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118. 嫌な事実が明らかになりました(本編)



よろよろと転移の間を出て来たネアは、付き添ってやろうかと申し出てくれたアルテアと別れて、長い廊下を一人で歩いていた。


ふと視線を向けた庭の花壇には、綺麗な春の花が溢れんばかりに咲いている。

そんな何でもないことに、胸が苦しくなってしまう。

この世界で春を過ごすのは初めてだから、ディノと一緒に楽しみたいことは沢山あったのだ。

ふと、どこかで経験のある胸の痛みだと思えば、以前ガゼットに落とされた日にもこんな風に悲しかったことを思い出した。


あの時はイブメリアが待っていてくれたけれど、今回は季節は待ってくれない。

春告げを経て街や森はどんどん新緑に色付いてゆき、ディノが一緒に見ようと話していたあの木もそう遠くない内に花をつけてしまうだろう。

そんなことを考えると、自分がどこかでこの問題は長引くのかもしれないと覚悟をしているようで嫌になる。


ふすんと鼻を鳴らして、こんなことで地味に心を損なっている自分の贅沢さに悲しくなった。



(ディノはまだここにいるし、指輪だってこのままでいいと言ってくれてるんだから……)



アルテアやゼノーシュも、今回の異常について心を傾けてくれている。

彼等の時間を削って、ネアに力を貸してくれているのだ。

なのだからネアはネアで、ここでいじけていないで、きちんと今のディノとこれからの問題を話し合うべきだ。

そう考えてあちこちを探し、ようやく戻った部屋の中でディノを見付けた。



「良かった。ここにいたのですね。ノア達とのお喋りはどうでしたか?」


ほっとして笑顔になってしまうが、いつものようにその手や三つ編みを捕まえるだけの距離には近寄れない。


長椅子に寝そべって外を見ていた魔物は、こちらを一瞥してからつまらなそうに小さく息を吐いている。

先程までは少し興味を示していたが、気紛れな魔物らしくすっかりこちらを見なくなってしまった。



(当然だわ。この魔物は、私のことを知らないのだもの)


足元が揺らぎそうになりながら、ネアは何とか当たり障りのない微笑みを貼り付けた。

こういうものは得意だった筈なのに、この半年で随分と錆びついてしまったものだ。

本当に笑えるようになると、どうやら作り笑いで使う表情筋が衰えてしまうらしい。



そのことにふと、奇妙な焦燥感を覚えた。



「特別面白いことはなかったよ。君は、どこに行っていたんだい?」

「相談役に現状を共有してきました。時々頼りになるのですが、今回は過去の己の軽率さのせいで、打つ手なしのようです」


アルテアが挙げた毒の魔物とは、間違いなく悪夢の時にディノを傷付けた仕込み杖の材料にされた魔物だろう。

材料にされてしまわず健やかでいてくれれば、とても役に立ったかもしれないので残念だ。


「…………相談役、か。今の君の周囲には、色々な者がいるんだね」

「あまり誰かと心の距離を詰めるのは得意ではないのですが、幸いにも優しい方が多くて助かっています」

「他の者達とも、契約をしているのかい?」

「あくまであなたの補填という感じではありますが、守護をいただいている方もいます。ディノも承知の上のものでしたよ?」

「…………ふうん」

「そう言えば、今夜はどのお部屋に泊まりますか?このお部屋でいいですか?」


他の契約に触れる際には、少し緊張した。

本来の契約の魔物は狭量である。

他に、四人と一匹もいると知って荒ぶってしまったら大問題だ。

つい最近まで靴紐に守護を貰っていただけのウィリアムも、悪夢の件を経て核とやらを預かってしまっている。

あれは早急に取り除いて貰うべきだったかも知れない。


「どうしようかな。ここに泊まった方がいいのかい?」

「記憶が不安定ですし、ここならみんながいますよ?知らない人になってしまった方も多いでしょうが、それでも一人ではない方がいいと思うのですが、如何でしょう?」


こちらに意見を求めてくれたことに密かに安堵しつつ、妙なところで付き合いの良い魔物に感謝する。

と言うか無気力に近いぐらいの委ねっぷりだが、他の魔物達から、以前はあまり拘りがなかったと聞いてもいる。

それに、この魔物は寂しがり屋だ。

だからネアは、さして引き止める力を込めずに気楽に提案した。

側にいるとぞわりとするくらいに見知らぬ目をするけれど、こう言っておけばリーエンベルクにいるだろうとすっかり信じ切って。



「どうだろう。………一度帰ろうかな」


けれどディノは、そう呟いて自分の三つ編みを不思議そうに摘み上げて眺めていた。

彼の感覚では、三つ編みが見慣れないものなのだろうか。

そう言えば、出会った頃は片側に寄せて一本結びにしているか、長くばさりと下ろしているばかりであった。


よいしょと立ち上がったディノに、ネアははくはくと口を動かしてから、漸く言葉を紡ぐことが出来る。



「…………帰る?」

「うん。私には自分の城があるからね」



その言葉で、ネアは息が止まりそうになる。



(……………ここから)


ここから出て行ってしまったら、それはもう、ネアの魔物のままなのだろうか。

指輪をはめたままであっても、積み上げた時間を覚えていないこの魔物が、見知らぬ人間の為にもう一度こんな不自由な場所に戻ってこようと思うだろうか。



この魔物は、何だって手に入れられるのだ。



(どんなものだって)



それなのに孤独だったのだと無防備に言うものだから、逃げてゆかないと高を括っていたのだ。

だからこそ気を緩めて、暫くの間手を離してしまった先程の時間が悔やまれた。

見知らぬものとして放棄されてしまう可能性に怯えつつも、帰る場所があると思うことはなかったので、その高慢さを見抜かれたようで、ネアは胸が潰れそうになる。



「……………お城に帰ってしまうのですか?」


そこは多分、この魔物の本来の居場所なのだろう。

呼び出されてリーエンベルクに紐付けられた魔物の王様の、本当の家。

よくわからないけれど、そこに帰られてしまったら、もう二度と取り戻せないような気がしてとても怖くなった。


「…………ネア?」

「……………あ、」


魔物が驚いた顔をするのは当然だ。

我に返れば、ネアは無意識に真珠色の三つ編みを握り締めていた。

慌てて手を離そうとして、なぜか上手くいかずにもたもたしてしまう。


「……っ、……ごめんなさい!」


何度かわたわたしてから漸く手を離せば、思案深げにこちらを見ている美しい魔物がいる。

それはよく馴染んだ魔物の眼差しではないことに、見られているだけで暴れたいような気持ちになった。


(私が、雪食い鳥の試練で記憶を失ったとき、ディノはこんな気持ちになったのかしら?)


でも。


でも、と思う。

ネアの怖さとディノの怖さはまるで違う。

一人ではどこにも行けない無力な人間と、どこにでも行ける強くて自由なディノとでは全然違うのだ。

ネアごときの力では、この魔物を捕まえておけないではないか。


そう考えると、ぞっとした。

もしこのままディノの記憶が戻らなかったら、この大切な魔物は二度とネアの元に戻ってこないのかもしれない。


(そうだ、チケット!)


ここでやっと、ネアはもう一度その存在を思い出した。

ディノに預けた筈なのだが、自分でそういうものをどこにしまうのか覚えているだろうか。

アルテアはここで使うなど勿体ないという考えのようであったが、ディノがいなくなるくらいだったら無駄遣いぐらい厭わないので、ここで使ってしまおう。


「ディノ、実は私があなたに預けている魔術のチケットがあるのです。お城に戻るなら、それを一度戻して貰いたいのですが、そういうものをどこにしまっているかわかりますか?」


慌てて言葉を重ねた人間に、目を瞠ったディノは微かに首を傾げた。

眇めた瞳の鮮やかさに酷薄な魔物らしい拒絶感がある。


「それで焦ってしまったのかい?………さあ、見当もつかないな」

「そう、…………ですか」

「それはどういうものなんだい?」


あまりにもネアが悄然とするので、価値が気になったのだろう。

その効能を教えてしまえばあえて隠されてしまう可能性もあったが、こんな刃物のような目をした魔物に隠し事をしようという気にもなれなかった。


「とある事象を、やり直せる魔術のチケットなのです」

「やり直したい出来事があるのかい?……例えば、元の世界に帰りたいとか」

「………いいえ。あなたが戻り時の妖精に刺されてしまったことを、なかったことに出来ないかなと思ったのです」


渋々そう告白したネアに、ふつりと微笑んだ魔物は目眩がする程に暗く艶やかだ。

その優しい微笑みの暗さに目が眩んで、後退して距離を空けたくなってしまった。


「おや、今の私は余程お気に召さないらしいね」


(…………怖い)


怖いのは、これがネアを傷付けられるだけの、ネアにとって特別な価値のあるものだからだ。

あの指輪を取り上げられてしまった時とも違い、今回こうして向き合っているのはネアの見知らぬ魔物。

ネアを望まなくなったかも知れない魔物ですらなく、もっと残酷な、ネアのことなど知りもしない魔物なのだ。


それならこちらも知らないという割り切った言葉を言える筈もなく、ディノの現在がどうであろうと、これはネアの大事な魔物に違いないのに。



「………そういう訳ではありません。あなたが私のことを覚えていなかったとしても、私個人の問題としてとても身勝手に、あなたは私の大事な魔物に変わりはないのです」

「今のままの私でもいいのかい?」

「記憶が戻らないなら、もはやあなたなら何でもいいと言わざるを得ません」


半ば自棄になって剥き出しの言葉を零せば、万象の魔物は少し困惑したように黙り込んだ。



「…………驚いた。君が、それでもいいからという言葉を選ぶとは思わなかった」


じわりと涙が滲みそうになりつつ、ネアはふぐっと濡れた息を飲み込んで唇を噛みしめる。

まだネアについてよく知りもしないのに簡単にそう言われてしまうことが、何だか他人行儀で惨めなことのような気がしたのだ。


「でも、その割には私を避けていたようだけれど」

「ぐ………、ごめんなさい、気付いてしまったんですね………。私を知らないあなたを見ているのが怖くなったので、つい自分の為だけに逃げていました。視野が狭くて、あなたがうんざりしてお城に帰ってしまうとは考えてもいなかったのです」

「ふうん。………私が城に帰ると困るのかい?」

「困ります。私は我が儘なので、直面してみたらそちらの方がとても嫌でした」

「君を覚えていない私よりも?」

「私を覚えていないあなたよりも」

「それは困ったね。君は、私のことが随分とお気に入りのようだ」

「不本意ながら、そうなのです」


ネアの言葉に、魔物は眉を顰めてみせた。

今のディノの仕草や言葉は、魔物らしく凄艶であるが、微笑んでいてもどこか無表情にさえ見える不可解なものだ。


「………不本意、なのかい?」

「私は、我慢も嫌いですし、自分を損なうものは嫌いです。ですので、心を痛めるような欲はぽいっと捨ててしまいたいのですが、不本意ながら今回は手を離したくないのです……」

「と言うことは、ゆくゆくは捨ててしまえるようになるのかな?………おや」


そこでまた、ネアは魔物の三つ編みをぎゅっと握り締めた。

ディノは特に不愉快がる様子もなく、愉快そうに自分の髪を握り締めた人間を見ていた。


「具合の悪くなりそうな、“もしも”は考えたくありません。……とりあえず、お城には帰らないで下さい。……ええと、戻り時の妖精めの毒の効果がおかしいのは間違いないですし、記憶が戻るまでは身の安全の為にもここに居た方がいい筈です!それに、ここにはあなたの知らない、あなたのお気に入りがたくさんありますよ?そういうものを見てみるのも面白いと思うのです」


かなり強引なネアからの慰留を受けて、ディノは水紺の瞳を瞠った。

ややあって、唇の端に愉快そうな微笑みを浮かべる。



「………いいよ。では、この部屋に住めばいいのかな?」


あっさり受け入れられた要求に、ネアはしぱしぱと瞬きをする。

じわりと浮いていた涙の欠片が睫毛に弾かれ、慌てて目元をごしごしと擦った。


「………はい。ここにいて欲しいです。でも、私も使っているお部屋なので、少しだけ待って下さいね。私の荷物を客間に移動します」

「どうして君の荷物を移動するんだい?」

「同じお部屋に、知らない同居人がいると嫌でしょう?」

「別に君は嫌じゃないよ。でも、君が嫌なら部屋を分けようか」

「………ここに居てもいいなら、同じ部屋で見張りたいです」

「私の記憶が戻るように?」

「いえ、お城に逃げてしまわないように……」


つい本音を口にしてしまったネアは、ぱっと両手で口を覆ったが、ものすごく驚いた顔をしているのでまず間違いなく聞いてしまっただろう。

とても猟奇的な感じの宣言なので、決して本人には聞かせてはいけなかった言葉だ。


(………まずい、これは逃げられる)


ネアもこんな言葉を言われたら、怖くて全力で逃げるだろう。

何でぽろりと零してしまったのかと、ネアは頭を抱えたくなった。

もう駄目だとがくりと項垂れたネアの頭の上で、ちいさく微笑みを深める気配があった。

そっと頭の上に手を乗せられ、ネアはその温度に震えそうになる。


「大丈夫、私は逃げないよ」

「………本気で逃げる人は、ひとまずそう言っておいてから、あとでこっそり逃げるものです」

「おや、すっかり不安になってしまったのかな」

「私は、こんな猟奇的な思想の人間ではなかった筈なのに………。これはきっと、あなたから悪い影響を受けたとしか思えません!ご自身から生み出された現象なので、どうか怖がらないで下さいね」

「私に似てしまったのかい?」

「はい。あなたが常々こんな感じだったので、知らない内に思考が慣らされてしまっていました」

「それは困ったね」


また少しだけ、微笑みが深まる気配。

責任転嫁だけしてからそろりと視線を持ち上げたネアに、美貌の魔物はとんでもないことを言い出した。


「では、こう言えば安心するかい?確かに私は君の知っている私ではないけれど、私は君のことは知っているんだ。だから、さすがに逃げはしないかな」

「む。…………私のことを知っているのですか?」

「うん、知っているよ」

「初めましてと言われましたよ?あの言葉を思い出すだけでむしゃくしゃします」

「会うのは初めてだからね。でも、君のことは毎日見ていたから」

「…………毎日?」


思わず問い返す声が低くなったことに、目の前の魔物は気付いていないようだ。

首を傾げて薄く微笑み、不審そうに自分を見上げた人間を満足そうに眺める。


「そう。ここ数年はずっと。でも、織り上げなくてはいけない術式があったから、暫く目を離していたんだ。だから、今の私からすると一ヶ月ぶりかな」


「…………これはもしや、私の方が逃げるべき状況なのでしょうか?」

「それは困ったね。君もわかると思うけれど、逃げられると捕まえたくなるものだからね」


(今のディノがおおよそ二年前のディノだとして、………す、数年間?!)


ディノの心の時間がどのあたりまで戻されてしまったのか。

それは、エーダリア達が質問を重ねておおよその時期を算出してくれていた。


(…………数年間ずっとって、 具体的には………)


一拍の間が空いた。

というか、さすがのネアもこの告白を飲み込むのには少しだけ時間が必要だった。

変態との遭遇に始まり、ここ最近では行く先々に現れて監禁用のお家を買った犯罪者とも出会っているが、やはりこの手の恐怖と向き合うには、己の生存本能を宥めてやる必要がある。


「因みに、あなたが私を初めて見たのはいつなのでしょう?」

「君が、屋敷の壁を塗り直した日からかな」

「え……………」


それは、両親の復讐を終え生まれ育った屋敷に戻ってきたネアが、最初にしたことであった。


毒薬を呷ったことで体に残った後遺症のリハビリも兼ねており、そして、過去の安らかな時間への決別も兼ねていた儀式のようなもの。

無垢で幸福だった時間を塗り込めるようにして、慣れ親しんだ部屋の雰囲気をがらりと変えた。

あの頃とまったく同じままの部屋で一人ぼっちで生きてゆくには、さすがに自分の心が保たないと考えたからだ。


黙々と壁を塗りながら泣き、嗚咽を堪えて壁を塗り、全てを終える頃にはもう心はしんと澄み渡っていた。

一週間かけて作業を終えてから庭に出ると、庭の楓はすっかりと色付いて鮮やかな紅葉を迎えていた。

その葉に触れながら、この木を植えてくれた人の為に、せめて微笑んでみようと考えたあの日。


あの孤独と寄り添う静かな日々の始まりを、ディノが見ていてくれたというよりは寧ろ。



「…………そこそこ前のことなので、少しぞわりとしました」


ネアとしては、自分を見ていて気に入ったと言われても、長くてせいぜいここまでという許容出来る上限はやはりある。

ネアの人生を決定付けたあの過去について知らなかったので、そこですっかり安心してしまったのかもしれない。


「でも、君は私がお気に入りなのだろう?」

「……………お気に入りです。………それと、どうしてこのことを最初に教えてくれなかったのですか?」

「ノアベルトの背中に隠れて、怖々とこちらを見ている君が可愛かったからかな」

「え……………」

「君が、どうにかして私を捕まえようとしているのも可愛いしね」

「………もしや、だからとても素っ気ないお返事だったのでしょうか?」

「素っ気なかったかい?君が傍に来ても喜ばないようにしていたからかな」

「…………で、でも、先程は嫌になってお城に帰りたくなってしまったのですよね?」

「おや、私をノアベルトなんかに預けたまま、他の誰かに会っていたのは君だろう?君は私でなくてもいいのかなと思ったから、苛めてみたくなったんだ。とは言え、手放すつもりはなかったよ」

「い、嫌がらせだったのですね!」

「君から仕掛けたんだろう?わざと離れたのは君だろうに」


そこでわざとらしく悲しげにされると、ネアは悔しさを堪えて反論を収める。

逃げ出してしまったことは、自分でも大人気なかったと考えている。

ディノが気にしていないのならともかく、本人がそれを不快だったと認識してしまう以上は、記憶を失ったばかりの婚約者を放り出した身勝手さを反省しなければいけないのは確かだったからだ。

以前ネアが記憶を失った時、ディノはとても怖そうにしていたが傍にいてもくれた。

自分を知らないことを悲しまないネアだからといって、放り出したりはしなかったではないか。


「む……………。拗ねた魔物に意地悪をされて心がぎゅっとなったので、そこそこに怒り狂いそうですが、…………ここは寛大な心を駆使して、捕獲出来たことで良しとします」


そう折り合いをつけて、三つ編みを強めにわしわしと握り締めたネアに、魔物は嬉しそうに微笑む。


「何それ、可愛い」


両手を伸ばされて、ふわりと抱き締められる。

それだけでほっとするのは、もはや見境もなくこの魔物なら何でもいいからなのだろうか。

しかし怒りのゲージはほとんど満タンであったので、爪先をさり気なく踏んで仕返しをすると、目を瞠ってまた可愛いと呟かれた。

この辺りは、ああやはりという反応である。


(くっ、やはりこれでは報復にならない!)


美貌の男性にしたり顔で微笑まれると、じわりと頬が熱くなった。

とても悔しいので、過去はここまで容易くなかったのだぞと威嚇しておくことにする。


「こ、これでも、最初の頃はこうして拘束されると嫌で暴れていたのですよ!」

「触れられるのが嫌だったのかい?」

「見知らぬ世界で、とても綺麗だけれどまだよく知らない方に拘束されれば、やめて欲しいという感じになります」

「君は、最初の頃は私が嫌いだったんだね?」

「と言うか、少し特別過ぎて荷が重いのでどこかに戻してきたいと思う、知らない方でした」

「…………何だろう、悲しくなった」

「でも今は、記憶を失くしていても捕獲したい魔物になりましたので、逃げないで下さいね」

「うん」


そう微笑んだ魔物は、やはりいつものディノよりも美貌の質が鋭いというか、まだ野生のままの美しいケダモノという感じがした。

確かに何かは違う。

違うけれど、やはりこれはディノなのである。


(…………良かった。少し心の奥がぞわっとするけれど、これで、もし記憶が戻るまでに時間がかかっても……)


微笑んでこちらを見ているのは、ディノなのだ。

この魔物が逃げないなら、それでいいではないか。


「………やっぱり、私の大好きな魔物でした。もし記憶が戻らなくても我慢するので、ずっとここにいて下さいね。因みに、逃げようと思ってもやめておいた方が賢明です。私はこれでも、荒ぶると怖いのですよ!」


安堵のあまりネアがそう宣言した途端、魔物はぼさりと床に蹲ってしまった。


「ほわ?!…………ディノ?ディノ?!」


まだ初日なので、気に障らないように呼ぶ回数を控えていた名前を連呼してしまうくらい、魔物は小さくなってふるふるしている。

慌ててしゃがみ込んで揺さ振ると、指の隙間から恨みがましく覗き見られる。

目元がほんわりと赤くなっているのが、艶やかに白い魔物の表情を無防備に見せた。


「ディノ?」

「…………どうしよう、すごく懐いていて可愛い」



どうやら、まだ生身のネアに慣れていないディノには、刺激が強過ぎたようだ。

しかしながら、嗜好や反応というものはそうそう変わらないものであるらしい。



万が一にでも逃げようと思わないよう、ネアは蹲った魔物の頭を沢山撫でてやり、二度と意地悪出来ないようにしっかりめに殺しておくことにした。


人間はとても残酷な生き物なのである。








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