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110. また同じものを貰いました(本編)


悪夢の、それも恐らく最終日だというのに見ず知らずの熱帯雨林に落とされたネアは、不思議な花をつつこうとしたところで、アルテアから頭をはたかれていた。


「暴力反対です!変な靴が辛いからといって、八つ当たりしないで下さい!」

「不用意にものを触るな!」

「水晶細工のような綺麗なお花に、指でちょんとやろうとしただけではないですか」

「触ると指が溶けるぞ?」

「…………指先を救っていただき、有難うございました」

「お前、顔と言葉が合ってないからな。いつまで根に持ってるんだ」


現在ネア達が居るのは、アルテアがつけていた羽飾りの持つ悪夢であるらしい。

生前の姿であると鳥頭の人型の魔物なのだそうで、予言を司る魔物だったのだそうだ。

スコールの季節でないだけマシだが、冬服で熱帯雨林という非常に嫌な目に遭っているので、ネアはアルテアに気温調整を図って貰い、何とか生き延びている状態だ。

一度、着替え的なものを取り寄せて貰おうとしたのだが、現在この魔物は一週間の期限付きで衣料品の取り寄せが出来ないのである。

何とも残念なタイミングであった。


同じ部屋から悪夢に落ちたので、すぐにディノの救援が来ると信じていたネアは、気温調整の際にアルテアから恐ろしい言葉を聞かされて以来、隣の魔物に笑顔を見せていない。

どういう仕組みかわからないが、なぜか気温の調整を図った際に、誤ってディノと繋がる回線が閉じてしまったというのだ。


(気温の調整の為に個人遮蔽されている状態だと言うけれど、とても怪しい!!)


第一容疑者であるので、気を許さずに行動するつもりである。

しかしその結果、外側の大自然に注意がいってしまい、実は先程から三度ほど身を欠く危険に晒されていた。


「ち、ちび兎!!」


そしてネアは、容易く次の生き物に夢中になった。

真っ白でほわほわの親指サイズの兎など、可愛くない筈もない。


「お前はいい加減学べ!そいつは真っ白だろうが!」

「む。………綺麗に純白です」

「高階位の精霊だ。絶対に触るんじゃないぞ」

「………ちびこい尻尾振ってこちらを見上げていますが、頭をふわっと撫でるだけでも危ないですか?」

「魂が惜しくないならな」

「むぅ、なんという悪辣な容姿でしょう。私を籠絡する為に生まれてきたとしか思えません」


大きな葉っぱの上に乗ってこちらをみていたちび兎が、ネアが撫でてくれないらしいと分かった途端にぷいっと顔を背けて立ち去っていった。

驚くほどに俊敏な身のこなしに、ジャングルに住まう生き物の逞しさを見た気がする。

触れないのは残念だったが、あの愛くるしい姿を見られただけでも良しとするしかあるまい。

良いものを見て大満足なので、そろそろ帰れると嬉しいところだ。


「ディノ、早く迎えに来て下さい。私の自制心が保ちそうにありません」

「いや、押さえろよ」


今度は木の枝の影に水色のふわふわの栗鼠を見付けてしまったネアが、自制心の限界も近いと必死に指輪に呼びかければ、アルテアがうんざりとした顔でそう指摘する。

しかし、その赤紫色の瞳を見上げたネアの表情が暗いのは、なぜかこのジャングルにいる生き物が可愛い路線を猛進してくるからなのだ。

懸念していた虫系統の気持ち悪い生き物はほとんど見当たらず、楽園のような美しい花々が咲き乱れ、哺乳類や鳥類などの生き物に溢れている。

悪夢の主である鳥頭は確実に異形だと思うが、現在のところその姿は見当たらない。


(…………でも、なんて強い色ばかりなんだろうか)


鮮やかな緑は濃く艶やかで力強い。

濃密に張り巡らされたその森の力に、蘭などの色鮮やかな花がいたるところに咲き乱れている。

ぱっきりとした濃いピンクに、艶やかな深紅。

オレンジ色と青色に、しっとりとした紫。

ウィームの森で見慣れた花々とは明らかに種類も色彩も違い、その華やかさに圧倒されてしまう。


鳥の鳴き声が聞こえる。

雨を感じさせる水の香りと土の匂いに、甘い花の香りが混ざった独特な世界。

頭上から視線を感じて見上げれば、茶色の毛皮製のまな板のような不思議な生き物が木の枝の影からこちらを見下ろしていた。

あまりにも数が多いので、ネアはさっとアルテアの袖を掴む。


「妙な掴まり方をしないで、しっかり手を回しておけ」

「……………むぐぅ」


すぐにその手を引っぺがされてしまい、しっかり腕を組まされてしまう。

とても不本意ではあるが、あの毛皮まな板が飛び降りてきた場合のことを考え、渋々とそのままにする。


「アルテアさん、上から毛皮の紐のような愛くるしいやつが垂れ下がってきました」

「森竜の一種だ。それなりに獰猛なくせに好奇心旺盛だから、近付くなよ」

「しかし、ほぼ顔の前です」

「ったく。……ほら、あっちに行け」


森竜とやらは、毛皮の蛇のような風体の淡い緑色の生き物であった。

狐のような耳がぴょこんとあり、顔立ちはハムスターに似ている。

そんな生き物が、木の枝に尻尾をかけて逆さ吊りで顔を覗き込んでいたので、ネアはさすがに申告した。

とても可愛いので対面出来るのは嬉しかったが、あまりにも距離が近かったのだ。

高位の魔物に邪険にされた森竜は、じわっと涙目になり、するすると木の上に退避していった。


「それにしても、実現する悪夢というだけあって、本当に熱帯雨林に遊びに来たみたいですね」

「正確には、引き摺りこまれたと言うべきだけどな」

「もしかして、ここで狩りをしたら持って帰れたり……」

「やめろ。いらん手間を増やすな」

「その言い方、さては狩れるのですね………」

「おい、狩人の目になるな!」

「そして、我々はどこに向かって移動しているのでしょう?」


あてどなく歩いているようにも見えるので、ネアは少しだけ不安になった。

ここで変なところに誘い込まれて置き去りにされたら、どうすればいいのだろう?

そう思って腕をしっかり絡めると、小さく笑う気配がある。


「悪夢の元を見付けないことには、展開を解けないんだ。通常であれば一瞬なんだが、何しろ元が装飾品だからな………」

「…………もしかして、あの羽根飾りを探しているのですか?」

「…………まさか見かけたのか?」


ネアの言葉に、アルテアは嫌そうに眉を顰めた。


湿っぽい風に白い髪がふわりと揺れ、鮮やかな瞳の色が熱帯雨林の背景にとても映える。

彼に似合うのは歌劇場などの壮麗な黄金の装飾や、豪奢な王宮などの建築だとばかり思っていたので、ネアは少しだけ驚いた。

しかしながら、ディノにもそういう部分があるので、案外どこでも場に馴染むというのが高位の魔物らしい在り方なのかもしれない。

一面的な人間の美貌とは違い、彼等はきっと、世界を背景にしてしまうことに慣れた階層の美貌なのだ。


「さっき、同じ色の羽がひらりとなるのを見ました。でも、同じものかどうかは断言出来ませんよ?」

「お前な、さっさと言えよ………」

「人間の思考範囲で、事情を知らないで情報を提供するなど無理な相談なのでは」

「そうか、お前は魔術の編成をしらない可動域だったもんな」

「おのれ、悪戯に淑女の心を傷付けた以上、ディノに告げ口するしかない………」

「やめろ………」


そこで二人は元来た道を一度戻り、ネアが羽根飾りと同じ色彩を見かけた方向へ軌道修正した。

しかしながら、そちらの方向は若干道が険しくなる。

苔むした倒木や、謎のシダ類などを怖々と見ていれば、アルテアにひょいと持ち上げられた。


「………………やむを得ません」

「お前に自分の足で歩かせると、まず転ぶだろうな」

「運動音痴の汚名まで着せようという魂胆ですね!」

「運動能力は問題ないだろうが、絶対に何か騒ぎを起こすだろ」

「再評価を希望します!………それと、この森には虎さんはいないのでしょうか?」

「何で肉食を目指した」

「大好きな獣なのです。いたら撫でてみたいのですが……」

「腕がなくなるだろうな」

「失礼ですよ!私の慈愛に満ちた眼差しと、このヒルドさん特製の靴紐のブーツがあれば、撫でるくらい……」

「どこが慈愛だ。武力で服従させる気満々だろうが」



反論しようと口を開いたところで、アルテアが僅かに体を屈めたのでネアはむぐっと黙る。

草木や蔓の類は魔術的な何かでひょいとどかしているようだが、時折、実際に体を屈めて避けているものがある。

その違いは何なのだろうと考えて動きを注視していると、どうやら光る大きなシャボン玉のようなものを避けているようだ。


「アルテアさん、この泡っぽいふわりとしたものは何でしょう?」

「時間の歪みが自走してるんだ。触ると時間軸が歪むぞ」

「内容は全く頭に入ってきませんが、怖いやつとして認識しました」

「と言うより、諸々の調整を崩されるから面倒なんだよな………」


そこでアルテアはぴたりと足を止めた。

眉を顰めたネアが表情を窺っていると、何やら木々の隙間から空を見上げてものすごく嫌そうな顔をしている。

ややあって、無言でネアを地面に下した。


「私は、熱帯雨林に捨てられてしまうのでしょうか………」


ネアが少ししょんぼりすると、アルテアはふっと口元を持ち上げて笑う。

こんな中であっても汚れる気配もない白い手袋の手で、頭をわしわしと撫でられた。


「上に鯨がいる。下手に刺激すると飲まれるから、少し調整するから待ってろ。くれぐれも、この場から動くんじゃないぞ」

「………そのような台詞から、仲間が行方不明になるのが物語の定番です。もう二度とお会い出来ないかもしれませんね」

「…………時々、お前の生育環境が不安になるな。せいぜい長くても一分だ。視界からも消えないから安心しろ」


ふわりと取り出されたのは真っ白なステッキだった。


「これを持ってろ。守護の軸にするから離すなよ?」


それをネアに持たせると、アルテアは背中を向けて何メートルか離れた。

ステッキを持たせたのだから戻ってくるというつもりなのだろうが、これでは妙なフラグを立てられたようで、非常に不吉である。

やめていただきたい。


(…………おや)


ステッキを抱き締めたままアルテアの方を見ていると、なぜか今度は虚空からふわりと一本の傘を取り出した。

ばさっと音を立ててその黒い傘が広がった途端、ざばっと滝のような水がアルテア目がけて降り注ぐ。

びっくりしたネアは慌てて空を見上げたが、そこには雨雲の一つも見当たらない。

アルテアは傘で見事に守られていたが、常人であれば傘をさしてもずぶ濡れになる激しさだ。

跳ね返る水飛沫に周囲も水浸しになったが、不思議なことにネアの周囲は水が避けてくれたようだ。

体を捻って足元を流れてゆく奔流を見送りながら、ネアは水滴でキラキラと煌めく森の中をぽかんと見回した。


「ほわ………」


(すごい、あちこちに虹がかかってる!)


口元が緩んでしまうくらい、それは幻想的な光景だった。


水を被って驚いたのか、あちこちから色鮮やかな生き物達が飛び出してゆく。

茂みや、木のうろや、入り組んだ木の根元から竜や妖精や魔物達がわらわらと出てくる様は、ただ、色とりどりで目まぐるしい。

なまじ色彩が鮮やかなので、おもちゃ箱をひっくり返したようだ。

周囲を見回してその光景に見とれていれば、空の上の方で鯨の鳴く声が聞こえた。


(これはきっと、本の虫の鯨の方ではなくて、厨房のある空間にも影だけ落ちる方の鯨なんだろうなぁ)


その鯨は確か人間を食べた筈なので、この森の生き物達にとっても捕食者相当なのかもしれない。

せっかくなのでとネアも精一杯空を探してみたが、残念ながら鯨らしい影は見当たらなかった。


「……………む」


そこでネアは、がさりと大きなシダの葉をどかして茂みから出てきた生き物に、目が釘付けになった。


鮮やかな青と深みのある赤の素晴らしい尾羽を持つ、鸚鵡の頭を持った不思議な生き物だ。

産まれたての子猫程のサイズで、重力を感じさせない仕草でぴょんと飛び上がり、低い位置の枝の上に腰かける。

そして、老人のような声で小さく愚痴た。


「ああ、酷い目に遭った。ずぶ濡れだ」

「…………同じ色の尻尾の、鳥頭」

「誰じゃ」


思わずそう呟いてしまったネアと、こちらに気付いた鸚鵡頭の目がばっちり合う。

まるで賢者のような白いトーガ姿のその生き物は、不躾なくらいネアを眺めた後であんまりな評価を下した。


「つまらん、何とも地味な娘だ。嫌な予言を与えてやろう」

「……………なぬ」

「そうだな、………ふむ。おぬしは、夏至祭の夜に何者かに殺されるだろう。ふふ、どうだ?こんな感じよ」


あんまりな予言を片手間に出されてしまい、ネアは呆然とした。

出会ってから数秒で相手の死を予言するなど、言語道断である。


「………おのれ、許すまじ鳥頭め!」

「ほう?儂とやり合うつもりか?………はぶっ?!」


手に握ったアルテアのステッキで殴打してやろうとしていたネアは、背後から伸ばされた手で鳥頭の生き物がぐしゃりと握り潰されてしまうのを目の前で見る羽目になった。

中身がどうこうなったりはしていないが、角度的には確実に骨までいってしまっている掴まれ方なので、ネアはじっとりとした目で振り返った。


鳥頭の生き物を鷲掴みにしたアルテアが、呆れ顔で片眉を上げてみせる。


「目の前で惨劇が………」

「見付けたなら声をかけろ。こいつは性格が捻じ曲がった陰険な魔物なんだ。お前も、余計な呪いなんぞ貰いたくないだろうが」

「……………呪い?この鳥頭は、呪いをかけるのですか?」


アルテアは握った手に何か魔術を通したようだ。

くたりとしていた鳥頭の魔物が淡く光って砂になり、開いた手の中にはアルテアがつけていた羽飾りが残る。

よくわからないが、この羽飾りが悪夢の中で命を吹き返して生前の姿でお喋りをしていたのだろうか。

悪いやつである。


「予言をする魔物だが、その予言は好きなように書き換え可能のろくでもない予言者だ。うっかり込み入った予言なんぞされた日には大騒動になる」


相変わらず、熱帯雨林の中は目まぐるしく騒々しい。

ぽつぽつと、木々の葉に残った水滴が地面に落ちる。

それが枝の隙間から差す強烈な日差しにあたると、小さな虹が出来てまた弾けた。



「………アルテアさん、春告げの舞踏会は何日でしたっけ?」

「…………ん?……十二日だが。………おい?」


アルテアが目を丸くしたのは、突然ネアに胸倉を掴まれたからだ。

と言うか、ネア的には逃さないようにぎゅっと掴んだだけのつもりだが、少々背の足りない恐喝現場のようになってしまった。

アルテアは、今度は何を始めるつもりだと呆れ顔になり、ネアが掴んだままだったステッキをひょいと取り上げる。

片手で器用にくるりと回されたステッキは、ふわりとどこかへ消えてしまったが、既に羽飾りも先程の傘も持っていないので、金庫のようなものが彼にもあるのだろうか。


「絶対に、絶対に、春告げの舞踏会に私を連れて行って下さい」

「………どうした?」

「他の方を連れて行ったりしたら、ダリルさんから貰ったありったけの呪いをかけてしまいます!」


木の幹に押し付けられ、ぎゅうぎゅうとやられつつアルテアは眉を顰める。

さすがに今回は理由がわからないのか、若干困惑しているのがよくわかった。


「妙なものが入り込まないように、事前審査があるからな。同伴者の変更は今更出来ないが、何で今更前のめりになったんだ?」

「それがわかれば一安心です!あの鳥頭め、悔しさに地団駄を踏めば良いのです!!」

「おい、いい加減に事情を説明しろ………」

「さっき、謎の鳥頭さんこと、アルテアさんの羽飾りの元の方に予言をされました。私は夏至祭で殺されるそうなのです!」

「……………は?」

「なので、是非に春告げの舞踏会に出なくては!もはや、踊りに行くという感覚ではなく、不死の祝福をもぎ取りにゆく所存です!」

「いやいやいや、何で数十秒目を離した隙に、気軽に呪われてるんだよ?!」

「む。その通りでした!アルテアさんの保護管理責任が問われる現場ですので、きちんと責任を取って下さいね」


ネアは上手く責任転嫁出来そうな現実を再確認し、しめしめと微笑んだ。

後でディノに叱られそうになっても、まずはアルテアに盾になって貰うのだ。

しかし、明らかに安堵で表情が緩んだネアに対し、アルテアは片手で器用に顔を覆ってしまい、低く呻いた。

現在、前回のお仕置きを幾つも引き摺ったままの身であるので、結構堪えているような気がする。


「…………お前、いい加減死の呪いから縁遠くなれよ。…………まさか、ウィリアムからの守護を強めたせいじゃないだろうな?」

「むぐ。………それなら、アルテアさんにはずっと統括の魔物さんでいていただき、保険として、毎年春告げの舞踏会に連れて行って下さい!」


焦ったネアにそんなことを言われて、アルテアは目を瞠った。


「………念の為に言うが、その台詞はある界隈では求婚の言葉になるやつだからな?」


奇妙な程に静かな目でそう言われた。


(あ、この目は知ってる……)


これは彼が少しばかりの悪意や、魔物らしい冷酷さを滲ませるその眼差しだ。

こうやって、意味深な微笑み混じりに毒をばら撒き、この魔物は選択の罠をかける。


しかし、所詮そのような台詞にも使われるというだけではないか。

ネアは別に気にしない方向でその情報を処理し、男前に頷いた。


「やむを得ません。求婚の意思は微塵もありませんが、要求はその通りなのです!」

「一度願った言葉は取り消せないが、本当にこれからずっと、俺と春告げの舞踏会に出るつもりか?」

「…………は!もしや、彼女さんを荒ぶらせてしまいますか?」


そう言えばアルテアの意思をまるで考慮してなかったと、ネアが慌てて尋ねれば、アルテアは少し嫌そうな顔をした。


「…………その心配はない」

「しかし、アルテアさんはそれなりにただれていらっしゃる筈ですので、意中の女性を連れて行って差し上げる時は言って下さいね。その方面の邪魔をするのは嫌いなのです。……ただ、今年は譲れないのですが」

「そもそも、今年の同伴は対価だろうが。きちんと支払えよ。それから、来年からの件はお前がシルハーンを説得しろ」


背中に手を回されて体を固定されてから、ぺしりとおでこを叩かれた。

うっかり反撃したくなってしまったが、これはいつもより優しい仕草であったのでネアはぐっと堪える。


(舞踏会と言えば、遊び人な悪い男性的には、籠絡したい女性を連れて行く格好のチャンスに違いないのに……)


今年は対価として提案した遊び半分の誘いであっても、毎年押さえられてしまうのは複雑だろう。

アルテアにとて、プライベートはあるのだ。

らしくなく、彼なりに鳥頭の呪いについて、責任を感じてくれているのだろうかと考えたら申し訳なくなった。


「有難うございます。ご主人様の危機なのですから、うちの魔物は黙らせますね」





「おや、ご主人様は、どうして危機に瀕しているのだろう?」



背後から聞こえた穏やかな声に、ネアはぎくりと体を揺らした。


そろりと振り返ってみれば、艶麗に微笑んだ美貌の魔物が、群生した濃紫の蘭に覆われた木を背にして立っている。

アルテアと同じように違和感なくするりと溶け込み、周囲の緑や熱帯雨林特有の仄暗さが白い装いを引き立て内側から光るようだ。

そしてそれは、決して清廉な輝きではなかった。


「ディノ!迎えに来てくれたんですね」

「………ネア?まさか、ここで狩りはしてないよね?」


ぱっと顔を輝かせたネアに対し、ディノの微笑みにはどこか責めるような色が混じる。


「狩りは我慢していたのに、出会って二秒程で、目が合った途端につまらぬ奴めと呪ってきた鳥頭がいたのです」

「アルテアが一緒にいたのにかい?」

「アルテアさんは鯨と戦っていたので、私は数メートル後方でお留守番しておりました」

「……………アルテア?随分と楽しそうだね」


矛先を向けられたアルテアは、酷く遠い目をしたまま無抵抗の証として両手を上げた。

そうなって初めて、ネアは先程の体勢のまま、アルテアを木の幹に押しつけてその胸元の服地を掴んだままでいることに気付く。


(も、もしや………)


ディノの微笑みがかなり酷薄なのは、このいかがわしい体勢も影響しているのだろうか。

そう思ってアルテアを見上げると、視線が合った彼もそうだと頷いた。


(こ、これではまるで、私がアルテアさんに迫っている痴女のような構図)


ぞっとして手を離せば、目の前のアルテアが小さく悩ましげに息を吐くのがわかった。

この場合に限り、彼はとばっちりだ。

少し申し訳ないが、遥かに経験豊富な魔物なので頑張ってどうにかして貰おう。


「多分お前でも無理だぞ。守護の軸を与えて、数十秒目を離した隙にもうこれだからな」

「ウィリアムは、君に手渡すまでは、悪夢の中で手を離さずにいたようだけれどね」

「真上は鯨だ。横に置いておいたら、今頃溺れてるからな」

「この子を呪ったのは?」

「悪夢の根、羽根飾りの元になった個体のパピナンだ」


(あんなご老体風の鳥頭が、可愛らしい名称の魔物なのがもやっとする……)


どうやら、予言を司る鳥頭の魔物は、パピナンと言うらしい。

個体名なのか種族名なのかは、今のところ不明だ。


「………パピナンか」

「鯨の方が厄介だろ?」

「鯨くらい、君なら片手間に退けられただろうに」

「晴れかけの悪夢から落ちたんだ。この展開が薄かった場合、足場が崩れると厄介だからな。あんまり大きな魔術は切り出せない」

「どうだろうね。わざと道を閉じたくらいだから」

「それは気温調整の弊害だ。どっちにしろ、十五分かそこらで迎えに来れたんだろうが」


こっそりと第三者的な気配を纏いつつ、保護者同士の争いのようなものを見守っていたネアは、一つの疑問に気付いた。

なぜディノは、ウィリアムが悪夢に放り込まれてからネアの手を離さなかったことを知っているのだろう。

しかし、その考えを詰める間も無く、静かな声に招かれる。


「………おいで、ネア」

「ディノ、また心配をかけてしまいましたが、アルテアさんが責任を取って春告げの舞踏会に必ず連れていってくれますので、大丈夫ですよ」


大人しく伸ばされた手に捕まりながら、どこかひやりとする水紺の瞳を見上げた。

抱き上げられて近くなれば、その瞳は怖いというよりも、なぜか可哀想になってしまう鋭さだった。


「どうして君は、あんな晴れかけの悪夢からも内側に落ちてしまうのだろうね……」

「ごめんなさい、羽根飾りがひらひらしていて、つい触ってしまったのです」

「釣りだな」

「アルテアさん、もしや私に八つ当たりされたいのでしょうか?」

「ほら、ネアはこっちを向いておいで。それで、どんな呪いを受けたのかな?」


伸ばされた手にふわりと頭を撫でられる。

この撫で方は慰めている時用なので、魔物はご主人様が怯えていると考えているようだ。


(おのれ、こんな呪いぽっちで、自由行動禁止にされるものか!)


しかしとても残念なことに、ご主人様の脳内は自己保身真っしぐらなのである。

夏至祭はじっくり楽しみたい祝祭の一つなので、その楽しみを奪われたら荒れ狂うしかない。


「夏至祭の夜に、何者かに殺されるそうです」



間近にある魔物の目が、ふつりと揺れた。

小さな恐怖と、苦痛と、微笑んでいても身が削ぎ落とされそうな魔物らしい怒りと。

ふと、ネアは、この軋むような静かな怒りが、自分に向いたものではないような気がした。


「…………そうか。だから春告げの祝福が必要だと考えたんだね。………ところで、その魔物はどうしたのだろう?」

「アルテアさんが、片手でくしゃっとやり、お亡くなりになりました。今は羽根飾りに戻っています」

「それは残念だな。君を怖がらせたのだから、是非に会っておきたかった」

「…………あやつ的には、握り潰された方が幸せだった気がしますね」

「それから、心配しなくていいからね」

「…………ディノ?」


事情がわかって少し落ち着いたのか、いつもの魔物らしく柔らかな微笑みを浮かべたディノが、もう一度頭を撫でてくれた。


「魔物の系譜の呪いだから、すぐに剥ぎ取ってあげるよ。ごめんね、すぐに迎えに来れなくて」

「…………そんなことが出来るのですか?」

「勿論だ。これは理に関わる呪いではないし、階位的にはすぐに無効化出来るものなんだよ」

「………それは、ディノだから出来ることなのでしょうか?」

「いや、ある程度の階位のある魔物なら誰でも出来るよ。…………ネア?」

「………アルテアさん、確信犯ですね!」


虐められたことに気付いたネアが振り返って睨みつければ、熱帯雨林の中にあっても美しい、………ただし、服装は若干微妙な選択の魔物は満腹の猫のように艶やかに微笑んだ。



「ま、俺も得るものがないとな」



「ディノ!変な靴の魔物さんが、陰湿な虐めをしました!」

「ネア、……もしかして、この呪いがすぐに解けると教えて貰えなかったのかい?」


足をジタバタさせて怒りを表現したご主人様を、魔物は困ったように抱き直して宥める。


「そのせいで、求婚にも使われるという言葉を言う羽目になりました!」

「…………求婚?」


じたばたするご主人様が可愛いと少しだけ嬉しそうにしていた魔物が、その一言で凍りついた。

先に異変に気付いたアルテアが、さっと青ざめる。


「………おい、馬鹿!」

「…………む?」


なぜ叱られたのだろうと眉を顰めたネアは、自分を持ち上げた魔物の目が完全に死んでいることに気付き、ぎくりと固まった。


「デ、ディノ………?とりあえず、お外に出ませんか?」

「……………婚約者が、他の魔物に求婚した」

「してませんよ!そうも取られかねない言葉だと聞かされるまで、私も知りませんでしたから!」

「騙されて言ってしまったのかい?」


ネアはそこで、こてんと首を傾げた。


「………と言うより、そう聞かされて嫌だなぁとは思ったのですが、背に腹は変えられないのでそのまま推し進めました」

「婚約者が浮気した…………」

「ち、違いますよ!アルテアさんからも…………おのれ、逃げましたね!!」



気が付けば、周囲にアルテアの姿はなかった。

真犯人に置き去りにされたネアは荒れ狂ったが、二人きりにされてしまった以上、一人で荒ぶる魔物を鎮めるより他にない。



結果、魔物は部屋に戻ってネアにかけられたパピナンの呪いを解くなり、毛布妖怪となってしまった。


それを宥める為に己が切り出したご褒美のことを考えると、ネアはこれから毎年、春告げの舞踏会ではアルテアの爪先を力一杯踏んでやろうと決意せざるを得ない。


いつか、ちょっと距離を置き中のウィリアムにも相談してみようと思う。



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