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101. 悪夢の中は穏やかです(本編)



悪夢が落ちて来ると、リーエンベルクはもったりとした暗闇に包まれた。

霧の濃度が変わるように、時折淡い光が揺らぐが、またとぷりと闇に沈む。


そんな中にいると、魔物の美貌が玲瓏と際立つ様は、確かに悪しき美貌のものであると再認識させられた。

区分は難しいが、清いものにはやはり見えない美しさである。


(光るのは精霊だと聞いていたけれど、魔物も光るみたい………?)


ネアはそう思っていたが、戻ってきたエーダリアによれば、ディノが光って見えるのは色彩のせいだとか。

透明度が高く白率も高いので、万象の魔物は光って見えるのだ。

しかしながら、ここに現在いる魔物は皆白いので、あまり比較にならないとネアは考えていた。


「でも、こうして見ると、白の質がこんなにも違うのですね」

「それぞれの特性が違うからね」


ディノの白はよく光る透明度の高い白だ。

アルテアの白はとろりと光る、ディノのように光を通さないが完全にマットでもない。

ウィリアムの白は、硬質でマットな白である。

アイザックの持つ黒のように無機質ではないが、どこか静謐で均一だ。

ディノが雪のような生きた透明な白ならば、アルテアのそれは液体のようで、そう考えてみたところネアはなぜか、ウィリアムの白は骨の白さだと考えてしまった。


(乾いていてすべすべしていそうな、透明度の低い白だからかな………)


普段見ていると、ウィリアムの白さには魔物の色彩らしい透明度があるので、こんな風に並べて際立たせなければわからなかった微かな違いなのだろう。

ノアがいたらまた違うのだろうかと考えてしまったが、ここは諸事情により並べるわけにはいかないのが惜しい。


そんなネア達は、現在遮蔽空間の一つでのんびり朝食をいただいている。

とは言え昼前くらいの時間ではあるので、これでもだいぶ後ろにずれ込んだのだ。

簡単なものになるが、さすがリーエンベルクの災厄ご飯と言えるメニューでもあった。


「ディノ、ごろごろいってるのは何ですか?」

「雷の悪夢だね。悪夢に侵食された森の生き物に、雷の悪夢を持つ者がいたのだろう」

「可哀想に、怖がってないといいのですが」


本日の朝食は、もっちりとしたヨーグルトを使って生地作りをした茶色い丸パンに、薔薇の祝祭のお陰で潤沢に揃えられていたハムの残り、ジャムとネアの生命線でもある各種のバター、簡単な香草のサラダに、山羊のチーズとジャガイモのシチューのようなスープだ。

正直、ネアはこれで三食いけるので何の支障もない素晴らしい朝食である。


「……でだな、ヒルド!紗幕の継ぎ目がなく、術式で言えば……」

「なるほど」


前の席に座ったエーダリアは、初めて展開してみた鳥籠の結界にいたく興奮しており、最初からの詳細をヒルドに滔々と語り続けている。

ヒルドは上手に流しながら食事をしており、本日は子供椅子を移動して、銀狐はその隣に座っていた。

だが、そうなると正面がアルテアなので、やはり尻尾はけばけばだった。

口周りにスープが付いてしまっているので、後で顔を洗ってやろう。



「ネア、この先は悪夢が入り混じってくる。おかしなものを見付けても、不用意に動かないようにな」


ウィリアムにそう教えられて、ネアはハムを頬張ったまま、こくりと頷いた。


「森の生き物の見る悪夢で、例えばネアの好きそうな毛皮の生き物が傷付いている夢が展開されるかも知れない。或いは、シルハーンの姿を思い描く生き物がいるかも知れない」

「ディノの?その可能性は考えていませんでした」

「万が一遮蔽空間が崩れたりした場合は、精神圧の高い誰かと一緒にいるといい。まぁ、シルハーンと離れなければ安全だと思うが……」


そこでウィリアムの眼差しに苦笑が滲んだのは、今のディノがネアにべったりになっているからである。

どうやら、先駆けて見てしまったらしい悪夢と、現在のこの部屋の奇妙な薄暗さが似ているようで、ディノは撫でてあげたいくらいにネアにべったりであった。


(お食事中は邪魔だけど、基本可愛いから困ったものだわ)


その代りハムをたくさんくれるので、ネアはそれで等価値交換として満足する。

スープのフェンネルをよけているようなので、それも有難く頂戴した。

最近のディノは、食べ物の好き嫌いは仕方ないのだという概念にようやく辿り着いたようなのだ。

食べられなくはないが若干微妙だと思っている食べ物を、積極的に食べなくてもいいのだと気付いたらしい。


「今日はこの後どうすればいいのでしょう?」

「ある程度遮蔽の確認が出来たら、各自自室待機だな。お前はくれぐれも外には出るなよ」


上司に判断を仰いだところそのように返ってきたので、ネアは魔物の反応を窺った。

外に出ないように戒められたのは、危険な目に遭う云々ではなく、思い入れのある初作品の鳥籠に害を及ぼさないよう注意されている感じがした。

エーダリアらしい執着なので、壊さないように注意してあげよう。


「俺は少し外に出てみようかな。この悪夢がどこ産なのかわかるといいんだが」

「遮蔽を開ける必要があるだろうか?」

「いや、転移で出れるから問題ない。あまり結界自体は触らない方がいい」

「わかった。ヒルド、午後からで構わないので少し中を確認するぞ。問題はなさそうだが、各遮蔽室の様子を見ておきたい」

「ええ。まだ悪夢の切れ目から通信が繋がる可能性があるそうですので、それまでは暫しダリルを追っております」

「街が気になるなら、俺が出た時に少し見ておこうか?」

「ウィリアム様、お願いしても宜しいですか?結局、行方不明者が三人程捕捉出来ないまま開始されましたので」

「ああ、見ておくよ。無事だといいな」


リーエンベルクを閉じる直前の最終段階では、ウィーム中央の領民の三名が行方不明のままだった。

三名とも、恋人や恋人候補との折り合いが悪く、薔薇の祝祭の夜にかなり思い詰めた様子であったという情報なので、上の者からすればどうか領外に失踪していてくれると助かるのだがというところだろう。

しかし、領内で悪夢に感染してしまった場合、万が一助かっても己の心内を悪夢で晒してしまうかもしれず、とんでもない辛い可能性が待ち構えている。

好きだった女性に袖にされる瞬間を大々的に公開するなど、死にたいくらいの辱めなのは間違いない。


ウィリアムは出てしまうのかと考えながら、ネアは隣のアルテアがやけに静かであることに気付いた。

何やら考え込むような様子だが、ちらりとそちらを見れば、気付いたのか視線を動かした。

唇の端に淡く浮かんだ微笑みに、ネアはふといつかの記憶が蘇る。


アルテアに命を狙われ、がらんどうだったリーエンベルクの風景に呆然としたあの日。

あれもまた違う種類の悪夢だが、きっと今の方が精神へのダメージは大きいだろう。

なぜだか、アルテアの目を見返したらそんな記憶が蘇った。


(でもきっと、今の私が見る悪夢は違うような気がする)


あの頃は、新しい世界を無邪気に楽しみ始めた頃だったので、廃墟のリーエンベルクを見たのだろう。

やっと手に入れた恩寵をなくす夢は、あの頃のネアの心内のままにどこかさっぱりした悪夢でもある。

けれど、もし今のネアが悪夢を見るのだとしたら、それは指輪を取り戻されてしまった日の場面か、或いは過去の罪に取り縋られる夢のような気がした。


(それはきっと、決して見たくないものと、もう一度会いたいからこそ引き摺りこまれる悪夢として)


そんな目に遭いたくはないので、きっちり魔物を繋いでおこう。

ネアは少しだけ意識して、相変わらずべったりのディノの三つ編みを膝の上に乗せておいた。

さも、魔物の為にやったように見せかけて、実は自分の為のセーフティなのだ。


(……………あ)


視線をパンに戻す際、斜め前のウィリアムが少しだけ微笑みを深めたような気がした。

きっと彼ならば、魔物の三つ編みを手繰り寄せた理由がわかってしまったのだろう。

気恥ずかしい思いもしたけれど、これは立派な自衛なのでウィリアムは偉いぞというような目をしてくれる。


「ネア、」


そんなウィリアムに、食事が終わって解散する際に呼び止められた。

ネア達は口元が酷いことになった銀狐を洗うことにして、部屋に帰ろうとしていたところだ。


「シルハーン、少し借りますよ。俺は暫く出てしまうので、注意喚起をしておきたいので」

「程々にね」

「ネア、ちょっといいか」


そうして少し離された先で、ネアはあえて死角を作るような立ち方をしたウィリアムに目を眇める。

そんな立ち方をされて初めて、彼もまた何かの予感を覚えたのだろうかと思案した。


「念の為にこれを飲んでおいてくれ。あんまりいい予感がしないんだ」

「…………これ?…………あ」


いつの間にか、手の中に何か豆粒のようなものがある。

こっそり転移で送り込まれたとわかったので、見てみる危険は冒さなかった。

ただ、ぎゅっと握り締めてその安堵感に微笑みを深める。


「万が一悪夢に囚われたら、抵抗しないのが一番だ。人間の見る悪夢は大抵命を奪うものだが、それでも命を脅かされるまでに段階を踏むことがほとんどだからな。自分の悪夢なのだから、冷静でさえあれば自分で判断がつくと思う」

「わかりました。粗相をしないように、注意して行動しますね」

「それと、念の為に言うと、悪夢との相性は悪夢本人を除けば、俺が一番いいと思う。安心していいからな」

「……………はい!」


そこでネアは、どうしてウィリアムがディノではなく自分に声をかけてくれたのかがわかった。

少し前にアルテアが言っていた通り、万象であるディノは悪夢の影響も受け易い。

そうなると、万が一ネアの大事な魔物に何かがあった場合も、ウィリアムを頼れると教えてくれたのだろう。


貰った何かの粒はその場で見ないようにして、ネアはディノの横に戻ると口周りが不本意そうな有様の銀狐を連れてエーダリア達と別れた。

短い歩幅でちょこちょこと付いてくる銀狐の目が据わっているのは、食べるだけ食べて眠たくなってきたからのようだ。

ふと、これはヒルドの護衛代わりだったのではと思い出したが、エーダリアが一緒なら問題ないのだろうか。

何となくだが、アルテアはエーダリアには少し甘いのだ。

それはヴェンツェルと親しくなる前からのことなので、案外気に入っているのかもしれない。


「ディノ、アルテアさんはどこに行ったのでしょうか?」

「ウィリアムが外に連れ出していたようだ。なので、エーダリア達には、何かあれば私に声をかけるように言ってあるから、安心していいよ」

「狐さんが遭遇すると萎れてしまうので、お外に出して貰えて良かったです」

「そろそろ、話した方が良さそうな気もするけれど、ある意味秘されているということも選択肢を増やすからね」

「…………ディノ、何の根拠もない不安なのですが、何かが起こると怖いので、何かを上乗せして下さい。………くっ、全部もやっとした表現になった!」

「…………ネア、怖くなってしまったかい?君はここに残りたいかなと思ったけれど、心配なら他の土地に出して貰おうか?」

「そうではないのです。災厄ご飯も美味しいですし、こうして只事ではない特殊な経験は、不謹慎な言い方ですが嫌いではありません。………上手く言えないのですが、今迄の自分の運を顧みた時に、不安を覚えました。私は経験から学べる人間でありたいので、念の為の安全策を補強しておきたいのです」

「困ったな。…………君の予感はとても当たるから」


立ち止まってこちらを見たディノが、水紺の瞳を翳らせる。

暗闇を背景にすれば艶やかなまでの輝きに、やはり恐れているのはこの魔物の方なのだろうとネアは思う。

因みに、こちらも不安になったのか銀狐が足にぴったり寄り添ってくれたが、まずは口元のスープのがびがびを綺麗にして欲しいので是非に止めていただきたい。


「有り体に言えば、私は何だかんだで大丈夫な気がするのですが、ディノがこれ以上萎れてしまうと可哀想なので、私は危機回避の為に尽力したという保険をかけておきたいのです!」


そう言ったネアにこちらをじっと見たので、繋いでいた手を引っ張ってぎゅうっと抱き締めてやった。

確かにこの魔物を粗雑に扱ってしまっていた時期はあり、あの頃のネアを思えば怖いばかりだろう。


「自分から危ないことは決してしませんよ。約束します。ただでさえ弱っている私の大事な魔物が、もっと弱ってしまったら困りますから。次のお休みは、スケート納めに行く約束ですものね?」

「…………それなら、少し重ねておこうかな。いや、結んでおこう」

「結ぶ?」

「そう。離れても側にいられるように」


その次の瞬間、ネアはショックのあまり倒れそうになった。

おもむろに、緩やかに編まれていた三つ編みを解いて、ディノが綺麗な髪を一束ざくりと切ったからだ。


「ディノ?!」

「これで少し結んでおこう。ある程度、私の魂を多く含むものがいいからね。…………ネア?」

「な、なんてことを!!私の魔物の綺麗な髪の毛が!!」


もはやネアは守り云々などどうでも良くなってしまったので、ディノが手に持っている真珠色の毛束を見ながら震えるしかない。

うろうろしたり、地団駄を踏んだりしつつ激情のままに動いて魔物を慄かせた。

しかし、無残に断ち切られた部分を見上げると、あまりにも悲しくて何やら泣きそうになってくる。


「ネア?髪の毛だから減った内には入らないよ」

「私の大事な魔物が、確実に減っているではないですか!!しかもそんないい加減なところで切り落としてしまって……」


表層の髪をひと束、かなり上の方で切り取った為、切断面の髪が浮いてしまっているのが何とも痛々しい。



「…………ご主人様」


叱られてはいるのだが、失ったものを惜しむご主人様に手厚く撫でられてしまい、魔物は喜べばいいのか落ち込めばいいのかわからず混乱しているようだ。

ネアとしては、もはや自身の保安問題などどうでもいいので、どうか切り落とした髪をくっつけ直して欲しいばかりである。


「どうしましょう。私の大好きな綺麗な髪が………」

「ごめん、びっくりしてしまったんだね。すぐに戻すから心配しなくていいよ」

「む………………戻せるのですか?以前、ウィリアムさんが髪の毛は大事だと話していた記憶があるのですが…」

「溜め込んだ魔術を刈り取るからね。でも、これくらいならすぐに補填出来るよ。今は不用心だけれど、悪夢が晴れたら元通りにしておこう。それで安心かい?」

「…………ディノ、ごめんなさい。私のせいで無理をさせてしまいました」


元通りになると知って少し落ち着いたが、そうすると今度は申し訳なさでいっぱいになる。

魔物の手の中にある毛束は、元通りにならないものの無残さできらきらと輝いていた。

その美しさがまた悲しくて、自分の発言を心から後悔した。


けれど、項垂れたネアに対し、ディノはなぜか満足げに微笑むのだ。

唇の端を持ち上げてカーブさせると、それはそれは魔物らしく艶麗に笑う。

そっと触れた手に頬を寄せて、ネアは後悔でいっぱいのまま魔物を見上げた。


「君が、自分から私の浸食を許すのは珍しいから、嬉しかったんだ。幾らだってあげるし、どんなものでも作ってあげるよ。でも君がこんな風に悲しむなら、あまり身が欠けないものにしよう」

「そうして下さい、心臓が止まるかと思いました…………」

「それと、どうやって持っていて貰おうかな。守護は肌に触れる部分が好ましいのだけれど、それなら指輪があるからね。いざとなったとき君から切り離せるように、君の身に擬態させて溶け込ませようかな」

「……………なぜか、少しだけ怖くなってきました。あまり私の心を損なう装着方法はやめて下さいね」

「外して忘れてしまったり、誰かに奪われたりしないように外せないようにしておこうね」

「若干、こんなお願いをしなければ良かったと思い始めました。………それと狐さん、なぜに私の爪先を全体重をかけて踏んでいるのでしょう?」


仲間外れが寂しかったのか、銀狐が前足に全体重をかけてネアの爪先を踏んづけていた。

視線を下に落とせば、何やらはしゃいだ感じで自分の尻尾の方をちらちら見るので、ネアは半眼になる。


「狐さん、そんな猟奇的なものはいりません。どうぞ尻尾を大事にして下さい」

「君はこれ以上補填しなくていいよ。この子は私のものだからね」


二人から拒否されて銀狐はしょんぼりしてしまったが、ネアはしゃがみ込んでその背中を撫でてやった。

口周りのスープは、おしぼりで拭いてはあるものの取りきれてはおらず、完全に固まってきてしまっている。

洗う際に苦労しそうだと思いながら、青紫色の目を潤ませて見上げた銀狐に微笑みかけた。


「狐さんは、こうやって撫でさせてくれるだけで充分素敵な存在なんですよ。なので、私を幸せにしてくれる元気で素敵な狐さんでいて貰う為に、綺麗に洗顔してきましょうね」

「………不服そうだね」


ぷいっとそっぽを向いた狐に、ディノは感心したように呟く。

こちらの魔物は撫でられるとすぐに落ちてしまうので、同胞の抵抗力に感心しているようだ。


「とは言え、尻尾を持たされるのはものすごく嫌です。動物虐待のようではないですか。…………しかも、人型になったときにどこの部位に相当するのか不安になります」

「………そういえば、どこになるんだろう」

「やめて下さい、狐さん!そこでどうして不思議だから試してみようという顔になるのですか!」


しかしその後、銀狐は尻尾が自分の体のどの部位にあたるのかの謎を確かめたくなったらしく、ネア達に顔を洗って貰った後、少しだけバスルームに籠っていた。

尻尾に魔術で印をつけ、元の姿に戻ったときにどこになるのかを調べてみたようだ。


狐部屋の中でその結果報告を待っていたネアとディノは、浴室からもそりと出てきた銀狐が、厳めしい顔でそっと首を振ったのを見て頷いた。

よくはわからないが、決して切り落としてはいけない場所だったらしい。

ちょっと内股になっているので、ネアからも、尻尾は大事にしましょうねと伝えておいた。



尻尾騒動を経て、いつの間にか時間は午後もだいぶ回った頃になっていた。


相変わらず外はもったりと黒く、ディノに聞けば夜になってもこの暗さは変わらないとのことである。

酷く暗いなと感じてしまうのだが、思えばウィームの夜はただの暗闇ではなかったのだ。

月がない夜も星は明るく、雪灯りはいつも冴え冴えと夜を照らしていた。

必ずどこかで妖精やら何やらがぺかりと光っていて、ただの暗闇というものは見て来なかったのだと今更ながらに驚いてしまう。


だとすれば、夜の光が美しいウィームの森で育った生き物達は、さぞかし怯えているだろう。

取りこぼしがなく、みんなが遮蔽空間に避難してくれていると良いのだが。


「ディノ、構って欲しいなら背後に回り込まないで下さいね」

「構って欲しいけれど、これは別件かな。もう済んだから、見えるところに戻るよ」

「…………別件」


お茶にでもしようかと、部屋に隠し持っているビスケットを取り出していると、何やら背後で魔物がもしゃもしゃしている。

ご主人様の背面に悪戯をしてはならないので、声をかけたのだが手遅れだったようだ。

ぎりぎりと眉を寄せて振り返れば、魔物はどこか満足げな顔でネアを見ている。

珍しくこちらの部屋に入れてもらってご機嫌の銀狐を踏んでしまいそうな勢いで部屋を横断し、ネアは鏡台に背面チェックに行ったが素人の目線では異変を見付けられなかった。


「心配しなくても、わからないし外せないよ」

「言い方!」

「どこでも傍に居られるから、もっと早くこうしておけば良かった」

「…………入浴など諸々の時は外せるのでしょうか?」

「指輪だって、いつでもつけているだろう?」


そう言われてしまって、ネアは背筋が寒くなってきた。

触れようとして触れるまではつけている感覚のない指輪なので、日常生活でも苦なくつけっ放しにしていることに慣れてきたところだったが、その言い方をするということはまさかという思いになってしまう。


「………外せないのですか?」

「ネアを守る為のものだからね。これからもずっと一緒にいるんだから、そんなに違いはないと思うよ」

「…………言い方がすごく怖い」

「ご主人様………………」


魔物は悲しい目でこちらを見るという高度なテクニックを駆使したが、ネアは忘れずに今度ウィリアムに見て貰おうと心に誓う。

あまり怖いものでなければいいのだが。

そして、部屋の向こうではこっそりネアの寝台に潜り込んで悪さをしている銀狐がいるので、早急に摘まみ出してお仕置きせねばなるまい。


(なぜに魔物のやり口は、こうも犯罪者寄りなのだ!)


頭の痛い問題が増えてしまった気がする。

ある意味、順当に悪夢の余波を受けつつ、ネアは、寝台のネアの定位置で仰向けに寝てみていた銀狐を捕獲した。

わかりやすく犯罪を見咎められた犯人の目をしているので、悪いことであるとはわかっているようだ。


「不法侵入は許しませんよ!火のお祭りには、まだ早いでしょうに」

「…………ネア、火の祭りに何かあるのかい?」

「む、報告を忘れていました。火のお祭りの日には、狐さんとお泊り会します」

「どうしてそんなことになったのかな」

「狐さんの魘されてしまう、火のお祭りだからです」

「……………ノアベルト」


ディノは小さく溜息を吐いたが、ネアと、ネアが持ち上げた銀狐が共に頑固な目をすると、もの凄く不本意そうにではあるが許してくれた。

ここでネアは一つの可能性に気付き、何とも生温い気持ちになる。

どうやらこの魔物は、自分に得るものがあって心が満たされていれば、少しばかり寛大になるようだ。

今回は、何かをネアに施したことでおおらかになっている気がする。


ともあれ、当日は川の字になって眠ることになるとも知らず、寝台に上げて貰えることになった銀狐は大喜びだ。


「喜ぶのは構いませんが、私の寝台に不法侵入したお仕置きが残ってますよ?」


しかし、枕に銀色の抜け毛を残されたネアが犯人を許す訳もなく、低い声でそう宣言すれば、銀狐はすかさず逃げようとした。

必死に手足をばたつかせるが、ネアに持ち上げられているままなので、虚しく足掻くばかりである。


「今夜のブラシがけはいたしません。どうしても梳かして欲しければ、ヒルドさんかエーダリア様に頼んで下さい」


逃れようもなくお仕置きを伝えられてしまった銀狐は、耳をぺたりと寝かせてしょんぼりしてしまった。

ブラシが得意なグラストが不在にしているので、ネアとディノがその事業から撤退してしまえば、容赦なく毛玉を梳かすヒルドと、そもそもブラッシングが得意ではないエーダリアしかいなくなってしまう。


「ネア、浮気……………」


しかしなぜか、お仕置きは愛情があるからこそ貰えるものという認識のディノまで萎れてしまい、ネアはまたしても苦境に立たされる羽目になった。

ご褒美としてのお仕置きなど、言語表現的にもほんとうにまずいやつだ。


(一刻も早く、ウィリアムさんに帰って来て欲しい!!)



このまま悪夢の状態が悪化しなければ、また晩餐会場で会える筈なので、ネアは頼もしい相談相手が近くに滞在してくれることに心から安堵した。

考えてみると、ウィリアムがリーエンベルクに数日泊まるのは初めてではないだろうか。


最初はとても不安だったが、案外このまま何事もなく終わってくれればいい。

でもきっと、そんな風に安直に願ってはいけないのかも知れない。


ウィリアムから貰ったのは、小さな赤い宝石のようなものだった。

珈琲豆の半分くらいのサイズなので苦も無く飲み込んでおいたが、その守りを生かすような機会など訪れないのが一番なのだ。




しかし、その翌日にネアは、やはり嫌な予感は当たるものだと頭を抱える羽目になった。

せめてもの幸いは、事前対策をしていたことである。





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