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災厄の準備と蝙蝠妖精


その夜明けは、目が回る程の忙しさとなった。

第一報が入ったのはリーエンベルクからである。


「ミンク様!リーエンベルクから緊急通信です!」

「………リーエンベルクから?」



アクス商会には、夜間当直がある。


顧客というものの要求は様々だ。

種族の違いによって活動時間も様々であるが故に、収拾不能な事態を避けるべく一応営業時間というものは決められている。


しかし、受けた依頼が数日や数週間に亘るものであれば、昼夜を問わずの業務となる為、役職付きの者が本社に控えていることが必要とされる。

作業員を派遣するような業務の場合、責任者の判断を問う場面や、遠隔操作が必要となる危機回避など、何かと多忙になるのがこの立場だ。


なので本日、ミンクはアクス商会に泊まり込んでいた。


アクス商会の本社とされるのは、ヴェルリアにある古い塔と、アルビクロムにある瀟洒な商館だが、そのどちらも扉の一つに過ぎない。

実際にアクス商会が“存在”しているのは、ウィームの高級衣料店の中だった。

その事実を知っている者は商会の中でも限られており、ミンクはその一人だ。

商会の中では中堅だが、戦争や暗殺などの前線業務に出たことがないので、上手く生き延びただけだと思っている。


それなのにまさかという天の采配で、その連絡が飛び込んできてしまった。



「………ハイダットの悪夢ですって?」


声が裏返らなかっただけ良しとしよう。

その通信は、領主付きの代理妖精からのもので、歯切れのいい喋り方と的確な報告を聞いている内に、荒波に揉まれていた心が落ち着いてゆく。


(やはり、このような役職に向いた気質というものがあるのだな……)


ダリルダレンの書架妖精。

その能力の高さは有名で、アクスの代表であるアイザックも、何度か引き抜きの声をかけたことがあるのだとか。

かなりの条件を提示し、アイザックも珍しく本気で説得したそうだが、すげなく断られてしまったそうだ。

なのだから、そんなあの妖精を籠絡したウィーム領主は大した人間なのだろう。


しかしながら、本日の書架妖精はその鋭敏な切れ味を見せるというよりも、他の作業と並列にこちらにも連絡を寄越した感たっぷりであった。

時折別の指示を挟むような間が空くので、相当に煩雑なのだろう。


「外来客に遮蔽空間を売って欲しいんだよね。半額分はリーエンベルクで補填するよ。避難手段がない者を優先して欲しい」

「持たざる者からと言われましても、我々とて顧客がおりますから」

「薔薇の祝福が最も濃いとされるウィームの、昨晩の宿泊価格はそれなりのもんだよ。そんな日にウィーム中央に滞在出来た外客達は、それなりの富裕層だ。繋いでおいて損はないと思うけど?」

「ウィーム中央にて被害を最小限に留めたいのは、あなた方の理由でしょう。我々共にも仕事がございますので、長らくご贔屓にしていただいております、顧客の皆様を最優先にさせていただくのは当然のことかと思いますが」

「そうさ、こちらは被害を出来る限り出したくない。感じのいいカードを切っている内に頷いておいた方が、アクスとしては美味しい話だと思うよ」

「と言うことは、違う趣きのカードもお持ちなのですね」

「そ。こちらには、災厄時の特殊対策法を盾に命じる方法もある。でも、おたくの代表はリーエンベルクの住人と上手くやってるからね。あえて優先的に補助金を出してやろうって心積もりだったんだよ」


少し考える。

恐らくアクスの商品を頼ってくる外来の観光客達は、外交上も発言権を持つ可能性のある、一定以上の貴族階級だ。

つまりのところ、ウィーム領としては、そこが最も被害を出したくない層なのである。

その上、遮蔽空間というものは有事ぐらいしか展開されない商品の為、品質保証などにもむらがある。

万が一の悪夢の遮蔽事故なども懸念される為、商品の信頼性が高いアクスの品をという気持ちもわかるが、アクスとて遮蔽空間の数には限りがあるのだ。


(しかし、災害時対策法に基づき、商品の無償提供を強要されたら厄介だな……)


在庫がないふりは出来るにせよ、一つも差し出さない訳にはいくまい。

そうなると、損失という意味ではそちらの方が手痛いのは事実だった。


「補填いただくのは三分の一で構いませんよ。その代り、公共施設などの損壊が生じた場合、補修作業をアクスに優先的に振り分けていただきたい。その際には、魔術基盤と排他結界、魔術による景観補正などを優先的にお引き受けします」


ふっと、馴染のある穏やかな声が割って入った。


「アイザック様!」


微かにこちらに頷いてみせたアクスの代表に席を譲り、ミンクはすぐさま現場の指揮にあたった。

先程の提案をアイザックがした以上、おおよそそのままで契約が交わされるだろう。

どうしてあの条件をと考えかけて、彼が提案した補修作業は公共施設の把握に向いたものばかりだと思い至る。

アクスが表向きに卸すのは物品ばかりだが、実際に商売の中枢を占めているのは、情報や市場調整だ。

例え入用になる時期が百年後になるのだとしても、どの土地よりも守りが堅牢なウィーム施設の内部資料は役に立つ。

補修工事程、その入手に向いたものはないだろう。


(急ぎ、遮蔽空間の在庫を確認して、…………術者に追加で発注もかけるか?)


そんな判断をつけている間にも、いよいよ形を成してきた悪夢の通り道で、既に被害が出たという第一報が入ってきた。

ガレンに所属している歌乞い達が救助に向かい、生まれたばかりの悪夢のかけらに触れてしまった商人達は王都へ搬送されたようだ。


「蝙蝠を放っておけ。そろそろ、注文が入り始めるぞ!」


魔術通信で現場に指示を出し、遮蔽空間とは違う悪夢用の商品の補填にも目を配る。

気象性の悪夢が上陸すると、その土地での滞在期間に合わせて人々は遮蔽空間に引き籠らざるを得なくなる。

その期間、遮蔽空間内での食事や娯楽など、売ろうと思えばきりがないのが実情だ。

何しろ、ウィームの領民達の生活水準は非常に高く、魔術の叡智に恵まれた住人たちは豪胆だ。


災害時になれば、早く、一刻も早くという空気で商品は飛ぶように売れてゆく。

遮蔽空間についてはアイザックに任せ、その周辺の商品を捌いていると、遠方出張から戻ったばかりの彼が部屋に入ってきた。


「遮蔽空間の残数は二十四です。ウィームは出入りの管理が徹底していますから、これ以上の要請はないでしょう」

「………思っていたより残りましたね」

「こちらとしてはもう少し恩に着せたかったところですが、殆どの外客につきましては、宰相御子息の無償提供した転移門でウィームを出ることを希望されたそうです。滞在中の補填金も動かさずに済む、実に上手い掃き出し方だ」

「補修事業の方はどうです?」

「被害状況を見て、という着地ですね。なお、リーエンベルクは、条例に則り閉鎖されました。しばらくは中央からの指示は下りなくなりますので、被害状況は蝙蝠で収集しましょう」

「はい。蝙蝠は既に外に出しております。我々が空間遮蔽に入るまでは、どのくらいの猶予がありますか?」

「そうですね、半刻程でしょうか。耐性の低い作業員は、ウィームから離脱させて下さい」

「かしこまりました」


指示を出しながら、アイザックはがらりと彼の印象を変えてしまう麻のスーツを、見慣れた漆黒のスーツに作り替えている。

上客の為に南国に出向いていたと聞いているが、アクスの職員達は、彼が南国に出向いたということに驚きを隠せずにいた。

そもそも暑さを好まない彼を出向かせるだけの、相当な事情があったに違いない。


「それと、ジーンはウィームを出ましたか?」

「はい。悪夢の発生報告と同時に離脱したようですが……」


正直、この忙しい時に逃げ出さなくてもという渋い思いはあったが、そこは何か事情があるようだ。


「であれば、被害が想定を超えることはなさそうですね」

「………ジーンは、悪夢に影響を与えるのですね。であれば、今後の悪夢の通過予測経路を送っておきましょうか?」

「そうですね、彼なら予測も容易いでしょうが、念の為に。それから、疫病の結界と死の対価の補填をして下さい。こちらも念の為にですが」

「………そこまで被害が?」


ぞっとして聞き返してしまってから、慌ててその指示を下に伝えた。

こちらの作業が終わるのを待ってから、魔術板で誰かと通信をしていたアイザックが教えてくれた。


「死者の王が訪れるそうです。あくまでも、悪夢対策としての来訪ですが、彼はやはり死者の王ですからね。あの方が手元を狂わせることはないでしょうが、絶対とは言えない」

「…………し、死者の王ですか」

「おや、あなたにも苦手なものがありましたか。リーエンベルクの方々と親しくされているようですから、時折お見かけしますよ」

「死者の王が恐ろしくない者がいるでしょうか?………それにしても、当代のウィーム領主は中々の御仁ですね」



ミンクがそう言ったのは、昨今、ウィーム領主を巡る噂の数々があるからだ。

新年の祝いには、統括の魔物がわざわざ訪問したと言うし、近頃のリーエンベルクには度々高位の魔物や竜の目撃情報が上がっている。

先日の傘祭りでも、リーエンベルクの者達はよりにもよって白いリボンを使った腕輪を身につけていた。


(さすが、北の王族の直系というところか………)


「ふむ。……単純に彼の功績と言う訳ではないのですが、一括りにすれば、確かにウィーム領主が潤沢な守りを得ているという話なのか」

「私はそれ以上は聞かないようにします。前線の仕事は御免ですから」

「まったく、あなたは手堅いですね」

「私のように、後方で研鑽を積む者も必要ですよ」



ミンクが商会に入ってから、もう四百年になる。

決して長過ぎる時間ではないのだが、“己の問題に限り、最悪を回避して体裁を整えられる”という何とも微妙な祝福は、それなりにミンクの身を助けてきた。


元々は、南方の小さな商船の守り神扱いされてきたが、アイザックに見出され、派遣官達の統括をする管理職を任されている。

最初は、自分は現場に出てこそ生かされる素材だと考えていたが、アイザックの配置は間違っていなかった。


大抵の場合、管理職まで前線の問題が上がってくるのはあまり良い状態とは言えない。

そんな、現場で処理しきれなかったある程度の差し迫った問題をミンクが請け負うと、不思議と緊迫した状況が改善することが多かった。

アイザックは、ミンクの持つ祝福を新しいやり方で生かしたのである。

そしてそれは、前線で使い潰されかけて疲弊していたミンクの心を生き返らせた。

ミンクは、役職付きの後方任務というこの仕事をとても気に入っているのだ。

定時帰宅というものは実に素晴らしい。


「蝙蝠は何匹出していますか?」

「七十ですが、増やしますか?」

「………ふむ、百にしておきましょうか。ハイダットとなると、やはり多めに記録をつけておきたい」

「では、郊外からも出しましょう」

「ザルツの観測点には?」

「魔術師を二名と、観測板のシーを派遣しました」

「良い組み合わせだ。中央の観測は、おそらくガレンが優先的に場所を押さえるでしょうから、中心地を外から測りたいですね」


蝙蝠とは、観測用の妖精である。

外見が蝙蝠に似ているのでそう呼ばれるが、実際には折り紙の妖精であり、悪夢のような精神に影響を及ぼす魔術に耐性が高い。

尚且つ記録する能力にも長けているので、災厄などの記録には重宝される妖精だ。


妖精には、時折記憶や記録に長けた個体が生まれる。

映像や文字など様々な分野の者がおり、現在のウィーム領主の補佐にも、かつて王都で通信妖精だった者がいた。


ただしその妖精は、通信妖精として側仕えにするという名目で侍らされた、実際には第一王子の護衛長だったのだそうだ。

剣であり盾であるというふざけた彼の有能さに、第四王子派から依頼のあった第一王子襲撃計画が頓挫したのだと、かつてアイザックが酒席で笑っていた。


そんな計画をアクスに持ち込んだ黄昏のシーは、どうやら誰かの手にかかって滅びたのだそうだ。


アクスの中にもあの女性との取引には顔を顰める者が多かったので、陰ながらほっとしてる従業員も多い。

実は、ミンクもその一人だった。



(あ、………羽?)


その時ふと、アイザックが取り出した魔術連絡用のメモ用紙から小さな羽が落ちた。

ふわりと舞った白い羽に、黒曜石のような瞳が動く。


ミンクの方が近かったので、手袋をした手で羽を捕まえると、そっとアイザックに差し出した。


「助かりました。抜け落ちたものをチーフに挟んだのを、すっかり忘れていました」

「今回のご出張の件ですか?」

「ええ。実に興味深い鳥がいたので、ハルディム島に隔離するということで、同行して、みましたが、いやはや……」


微かに唇の端を持ち上げて微笑んだアイザックに、ミンクは目を瞠った。

アクス商会の代表がこんな風に笑うことはない。

それはきっと、余程愉快な仕事だったのだろう。


「……ハルディムとなると、極楽鳥ですか?」

「このくらいの、綿菓子のような小さな鳥ですよ。その極楽鳥を二羽も食べてしまった」

「極楽鳥を………?!」


極楽鳥は希少で美しい乙女である。

その見た目に反して、船乗り達を呪い殺してしまう性悪な美女だが、男達が彼女等を庇護しないことはなかった。

かつて、ミンクが乗っていた商船も、時折その被害に遭っていたのでよく覚えている。


レーヌのような女性を気に入っていたアイザックなら、極楽鳥を気に入ると思っていたので意外だった。


(綿菓子のような、………鳥?)


アイザックが手で示した形は、小型の精霊犬くらいだった。

そんな生き物が極楽鳥を食べたということに驚いてしまう。


「では、私は少々外を見て参りましょう」

「お気を付けて。こちらはお任せ下さい」

「頼みましたよ。閉じているのはリーエンベルクだけですので、ダリル様からは連絡があるやもしれません。何かありましたら、蝙蝠を寄越して下さい」

「はい」

「それと、あなたは精霊の血を引いてますから、遮蔽は念入りに」

「……重々注意いたします」


感情を動かしがちな精霊は、気象型の悪夢との相性は悪い。

しかし、部下としてその問題を懸念されたことよりも、アイザックがこの身を案じてくれたことについつい口元が綻んでしまった。


(………今日は邪魔なローンもいないし、ヴォルフも休暇中だ。……アイザック様と二人で、ハイダットの災厄の対処にあたれる!)


何より、先ほどの羽を手渡す際に、手袋越しにではあるが微かに手が触れた。

前回、商会内で竜の子供が暴れた事件で肩が触れてから、なんと四年ぶりのことだ。



「…………手帳に書いておこう」



ぼそりと呟いて、己の仕事を片付けてしまうと、ミンクは自分の作業部屋の窓を手際よく遮蔽していった。

内側の通路は開けておき、いつでもアイザックからの指示で動けるようにしておく。

と言うか是非、立ち寄って欲しい。



「ミンク様、下は撤収が完了しましたよ」

「こちらも片付いたところだ。よし、現時刻をもって、総員自室待機とする」

「承知しました。この規模ですから、少なくとも三日は缶詰めですかね」

「そのくらいだろう。では、私も部屋に戻るので君も早く遮蔽を終えるように」

「…………ミンク様、その手帳……。まさか、遮蔽期間中ずっと、アイザック様の観察手帳をつけるつもりじゃありませんよね?」

「何か問題か?」

「………いや、個人の自由ですからね。しかし、それだけ書く程の材料があるんですか?」

「先程お話しさせていただいただけで、一晩は書けるが……」

「…………ミンク様は本当に、残念な美女ですね。折角、海竜と精霊の半なりだなんて、稀なくらいの美女でいらっしゃるのに!」

「私の容姿とアイザック様の記録とは関係ないだろう。ほら、何をしてる、悪夢が完全に開くまで猶予がないぞ?早く部屋に戻れ」


よくわからないことで嘆いている部下を部屋から出し、自分の執務机につくと記録用の手帳を開いた。

遮蔽空間に入ったからといって仕事を中断は出来ないが、個室である分、空いた時間で気兼ねなく好きなことが出来る。


(………さてと、まずは通信に割り込んで下さったときのお姿からだな)


蝙蝠達の経路や報告を監視しながら、通信の合間に手帳のページを消費していった。

書くことが多過ぎてあっという間に一冊終わってしまうので、今年の手帳はこれで九冊目だ。

一度この話を同僚とした時は、やはり精霊の血が良くないのだろうかと言われてしまった。



(余計なお世話だ)



不愉快だったレーヌもいなくなり、こうして二人で仕事をする機会にも恵まれ、今年はどうやら良い年になりそうである。


薔薇の祝祭に、竜の血が流れているのをいいことに、アイザック宛に大量の薔薇を贈ったのが効いてきたのかもしれない。



(こんなにいい気分なんだ。私には、悪夢も付け入る隙がないだろうな)



そう考えて少し微笑むと、意識を手帳に戻した。





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