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魔物と雛玉 1



とても怖い魔物の話をしよう。

震えるほどに美しく、身を切るほどに凄艶な魔物だ。


足元を濡らす血だまりの中で、その、美貌の高貴なけだものを見ている。





その日ネアは、少々厄介な問題を抱えていた。


何故ならば、顔を洗い終わってふと気配を感じて顔を上げたところ、庭の雪溜まりで拾ってきた綺麗な石ころが孵化してしまったのである。


「………何やつ」


もそもそと滑らかな青い石から出てきたのは、石の何倍もの大きさの、見事な炭灰色の毛皮を持つ、まん丸な鳥の雛のようなものだった。

チンチラにも似たむくむくとした毛皮がみっしり生えた様が、最上級の毛布のようだ。

思わず頬ずりしたくなる、恐ろしい生き物である。


(………丸い。ムグリスよりも丸いなんて……)


もはや、雛と表現するよりも、雛玉が適切であるとネアは確信する。

そしてその林檎サイズの雛玉は、ネアを見てからピイと鳴いた。

重たいお尻をふりふりと揺らし、小さな足で甘えるように足踏みしている。


「………もしや、親だと思われたのでしょうか」


愕然としているネアの前で、張り切って鳴いたせいでげふげふと咳き込んだ雛玉は、けぷっと小さな宝石を吐いた。


「………神の使いやもしれません」


すっかり籠絡されてしまったネアは、手を伸ばしてその雛玉を撫でてやってしまったが、見知らぬ生き物が部屋にいるのは事実なのだ。

どんなに可愛くとも、これはさすがにディノに報告せねばなるまい。



「雛玉よ、一緒にプレゼンして、飼わせて貰えるよう説得しましょう!」


(そして宝石をばんばん吐くと良い!)


撫でてやったところご機嫌になっているので、そっと手のひらに乗せるとぼふんとお尻を落とした。

これはもしや、定期的に宝石を吐く生き物ではと想定したネアは、口元が緩んでしまう。

しかし、先走ってはいけないので、種類を特定するべくダリルに通信で聞いてみた。


いつもなら、エーダリアに教えて貰っていたのだが、今日は厄介な仕事が入ったそうで、休日のネア達以外はそちらにかかりきりになっている。


少し心配だったので手を貸そうとしたが、先日の慰謝料としてノアが尽力することになったそうだ。

さりげなく、期間限定で塩の魔物を配下に収めたエーダリアに感心しつつ、厄介な魔術を使うとかで隔離空間に籠りにゆく背中を見送った。


よって、エーダリアとヒルド、ゼノーシュとグラストが仕事に出ており、銀狐ことノアも同行している。


その代わり、本日はゼベル達騎士が警備を強め、ダリルがこちらに出張ってきていた。

ダリルは基本お留守番で滞在することに意味のあるお仕事なので、少しばかりの質問を許して欲しい。

何しろ、この雛玉の正体によっては事件になるからだ。



「石から孵った、毛玉みたいな太ったヒヨコ?……ああ、宝石を吐くなら星鳥だね。流れ星の屑から生まれる魔物だよ」

「悪さはしませんか?」

「宝石を吐くだけの、大人しい鳥だね。何、ネアちゃん見付けたの?!」

「………いえ、見かけただけでした」


飼ってはいけない子猫を拾ってきてしまった気分で、ネアはつい手の中にいるということを言えなくなってしまう。

ダリルの問い返し方が、あまりにも嬉々としていたので、宝石鳥を取り上げられたくないという警戒心も働いてしまった。


「ならいいけど、用心しなね。星鳥は、成鳥になると雪食い鳥みたいに綺麗な人型になるからさ、ディノに見つかったら大騒ぎだよ」

「………気を付けますね」


それはとても厄介な成長行程である。

人型などにならなくても、この雛玉は充分に愛くるしいではないか。

なまじ美しい青年などになられたら、宝石を生む素敵なペットが捨ててこられてしまう。

残念なことにこの星鳥は、成鳥になるとその美貌で異種族の伴侶を得る為に、雄しかいないのだそうだ。

女性しかいない人魚とは逆の運用である。


「雛玉よ、大人にならず愛くるしい幼な子のままでいて下さい。私は、あなたを失いたくないです」

「ピ!」


ちなみに、朝昼晩の三回宝石を吐くと知り、ネアは完全にこの星鳥に心を奪われた。

撫でてやればぽふぽふと弾んで喜ぶのが、また可愛らしい。

魔物が不在にしている今日だからこそ、許されたひと時の自由である。


「雛玉に名前をつけてしまいたいですね」


名前をつけるということは、その生き物との縁を結ぶことだ。

魔術的には契約にあたり、魂を握る行為でもある。

なので、本当は、こっそり名付けてしまって捨てられなくしてしまいたい。


けれど、それはやはり駄目だろう。

魔物の許容値がどこで限界になるのかわからないので、あまり無茶をするわけにもいかない。


(でも、もし飼ってもいいって言われたら、何て名前をつけようかしら……)


艶消しの黒みがかった灰色の毛玉は、何か記憶の中にあるものによく似ている。

そんなことを考えていたら、それが何なのか思い出せなくなって気分が悪くなってきた。

唸りながら記憶をひっくり返していると、親もどきが心配になったのか、雛玉はすりすりと体を寄せてきた。


「可愛いやつめ!撫でて差し上げます!!」


謎の母性を発揮して撫で回してやっていたところ、やっと記憶の棚から一致する言葉が出てきた。


「そうです、お前に名前をつけるなら、……」



そして、ネアは見事に自損事故を起こした。





ネアはその後、何食わぬ顔で昼食をいただくと、素早く出かける準備に取り掛かった。

さすがに昼食を抜くと訝しまれてしまうので、心穏やかではないままその任務を終え、外出中のディノを探しに行くことにしたのである。


あの後、うっかりな自損事故で名付けられてしまった雛玉は、喜びのあまり大量の宝石を吐いた。

蒼白になったネアは慌てて魔物に呼びかけたが、何故か応答もなく今に至る。


(そう言えば、今朝はどこか冷たい目をしていた)


まだ夜も明けきらない内から、夕方には帰るからねと微笑んで出かけてゆく姿に、そんな憂鬱な用事なのだろうかと首を傾げたものだ。


(…………まさか、またあの時みたいな無理をしていないだろうか)


思案に暮れてはらりと落ちてきた髪を耳にかけながら、ネアは死の舞踏の靴紐をきゅっきゅっと結び上げてブーツを丁寧に履く。

きちんと履いてとんとんと踵を鳴らして収めてから、連絡端末であるピンが胸元に留まっているかどうか、首飾りの中の道具たちがきちんと収まっているかどうかを確認しておいた。


そして、雛玉をコートのポケットに押し込み、大人しくしていることと、痛かったり苦しかったり、危険が迫ったのにネアが気付いていなかった時などには、鳴いて知らせるように言いつける。


「いいですか、これから力を借りる方は困った魔物さんです。いざとなったら私が守ってあげますが、あまり刺激してはいけませんよ?」

「ピ!」


排他的過ぎる守りの部屋を出て、外客を入れても構わない区画の客間の一室に移動してから、ふうっと息を吐く。

そしてポケットの雛玉の頭を撫でてやってから、以前アルテアから貰った無償お助け券をピリっと切った。

呼び出し方はそれでいいと聞いていたので、ぼふんと魔人のランプ形式に現れるのかと思いきや、しれっと部屋の中に現れた魔物に、ネアは少しだけがっかりした。


「お前、取り敢えずその鳥は置いていけ」

「む!開口一番になんたる仕打ち!!」


本日のアルテアは、漆黒のスリーピース姿である。

本日は帽子を被っておらず、シャツとクラヴァット、ステッキは雪のように白い。

手袋は実用的な黒い革の手袋だが、やはり彼が身に着けるとそこはかとなく淫靡な絵になる。


「ポケットが膨らみ過ぎだ。見栄えが良くないだろうが」

「そんな理由なら、首から袋でも下げてそこに入れます」

「却下だ。余計におかしくしてどうする」

「この子は生まれたてです。暫定の親としては、シッターなしに離れるわけにはいきません」

「森で生まれても育つ種なんだ。放っておけよ」

「そして、もうポケットで寝ているので起こすのが可哀想です」


アルテアは渋面だったが、ネアはそれで押し切った。

寝ていると言うよりはアルテアが怖くて失神したようだが、意識の暗闇の方が優しいことも多々ある。


「で、シルハーンを探すのか?」

「………先程からなぜ、私の行動を見ていたかのような物言いなのか、不安を隠しきれません」

「見てたからだな」

「…………怖い」

「元々、今日は一日中お前の見張り役だ。悪いが、今朝からリーエンベルクにはいたぞ」

「もしや、ディノの依頼ですか?」

「ああ。それと、エーダリアにもくれぐれ宜しく頼むと言われたな」

「………そろそろ、エーダリア様はご自身の交友関係の強さに気付くべきです」

「お前には言われたくないだろ」

「勝手に一人だけ常識人のふりをするんですよ!」

「それも、お前だけには言われたくないだろうな」



つまり、魔物は不在でも警備の手は抜かなかったらしい。

過保護さに困惑したが、ストーカーではなかっただけ良かったとしよう。

現在、ストーカーは間に合っているのだ。



「では、ディノのところに連れて行って下さい」


そう頼めば、アルテアは目を細めて何とも嗜虐的な顔をした。


「いいだろう。本来なら見る機会がないものだからな、見ておくといいさ」

「確実に見るとまずそうな前置きですが、ディノは危ないことをしていたりしませんか?」


ネアが魔物を探そうと思ったのは、それが理由だった。

あんな目をさせる何かがあり、ネアからの声にも答えられない程ならば、それは一体どれだけの不利益をディノにもたらすのだろう。

また一人で苦しまれては敵わないので、ネアは押しかけることにしたのだ。

勿論、危ない場所であることも想定し、足手纏いにならないよう、アルテアの助力が得られるという前提での決断である。


「それなりに荒れてはいるだろうさ」

「では、尚更に。私もそろそろ、そういうものを見ておくべきだという気もしますから」

「………お前は相変わらずだな」


きっぱりと言い切ったネアに、アルテアは小さく溜め息を吐いた。


「魔物を伴侶にすることに、うんざりするかもしれないぞ?」

「あら、アルテアさんは過小評価をしていますね」

「ふん、お前がどれだけ豪胆だろうが、残酷さは剥き出しのものだ。見ると言うなら目を背けることは出来なくなるが?」

「いえ、アルテアさんが過小評価しているのは、人間のいい加減さや貪欲さです。私みたいに空っぽの人間があんな優しい魔物を捕まえて、今更手放せるとでも思っているのでしょうか。多少の難くらい、自分の都合でさらりと受け流せるのが人間です」


そう微笑めば、アルテアは微かに眼差しを揺らしてから、またいつもの人を食ったような目に戻ってしまった。


「………さて、その意気込みがどこまで保つかな」




そうしてアルテアは、ネアをとある大きな城に連れて行った。


陰鬱な曇天の下で、荊に囲まれたその城は冴え冴えと灰色に輝く。

色合いは石だが、僅かに透明度が高く、これも貴石のようなものだとわかる石材で、美しいが実用的なものとして建てられた城だ。


崩れた蝋燭には火が消えているところもあり、城内は夕刻過ぎよりも薄暗い。


「………ここは、どなたのお城なのでしょうか?」

「魔物の城だ」

「だから、倒れていらっしゃる方々が独特なのですね」


床には、艶やかな深緑色に花々の模様を織り込んだ絨毯が続いている。

窓は上部をステンドグラスにした教会建築でも見かける類の細長い窓で、透明度の高さで高価な硝子を使っているのだと見て取れた。



そして、濃密な血臭に溢れていた。



真っ直ぐに続いた廊下には、点々と伏した影がある。

それは獣の耳を持った妖精だったり、鸚鵡の頭をした男性だったりしたが、その全てが無残に事切れている。

まだ光を映した瞳の虚さに、命を落としてからさしたる時間は経っていないのだろう。


「この辺りは一瞬だな。精神圧で殺したか」

「これは、………襲撃なのですか?」

「いんや、訪問だ。歩くだけで死ぬんだから、襲撃も何もないだろ?にしても、これだけの階位でもこの有り様なあたり、さすがだな」


そうアルテアが靴先で転がしたのは、獣の脚を持つ美しい女性だった。

顔は苦痛に歪んでおり、この辺りの遺体からは少しずつ無傷ではなくなってゆく。


「派手そうに見えるが、力を抑えたんだろうな。あいつにも、痕跡を隠すという配慮が出来るとは思わなかった」


(そうか、この辺りからは傷付けないと死ななかったのか)


比較的冷静にそう判断し、ネアは天井まで汚した血飛沫や、床の一角に溜まった血溜まりを眺める。

そんな様子のネアに、アルテアは不審そうに眉を顰めた。


「お前、………戦場慣れでもしたのか?」

「ガゼットで拝見しました。慣れるようなものではないですが、ここのものはあまり怖くないですね」

「異種族だからだと言うなら、あそこの死体は人間だぞ?」

「いいえ。ここの死体が怖くないのは、それを成したのが、私に危害を加えないものだからです。本当に怖い死体というものは、己の苦痛に関わりのあるものですから」


ネアとて勿論、無残な死体は怖い。

怖いけれど、それは所詮他人事なのである。

ガゼットが怖かったのは自分が巻き込まれるかもしれない戦争を見たからだし、ここにあるのはもう少し個人的な死だ。

完結している以上、視覚的な不快感以外ではネアを脅かすものではない。


「自分さえ無事なら、死は恐ろしくないか。なるほど、人間は強欲だな」

「死は、となるのであれば最初からあまり怖くはないですね。自分がと言うよりは、自分の大切なものが傷付いているのでなければ、特に感慨はありません。私には善人の要素が皆無なのです」



一番怖い死体を見たことがある。

それは、もう二度と自分の名前を呼ばず、決して目を開けない家族のものだ。

特に両親のときは、事故で損傷したその亡骸をネアが確認しなければならなかった。

確実に殺さねばならないという意志のもと行われた計画だったので、それは酷い、とても酷い事故だったのだ。


そしてネアは、無遠慮な報道の一つで、ジーク・バレットのそれも見ている。

とは言えそれは、真っ白な布から溢れた片手のみではあったが。



「怖い死体は何だったんだ?」

「弟と、両親ですね。……後は、愛しているかもしれないと思いながら殺してしまったひとや、その巻き添えで死んだ方々でしょうか」


善人であれば、絶望しても己が死ぬことで終わりにしている。

けれどネアは、他人を殺すことにして、尚且つ自分を終わりにはしなかった。

どこまでも自分達家族の幸福を優先し、喪われた家族が自分に願っただけの幸せは手に入れようと努力さえしたのだ。


「しかし、どうして私の魔物はこんなことをしているのでしょう?」

「知らずに欲をかいた愚か者の所為だな。まぁ、これは俺でもウィリアムでもこうするな」

「よく分かりませんでしたが、……まぁいいやという所感です」

「お前、どれだけざっくりなんだよ………」

「あら、今更でしょう?」

「いや、確かにそうだが…………」


アルテアが辿っているのは、城の中央に向かう廊下であるようだった。

先に進むにつれ、廊下は広く豪奢になってゆく。

このような建築に不慣れなネアでさえ、この先にあるのは大広間や、玉座の間であろうと想像がつく。


(この子は、………良かった、まだ寝ているみたいだ)


ポケットの中の雛玉は、呼吸に合わせてお腹が上下に動いているので、具合が悪いわけではなさそうだ。

まだ生まれたばかりの雛なのだし、案外爆睡状態なのかもしれない。


そして、ネア達はようやく目的地とおぼしき大きな吹き抜けの部屋に出た。


壁が漆黒で塗られているので異様に暗く、部屋の中央にあるドーム型の天井から吊り下げられた大ぶりなシャンデリアには僅かに火が入っている。

数本残った蝋燭の火と、遥か上の方にある天窓から差し込む、申し訳程度の陽光しか明かりがない。



(あの椅子は見たことがあるわ………)


ほんの二日前、ネアが見たばかりの椅子があった。

がらんどうの部屋の真ん中に無造作に置かれ、この広大な空間には、その椅子と、横に置かれた丸テーブル以外には他に、家具らしきものは何もない。


たぷんと、部屋の床に張られた黒い水に天井から滴が落ちてくる。



「そう、君のそういうところはとても好きだよ。だから、今日限りになってしまうのは、寂しいね」


低く甘く、美しさの中に壮絶な残忍さを秘めたその声。

いつだったか、聞き慣れてしまったその声が、魔物らしい美しい声だったと再確認した夜があった。


また、たぷんと、床に滴が落ちる。

どこから落ちてくるのだろうと見上げて、この吹き抜けの広間を見下ろす中二階のようなところのバルコニーの柵に、無残な亡骸が引っかかっているのが見えた。

亡骸と言っても、ほとんど体が残っておらず、原型を留めているのは片手ぐらいのものだ。

その死蝋めいた白さに、白い布からこぼれたジークの片手を思い出した。


(つまり、床のこれは、…………血なんだわ)



その部屋の中央で、かつてはこの城の主だった魔物の椅子に座って、万象の魔物は優しい微笑みを浮かべる。



それはネアが見慣れた微笑みとは違う、魔物らしい無機質な微笑みだ。

美しさのあまりの拒絶感に、破滅を悟るような類いの穏やかさは、なぜ良くないことになるとわかっていても惹きつけられてしまうのだろう。


(出会ったばかりの頃、ディノが私に見せた酷薄さより、遥かに重たくて鋭い)


それはドアの隙間から見た暗闇と、放り出されてその恐ろしさを知る本当の暗闇くらいの差で、ネアはその真ん中で微笑む美貌の魔物を見ている。



「シルハーン、どこでご機嫌を損ねたものか。ご指摘いただけましたら、私とて用心しましょう」



その足元でそう命乞いしたのは、両足を失くした白夜の魔物だった。

引き千切られた足に苦痛を感じさせる素振りはないが、忙しなく動く瞳が、彼がとても怯えているのだと感じさせる。


「ねぇ、ルドルフ、この城には随分と多くの従者達がいたのだね。いずれみんな食べてしまうつもりだったのかい?」

「………ええ。手元で働くものを食らうのは、良い暇潰しにもなります。寵愛の中でも怯えながら傅かれるのは、実に愉快」

「そうなんだね。いずれは君に食べられてしまうのに、彼等は命がけで私を止めようとしたのだから、良い従者達だったのかな」

「私に食われるまでを、文字通り死ぬ迄仕えるようにと、そう躾けました。しかしながら、外周の者はあなた様の気配で容易く死んでしまいましたが」

「よく見ると、ウィリアムが気にかけていた国の者達が多いようだ」

「………王は、ウィリアムの為に私を諌めようと思われたのですか?」

「そうではないよ。彼は、自分の問題は自分で解決出来る。だから君は、君自身の理由でこんな風になっているんだ」

「私が、王をこの城にお招きしたことがご不興を買ったのであれば……」



すいと伸ばされた美しい手が、まるで幼子にそうするかのように、白夜の魔物の頭を撫でた。


「おや、そんなことで怒ったりはしないよ」

「………我が君、」


どこか恍惚と万象の魔物を見上げ、白夜の魔物は触れられたところからざらりと崩れた半面を片手で押さえる。



「どうか教えて下さい、我が君。あなたは理由なく殺し、理由なく庇護をする。そんなあなたが理由があると仰った。私はただ、その理由を知りたいのです」

「困ったものだね。その理由もまた、私自身のものだ。それを、どうして君に差し出さねばならないのかな?」

「………私が、あなたを満足させられるからです。その不快の理由よりも、あなたを愉しませるものを用意致しましょう」


歪な体でそう主張すると、白夜の魔物はこんな体勢であっても優雅に一礼してみせる。

柔和に微笑んだまま、ディノはそんな彼をじっと見ていた。



(ああ、そうか………この眼差しが恐ろしいのは、あまりにも不可解なものだからだ)



ディノは、眼差しで感情を露わにすることもなく、ただ優しく美しく微笑んでいる。

そこには慈愛に似たものさえあって、そんな眼差しで微笑むものが自分を滅ぼすからこそ恐ろしい。


それはまるで、荒波の海に沈むよりも、静謐に凪いだ穏やかな湖に引き摺り込まれるような怖さだ。



「ルドルフ、困ったことに今の私は幸福なんだ。そうなると、君から受け取れるものは、もうないらしい」


「シルハーン!」


恐怖に駆られた悲鳴のような声に、重たいものが崩れ落ちて床の血に沈む音がする。

ネアは決して目を逸らさなかったが、ディノが手を下して足元の魔物を傷付けたようには見えなかった。



「珍しいな、書き換えたのか」


その声に、椅子の上でつまらなそうに溜め息を吐いたディノが目線を向ける。

そこには今まで滲まなかった本気の不愉快さがちらりと揺れて、それだけでネアは息が止まりそうになってしまった。


「………どうして君がここにいるんだろう?私は君に、とある愚かさの償いをさせていた筈だけど」

「ルドルフを焚きつけたのは、あくまでもウィリアムの暇潰しをしてやる為であって、ネアを損なわせる為じゃないぞ?」

「しかし、彼は私にそう望んだんだよ。ウィリアムが連れている亡霊の肉が欲しいとね」

「やれやれ、馬鹿な男だ。俺はてっきり、ウィリアムの腕の一本でも欲しがると思ったんだが。…っ?!おい!足を踏むな、足を!!そのブーツはやめろ!!」


それまで、ネアはアルテアの魔術でディノや白夜の魔物の目から隠されていた。

もしこの城の生き残りの誰かに見られても厄介なので、普通にそこにいるけれど、誰にも認識されないという“選択”の中にあったのだ。


しかし、またしても悪さをしたようだと判明したアルテアを、ネアは許さなかった。

即ち、ブーツでぐりぐりと踏みつけてやったのである。


慌てたアルテアに肩を掴んで引き剥がされたところで、ネアは、ディノが目を丸くしてこちらを見ていることに気付いた。



「…………ネア?」


囁くほどの低い声に、こちらが見えるようになったのだろうかと首を傾げる。


「…………お前が踏んだところで、とうに解けてる」

「案外脆い魔術でした」

「ふざけるな」

「そして悪いやつでしたので、爪先を葬り去っておきたかったですね」

「…………やめろ。ウィリアムの守護が洒落にならん」



ゆっくりと立ち上がったディノが、こちらに歩いてくる。

先程までの精神圧はないが、爪を隠したところで、けだものの残滓はまだ消しきれていなかった。


だからこそ、この魔物はほんの少し、傷付いたような目をするのだろうか。



「ディノ、ご用は終わりですか?」

「………ああ、……そうだね。もう終わったよ」

「後片付け…?のようなものがあるなら、待っています。実は、早急に相談したい事故がありまして」

「…………事故?急ぎのものなら、待っていない方がいいんじゃないかな?」

「いえ。私が、きちんと迅速に対応したという姿勢を見せるのが肝心ですので、事態そのものは差し迫っていません」

「そうなんだね」


そこでディノは、ネアの足元までひたひたと血溜まりが広がってきていることに気付いたようだ。

手を伸ばすと、ふわりとネアを抱き上げた。


「怖くて厄介なやつは、片付けられてしまったのでしょうか?」


そう問いかけると、澄明な水紺の瞳が揺れる。

白銀と菫色の虹彩が煌めいて、残忍さの中でこそ美しかった魔物の美貌を垣間見せた。


「………相変わらず、君は私が怖くないんだね」

「またおかしな迷路に入りましたね?自分を傷付けない大切なものを、怖いと思う意味がわかりません」

「君に怖い思いをさせたこともあるよ?」

「怖がらせたい週間は終わったのでは………」

「いや、そうではなくて。………どうしてなのかなと、不思議になったから」


そう目を伏せた魔物に、ネアは肩に掴まっていた片手を外して頭を撫でてやった。

雛玉が入っているポケットは、膝の上にコート地ごと寄せて乗せており、潰れないようにしてある。


「依怙贔屓ですよ。これをやったのがアルテアさんなら、嫌いにはなりませんが、うわぁとは思います。それにあちらの魔物さんは、どうやら私に害を為そうとしたようですので、滅べば良いと思います!」



力強く宣言すれば、ディノは少し嬉しそうに微笑んだ。

いつもの微笑みに、そろそろ大丈夫かなとネアは綺麗な瞳を覗き込む。



「ところで、ディノ。鳥さんを飼ってもいいですか?この前拾って洗面台に置いておいた石から、鳥の雛が孵ったのです!」


魔物は、あまりにも場を選ばないご主人様のお願いに瞬きをする。


「…………鳥の雛」

「はい。この子です!大人しくて良い子ですが、………あら、また寝ちゃいましたね」

「いや、失神したんだろ」


ネアにポケットから出された雛玉は、ぱちりと目を開いて鳴きかけたが、あまりにも近くに居た魔物の王様に気付き、かくりと寝落ちしてしまったようだ。


「アルテアさんは意地悪ですねぇ。まだ赤ちゃんなので、よく寝るだけですよ」


本当は起きていてくれるといい子だと証明出来たのだが、ネアは仕方なく意識のない雛玉をディノに見せる。

途端に、魔物の微笑みが強張った。


「…………ネア、これは星鳥だね。捨ててこようか」

「………ディノ、そしてもう一つ報告があるのですが、私の不注意によりこの子に名前をつけてしまいました」

「ネア………」

「む、疑ってますね!決してわざとではなく、この子によく似たものがあるので、飼っても良ければその名前をつけようかなと考えていたら、つい口に出してしまっただけです」


少し憂鬱そうに小さく息を吐いて、ディノはネアに尋ねた。


「これは魔物だから、名前の由来や言葉によっても、意図しない祝福が得られてしまうんだよ。何て名前を付けたんだい?」

「………それは知りませんでした」


言い淀んでいると眼差しで促されて、隠しても仕方ないので、ネアはその名前をぽそりと呟いた。



「…………ほこりです」


「…………ほこり?」

「このふわっとした感じと色合いが、綿ぼこりのようだったので………つい」

「埃…………」


続ける言葉を失った魔物は、途方に暮れたようにアルテアの方を見たが、残念ながらアルテアは一足先に頭を抱えてしまっている。

どうやら、あの命名の瞬間は聞いていなかったらしい。



ぴしゃんと血の滴る音が響き、陰惨な殺戮の現場は、あまりにも重たい沈黙に包まれた。




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