり、獲物ではないと判別出来なかったようだ。


砂にも幾種かの魔物がいるが、この砂の魔物は人間を喰らう。

偶然に出会った高位の魔物に、君の歌が気に入ったので何か一つ願いを叶えてあげようと言われた一人の詩人が、ここの砂地は静かで寂し過ぎると答え、万象の魔物が作って与えたと言われている魔物だ。

当の詩人は、その砂の魔物にその場で喰い殺されたと言い伝えられている。


自分の所用の為にお気に入りだったらしい革命軍の青年をあっさり殺させてしまったアルテアといい、魔物というものの情緒は決して人間とは折り合わない。




「………にしても、どうやったのかは知らないが、シルハーンの記憶を取り戻してくれて僥倖でした」

「お前の出る幕もなかったしな」

「と言うか、今のこのシルハーンの仕上がりが奇跡的ですからね。万が一、シルハーンにネアの管理の仕方を変えようと思われたら、大惨事だ」



出会ったばかりの頃、ネアは万象の魔物に少しも心を傾けていなかった時期がある。

その適切な時期があったお陰で、あの二人の力関係は奇跡的な仕上がりになっていると言っても過言ではなかった。


あの戻り時の事件の後で会ったネアも話していたが、最初からネアの愛情や執着がある状態で関わると、二人の関係性は主導権がシルハーンに傾きかねない。


(割と事勿れ主義のネアですら感じたのなら、その傾向は確かなものだったのだろう)


つまりそれは、シルハーンにとって都合のいい力関係と言うことにもなる。

特殊な環境下であれ、その状況を一度経験させてしまったことが悔やまれた。



『しかしながら、逃がさないことを優先させてついつい大事にし過ぎてしまったのです………』


ネアもその時のことを後悔していたようだが、記憶が戻らないのであれば、慰留に力を傾けるのも仕方あるまい。

その上で、経験してしまったことに味を占めないよう、再調整を考える必要が出てきたまでだ。



「俺が見た時には比較的落ち着いてたが、ま、場合によっちゃ、余分を排除しようと決断しかねなかったのは確かだな」

「その場合、ネアと契約していたあなたが真っ先に排除されるでしょうね」

「いや、俺よりあの妖精だろ。妖精の耳飾りが許せる魔物は少ないぞ」

「そう考えると本当に、今のシルハーンの寛容さは異常ですからね」

「逃げない嫌われないに始まり、死なないことも優先させてるからな。それと、ネアが犬として躾けたからだな」

「…………と言うより、彼女に我が儘を通されることが、甘えられていることという認識になったからですね」



あれだけ無防備なところや無頓着なところがあっても、万象をあそこまで手懐けられたのは、ネアにとって万象の魔物が切り捨てられる魔物であった時期があってこそ。


この世界にも、リーエンベルクにも執着がなく、何も足枷となり得ない自由な身だったからこそ、ネアは相手に拒絶される可能性に怯えず、容赦なく万象を躾けてしまった。

彼女の願いに沿わなければ切り捨てられてしまう日々の中で、シルハーンもその要求に応える喜びを見付け、今の奇妙な関係性で上手く着地したのだ。



「今回の件で、シルハーンの仕置きが妙に軽いのもお前の入れ知恵か?」

「記憶が戻っても、記憶を失っていた間のことを忘れる訳ではないから、少し注意しなければならない時期なんですよ。シルハーンとしては、自分の欲求に応じて記憶を戻さずにいた訳ですから」

「…………そっちの方が楽だったと思われたらまずいって訳か」

「俺はそのつもりで、あまり叱ると拗れるかもしれないからと言いましたが、ネアは、覚えさせた躾を忘れた犬が粗相をするのは仕方ないという認識でしたよ。ある意味、俺の考え方より達観してますね」



こちらの仕事を片付けた直後、無事に解決したという報告を受けた。

シルハーン本人が状態維持をかけたにしては、あまりにも呆気なく片付き過ぎて驚きつつ、慌ててあまり叱り過ぎないようにと忠告すれば、ネアは不思議な微笑みを浮かべて飄々と頷いた。


『積み上げたものがなければ、まぁあんな感じでしょうね。魔物さんですし、ディノの以前の振る舞いを見ても、あの程度はしでかすでしょう。うちの魔物は、不安になると我が儘になる派です』

『だから、元よりあまり叱る気はない?』

『これが人間なら激怒しますよ?でも、魔物さんはそもそも、あの程度の悪さをする生き物です。皆さんにご心配をかけたことが気掛かりでしたが、エーダリア様達も、アルテアさんに私の命を狙わせて怖がらせてみよう事件などを知ってますので、さして驚いていませんでしたし、今回の事件では、大学側での極秘開発の魔術の保管が杜撰過ぎたことにも問題があったそうですので、まずはそこで防げただろうという話で落ち着きましたしね』

『エーダリア達は、魔術や人外者の弊害から同族を守る為の組織の人間だ。ネアとは違う目線で、魔物が人間を欺こうと当然のこととして気にも留めないだろう』

『なのでしょうね』


力を貸してくれたのに、領内の管理不足で危ない真似をさせたと謝罪されてしまったのだと、ネアは苦笑していた。

しかしながら、魔物の気配に当てられたとは言え発端が人間なのだから、確かに今回のことは人間側の過失であるのは確かだ。


『じゃあ君は、……えーと、今のシルハーンに対しては、不信感や不満を残してもいないんだな?』

『今のディノは寧ろ、悪いことをしたと自覚してしょげて泣いてましたね。ご主人様に見捨てられないようにと、晩餐の海老を全部献上しましたし、外堀も固め直しておこうとしているのか、エーダリア様達にも何か賄賂をあげていましたよ』

『………あの方が何を贈与したのか、かなり心配だが、大丈夫なのかな?』

『ちび果ての薔薇です!簡単な願い事が一つ叶うので、エーダリア様は驚いて転倒したとか』

『…………それは人間は転倒するだろうな』

『ウィリアムさんは、ディノのことを心配してくれたのですね。でも、しでかす系の行いについては、狐さんに絨毯で爪研ぎをしてはいけないと言ってもどうにもならないのと同じくらいの認識でいるので、安心して下さいね。アルテアさんも、嫌な呪いで仕返しされるとわかっていても、毎回懲りずに悪さをしてきますしね』



その時、ネアの口調に、今迄アルテアがしでかす度に彼女が示してきた程の不快感を感じなかったことに、微かな焦燥を覚えた。

それはある意味慣れたのかも知れないし、今回の画策はまだ深刻な不利益を出してなかったからかも知れない。


でももし、それが好意が増量したからだとすれば、それならばやはり不愉快ではあった。



『言っとくけれど、ウィリアムまで妙な気を起こさないでよね?』



あの日、ダリルにそう念を押された。

シルハーンにもたらされた今の奇跡的な寛容さが失われるとなると、こうしてネアと親しくしている自分達にとって不利益であることは間違いない。

しかしながら、その隙に乗じて己の取り分を増やそうと画策したアルテアのように、今回の事件を隙と捉えて、僅かな時間を少しでも引き延ばした上である程度の収穫を得ようとする欲もまた、魔物にはある。



『ふふ。それに、ウィリアムさんも少しだけ意地悪でしたね?』


解決の報告の時、ネアは微笑んだまま、そう言った。


『すまない。大変な時だったのに、仕事を優先してしまったな』


ある程度の確信を持ってもそう詫びてみせれば、ネアは万象の魔物を叱るときによく見せる、ヒルド仕込みの鋭利な微笑みをみせた。


『あら、本当はディノがかけた状態維持の魔術を解くことが出来たとは言って下さらないのでしょうか?ですので、ディノからの、ご迷惑をかけた皆さんに振る舞うケーキですが、ウィリアムさんにはなしです!』


そうぴしりと言ってしかめっ面をしてから、また微笑んだネアに、そう言えばそちらにはノアベルトがいたなと苦笑しておく。


終焉を司る上で、状態維持魔術の破棄は得意な分野でもある。

古くから知っているノアベルトであれば、それを得意としていたことは勿論知っているだろう。

あの段階では、シルハーンはネアとこちらの関わりを知り得てなかったのだし、如何様にも隙を突いてそれを解くことは出来た筈だ。


あえて少しの時間を稼ごうとしたのは、アルテアと同じように少しの収獲を狙ったからだった。



それを知り得た上で、魔物がしでかすことだから仕方ないと微笑んで終わらせたネアに安堵するべきか。



(それとも、………)



それとも、その“わざと”を叱らずに、甘やかされるだけの執着を持たれないことにがっかりするべきか。



そんなことを、ふと考える。




「そう言えば、アルテアは今回の戻り時の事件の、迷惑料のケーキは貰えるんですか?」

「………俺は支払う側だな」

「ん?アルテアがネア個人へ支払う慰謝料とは別に、シルハーンからのものを振る舞うようですよ」

「それが、シルハーンの会と、俺の会とで二度やるらしい。ネアから、ゼノーシュが楽しみにしてるので忘れないようにと念押しされた………」

「ふと思ったんですが、アルテアの会の方には、俺も行ってもいいんじゃないかな」



そう言ってやると、心から嫌そうな顔をしたので、無難に微笑んでおいた。

実際にはここの国の後も暫くは予定が重なるので、残念ながらケーキの会に出向く時間は取れそうにない。

それに、どうせネアに会いに行くなら、もう少し有意義に時間を使いたいものだ。



「どうやって、シルハーンの状態維持を解除したのかが謎のままだな」



砂煙が晴れ、燃え上がる街が見えてきた頃、アルテアがふとそんなことを言った。



「果ての薔薇を使ったと言ってるが、あれがシルハーンに効くとも思えませんしね」

「だな。俺も、あれが本人に効かないことは、グレアムから散々聞かされてる」

「………グレアムがアルテアにわざわざその事を言いに行ったのは、騒ぎを起こさないようにかな」

「………となると、失せ物探しの結晶で、シルハーンに保管させていた、春告げの女王に選ばれた時の褒美を取り戻したか」

「良かった。手段として、思い当たる節があるんですね。そういうものでもないと、また何か珍しい祝福でも増やしたのかと心配になりますからね」

「ったく、事象修正の切り札を、ろくでもないことに使いやがって」




そう溜め息を吐いていたアルテアであったが、後日、ネアはそのチケットを使ってないことが判明した。

となるとやはり、どうして回復が出来たのか不思議なばかりなので、解決に謎を残した事件となる。



(春告げの舞踏会の祝福には、良縁を呼び込むということもあったな)



そんなことを考えた。

ジーンの因果がこの国の王族達に終焉を呼び込んだように、ネアが身に備えたそれが、あの事件の解決と彼女の契約の魔物を取り戻す為に一役買った可能性もあるのだろうか。



「…………それにしても、案外あっさり不手際でしたね」


数日後にアルテアにそう言ってやったのは、アルテアがネアの使い魔になったと知ったある魔物が、火の慰霊祭にかこつけてネアに会いに行ってしまったという事件が起きたからであった。

こちらもまた終わってから話を聞いたので、そんな騒動があったのかとひやりとした。



やはり、アルテアの使い魔の契約は早々に破棄させようと思う。




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