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96. 不穏な訪れに備えます(本編)



薔薇の祝祭は、朝にスコーンを、昼に薔薇の香りづけをしたハムを、夜には薔薇の発砲葡萄酒をいただく風習がある。

なので、ハム大好きを公言するネアにとって、一大戦線とも言うべき昼食の時間がやってきた。


少しリーエンベルクに残るというウィリアムとアルテアは、客室に陣取って何やら会議をしている。

せっかくの祝祭なので他に用事はないのかと尋ねたネアに、アルテアがかなり嫌な顔をしたが、よく考えたらほこりを連れて帰るつもりで、ほこりが預けられたダリルの知人とやらが戻ってくるまで時間を潰しているのかも知れない。


「アルテアさん、ほこりを迎えに行きたいなら、ダリルさんに…」

「あれは飼育係のところだ」

「飼育係………?同じ魔物同士なのですから、子守りではないのでしょうか……」

「ダリル経由で、アクスの専門の飼育係に預けている。………この祝祭は、厄介だからな。変に刺激しないよう、薔薇の祝祭がない南方の島に旅行中だ」

「まさかの、南の島に旅行中でした」

「さっき定時報告が来てたが、鯱を食べて上機嫌らしい」

「鯱………。ほこりは、何でも食べてしまうのですね」

「いや、珊瑚は気に入らなかったらしいぞ。一口食べて止めたそうだ」

「………すごい星鳥だな。悪食の魔物になりそうですね」


ウィリアムがどこか遠い目になるのは、悪食の魔物が出ると世の中が荒れることもあるからだそうだ。


「何だ?お前が面倒でも見るか?」

「いえ、俺はその鳥については聞かなかったことにします。特異点や変異の生き物に俺が近付くと、土地が荒れそうですからね」

「お前が近付くと荒れるのは、何でもだろうが」


この二人は昼食はいらないそうなので、ネア達は二人を残して部屋を出た。

念の為、たっぷりのお茶とお茶菓子は手配しておいた。

万が一、やはり昼食を食べたくなった場合は、部屋から連絡を貰うように伝えておく。


(これで大丈夫かしら)


一応お客様なので外来用の区画からは出られないが、この二人なら何でも出来てしまいそうだ。

と言うか既に、アルテアはリーエンベルクを別荘か何かのように思っている節がある。



「ジーンさんのことを心配してくれているのでしょうが、せっかくの祝祭なので自由に過ごして欲しいです」

「あの二人は、ジーンと交流があるからね。私は個人的には知らなかったのだけど、思うところがあるのだろう」

「ジーンさんが、まさかそんな要注意人物だなんて……」

「困ったね。彼が君にその種の興味を持っているとは思っていなかった」

「穏やかそうな、優しい方でしたよね」

「精霊は己の感情に忠実な種族だから言動の裏側まで読んだりはしなかったけれど、彼の安定の仕方は珍しいのかもしれないね」


見た目通りだと判断して良い種族なので、ディノはジーンを警戒しなかったそうだ。

友達になられるのは遺憾であったが、ご主人様のドリスの実の確保のために我慢したのだと、さらりと恨み言を混ぜ込まれる。


「精霊さんは、そういう気質の方が多いんですか?」

「自然から派生したままの、より自然に近しい者達が精霊なんだ。我々の中では最も剥き出しの感情を持っている生き物だから、他の種族に倦厭されることも多いと聞いている」

「では、一緒に仕事をしているアイザックさんは穏やかな方なのでしょうか?」

「いや、彼は欲望の魔物だから、寧ろ、そういう気質の者達を好む魔物なんだ」


そう教えてくれたディノはあえて言及はしなかったが、ネアは、恐らくそこにはレーヌも含まれていたのだろうと考えている。

咎竜の一件でアイザックがレーヌのことに触れた時に、微かな執着めいた声の響きを感じた瞬間があったのだ。



食堂に二人が着くと、エーダリアとヒルドも戻れなくなったということで、急遽貸切のランチとなっていた。

領内から王都までの薔薇の配達行脚の途中だった二人だが、止むにやまれぬ事情とやらで帰れなくなっているらしい。

ヒルドから、時間までには必ず戻ると言う伝言が残されていたので、ネアはその場に居ればゆっくりしてきても構わないと言えたのにと少し申し訳ない気持ちになる。

当たり前のように傍にいてくれるので失念してしまうが、彼等にだってこんな祝祭の日ぐらい、こちらを気にせずゆっくりして欲しい。


(ウィームで特別な儀式がある訳じゃないから、例年ならもっとのんびりしていたのではないかしら…)


しかし、そう言えば、ディノは不思議な微笑みを深めた。


そうかもしれないが、それはどうだろう?というその微笑みは、今や無防備な魔物の言動に押されてしまってすっかり影を潜めてしまった彼の仕草の一つだ。

魔物らしい狡猾さと曖昧で謎めいた美しさに、ネアの大好きな表情の一つである。


(だから、私はもっと剥き出しの魔物のままの姿も見たいのだけれど)


魔物らしい側面を見てもネアは倦厭しないと知った今でも、魔物はそういうものは隠してしまう癖がある。

こういう表情を見ることが出来るから、ウィリアムやアルテアと一緒にいるときのディノは好きなのだと言ったら、どんな顔をするのだろう。



そんなことを考えながら席に着くと、青系統のリネン類が多いリーエンベルクでは珍しく、鮮やかな薔薇色のテーブルクロスに、白に近い淡い水灰色の薔薇が飾られていた。

外は雪が降らない程度の薄曇りで、その感傷的な陽光の匙加減に、この色彩が堪らなく美しい。


わくわくと待っているネアの前に運ばれてきたのは、色味違いの白い絵付け模様のある白い大皿に、一口で食べられる程度の料理が幾つか並んでいる前菜の盛り合わせだった。


どれも、薔薇の祝祭に相応しい繊細で目で見ても楽しいようなものばかりだ。


紙の様に薄く切った赤蕪と鯛のカルパッチョのようなものには、深紅の薔薇の花びらが一緒に和えられている。

鴨の燻製は薄く削いで、薔薇の花を思わせる盛り付けに三種のマスタードソースを添えてあり、一口大にカットしたキッシュは可愛らしい薔薇の焼き印が押されていた。

そこにトマトと茄子の煮込みの冷製と、栗の葉で包んだ山羊のチーズに干し葡萄を添えたもの、黄色い薔薇の花びらにカラスミのソースを乗せた香草風味の蒸し蛤。


「控えめに言っても、倒れそうなくらい幸せです」


このような一口ずつ楽しむ料理の場合、ディノも物々交換を言い出すことはない。

ひとまずどんな料理もいただいてみる主義のネアなので、それでなくなってしまうからだ。


よって、まずは平和な食事が続き、ほくほくと食べ進めるネアに魔物が時折構ってもらいつつ前菜を終えると、続いてサラダが出てきた。


上に焼かれたパプリカとズッキーニが乗っていて、前菜で出たのとは違う種類の薔薇の花びらが散らされている。

恐らく花自体が小さい品種のものなのだろう。

柔らかなピンク色の小さな花びらが散らされたサラダは、春の訪れの様な一皿だった。

あえて薔薇だけでいただいてみれば、香りと色味を添える為だけの食材で無味だった前菜の薔薇とは違い、こちらは微かな酸味とほろ苦さがある。

柑橘系の果物の皮を思わせる味だが、花びらそのものはとても繊細なので、決してサラダの味を損なわなかった。


美味しいものを食べているとつい長らく無言になってしまうので、ネアは少し考えてから、聞いておきたかったことを捻り出す。


「ディノ、そう言えば夕方から外に出る際の諸注意のようなものはありますか?」

「ああ、ウィリアムが話していたことだね?」


祝祭の夜には、事件や事故がよく起こる。

以前よりも付き合いが長くなり、ネアの不思議な因果律を知ってしまったウィリアムから、薔薇の祝祭は陽が落ちてからが要注意だと聞いたのだ。


「イブメリアの飾り木を燃やしたり、橇で荒ぶったりするように、何か危険度の高い催しがあったりするのですか?」

「多分、積み残しのことだと思うよ」

「積み残し…………」

「必然的にイブメリアもそうなっているけれど、今回はまさに愛情を司る祝祭だからね。人間だけでなく、それぞれの種族で恋に破れたり、恋を失ったりする者達が出るんだ」

「それは、…………荒ぶりそうな方々ですね」

「愛情の祝祭に乗り込めなかった者達という意味で、人間達が積み残しという表現を使い始めたそうだ。面白い言い方をする」

「寧ろ、何とも残酷な表現です。そんな称号を与えられたら、荒ぶらざるを得ません」

「通り魔も出るそうだから、私からは離れないように」

「通り魔って何でしょうか………」

「用意した花束を受け取って貰えなかった者が、通りすがりの者に無理矢理渡して契約を成立させてしまおうとする現象が起こるらしい。もう誰でもいいと思う者達も多くなるそうだ」

「何て嫌な荒れ方をするのでしょう。絶対に離れないようにしますね」

「少し周囲と距離を取れるよう、結界を調整しておこう」


少しだけ複雑な気分になっていると、いつの間にかサラダボウルは空になっていた。

そしてのメイン料理、薔薇の祝祭のハム盛りの登場と共に、また未知との出会いが待っていた。



メイン料理のハム盛りは、藍を溶かしたような絶妙な色合いのお皿に盛られていた。

これも素晴らしい盛り付けで、巻かれたり並べられたりして柄の様に乗せられたハムは、目移りしてしまいそうなくらい豊富な種類がある。


ロースにショルダー、骨付きハムなど部位の違いも勿論、軽く焼いてあるものや、あつあつのチーズがとろりとかかったもの、野菜が巻いてあったり、ネアの大好物のボロニアソーセージもある。

ボロニアソーセージについては、薔薇のものと、野菜のもの、チーズと胡椒に、香草の四種だ。

それらをうっとりと眺めてから、ネアはお皿の隅に鎮座した不思議な物体に目を止めた。


「ディノ、…………これは何でしょう?」

「薔薇の精だよ」

「…………薔薇の精」


ネアが再び視線を戻したのは、ブルーベリーのような形の緑色の実だ。

普通に見れば果物にしか見えないのだが、ディノの説明を聞いて途方に暮れてしまう。

これが薔薇の精だとすると、そもそも精というのは一体何なのだろうという迷路に入りそうだ。


「きちんと手入れされた薔薇の枝に派生する薔薇の精で、触れると祝福を得られるので喜ばれるそうだ。その代り、収穫したものを無駄に廃棄すると呪われるから、厨房ごとに食べ残しがないような工夫がされている筈だよ」

「………例えばもし、私がこのお皿のものを残してしまったらどうなるのでしょう?」

「こういう王宮であれば、菜園や庭園で土に戻したり、厩舎で餌に混ぜ込んで食べさせてしまうんじゃないかな」

「むぅ…………そして、私はこやつにフォークを刺してしまっても、呪われないのでしょうか?」

「野菜と同じように食べて大丈夫だよ。それにもう、塩焼きされてしまっているしね」

「塩焼き…………」


薔薇の精の生涯を思って世知辛い気持ちになりながら、ネアはまず一つをいただいてみた。


「…………美味しい!」


ほくりと焼いた、甘味の強いセロリの味である。

筋っぽさはなく塩味だけでも美味しいが、添えられたマヨネーズソースのようなものをつけると味ががらりと変わる。

シンプルなマヨネーズソースに、香辛料のぴり辛と、タルタルソースに似た味のもの。

そんな選択肢の多さを楽しんでいれば、ぺろりと平らげてしまった。


(………………しまった)


数のあるものをうっかり食べきってしまったことに気付き、ネアはその直後にすぐ絶望した。

渋々一番無難なハムを選び、魔物との物々交換に差し出す。

あまりにも前のめりで食べていたせいか、魔物からは薔薇の精が再び戻され、ネアは少し遠い目になる。

大切なハムを切り出したのだから、ハムでお返しして欲しかったのだが、たまにはこんな擦れ違いもあるだろう。

同じ種類のハムを戻して欲しかったのだと心は叫んでいるのだが、こういう場合は我慢するしかない。

折角なので薔薇の精は最後に一個残しておくことにして、ハム達に襲いかかった。




「あら、アルテアさんはお帰りになったのですね」


ネア達が客間に戻ると、アルテアの姿がなかった。

届けられた茶器でのんびりお茶をしていたウィリアムが、小さく笑って首を振る。


「ほこりが、大蜥蜴を食べてしまったという連絡が来たんだ」

「大蜥蜴………」

「避難している島では神格化された生き物だから、これ以上食べないように叱りに行ったんだ」

「お父さんですねぇ」

「大蜥蜴はそれなりの魔術階位があった筈だから、何と言うか強い星鳥なんだな」


もう諦めてしまったらしく、ウィリアムは特に驚くでもない。

久し振りにこんなにのんびりしたと、穏やかに微笑んで立ち上がった。


「ところで、ジーンは、あくまでも商品の補填に来るという前提なんだよな?」

「はい。いただいたカードもそういう切り出しでした」

「なら、ある程度事務的に受け取っても大丈夫そうだ。シルハーン、彼の受け渡しが終わる前にアルテアが戻らなければ、俺は少しここにいますね。多分、ジーンは俺がいるとあまり長居出来ないでしょうから」

「やれやれ、君がそこまで警戒する程の精霊なのか」

「ああ、シルハーンは知らなかったでしょうね。と言うか、俺のように仕事で関わりでもしない限り、ジーンの気質を知る者は極端に少ない筈ですよ」

「………ジーンさんは、あまり自己主張しない方なのでしょうか?」

「いや、極端な人見知りなんだ。擬態して、他の種族として行動していることが多いくらいだしな。ある意味、本来の姿が知られていないと言うことでは、アルテアと似ている」

「人見知り………」


また思いがけない単語が出てきたので、ネアはディノと顔を見合わせてしまった。


「人見知りする精霊とは、また珍しいね」

「ええ。ましてや彼は本来最高位の一人ですからね。でもまぁそんな感じなので、ジーンは特定の者達以外の前では、あまり感情を見せません。アルテアも最初は、彼が穏やかな精霊だと思ってちょっかいをかけて酷い目に遭ってましたからね」


国が一つ無くなったとこともなげに言われ、ネアは震え上がった。

決して怒らせないように、穏便に帰っていただこう。



結局、アルテアが戻ってこれないままにジーンとの約束の時間になった。


少しばかりの不安と共に、リーエンベルクの外環にあたる訪問者用の棟に向かえば、時間より少し早めに訪れたジーンがいた。


ネアが扉を開けると、ほっとしたように嬉しそうに小さく笑うのは、完全にただの感じのいい隣人だ。

きちんとコートを脱いでいるのが微笑ましく、決して怒り狂って国を滅ぼす精霊には思えない。


まずは、ここで二人で向かい合わねばならない。

ウィリアムの提案で、ディノは途中でネアを回収に来る役目なのだ。


「すまない、少し早く着いてしまった」

「いえ、私の方こそごめんなさい。祝祭の日に届けていただかなくても、もっと支障のない他の日にすれば良かったですね」

「いや、特に用事もないし構わない。ネア、……新しい祝福が増えたか?」

「そう言えばさっき、アルテアさんと居た時にリズモを捕まえて貰いました!」

「………そうか一緒にいたのか。アルテアはもう帰ったのか?」

「いえ、少し外されているだけで…」


そう言いかけたところで、かなり急いで帰ってきたらしいアルテアが姿を現した。

さも自分の屋敷のように入ってきたが、本来は彼も客人だ。

珍しく雑に扉を開けて戻ってきたアルテアは、南国帰りのせいかジャケットを脱いでいる。


「ジーン、お前が配達役なんて珍しいな」

「………アルテア。肩に羽がついてるぞ」

「ん、ああ。………極楽鳥の羽だな」


(ほこり、極楽鳥も食べてしまったのか)


この世界の極楽鳥は、精霊の系譜で美しい女性の姿にもなれる希少な生き物だった筈だ。

決してその場には居合わせたくない。

ネアは悲しくなったが、それはジーンも同じだったらしい。


「極楽鳥はあまり殺さない方がいい」

「俺じゃない。飼っている鳥が、目を離した隙に食べてたんだ」

「………あれを食べる鳥がいるのか」


少し呆然としてから、ジーンは気を取り直したように花束を取り出した。

ここでもまた、きちんと紙袋で持ってきている姿に、ネアは密かにほっこりしていたのである。

こうして謎の魔術で取り出さないところが、堅実な感じで好きなのだが。



「…………わぁ」


警戒心を持ちながらも声を上げてしまうくらい、その薔薇は美しい灰白の薔薇であった。

薄っすら銀粉をまぶしたように、光を受けてきらきらと光る。


「ほお、アクスもいい補填品を出したもんだ」

「ざりっとした感じのキラキラが、雪の日の雲みたいで綺麗ですね」

「喜んでくれて良かった。私が育てたものなんだ」

「…………なんと」


ネアが絶句しかけた横で、アルテアの纏う空気がぐっと冷え込むのがわかった。

確か、精霊が手ずから育てた薔薇を貰うのは良くなかった気がする。

ネアが途方に暮れていると、横からさっと手が伸びた。


「お前、しょうもないことで足元を危うくするなよ。ここの魔物は面倒臭いぞ」

「…………アルテア」

「受け取りは俺がしておく。ほら、アクスからの補填の薔薇だそうだ」

「む!またしても奪われてしまうかと思いました!」


上手く誤魔化してくれたのがわかるので、ネアも便乗して、アルテア経由でジーンの薔薇を受け取る。

ジーンの方から何とも言えない悲しげな空気は感じたが、決して気付いた素振りを見せてはいけない。

まだ荒ぶるところは見ていないので可哀想になってしまうが、心を鬼にするべく、ネアはほぼ全ての出先でなぜか偶然ジーンに遭遇したことを頑張って思い出した。

しかしそれはそれで具合が悪くなりそうだ。


「でもって、お前は受け取ったなら早く戻れ。仮にも薔薇の祝祭に、指輪を贈った魔物の傍を離れるな」

「…………むぐ」


これ幸いと、さも常識人のように叱ってくるのだが、先程その魔物から引き離した悪い奴でもあるので、ここでもネアは、表情筋が崩れないように注意しなければならなかった。

そもそも、アルテアがどういうポジションで話しているのかがわからない。


何となく悔しい気分になりながら、ジーンに退出のお断りをしようとしたところで、またしても部屋の扉が開いた。

なぜか、あまり表情のすぐれないディノが、こちらをじっとりした目で見ている。

手に持っている薔薇が原因だろうかと思っていたら、思いがけない理由を告げられた。


「…………ネア、ドリーが来たようだ」

「まぁ、早く来て下さったんですね!!」


やはり、ついつい声が弾んでしまったのでディノはますます表情を暗くした。

自分には貰えない恰好いいという称号を手にしている火竜が、どうにも気に入らないらしい。

しかしながら、ドリー本人があんな感じなので、排除も出来ずに不貞腐れるばかりだ。


振り返ってこちらを見ているジーンに微笑みかけ、ネアは丁寧に一礼した。


「ジーンさん、こんな素敵な薔薇を有難うございます。アクス商会さんはさすがのご手配ですね。それと、お届けに来ていただいてあまりお構いも出来ずに申し訳ないのですが、お客様が来てしまったので失礼させていただきますね。家事妖精さんにお茶を出して貰うので、せめてお茶くらいは飲んでいって下さい」

「いや、私のことは気にしなくて構わない」

「おい、何で付いて行こうとしてるんだ?」

「ん?いや、………」


自然に付いてこようとしたジーンを、呆れ顔のアルテアが押し留める。

きちんとした追跡の理由が出てこないあたり、常習犯の香りがしてネアは怖さが倍増した。


(そして、なぜこちらを悲しげに見るのだ!)


ストーカーに心に訴えかけられても、おいそれと同行を許すわけにはいかない。

これは厄介そうな相手だぞと思っていると、目が合ったディノが安心させるように唇の端で微笑んでくれた。


「ジーン、ドリーは火竜だよ。大丈夫かい?」

「火竜……………!ネア、乱暴なことはされていないか?」

「む?ドリーさんは、頼りになる大好きな火竜さんです」

「…………好きなのか」

「赤くて大きくて、恰好のいい火竜さんですよ」

「ジーン、火竜は彼女を気に入っているみたいでね」

「……………ウィリアム」


ひょいと扉のところから顔を出したウィリアムに、ジーンは微かに目元を険しくした。

あまり良い関係ではないのだろうかと考えかけて、ネアはウィリアムが手に持っているものに仰天してしまう。


「ウィリアムさん?!何でお茶汲みをしてるんですか?」

「……ん?ああ。家事妖精だけに任せておいても暇だろうからな。ドリーとは話したいことがあったから丁度良かったんだ」


ウィリアムは、片手に銀盆に乗せたティーセットを危なげなく持っている。

ネアであれば視線を外した途端にひっくり返しそうなものばかりだが、バランス感覚の良さは対人だけではないようだ。

しかし、服装と相まって、貴人に仕事をさせてしまいました感が酷い。


その姿にわたわたしていると、後ろからジーンに声をかけられた。


「ネア、すまないが失礼させて貰う」

「ジーンさん?」

「竜は、その………あまり得意ではないんだ」

「そういうことならば、残念ですが……」

「そうか!そう思って貰えるだけで嬉しい」

「…………」


大柄な体躯を感じさせない滑らかな動きでジーンが退出すると、ネアは隣のアルテアからべしりとおでこを叩かれた。

ウィリアムも苦笑しているので、最後の最後で仕損じたと理解している本人は項垂れる。


「ネア、罪悪感に負けたな」

「ごめんなさい。せっかく、ウィリアムさんにも顔を出して貰ったのに、言葉選びに仕損じました」

「あのくらいの燃料でも、精霊は暴走するから気を付けた方がいい」

「………暴走」

「さて、俺は一足先にドリーと話してるから、シルハーンを落ち着かせてからゆっくり来るといい」

「お気遣い有難うございます」


そこでネアは、そろそろ我慢の限界だったらしい魔物に持ち上げられた。

ジーンを納得させる為とは言え、再びドリーを褒めてしまったので心がささくれ立ってしまったようだ。

そして、その際にジーンの花束は、さりげなく没収された。


「私の薔薇が……」

「縁や祝福など、切るべきものがないかどうか調べてから戻してあげるよ」

「アルテアさんが代わりに受け取ってくれましたよ?」

「その程度で終わったと思ってるなら、お前は精霊を甘く見てるぞ………」

「なんでそんな種族気質なのだ……」


安全な魔物の腕の中で渋面になりつつ、ネアはふと、先程のジーンの退出の仕方に疑問を覚える。

ディノはわかっていたようだし、本人も竜が苦手だと話していたが、これも種族的な嗜好なのだろうか。


「ディノ、精霊さんは竜が苦手なのですか?」

「そうだよ。下位の者は系譜でまた区分もされるけれど、高位の者同士ということであれば、精霊は竜を倦厭する傾向にある。特に、火竜は苦手だろう」


魔物は精霊が苦手だ。

争い戦うときのそれではなく、気質的な相性として苦手だとされている。

逆に精霊は竜を不得手としており、竜は妖精に騙されることが多い。

不思議なことに、最も脆弱な人間ばかりが、そのような種族的な相性の悪さはない。


だがこれは系譜などの問題もあるので、同じ界隈の系譜だと、意外に上手くやれているだとか、案外いい奴だったという特例もある。

ジゼルと子狐の精霊が、その例なのだそうだ。

あの場合は、ジゼルがその系譜の最上位で、子狐が庇護される側の階位だということも理由になる。

なお、このそれぞれの種族の相性は、伴侶選びとなるとまた変わるのだとか。

恋人同士になると、逆に精霊と竜の相性が良くなるのが不思議なところだ。

因みに、魔物と精霊の相性についてはどこまでも最下位である。



つまり、そんな理由から、ジーンは高階位の竜をあまり得意としていなかったらしい。

ドリーの来訪の報せを聞いて、そそくさと帰っていってしまったのはそういう訳だったようだ。


「もう、私はいっそ高階位の竜でも飼えばいいのでは?」

「君なら捕まえてきそうな気がするけれど、駄目だよ、ご主人様」

「何でお前は増やす方向にいったんだ」

「事を荒立てず、自然に離れて欲しかったのです」

「ネア、色々考えるだろうけれど、竜を増やしてはいけないよ。彼等もまた、独占欲の強い種だからね」

「防壁用として欲しかっただけなので、それならいらないですね」


アルテアを見ている限り、生き物を飼うとなるとお世話も大変そうなので、ネアはすぐさまその施策を廃案にすると、ディノの三つ編みを握って引っ張った。

何を言われるのかを察して、悲しげにこちらを見る水紺の瞳は美しい。

けれど、ネアはその無言の訴えに屈せずに優しく微笑みかけた。


「ディノ、ドリーさんに会いに行きたいです」

「もう、ウィリアムに任せたらどうだろう」

「駄々をこねても、余分に時間を損なうだけですよ?」

「ご主人様は残酷だ………」



しょんぼりした乗り物に指示を出し、ネアはドリーのいる客間に向かった。


途中で、気障っぽくひらりと手を振ったアルテアが退出するのが見えたので、ディノの背中越しに手を振っておく。

南国バカンス中の星鳥を迎えに行くのかもしれない。


少しだけ、南国に行けるのを羨ましく思った。




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