とある騎士の苦悩
騎士となりリーエンベルクに詰めて、二ヶ月が経とうとしていた。
この離宮には現在、二人の歌乞いが常駐している。
国の要となる歌乞いと、僕達騎士にとっては馴染みの深い、ウィーム筆頭騎士のグラスト様だ。
ここ、北の離宮は特別な場所である。
元々はウィーム王族の住まいであったが、現在の王都はヴェルリアにある王都の宮殿なので、こちらは、領主館やリーエンベルクと呼ぶのが相応しい。
けれども、この北の離宮を拠点とされたエーダリア様は、北の王族の系譜なので、ウィームの出身者は、密かにここを北の離宮や王宮と呼んでいた。
それなのに、敷地内にある翼の形をした別棟を、西棟や騎士棟、離宮と呼ぶのだから紛らわしい。
現在では僕達も上に合わせて呼び名を統一し、ここをリーエンベルクと呼び、別棟をリーエンベルク離宮と呼ぶようにしている。
ヴェルクレア四領の内、西や東の王宮は離宮扱いで問題ないのに、最高位の魔術師を輩出した北の血は今も尚、密やかなる権威を維持しているようだ。
離宮と呼ぶだけで角が立つのだから、エーダリア様の王都での扱いなど、推して知るべしと言えよう。
以前は第二王子様を跡継ぎにという声も多くあったが、あの方が塔に収まるとその声も消えた。
王位より遥かに得体の知れない力の在り方に、あの方の支持者たちも溜飲を下げたらしい。
ここで、リーエンベルクの不文律をお知らせしよう。
まず、何よりも、国の歌乞いであるネア様には、決して近付いてはいけない。
もしお困りの現場に遭遇した場合には、遠くからお声がけして契約の魔物を呼ぶように、提案して差し上げる。
グラスト様以下、魔物に見慣れた僕達ですら、見たことのない白い魔物を、ネア様は所有している。
これもまた異例のことに、妙齢の女性に、お相手として相応しい姿の異性の魔物が付くことは珍しく、僕達は日々心が休まらない。
魔物の力は分かりやすいものだ。
事象として振るう魔術は、男性型の魔物に多い。
逆に、癒しや育成などの魔術を持つのは、女性型の魔物だ。
結果として、最も潤沢な力を有する若い男の姿をした魔物というものは、滅多に歌乞いに連れ合うことのない高階位となることが多い。
魅了する力の天秤が、歌乞い側に傾くことがないからだと、そう言われていた。
だからこそ、グラスト様は稀有な存在として重用された。
騎士団から離れ、護衛官として立たれたのも、あの方が青年姿の魔物と契約しているからである。
最初は、国王以下第一王子に付くことも取り沙汰されたが、魔物は決して御し易いものではない。
あの魔物は、国王とも第一王子とも、一言も口をきこうとはせず、実質的に国政を担う第一王子が、エーダリア様の手元に下げ渡した。
高位の魔物には爵位がある。
爵位ある魔物に望まないことを強いるということは、その魔物に仕える、他の魔物の報復を受ける可能性があるからだ。
そして、グラスト様が元々仕えていたエーダリア様の下に落ち着くと、あの魔物も穏やかに従ったという。
それ以来、騎士達の間ではあの魔物は英雄だった。
奥様に続き、お嬢様を亡くされたグラスト様が、息子のようにエーダリア様を大事にされているのは有名な話だ。
グラスト様を、エーダリア様から引き離すなんてとんでもない。
王都の方が恵まれた待遇を得られたかもしれないのに、あの魔物はそれを理解してくれていたのだ。
ところが最近、とんでもないことが起こった。
なんと、そのグラスト様の魔物が、成長し姿を変えてしまったのだ。
グラスト様より直々に説明をいただいた僕達は、困惑の眼差しでグラスト様の袖を掴んでいる、白混じりの髪の少年を見つめる。
魔物の姿を最盛期に示すのは、青年から、中年期手前までの、成熟した男性の姿だった筈だ。
それなのに、縮んでしまわれた。
だがしかし、白持ちになられていたのである。
「きっとさ、白持ちに進化した際に、魔術をそちらに振り分けてしまったんだよ」
同僚のフレイがそう推理し、僕達はさもありなんと頷く。
同じように戦後生まれの両親を持つフレイは、伯爵家の三男なので、僕達よりも魔術への傾倒が深いのだ。
以前、なぜ王都での近衞騎士を目指さないのかと問うと、そこには兄と従兄弟がいて嫌だったと教えてくれた。
他家の事情も色々と複雑なものだ。
そして今、僕達が最も頭を悩ませている問題がある。
ゼノーシュ様が、日に日に、危険な技術を増やしておいでなのだ。
「今日さ、グラスト様の腰のベルトに掴まりながら歩いてたんだぜ」
「この前なんてさ、俺が休憩時に食べようとした焼き菓子を、窓からじっと見ているんだ」
「俺、飴をあげたら、“いいの?”って首を傾げられたんだぜ?夜勤明けには辛いだろ?」
即ち、最近のゼノーシュ様は可愛らし過ぎるのだ。
勿論、この王宮には僕達騎士に甘やかな感情を呼び起こす、適齢期の少女がいる。
しかし、彼女には決して近付いてはいけない。
そうなると、必然的に僕達の興味は、弟のように可愛らしいゼノーシュ様に向く。
何しろ、おやつをあげれば懐くかもしれないのだ。
子供を持たない若い騎士でも悶絶するくらいに、その動作は可愛い。
全員の癒しであった。
「でもさ、あんなに可愛くて、街に出て大丈夫かな?」
「ゼノーシュ様は、時々街に出るからな」
「リノアールに行ったらしい」
「攫われないよな?」
僕達は、日々不安でならない。
あの可愛らしいゼノーシュ様が、不埒な輩に何かされやしないだろうか。
魔物であることは重々承知していても、おやつで釣られるということもある。
心配だ。
街歩きに付いて行きたい。
だから今日も、僕達は苦悩に地団駄を踏むのだ。
「おい!また外出されるぞ?」
「くそっ!今日は、移動販売の揚げパンの販売日だ!!」
「どうして事前に準備しておかなかった!」
先週は気の回る一人が、息も絶え絶えになりながら走って先回りし、買い揃えておいた。
それなのに今週も向かうとは、実に業が深い。
「ネア様は?!ネア様は行かないのか?!」
「ネア様は、ノンヌやトゥルデルニークの日でないと動かないんだ!!」
「どうして転移してくれない?!どうして歩いて行こうとするんだ?!」
「誰かグラスト様を呼んでこい!」
北の宮殿の騎士達には連帯感がある。
それは尊敬出来る上司と、畏怖するべき護衛対象。そして守るべきものがいるからである。
ここはとても良い職場だった。
僕達は今日も幸せに、少々の苦悩を抱え、クッキーモンスターという可愛らしい魔物を愛でている。