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人間の理由と魔物の理由



「僕はさ、あれって案外どうでもいい枠なのかなって思ってきた」

「…………そうなのかな」

「なぜ私の部屋に来たんだ………」


深夜も近くなったその部屋には、万象の魔物と塩の魔物という何とも言えない顔揃えの魔物会議が行われていた。

ここは自室だった筈だと、本日気苦労が絶えないエーダリアは頭を振っている。


おまけにディノが占領してしまっているのは、エーダリアの愛用の長椅子なのだ。

その向かいにだらしなく腰掛けたノアベルトが、エーダリアが部屋に蓄えておいた蒸留酒を飲んでいることについては、後々きちんと審議しよう。


「勿論頼れるってのはあるんだろうけど、あれって男家族の扱いだよね。だから、ウィリアムは心配しなくていいんじゃないかなぁ」

「…………あの子が以前思いを寄せていた男に似ているようだし」

「え、ウィリアムが?」

「ネアの悪夢で見たんだ………」

「でもそれって悪夢だよね?アルテアもいたんだから、悪夢侵食だよきっと。僕が見たのとは違うもの」

「君も見たことがあるのかい?」

「チェスカの感傷の畑でね。僕にあの子の影響魔術が添付されていたからどう見えているのか念の為に写しを取っておいたんだけど、どっちかと言えば………」

「ノアベルト……?」

「………この国の第四王子が結構似てる」

「え、…………」


絶句した魔物達がこちらを見たので、エーダリアは呻き声を噛み殺して額を押さえた。


「なぜ私を見るんだ!ジュリアンと私は全く似てないぞ?!」

「その王子、必要かな……」

「害虫寄せで必要かな。でも、ネアには会わせないようにしよう!」

「絶対にウィームには近寄らないようにしておこう」

「…………それは助かるが」


ひとまず良い感じで落ち着いたので、エーダリアはほっとして本に視線を戻す。

しかし、今度は悲しげな溜息が聞こえてきた。


「…………ネアがいない」

「シル、今日はここで寝たら?」

「待て!なぜ私の部屋にした?!」


なぜか自室でお悩み相談を始められてしまったエーダリアは、ここで案外大人しく悲しんでいる魔物の姿に、ふと不思議な気持ちになった。


(契約の魔物は狭量なのではなかったのか?それとも、魔物の指輪を貰っているのが良いのだろうか)


そんなことを考えていたら、ノアベルトも同じ疑問を持ったようだ。


「でも、よく許したよね。悪夢も来てるんだから、今は駄目だって言えば良かったのに」

「………うーん、怖がらせてしまった時は自由にさせてあげないと、あの子は本当にここが好きかどうか悩み始めるからね」

「だから今回は許可したのかぁ」

「すごく嫌だけどね。………悪夢を見たばかりだし」

「え、シル悪夢見たの?」

「…………ネアがいなかった」


そこで万象の魔物がぼすんと長椅子に倒れたので、エーダリアはびくりと体を竦めた。

少しだけ、この魔物の感情表現はネアに似てきたような気がする。


「その直後は嫌だね。僕も、悪夢を使った後は暫く憂鬱だったからなぁ」

「でも、すごく怒った時にどんな感じになるのか、見ておいた方がいいって前に言われたし、今はとりあえずウィリアムが守護を引き受けるなら安心ではあるだろう?」

「………うん?どういうこと?」

「伴侶が怒った時の動作を学んでおくと、先回りして捕まえたり、事前に危なくないように手配出来るらしいよ。グレアムがよくそうしていたから」

「………つまり、ネアの場合は怒ると謹慎にされるってことか」

「みたいだね。今回のことが終わって暫くしたら、そうしないように約束事を増やしておかないと」


何やら魔物らしく恐ろしい画策をしているので、先程から術式本がちっとも読み進められないエーダリアは、溜め息を吐いて本を置くと、一言足させて貰うことにした。



「柵で囲まれると、ネアは逃げるのではないか?」


振り返った魔物の瞳の鮮やかさにどきりとしつつ、同胞の為に少しだけ束縛を緩めてやれればと思うのだ。


「逃さないようにはするよ。その為に、どの辺りまで柵を広げておくべきか、今回見ているんだ」

「…………成る程。それと、今回のことは学ばせる為でもあると話していたぞ」

「怪我をしないようにかい?」


ふっと相好を崩した魔物の微笑みの鋭さに、エーダリアはぞくりとする。


「困った子だよね。そもそも私は、あの程度では損なわれはしないのに」

「いや、その怪我が修復出来るのだと知った後なのだから、痛みを感じさせることも嫌なのではないか?肉体の損傷に人間は脆弱だからな、自分の苦痛と比べてこれくらい辛いはずだという理解をしているのだと思う」

「………そう言えば、人間は痛みに弱い生き物だったね」

「過ぎたる痛みは精神を壊すこともある。魔物とて、痛みを排除するのだろう?」

「それは煩わしいからだよ。単純に苦痛で壊れる高位の魔物はいないんじゃないかな」

「そうなのか…………、では尚更、そのことについてネアと話をした方がいい」

「おや、それはどうかな。常識をあらためてしまうと、もう心配してくれなくなるだろう?」


したりと微笑んだ魔物の凄艶さに、エーダリアはぞっとした。


(わざと認識を修正させないのか!)


そう言えばこの魔物は、アルビクロムの一件の頃からネアに心配されるのが大好きなのだ。

それを思い出してエーダリアは頭を抱えたくなる。

それでは、心配したり怒ったりと、ネアが振り回され過ぎではないだろうか。


「でも今回はあまり撫でてくれなかったな」

「………その結果、今回のようなことになるのは構わないのだろうか?」

「あまり楽しくはないけど、怪我の心配をしてくれなくなるよりはいいね」

「シル、ばれなきゃ叱られないのに」

「ネアの追及は厳しいんだ。でも、怒るのも可愛いからいいんだけれどね。それに、お仕置きは愛情がないとしないらしいし」

「お仕置きがして欲しくてわざと怪我したなら、ネアが選ぶお仕置きを誘導出来なきゃだね」

「今回は失敗だったかな」


そう微笑んだディノに、グラスの氷を足しながらノアベルトが小さく笑う。


「でも、やっぱりエーダリアがいるといいでしょ。人間の側の意見も聞かないと、僕達だけではわからないよ」

「それでこの部屋にしたのだな………」

「そう。僕の友達の意見を参考にするといいよって言って、ここに呼んだんだ」

「…………そういう場合は、まず私にも伝えてくれ」

「そういうもの?じゃ、次回からそうするね」


がたがたと窓を揺さぶる程の風が吹いている。

しかし外の木々は揺れていないので、悪夢性の強風なのだろう。


どこか全てが魔物達の欲望の手の上だと感じれば、エーダリアはふと、あの狡猾な部下の逞しさを自慢してやりたくなった。



「そう言えば、今回の謹慎は制裁という目的だけではなく、ウィリアムの取り込みも兼ねているのだそうだ。なので、そこまで怒っているという感じではなさそうだが」

「…………ネアが言ったのかい?」

「ああ。ダリルの、父親は子育てに関わらなければ、自分事としての自覚が生まれないという教えに則って活動しているらしい」

「えーと、何でそんな例えなの?」

「統括の魔物としての責任があるアルテアですらまだ自分を悪夢に放り込む雑さなので、もう少しまともなウィリアムも仲間としての枠にくくれないか、体当たりで試してくると話していた」

「…………わーお、相変わらずすごい攻撃の仕方するねあの子は」


手を叩いて笑っているのはノアベルトだけで、万象の魔物は意外なことだったのか目を瞠っていた。


「そんな話をネアとしたのかい?」

「あ、ああ。ヒルドの件で少し借りた時だな。私から、あまり契約の魔物と距離を置かない方がいいと諌めたのだが、その会話の際に、少しやりたいことがあるのだと今回の目的について話していた。…………ディノ、あれはあれなりに、自分の無力さをどこかで軽減出来まいか試行錯誤しているんだ」

「それは、軽減なのだろうか」

「手が塞がった時に足手纏いになる自分を誰かに託せるよう、その実習も兼ねているらしい。この通り斜め上に走ってしまう人間なのだから、あまり不用意に怖がらせないでやってくれ」

「成程、あの子は予備の守護を増やそうとしているんだね………」

「………まぁ、一番の目的は、望ましくない振る舞いと嫌な思い出を紐付けして、今後の事故を防ぐ為だとも言っていたが」


(しかし、実際にはもう少し厄介な作業なのだ…………)


記憶の中の声は朗らかだ。


『有り体に言えば、ウィリアムさんを調べてきます』

『ウィリアムを………?』

『今回のことで、やはり悪巧みの為になら、アルテアさんはウィリアムさんにそこそこ苛烈な嫌がらせをするのだと判明しました。そこで、私は少しだけ考えたのです』


そう微笑んだのは、したたかな人間。

それは魔物に計り知れない、人間らしい悪巧みの姿でもあった。


『正直なところ、アルテアさんの悪巧みでは、ディノは損なわれないような気がします。ですので、万が一にでも気紛れで悪意を持たれると厄介なのは、ウィリアムさんだという結論に達しました!』


てっきり、アルテアの抑えとしてウィリアムとの関係を強めるという話だと思っていたエーダリアは、驚いて顔を上げた。


『ウィリアムならそんなことは…』

『暇潰し程度の理由でそんな奇行に走るのが、魔物さんなのです。アルテアさんもあれだけ聡明な方なのに、返り討ちにされるくせにウィリアムさんに悪さをしますし、ウィリアムさんとてそこそこに魔物らしい心をお持ちです』

『………そ、そうなのか。いや、だが』

『ですので、現段階でどの程度歩み寄ってくれるのか調べつつ、あまり積極的に悪さをしたくないなぁと考えてしまうくらい、腐れ縁でがちがちに固めてゆこうと企んでおりまして』

『……………ネア?!』

『ノアとて、人間をたくさん殺してしまったくらいの荒ぶり方をしていたのに、今では同じ屋根の下のよしみだと言って、ゼベルさんの魔術損傷を夜中にこっそり治したりしているのですよ?』

『そんなことをしているのか……』

『ええ。ノア曰く、ここは大切な自分の居場所なので、きちんと手を入れて管理もするのだそうです。あれですね、獣が自分の巣のお手入れをする感覚ですよ。ディノもそれをやるでしょう?ですから、ウィリアムさんも何とかして、ここにあるものをある程度自分の巣の一つだと誤認識させる為の罠をしかけようと!』

『罠…………。そこまでしなくとも、今とてウィリアムはお前を可愛がっているだろう。その守護で充分ではないのか?』


その問いかけに、ネアはほんの少し、寂しげに微笑んだ。


『残念ながら、今のいただいている守護は、私をほんの少し気に入って下さっているだけの手薄なやつです。しかもその理由は私自身を見据えたものではなく、単にディノの歌乞いで、尚且つ人間がお好きだからの薄っぺらい土台だと思うのです』

『しかし、話を聞けばアルテアを諌め、お前を保護しにくるのはいつもウィリアムだろう』

『そこに私にとって嬉しい少しばかりの好意があっても、“シルハーンの為に”ですね。或いは、あの分厚いお仕事手帳のページを増やさない為に。もしその二つの要素を脅かさず、とても苛々した時にでも一雫の悪意をしたたらせる機会を得たら、ウィリアムさんはどうするでしょう?』


さすがにそこまで希薄な好意ではないだろうと思ったのだが、そこでエーダリアは自分の考えに愕然とした。

これではまるで、ネアよりも遥かに自分の方が得体の知れない魔物に依存しているようではないか。


『ですので、程々に良くしてやろうという階級から、あの者達を決して傷付けないという階級まで、よっこらせと持ち上げる為の、第一段階ですね』

『ネア、それなら尚更に危うい。仮にも、高位の魔物を作為で縛るなど……』

『エーダリア様、今の私はウィリアムさんにとって遠い兄の子供のようなものです!』

『あ、兄の子供』

『もし、ヴェンツェル様のお子さんがいれば、エーダリア様はある程度の距離感で可愛い奴めとは思うでしょうが、だからと言ってその子の為に自身の嗜好を変えたりはしないでしょう。しかし、もしそのお子さんをほんの少しでも預かって育ててしまったら、そう容易く無下に出来なくなる可能性が高くなりませんか?それは、二人の関係性が自分事になるからです』

『あ、………ああ』

『ですので、エーダリア様の懸念は理解しておりますが、少しだけ謹慎の影で調査工作活動とさせて下さい。お相手はウィリアムさんですから、危ないことではありません。あの方の優しさは私自身には向いていませんが、でも優しい魔物さんだと思います』


そう微笑むネアは、逞しい。

決して頑強だとは思わないが、脆弱だと理解しているからこそ、人間らしく狡猾になることが出来るという覚悟は持っている。


『しかし、随分と性急ではないか?』

『私も長くは生きませんし、地道にディノの周りを整えてあげたいですからね。自分の為にも、今から穏やかな日々と老後と、死後に備えて貪欲になってゆくに越したことはありません』

『ネア、…………』


アルテアが契約の魔物に負わせた傷を見て、ネアは少し考えたのだと言う。

レーヌの時ばかりでなく、それが例え作戦の内であれど、あの程度の手間をかけないと処理出来ない問題もやはりあるのだろうと。


『エーダリア様、私はこれからの生活の安全や安心を確保したいですし、ゆくゆくは、私が死ぬ時に私からのお願いとして、あの大事な魔物を頼みますねと言えるくらい、盤石な包囲網を設置したいのです!』

『…………ネア』

『それに、うちの狭量な魔物にドリーさんとの友情の邪魔をされた結果、深い理由は無くとも本能的に結構好きな方というのは、ウィリアムさんしか残っていません。人生の潤いとしても、仲良し度を深めてみせます!』

『ネア?!』


さすがに色々とまずいので、この会話までを魔物達に伝えることは出来なかったが、問題のないところまではこっそり伝えておこうと思った。


(…………私の我が儘だな)


思ってしまってから、エーダリアは妙なところで魔物と張り合ってしまった自分の浅はかさに恥じ入る。

相手は魔物なのだ。

人間をどう操作しようと、抗う術もないのが人間だと理解していた筈なのに。


(しかし、……あの会話を聞いて、心穏やかでいられるだろうか)


あの会話を聞いて、エーダリアがまず思ったのは、まるで死というものをあまりにも近しく感じているようだという懸念である。

先程ディノも話していたが、ネアは己の死をあまりにもすぐそこに見ているのだ。


(例え人間としての寿命ばかりだとしても、ネアは成人も出来ない魔術可動域なのだし、少なくともまだ三百年程度はあるだろうに……)


あと数十年しか生きられないかのような焦り具合に、見ていて複雑な気持ちになってしまった。

彼女が見立てている自分の不在は、ほんの先のことのようなのだ。

それはまるで、朗らかに笑っている年下の友人が棺桶の準備をしているかのような、なんとも言えない焦燥感を覚える言動であった。


そんなものを見てしまえば、そんなことをさせないようにと苦言を呈したくもなる。



「………それと、確認しておきたいのだが、ネアは咎竜の呪いの以降、特に命を削るようなものは授かっていないのだろうか?」

「どうしてそんなことを聞くんだい?」

「話しぶりを聞いていると、まるで自分などすぐ居なくなると考えているようなのだ」

「………そうだよね。確かにそうなんだ。でも、あの子は今の所命を削るような要素は何も持っていない筈だよ」


小さく頷いて、万象の魔物は憂鬱そうに目を伏せる。

どうやらこの魔物も、その言動に悩まされたことがあるらしい。


「……ネアって、魔術可動域低いから、肉体の消耗度は永遠の子供の区分だよね?」

「ああ。あそこまで低いと、魔術で肉体を酷使しない分、寿命は魔術可動域の高位者と同じくらい長くなる」

「…………ねぇ、シル。君の伴侶として得るものはともかくとして、それをあの子は知ってるのかな?」

「成人出来ないことなどは説明してあるよ」

「それで充分かなぁ?」

「あの子は、割とすぐに自分でも調べてくるけれどね。私は、答えたくないこともあるから、あまり寿命の話はしたくないんだ」

「………念の為に言うが、あれの自分に都合の悪いことに蓋をする才能は格別だぞ?成人出来ない魔術可動域について、掘り下げるとは到底思わないが」

「え、…………」


困惑した表情の魔物の王を見て、遠い目になった。

やや呆然としているようなので、これはもう原因確定かもしれない。


「もしや、知らないのでは……」

「って言うか、あの子は迷い子だよね?そちらの世界の運用はどうなのさ」

「………ネアの生まれた世界は、人間は百年と生きなかったような気がする」

「え、………どれだけ物騒な世界なの、それ」

「百年も生きられないのか?!」


こちらの世界では、最も短命だと言われる中階位の魔術可動域の人間ですら、平均寿命は百五十年程だ。

エーダリアのように魔術可動域が格段に広い魔術師となると、妖精と同じくらいの寿命を得るものもいるくらい。


とは言え、人外者による損傷や戦乱などで失われる命も多く、近代の戦乱続きであった世の流れでは、寿命以外の理由で命を落とした人間が八割とも言われている。

なので百年単位で入れ替えになってはしまうものの、健やかに生きられるのであればその範疇ではないのだ。

ヴェルクレアの政情は安定しており、現在の国民の平均寿命は二百年程になると予測されていた。


「百年生きたら、すごい長生きをしたねという世界だった………」

「シル、あの子と人間の寿命について話をしようか!」

「………うん」

「もしかして、ネアは数十年で自分が寿命で死ぬと思っていたのか………」

「そうかもしれない……」



少し落ち込んだのか、ディノは部屋に帰って行った。

意外に悄然としていたので一人で帰すことが心配になったが、どうやらこれからアルテアを構いにいくようだと知り、一安心だ。

そんな背中を見送り、残った魔物がやれやれと肩を竦める。


「あれ、大丈夫かな。謹慎が終わった後で、爆発しないといいんだけど」

「お前は帰らないのか」

「僕はヒルドから、エーダリアの面倒見るように言われてるしね」

「ヒルドから………?」

「そ。信用されてるよね!君もだけど、ヒルドとは友達だから、頼ってくれたんだ」


そう得意げに言う魔物に、エーダリアはまるで発作のような不思議な欲に駆られた。


(……………そうか、私はこの魔物と友人になったのだ)


それは天啓のようでもあり、衝動的な愚かな願いでもあり。




「ネイ、……いや、ノアベルト。私やヒルドがいる間で構わない。このリーエンベルクの守護に手を貸してくれないか?これは友人としての頼みだ。……今回のことで、少しだけ私も考えた。ネアですら悩むくらいなのだから、私と、このリーエンベルク自体の守りはやはり薄い。お前なら、或いは…」


勢いをつけた言葉が途切れ、エーダリアは、はたと我に返る。


(……………私は、今何を言った?)


ぎくりと凍りついた背中に、嫌な冷たい汗が流れた。

まるでネアの熱意に、愚かな理想論に、背中を押されて熱に浮かされたまま坂道を転げ落ちてしまったようではないか。


(……………くっ、どうにかして誤魔化し…)



「いいよ。友達だからね」


呆然として顔を上げれば、ノアベルトは不思議な微笑みを浮かべてこちらを見ている。

それは美貌の魔物らしい鮮やかさだけではなく、どこか満足げな奇妙な熱を孕んでいた。


「でも、僕にも対価を払って欲しいな。何しろ塩の魔物は魔術の根源を司る、引く手数多な魔物だからね」

「…………対価か、」

「そう、友達としてでも、対価は支払ってくれないと」


向こう見ずな願いがすっと冷めた。

そうなのだ。

やはり、魔物に愚かな期待などかけるべきではない。

ネアの言葉ばかり反芻していたせいで、なぜか自分も出来ることがあると、不思議な焦りに駆られてしまったではないか。


「………それは、どんなものを望むつもりなのだ?契約とする前に、教えてくれるだろうか」

「あはは、エーダリアは隙だらけだけど、やっぱり魔術師だから抜け目ないね。少し冷静になったのかな?」

「………かもしれないな」

「今の提案だって、僕を攻めるなら今だと感じたんだよね。あながち間違ってないけど」

「…………間違ってはいないのだろうか」

「だと思うよ。ヒルドも込みの提案だったけれど、歌乞いでもないのに塩の魔物を守りとした領主なんて、かつてないことだからね」


小さく笑う声に、自分の手を見た。

隙なく戦果を得てきた、決して綺麗な手ではないが、無謀なことだけはしなかった気がする。

どれだけ愚かな夢だと言われたことでさえ、それはいつもある程度の目算があっての挑戦であったのだ。


(対価を聞いたところで、私にそれが支払える筈もない)


領地などなければ。

もしくは、こんな身の上でなければ、己の身を削ってでも高位の魔物と契約してみたいという願いはあった。

こんな愚かな願いに晒されるとき、エーダリアは、やはり自分が魔術師でもあるのだと可笑しく思う。


しかしそれは、容易く願える事ではない。


(私は…………、)


「そうだね、僕がネアにふられても、ここにずっと住まわせてくれる?」

「え…………?」

「それから、女の子は連れ込まないけど、外泊はするよ?自分の城も一応幾つかあるしね。後は、ヒルドに叱られたら庇ってね。他の料理はいいけど、スープに玉葱は入れないで。あ!それと、ボール遊びは毎日してくれないと!新しいリードも欲しいな……」

「……………そ、それが対価なのか?」

「うん?僕、結構我が儘言ったけど、嫌だった?ブラシもつけていい?」

「その対価を支払うとしても、守護を願うのだから、こちらに不利益が出ては困る。それでもか?」

「ボール遊びだけは、必須………」

「よし、それで契約としよう!」

「わーお、エーダリアは太っ腹だね!」

「……………ああ。そう思ってくれて何よりだ」



少しばかり塩の魔物が不憫になったが、ここは黙っておこう。

この魔物の頭の中では、ボール遊びは物凄いご褒美なのだろうが、いつか自分の提案した対価のあまりの安さに気付くのだろうか。


「それと、僕はウィリアムとはとびきり相性が悪いから、そことの橋渡しは出来ないよ?」

「そうなのか…………?」

「友達だったんだけどね。…………でも、少し前に、ウィリアムの好きだった女の子が死ぬように仕向けたことがあるから、もう無理だと思うよ」


さらりとなされた告白に目を瞠る。

またしても、ネアの言葉が蘇った。

やはり、魔物の心の動きはとても不可解な自由さなのだ。


「友人なのに?」

「僕はね、ずっと気楽に女の子と遊んでばかりだったから、統一戦争の時に初めて取り乱したんだよね。そしたらさ、手は貸してくれたんだけど、あまり高位の魔物が人間の戦争を荒らしてはならないとか言うし」


それは有名な、ウィームの歌乞いと塩の魔物の悲恋の話の顛末だろう。

その日のことを思い出したのか、ノアベルトは少しだけ暗い眼差しで微笑んだ。


「その後でぼろぼろで会いに行ったら、お前でもそんな風になるんだなって驚いたんだ」


ネアから、この魔物は火を恐れるのだと知らされていた。

統一戦争の頃の記憶が深い傷になっているようなので、そのあたりはどうか気を使ってやって欲しいと。

心や体を縛る程の苦痛とは、決して他者が軽んじてはいけない領域なのだと思う。


「僕はさ、それが不愉快だったんだよね。おまけにその日のウィリアムは、守護を与えていた女の子の前から立ち去ろうとしていたところだった。僕は失くして、彼はまだ持っているのに余裕な顔をして手放す彼が嫌いだと思ったんだ。………だから、画策してその界隈を戦乱に落とし込んだんだ。………悪い遊びばかりしていたアルテアよりも、ウィリアムはいい友達だと思っていたけれど、その一言だけで彼を傷付けたくなったんだから、僕は酷い奴なのかな」

「…………それで、殺したのか」

「っていうより、戦乱に巻き込まれて生き長らえる程に丈夫な子じゃなかったんだよ。夫になった騎士も事故で怪我をしたばかりで、戦場に出れば死ぬなって感じだったしね。………それで、全部なくなってから、どうして捕まえておかなかったんだい?って言いに行ってやった。あの頃の僕、荒んでたからね」

「ウィリアムは、気付いているんだな」

「間違いなくね。でも彼も魔物だから、僕を責めたりはしないし、あの戦乱にはアルテアも噛んでたし、特に何かを言う訳でもなかったよ。でも、僕のことはかなり嫌いだと思う」

「…………よく、怒らなかったものだな」

「ウィリアムはさ、アルテアに怒るくらいのことはしても、激怒ってやつは絶対にしないんだ。ほら、仮にも終焉の魔物な訳だから、ウィリアムが激怒すると周囲一帯死の海だからね。きっと、その土地では未来永劫生き物が育たないくらいになるよ」

「…………ネイ、くれぐれも、二度とそんな嫌がらせをするなよ」

「嫌だなぁ。今の僕がそんな危ないことすると思う?」


そう笑った魔物に、若干の不安を残したまま頷いてからの後日、全てを終えてすっきりした顔で帰ってきたネアがとんでもない発言をしたのだ。




「無事に終わったようだな」

「ふふ、一瞬でしたがウィリアムさんが激怒りでしたので、困ったなと思いましたが、想定通り丸め込めました!」

「げき、おこり……………?」

「はい。怒るとウィリアムさん、魔物らしくて綺麗でしたよ」

「そ、それはどこだ?!どこで怒らせた?!………と言うか、何でお前は死者の王を怒らせても無事なんだ?!」

「エーダリア様…………?」


頭を抱えてしまったその頭上から、のんきな部下の不思議そうな声が聞こえる。



やはり、一番得体が知れなく恐ろしいのは、この人間なのだと再確認してしまった。

この部下が暴走した場合、ノアベルトはとても良い抑止力になるに違いないと考え、あの夜の自分を褒めてやりたくなった。


しかし、その契約についてネアに話したところ、そんな対価など支払わなくても、贈与に含まれてなかった食事を与えているので働かせるのは当たり前だと言われてしまい愕然とした。



やはり、これからも魔物の管理はネアに任せようと思う。





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