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15. 魔物を不注意で潰しかけてしまいました(本編)

奇妙な夢を見ていた。

その夢の中で風景は、いつもの回廊の先に、見知らぬ道を覗かせている。


違法併設された空間だ、とネアは得心する。


(夢だからと言って、不用意なことなどしないので)



「なぜなのだ?!」


そう考えた矢先、自分の足元がその見慣れない空間に侵食されてしまう。

自動でこちらに進んできたのか。


「……これはもう、私の責任ではないと」



下手するとディノが暴れるので、最近のネアは夢の中でも慎重である。



「お前の責任じゃなければ、俺の所為になるのか?」


「………うわ」


死角になった柱の影から、あまり聞きたくなかった声が聞こえて、ネアは頭を抱えそうになる。


柱にもたれて煙草をふかしているのは、先日誤解により狩ってしまった、白い髪の魔物だ。

今日は玉虫色の艶を持つ、濃灰色のスーツだ。真っ白な手袋と靴、シルクハットと杖は灰白。


やはり、魔物としては見慣れない美貌の種類で、見ていると落ち着かない気分になる。


温度のない雲の上の美しさではなく、

アルテアの魅力は、人間が想像しやすい生々しさだ。


「想像以上に嫌そうだな。傷付くだろう」


「傷付きませんよね。そして、これは夢だと思っていたんですが、夢ではないんですか?」


「時々、俺について思考を巡らせる者を、こうやって招待するんだよ」



白い手袋の指先が手招きをしてみせる。

遠くで悲鳴があがって、アルテアはにやりと笑った。

獣が牙を剥くようで、遥かに艶麗な口元の歪み。


「………何をしたのですか?」


「俺のことが気になって仕方がない、迷惑な人間がいてな。いささか着地が難しい床に招待しておいた」


わざとらしくウィンクされ、ネアはぞっとする。

恐らく、その人間はもう生きてはいないだろう。



「私は、あなたのことなど考えていませんよ?」


「かも知れないな。だが、思考の端が俺に関わったんだろう」


「不本意ですね。帰ってもいいでしょうか?長居すると、ディノに浮気だと不当に責められるので」


「お前みたいな奴が、シルハーンの恩寵ねぇ」

「………っ」


伸ばされた手は見えなかった。

おもむろに顎を掬い上げられて、ネアは息を呑む。


真っ直ぐに覗き込む瞳は鮮やかで、あまりにも淫靡で、背筋を奇妙な震えが這い上がった。



「お友達なのですか?」


「さぁねぇ。共に飲んだこともあるし、殺したこともある。だが、あれはあくまでも王だからな」


「………待って下さい。非常に不穏な単語を耳にしました」


ネアの強張りは吹き飛んで、代わりに自分ごとでいっぱいの、嫌な汗に取って代わる。

今、この魔物は何と言ったのだろう?


「………まさか、……あの変態な魔物は、王様なのですか?」


「お前、知らなかったのか?」


「薬の魔物として運用しております」


「………薬の?」



アルテアが呆然と呟き、無言で首を振るのを見ていた。

勿論薬の魔物でないことは知っているが、こんなにも厄介な肩書きがあるとは聞いていない。



「は!……そうです!王とは言え、きっと王族の方は他にもいますよね、沢山いらっしゃる中の、下の方でしょうか」


「現実逃避するのは勝手だが、違うからな。確かに王族相当は他にもいるが、あいつが唯一無二の統べたる王だ」


「ど、どうやって捨ててくれば?!」


「まさかここで、捨てようとするのか……」



今までの如何わしく鋭い雰囲気を放棄して、アルテアは、呆れ顔になった。

ネアの顎から指を離し、わたわたと足踏みをするその腕を掴んで拘束する。

どこか、何をするかわからない子供を、拘束しておいた大人に見える。


「だから、世間知らずのくせに我が儘っ子だったんですね。兎も角、そんな役職の魔物は、私の手に負えません!」


「お前、もしこれを理由に契約破棄するなら、あいつにどう切り出すつもりだ?」


「アルテアさんに、ディノが王様だと聞いたので、未来永劫おさらばしましょう、でしょうか」


「それ、確実に俺がとばっちり喰らうやつだからな」


「おのれ、知りたくない現実など、自分が音痴だったということだけで充分なのに!」


「………お前、歌乞いのくせに音痴なのか?」


動揺のあまり、自らの機密情報を漏らしてしまったと気付いたネアは、輝かんばかりの微笑みを纏った。

妙な威圧感に、アルテアが眉を顰める。


「今聞いたことは、記憶から消しましょう。自動消去しなければ、どうすればいいですか?その辺にあるもので力一杯殴るか、うちの魔物に記憶を消して貰うか……」


「自分の失態で、軽々しく俺を損なおうとするなって」



掴んだままの腕を嫌そうに見つめ、アルテアは大仰な溜息をつく。


「溜息を吐きたいのは私の方です。だいたい、何故にあなた方の王様は、変態なのですか?」



「………変態?」



囁き程の声には、不安と恐れが滲んでいた。


ネアは、赤紫の瞳を見上げ、躊躇もなく返答する。


「椅子になりたがり、髪の毛を引っ張って貰いたがり、叩いてくれと望み、体当たりと爪先を踏むのを喜ぶ相手に、他にどんな称号が?」



アルテアは、自由な方の片手で器用に頭を抱えてしまった。

杖を持ちながらの仕草なのに、絵になるのが憎い。


「………マジか」


「生育過程に、重大なトラウマでもあったのでしょうか?」


「それは知らんが、生まれた時からあいつは王だ。歪むなら最初から歪んでいたんだろう」


「それは、……生れながらの変態だと?」


「難易度上がったな……」



二人でしばし黙り込んでしまった。

妙な連帯感が生まれつつあるのは気の所為だろうか?



「お友達として、どうにか正しい道に誘導出来ませんか?」


「性癖は荷が重い」


「しかし、友人を失うと思えば、自分の行いを悔い改めるかもしれません」


「性癖なら無理だろ。それにしても、戯れじゃなくて本気の変態なのか?」


「魔物の願い事は、切実な欲求なんですよね?足を踏んで欲しいというのが、ディノの切実な欲求だとしたら…」


「変態だな」

「変態でしょう?」



押し黙った二人の背後で、からくり時計のオルゴールが聞こえてくる。

硝子が割れる音と、ざあっと降り過ぎてゆくにわか雨の音。


ばたばたと走る足音に、頭を抱えたままのアルテアは、ネアの腕を離して指を鳴らした。


悲鳴と怒号の、遠い叫び声。



ここは一体、どんな不穏な場所なのだろう。



「アルテアさん、今のは…」

「動くなよ。使い魔とは小賢しい」

「………え?」



変態騒動から立ち直ったのか、アルテアの視線がネアの背後に向いた。

愉快そうな微笑みで、片手を持ち上げる。


(使い魔………?)



そろりと背後を振り返り、



ネアは鳩羽色の瞳を割れんばかりに見開いた。



ずばぁぁん!と激しい音がした。


「ちょっ!待て待て待て!!!そこは壁だ!俺を押し込むな!!!!」


アルテアにタックルをかける格好で飛びつき、ネアは壁に叩きつけたアルテアを、更にぐいぐいと押し込んでゆく。


「潰れる!いや、待て、本気で潰す気なのか?!」


火事場の馬鹿力という言葉通り、緊急事態に脳の制御が外れた模様のネアは力強い。


一ミリでも遠くへ逃げるべく、ぐいぐいとアルテアを壁に押し込もうと足を掻く。

その間、顔は真っ青で無言のままだ。


「わかったぞ、蜘蛛だな?蜘蛛が嫌なんだな?!」



何とかネアの拘束から片腕を引き抜き、アルテアが素早く振るう。

問題の使い魔は消滅したのだが、それにすら気付いていなさそうなネアを見て、やれやれと肩を落とした。

視覚を封じる為か、顔はアルテアの胸に押し付けられている。



「……もういいだろ。蜘蛛はもういないぞ?」



くしゃくしゃと頭を雑に撫でられ、ネアは目をしばたいた。



「何故、私を拘束しているのですか?」


「………お前が、俺を圧殺しようとしたんだからな?」


「理由がありません」


「お前の腰丈ぐらいの、蜘蛛の使い魔を見たからじゃないか」


「知らない固有名詞ですね」


「そうか。記憶から種族ごと抹消したな」



よく分からない冷や汗をびっしょりかき、ネアはそろりとアルテアから体を離す。

甘く濃密な香りは、香水なのか彼自身の魔物の香りかわからない。


「まったく。どうして俺と壁しかない方向に向かったんだ。廊下を進めばいいだろう?」


「よくわかりませんが、失礼しました」


掴んでしまったせいか、スーツの一部が皺々になっていた。

余程の力が込められたようだが、不思議にも記憶がない。


ネアは不審そうに首を捻った。


「………解せない」

「俺の台詞を取らないでくれ」


床に落ちたシルクハットを拾い、アルテアは乱れた髪を掻き上げる。


「人間に殺されそうになったのは久し振りだ」


「なぜそこで、私を見るのですか?」


「…………兎に角、お前は今すぐ帰してやる。その代わり、シルハーンとの契約を破棄はするな」


「……お友達だから、ですか?」

「いんや、俺も流石に命が惜しい。無事に帰してやるから、約束しろよ。いいな?」

「………うーん」


「約束出来ないなら、夜の森に放り出すぞ?雨上がりの庭には蜘蛛もたくさん…」

「承知しました!」


食い気味に声を張ったネアに、アルテアはにっこりと笑った。

如何わしさのない、いいお兄さんのような微笑みで無害そうな笑み。


(でも、後ろ手で刃物を隠し持つような目の色だわ)



「いい子だ。さてと、寝台にお帰り」



白手袋の指先が、つ、とネアの額に触れる。


くるりと視界が回り、暗転の後に柔らかいものに包まれる。


「…………ディノ?」


そこはもう、見慣れた寝台の上だった。

ほっとした顔で、綺麗な魔物が笑う。


「良かった。ネア、夢に引き摺られたね」


頬に手を当てられ、その温度の心地よさに擦り寄る。

異変を察してネアの目を覚まそうとしたものか、背中に手を回されて半身が起こされている。

おかしな要求を持たないときのディノは、とても心臓に悪い。


「アルテアに、早く返せと言ったのだけれど、ネアが取り乱しているから待てと言われたんだ」


「アルテアさんのところに巻き込まれたと、ディノはすぐにわかったの?」


「他の魔物の気配がするからね」


「でも、あの方に繋がることを考えたんだろうと言われたんです。心当たりがないんですが……」


ディノの長い髪を掴んで、ほっとする。

夢とは言え、異様に消耗しているのはなぜだろう。

こうして髪の毛を掴んでいると、もうはぐれないような気持ちになった。


「仮面の魔物についての資料を、寝る前に読まされたからじゃないかな」


「………仮面の魔物?」



確かに、その資料は読まされた。


いよいよ遠征が始まるようで、この宮殿を拠点にしつつ、グリムドールの鎖を捜索することになった。


ものがものなので、その経路で仮面の魔物に遭遇する可能性も十分にある。

いざという時の対抗策を決めておくように、今までの事例と、未だ正体不明な魔物の調査資料を渡されたのだ。


使役する魔物によって、歌乞いの可動域は違う。

上が一概に指示を出すのではなく、独立型の執行官としての自主性が求められている。



「でも、私が読んだのは、仮面の魔物の資料ですよね?」



仮面の魔物は、本来の姿が一定していない。

赤毛の少年だったり、老人だったり。だかしかし、この国では白に近い灰色の髪の魔物で情報を確定させていた筈だ。


仮面という能力の優位性を生かす以前に、魔物は己の姿を擬態出来るが、最初から無い白の生成だけは出来ない。



「アルテアが、仮面の魔物だからね」


「………わぁ」



さらりと明かされた真実に、ネアは気が抜けた感想を漏らした。


(エーダリア様達は、勿論知らないのよね?)


もしかして、だからアルテアは追っ手の処理に追われていたのだろうか。


「……!!ディノ!エーダリア様や、グラストさん達は、無事にこの王宮に揃っていますか?!」


「揃ってるよ?」

「………良かった。アルテアさんに捕まってなくて」


「アルテアも、ここから刈り取りはしないだろう。私の領域だからね。ネアの場合、……この世界の理から少しはみ出すから、迷子になりやすいんだよ」


「え、それって不用心ですね……」

「滅多にないけれどね。とは言え、アルテアはあれでも第三席だから、影響が濃いんだろう。もう少し契約を深くしようかな。寝るときも、もう少し傍にいた方がいいね」


「第三席……三番目に位が高いってこと?」


「そうだよ」


「………わぁ」



ネアの驚きはもはや、平坦な程に下降した。

喜びの伴わない発見に、体力を使うほどの力が湧いてこない。


(とりあえず、明朝になったらこのことを、エーダリア様達にお伝えしないと…)



「髪の毛掴んでくれてるし、もう今夜は一緒に寝る?また迷子になったら嫌だろう?」


「………ぐ。……今夜のみの、防衛上の特殊措置とします」


「いつもでもいいけれど、そうしてネアが不眠症になっても嫌だからね」



こう見えて、ディノはぎりぎりの線引きの見極めが上手い。

ネアの生体維持に纏わる範囲では、当然のように身を引いてくれる。

バスルーム回りで付き纏うことはないし、ネアが疲れ果てているときには、まとわりつくことなく、ゆっくりと寝かせてくれる。



「ところで、何を持ってるの?」


「………はい?」



ディノの視線を辿ったネアは、左手に妙なものを握りしめていることに気付いた。

手に跡がつくくらい握り込んでいたのは、金属製のタッセルのような装飾品だ。

繊細な装飾が美しく、とても高価なものに見える。


「………どうしよう、ディノ。アルテアさんから、無意識に毟り取ってきた模様です」


「成る程ね。まぁ、いつか返せばいいよ」


「すぐに返さないと怒りません?」


「あれは物持ちだから大丈夫だよ。それに、本人が気になれば連絡が来るだろう」


「…………じゃあ、」



無意識にとは言え窃盗になる。

あまりにも外聞が悪いので、ネアは、その装飾品を寝台の隣にある棚の引き出しに隠蔽した。


「ディノ、出来ればアルテアさんに、このことをお伝えしておいて下さい。お詫びも合わせて。見付からなくて探していたら、お気の毒ですから」


「仕事?」


つまり、依頼でなければやらないようだ。


「お仕事です。願い事は、いま叶えますか?」

「ううん。また後で決める」

「わかりました」



ぱたりと枕の上に倒れ込み、ネアは夢の中で訪れた不思議な空間を思う。


(この離宮の造りに似ていたわ)


それもまた、何かの手掛かりになればいい。

そんなことを考えながら、思っていたより速やかに眠りに落ちた。



明け方に寝返りを打ってディノの髪の毛を引っ張ってしまい、無駄に喜ばせたことは不本意である。













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