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97. 苦難続きと言わざるを得ません(本編)



薔薇の祝祭も、後半戦に入ってきた。


ネアは、本日の為にリーエンベルクの客間を二部屋借りてある。

本来は一部屋で使いまわせばいいのだが、万が一この前のアルテアのように、誰かが体調不良などで滞在をする場合に備えて二部屋を申請し、森が好きだというドリーには、禁足地の森が良く見える窓からの景観の良い部屋が選ばれていた。


特定の権限を持つ者用に開かれた転移の間からやって来たドリーは、心得た家事妖精に案内されてその部屋に通されており、家事妖精がそこにお茶を運ぼうとしたところ、ウィリアムに仕事を取られてしまったらしい。


ここには、あんなに穏やかな竜なのに怖がられてしまうドリーに、家事妖精がウィリアムの提案に甘えてしまったらしいという悲しい裏事情がつく。

決して言動が荒っぽい訳でもないので、怖がられてしまうのは、特別な竜らしい精神圧によるものなのだろう。



ネア達が部屋に入っていくと、ウィリアムと話していたドリーがこちらを見て穏やかに微笑んだ。


(この安心感は何だろうか!)


ネアがドリーを大好きな理由でもある、穏やかな武人のような微笑みだ。

うっかり初対面で狩ってしまったものの、彼はいつもこうやって微笑みかけてくれる。

現状、視線の先には安心感しかないので、何と素晴らしいコンビだろうかとネアは惚れ惚れした。

ウィリアムとドリーは、ネアから見ても気が合いそうな二人である。


(本当は、ここにジーンさんも加入する予定だったのに……)


増やす予定だった穏やかな常識人枠の低迷を思い少し切なくなったが、欲を出して身を危うくするのはやめよう。



「ネア。早くに着いてしまってすまない。エーダリアとヒルドは、まだ帰ってきていないんだな」

「そのお二人に会おうとしていた時間が空いてしまったのですね?」

「ああ。少し遅れるから先にネアと会っていてくれと言われたのだが、やはり戻れなかったみたいだな」

「王都でお二人に会われたんですか?」

「ガレンで魔術師達に囲まれていた。あの鳥をガレンに欲しいと強請られていたが、心当たりはあるか?」

「…………ほこりが大人気でした」

「ほこり?」


そこでネアは、魔物に床に降ろして貰い椅子に着くと、ほこりとの出会いを丁寧に説明した。

先程ウィリアムに説明した際には失敗してしまったので、まずは、魔物の手を借りてきちんと危険は回避したことから話し出す。


「……そうか。一度、見せに行ってしまったら、それは欲しがるだろう」

「なので、あの日も後でヒルドさんに怒られていたんです」


後先考えずに自慢するなど子供でしょうかと、背筋が凍りつきそうな眼差しで叱られていたが、その時にヒルドが懸念していた通りになってしまったようだ。

ヒルド曰く、高位の魔術師になればなる程、己の欲求に忠実なところがあるのだそうだ。

そんな者達が集まる塔に、よりにもよってエーダリアは特別変異の星鳥を連れていってしまったのである。


(しかも、自慢したくて………)


今まで特等の魔物がリーエンベルクをうろうろしていても平気だったエーダリアだが、なぜかほこりはその平常心を突き崩してしまったようだ。

見た目が丸い雛玉だったのが敗因であるならば、ガレンエンガディンの油断を誘うふわふわ恐るべしということになる。


「あの日のほこりは、恋するエーダリア様がみなさんに自慢してくれたので、ご機嫌で宝石をたくさん産んだようです。きっとそれも、良くなかったのでしょうね」

「それは、…………魔術師ではなくても、傍に置きたくなるだろうな」

「エーダリア様が、帰り道で叱られてしまいそうな予感です」


そこでネアは、ドリーが優雅な盛装姿であることに今更気づいて、目を瞠った。

艶やかな濃紅の近衛騎士のような姿は、何とも凛々しく美しい。

人間であれば威圧感のあるぶ厚い筋肉に邪魔されそうな服装だが、竜であるドリーは優雅でしなやかに見えるので、このような服装も良く似合った。

淡い金色の目を細めて笑うと、どこも人間らしい甘さがないにも関わらず、やはり孫を愛でる老将軍のような気配を帯びる。


「ドリーさん、今日の服装は艶やかで素敵ですね」

「ヴェンツェルに着せられたんだ。……正直落ち着かないが、薔薇の祝祭が終わる夜までは脱ぐなと言われている」

「王様みたいで恰好いいです!」


言ってからしまったと思ったが、どうしてもドリーへの言葉にはついつい恰好いいという表現を散りばめてしまう。

気を付けていても仕方のないことなので、ここはもう社会勉強だと思って少しばかり我慢して貰おう。

この程度で萎れられていては、正直面倒臭いと言わざるを得ない。


「今日は、王都でお仕事のようなものはあるのですか?」

「いや、こういう趣きの祝祭は妖精が警護にあたるので、俺はない。……ヴェンツェルは、幾つかの宴や舞踏会に呼ばれているのに、今年も花束は作っていなかった」

「特定のお相手がいないと、ドリーさん的には心配ですね」

「あまり王座が近くなると、選択肢も狭まってしまう。早く恋をして欲しいが、まだ子供なのだろう」


あの第一王子に対して子供という表現も凄いものだが、政務や趣味という自分の為ばかりに時間を使ってしまうことも、ドリーの目にはまだまだ幼いと映るようだった。


だからこそ、お土産で縫いぐるみを買い与えてしまうのだろう。


「ところで、氷の祝福を得たのだな」

「…………氷?」

「気付いていなかったのか?」

「氷の祝福………?」


困惑してディノを振り返れば、魔物もドリーと同じ目をして驚いていた。


「氷の祝福を得たことに、自分で気付いていなかったのかい?」

「………リズモではなく?」

「ネア、そろそろリズモを乱獲するのはやめようか」

「ご主人様の人生の楽しみを奪うのであれば、相当する対価を覚悟して下さいね」

「どうしてそんなに狩りが好きなんだろう………」



魔物は困惑していたが、それに対してネアは少しだけ分かってきたことがある。


(多分、………これは飢餓なのだろう)


随分と長い間飢えて、飢えてきた、恩寵や幸運のような、普通ではない得難いもの。

それを望み、ネアはずっと心のどこかでそんな救済に焦がれてきた。

諦めても願い、溜息を吐いてもまた期待して、どこかでずっと夢のよう期待を抱いていたのだ。


その、殆ど古傷のような飢餓を、狩りで得られる祝福は癒してくれる。

小さな奇跡を得られるという喜びは、心を弾ませて夢中にさせる。

だからこそ、そう簡単に手を引けない切実な欲求のようなものだった。


(でも、まだそんな飢餓を抱えているだなんて、あまりディノには言いたくないな)


どんなに寄り添い心を与えても尚、明け渡したくない心の深淵は誰にでもある。

ネアの心は、ネアのものだ。

そのカーテンを全てめくって心から他者と同化出来る人間ではないし、この傷は、家族のことやジークのこととは違う種類の、惨めさから育ったであろう詳らかにしたくない傷の類いである。


「アルテアさんが、ステッキを鳴らして連れて行ってくれた場所に、水色のリズモがいたのです。捕まえてくれたので、張り切って祝福を貰いました。そやつのくれたものでしょうか?」

「増えたばかりのものだから、それだろうね。私は、君が望んで氷の祝福を手に入れたのだとばかり思っていた」

「………さては、私が喜ぶような祝福なのですね?!」


そう思い至ってテンションを上げると、ディノは首を傾げて困ったような柔らかな微笑みを浮かべる。

宥めるような目は男性らしい色をしていて、その温度に酔いそうになった。


「君は魔術可動域が低いから、 祝福で底上げされる魔術を欲しがったのかと思っていたよ」

「もしや、この祝福は魔術の底上げが出来るのでしょうか?」

「稀に、特別な魔術可動域を持つ者が複数得ることもあるけれど、大抵の者は生涯に一度きりとなるけれどね」

「一度きりでも構いません!な、何か出来るようになったのですか?!」



そこで、ドリーが自分の前のティーカップをネアの前に押し出した。



「む…………」

「凍らせてみるといい」

「……ドリーさん、私は魔術を使った事がないのです。どうやって使うのですか?」

「…………まだ回路を開いていないのか?それは困ったな」

「そうか、ネアは使えなかったものな」


まさかの質問にドリーは考え込んでしまい、ウィリアムも顎に手を当てて眉を顰めた。

回路とはなんぞやの状態であるネアは、ディノの袖を引いてどうにかして貰おうとした。


「ディノ、魔術を使ってみたいです。どうすれば良いのでしょう?」

「一度回路を開いて、私が魔術を通してみようか。指輪の契約の繋がりを辿れば出来ると思うよ」

「やってみて下さい!」


(とうとう、私にも魔術を使う日がやって来た!!)


物語だと、不遇の主人公がひょんなことから力に目覚め、周囲の者達を見返してゆくのがセオリーだ。


(今まで蟻程度だと軽んじていた者共を、今こそぎゃふんと言わせてくれる!)


もはや思考は悪役のそれだが、わくわくと目を輝かせたネアの手を、ディノがそっと取った。

指先を伸ばさせてそこに自分の指を添え、背中から抱き込むようにする。


さらりと頬の横を滑った真珠色の髪にどきりとしたが、大切な人生の転機なので意識を指先に戻す。

もう片方の手をウエストに巻き付けられ、体をぴったりと重ねられた。


「やってみるから、魔術の通り道を感じてご覧」

「…………は、はい!」

「力を抜いていていいよ。怖くはないからね」

「わかりました。………ふぁっ……?!」


次の瞬間、冷たく澄んだ風が体の中を通り抜ける感覚にネアは目を瞠った。

どこか快楽にも近い喜びを与える甘い魔術の奔流は、力に溺れる魔術師がいるということの本当の意味を初めて理解させてくれる。



「おや、………全力でやってみたんだけれどな」


しかし、その魔術の高揚感を全て瓦解させたのは、目の前の非情な現実だった。

気の抜けた感想を口にした魔物に、ネアは魔術を流した筈の対象物を凝視する。


「…………凍ってはいません」

「うん。でも、冷たくはなっているみたいだよ」

「氷の祝福なのでは………」


ドリーが押し出してくれたティーカップの中の紅茶は、湯気が消えてすっかり冷めてはいたものの、どこも凍っている気配はない。

寧ろ、下手をすればまだ温いくらいの温度かも知れない。


「淹れたての熱い紅茶だったからだろう。冷たい飲み物であれば、凍らせられたかも知れない」

「ドリーさん………」


すっかり落ち込んでしまったネアを、ドリーがそう慰めてくれた。

しかしながら、決して冷たい飲み物であれば凍るはずだとは言わない。

ドリーも自信が持てないのだとわかり、ネアは悲しくなった。


「うーん、特等の祝福だから、もう少し行けるかなと思ったんだけどね」

「………特等の祝福」

「シルハーンの守護と合わせても、やはり魔術可動域を広げられないことには、難しいのかもしれませんね」


解析される程に悲しくなったネアがウィリアムの方を見ると、なぜか彼は困ったような顔をする。


(………ウィリアムさんが困った顔をするなんて!絶望だ……)


呆れられてしまったのだろうかと項垂れれば、ウィリアムは慌てて弁解する。


「……ああ、ネアそうじゃないからな。魔術に関しては、シルハーンも側にいるんだし、今までだって君は、守護や道具を使って自由に狩りが出来ていただろう?」

「………狩りの女王として、それは否定しません」

「だったら、そのままで充分なんじゃないか?」

「………むぐ。でも、ウィリアムさんですら、困ってしまうくらいの有り様なんですよね?」

「……そうじゃなくて、うーん、……魔術回路を開くことは、割と親密な行為だからな。見てしまって良かったのか、少し考えていただけなんだ」

「…………そうなのですか?」


それはあれだろうか、子供が必死に自転車の練習をしているのを、大人が隠れて見ているようなものだろうか。


(…………でも、親密って何だろう?)


こてんと首を傾げてディノを見上げれば、魔物らしい老獪な微笑みでふわりと蓋をされる。

これは、答えるつもりがない時の表情だ。


「そうなのか?王家では、儀式として立会人を置くものだが」

「王家はそうかもしれないな。でも、ネアは………いや、深く考えるのは止めよう。すまないな、ネア。混乱させてしまった」


そう、手を伸ばしたウィリアムに頭を撫でられて、ひとまずネアの、初めての魔術を使う会はお開きになった。

とても悔しいので、今度こっそりきんきんに冷えた飲み物でも試してみよう。



「そうだ、ネア。薔薇を持ってきた」

「はい、楽しみにしてました!」


気を取り直して薔薇の祝祭の気分に戻ったところで、ネアは自分が冷ました紅茶を、カップを持つだけでほこほこに戻したドリーに羨ましさで倒れそうになった。

勿論紅茶は温かい方が美味しいが、実力の差を見せ付けられて羨望のあまりくらりとする。


「……すまない、せっかく冷ましてくれたのに!」

「そうではないので、紅茶は是非に温かくしてお飲み下さい」

「ドリー、ネアは君の魔術が羨ましいのだろう」

「……そうなのか?しかし、俺はこの魔術で一族から倦厭されていたくらいだからな、あまり良いものではないと思う」

「今のご謙遜で、心がくしゃっとなりました」

「す、すまない!」


存外に面倒臭い人間を必死にあやし、ドリーは持ってきた見事な薔薇の花束を渡して慰めてくれた。


(……………わ、薔薇……だ!)


「…………綺麗ですね。これぞ薔薇という感じの、とっても綺麗な赤い薔薇です!」


あっさり懐柔されつつ、ネアは見事な花束を両手で受け取る。

ふくよかな真紅の薔薇は、スタンダードだからこそ美しさの際立つ完璧な形のものばかりで、香りも素晴らしい。


「気に入ってくれて良かった。女性の好むものはあまり分からなかったから、ロクサーヌに一緒に考えて貰ったんだ」

「まぁ、そんな風に丁寧に選んで下さったのですね。そのお陰でこんなに素敵な薔薇を貰えてしまいました!」


ネアもいそいそと自分から渡す薔薇を取り出し、ドリーに手渡す。

同席するウィリアムも二本の薔薇を返した相手なので、不公平だと気まずくなることもなかった。


「感謝する。綺麗な薔薇なので、長く咲くように毎日水を変えよう」


ドリーらしい感謝の言葉に、ネアは微笑んで頷いた。


(私も、この薔薇を大事に長持ちさせよう)


そう考えて心を弾ませていると、ふと、魔物達がやけに静かであることに気付いた。

眉を寄せてディノとウィリアムの表情を確認すれば、一様に冴えない顔色である。


「………ディノ?」


そっと声をかけたネアに、恐ろしく透明度の高い水紺の瞳が微かに揺れ、伸ばされた手に捕まり、もう一度腕の中に拘束されてしまう。


「理由のない拘束は禁止です!どうしたのですか?」

「まったく君はいつも手当たり次第だ」

「謎に文句をつけられました」

「あまり悪さをしないように、もう少し契約を深めておいた方が良さそうだね」

「……嫌な予感がするので、その提案は却下します」

「そうしないと、ネアは危ないんだよ」

「おのれ、頭を撫でても丸め込まれませんよ!」


魔物が嫌な決意を固めてしまったその向こうで、ウィリアムがドリーに事情聴取をしていた。

へばりついてくる魔物を引き剥がしつつ、ネアはそちらのやり取りにも耳をそばだてる。



「ドリー、この薔薇はロクサーヌが選んだのか?」

「……ああ。このくらいでないと、女性には失礼だと言われた。何かまずかったか?」

「……もしかして、他にも同じようなものを?」

「一緒に仕事をしている代理妖精には渡した。後は、ヴェンツェルにも贈ったが」

「………だそうですよ、シルハーン。ロクサーヌのお節介ですね」

「何か問題のある薔薇なのだろうか?」


すっかり困惑してしまってドリーに、ウィリアムが説明する。


「問題と言うより、特別な薔薇過ぎるんだ。愛情の祝福を込めて育てられた、紅薔薇の中でも最高級のものだから、貰った者の中には勘違いをする女性もいるかも知れない」

「………勘違い?」

「伴侶にしたいと思う女性に贈る種の薔薇だからな」


そこでようやく事情が飲み込めたのか、ドリーは目を丸くしてから頭を抱えてしまった。

とても可哀想なので見事な赤い髪の頭を撫でてやりたかったが、現在もネアは絶賛拘束され中で自由を取り戻せていない。


(と言うか、ヴェンツェル様が着せた服といい、ロクサーヌさんの薔薇といい、これってきっと……)


彼等は恐らく、ドリーの縁結びをしようとしているのだ。

その魂胆が透けて見えるので、ネアは何だか暖かい気持ちになった。

本人は困ってしまっていたとしても、みんなはドリーに幸せになって欲しいと思っているのだろう。


「………ネア、すまない。誤解をそのままにすると申し訳ないので、少し早めに王都に帰ろうと思う」

「いえ、是非にそうして下さい。………ドリーさん、大丈夫ですか?」

「……ああ。今朝、ネアのと同じ薔薇を大広間でヴェンツェルにも渡したのだが、周囲が騒いでいた理由がやっとわかった」

「………それはもはや、知らないままの方が良かったですね」

「………エドラがやけに慌てていたのも、薔薇のせいだったんだな」


よろりと立ち上がったドリーは、一度きちんとディノの方を向いて律儀に頭を下げた。


「知らなかったこととは言え、不愉快にさせてしまった。そういうつもりではなかったので、安心して欲しい」

「ロクサーヌの手配なら、仕方がないね。でも、きちんと君の言葉でそのことを聞けて良かったよ」

「………もしかして、心配させてしまっていたのか?」

「私の婚約者は、君が特にお気に入りだからね」

「ディノ!誤解されるような言い方はやめて下さい!好感度と恋愛的な好意は別のものですよ!!…ほ、ほら!ドリーさんが困ってしまったではないですか!」

「……すまない、ネア。そういうつもりで薔薇を贈ったのではなかった」

「ふられたみたいになった!」


目元を染めて詫びてくれたドリーは、思いがけない事態に困ってしまったのか、こちらを見てくれなくなってしまった。

まさに、気の無い女性からの唐突な告白に困り果てた人の姿だが、そもそもネアとてそんなつもりはないのだ。

あまりの貰い事故に怒り狂ったご主人様は、自分を拘束する魔物の爪先をげしげしと踏んづけてやった。


「困ったご主人様だね。君には私がいるだろう?」

「そういう意図の攻撃ではありません!」

「ネア、契約の魔物を大事にするように」

「ドリーさん?!最後までふられたみたいになった!」


少し慌てた様子でドリーが帰ってゆき、部屋には、怒り狂ったネアと足をたくさん踏まれてご機嫌の魔物、この二人の惨状をさてどうしようかと悩んでいるらしい終焉の魔物が残された。


「ネアは暴れると可愛いね」

「返答に困るような嗜好を出してこないで下さい!」

「ほら、ドリーはもう帰ったよ。もう諦めるといい」

「ご主人様を、勝手に事故らせるなんて許しません!私とて、ドリーさんに恋愛感情を向けたことは一度もありませんよ!」

「どうだろう、君はすぐに浮気するからね」

「不当な疑いをかけられています。だいたい、何に対してそう考えてしまったのですか?」

「駒鳥や雪食い鳥、森の賢者もいたし、…」

「よりによってというものばかり選ばれた………!」


これはもう言い争っても理解し合えないかも知れないので、ネアは拘束されたままぐったりとする。


「………シルハーン、俺はよく分かりませんが、今挙げた三例は大丈夫だと思いますよ」

「森の賢者など、木の実ではないですか。かりかりのタルトになるようなものに恋をする趣味はありません」

「………タルト?」

「食感を残して刻んだものをキャラメルと一緒にオーブンで焼いたやつです」


そこでなぜか、魔物は少しの動揺を見せた。

高位の魔物である森の賢者を、ナッツタルトに例えてしまった人間が恐ろしかったようだ。

しかし、ネアの基準ではやはりその界隈の認識なのだ。

どう頑張っても、木の実は木の実なのである。




「さてと、俺もそろそろ帰りますね。ネアときちんと話し合って、彼女の言い分を聞いてやって下さい。恐らく、心配するようなことは何もないと思いますよ」

「そうだろうか。いつでもこの子は、何でも惹き寄せてしまうんだよ」

「……そう言われると確かにそうですが、要は彼女が相手に恋愛感情を抱いていないことが重要なのでは?」

「その通りです!」

「では、私にはそれがある?」

「……………多分?」

「ネア、いいところだったのにどうして悩んだんだ……!」

「む………。つい、真剣に考えてしまいました」



結果、収拾がつかないまま、ウィリアムも帰っていってしまった。


この後でサラフ達の所に行く用事があるそうで、酷く心配そうだったものの、ハレムが殺気立つ薔薇の祝祭は、サラフの方がもっと心配らしい。

風竜達の薔薇の祝祭は夕方からだそうで、そちらでは寵姫達のサラフの取り合いが拗れると、本気の殺し合いが勃発することもあるそうなので、是非に早く駆けつけてあげて欲しい。

いつもは仲良しなのだそうだが、薔薇の祝祭の夜を一緒に過ごす権利ばかりは言葉通りの奪い合いになるのだそうだ。



「肝心のサラフさんが死んでしまったら、元も子もないと思うのですが」

「竜は丈夫だから心配ないよ。それに、今日はもう竜の話はやめようか」

「おのれ、無実の私を公開処刑にしたことは決して許しません」

「怒っても構わないよ。とにかく君は、自分で思う以上に危ういんだ」

「この薔薇は渡しませんよ!」

「………そういうところなんだけどな」

「一緒に使っているお部屋に飾るのに、どうして荒ぶってしまうのでしょう?ドリーさんは私をそういう対象として見ていませんし、私も憧れの武人のようにしか見ていませんよ?」

「……憧れの武人?」

「お孫さんを溺愛する老将軍のような雰囲気がありませんか?」

「………老将軍?」


その一言で、魔物はまた新たな混迷に包まれてしまったようだ。

固まってしまった魔物をぺいっと剥がし、ネアはウィリアム達が残していったお茶菓子で心の傷を埋める。



そこでようやく、エーダリアとヒルドの帰還連絡が入った。







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