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風邪とポリッジ



ネアはその日、この世界に来てから初めて風邪をひいた。


実は以前の世界に住んでいた頃は気温差に弱く、風邪というよりは気温差によるアレルギー反応で風邪めいた症状になることが多かったので気を付けていたことを、少し懐かしい感じで思い出しさえしたものだ。



ただし、よりによって、楽しみにしていたお花見の当日でなければ良かったのだが。


(…………うう、首筋を触った感じだと熱も出てきたみたいだし、頭が痛くなりそう)


昨日は結局諸々の説明や、後片付けに追われてしまい、まだ戻り時の妖精事件のお礼もきちんと出来ていないので、今日は早めに仕事を終えてリノアールに行き、色々と買い物をしてくる予定だったのだ。

それが終わったらお花見と、かなり忙しい日になる予定であった。


それなのに、仕事の最中からくしゃみが止まらなくなり、頭はぼーっとするしこれは風邪だなと思いがっかりしてしまった。


(でも確かに、果ての薔薇のところに行った時はむわっと暑かったし、真夜中のチューリップ畑は肌寒かったし……)


ここ数日は気を張っていた上に、浴室での密談も多かったから風邪を引きやすい環境は整ってしまっていた。

とても残念だが、無理をして寝込んだら魔物が荒ぶりそうなので、今日は安静にしているしかない。


そう考えていたのだが、ネアは若干見通しが甘かったようだ。



「…………どうしよう、薬が効かない……」



この世界では、どうやら風邪には魔物の薬が効かないようだ。

この場合はウィルスなのか、はたまたこちらでも気温差アレルギーなのかと悩んでいると、ぜいぜいと息も荒く弱り始めたネアの隣で魔物が早々に荒ぶり出した。


「ネア……………。ごめんね、私が記憶を戻さなかったりしたから」

「……………むぐ、罪の告白が聞けましたが、泣かないで下さい。今はさすがに余裕がないので、泣くのは禁止しま…………くしゅん!」

「ネア!」


このくしゃみに驚いてしまった魔物は、発熱による鈍い頭痛が始まるかも知れないので決して転移させてはいけないご主人様を連れて、エーダリアの執務室に乗り込んでしまった。


「ど、どうした?!」


驚いたのはエーダリアで、転移の目眩に俯いてしまったネアが反応出来ずにいる内に、ディノがあわあわと説明を始める。


「具合が悪いようなんだけれど、薬を与えても治らないんだ。人間には特殊な病があるのかい?」

「…………魔物の薬で治らない病気なのか?!」


しかもなぜか、エーダリアまで飛び上がってしまう。


「か、風邪だと思いまふ………くしゅん!」

「かぜ?………まさか、風の系譜の呪いでも貰ったのではあるまいな?!」

「む。…………この世界には風邪がないの……くしゅん!……ですか?」

「くしゃみをしているではないか!病からくるくしゃみは、魂が削れてゆくのだぞ?待ってろ、ダリルを呼ぶからな!」

「え、………待って下さい、大ごとにしないで……くしゅん!……下さい」


ネアが喋り切る前に、エーダリアは部屋を飛び出して行ってしまう。

ネアは追いかけるよりもまず、ポケットからマスク代わりに口元を押さえるティッシュを取り出す方に専念する。

こちらの世界にも、素敵なティッシュペーパーはあるのだ。

お国によってはただのこわこわの紙しかないところもあるので、ネアは心からこの製品に感謝している。


(そして、エーダリア様はなぜ部屋を出たのかしら?)


魔術通信がある筈なのにどうして部屋を出たのかと思えば、あまりにも動揺しているのかその理由が閉め切れていなかった扉から聞こえてきた。


「………いや、早急に命の危険はなさそうだが、………しかし、病性のくしゃみだからな」


(聞こえてますよ、エーダリア様!)


ネアはそんな厄介なものではないとわかっているのでげんなりしたが、隣の魔物は震え上がってしまった。


「………ネア、ごめんね、全部私の所為だ。どんなことがあっても君を死なせないから、怖がらなくていいよ」


きりりとした顔でそう言ってくれるのだが、涙目なので説得力がない。

指先が震えそうになり、慌てて隠される始末だ。


「ディノ、私は風邪もしくはアレルギーごときでは死にません!…っくしゅん!!……ただ、風邪をうつすと困るので、お部屋に隔離されていますね」

「…………伝染病なのかい?」

「面倒臭くなった………」


さっと青ざめた魔物に、ネアはここから自分の部屋までの距離を考えた。

役に立たない男達は部屋に捨て置いて、早く寝巻きに着替えて、ティッシュを枕の横に置いてお布団に入るべきだ。


こういう時、このリーエンベルクに頼れる女性がいないのが問題なのである。

必要なものくらいは注文して貰おうと魔物への指示を考えていたら、本格的に頭痛がしてきたので眉をしかめる。


「………ネア?どこか痛いのかい?」

「少し頭が痛いので、もう転移はやめて下さいね」

「………ごめん、君には負担だったんだね」


この時のディノの表情は、まるで自分の過失でネアを死なせてしまうかのようではないか。

不吉なのでやめていただきたい。


「いいですか、ディノ。これは人間には………くしゅん!……珍しくない病気です。あたたかくして、滋養のある病人食を食べて、ゆっくり休みながら汗をかけばすっきり治りますから、安心して下さいね」

「…………ほんとうに?」

「なぜに疑い深くなったのでしょう?」

「咎竜の時も、君は私に黙っていたからね」

「あれは言えない呪いでしたからね。……くしゅん!………なので、お部屋で寝巻きに着替えて、まずは安静にさせて下さい」

「…………うん。薬は?」

「症状に合うものがなさそうですから、体を温めて発汗作用のある薬湯などがあれば嬉しいです」

「わかった、すぐに用意するよ」


ここで魔物が少し落ち着いたのでほっとしたネアだったが、ぱたんと音がして振り返れば、やけに暗い顔をしたエーダリアが部屋に戻ってくるところだった。


「………エーダリア様?」

「ネア、…………今、ダリルに調べさせているが、やはりその症状は少し危うい。ディノにも打つ手がないとなると、場合によっては王都の薬師に診せる必要もありそうだ。………春告げの舞踏会に行っていてくれて良かったと言わざるを得ないな」

「…………勝手に不治の病にされました」

「安心していいよ、ネア。どんな手を使ってでも治してあげるからね!」

「また面倒臭くなった!」


こんな日に限って、ヒルドは休暇で夕方までアーヘムの家に遊びに行っているので、ネアは風邪の初期症状というそこそこ嫌な体調のときに追い詰められる羽目になってしまう。



「……っ、くしゅん!…くしゅん!………エーダリア様、こちらの世界には、風邪という季節性のこの手の流行する病気はないのですね?」

「い、いや、風の系譜の体を冷やして昏倒するような病はあるのだが、そちらはくしゃみは出ないものであるし、お前が言おうとしているものは違うのだろう?であれば、聞いたことはないな。感染症なのか?」

「っ、くしゅん!……他の患者さんがいないのであれば、感染症ではないのでしょう。であれば、以前はよくなっていた気温差による体調不良のようです。安静にして一晩眠れば治りますから安心して下さい」

「…………でもネア、私は君を練り直しているのだから、君が抱えていたあの病の数々はもう残っていないんだよ?」


そう心配そうに尋ねたディノに、ネアは微笑んだ。


「ええ、ディノのお陰で、もう指先や足が痺れて痛くなったり、すぐに頭痛がしたりはしません。心臓も丈夫になりましたしね。ただ、病は気からという言葉があります。……くしゅん!……私はそういう病気のある文化で育ったので、気温差や体を冷やしたことで、少し疲れが出たのでしょう。………ほら、泣かないで下さいね」


めそめそと泣き出した魔物に、そっと目を逸らす暗い顔のエーダリアを見て、ネアは頭を抱えたくなった。


(…………役に立たない上に面倒臭い!)



ノアはまだ寝ているし、ゼノーシュ達は仕事に出ているので煩わせたくない。

と言うか、戻り時事件の直後なので誰も煩わせたくはないのだが。


「…………そうだな。そういうことで構わない。王都の薬師には私から連絡しておくので、安心してくれ」

「やめていだだきたい」

「ネア………?」


思わず低く恐ろしい声を出したネアに、エーダリアがびくりと肩を揺らす。

ディノがよしよしと頭を撫でてくれたのは、不治の病で荒んでいると勘違いされたようだ。


「おのれ、荒んではおりません!」

「そうだね、怖いよね」

「くっ、話も通じなくなりましたね!…くしゅん!」

「十二回目だね…………」

「数えていたのですね………」


ぞくりとしたのは、悪寒なのか恐怖なのか微妙なところだ。


そしてここでネアは、頑張って仕切らないと収拾がつかなくなると判断した。

病人に対してなんとも酷な仕打ちである。



「いいですか、二人とも!私にはこの症状に対する異世界の叡智があります。私の言うことを聞いて、まずは一日様子をみて下さい。……くしゅん!もしそれで改善しなければ、また対応策を話し合いましょう」

「し、しかし対応は早い方がいいのではないか」

「ご心配いただいているのは、とても嬉しいことなのですが、…っ、くしゅん!……大騒ぎされていらない騒動に巻き込まれると思うと、余計に具合が悪くなりそうです」

「………ご主人様」

「さて、これからディノには指示を出しますので、私の面倒を見て治癒に協力して下さいね」

「わかったよ、ご主人様!」

「そしてエーダリア様は、いい加減に寝て下さい。机の上を拝見するに、また昨日の夜も、使い魔捕縛の術式を見ていましたね?」

「こ、これはだな、複数に同時展開出来るのだろうかという、進化系をだな…!」

「お昼寝して下さい」

「ヒルドに言われたので、昨日は朝食までは寝たので安心していい」

「っ、くしゅん!……三日間で四時間なんて、全然足りませんよ。もしこんな時に事件でも起きたらどうするのですか!お昼寝して下さい。今すぐにです!」

「しかし、お前の病は……」

「大ごとにされてしまうと、悪化する病なのです。いいですか、ここは経験者の言葉に従って丸一日放置して下さいね」


ぜいぜいし始めながら厳しく言い含めると、二人ともこくりと頷いた。

わかったなら良しと男前に頷き、ネアはさっそく魔物に指示を出す。

ここは家事妖精の力を借りることも生じるので、エーダリアも聞いてくれるこの部屋にいる内に指示を出しておこう。

狡猾な人間は、まだ何とか稼働している脳内の悪巧み部分を駆使してそう考えた。



「寝台横のテーブルには、水差しをお願いします。くしゅん!……発汗させて熱を下げるので火織りの毛布と、喉が乾燥しないように加湿して下さいね。……くしゅん!……お食事は、病人食的なスープか、食べやすいポリッジでお願いします。ティッシュペーパーはたくさん使います」

「ネア、それは私が手配してやろう。水は檸檬でも入れるか?」

「む!ひりひりする喉に劇物禁止なので、柑橘系は禁止します」

「そうか、では喉に良いものがあればと、家事妖精に伝えておくぞ」

「善悪の判断をする余裕がないかもなので、お水だけでいいですよ。エーダリア様、有難うございます。…くしゅん!」



そんな試練を超えて、ネアはやっと部屋に戻ってきた。


「体を冷やすのが良くないので、私が寝てしまってから、毛布を剥いでいたらかけ直して下さいね。くしゅん!それと、熱が出てきたので、時々ディノの手でおでこに触って下さい。ディノの手のひらの温度がひんやりしていて素敵なのです。くしゅん!」


沢山指示出しをして、ネアは息も絶え絶えになった。

着替えるのに魔物を部屋から追い出そうとしたが、倒れたら大変だと纏わり付いて離れないので、朦朧としてきた頭でもういいやと諦めることにする。


(ええい、減るものではないし!)


魔物の説得を放棄したネアがおもむろに着替え出すと、なぜか途中で背中を向けてふるふるしていた。

浴槽に浸かってからではあるがお風呂に入り込んで来ることもあるし、衣服を着ていないことに対しては然程頓着しないくせにどうしたのだと思っていたら、弱り切ったネアがもそもそ着替えているのが可愛いとのことだった。


「くしゅん!終わりでふ。……も、毛布」

「ネア、ほら寝間着がめくれてるよ?」

「むぐ。……それと、寝台の横にゴミ箱を設置します。……くしゅん!……鼻をかんだティッシュをぽいと捨てるためにで…くしゅん!」

「それなら、枕元に置くかい?」

「やめるのだ」


よろよろと寝台によじ登り、ネアはそこでぱたりと力尽きた。

正直、余計なところで力を使い過ぎたのである。


「ネア!」

「…………むふぅ。ご主人様を素敵に寝台に設置して下さい」

「わかった!」


ディノはやるべき事さえ理解していればとても有能なのだ。

ふわりと抱き上げてくれて、きちんと寝かせてくれた。

火織りの毛布で包んで体が冷えないようにもしてくれたので、ネアはふうっと安堵の息を吐く。

やっと病人が病人として横になれる贅沢に与れるのである。



「水差しが来たよ。ここに置いておくからね」

「……ふぁい」

「部屋が乾燥しない方がいいのであれば、湿度をぐっと高めるかい?」

「…………むぐふ。…………む?!これでは熱帯雨林です。黴びてしまうのでいけません!くしゅん!」

「では、これくらいでは?」

「…………むふ。素敵な湿度になりました」


やっと静かになり、ネアは熱い息の間からそろりと目を開けて隣を見る。


「………怖っ!」


じっとりとした目で不安そうに覗き込む魔物が、顔のすぐ横にいる。

とても怖いのでやめて欲しい。


「ご主人様…………」

「ディノは普通に過ごしていて、時折様子を見てくれればいいんですよ?」

「ご主人様…………」


そう言うと魔物はまたしゅんとしてしまったので、ネアは小さく溜息を吐いた。

一刻も早く、安心して眠れるようにならないものか。


「では、暇な時はお隣に寝ていてもいいですよ」

「嫌ではないのかい?」

「鼻をかむので、ティッシュペーパーの箱と、ゴミ箱の反対側にいて下さいね。ちなみにご主人様はお顔がぼろぼろになるので、そちらを向く事はありません」

「ご主人様………」

「くしゅん!……覚えておいて下さいね。くしゃみをする人と、寝込んでいる女性の顔をじっと見るのは失礼なのですよ?」

「そうなんだね、わかった」


魔物はどこか寂しそうに頷き、ネアの背面に移動すると、きちんと個別包装で添い寝してくれた。

すっかり薬湯などの用意は忘れてしまったようだ。

しかし、ご主人様の病変にすっかり落ち込んでいるので、少し可哀想にもなる。


確かにこの体調不良の原因となった大移動の元凶はディノであるのだが、あのディノがした判断を今のディノはしないのがわかるので、叱るとなるとまた違う気がする。

逆にあまり怖がらせて暴走させる方が恐ろしい。

困った魔物のご主人様は、悩めるご主人様なのだ。


「こうして具合が悪くなっても、ディノが隣にいてくれるとほっとしますね」

「ネア………」


ぱっと体を起こした魔物が嬉しそうに微笑むのが気配でわかった。

そろりと手を伸ばされ、優しく頭を撫でられる。


「むぐ。…………心がほかほかします」

「可愛い………」


おでこに触れる手はひんやりとしている。

その温度が火照ったおでこに気持ちよくて、ネアはむにゃむにゃと、朧げな意識の中で微笑みを深めた。



そこで暫し、寝落ちしたようだ。

次に目を開いた時には、陽が少し翳り夕方になってきたようだ。

ネアはここで、ゼノーシュに桜の木の状態保全の魔術を解いていいのだと伝えるのを忘れていたことを思い出した。


暴れたいくらい悔しいけれど、お花見には行けない体調なのである。

ごそごそと動き、眠ってしまったお陰で、鼻をかみ過ぎて鼻周りの皮膚がこわこわにならずに済んで良かったとほっとする。

しかし、風邪などは夜から悪化することが多いので、これからかも知れない。


「………ネア」

「…………ディノ、もしかしてずっとお隣に居てくれたのですか?」

「…………うん」


魔物の声には覇気がなく、悄然としていた。

眠ってしまっている間は応答がないので、もしかしたら怖がってしまったのだろうか。


「…………どうだい?良くなりそうかな」

「少し眠ってくしゃみが落ち着きました。でも、この病は夜から症状が悪くなることがあるので、そうなっても怖くないですからね?」

「…………うん」

「こうやって、良くなったり、悪くなったりしながら、体の中の悪いものを追い出してゆくのです」

「薬湯を用意したけれど、飲めるかい?」

「まぁ、覚えていてくれたのですね。飲みます」


まずはゼノーシュに伝言を頼み、汗をかいているのでついでに体を拭くことにし、濡れタオルも頼んだ。

一度冷水タオルにされそうになり、きちんとほかほかタオルにして貰う。


顔と首回りを拭いてさっぱりしたが、寝間着をめくっても拭きたいので、少しだけ違う方を見ていて貰おうと思った。


「ほら、貸してごらん。拭いてあげるから」

「むぐ…………」


少しくらりとしていたので、ネアは大人しく背中への奉仕を許すことにした。

あまり動いて沈静化していた鼻水やくしゃみを誘発したくないということもある。

寝ている間には鎮まってくれるこの災い達は、目を覚まして起きだすとまた再開されたりするのだ。


「………いい子だ。ほら、手を上げて」

「…………むぐ」

「やはり、ぐったりしているね。それに、まだ熱もあるようだ。薬湯は飲めそうかい?」

「………む!………一瞬、寝ていました。前は自分で拭きますので、タオルを返還して下さい」

「終わったよ」

「………………え?」

「ほら、起きている内に薬湯を飲んでしまおう」

「……………ディノ、今の言葉は空耳でしょうか?」

「薬湯を飲んでしまうといい。ほら」

「む。飲みます」


凶悪な野菜ジュースのようなものを想定してたが、渡された薬湯はミントティーのようで美味しいお茶だった。

ほっとしてそれを飲み干し、口の中もすっきりしたので嬉しくなった。


「……………くしゅん」

「まだ具合が悪そうだね。して欲しいことは?」

「もう一度寝まふ。………くふん。……何か、ディノに話さなければいけない、とても重要なことがあった筈なのですが」

「傍にいてあげるから、安心してお休み」

「むぐ」


ここでネアはもう一度寝てしまい、ディノに言わなければいけない何かは永遠にお蔵入りしてしまった。



「…………むぎゅ」


次に目を覚ました時には、部屋は夜になっていた。

柔らかな室内灯の明かりに、心が和むようなハーブの香り。



「良かった。起きれるかい?何か食べれそうかな?」

「…………ディノ?」

「君の欲しがったポリッジがあるよ?」

「食べまふ!……食べます」


ネアがまだよれよれの声でそう言えば、こちらを見た魔物はほっとしたように微笑んだ。

あまりにも嬉しそうに微笑むので、ネアは少し胸が痛くなる。


「ディノの薬湯が効いたのでしょうか。少し元気が出てきました。ポリッジを食べてからまた休めば、明日の朝にはだいぶよくなりそうです」

「苦しかったり痛かったりはしないかい?」

「初めてのことなので、心配になってしまいますよね。私は大丈夫ですよ」


少し関節が軋む手を伸ばして、ディノの頭をそっと撫でてやった。

ここが痛いとなると、そこそこな熱が出たらしい。

ディノは最初の頃よりは随分と落ち着いたようだが、その分心労を重ねてしまったようだ。

疲弊した悲しげな目に、よしよしと撫でる。


「ディノは、お夕食をどうしましたか?」

「私もまだ食べていないから、一緒に食べようか」


ディノが手配してくれたのか、ベッドサイドに柔らかな湯気のたつ艶々のお粥が入ったお皿が置かれていた。


寝台で食べるか聞かれたが、さすがに少し動かないと体に良くないので、ふらふらと起き上りきちんと水をたくさん飲んだ。


「む、ついてきてはいけませんよ」

「ご主人様………」

「生活欲求の一つですので、そっとしておくのが優しさですからね?」

「虐待する…………」


トイレに行きたいだけなのだが、目を離している間に死にはしまいかと、魔物にさっと手を掴まれてしまった。

叱るとしょぼくれたが、ここは容赦なく捨ててゆく。



(よし、顔も洗えたし、少しだけ回復してきた気がする)


やっと人心地ついてほっとしたネアは、枕元にハーブのような良い香りがしていたことを思い出した。

そんな仕様は元々なかった筈なので、誰かが香りの良いものを置いてくれたのだろう。


部屋に戻ってきてからディノに聞けば、エーダリアから話を聞いたノアが香草のポプリを持ってきてくれたのだそうだ。

因みに、ネアが倒れたという誤情報をエーダリアから受けてしまったヒルドもお見舞いに来てくれたのだそうだが、眠っていると聞いてほっとしたようだ。

そんなヒルドから、眠れているようであればせめて苦痛などはないのだろうと聞かされたらしく、それでディノも少し落ち着いたようた。


(ヒルドさんに感謝しかない………)



そうしてネアは、やっと少しの回復を経てあつあつのポリッジに対面出来たのである。


「…………ほわ」


テーブルの上のポリッジは、ほこほこと湯気を立てており、白っぽい何かが入っていた。

消化を妨げないくらいの分量で押し麦やつぶつぶした穀物もあり、恐らく料理人がこれだけでも栄養が取れるようにと手間をかけてくれたのだろう。


「いただきます」


まだ少し危ない手つきでスプーンを持つと、ネアは一口食べてみた。


(………………美味しい!)


ポリッジは、きちんと鶏でお出汁が取られており何とも味わい深い。

微かな香草の風味はオレガノだろうか。

鶏出汁と塩とで味わいがしっかり染みたお米に、謎の白っぽい何かは食べてみると小さく賽の目切りにした季節外れの梨であることが分かる。

熟す前のものを使っているので、しゃくりとした野菜のような歯応えに、微かな甘みがとても美味しい。

そしてその具材は梨だけではなく、同じサイズに切って、ポリッジの熱に溶け出す前のとろり感を楽しめるフレッシュチーズもある。


(お、美味しい……………)


幸せを噛み締めながらディノの方を見れば、ほとんど同じものを食べていた。

そちらにはオレガノ入りの鶏団子が入っているので、濃厚な味わいはそこから出た旨味なのだろう。


魔物は心配そうにネアが食べられるかどうかを見ていたが、結果ネアはぺろりと食べきり、またよろよろと歯磨きなどに出かけると、戻ってきてぱたりと寝台に沈んだ。



「ネア、傍にいるから安心していいよ」


柔らかく甘い声には、やはり不安が滲む。

心配で堪らないが、ネアが弱っているので何とか我慢しているのだろう。


「むぐ。………治癒の為に体力を使っているので、ふらふらしているだけですよ。………熱もきっと夜明けに向けて下がりますし、今は食べることで少し疲れただけでふ。………くしゅん」



頭を撫でられながらこてんと寝てしまったネアは、まだこの先にも、病人を痛めつける惨事が待ち受けていることを知らなかった。




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