灰被りとウィームの大浴場
日付が変わる頃になって、ネアはまた大浴場の夢を見た。
どうやらあの大浴場は、良い顧客を得たと言わんばかりにすぐさま駆けつけてくれるネアに報せをくれるようになったらしい。
「むぐ……………お風呂」
なのでネアは、もさっとしたまま起き上がり、半分眠ったまま隣の魔物を踏んで横断しようとして抱き止められた。
「ネア、どこに行くんだい?」
「………お風呂に入るのです。大浴場…………」
「今度にしたらどうだい?眠そうだから危ないよ」
「道中で目を覚ましまします。………あのいい匂いするお風呂………」
「可愛いね、言えてないよ」
「言えて………むす」
「それなら私が連れていってあげるから、ほら肩に手を回してごらん」
「…………ふぁい。………むぐ?!………浴室着なしでは挑みません!」
「おや残念、目が覚めてしまったね」
危うくそのままお風呂に連れていかれそうになって、ネアは目を覚ました。
少しだけ魔物らしく微笑んだディノの腕をばすばすと叩いて抗議すれば、魔物は久し振りのご褒美にうっとりとしていた。
逆効果だし、断食からのご馳走なので荒ぶりそうで怖い。
「ぱっと着替えてきます!」
慌てて逃げ出して浴室着に着替えると、その上から裏起毛の筒状ワンピース型の室内着を被り、ざっくりと編んだぶ厚い雪羊のロングカーディガンを羽織る。
さっきまで寝ていたこともあり、湯冷めしてもいけないのでしっかりめに着込んだ。
世間はすっかり春めいてくる季節でもあるが、ウィームは冬の系譜が強い為、まだまだ春の気配は遠い。
「用意が出来ました」
「うん。では行こうか。もう目も覚めたみたいだから、転移でゆくかい?」
「お願いします」
ふわりと踏み出したのは、大浴場のある素晴らしい空間だった。
相変わらず、ウィーム最盛期に作られたここは、見事なまでに豪奢である。
そこでネアは、建築様式繋がりから大切なことを思い出した。
「ディノ、もしノアが起きていたら、声をかけてあげて下さい。来たがっていたのです」
「………どうしようかな」
「なぜ悩むのだ」
「だって、君は浴室着だしね」
「これは水着と変わりません。悩まなくて大丈夫ですよ?」
「水着は絶対に嫌だな」
「よけいに頑なになった!」
ディノは少し嫌そうにしていたが、薔薇の祝祭の花束の数を思い出したネアから、ノアにはお相手がいるから問題ないと言われ渋々了承してくれた。
そのお相手としてディノが誰を認識しているのか、ネアは疑問に思う。
ネアとしては、やはりヒルドは家族候補ではないかと思うのだが、家族的にべったりという感覚がいまいちわからない魔物は、恋だと勘違いしているような気がする。
「…………わぁ、これはいいね」
そしてそんな真夜中のお風呂の会に呼ばれたノアは、ご機嫌で現れた。
ディノの食事の分け合いの儀式と同じように、こちらの魔物も仲間に入れて貰えるのが大好きなのだ。
白いシャツにぼさぼさの髪で現れたノアは、適当に持ってきたらしい紐で器用に髪を結びながらネアを振り返る。
「それと、僕は浴室着は着ない主義だから!」
「ノアは退場して下さい」
「なんでさ!入浴方法は個人の自由だよ」
「他人様に迷惑をかけてはいけません。退場もしくは、お風呂の反対側の視界に入らないところで入浴下さい」
「えー、僕はこっち側の装飾の方が好きだな」
「面倒臭い魔物め!」
かくしてネアとディノが大きな浴槽の奥に浸かり、ノアが手前に入ることになった。
中央のお湯を汲み上げる噴水のような彫刻で上手く隠れたが、とても悔しいことに鼻歌を歌ってご機嫌の塩の魔物は、鼻歌とは言えかなりの歌唱力を披露してくる。
持たざる者への虐待の罪として、今度耳の下の毛玉を梳かし尽くしてやろう。
魔物が歌うことはあまりないそうだが、今回は勝手に歌うだけなので特に問題はないらしい。
となると、問題になるような歌というものも存在するのだろうか。
「ディノ、随分と静かですね。もしかして、眠たかったですか?」
暫く静かにしていた魔物に、ネアは首を傾げた。
この魔物も寝ていた筈なので、無理をして付いてきてくれたのかと心配になってしまったのだ。
「浴室着を着ないのも自由なのかな?」
「………そこは悩まないで下さいね。ノアの派閥に入るのであれば、今後ご主人様と一緒に入浴は出来ませんし、公共の入浴施設では捕まります」
「昼間のときみたいに…」
「ディノ、謹慎にされたくなかったら、その出来事を不用意に他者がいる場で口にしてはいけません」
「ご主人様…………」
叱られた魔物は悲しげにぺそりと項垂れたが、ご主人様が寝惚けている内に大浴場に連れて行こうとした狡猾な姿を見ているので、ここで騙されてはいけない。
「婚約者なのだから、もう少しこっちにおいで」
「お湯の中で膝裏を伸ばしているのです。不安定な体勢なので近寄れません!」
前提がよくわからないが、またしてもご主人様に邪険にされた魔物がしょんぼりしたので、片足ずつ両足の膝裏を伸ばしたところで、ネアはディノの隣にぐっと寄って座ってやった。
肌がしっかり触れるが、水泳教室ではもっと密着するので今更気負うこともない。
と言うか、自室の浴室に侵入された以上、このくらいのご褒美はなんとも思わない。
「…………ディノ?」
しかし、あろうことか魔物はぴゃっと逃げ出していった。
目元を染めてばしゃばしゃと遠ざかったので、本気で照れたようだが、ネアは顔を顰めるしかない。
「水着の方が露出度は高い筈なのに、解せぬ………」
自損事故のような気持ちにさせられたので、追いかけていって捕まえようかとも思ったが、向こう側には浴室着を着ない主義のノアがいるので諦める。
この隙にのびのびとお湯に浸かる贅沢を味わっておこう。
(………気持ちいい!この香りの湯気の中にいるだけで、なんて贅沢な気持ちになるんだろう)
紅茶色のお湯に、ふんだんに活けられた百合と、お湯そのものの薔薇とオレンジの芳しくも清々しい香り。
見上げた天井のシャンデリアの美しさに、天窓から見えるのは、どの時代のものかわからない皓皓たる満月の光。
汲み上げられ流れるお湯の音に、心の皺まで伸びてゆく気がする。
この、のぼせずにゆっくりと浸かれるお湯の温度も堪らない。
ざぶりと一定間隔で吹き上げる湯気に包まれて、お湯の香りがまた豊かになる。
湯気を吐くのは竜の彫刻なのが、どこかコミカルで可愛らしいではないか。
ふあっと大きく伸びをしたネアは、小さく溜息を吐くとふとどき者の接近に眉を上げた。
「ノア、接近禁止ですよ!」
湯気の向こう側に白っぽい髪の毛のシルエットを見つけて、ネアはすかさず取り締まる。
長い髪ではないのでノアだろう。
油断も隙もないとはこういうことだ。
「…………ノア?」
ふっと、湯気のヴェールが晴れた。
そこに居たのは、ノアにはちっとも似ていない一人の男性だった。
驚き過ぎると人間は大人しく置物になってしまうのか、目を瞠ったまま無言で固まったネアに、その男性は微かに目を細める。
(……………し、知らない人がお風呂にいる)
自分の領域だと油断していた場所に不審者がいると、ここまで驚くのだなと心のどこかで冷静に分析しながら、ネアは遭遇してしまった見知らぬ男性の瞳を見返した。
美しい男性だ。
この大浴場の淡く橙がかった明かりの下では断言は出来ないが、淡い灰白の髪は透明感があり艶やかだ。
そして何よりも、夢見るようなとでも表現したいくらいに瑞々しい煌めきのある銀灰色の瞳は、星空のようにキラキラと輝き、見ているだけで吸い込まれそうな程。
単に造形だけであれば見知った魔物達の方が美しいだろうが、何というか、この男性はとても魅力的な容姿なのである。
表現が難しいが、単純に美女を美しいと評するのではなく、その表情や纏う気配の美しさで魅せられてしまう美しさ、そんな感じがした。
「リーエンベルクに、この年頃の姫がいただろうか……」
独り言のように呟く声は硬質で生真面目だ。
あまりにも詩的な容貌とのギャップで、また驚いてしまう。
(……………姫?)
そこでネアは、彼が呟いた言葉に眉を顰める。
よく考えれば大浴場に他のお客がいても不思議はないのだが、ここにいるくらいならば、リーエンベルクには姫などいないことは知っている筈なのにどういうことだろう?
(それに、お客様が来るような話も聞いていないような……)
困り果ててしまったが視線が合ったままなので、ネアは自分に出来る範囲の言葉で対話を図ってみようとした。
その時。
「ネア、僕のこと呼んだ?」
「…………っ?!召喚しておりません!警戒水域に達していますよ!」
「でも、名前を呼んだよね。………ありゃ?」
「どうしました?……ノア?」
「……………シル!」
最初の勘違いで呼ばれた名前を聞きつけてやってきたノアに、ネアは慌てて目を逸らす。
しかし彼は、こちらに来てネアが見付けた男性に気付くなり、驚いたような声を上げてディノを呼んだ。
「ノア……ベルトか?」
男性の方も驚いたのか、体を揺らしてこちらを見ている。
ノアはなぜか、少し緊張したような面持ちでネアの横まで来ると、さっとその手を握った。
今のノアに近付くのは不本意だが、ネアはただならぬ様子に大人しくその手を明け渡す。
「ネア、ごめんね、反対側から逃げられたんだ」
そこに浴室着を着ていないノアを、こちらに取り逃がした魔物がやって来た。
手を繋いだネアとノアに、その向かいでお湯に浸かっている男性の姿を認めると一瞬ぴたりと止まり、水紺の瞳をぱっと大きく瞠る。
「…………グレアム?」
呆然とした小さな声で呼ばれた名前に、ネアは魔物達が知り合いなのだとわかった。
こんな風に驚いたディノを見るのは初めてだ。
「我が君?!」
「むぎゃ?!」
しかし、ぎょっとしたように灰白の髪の男性がお湯の中から立ち上がってしまい、ネアは悲鳴を上げて体を反転させた。
こちらの男性も浴室着はなしだ。
ノアの手を振りほどいて脱出したネアを、手を伸ばしてディノが慌てて捕まえてくれる。
「ネア、こっちにおいで。……グレアム、元の体勢に戻ってくれるかな」
回収されて視界を遮って貰うと、魔物の腕の中でネアは小さく呻いた。
「視覚的に大災害です…………」
「ごめん、びっくりしたよね」
「ネア、大丈夫?」
「ノアも、ちょっぴり犯人ですからね!」
魔物の腕の中に保護されて背中を向けたことでやっと落ち着いたネアに、背後から困惑したような声が聞こえた。
「我が君…………、その方は?」
「私の婚約者だよ」
「………………婚約者?」
「そう。だから、あまり怖がらせないでやってくれるかい」
「し、失礼しました!」
背後でばしゃばしゃと音がするので、謝罪してくれているのかもしれない。
しかし振り返れないネアは、そもそもその言葉がディノに向けられたのか、自分に向けられたのかどうかの判別すらつけられずにいた。
そろりと魔物を見上げると、ディノは微笑んで首を振ってくれた。
なのでまたその肩に顔を埋めて厳戒体勢に戻る。
図らずも大接近だが、誰かに管理してもらわないとまた事故ってしまう。
ここで指示を出して貰おう。
こぽこぽとお湯が音を立て、天窓の満月は雲に隠れたようだ。
ぼんやりとしたシャンデリアの光が水面に揺れて、その光を湯気が鈍く広げてゆく。
霧の夜のような不思議な密やかさと背徳感に、ネアは頬が熱くなる。
目をやってもいい方向が少なくて辛くなってきた。
「いや、気にしなくていい。どうやら、違う時間軸に交差したようだ」
「…………時間軸の交差。ということは、そちらは……」
「随分と先だ。ウィームという名の土地ではあるが、もうここは違う名前の国だからね」
「そう………なのですね。…………しかし、驚きました。あなたが、………ご婚約されるとは」
グレアムという名前の男性の声が柔らかくなる。
(あ、………この人は、ディノのことが好きなんだわ)
それは、ヒルドがエーダリアに時折向ける声音に似ていた。
或いは、ドリーがヴェンツェルの名前を呼ぶ声に。
主人として、けれども守るべきものとして向けられる穏やかな愛情にも似たもの。
「そうだね、………今の私を知ったら、君は驚くだろう。…………さぁ、あまり時間軸を荒らしてもいけないから、もうそちらにお戻り」
言葉の間の僅かな沈黙に、微笑む気配があった。
多くを語らなくても理解し合える仲なのだとわかって、ネアは何だか嬉しくなる。
こんな風に側にいてくれた人がいるのなら、ディノも決して寂しいだけではなかったと思える。
それがとても嬉しかったのだ。
「そうですね。場を整えた方が良いかもしれませんね」
「グレアム、…………ここで君に会えたのは、嬉しい驚きだったよ」
微かな躊躇の後に告げられた言葉に、小さく息を飲む音がした。
気配が更に柔らかくなったので、男が微笑んだのだろうとネアにもわかる。
(多くは語らないのだわ)
それは多分、時間の流れを正常に保つために。
もしくは、そんなことをせずとも充分だから。
(後者かもしれない。私だって、ダリルさんの迷路で違う時代に落ちて散々動いてしまったくらいだし、少しのお喋りぐらいで何かが変わったりはしないような気がするから……)
「…………ノアベルト、くれぐれもあのような真似を繰り返すなよ?」
しかし最後に、男性からノアに向けられた声は、ぐっと低くなった。
こちらもこちらで、過去に何かあったらしい。
「大丈夫だよ。僕も成長したし、この子は僕にとっても大事な子だからね。シルとも、ちゃんと友達になったし」
「…………だといいのだが」
「あはは。大丈夫だって」
(とても疑わしそうだけど、ノアは何をしでかしたのかしら……)
「では、そろそろ閉じるよ」
「我が君、また」
「うん。…………そうだね」
そう答えたディノの声の響きで、ネアはその魔物がもうこの世にはいないことを知った。
最後なので大丈夫だろうかとそちらを向けば、湯気の向こうで銀灰色の目を細めて微笑んだ魔物が見えた。
ちらりとネアの方を見てから一礼したので、ネアはとっさに任せろというジェスチャーで男前に頷いてしまう。
そうしてまたふわりと湯気が流れてゆけば、そこにはもう灰白の髪の男性の姿はなかった。
こういう特別な場所が見せた一時の幻のように、出会ったことさえ夢だったかのよう。
「……………ディノ、もしかしてあの方は、以前話してくれたお友達ですか?」
「うん、そうだよ。こんなところで会うとは思わなかった。いつの時代だかわからないけれど、彼もウィームに滞在していた時期があったからね」
「星空のような目をした、とても素敵な方でしたね!」
「グレアムは犠牲を司る魔物だった。今は、…………新代の者がいるようだけれど」
「……………あの方が」
「こういう場所では、時々不思議なことが起こるんだ。グレアムから君について話されたりしたことはなかったから、彼はここで私達に会ったことを覚えていないのかもしれないね」
「………そんな。せっかくお会い出来たのに、寂しいですね」
「よくあることなんだ」
犠牲を司る魔物ならば、ネアも知っている。
灰被りの魔物とされ、狂乱の末に多くの魔物を殺し、アルテアが滅ぼした魔物だ。
彼がディノの友人だったのかと思えば、ネアは胸が痛くなった。
さっきだって、今までにないような言葉をかけたのだ。
きっと、失ってから知ったと言えど、大切なひとだったのだろう。
それはきっと、ネアが悪夢の中で在りし日の幸せな家族を見たように、嬉しいけれど切なくもある再会だったとしたら。
それとも、魔物はそんな風に感傷的になったりはしないのだろうか。
いつものように微笑んでこちらを見た魔物に、ネアは胸が苦しくなる。
「…………ディノ、私がずっと傍にいるので安心して下さいね」
肩に手を置いて少し体を離してからそう言ってやれば、魔物は綺麗な瞳を丸くした。
「……………ネア?」
「さっきの方はもういなくなってしまったのかも知れませんが、その代わりに私が………ディノ?!」
ぼしゃんと、魔物がお湯に沈んだ。
というより、保護されたままのネアは沈んでいないので、荒ぶって水に隠れてしまったらしい。
びしゃびしゃになってから、少しだけお湯から顔を出し、何やら恨めしそうな顔でネアを見る。
「わーお、目の前で知り合いが求婚してるの初めて見た」
「ノア、これは求婚ではありませんよ?」
「永続性を誓っておいて、求婚じゃないの?人間はおかしな生き物だなぁ」
「………それは、永続性のある他の関係性も存在するからですね」
「でも、シルはそうだと思ったから沈んだんじゃないのかな」
「心配なので、そろそろ口呼吸して欲しいです………」
その言葉が聞こえたのか、ちゃぽんと浮上した魔物は、目元を染めて視線を彷徨わせがちだ。
ネアとしてはまた水没するなら離れていたいので、そろそろ解放して貰いたい。
「……………ご主人様が大胆だ……」
「ディノ、お傍に居るという行動認識としては間違っていませんが、求婚という形式の言葉ではありませんよ?」
「ひどい………」
「それと、私だけでなくノアもいますし、これからのディノの周りはずっと賑やかだと思います」
「……………賑やか」
「はい。なので、グラストさんとゼノが異動しないよう、裏工作しておきたいですね」
突然に悪い話になってしまったので、魔物は困惑したように瞬きする。
長い睫が滴を弾いて、きらきらとシャンデリアの光を映した。
「さっきの方はきっと、お話の感じから推察するに、ディノの身を案じてくれるようなお友達だったのでしょう?」
「…………そうだね。グレアムはいつもそんな様子だった」
「それなら今後は私もいますし、ディノが結構頼りにしているゼノもいます。エーダリア様やヒルドさんだって心強い相談相手になりますし、同じ棟にはノアもいるんです。そう考えると、もう怖いことはないでしょう?」
微笑んでそう言ってやれば、瞠った澄明な瞳をぱちぱちさせ、ディノは酷く無防備に頷いた。
一度頷いてから、自分の肩にかけられたネアの手に自分の手を添えて、もう一度頷く。
「ネアがいればいい……」
「あらあら、こういうものは中心から徐々に広げていくと、安心感が増すものなんですよ」
「でも、君もまだ完全に捕まえたわけではないからね」
「む。ではその為にも、そちらにいる浴室着を着ていない魔物さんが視界に入らないよう、角度を調整したいので手を離してくれますか?」
「…………ノアベルト?」
「えー、ネアもこのくらい慣れた方がいいんじゃない?だって……」
そこでノアはどんなディノの表情を見てしまったのか、いそいそと浴槽の反対側に消えていった。
視界が心に優しくなったので、ネアはほっとして表情を緩めた。
先程の一瞬は守ろうとしてくれたので何も言わなかったものの、その後もノアが目の前に居たので、目のやり場に苦労して振り向けずにいたのだ。
「そして、そろそろご主人様を解放して下さい。一人でお湯に浸かれますよ」
「どうしようかな」
「………なぜ迷うのでしょう。ご主人様をむやみに固定してはいけませんよ」
「でも今夜は、場も不安定だったようだし、ノアベルトもいて危ないからね」
「……………好意が仇になりました。私の、寛ぎの時間を返して下さい」
暴れるネアがばしゃばしゃやっているのが気になったのか、中央の彫刻のところからノアがひょいと顔を出した。
叱られないようにと深めに潜ってはいるが、そもそもお湯が不透明ではないのだ。
「お風呂遊びするなら、僕も入れてよ」
「いい大人はお風呂で暴れません!!去り給え!」
部屋に戻るまでは一悶着あり、決して優雅な寛ぎの時間とはならなかったが、幸いにしてその後戻った寝台で見た夢は嫌なものではなかった。
あの夢見るような美しい銀灰色の瞳の魔物が出てきて、ディノと楽しそうにお喋りしているのを見ながら、みんなでお風呂に入っている夢だ。
朝に目が覚めて、ディノが自ら友人だと言うひとに会えて嬉しかったのだなと自分でも納得する。
しかしながら、淑女としては是非に、着衣の時に会いたかったと思わざるを得ない。