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119. 魔物と密談をします(本編)


ディノが心の時間を戻されて、三日目の朝となった。


昨日は基本的な仕事を学び、リーエンベルクでの一日をじっくり体験して貰った。

エーダリア達も例の女学生の処分などがあり、忙しくしていたようだ。

ネアは、薬草や祝福の結晶石などの図鑑を見ながら、あらためて初めての契約の魔物として薬作りをするディノに付き添いながら、この大きなお家の説明をした。


そして本日、少しリーエンベルクへの造詣を深めたディノは、逃げ出す準備をしているノアから最後の説明を受けている。

今回の件では、ノアが面倒見良く何度もディノの様子を見に来てくれていた。

暴走するとヒルドやエーダリアでは危険なので、一番丈夫そうだということでの担当かも知れないが、最近はボールばかり追い掛けていたノアがきちんと先輩風を吹かす姿に、ネアはほっこりしてしまう。


「僕はこの後は隠れているからね。僕が、友達のヒルドやエーダリアの手伝いをしてここに部屋を借りていることは、アルテアには内緒なんだ。君も、有事の際に備えて兵力を隠しておくことに賛成していたしね」

「アルテアが害となる可能性があるのかい?」

「アルテアはネアのことを案外可愛がってるから、君の歌乞いは大丈夫だと思うよ。ただ、ここには他にも君のネアにとっての良い仲間達がいるし、例えばここの料理人を害されたら、ネアは心痛で倒れると思う」

「…………あの料理人さんに悪さをしたら、アルテアさんを殺します」

「ネア!ごめん、例え話だから!落ち着いて!!」


がすがすと床を踏み鳴らしたネアに、ノアが慌てて宥めにかかる。


「……ほら、こんな感じ。つまり僕はその料理人を守る最後の盾だから、暫く出てくるよ」

「大丈夫ですよ、ノア。昨日一日でまた少しお仕事意識を育てて貰いましたので、お留守番の間、リーエンベルクはきちんとディノが守ってくれますからね」

「でも、困ったことがあったら僕を呼んでいいからね」

「ふふ、ノアは成長しましたねぇ」

「僕はこれでも、君よりずっと年上なんだけどね………」


ネアに微笑みかけられて、いつの間にかリーエンベルクの番人のような会話をしていたことに気付いたのか、ノアは大いに照れてしまうと慌てて逃げて行った。


「お友達が出来て、張り切っているのが微笑ましいですね」

「…………ノアベルトは変わったね」

「ヒルドさんや、エーダリア様が大好きなのです。でも、ディノにもとても可愛がって貰っていましたよ」

「…………どうしてあれの面倒を見ていたんだろう。入浴の手伝いはいらないと思うけれど……」

「でも、ディノはノアのことは嫌いじゃないでしょう?」

「…………変わっているからね」


やはり、ディノは元々ノアのことは気に入っている様子だが、それでもお風呂に入れていたという事実が解せないようであった。



今日は、これからアルテアがリーエンベルクにやって来る。


ディノの不調に伴い統括の魔物としての検分という名目であるが、心配してくれたのか、悪戯心が疼いて悪さをしに来たのか、ネアの見立ては半々であるとディノには説明しておく。



「なんだ、それなりに落ち着いたのか」


そして登場するなり、なぜかアルテアは少しだけ嫌そうな顔をした。


本日も灰白のスリーピースだが、淡い水色のシャツが爽やかで春めいている。

ステッキは持っておらず、クラヴァットは雪のように白い。

赤紫の瞳を微かに細めて、ディノときちんと並んでお喋りをしていたのを見るなりそう言ったので、上手くやれていることが意外であったようだ。


「良いことなのですから、そこは一緒に喜んで下さいね。そして、いい匂いがします!」

「フルーツタルトだ。お前が腐ってると思って見舞いがてらだったが、いらなかったな」

「いります!お見舞いの品を取り上げるなんて、極悪非道ではないですか!」


片手に持っていた白い箱を持ち上げられて、ネアは慌てて飛び跳ねる。

アルテアにはすっかり餌付けされてしまったので、ここで弄ばれてしまうのが憎い。


「俺が来て大喜びだな」

「むぐ!とても作為的な言い回しですが、このタルトを貰えるまでは、そういう事にしておきます!」

「ネアが浮気してる……」

「浮気ではありませんが、良い事例かと思います。アルテアさんは、こうして沢山の攻撃をしかけてきますので、ディノも用心して下さい」


やっと手に入れたケーキ箱を抱き締めたネアが神妙な面持ちで忠告すると、ディノは困惑したように瞬きをした。


「これが、………罠なのかい?」

「とても狡猾な罠です。こんな素敵なものをお土産に貰ってしまったら、うっかり好感度を上げざるを得ません」

「わかった。叱っておこう」

「おい、おかしな流れになってるぞ?それと、俺に何かあるとお前の餌付けが中断されるからな?」

「…………何という邪悪な罠でしょう。アルテアさんの身の安全を保証するしかなくなりました」

「ったく。顔色が良くなったと思ったら、相変わらずだな」


わしわしと頭を撫でてネアを弄んだアルテアに、ディノが微かに目を細める。


「アルテア、その子は私のものなのだから手を離そうか」

「悪いが、現在は俺の契約主でもあるな」

「ではその契約は破棄させよう」

「ディノ、安易に解放してはいけません!毟り取れるだけ毟り取ってからにして下さい」

「………おい」

「それと、美味しいご飯を作ってくれるので、傷付けてもいけませんよ。因みに、将来我々の別宅の内装をお願いする予定なので、末長くお付き合いもする予定です」


強欲な人間の欲求に、魔物達は思わず顔を見合わせてしまった。


「ネア………」

「お前、実はかなり懐いただろ……」

「むぅ、きちんと警戒も怠ってはおりませんよ。ディノにも、アルテアさんが悪戯をしても悪乗りしないよう、きちんと注意喚起しておきました」

「それを俺に言うのはどうなんだ?」

「本人の良心にも訴えてゆく方針です。暫定私の魔物のアルテアさんが悪さをした場合、あの前回お宅訪問したお家は没収ですからね」

「………本音がだだ漏れだな」


ここで、アルテア宅と手料理への執着にとても警戒したディノの手で、ネアはアルテアから引き離された。

フルーツタルトは没収したので、ネアとしてももはや未練はない。

箱をそっと開けてから歓喜に身震いしているネアに、選択の魔物が悪辣に微笑む。


「い、無花果がぎっしり…………」

「無花果と桃のタルトだな」

「桃…………」

「ネア、落ち着こうか。これは罠なんだろう?」

「こんな罠なら、騙されてしまうのも吝かではありません。季節外れの無花果で買収されました」

「無花果くらい、いつでも食べさせてあげるよ?」

「私はとても公平な人間なので、そちらの賄賂も受け取ろうと思います」

「賄賂まみれだぞ」

「脆弱な人間では太刀打ち出来ませんでした。……アルテアさん、もしや一緒にいただく派ですか?それとも食べるのを見守ってくれる素敵な大人派ですか?」

「本心が見え見えだぞ。全部お前のものだから、好きに食べろ」

「ディノ、アルテアさんは見守る派でした!」


ネアはさっそくフルーツタルトに買収されることにしたので、家事妖精に頼んでお皿とフォークを持ってきて貰った。

見守る派のアルテアが気持ちを変えないようにと、お茶を出す時に彼には抜け目なく他のお茶菓子を与えておく。


「ディノはこちらに座って下さいね。私の隣なのです」

「…………うん」


ご主人様の好意でフルーツタルトのおこぼれに預かったディノは、厳しい目で目の前のお皿を見ている。

艶々と輝く果物が乗ったタルトは、宝石のように美しい。

そして残念なことに、ディノはフルーツタルトがかなり好きなのだ。



「………で?結局まだ記憶は戻らないのか?」

「繊細な問題をずばりと切りましたね。確かにディノはまだ記憶を取り戻していませんが、この通り傍にいてくれるようになりました」

「よくもまぁ、更地からここまで育てたな」

「正確には、更地ではなく私が想像していたよりも遥かに年代物だったので、どうにか上手く収まったのです」

「…………おい、それはまさか」

「あまり深く考えると怖くて眠れなくなるので、その話題はここで終わりにして下さいね」


フルーツタルトと真摯に向き合うべく、ネアはここから暫く戦線離脱した。

横ではアルテアが、ディノの犯罪歴の聴取に入っている。

あまり年数の単位は気にしていなかったのか、ディノは少しの間見ていただけだよと回答しているが、人間としてはそこそこの年数だとどうか理解して欲しい。

しかし、魔物からすれば短い時間だからこそのこの回答であれば、やはりディノにとって人間の寿命などあっという間なのだろう。



「………にしても、戻り時の妖精の毒にしては妙な反応だな。俺が診てやろうか?」

「おや、君には気を付けるようにネアに言われているのだけどね」

「俺が手を加えたくらいで、お前がどうこうなりもしないだろ」

「だとしても、私が不在にしている間に君が悪さをしないとも限らないだろう?」

「生憎だが、手綱を握られてるんでな。寧ろこいつがしでかす側だろうな」


何やらやり合っているようなので、ネアはもぐもぐしながら参入してみる。


「………お褒めに預かったので、実行してみましょうか」

「いいのか?次のケーキが届かなくなるぞ?」

「ふっ、甘いですね。私はどちらかと言えば、デザートより食事の方が…」

「パイシチューの新作を試してたんだが、そうか、興味はないようだな……」

「とても悔しいのですが、アルテアさんを事前に褒めてつかわすしかありません」

「ネア、罠だと思うよ?」

「ディノ、人間は時として、罠だとわかってはいても飛び込むしかないこともあるのです!」

「…………お前、容易いな」


呆れた声のアルテアに、ネアは戦闘用ブーツで爪先を攻撃してやったが、素早く引き抜かれてしまった。


「で、これからどうするんだ?このままか?」

「ディノとも相談したのですが、打つ手なしのようですし、まずは狩りをして体力をつけておきます」

「………待て、話の前後が繋がらないからな?」

「困った方ですねぇ。つまり、この季節だけ現れる再生の祝福を持った夜雲雀を狩り尽くします。明日は満月なので、ついでに春の到来に浮かれたリズモも狩る所存です」


こちらを見て目を瞠ったアルテアが、一拍置いてから困ったように髪を掻き上げた。

小さく息を吐く姿には、どこか憐れむような気配がある。


「………確かに春の夜雲雀には再生の祝福があるが、魔術階位の差が大き過ぎる。こいつの記憶を修復するには、何千匹必要だと思ってるんだ。その上、戻り時の毒の効果が切れない理由も分かってないんだ。効くかどうかもわからないだろうが」

「あら、アルテアさんはお年を召しているのに、気が短いのですね?」

「…………おい、その言い方をやめろ」

「いつ戻るのかわからないのなら、何年かかっても貯めておけばいいのです。それに、春の満月の夜にはたくさんの生き物達が浮かれて出てくるそうなので、ついでに財運狩りも出来ますしね」

「…………そっちが本音だな」


溜息を吐いてカップを取り上げたアルテアに、ネアは淡く微笑んだ。

隣の魔物が少し不審そうにしたので、そちらはさっと手を繋いでやって黙らせる。


「アルテアさんは、私が必死に夜雲雀狩りをしてしまうと思って、心配してくれたのですね?」

「………お前の場合、限度を知らないからな」

「大丈夫ですよ。これでも自分至上主義なので、己の心を損なうような行いはしません。私は我が儘ですから」

「その狩りとやらも程々にしろよ?お前の場合、放っておくとろくでもないものを狩ってくるからな」

「ゼノーシュと行くので、無理はしませんよ」

「…………ネア?」


そのことを聞かされていなかったディノが、静かな目でこちらを見た。

酷薄さの際立つ魔物らしい眼差しに、ネアは犬の躾を意識して微笑みかけてやった。

こういう場合、ご主人様は決して動揺してはいけない。

堂々としっかり言い含めることが大事なのだ。


「ディノ、夜雲雀さんの祝福は、使われる方が一緒にいると効能が無効化されてしまいます。私は知らなかったのですが、薬効寄りの祝福は、このように、皆に内緒でだとか、人に見られずにという限定的な収穫方法が定められているものが多いのですね」

「ネア、君は私の歌乞いなのだから、一人で危ない真似をしてはいけないよ」

「あら、それならディノは私の魔物です。ご主人様の希望を奪わないで下さいね。ただ、今のディノは私の狩りの腕を知らないので、今夜一緒に狩りに出てみましょう。きっと、あまりの頼もしさに安心してしまう筈ですから」

「………ネア」


魔物が途方に暮れたように声を途切れさせたのは、ネアが悪辣にもディノの両手を握ってしまったからだ。

その手をぎゅうぎゅうと握り込まれて、目元を染めておろおろしている。


「リズモ狩りと夜雲雀狩りを許可してくれて、きちんとお留守番出来た暁には、ディノの欲しいご褒美を何でも差し上げます」

「………おい!」


慌てたアルテアに止められたが、ネアは振り返って眉を持ち上げた。


「残念ながら、ご褒美の方向性は記憶をなくしてもブレていないので大丈夫ですよ」

「あのな、それにしても上限を設けろ!」

「ネア、………」


アルテアに説得されてしまうとまずいと思ったのか、ディノはご主人様の視線を自分の方に戻した。


「………どれくらいの間出掛けるつもりなのかな?」

「そうですね。夜のお出かけですから、睡眠時間に響かないように、三時間程度にします。それくらいなら、許してくれますか?勿論、困ったことがあればディノをすぐに呼びます」

「………三時間」

「むぅ、私のご褒美はあまり魅力的ではないようなので、他のものにしましょうか?」

「………ご褒美でいいよ」

「では、お出かけを許してくれますか?」

「今夜の様子を見てみて、君が危なくないようであればね」


手を握られて顔を覗き込まれてしまった魔物が陥落したので、ネアは胸を張ってアルテアの方を振り返る。


「おい、その得意げな顔はせめて隠せ」

「うちの魔物は、三日目にしてお留守番を覚えようとしています。とても偉いので、あとでたくさん撫でるしかありません」

「と言うか、本人が駄目なら、ゼノーシュより俺を連れてけばいいだろ。なぁ?」

「アルテアは禁止だね」

「おい、私情を挟みすぎだろうが」


確かに護衛としての頑強さではアルテアの方が頼りになるので、ディノは一瞬迷ったようだが、すぐさま却下した。

幸いにも記憶を失ってくれているお陰で、今のディノは、ネアがどれだけの事故率を誇るのか知らないのだ。

アルテアが半眼でこちらを見ていたが、さっとフォークを構えて脅しておいた。



ネアにはその収穫がとても必要であるし、その為にはある適度の時間を稼ぐ必要があるのだ。



(最初は、アクス商会で買えばいいと簡単に考えていたけれど……)


ディノの仕事に付き添いながら研究をしてみたところ、その種の祝福や薬効は、それを望む本人の手で手にする必要がある。

だからこそ、かつてヒルドは自分で収穫に行ったのだなと改めて理解した。



「ディノ、それと今夜の狩りが終わったら打ち上げをして一緒にお酒を飲みましょう。人間社会では、親交を深める際にはそう言う形で一緒にお酒を飲むのです」

「うん、いいよ。君が酔う姿も見てみたいね」

「…………これは善意からの忠告だが、こいつに巨人の酒だけは飲ませるなよ?」

「ネアは、それが苦手なのかい?」

「暴れるからな」

「語弊があります!酔っ払うと、悪いことをした相手に反撃するようになるだけではないですか。現に、悪さをしていないゼノーシュやグラストさんは生還しています!」

「生還しなきゃいけない前提からおかしいぞ……………何か来たな」

「む…………?」

「何か来たね。………凝りのものかな」

「凝りめが近くにいるのですか?!」



会話の途中で、アルテアがふと鋭い目をした。

同じ方向を見たディノも、微笑みの温度をぐっと下げる。

ネアもそちらの窓の方を見てみたが、不穏な気配があることもなく、禁足地の森は平穏なままであった。


「シルハーン、あちら側の意識調整を怠っただろ?」

「怠ったつもりはないけれどね。この森は、私が知っている頃よりも随分と魔術的な密度を上げたようだ」

「お前がここに住むようになって半年は経っているからな。嫌でも上がるさ」

「やれやれ、それを加味していなかったか。それにしても凝りが出るなんて、悪夢の時にきちんと掃除はしたのかい?」

「あのな、それはお前の仕事だ」

「おや、君は統括なのだろう?であれば、悪夢の事後処理は君の領域でもあるだろうに」

「お前の庭まで掃除はしないぞ。………因みに、今回の凝りはこいつの苦手分野だ。無闇に潰さないで、きちんと掃除しとけよ」

「……そうか、ネアは蜘蛛が苦手だったね」

「くも…………?!」


またしてもの蜘蛛の凝りに、ネアはぎりぎりと眉間の皺を深くした。

魔物の袖を引いて、一刻も早く駆除するように無言で訴える。


「ディノ、目視出来るところまで来られたら私は倒れます。早急にくしゃりとやって下さい」

「わかった。凝りは千切れると増えるから、目視しないと厄介だからね、すぐに排除してくるから、ここで大人しくしておいで。くれぐれも、この椅子から動いてはいけないよ?」

「む、この椅子に仕掛けをしたのですか?」

「アルテアが悪さをしないように、君の椅子に状態保全をかけておいた。困ったことがあれば、すぐに私を呼ぶように。……本当は、君に親身であるなら、アルテアが駆除に行くべきなのだけどね」

「よく言う。自分の庭で魔術を行使されたくないんだろうが」

「確かに、凝りの駆除程のものを動かされると、他の仕掛けの目を眩ませられる。厄介な時に来たものだ」

「安心しろ。ここで子守をしていてやる」

「子守…………」

「お前だって、蜘蛛が出てる中で置き去りは嫌だろうが」

「くっ、アルテアさんに子守を許可します!」


不本意ながらにきりりと頷いたネアの頭をふわりと撫でて、ディノはもう一度言い含めた。


「ネア、この椅子から離れてはいけないよ。いいね?」

「はい。安全なところで待っていますね。ところで、可動域はこの椅子だけなのでしょうか?軽く腰を上げるくらいは大丈夫ですか?ケーキをお代わりするかもしれません」

「うん、この椅子だけだ。腰を上げても、椅子の位置から離れなければ問題ないよ。……アルテア、私を不愉快にしないようにね」

「わかったわかった。そろそろ行かないと、近付いて来てるぞ?」

「ディノ、事は一刻を争います!」

「うん。すぐに掃除してくるからね」



そう言うなり姿を消したディノを見送って、ネアはふすんと鼻を鳴らした。

やはり一人で厄介なものに向かわせるのは心が痛むし、戻って来なかったらどうしようという不安がある。


「………で、俺に何をして欲しいんだ?」

「むぅ、とても悪い顔をしているので、アルテアさんを相棒に選んだことを後悔しかけています」

「相互間守護から呼びかけておいて、今更迷ってる場合か。すぐに帰ってくるぞ?」

「……明日の夜、ディノをお留守番にして夜雲雀を狩りに行くときに、一緒に来てくれますか?ディノが夜雲雀集めを邪魔しようと思うかどうかを確認したいので、それに気付いてくれる方が必要なのです」


ネアがそう言えば、アルテアは微かに呆気に取られたような目をした。

しかし驚きを表情に出したのはほんの一瞬で、ゆったりと微笑みを深めた美貌は、まさに人を惑わせる悪しきものそのものの美しさである。


「ほお、随分とシルハーンを警戒しているんだな」

「私の推理では、戻り時の妖精さんの毒を無効化しない、或いは戻された心の時間を止めたままでいるのは、どうやらディノ自身のようなのです」

「………だろうな。理由はわからんが、理の呪いのようなものが絡んでない以上、万象を持続して損なえる可能性があるのはあいつ自身しかない」


ネアは少しだけ目を伏せた。

やはり、アルテアも気付いていたようだ。


ディノの様子を見ている限り、そうされている理由は決してネアを損なうようなものではないのだろう。

ちょっとした気紛れや、或いは記憶を失ってみて何かそうせざるを得ない理由があったのかもしれない。

しかし、こんな風に放り出されたネアは、やはり胸が痛む。


「…………おい、泣くなよ?」

「むぐ、泣いていません。目がしぱしぱしただけです!」

「明日だな、わかった。適当に追いかけてやるから、安心してろ。それとお前、寿命は大丈夫なんだろうな?」

「………寿命?」

「安易に今のあいつに仕事を頼むなよ?歌乞いの契約の魔物として、今のあいつが、お前の寿命を削らないとは限らないだろ。………あえて、記憶を戻さない理由は必ずある筈だ。あれでも、微笑みながら気に入っていた筈のものを壊せるくらいには気紛れな魔物だからな。用心しろよ?」

「……………そう、……ですね。気を付けます」


また目の奥がしぱしぱしてきたネアは、気持ちを切り替える為に深呼吸した。

正面に座ったアルテアが手を伸ばして、また無造作に頭を撫でる。


「ったく。次から次へとろくでもない事件に巻き込まれやがって」

「……………アルテアさん」

「ん?」


こちらを見たのは、これもまた特等の魔物だ。

気紛れに天秤を揺らすディノ以上に、人間にとっては災厄に等しい悪意でじゃれかかってくるもの。

それなのに、命を奪う宣言をされ、雪食い鳥の巣に落とされたあの頃から、随分と近くまで歩み寄ってしまった。

暫定であれ鎖をかけてしまい、手を伸ばせば指先が届きそうなこの距離に、ネアは少しだけ迷う。

魔術の契約は、とても真摯な約束事だ。

生まれ育った世界の契約とはまるで違う、たった一言で身を滅ぼしかねない厄介なもの。



(…………それでも、その危うさがわかってはいても、人間は狡賢く保険をかける)



「アルテアさんは、………その、私を助けてくれますか?ええと、有体に言えば力を貸して欲しいのです!」


迷いの滲んだ無防備な要求に、目の前の魔物がひっそりと嗤う。

その愉快そうな目の色に、凄艶なまでの艶やかさに、この魔物は今までどれだけの人間を破滅させてきたのだろうと、そんなことを考えた。

けれども一方で、ディノが記憶を失ったと伝えた日に抱き締めてくれたことや、ネアが夜雲雀を狩ると言い出した瞬間に見せた痛まし気な眼差しも思い出す。



「ああ。言っただろ、俺は現状、お前の魔物なんだからな。幾らでも力を貸してやるし、きちんと助けてやる」

「約束してくれます?」

「疑い深い奴だな。ああ、約束してやる。このままだと、俺も落ち着かないからな」

「…………言質を取ったので、明日は安心していられます」


ほうっと肩の力を抜いたネアに、アルテアは微笑みを一段と深くする。


(ほら、………)


多分ここからが、彼らしい罠の仕掛け時だ。


「その代り、契約の魔物だからな。仕事を終えたら、俺も対価を貰うぞ?」

「それはまさか、命だったりすると上限があるので困るのですが」

「安心しろ、減らないものにしてやる。それどころか、破格の待遇だ。お前をこのまま野放しにしておくと不安しかないからな、守護を上乗せさせろ」

「………野放し」

「言葉の契約だけだと隙があるからな、何か品物にして渡してやる。そのヒルドの靴紐も愛用してるだろ」

「むぅ。いいものを貰えるのであれば吝かではないので、お仕事が無事に終わったら、受け取って差し上げます」

「よし、決まりだな。………ん?機密通信用のカードか?」


ネアが差し出したものに、アルテアが眉を持ち上げた。

今日は手袋をしていない指先で受け取ってくれる。


「はい。アルテアさんとの間には相互間守護なる謎めいたものがあって、私の呼びかけは届きますが、返答を貰えた方が嬉しいです。これが便利なので、念の為に持っておいて下さい。何かあったらここにお手紙を書きますね」

「…………中堅都市の、年度予算並みの金額だろ。よくも買う気になったな」

「なぬ?!………狩りで捕まえた獲物と交換したら、アクス商会で四セット買えましたよ?」

「…………お前は何を捕まえたんだ」


呆れた顔をしたアルテアが、指先で受け取ったカードをふわりと消し、視線を素早く動かしてディノの帰還を教えてくれた。

どうにかして時間稼ぎをして欲しいと伝えておいた以上、今回の凝りの発生はアルテアの仕組んだものなので、滅ぼされてしまうとわかるようになっているのだろう。



「……………む?」


その直後、アルテアはなぜかネアのお皿に乗っている、ふた切れ目のフルーツタルトに手を伸ばした。

敵襲なので、ネアはフォークを振り下ろして追い払う。

しかし懲りないのか、ふっと笑う気配がしてもう一度攻めてこられた。


「アルテアさん、もしや自殺願望があるのですか?」

「念の為に言うが、作ったのは俺だからな?」

「一度権利の譲渡が行われた以上、これは私の領土ですので、死守せねばなりません」


伸ばされる手と、その不埒な手を撃破せんとするフォークでの応戦で三往復ぐらいしたところで、背後から不審そうに声をかけられた。


「ネア…………?」

「ディノ、お帰りなさい!凝りめを退治してくれて、有難うございました。怪我をしませんでしたか?」

「怪我はしてないよ。………アルテアと遊んでいたのかい?」

「いいえ!これは敵襲を退けて、己の領土を守っているのです。アルテアさんが、私のフルーツタルトに手を出そうなどという、万死に値する行為をしかけてきます!」

「そうなんだね、叱っておこう」

「いや、何度も言うが、作ったのは俺だからな」


どうやらアルテアは、ディノの帰宅時にネアが不自然にならないように上手く誤魔化してくれたらしい。

しかし、結局のところフルーツタルトを一切れ押収されてしまったので、ネアは復讐を心に誓った。

食べ物の恨みは、とても強いのだ。










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