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123. 使い魔が捨て身の嫌がらせをします(本編)


「事の始まりは、ウィリアムさんでした」


ネアがそう話し始めると、両手は顔から離したものの、魂が抜けたようになってしまっているアルテアの瞳が少しだけこちらに向く。

まだちょっと泣いてるが、アルテアを使い魔にしたと聞いてびっくりしてしまったディノは、ネアの羽織ものになりつつ、怖々と事の真相に耳を傾けている。

時々ご主人様を怖がらせたことの反省に入るのか、一定間隔で頭を撫でてくれるのがこそばゆい。


「今回の事件のことを皆さんに報告したときに、私がウィリアムさんとは連絡がつかなかったと話したことを、エーダリア様がダリルさんに話してくれたのです。しかし、念の為にとウィリアムさんに通信を入れてくれたダリルさんは、普通にお喋り出来ることに驚いたのだとか」


実際には、ダリルがウィリアムに連絡を取ったのは念の為ではなかった。

ウィリアムには連絡が取れなかったと話したネアが、しかしながらアルテアが優しかったのだと少し微笑ましく伝えたところ、大いに疑わしく思い、本当にウィリアムと連絡がつかないのかすぐさま調べたのだ。


『お馬鹿だねぇ、ネアちゃん。ちょっかいかけてる子の婚約者が、奇跡的に記憶を失ったんだよ?あいつが、その機会を無駄にすると思う?』


エーダリアのカードをダリルも使ってくれて、呆れたような口調が如実に伝わるような文字が、ネアのカードに送られてきてはっとした。

ネアも不安を覚えたものの、そんなところから調整されたとは考えもしなかったのだ。

やはりそういう意味では、ネアの危機感は甘いのだろう。


「その結果、あの日私が転移の間で密会したアルテアさんは、私に呼ばれてあの場に来たのではなく、ダリルさんからディノのことを報告されて既にリーエンベルクに来ていたのだろうと推理出来まして」


それはつまり、ネアが真っ先にウィリアムを呼び出そうとしたときにはもう、近くにいたということなのだ。


「アルテアさん、私が、ウィリアムさんに助けを求められないように細工しましたね?」

「……………さぁな」

「ふっ、言い逃れをしてももう遅いですよ!ウィリアムさんから、自分に纏わるものを細工出来るのは、アルテアさんぐらいだと聞きましたし、ノアからも、その時ディノは魔術を展開していなかったと報告済です」

「そのウィリアムはどうしたんだ?それと、まさかノアベルトがリーエンベルクに出入りしてるのか?」

「ウィリアムさんは、お仕事で忙しくなってしまったそうなので、何か手に負えないようなことになったらあらためて連絡することにしました。後半はご主人様権限で黙秘します」

「……………なら、俺をお前の使い魔にしたのは、ノアベルトか」


そう視線を向けられたノアベルトは、おやっと目を瞠って首を振った。


「うーんどうかなぁ。君を使い魔にすると言い出したのはネアだよ?その為の術式を構築するのに僕も少しは知恵を貸したかもしれないけれど、人間って心を決めると凄いんだなって思った」

「……………おい」

「あら、そんな目をしても自業自得ではないですか。ウィリアムさんの件で危機感を強めたので、私はとりあえずアルテアさんを無力化しなければならなかったのです。そして案の定のフルーツタルト事件でした……」


無花果がぎっしり乗った素敵なタルトを思い出し、ネアの瞳が凄惨な陰りを帯びる。

あまりにも食い意地の張った人間の姿に、アルテアが少しぎくりとしていた。


「…………そうか、だからあの時にお前はあんな風に確認をしたのか。シルハーンの座る椅子も指定していたしな………」

「ええ。実はあのやり取りは、使い魔契約のあれこれでした。狡猾な人間は、私とディノが座ったもの以外の全ての椅子に、事前に使い魔捕獲用の術符を張り付けてあったのです」


アルテアが気付いたのは、ネアが、アルテアに力を貸してほしいと切り出した台詞だ。

使い魔契約において、術者は、己の領域の中で捕獲したい生き物を術符の上に設置し、力を貸すようにと申し出てその言葉に同意させる必要がある。

リーエンベルクは元々ネアの居住地でもあるし、椅子の上に座っていたアルテアは術符に腰かけていたようなものだ。

後はもう、あの会話だけで充分だったのである。


(そして、アルテアさんには内緒だけど、その術符はエーダリア様特製です!!)


ノアの助言や手助けがあったとは言え、使い魔を得るのは人間であるネアなので、その為に術式を組んでくれたのは、この国の魔術師の長でもあるエーダリアだった。


限られた時間でその術式を組むというミッションにエーダリアは並々ならぬ張り切りようで、ノアに託そうとしたところ横取りしていったのである。

ネアが託したメッセージカードには、助力をお願いしたネアが若干引くくらいの熱い意気込みが綴られていたものだ。

術式オタクの研究魂に火がついてしまったらしい。


(術式を組むのが楽し過ぎて、昨日は終わった後も興奮して眠れなかったみたいだし………)


おまけに実行直後にさり気なく様子を見に来て、自分の術符で事足りたのを見て嬉し過ぎたのか、込み上げてくる笑顔を抑える為に強張った表情になってしまっていた。

今夜はきっと、散々ダリルに自慢してしまったのだろう。


「お前の可動域で術符が書ける訳がないだろ。ノアベルトに書かせたな」

「おのれ、ご主人様の魔術可動域をついでのように貶めましたね……」

「事実だろうが」

「そしてアルテアさんは、椅子に座っただけで捕獲された魔物さんですね」

「やめろ………」


残虐な人間は誇らしげに胸を張り、羽織ものになっている魔物は得心気味にそうかと呟いた。


「……………そうか。だから私が椅子に状態保持を添付したと話したとき、君の確認が慎重だったのだね」

「そうなのです。術符の隠蔽はノアが万全にしてくれていた筈なのですが、ディノが気付いてどうにかしてしまったのかと思ってひやりとしました」

「でも、どこから使い魔にしようだなんて発想を得たんだい?」

「咎竜の時に、使い魔とは何だろうと調べていて、ディノが荒ぶってしまったのを覚えていますか?今回はまず第一に、ディノが敵だという困った状況でした。………その上でもし、ディノの記憶を取り戻すことにアルテアさんまでもが障害になると困ってしまうので、困ったときには無償で力を借りつつ、万が一の場合には行動規制を出来るような手段はあるだろうかと考えたとき、その時の本を思い出したのです!」

「ネア、………成功したから良かったようなものの、あの本に書かれていたのは、伯爵位の魔物が竜を使い魔にした経験談だった筈だ。寧ろ、君がこれだけ階位の高い魔物の捕縛に成功したこと自体、とても不思議なことなんだよ?」


心配そうにそう言って後ろから頭を撫でてくれた魔物に、ネアは微笑みを深めた。

今こうして身を案じてくれるのがネアの大好きなディノであって、恐らく記憶を失っていた頃の彼であれば、アルテアを排除するか、或いはそんな余分に手を出してしまったネアを許さないかもしれない。


「ディノ、私には今まで乱獲してきた数々のリズモや、その他の生き物達から得た祝福があるんですよ!特に、収穫の祝福が良い働きをしたようですし、実は良縁の祝福も生きているような気がしました」

「それにネアは、魅了の守護も持ってるしね」

「む、ゼノ?その魅了の守護とは何でしょう?」

「春闇の竜だよ。祝福を貰ったんだよね?」

「ダナエさんにはそんな力もあったのですね!」


ここでネアは、ようやくダナエの司るものの一端を知った。

惹き込まれた者達を絶望で殺してしまうという春闇の竜は、魅了という分野においても力を誇る竜である。

ましてやその中の最高位に近い竜なので、ダナエからの祝福は相当なものであるらしい。


「何だかね、危ないことに巻き込まれないようにって意図もあるみたい。だから、ネアを苛めようとする相手の力を削ぐ意味もあるのかもね」

「ダナエさんのお蔭な気がしてきました!!これはもう、いつか再会した際には、美味しいご飯を振る舞うしかありません。アルテアさん、その際にはお料理をお願いしますね!!」

「……………は?」

「あら、アルテアさんは私の使い魔なので、美味しいご飯を作って下さいねとお願いしたのです」


アルテアはまた固まってしまったので、その隙にネアはくるりと体の向きを変えられて、羽織ものになっていた魔物に覗き込まれた。

幸い涙は止まったようであるが、とても悲しげな顔をしている。


(ああ、これが私の大事な魔物だわ)


そう思うのは、思わず撫でてあげたくなるようなこの眼差しだ。

これはとても怖い魔物でもあるのだが、ネアにはその危うさを切り出さなくなった、優しくて可愛い魔物なのである。

そんな魔物が、神妙な口調で切り出した。

どうやら、ご主人様のお仕事の分配がアルテアに向いたのが悲しかったらしい。


「ネア、この使い魔は、捨てて来よう」

「ディノ?………しかし、契約の魔物とは違い、使い魔にしてしまえばご主人様最強ですよ?ディノだって、美味しいフルーツタルトをまた食べたくはないですか?」

「けれど、使い魔というものはあまりにも主に近い存在でもあるからね」

「ええ、存じております。まぁ、幸いにも、アルテアさんは一緒に居てもウィリアムさん程には疲れませんし」

「…………浮気」

「浮気ではないのですが、不思議ですよね。安心感のある方より、なぜかアルテアさんの方が自然に居られるのです。であれば、使い魔にしても嫌にはならないと判断しました」

「アルテアまでリーエンベルクに住まわせるのは同意出来ないな」


そこでネアは、こてんと首を傾げた。

さすがにそこまでのことは、ネアも考えていなかったのである。

無償でこき使える魔物という認識しかなく、うっかり使い魔が死んでしまうとご主人様もダメージを負うが、そもそもアルテアがネアより早く死ぬこともないだろう。

自分より魔術に詳しい専門家達も契約に同意してくれたので、すっかり安心していたネアは、その程度のことしか考えていなかった。


「あら、それは私も考えていませんでした。リーエンベルクに住まれると近過ぎて心が休まらないので、あの素敵なお家に住んでいて貰い、必要な時に呼び出します!」

「おい待て、俺の私生活をどうする気だ?」

「使い魔というものは、ご主人様の顔色を伺い、常に控えていてくれる素敵なやつですね」

「ああそうか、ネアにとっての高位使い魔は、愛玩犬と同じ扱いなんだね」

「む?違いがあるのですか?」

「おい、すぐさま解除しろ。犬はもういるだろうが!」

「使い魔めが反乱を起こしました!お黙りなさい!」

「…………っ」

「…………まぁ、黙ってしまいました」


命じられて思わず黙ってしまったアルテアは、いつか見たことのある悄然とした雰囲気を纏った。

これはボラボラの日にすっかり意気消沈してしまった時の姿と同じであるので、ネアはうっかり胸が痛くなる。


「従順なアルテアさんを見ていたら、なぜかぎゅっと抱き締めたくなりました」

「ネア、ごめんね。もう二度と戻り時の妖精には刺されないから、その使い魔を捨ててこよう!」

「でも、ディノにはフルーツタルトが焼けませんし、あの素敵なお家を作ったのはアルテアさんのセンスなのです」

「ご主人様…………」

「………お前、やっぱり相当に懐いたな?」

「使い魔めにドヤ顔されたくありません!そんな悪い使い魔には、何の悪巧みもない素敵な無花果のタルトを焼いて献上することと、迷惑をかけた皆さんにザハのケーキ食べ放題を提供することを命じます」

「おい、…………懲罰が全部食い気だぞ?女らしく、もう少し色めいたものを望んだらどうだ?」

「…………色めいたもの?肩揉みとかですか?は!………もしや、また素敵なドレスを作ってくれるとか…」

「…………お前に聞いた俺が馬鹿だった」


そう大仰な溜息を吐き、アルテアは空を仰ぐ。

だいぶ白んできた空の色に、今日は晴れそうだなとネアは思う。

明日はどうなるのだろうと気を張っていた数時間前のことを思い出し、ぎゅっとディノに体を寄せた。

記憶を取り戻してくれた喜びを噛み締めたいのだが、今はまずこの新しい使い魔問題を解決し、その上で少し睡眠などを取ってからあらためて喜ぼう。

そう考えると、心がほわほわした。


寛大になったご主人様は、使い魔に優しい言葉をかけることにする。


「それと、これは暫く隠していてやきもきさせるつもりだったのですが、使い魔である内に幾つか約束をいただいた後、きちんと解放するので安心して下さいね。決して、自暴自棄になって荒れ狂ってはいけませんよ」


ネアがそう言えば、アルテアが目を瞠ってこちらを見る。

夜明け前の空にその瞳の色の鮮やかさが際立ち、無防備にさえ見える表情であった。

はたりと風に漆黒の燕尾服が揺れ、人間離れした美貌を彩る。


「………どんな約束を取り付けるつもりだ?」

「ふふ、簡単なことですよ。私からディノを取り上げようとしないことと、ディノやノアも含む、リーエンベルクに属する方々を損なわないこと。時々美味しいご飯を振る舞ってくれること、私の別宅造りの際に、品物選びなどに協力してくれることです。………あ、約束した秋の舞踏会にも連れて行って下さいね!」

「使い魔にまでしておいて、……………それだけでいいのか」


そう呟いた声には、微かな安堵と、そこに滲む奇妙な苛立ちが見えた。

その不満足そうな声音におやっと思いつつ、ネアは、やはり自信満々な魔物であるので、その程度の利益しか見込まれなかったのだろうかと不愉快に思ったに違いないと考える。

だがなぜか、ネアのその発言には、ディノだけでなくノアまでもが不思議な微笑みを深めたようだ。


「むぅ、………であれば、ご飯を作ってもらうのは時々ではなくて、月二回くらいにしてやります!」

「…………どこまで食欲なんだよ」

「しかし、下手に深い絆を残しておくと、管理や維持が面倒だから危ないと、ウィリアムさんやノアに注意されました」

「……………成程な」


そうネアを丸め込んだ犯人がわかったので、アルテアは目を細める。

視線を向けられたノアが、眉を持ち上げて微笑んだ。


「そういうことか。お前達からすれば、俺の取り分が気に食わないという訳だな」

「ん?そんなことじゃないよ。だってほら、ネアにはシルがいるし、僕だっているんだから本当は使い魔なんていらないからね。ただ、今夜の一番大事な時間に、君に邪魔されないよう条件付け出来る資格が必要だっただけだよ」


しれっとそう告げたノアに、今度はアルテアがふっと微笑みを深める。

その微笑みに、ネアはなぜか嫌な予感がした。


「ネア、」


そう名前を呼んだ選択の魔物は、それはそれは艶やかに微笑んだ。

そのいかがわしいばかりの美貌に、ネアはぞくりとする。


「む。何でしょうか。…………そこはかとなく、嫌な予感がします」

「当分の間、お前の使い魔でいてやる」

「……………む?」

「依頼があるなら、都度言うようにしろ。いいな?」

「都度………?」

「まず、無花果のタルトだったか?ひとまず俺は帰るから、用があったら声をかけろ」

「………ま、待つのです!!悪さをしてはいけない系のものは、都度ではなく今すぐ全てに適応しますよ!!」

「………………くそ、案外抜け目なくなったな」

「お返事が聞こえません」

「わかった、わかった。だいたい、お前は寝穢いくせに、こんな時間の割になんで元気なんだ………」

「さては、ご主人様の頭が徹夜でぼんやりしているのを狙って、約束をなあなあにしようとしましたね!罰として、アップルパイも追加します!」

「………やれやれ」

「………それと、実はちょっぴり気になっているのですが、蹴られてしまったところは痛くありませんか?」


そう言った途端、アルテアは小さく息を飲んだ。

背後ではディノが、心配されて狡いと呟いている。


「………いや。もう治ったしな」

「良かったです!後頭部に怪我だなんて、禿げてしまったら一大事ですからね」

「よし、黙れ」

「使い魔めを心配したのに、何という仕打ちでしょう!この前の鶏肉のパイも…」

「ムグリスになるぞ?」

「なっ…………?!」


よりにもよってな最後の言葉を宙に残して、アルテアはふわりと姿を消した。

憮然とした顔でそれを見送り、ネアはディノに告げ口してやる。


「ディノ、私の使い魔が自暴自棄の嫌がらせに走った挙句、ご主人様にムグリスの呪いをかけ、都合が悪くなったので逃げました!」


しかしディノとノアはそれどころではないようで、顔を見合わせて何やら視線でお喋りをしていた。

憤然としているネアに気付き、ディノが妙に優しく微笑みかける。


「使い魔の契約は、さっき君が話していたことが満たされれば、もういらないんだね?」

「ええ。…………とは言え、アルテアさんとは今迄通り、要注意なお友達程度のお付き合いはしたいです」

「…………いつの間にか、友達になってる」

「ネア、ザハのケーキもだよ!」

「なんと!ゼノ、うっかり念押しするのを忘れていました。ディノの方から行きましょうね。その隙に私は、アルテアさんにも言い含めておきます」

「うん。僕ね、三日後と六日後の午後が空いてる」

「私は午後はどちらも大丈夫なので、ゼノのお腹具合と他のみなさんの予定を見て、好きな日に行きましょうね」

「ご主人様…………?」

「ディノは、その日はケーキを奢る魔物になって下さい。今回の件で皆さんに助けて貰ったので、私からも勿論お礼をしますが、ディノからのご挨拶として開催しましょうね」


そう言ってから安心してディノの方に体を向け、ネアは真珠色の髪の毛を引っ張ってやった。

もうここに居るのは、同じ屋根の下で暮らす仲間達だ。

アルテアのせいですっかり咲き切ってしまったが、こんな風に満開のチューリップ畑で一緒にいると、お花見に来たようで素敵な光景ではないか。


「リーエンベルクで、エーダリア様やヒルドさんが心配していてくれるかもしれません。ひとまず戻りましょうか」

「………うん」


そう頷いたディノに、ネアは嬉しくなって溢れんばかりの喜びに微笑む。

ぱっと目元を染めた魔物は、なぜかぴゃっと逃げ出してノアの後ろに隠れてしまった。


「…………解せぬ」

「ネア、シルは少し疲れてるみたいだから、転移するなら僕が抱き上げてあげようか?」

「ノアの持ち上げも安定していてとても素敵なのですが、やはりここは、私の魔物に連れて帰って欲しいです」

「ご主人様!」


狡猾に転がされてしまった魔物が戻って来てくれて、ネアは一度きちんとチューリップ畑に頭を下げる。

こんな風に咲かされてしまって、一部のチューリップは既に散ってしまったり、ダメージを受けてしまった株もある。



「ディノ、この辺りの折れてしまったチューリップさんを元に戻せますか?私の収穫に協力してくれたお花達なので、労わって差し上げたいのです」

「おや、私の記憶を取り戻してくれたのは、果ての薔薇ではなかったのかい?」

「それでも、保険の為に手に入れようとした、失せもの探しの結晶石をたくさんくれた良いチューリップです」

「それなら、元通りにしておかないとだね」

「ふふ、そんな風に言ってくれると、嬉しくなってしまいます。やっぱり私の大好きな魔物はこうでないとですね!」


褒められて伸びるタイプの魔物が張り切り、チューリップ畑は丁寧に修復された。

これならば、夜明け前に畑を管理する公務員達がやってきても、一晩で咲いてしまった不思議に首を捻るだけで済むだろう。



「それと、実は今回の事件には最大の謎が一つ残っています。怖くてずっと聞けなかったので、帰ってからじっくり教えて下さい」

「おや、まだ怖いことがあるのかい?すぐに聞いてくれればいいのに」


そう優しく微笑んだ魔物に、ネアはむむっと眉を顰めた。


その隙に足場が揺らいでから切り替わり、爪先の下はリーエンベルクの絨毯になっている。

見事な絨毯と、こちらを見て安堵したように微笑んだエーダリア達にほっとした。


「エーダリア様、無事に終わりましたよ!」

「そうか。アルテアは大丈夫だったのか?」

「ふふ。かなりくしゃくしゃになっていましたが、やはりアルテアさんでした。でも、フルーツタルトは焼いてくれそうです」

「………統括の魔物を使い魔にまでしておいて、それを強請ったのか」

「それと、リーエンベルクに属する方を損なってはいけないと約束させましたよ」


そう聞いて少しほっとしていたようなエーダリアだが、隣のヒルドはどこか疲れた様子である。

先程まではいつものヒルドであったので、もしや戻り時の妖精の件だろうかと、ネアは少し申し訳なくなった。



「ネア、さっきの質問はいいのかい?」


失せ物の結晶でもあげたら元気になるかなとそちらを見ていたら、戻ってきたばかりなので甘えたな魔物がそう急かしてきた。


「…………確かに、謎を残しておくと気持ち悪いですしね」


そこでネアは、その最大の謎を解明してしまうことにする。

場合によっては怖くて眠れなくなるので、他の誰かがいる場所で聞いておくのがいいだろう。


「誰も気付かないので胸に秘めていたのですが、ディノは私を練り直してこちらの世界に連れて来てくれたのですよね?」

「そうだよ。それが不思議になってしまったのかい?」


首を傾げたディノに、こちらを見ていたエーダリアやヒルドだけでなく、一緒に帰って来たノアとゼノーシュも不思議そうな顔をする。

ダリルの姿はないが、元々ディノの記憶が戻った段階で帰るという約束だったので、もう帰ってしまったのだろう。

お肌の為に、夜はしっかり寝る主義なのだ。



「どうして、練り直される前の私の姿しか知らない筈の頃のディノが、私を見るなりすぐに認識出来たのでしょう?」

「……………ご主人様」

「最初は初めましてのふりをされましたので、その間に推理したのかなとも思いましたが、どうも最初から認識されていた気がします」

「ほら、ネアの名前を聞けばすぐにわかるからね」

「あら、今のは嘘ですね?目を逸らしながら言っても信じてあげませんよ?」

「ご主人様……………」


叱られてしまった上に、本日はご主人様に申し訳ないの精神である魔物は、割とすぐに白状した。


「………あの時に、私は、一ヶ月ほど君を見ていなかったと話しただろう?その間に、君を呼び落とす為の術式を編んでいたんだ」

「私と出会う一年前にですか?」

「うん。だからもう、ネアをどんな風に練り直すのかは決めていたんだよ」

「…………予感が的中してしまいました。怖くて眠れません」



初めて練り直しのことを話してくれたとき、ディノはネアの新しい姿を自慢げに語った。

それはつまり、ある程度考えた上での作業ではないかと踏んだのだ。

そして今回、記憶を失ったディノが何かの準備をしていたと白状したので、自分のことを認識出来たことと合わせて、まさかそれはという懸念を抱いていたのだが。


「でも、呼び落とすのに一年もかかってしまったのですね」


そう続けたのは、物事の良い面を見たかったからである。

そこまで手間をかけて出会ってくれたのなら、下準備が入念過ぎて怖い問題と、ずっと見られていて怖い問題については心の奥に封印しようと思ったのだ。


しかし、魔物はとんでもないことを言い出した。


「…………このネアを見ていられるのは最後だなと考えたら、勿体無くなってしまったんだ」

「………それで一年」

「…………うん」

「怖い…………」

「ご主人様…………」



焦った魔物がご主人様をぎゅうぎゅうと抱き締めたが、部屋はなんとも言えない微妙な空気に包まれた。

ほとんど野生化してしまった魔物や、恐らくディノより高度な嗜好を持つ妖精もいるが、彼等はある程度常識人なのである。



「と、取り敢えず、無事に記憶が戻って良かったではないか」

「そ、そうでした!エーダリア様、ヒルドさん、ゼノ、ノア、みなさんこの度はとてもお世話になりました!つい、本能的な怖さで、きちんとお礼を言うのが遅れてしまいました………」

「うん、今のは怖いから動揺するよね」

「はい。とても怖かったので、数日かけてこの事実を都合よく忘れてみせます」

「いや、覚えておいた方が安全じゃないかな」

「むぅ」


少し悩んでしまったが、ここでネアは大変なことを思い出した。


「ゼノ、今日はグラストさんとお花見に行く日ですよね?!早く寝て下さい。ごめんなさい、自分のことばかりで解放してあげていませんでしたね」

「大丈夫だよ。僕あんまり寝なくても平気なの。枕は好きだけど、寝るとお腹空いちゃうから」

「しかし、さすがにもうすぐ夜明けですよ?こんなに可愛いゼノが疲れてしまったら大変です……」

「お菓子食べてて寝てない日もあるよ?でもその代わり、お菓子を食べられないと倒れちゃうんだ」

「ザハのケーキの食べ放題の日を、大急ぎで決めますね」

「うん!」


愛くるしいクッキーモンスターのお菓子への意識の高さに、ネアはもはやめろめろである。

こんな可愛い生き物が同じ屋根の下に住んでいるなんて、とても贅沢な暮らしではないか。


(………そう言えば、ゼノ可愛い祭りが始まる前に少し、うっかり一度アルテアさんが可愛く思えたような……)


ぎゅっとしてあげたくなるなど冷静に考えれば危険極まりないので、ネアは二度と血迷うまいと己を律した。



「本日の朝食は九時にしよう」

「はい。エーダリア様本当に…」

「それまでに私は、あの術式をもう一度おさらいしたいからな!」

「…………感謝の気持ちが足踏みをしました」

「この通りですので、ネア様、エーダリア様への謝辞はもう結構かと思いますよ」

「…………ご迷惑になるどころか、ここまで喜んでくれて良かったです」


ヒルドから、さすがに少しは寝るようにと叱られながら退出してゆくエーダリアを見送り、ネア達、臨時のリーエンベルク秘密工作班は解散した。



「ネア、お花見に行けそうで良かったね」

「………そうでした!ゼノに言われるまで失念していましたが、間に合ってしまいましたね!」

「シル、夜でもいいからあの使い魔をどうするのか相談しようよ。それとネア、ご褒美のボール遊びを忘れないでね」

「任せて下さい。今日は肩を壊すくらいの覚悟で投げ続けます!」

「ネア、肩を壊すのはやめようか」

「むぅ。ディノは私にたくさん心配をかけたので、ノアとのボール遊びに付き合って下さいね」

「そうだね。ボールは私が投げてあげるから、君は肩を守るように」

「やった!シルが投げるボール大好きなんだよね」

「…………ノア、私のボール遊びはイマイチなのですね?」

「ち、違うよネア!でもほら、君が投げるボールは途中から飛ばなくなるからね」

「何十回も続けば、人間の女性の腕はその程度の飛距離しか出せなくなります!」



わいわいしながら廊下の途中で、またね、おやすみと言いながら別れ、ネアはディノの部屋に帰った。


もう眠れるのは四時間程度だが、幸せな一日がまた始まる、そう考えられるだけでなんて安らかなのだろう。



「ディノ、今日はお隣にどうぞ」

「ご主人様!」


自室に帰ってきたせいか幸せに気が緩んできてもしゃもしゃしつつ、ネアは大事な魔物の髪の毛を一房掴んで眠った。



(お花見、楽しみだな………)




しかし、その翌日、ネアはお花見に行けなかった。



真夜中に気温差がある大移動をしたせいで、軟弱な人間は風邪をひいてしまったのだった。

初めて病気で寝込んだご主人様に、魔物が取り乱したのは言うまでもない。




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