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109. 気を抜いた瞬間の事故でした(本編)


その日の朝食は、思い思いの時間に摂ることとなった。

悪夢が晴れ始めているので、エーダリア達は外部との通信にかかりきりなのだ。

遮蔽の緩めや魔術基盤の再調整など、その作業に現在ディノも貸し出されている。


謹慎処分などでお騒がせしたので、ネアは魔物を快く貸し出しているのだが、本人は酷いと言って騒いでいた。

これが社会というものなので頑張って学んで欲しい。



因みに、謹慎処分が四日で終わってしまったことについては、ウィリアムが上手く伝えていってくれたようだ。

自分が、ネアを連れていけないような仕事にかからなければならなくなったとエーダリア達に伝えたようで、ネアの作戦を知っていたエーダリアからは、お前は何をしたんだと胡乱げな眼差しで見られてしまった。


「なので、残りの謹慎期間は後日使うと聞いた。……まぁ、今回は結局休みを使わなかったのだから、自由に出てくるといい」

「…………後日」

「どうした?」


こちらを見たエーダリアの眼差しに、ネアは遠い目になる。

やはり魔物のしたたかさは格別で、こちらが差し出したカードを引っ込めることは許してくれそうにない。


「…………いえ、後日きちんと追加謹慎させますね」


ちらりと見た隣の魔物も、やや呆然としているようだ。


「………聞いてない」

「ディノ、私も初耳でしたが、やはり言い出したことはきちんと完遂せねばならないのも確かです。私も叱られた思いですので、きちんとやり遂げましょうね」

「………そうか、お前は初耳だったのか」

「しかし、去り際に今度約束した砂漠に連れて行ってくれると言っていました。それかと思います」


エーダリアは若干顔を強張らせていたが、ヒルドは少しだけ複雑そうに微笑んで頷いてくれた。


「あちらの砂漠の民達は独特ですからね。ウィリアム様に同伴いただいて、知見を深めるのは良いことかもしれません」

「そうなのですね!………ほら、ディノ。ディノは謹慎、私は研修のようなものです。残り三日分ですから、今回よりは短いですよ?」

「っつーか、今回は引くことで好感度を上げつつ、次の機会に憂いなく連れ出せるように手を打ったんだろう。相変わらず腹の中まで真っ黒だな」

「でも、確かにこのくらいでいいのかも知れませんよ?一緒にいるとほっとする方なので、今回はもっと楽しいかと思ってましたが、一緒に過ごした結果、なぜか長時間一緒にいると疲れると知りましたので、切り分けていただいて良かったです」


ネアの言葉に、部屋はしんと静まり返った。

皆の顔色が宜しくないが、どうしたのだろう。


「ネア、お前はそれを決して本人に言わないようにするんだぞ?」

「エーダリア様?」


重く言い含めてきたエーダリアに、なぜかアルテアまで忠告を重ねる。


「今回のことでわかっただろ?あいつは面倒な部分があるからな。変に刺激するなよ?」

「む。……そうですね、懐には入れて欲しかったのですが、あまり依存されても困りますので距離は上手く保ちます」


ふんすと胸を張ったネアに、なぜかエーダリアは頭を抱えてしまった。

よろよろと部屋を出て行くエーダリア達に、少しだけご機嫌になったディノが仕事に行く前のハグをしてゆく。


「ディノ、私の言い方だと残虐過ぎますか?祖父を省みない、冷たい孫のようでしょうか?」

「そんなことはないよ。君はただ、私以外の者とは相性が悪いだけだから、気にしなくていい」

「………さてはそれでご機嫌になったのですね」



少しほっとしたように部屋を出てゆくディノを見送りながら、ネアはよしと頷いた。

これでふわっとしたまま、ウィリアムとの砂漠旅行に行く許可が取れたようなものだ。


(過ごし慣れたリーエンベルクだから閉塞感があったけれど、旅先なら他にも目が向くし、三日ぐらい楽しくやれそうな気がする!)



そんな早朝のやり取りを思い出し、ネアは微笑みを深めた。


「お前、まだ食べるのか?」

「今日の午後にはお外に出られるくらい悪夢も晴れるようですし、ここにあるパンは食べてしまってもいいと聞いていますよ?」

「量がおかしいだろうが。何個目のペストリーだ?」

「失礼な!まだ三個目ですよ!!」


お留守番のネアは、銀狐を膝の上にアルテアと一緒に朝食をいただいている。

銀狐は昨晩エーダリアと遊び過ぎてしまい、現在も丸まって熟睡しているが、ネアの危機には目を醒まして戦ってくれると信じている。

エーダリアからも、危険時にはちゃんと起きるようだとお墨付きをいただいたので、膝の上に乗せているだけでも心強い。

決して、ブランケット代わりではないのだ。


(本当はディノもゆっくりさせてあげたかったけれど、こんな機会でもなければエーダリア様達とじっくり話せないだろうから)


何だか今回の悪夢では各々が少しばかり仲良し度を深めたようなので、今回のようにきちんとした理由がある機会を逃さず、あえて彼等と行動させることにしたのだ。


(…………そう言えば、)



「アルテアさん、紡錘形で平たいパンのような生き物を知っていますか?集団でぼふんぼふんと飛び跳ねて移動する生き物で、目や口は見当たりません。綺麗な黄金色で美味しそうな、ソーセージサンドに使うようなあの良く見かけるパン形のやつです」

「失食の魔物だろうな。形状と集団で移動するあたり、恐らくはだが」

「しつじきのまもの…………」

「定着していた集落が失われて、作物や生き物を育む祝福が枯れた土地に現れる。触れられると、食に関する欲を奪われるが、代わりに大地に食にまつわる祝福を刻印してゆくらしいぞ」

「つまり、被害にあった方にとっては嫌な魔物で、荒れてしまった大地には良い魔物なのですね……」

「とも言い切れないな。過食で苦しむ王族なんかが、あえて食欲を奪わせることもあるらしい」

「痩身の神でした」

「そういやお前、ドレスは入るのか?」

「嫌な質問を誘発しましたが、昨日は砂漠を素敵に探索したのでそこそこ消費しているような気がします」

「どう考えても足りないだろうが。食べている量を考えろよ。…………あんまり変化はなさそうだが」

「ウエストは括れていますよ!日常生活でたくさん力を使うのです。お部屋の魔物の世話をしなければいけませんから」


そう答えたネアに、アルテアは少しばかり嫌そうな顔をした。


「…………何の世話だ」

「入浴後にわざと髪を濡らしたままうろうろするので、その髪を乾かしてやり、そうすると今度は喜びの表現として羽織ものになってくるので背中にへばりつかれたまま、引き摺って歩かなければなりません。勝手に椅子になられた場合は抜け出すまでに疲労困憊しますし、浴室に侵入して浴槽の隣でお喋りをされてしまうと色々神経と体力を使います。些細なことで寂しがってへばりついてくるのを排除し、お隣で眠る際には寝相が宜しくないのでくっついて来たところを蹴り落とす作業が発生します。おまけに、頭を撫でるときには、ディノを屈ませても背伸びしなければなりません!」

「…………子育てだな」

「プールでの水泳指導もあり、お料理教室もあり、体力はかなり使っていると自負しております」


説明しているネアもだが、聞いているアルテアも虚ろな目になってくる。

魔物の王とは何だろう。

稚いが故に向けられる愛情もあるが、どう考えてもディノのこれは様子がおかしい。


「そして、最終的には狩りで鬱憤を発散します!」

「動きっぱなしだな。もっとだらけてると思ってたが………」

「睡眠至上主義なので、本当は休日は、十時間ぐらい寝ていたいのです」

「お前の場合、そこに食欲も入るだろうが」

「いっぱい食べて、たくさん寝たいのに……………」

「その欲求がどれだけ危ういかはさて置き、休みの日ぐらい寝てればいいだろ」

「私に、あの素敵な朝食のホイップバターを、一回でも諦めろと言うんですか!」

「諦めて寝ろよ」

「そんな残忍な魔物は、これからも激辛スープで充分なのでは」


そこでアルテアにぴしりとおでこを叩かれたネアは、渋面で膝の上の銀狐をぱすぱす叩いた。

これでは護衛にならないではないか。


「おのれ!護衛対象のおでこが危険に晒されているのに、なぜ寝たままなのだ!」

「………そいつに出来るのは、ボールを追いかけることと、寝ることくらいだろ」

「確かにアルテアさんが見る限りそんな感じですが、本当は賢い良い子なのですよ!」

「…………賢いねぇ」


そこでアルテアは、油断して眠っている銀狐のお腹にわしゃっと手を当てたので、銀狐は飛び上がって床に落ちた。

軽く毛を混ぜたぐらいの触り方だが、熟睡していたので相当驚いたのだろう。


「き、狐さん?!」

「起こしてやったぞ」

「何てことをするんですか!いきなり落ちて捻挫でもしたら許しませんよ!!」

「いや、そいつはそもそも護衛なんだろうが。何でお前が守ってるんだよ」


その言葉を聞いて、床の上で目を丸くしてけばだっていた銀狐が、尻尾をぴしりと伸ばす。

無駄に胸を張ってふさふさの毛を見せたので、自分の有能さをアピールしているようだ。

しかしそれは、“仕方ない撫でさせてやる”のポーズなので、ここで可愛さで戦おうとするのは無謀だと言ってやりたい。



「………愛玩犬だな」

「とは言え可愛いは正義ですよ。ゼノの愛くるしさを見て下さい!」

「じゃあ、そいつとゼノーシュならどっちが可愛いと思う?」

「………ゼノには誰も敵いません」

「そうなると、そいつの取り柄は意味があるのか?」

「…………狐さんの取り柄。もふもふの毛皮でしょうか?」

「もうすぐ冬毛じゃなくなるぞ?」

「………取り柄が」


己の取り柄が次の季節で失われてしまうことに気付き、銀狐は目を潤ませてけばけばになっている。


「ええと、狐さん、………ほら、尻尾が可愛いですし」

「尻尾も夏毛になるんだろ?」

「アルテアさん、小さな生き物を虐めてはいけませんよ」


銀狐はすっかりしょげてしまったので、もはや護衛としては役に立たなさそうである。

ネアは意気消沈してしまった銀狐を抱き上げ、きゅっと抱き締めてやった。


「狐さんはもうリーエンベルクの家族なので、取り柄など無くても構わないのです」

「お前、それは慰めてないからな」

「むぅ。………しかし、他にどう言えば………」

「……………本気で他に取り柄はないのか」


呆れたアルテアにも撫でられて、銀狐はやさぐれた目になってしまった。

敵にまで同情されてしまったのが悔しいようだ。


「いいんですよ、そのままで。春にはピクニックに行きますし、夏には川や湖で水遊びをします。冬毛のままなら大変でしょう?それに、毎年冬毛の季節は必ず来ますから」


ネアにそっと頭を撫でられ、銀狐は目を潤ませて尻尾を振り回した。

アルテアも黙ったので感動しているのかと思って顔を上げれば、ネアは微かに目を瞠ったアルテアに気付く。



「…………アルテアさん?」

「…………お前が身構えずに先のことを話すのは珍しいな」

「……確かにそうかもしれません」

「シルハーンにも言わないくせに、狐になら言うのか」

「特に深い意味はありませんが、…………狐さんですしね」

「あいつの前では言うなよ。相手が狐だろうが虫だろうが荒れるぞ」

「虫とこれからを語ったりはしません。寧ろ、あやつらには、早めにいなくなっていただきたいくらいではないですか」

「虫の系譜の魔物も多い。あんまり口を滑らせると、呪われるぞ」

「おのれ嫌な奴らめ、滅びてしまえ!」

「わかった、わかった。落ち着け」


天敵である蜘蛛を想定してネアが臨戦態勢に入ってしまったので、アルテアは荒ぶる人間をひょいと膝の上に抱え上げた。


「椅子になることは許可していません!」

「悪いが椅子じゃなくて、拘束だ。いい加減落ち着け」

「変な色の靴を履いた人に言われたくありません!」

「…………待て。………これでもまずいのか?」

「まずいも何も、何で鳥の頭が描かれているのかわかりません。派手派手な原色の、相当個性的なやつですよ。しかしそう尋ねるということは、アルテアさん的にはお洒落だと思ったのですね?」

「…………そうか」


そこでアルテアもダメージを受けてしまい、ふとどきなことに、ネアを拘束したまま使い物にならなくなってしまった。


「おのれ、私を解放してから落ち込みなさい!」

「うるさいぞ、じっとしてろ」

「うるさいのは、解放を求めているからです!離し給え!!」


さっそくここでも着々とカロリーを消費する羽目になり、ネアはたっぷり十五分くらいかけて拘束から逃れた。


「…………なぜに魔物さんは拘束技が好きなのだ」


少し形は違うが昨日ウィリアムにもやられたばかりなので、床に転がり落ちて息を上げながら、ネアはそう暗い目で呟く。



「これはもう、拘束した瞬間に殺すぐらいの武器をダリルさんに発注…」

「いいか、お前はもう二度とあの妖精から道具を貰うな!」

「脆弱な人間から武器を取り上げるつもりですね!」

「とにかく、あの妖精の武器はやめろ…………」

「………つまり、とても有効だと証明しているのでは」


ふっと笑ったネアに、アルテアがぎくりと固まる。

ここまで手薄な表情を見せるのだから、効果を自ら保証してしまったようなものだ。


「たくさん蓄えておき、悪い奴等をがんがん懲らしめてゆこうと思います」

「だったらウィリアムにも使えばいいだろ………」

「実は、私とて危機対策をするので、拘束された時に一つくっつけてしまった呪いがあるのですが、発動することはなさそうですね」


その瞬間、アルテアがばっと視線をこちらに向けた。

まじまじと見られて、ネアは己の有能さに少し照れる。


「…………何の呪いだ?」

「あんまり選んでいる余裕がなかったので、適当に手に持ってたんですが、嫌なやつに、死ぬまで付き纏われる呪いでした」

「…………と言うか、そんなものを作れるダリルは何なんだ………」

「ダリルさんの魔術は、時間と迷路ですからね。知識量がとんでもないのです!」

「………知る限りの妖精の中でも、最上級にろくでもない能力だぞ。自然派生のシー達より魔術が潤沢なくらいだからな」

「ダリルさんは強いのですねぇ。素敵な師匠を持ちました」

「…………弟子入りだけはやめろ」



アルテアの説明によると、シーの中で最高峰とされるのは、やはり四元素や事象周り、元より多くの力を溜め込む場所となる、森や海などのシーである。

しかしながら、彼等とは別に世の中の需要から魔術を潤沢にし階位を上げてゆくシーもおり、それがロクサーヌを筆頭にした望まれるもののシーだ。


「だが、更にそれとも別に派生したのが、人間が作り上げたものの中で派生するシーだ。火薬にもシーはいるし、戦乱を司るシーもいる」


教えられたものの中で、ネアが一番気になったのは、厨房のシーである。

是非に知り合いになりたい。


「書庫は欲や魔術が集まる場所だからな。あの星鳥もそうだが、この土地は変異体として、厄介なものが生まれやすい」

「ダリルさんが派生された頃のウィームにも、力のある方が集まったことがあったのかも知れませんね」

「かもしれないな」


ネアの隣の銀狐が首を傾げて目を細めているので、何か思い当たる節があるのだろうか。

懐かしむような顔に見える。


「ところで、ほこりはいつ迎えに行くのですか?」


ネアの質問に、アルテアは露骨に嫌な顔をした。


「……もうここの悪夢も晴れる頃合いだ。明日にはウィームを発って、回収に行く」

「どうして顔色が悪いのでしょう?派手派手さんのままほこりに会ったら、嫌われてしまいそうだからですか?」

「…………いや、あいつは今、貝に夢中らしい」

「…………貝に」

「焼いて食べれば好きな味だと知ったらしい。下手すると、悪夢の精霊王がいなくなるぞ」

「………早く迎えに行ってあげて下さい」


ネアは不安いっぱいになったが、幸いにもアクスの仕事が落ち着いたアイザックが、世話係に復帰してくれたようだ。


「と言うか、このような災厄の後ですし、アクス商会さんは稼ぎ時なのでは?」

「今回は思っていた程の被害が出なかったんだろう。ウィリアムの鳥籠の指導に始まり、シルハーンも調整をかけたからな。リーエンベルクでの悪夢の受け方が万全だった」

「成る程!それに、結果としてはアルテアさんも、ジーンさんも悪夢を抑えてくれましたしね」

「…………そうだな」



ここでアルテアは、個人の悪夢が展開されることを、嵐で言うところの堤防の決壊に例えた。

つまり、今回のように手段として活用されただけだとしても、ジーンが触れ、ディノやアルテアが介入し、ウィリアム程の階位の魔物が自身の悪夢を切り出してしまった以上、悪夢は綺麗にガス抜きされてしまったのだ。


「最初の犠牲者も高位の術者だったんだろ。つまり、そういうことだ」

「アルテアさんの悪夢も少しばかり反映されてしまいましたね」

「…………俺のものは展開してないだろうが」

「アルテアさんが見たジークは、アルテアさんの悪夢が混ざったものだったようですよ。ウィリアムさんが話していましたし、ディノも誤解が解けたようでほっとしていました」

「…………悪夢の混線?」


それはなぜか、アルテアにはショックな事であったらしい。

それっきり大人しくなったので、ネアは銀狐に蜂蜜入りのフルーツヨーグルトを食べさせる作業に専念することが出来る。

口周りが汚れないようにするので大変なのだが、銀狐はこれが大好物なのだ。



「ネア、…………また見た事ないことしてる」


そうこうしていると、仕事を終えて戻ってきた魔物が、スプーンでヨーグルトを食べさせているネアを見て、悲しげに目を瞠った。


「お帰りなさい。何か食べますか?」

「……いい。それより、スプーン………」

「ディノ、これをやって貰えるのは、動物と小さな子供と、介護の必要な病人やお年寄りだけです」

「………怪我した時にもやってくれなかったね」

「わざとの怪我には適応されません」

「………わかった」


そこで魔物は嫌な沈黙を挟んだので、ネアは眉をぎりぎりと寄せる。

思えば昨晩もこの変態にご褒美を与えていないので、あまり溜め込ませても厄介そうだ。

この沈黙は納得のそれではなく、悪巧みをしていた間だとよくわかってしまうものではないか。


(荒ぶらせないように、適度に甘やかす必要もあるのかしら……)


なのでネアは、不自然な物わかりの良さで紅茶を飲み始めた魔物の袖を引いた。


「………ディノ、こっちを向いて下さい」

「ネア?………………っ!」


差し出されたスプーンに、魔物はぱっと頬を染めた。

ふるふるしているばかりなので、業を煮やしたネアは次の行動の指示を与える。


「はい、お口を開けて下さい」

「ご主人様………」


ものすごくもじもじしてから控えめに口を開けたので、なんだか幼気な少女に無体を働いている気分になる。


「………はい。特別ですよ?」


その口の中にフルーツヨーグルトを入れ込んでやり、ぱくりと食べた魔物に微笑みかける。

さすがに銀狐と同じスプーンでは可哀想なので、ネアのティースプーンで食べさせてやった。


「今回限りですからね。…………ディノ?!」


残念ながら魔物もそこでテーブルに突っ伏して死んでしまったので、部屋は再び静かになる。


「早くお外に出たいですね。ウィームの街や森が無事だといいのですが」


銀狐があまりにもじっとりとした目でこちらを見るので、ネアはそう呟いて誤魔化した。

好きで二人の魔物を機能不全にした訳ではない。



窓の外の悪夢はもはや切れ切れになっており、墨色の靄に見える。

風は弱まり外の景色が見えるようになっていたが、リーエンベルクの中庭は比較的問題なさそうだ。


よく見れば花壇の花が倒れていたり、木の枝が落ちていたりもするが、このくらいであれば普通の嵐とさしたる違いはない。

しかし犠牲者も出ているのだから、やはり災厄は災厄なのだ。



(…………あれ)



そこでネアは、気になることを思い出してしまった。


(ウィリアムさん、この悪夢が明けたら街を見てみるって言っていたけど、良かったのかな?)


そう言えば、去り際も随分と唐突であった気がする。

もしや、あの場は上手に大人の対応をしてくれただけで、案外うんざりしていたのだろうか?


(でも、あの後も一度は迎えに来てくれたし……うーん)



「………ネア?」


首を傾げていると、むくりと生き返ったディノが目敏く見つけてくる。

そっと伸ばされた指先で頬を撫でられて、ネアは懸念を伝えてみた。


「いえ、ウィリアムさんは、今回の悪夢が終わったら街を見ると話していたのですが、良かったのでしょうか?」

「あれは引き際が上手いからね」

「………引き際?」


ディノの言葉を補足してくれたのは、少しだけ復調した様子のアルテアだった。

気を取り直して珈琲を飲むようで、立ち上がりながら億劫そうに教えてくれる。


「お前との関わり方で、少し度が過ぎたことを自覚してたからな。欲が出てきた分、今回はシルハーンの手前、上手く熱を冷ましたんだろ」

「むぅ、やはりの危機管理能力でした。しかし、お仕事に支障をきたしてないといいのですが……」

「出掛けにウィームを巡回してから出たと思うよ。暫くの間は近くにいたようだったからね」

「それなら良かったです。……今回はわかっていた上で失礼なこともしましたし、それでお仕事にまで支障があったら申し訳ないですから」

「………でも、距離は置くんだろ?」

「アルテアさん、お世話になった方を心配するのと、個人的な好き好きは別問題ですからね」

「そうだね。ネアは私とでなければ、楽しくないみたいだから」

「因みに一緒に長時間居ても楽で楽しい相手なのは、ゼノもです」

「ご主人様…………」


きっぱりと現実を教えたネアに、魔物はまたくしゃりとテーブルに突っ伏した。

最近くしゃくしゃになるとご主人様が優しくなる可能性が高いと発見したらしく、余裕がある時には過剰演出をするようになっている。



「私も、メランジェをいただきます」


憂いも晴れたので、ネアは膝の上でまたうつらうつらとしていた銀狐をディノの膝に置いてから、椅子を引いて立ち上がった。

悪夢が薄くなってきたので、リーエンベルクでも家事妖精達が働き出しているが、今は災厄の後片付けを集中的に任されており、本日の朝食もセルフサービスだ。



「む………」


前を歩くアルテアの腰のあたりに、素敵な赤い羽根飾りのようなものが下がっていた。

尻尾ではない筈なので、キーチェーンのような装飾品なのだろうか。

どうやら、今日のファッションテーマは南国の鳥であるらしい。


「アルテアさん、この羽根飾りは素敵で……」


濃い瑠璃色と深みのある黒に近い赤い羽が美しかった。

なのでつい、ネアはその羽根飾りに触れてしまったのだ。



「ふぁっ?!」



突然、がくんと体が垂直に落ちた。


足の真下に突然巨大な落し穴が現れたような感じで、急速に血の気の引くような感覚に目眩がする。

胃が迫り上がるという表現があるが、まさにそれという感覚も併発しているようだ。



「……………っ?!」



ぱっと視界が明るくなり、むわりとした熱気に包まれる。

真っ青な空の明るさに目を射られ、濃密な緑の香りに愕然とするばかり。



ばすん、と音を立てて地面に落ちた。

最悪お尻の骨は割れたかもしれないというくらいの落ち方であったが、思っていたよりも衝撃は軽いようだ。

この空間に吐き出されたネアは、ばりばりと生い茂る木々の枝を折りながら落下したので、見下ろした体は葉っぱまみれだ。

渋い顔になったネアは、体に乗った小枝や葉っぱを男前に毟って投げ捨てる。


「なぜ、ジャングル………」


ぽそりと呟いて見上げた空は青い。

さっそく、冬の装いのネアは、じわりと汗が滲んだ。

むっとするような湿度といい、蜘蛛が出そうな環境だと理解した途端、恐怖ででぶるっと身震いしてしまう。



「この羽根飾りの悪夢かもしれんな」

「……………っ、アルテアさん?!」

「………お前まさか、今になって俺に気付いたんじゃないだろうな?誰が悪夢に落下するお前を捕まえてやったと思ってるんだ?」


どうやら、落下でネアの尾骶骨が割れなかったのはアルテアが受け止めてくれたかららしい。

綺麗に下敷きになっており、それなりに頑張ってくれたのか髪が僅かに乱れている。



「…………ありがとうございます」

「まずは、その目をこっちに向けろ」

「アルテアさん!見たことのない鳥がいますよ!きらきら光っています。わ、あの花はなんて綺麗なのでしょう!!それと、私に近付く蜘蛛がいたら殲滅して下さいね」

「…………よし、さっさとシルハーンに迎えに来させろ!」



どうやら、悪夢の中での実習はまだまだ続くようだ。

ネアは目を輝かせて、色鮮やかな森を見回した。







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