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砲台のシーと死者の王



その日は朝から苛烈な攻撃が続いていた。

ばらばらと落ちてくる様々な命の欠片に眉を顰め、ウィリアムは、かつては見事な麦畑だった平原を眺める。


ここは刈り入れ前になると金色の大地が風に揺らめき、溜め息を吐きたくなるくらい美しかったのだ。

深みのある金色にけぶる大地に立ち、幸せそうに働く人々を見るのが、ウィリアムはとても好きだった。



例え、滅ぼすことになるのだとしても。

例えいつかは、火の海になる戦場のその先頭に立つことを厭わないのだとしても。


微笑んで生きていた人々の亡骸を踏み、無残に焼かれた土の匂いを嗅ぐ。

虚しくはなるが、悲しくはない。

こうして戦を経て時を進めるのもまた、世界の流れなのである。



「ウィリアム、何笑ってるのよ」


そう声をかけてきたのは、砲台のシーだ。

鮮やかな黒金の長い髪に真紅の羽と瞳を持つ美しい軍服姿の女性で、蠱惑的な肢体に惑わされ彼女に見惚れている間に命を落とす兵士も少なくはない。

赤羽の妖精は誘惑に長けているものだが、このシーの魅力は戦場でこそ輝くものだ。


因みに訳あって、彼女の名前を呼ぶことは許されていない。


「いや、人間はやはりいいなと思って」

「それ、よくこの場で言えたもんだわ。今日だけでどれだけ死んだと思ってるの?」

「ん?………ああ、いや。ここのことじゃなくてな」

「ちょっと!これだけの戦線にあって、上の空なわけ?!」


心底軽蔑するような冷ややかな眼差しに、ウィリアムは苦笑して片手を上げた。

彼女はよく戦場で出会う気の合う同僚のようなもので、怒らせると怖いのであまり逆らわないようにしている。


「そうだよな、………すまない。後方の死者の行列の様子を見てくるよ」

「私は、誘い込みの後方を見てくるわ。あの囲い込んだ敵の殲滅には、私の守護が必要そうですもの。………やはり、ベラルクーシャの兵達は守りが堅いわ」

「防壁の魔術が発達しているからな。だが、囲まれての持久戦はいささか厳しいか……」

「ここで斃れて欲しいわ。あまり家を空けると、夫がまた具合を悪くするもの」


真紅の唇が緩やかな微笑みを刻んだ。

その美しさに、通りすがりの兵士達が思わず足を止めてしまう。


「竜の伴侶は大変だな。いっそ、連れて来たらどうなんだ?」

「冗談じゃないわよ!地竜は穏やかで諍い事が嫌いなのよ?こんな野蛮なところに連れて来れるものですか!」

「………そ、そうか。悪かった」

「あの琥珀色の鱗が汚れたりしたら、私はその大地を穴だらけにしてやるわ!!」

「俺が悪かった。落ち着いてくれ!」


慌てて後方の戦線に送り出し、その怒りを敵兵への攻撃に向けさせた。

戦場では決して誰かの肩を持つことのない終焉の魔物であるウィリアムと違い、彼女はその庇護を与えた国の守り手だ。


(今回は、連合軍の勝利だろうな)


今回の戦争は、ベラルクーシャとアッサル国の戦いである。

しかしながら、アッサル国の後方支援をしているのはヴェルクレアであり、こうして砲台のシーや火薬の魔物も遠征組として貸し出されていた。


火薬の魔物については、一定期間毎に戦場に出すという契約が成されている為に、ほとんど彼の為に設けられた戦場とも言える。

こうしてアッサルの支援をする体で、実のところは戦場に出さねばならない者達との契約を果たしているのだ。


そのせいか、他国からは支援の手堅さの割に対価が安いと、ヴェルクレアに対する信頼は厚くなるばかりだ。

その信頼を踏み台にして、あの国は良い外交をしている。

対価では買えない信頼の旨味は、大国を支える糧となっていた。



「ウィリアム、僕の今回の作品はどうだい?」


そんなことを考えていたら、本人に声をかけられる。


「撤退だけで構わないというところを、殲滅戦にしたんだな」

「そうだよ。本国に立て篭もられても厄介だからね。ベラルクーシャには、ろくでもない自爆の文化がある。下手にこちらの国にまで志願兵を紛れ込ませてきたら困るじゃないか」

「確かに、中途半端な戦力を残すよりはいいだろうな。泥沼になるのだけは避けたい」

「だったら、死者の行列から疫病を育てたらいいだろう?君はいつも優し過ぎる」

「残って国や大地を立て直す者まで殺してしまうと、世界が痩せるからな」

「そうかな。人間なんて無尽蔵に増えるからね。僕はこれでも上手く管理してるつもりだよ」

「さてな。あまり羽目を外さないようにすることだ。圧倒的な恐怖というものも、倒さねばならないという憎しみを育てやすい。前の白夜のようにはなるなよ」


そう忠告したウィリアムに、火薬の魔物は小さく口元を歪めた。

長く伸ばした白みがかった薔薇色の髪に、酷薄な印象を与える金緑の瞳。

漆黒のフード付きのドレスケープに、黒一色の典雅な服装。

美しい女性のような容貌から、表情によっては繊細な印象も与えるが、生粋の戦闘狂の魔物だ。



「そう言えば、ウィリアムは最近、二番目の元婚約者がお気に入りだそうだね?」

「そうだな。だから、仮にでも妙な気を起こしたら、火薬の魔物には世代交代して貰うしかなくなるな」

「………世代交代」

「そうだ。ウィームで生まれた悪食の鳥がいるんだ。白持ちで、悪夢の精霊王を非常食に出来るくらいの特別変異体なんだが、伴侶を探しているようでな。………イヴリースには、まだ相手はいないよな?」

「え、…………」

「アルテアが親代わりをしているから、いい青年がいると伝えておこう。顔見知りの相手の方が、アルテアも安心だろう」

「ウ、ウィリアム………」

「イヴリース、俺からアルテアに伝えておくから予定を教えてくれるか?」

「………予定なら、数年先まで埋まってる」

「そうか。それならアルテアに連れていかせよう。幸い、アルテアはヴェルクレアの統括だからな」



言葉を失くしたイヴリースを残して、ウィリアムは死者の行列を見に行った。

忘れない内にアルテアに打診しておこう。

イヴリースについては、まとまっているものを破壊する欲のある魔物なので、実は前から懸念していた。

契約によりヴェルクレアを損なう行為は封じられているが、ネアはその範疇に収まるかどうか危ういところだ。


最近はまた力を伸ばし鼻持ちならなくなっていると聞いていたし、この辺りで少し制約をかけておこう。


(まぁ、シルハーンが契約の魔物だと知らないようだし、アルテアもノアベルトもいるからな……)


あえて言及しなかったので、万が一手を出した場合には、とんでもないしっぺ返しを受けるだろう。

イヴリースは残虐な魔物だが、まだ若く経験が少ない。

戦場で人間たちの戦に力を貸す分には劣るものなどいないが、魔物同士の単一の戦いともなれば長命の魔物には敵うまい。


そして幸いにも、ネアの周囲に集う魔物は皆、最長命の者達ばかりなのだ。


(………それにしても、ノアベルトまでいつの間か取り込んでいるなんて)


そのことには驚いたが、あの扱い方を見ているに、リーエンベルクの者たちは皆知っているのだろう。

どうやらネアというより、エーダリアやヒルドと過ごす時間の方が多いようだし、シルハーンが許しているなら構わないが、それでも少しばかり複雑ではあった。


(ネアに悪さをしないよう、一度話しておく必要があるだろうか………)



その時にふと、組み敷かれてこちらを見上げた鳩羽色の瞳を思い出した。

真っ直ぐに見上げ、一片の恐れもなく微笑んだ鮮烈さを。


彼女が口にしたその言葉は、ウィリアムの本来の姿を見た者が決して口にしなかった言葉だ。

それまでの終焉としての資質を抑えた姿では、あなたを恐れはしないと言った男も女も、今際の際には彼を憎む。


ずっと昔にとある女性に言われた言葉が、消えない染みのように胸の底にこびりついていた。


(………そうだ。終焉を愛しても、終焉を好きだと言った者はいなかった)


或いは確かに、終焉に取り憑かれた者を選べばそうではないのかもしれない。

それか、長命を誇る人外者でもいい。

しかし、ウィリアムが好むのは生きる意志を持ち合わせた人間達ばかりなのだ。


だからこそ、生きたい、生きていて欲しいと望むその願いを殺される人間達は皆、差し出した好意を取り返してゆく。

その幸福が最後まで残った試しはない。


(そうか、ネアはそういう意味では不安定なくらいなのか)


死を隣に置き、死を厭わず。

しかし今は生きる喜びに満ちており、したたかに己の欲求を叶えてゆく。

それでも尚、死への親しみを失わずこの手を恐れないのだ。




「………っ」


小さく呻いて頭を抱えていると、一仕事終えて戻ってきたらしい妖精におずおずと声をかけられた。


「ちょっと、ウィリアム………大丈夫?」

「………ん?……ああ。少し考え事をしてただけだ」

「死者の行列が困惑してるから、やめた方がいいわ」


砲台のシーが長い髪を翻して振り返ってみせれば、確かに死者の行列の中の疫病の妖精がこちらを見て途方に暮れた顔をしていた。

申し訳なくなったが、片手を振り行列を指し示せば渋々と戻ってゆく。


「可哀想に、彼等は不安でならないでしょうね」

「すぐに忘れるさ。ここから先は、死者の行列の時間だ」



(にしても、名前を呼べないのはやり難いな………)


竜の嫉妬心というものは厄介なもので、今、ウィリアムの目の前にいる妖精の伴侶はひどく狭量だ。

彼女とよく仕事で一緒になるウィリアムとの関係性を警戒された挙句、ウィリアムは砲台のシーの名前を呼ぶことを禁じられてしまった。

問題なのは、仕事に響くと知りながらも、彼女もその要求に嬉々として応じていることだ。

妖精らしいと言えば妖精らしいが、ウィリアムとしてはかなりの迷惑である。


「何で同じ職場にいるイヴリースは良くて、俺は駄目なんだ?」

「名前のことね。それは、私が以前からイヴリースの事が大嫌いだと話していたからね。あなたとの仕事はし易いと話していたから、夫も気にしたのだと思うわ」

「………それでか」

「でも、今日の仕事では様子がおかしくて気持ち悪かったと伝えるから、もう大丈夫かも知れないわ」

「………思うところもあるが、自覚もあるからその通り伝えてくれ。それで状況が改善するなら、俺も助かる」

「自覚があるというなら、それなりの理由があるのね?」

「…………まぁね」

「その笑顔を見て、あんまり知りたくなくなったけれど、好きな子でも出来たんでしょう?」

「…………なんでわかるんだろうな」

「女なら誰でもわかる目をしたわよ。………でも、私は憂鬱だわ」

「憂鬱なのか?」


思いがけず渋い反応に不思議になり尋ねると、彼女は柳眉を顰めて小さく溜め息を吐いた。

艶やかな漆黒のドレスが風に揺れる。


「お相手が死ぬと、ウィリアムの仕事が荒れるのよ。いつものあなたらしくなく、大地ごと国を殺してしまうでしょう?そんなあなたが好きだと言う者も多いけれど、私は少し甘い理想を吐くくらいの仕事ぶりが好きよ」


その意見には少し驚いた。

自分では変わりなく仕事をしているつもりだったのだが、どうやら気持ちの波があったようだ。


「それは自分では気付いてなかったな」

「でしょうね。でも、そうなのよ。イヴリースなんかは、あなたがそうなると、自分の仕事もしないであなたを目で追いかけているわ。気持ち悪いでしょう?」

「………相変わらず容赦ないな」

「女からすれば、気持ち悪いと言わせてしまう男程に情けないものはないのだもの」

「うーん、こっちは無自覚だからな。でも、気を付けてみよう」



戦場に吹く、硝煙と血の香りの風が渡ってゆく。

その風にケープを流して、ウィリアムは目を細めて戦況を確認した。

そろそろ決着がつきそうだ。

明らかに敵兵の反撃は弱まっているし、イヴリースは自ら殺したくてうずうずしている。

彼の代名詞でもある、火薬の魔術を詰めた銀色の銃を構え、火薬の祝福を与えた一撃で大きな爆炎を上げた。


悲鳴が上がり、重なるように歓声も響く。


「安心していい。彼女は、大きな守護を得ているから、死なないんだ」

「……そりゃあなたは最高階位に近いけれど、でもいつも死なせてしまうじゃない」

「はは。そう言われると胸が痛むな。でも、俺じゃないんだ。だからこそ初めて、大切な人間の死の導線を敷かずに済むよ」

「…………その言い方って、まさかウィリアムより高位………?」


砲台のシーは少し顔色を悪くしていたが、口にしてあらためていい気分になったウィリアムは、その場を離れてゆっくりと戦場を歩いた。


死者の行列に合流する頃には、人間達にもその姿が見えるようになる。

戦局が終盤になれば、誰もに白い軍服姿の死者の王が視認出来るようになるのだ。

彼等からすれば、まさか最初から戦場にいるとは思わないのだろう。


アッサルの兵達から歓声が湧き、ベラルクーシャの兵達が絶望の眼差しを向ける。

民間の兵士達には、死者の王を滅ぼせば絶望的な戦況が覆るという噂がまことしやかに語られているそうで、そのせいか近年はこちらに向かってくる兵士も増えた。



「………やれやれ、またか」



だからウィリアムは、今日もこちらに向かって 来た若い兵士を長剣で斬り捨てる。

剣など使わずとも簡単に殺せてしまうのだが、この剣はウィリアムを象徴するものでもある。

あえて手に死の感触が残るこの手法を、ウィリアムは好んでいた。


命を散らした若い男が、塵になり風に崩れてゆく。



(この青年にも、きっと待つ者がいて、彼の死を嘆き泣くのだろう)



けれどもその物語は、ウィリアムには預かり知らないところである。

毎日、何千何万を超える者達が命を落としてゆき、死者の門は行列待ちだ。

知らない者の物語にまで、心を割く余裕などない。

何しろ、生き延びて欲しい者達ですら、いつも死んでいってしまうのだ。



「…………そうだ。俺はいつも、君達を殺してしまう」


仕方がないと言うし、実際にもそう思う。

けれども愛していたのも事実であるし、その喪失に胸が潰れるような思いをするのも確かなのだ。


ただの一人も、生き残った者はいない。


そもそも、彼の歩みの中で出会う者は皆、元より終焉の道筋に佇む者ばかり。

その運命から外れるのは、やはり難しい。



「………ネアで良かったな」



彼女は決して自分の伴侶にはならないが、今までのウィリアムが見て来たような形で失われることはないだろう。

もしいつか彼女が去るとしても、それはきっと望むだけ生きた後の穏やかな死に違いない。



「その時は、俺が死者の門に案内しようかな」



それはとても、幸福な未来だった。

また気分を良くして、ウィリアムは気もそぞろにこの後のことを考えた。


ネアの知らない国にいるので、何か喜ぶようなものを買っていってやりたいが、あまり今から手をかけるとシルハーンが不快に思うだろう。

ただでさえ、少しばかり過ぎた執着を向けたことに気付かれているようなのだ。


(あの瞬間も、見てないふりをしながら、見ていたんだろうし)


ネアに言い含められたらしく自由にさせている素振りをしてはいるが、あれがそんな扱い易い魔物の筈もない。

ウィリアムとて目隠しをしたつもりだが、恐らく途中から破られている。

こちらの線の引き方や、介入するアルテアの到着時間を見極めていたのがよく分かったのが、ネアの部屋で彼がこちらを見た時の表情だ。



あの瞬間は、ウィリアムですらひやりとした。



(庇護は構わないが、本気の執着は歓迎しないということか……)



しかしそう思われるということが、ネアが自分によく懐いているという事実に起因するのだから、満更でもない。


ウィリアムとて、シルハーンから彼女を奪うつもりはまるでないが、それでも嬉しいと感じてしまうことは否めない。

元々ネアのことは気に入ってはいたが、あくまでも知人の一人として気に入ることと、自身の愛情をかけることは違う。

なので、この種の喜びを感じるということも新鮮である。




(………やはり、何か買っていってやろう)




しかし、数日ぶりに再会したネアは、なぜか微妙な顔で出迎えてくれた。

シルハーンの微笑みに、ひたりと嫌な予感が落ちる。

そこには何の拘りもなく、こちらを警戒している素振りもない。



(…………あの方は、ネアに何を言ったんだ)



やはり、どこかで挽回する必要がありそうだ。







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