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蝶の羽ばたきと白夜の魔物


バタフライ効果というものがある。

説明するのは今更なので、どうしてこうなったのかを振り返ってみることにしよう。



まずその日、リーエンベルクに一通の手紙が届いた。

後で判明したことによると、これは蝶の羽ばたきからだいぶ進んできたところの波であり、手紙がノア宛てであったことから、ヒルドとゼノーシュが顔を見合わせて話し込んでいたので、通りかかったネアも加わったのだ。


「どうやら、こちら宛てで届けられたものではないようです。様々な場所を巡り、いつか宛先の者へ回り回って届くような因果の祝福がかけられていますね」

「………因果」

「ご存知かもしれませんし、ジーン様に問い合わせてみましょう」

「きっと良くないものだよ」

「ゼノ、私もそんな気がします。捨ててしまえないのでしょうか?」

「捨てたら呪われそうだね」

「むぅ………」


まず、差出人が女性の名前であるのが怖い。

そして封筒は随分長く彷徨ったのか薄汚れており、書かれた文字は紙を破らんばかりに力強く乱れている。


これは間違いなく、恨みの手紙であろう。


「ヒルドさん、触っても大丈夫ですか?」

「本人が近付かなければ大丈夫でしょう。手紙が届けられたという報告を受けた段階で、あれはリーエンベルクから放り出してありますから、ひとまずは安心ですね」

「それなら一安心ですね」


ヒルドの安全が確保出来たので、ネアは安心して少し離れた。

さすがに色々あったので警戒心も培われる。

自分が近付くと良くないかもしれないと判断して、数歩下がった。


それに気付いたヒルドとゼノーシュが、得心気味に頷いてくれる。


「そうですね、ネア様は少し離れていた方が宜しいかと」

「うん。ネアは部屋に戻って」

「はい。そうさせていただきますね。もしうちの魔物の助力が必要でしたら、声をかけて下さいね」


有り難く離脱させていただくことにして、ネアはそのまま踵を返そうとした。


その時、悲劇に見舞われたのである。



「………き、狐さん?!」



物凄いスピードで廊下を疾走して来たのは、銀狐だ。

ところどころ雪毛玉を作っており、犬用シャンプーで艶々にした筈の毛並みは乱れている。

目が据わっているのは、放り出されたことがショックだったのだろう。

そして、自分に気付いたネアを認めて、青紫色の瞳を潤ませた銀狐は、とうっとジャンプした。

よりにもよって、ネアに飛びつこうとしたのだ。


「ま、待って下さい!!今は駄目です!!」


「ネア様?!」

「ネア?!」


ネアの体で銀狐が見えなかったのか、顔を上げたらしいヒルド達が声を上げるのがわかった。


ちょうどそのタイミングで銀狐がネアの胸に飛び込み、背後で嫌な熱量が膨れ上がる。


「ディノ!」


咄嗟に声を上げて名前を呼んだが、間に合うはずもなく、ぶわりと膨らんだ何かに飲み込まれるのがわかった。


「おのれ!貰い事故です!!」


そしてネアは、怨嗟の叫びを残して意識を失った。




ゆらり、と暗闇が揺れる。

とぷとぷと揺蕩い、生温く波打つ。



(ここはどこだろう?)


怖々と目を覚ますと、そこに飛びついてきた筈の銀狐の姿はなかった。

絶対に道連れにしてやると抱え込んだ筈なので、心配になって周囲を見回すが、どこにもその姿はない。

これだけの暗闇ならば、あの銀色の毛並みは目立つだろう。



(…………でも、誰かが、……いる)



誰かが暗闇の向こう側で泣いている。

ネアが訪れたことを知り、暗闇の底で顔を上げた誰かは、真っ黒に顔が塗り潰されて邪悪な影絵のような禍々しさがあった。



“あら、あなたは彼でも、彼の女でもないのね?違う匂いがする”



立ち上がった影が、子供のような声でそう問いかけて、ネアはぞっとした。

これでも様々な表現を堪能できる世界に居たので、ネアはこのような声を出す者の心の在り処を知っている。


(これは、ホラーな展開にありがちな、心を病んだ方の声!!)


「違いますよ。私には、他にお相手がいますから」



“あらそうなの。でももう、回り出してしまったわ”


声が不愉快そうに、そしてどうでも良さそうに嗤う。

何が回り出したかのかはさて置き、きっと良いものではないのだろう。

救助はまだかと指輪を見たが、まだ魔物は到着しないようだ。


“ねぇ、お兄様?”


(まずい、もう一人いた!!)


“なぜだろう。この人間には、触れたことのある気配がある”



新たな声がそう呟き、暗闇の底でまた違う影が立ち上がる。

ネアは本能的に、この二人はもう生きていないのだと悟った。


(あの手紙の中にずっといたのかしら?)


よく分からないのに、なぜだか脳が理解を深めてゆくのだから、それはつまり、そういう作用のある世界なのかも知れない。

知らしめるということもまた、彼等の目的なのか。


ここは手紙の中にある暗い場所で、この兄妹はその深淵にずっと眠っていたのだろう。

呪いが発動して、捕まえた者を飲み込むその時まで。


(と言うか、指先が黒っぽくなってきているような?!)


ぞっとしたネアは、大切な魔物の名前に引き続き、守護を貰った何人かの名前を口の中で呟いてしまった。



実は今回、日々の事故り具合から教訓を得た魔物の指導により、ネアはリーエンベルク内にいても、ディノから貰った首飾りをつけていた。

なので遠からず助けは来るし、身を守れそうな道具もある。

それなのにじわじわと思考の端から指先までを黒く染めてゆくようなこの暗闇の濃さに、本能的な恐怖が勝ってしまったのだ。



そして咄嗟に助けを求めて知人の名前を呼んでしまった結果、かちりと世界が絡み合うような、おかしな音が聞こえた気がした。



「…………ん?…………えええっ?!」



その結果、ネアはぽいっと見知らぬ土地に放り出されてしまったのだ。



「はぶっ?!」


正確には、見知らぬご老体の膝の上である。

落とされてきて、着地寸前にどこに落ちるのかを悟り、ネアは真っ青になった。

回避しようとしたが叶わず、落下の衝撃による奇声を発してそこに着地する。



「誰だろうね、君は?」


さして驚くでもなく、膝の上に落ちてきたネアに不思議そうに尋ねたのは、白髪の鷹のような目をした老人だ。

皮肉っぽそうな口元と整った容貌から、もし老化する種族ならば、若い頃はさぞかし美しい男だったのだろうと推察される。

シルクハットにステッキを持ち、服装はアルテアに似ていた。

その装いがいっそうに、紳士めいた上品さと人間離れした酷薄さを醸し出すのだろうか。


「お、お初にお目にかかります。貰い事故で他人様の呪いに巻き込まれた後、こちらに吐き出されました」


動揺のあまりおかしな言葉になってしまったが、ネアはひとまず膝の上に落ちてきた事情だけは説明した。

ぺこりと頭を下げてから膝の上から退かせていただき、ざりっと音を立てた氷混じりの雪原に自分の足で立つ。



そして、絶句した。



(…………死体だらけだ)



見渡す限り、そこは死体だらけだった。

雪の積もった入江には石造りの城があり、その城は曇天の下で赤く燃えている。

白と灰色の混じった大地のほとんどに、無残な死体が散らばっていた。


「ここは、………戦場?」

「戦場だよ、お嬢さん。どこから落ちてきたのか、随分と軽装のようだ」

「は、はい!住み込みの職場から落とされてきましたので、残念ながら軽装でして……」


しかし、不思議なことにネアが立っている場所は寒くないのだ。


(きっと、このご老人の魔術領域なのだろう)


ここまでくると、種族はともあれ間違いなく人間ではない。

装飾的な赤い天鵞絨張りの椅子に座り、老人は葡萄酒を飲んでいたようだ。

隣に置かれた丸テーブルには真紅の液体の入ったグラスが置かれている。

ネアは、落ちたときにあのグラスをひっくり返さなくて良かったと、胸を撫で下ろした。


「あの、ごめんなさい、お邪魔しました。失礼させていただきますね」

「外に出たら凍死してしまうよ。吐息すら凍る永久凍土の大地だ。それよりもここで、どんな呪いに捕らわれたのか話してゆきなさい」

「永久凍土………」


(そして、命令形だわ。このご老人は、命令して、それが当然のように叶うことに慣れている)



それに、妙な表現になってしまうが、老人の白髪はやはりかなり白い。


白を最上位とするこの世界にも、老化による白髪というものはある。

しかしそれは、単純な肉体の老齢化による白髪とは違い、魂や身の内に蓄えた魔術が衰え、体が死に侵蝕されている様を表すものだ。


つまり、この世界での白髪のご老人となると、お歳を重ねた綺麗な白髪というほのぼのとした勲章ではなく、死神の鎌を首元にかけているのだという負の証明となってしまう。

同じように運命上の死を侍らせていても、事故や戦争などではそうならないのが不思議である。


(この方の白髪は、死の侵蝕の白ではない気がする。元々持ちうる白だとすれば、かなり白いような………)


と言うことは、決してウィリアムの侵蝕を受けている白さではないのだ。

寧ろこれは、未知の白である。


であるので、慎重に時間稼ぎをしよう。



「…………手紙の形の呪いでした」

「ふむ。手紙とは古風だな。お嬢さんに届いたのかね?」

「いえ、職場の……駐在者に届いたものでした。それが誤作動してしまい、近くにいた私が巻き込まれたのです」


白い手袋に包まれた指先を顎にあて、ふむと老人は考え込む。

その指先が鮮やかな真紅に濡れているのを見て、ネアは彼が飲んでいるのが決して葡萄酒などではないことを察した。


「道のような残滓はないし、ましてや、ここは私の領域。妙な呪いだ。思い当たる節はあるかね?」

「わかりません。ただ、手紙の中には酷い暗闇があって、呪いを用意したと思われる兄妹がいました」

「ほう、手紙の中に住人がいたのか。………呪いの形、酷いと言わしめる暗闇、私の領域を通す程の階位、……となると、呪いの主は高位の精霊かもしれないね」


そこで老人は、鮮やかな緑の瞳をこちらに向けた。

それは優しい緑ではなく、かつて毒物の資料で見かけた鉱物の毒のような鮮やかな緑。

気紛れにでも親しみはなく、ただひたすらに残虐なものの気配がする。


「面白い。因果もまた、運命という魔術の織りの一つ。その織りに飲まれたとあらば、お嬢さんはそれなりの影響を帯びているだろう。ちょうど、新しいステッキを探していてね」

「…………文脈からお察ししますと、私はステッキの材料として思案されているのでしょうか?」

「そうだ。取り乱さない冷静さも、ステッキには向いた資質だね」

「私はとても自堕落な質ですので、ステッキとしては宜しくなさそうです」

「では、従順になるよう矯正しよう」


そう立ち上がった老人に、ネアは一歩下がる。

背筋に猛烈な冷気を感じるので、確かにこの向こうは極寒の地なのだろう。

微かな逡巡の後、そちら側に逃げる覚悟も決める。


(とは言え、それだけの気温で人間の身体機能がどうなるのかはわからないし、ここにいる内に首飾りから携帯の転移門を取り出せればいいのだけれど……)


こんな風に場が緊張を孕む前に取り出しておかなかったのは、ネアの失策だ。



「………妙だな。お嬢さん、随分と固い守護だね?」

「…………そう仰るということは、私に何かをしたのでしょうか?」


だらだらと冷や汗をかきつつ尋ねると、いとも容易く足を切り落とそうとしたのだと言われて目眩がした。


「しかし、傷一つつかないどころか、何かを及ぼしたという事象すら残らない。実に面白いが、とても不愉快だ」

「………そ、そうなのですね」

「お嬢さんのつけている、魔物の指輪が理由かもしれないね」


(…………見られていた!)


さり気なく見せないように隠していたつもりだったのだが、やはり指につけているものなので難しかったようだ。


実は、これが免罪符のようになって他の魔物から守られると思っていた時期もあるのだが、場合によってはこの指輪が原因で余計な興味を惹くこともあるとウィリアムから聞き、それを思い出して気を付けたのだけれど。


困惑して言葉を探そうとしたところで、老人の視線がふっと動いた。


(背後に、誰かが来た……?)


ぞくりとして振り返ろうとすると、老人が聞きなれた名前を呼んだ。


「…………ウィリアム」

「悪いね、ルドルフ。これは俺の管轄なんだ。回収してゆくよ」

「ふむ。終焉の気配が濃いと思っていたが、やはりそなたの守護か。相も変らず人間贔屓だな」

「そう。だから、悪さをされては困る。終焉として滅ぼしたのだとしても、出来る限りはそのままでいて欲しいからね」

「仕方あるまい、持ってゆくといい。私は、そなたから奪う気は無い」

「助かるよ」


ウィリアムが現れてから、一度もネアは振り返らなかった。

と言うより、振り返るどころか声も発せなかった。

それ程に高位の魔物らしい精神圧はずしりと重く、押し潰されないように歯を食い縛って堪えていたのだ。


伸ばされた手にひょいと抱き上げられ、体ががくんと揺れる。

ようやく視認することの出来たウィリアムは、小さく微笑みかけてくれたが、その瞳は鋭いままだった。


(このご老人は、それだけ厄介なものなのだわ)


ぼんやりとした意識の端でそれだけを考え、身を包む転移の香りに微かな安堵を覚える。

次の瞬間、ネアはウィリアムに抱えられたまま、簡素な石造りの城にいた。


そして、目の前にはウィリアムがいる。



「……………え?!」


ぎょっとして目を瞠ると、正面に立った方のウィリアムがくすりと笑った。


「彼女が混乱してますよ」

「うん。でも今は、少し警戒しておこう。今回の因果の繋がりはかなり厄介なものだった」

「ある意味、俺に繋いでくれるなら、俺のところに落ちてくると良かったんですが。よりによって、ルドルフとは」

「滅ぼす為の終焉に繋がる因果と言うことだから、最後の一線で、そちらに転がってしまったんだろう。ともあれ、君の領域でもあって良かった」

「あとは上手く誤魔化しておきますよ」



その刹那また、転移の揺らぎに飲み込まれる。

僅かな暗転にぞくりとしたが、転移の合間の暗闇は、手紙の向こうにあった暗闇よりは色付いていた。


「ごめんね、足跡を残したくないから少し経由地を設けるよ」


ネアを抱えているウィリアムにそう言われて、眉を顰める。

先程のやり取りを見る限り、これはどうやらウィリアムではないようだ。


(と言うことは多分………)


ほぼ誰だかわかっていたけれど、ネアは念の為に口を噤んだ。

ここまで慎重に帰り道を選んでいるのに、名前を呼んで台無しにするような危険は冒せない。

転移はその後、影絵だと思われる南国の王宮を経て、カルウィに良く似た街も経由し、とある屋敷に落ち着いた。


「さてと、もういいよ。念の為に少し添付がないかを読ませて貰うけれど、もう話してもいいからね」


そう微笑まれてそっと降ろされ、ネアは、ほうっと体の力を抜く。

強張ってがちがちになっていた背中が痛んだが、動揺しているせいか、それどころではないのに見たことのない素敵なお城に目を奪われてしまう。


(…………綺麗)


床は半透明の青みがかった白い結晶石のタイルで、壁は暗い薔薇色で何とも小洒落ている。

壁を這うのは白緑の葉を持つ蔓薔薇で、膨らんだ蕾が照明代わりにぼうっと光る。

ドーム状になった天井には見事なフレスコ画が描かれていた。


「…………ディノ?」

「うん。ごめんね、さっきはウィリアムの擬態をする必要があったんだ。ルドルフに何か言われたかい?」


その名前を呼ぶと、そこに居るのは見慣れた真珠色の大事な魔物だった。

ウィリアムとして現れた時にも微かな違和感があったが、もしかしたらあの場で急に意識が朦朧としたのは、ネアを黙らせる意図もあったのかも知れない。


「私は、一体どうしてこうなったのでしょう?それと、ノアがいなくなりました」

「ノアベルトなら、今頃はヒルドに叱られているだろう。あの仕掛けは彼の魂に反応して作動しておきながら、狐を彼だと認識出来なくて弾いたんだ」

「…………と言うことは、私だけとばっちりで捕まったのですね?」

「あの時、ノアベルトと、君にかけられた彼の守護が揃ったことで呪いが発動したんだ。付け足すと、あの手紙にかけられた仕掛けを手伝ったのは、ジーンだったらしい。色々な要素が一気に絡み合って、おかしな道筋になってしまったんだね」


まだよく飲み込めなかったが、ネアはひとまず自分を甘やかすことにした。

手を伸ばしてぼふんと魔物に抱きつくと、しっかりと抱き締めて貰う。


「怖かっただろう。ルドルフは、人間にとってあまり良くない魔物だからね」

「ディノも警戒する程なのですか?」

「階位や己の力に拘らず、欲しいものを手に入れることに躊躇いのない享楽的な魔物だ。今回は幸いなことに、ウィリアムの姿を借りれたのが良かった」

「ウィリアムさんには好意的なのですか?あまり、良い空気には思えませんでしたが」


あの時、引き下がりはしたものの、老人は口元に浮かべた微笑みの欠片も笑っていなかった。

まるで瘴気を纏うような瞳の暗さは、見ているだけでぞっとしたくらいだ。


「以前、ルドルフがウィリアムを激怒させたことがあってね、その時にウィリアムの管轄のものを決して損なってはいけないという誓約を結ばされたんだ」

「……………ウィリアムさんはやはり強いんですね」

「正面からぶつかればね。ただ、ルドルフは工作が得意な魔物だ。本来の相性はあまり良くないからこそ、ウィリアムはその機会を逃さずに誓約を結んだのだろう」

「しかし、そういうご事情なら、いっそうに執念を燃やしませんか?」

「大丈夫。それもまた誓約だからね。ウィリアムのものに手を出せば、或いはそのような策を巡らせば、彼は全ての魔術を失ってただの蝸牛になってしまうそうだ」

「…………心を抉りそうな誓約です。ほんの少し遭遇しただけですが、命を取られたりするより余程、あの魔物さんが嫌がりそうな内容でした」



それをあの爽やかな微笑みでやってのけたと思うと、やはりウィリアム最強説を推さざるを得ない。

アルテアの言う腹黒い云々とは別にして、ウィリアムはきちんと物事を収める能力に長けていそうではないか。


「ディノ、今回はすぐに来てくれて有難うございます」

「これでも随分手間取った方だ。ルドルフには、君に繋がる私の存在を認識させたくなかったし、最初に君が落とされたところからあの戦場まで転がった経緯は、ほとんど偶然だったから」


抱き締めて貰いながら頭を撫でられて、そうだったのかと首を傾げる。


「ごめんなさい、あの闇色がじわっと侵食してきたのが怖くて、つい色んな人の名前を呼んでしまったんです」

「その時に、ウィリアムの名前を呼んだんだね」

「………はい」



ディノの説明によると、今回の事故はこんな経緯によるものだった。


西方で一つの国が滅びた。

それはとある特別変異の蝶の妖精を巡る小さな諍いから、疫病の気配を見落としたことによる崩落であり、その国に留まっていた手紙は、国が滅びた跡地を漁りに来た商人の手によって、呪いを含む魔術遺物として目をつけられ隣国に渡る。


そして今度は、その国を滅ぼすのに手を貸したアルテアに、因果の祝福がネアから繋がったノアの気配を嗅ぎ取ったらしい。

彷徨っていた手紙は、そうしてウィームにやって来たのだ。


「ウィームから、私を辿ってリーエンベルクに来たのですか?」

「ウィームでも迷子だったようだよ。ただ今回は、ジーンがリーエンベルクを訪れたことで、意図せずに道を繋げてしまったんだ。正確には、彼が調べてくれたあの手紙の経由地は、もっと沢山あったけれどね」

「………なんと」

「それと、君があの戦場に落ちたのはね…」


ネアが、あの老人の膝の上に落ちるまでの経緯も込み入っていた。


まず、あの手紙の裏の暗闇は、やはり高位の精霊による呪いの集大成であったそうだ。

そこにはジーンによる終焉に紐付く類の因果の祝福が染み渡っており、ネアはその中で終焉そのもののウィリアムの名前を呼んだ。

そこで、ネアは終焉繋がりで、ウィリアムがいる土地への道を繋げてしまったらしい。


「それで、先程のお話に繋がるんですね……」

「そう。ウィリアムのところに行けば問題なかったのだけれど、近くに白夜がいたからね。より獲物の終焉を望むという因果が最後で働いてしまって、あちらに落ちたのだろう」

「あの方は、白夜の魔物さんなのですね………」

「先代の白夜よりは随分とまともだけれど、拷問と苦痛を好む魔物だ」

「むぅ、………危うくステッキにされるところでした」

「それは、………気に入られたんだね」

「嬉しくありません!」


ぽかぽかと胸を叩かれ、ディノはふわりと微笑んだ。

ご主人様に甘えられるのは、この魔物の大好きなことの一つである。


「…………うん、ルドルフからおかしなものも添付されていないようだね。帰ろうか」

「ここは、どなたのお城なのですか?」

「アルテアのものだよ。選択の一つの効果として拒絶を敷いた城だから、追跡などを剥がすには丁度いい」

「もしや、不法侵入でしょうか?」

「いや、事情を説明して借りているから問題ない」


手を伸ばされたので大人しく抱えあげられると、ネアは案外短かった冒険を思った。



事の発端になった特別変異の蝶は、とても綺麗だったのだそうだ。


その朝露のようにきらきらと光る羽の鱗粉に人々が欲を出し、こんなところまで転がってきた。

このままリーエンベルクに戻れば二時間にも満たない外出で済むが、何だか奇妙な出来事だった。



しかし、奇妙な出来事の極みともいうべき最後の事件は、リーエンベルクに帰った後に発覚した。



「なんでしょうか、これは………」


ネアが呆然としたのは、自室の寝台に自分が横たわっていたからである。

そのお腹の上には銀狐が鎮座し、守護神のように厳めしい顔をしている。


「ネアの体だよ。呑み込まれる寸前のところで腕を掴んだんだけれど、男の精霊の呪いは理に紐付く強力なものでね、内側だけ奪われてしまった」

「…………幽体離脱をしたのは、人生で初めてです」

「怖がるかなと思ったから、言わなかったんだ。すぐに戻してあげるよ」

「そんなに簡単に、ぽいっと戻れるものなのでしょうか?」

「上に置くだけだから」

「…………案外お手軽な戻り方でした!」


防御的にはこの部屋が一番ということで、ディノがネアの魂を追いかけた後、ネアの体は自室に戻され、ヒルドのお説教を終えたノアが守っていてくれたようだ。


手紙の中からネアが違うところに転がり落ちてしまったと判明したので、犯人だけが残された件の手紙は、ジーンの手を借りてヒルドとゼノーシュが破棄してくれているらしい。

焼くには清浄な魔術の炎がいいとかで、ヒルドがわざわざ王都のドリーに火を借りに行ってくれている。



ぽすんと体に下して貰い、ネアは無事に体を取り戻した。

魔物の言う通り、乗せただけでするりと元に戻ったので、やはり肉体と魂は引き合うものなのかも知れない。


「自分の体に戻れて良かったと言う日が、まさか来るとは思いませんでした!」


滅多にない体験なので少し高揚して言えば、もう二度とないといいねと神妙に言われてしまった。

どうやら白夜の魔物がとても興味を示したのも、魂だけという状態も原因らしいそうで、だからこそディノは、さもネアが亡霊であるかのように振る舞ったのだとか。


(悔しい!幽霊状態だったなら、やってみたいことは色々あったのに!!)


そんな野望が潰えたことを打ち明ければ、そもそも魔物は普通に見えるし触れられると教えられ、ネアはがっかりした。

考えれば普通に接されていたのでその通りなのだが、まさかの幽体体験とあって盛り上がってしまったのだ。



「狐さん、みなさんにきちんとお詫びをしなければいけませんよ?」


謝罪の意味も兼ねてか、膝の上でもふもふを解放していた銀狐に、ネアはそう言い含める。

あれ程女性関係で迷惑をかけてはいけないと言っていたのに、まさかの大惨事だ。

とは言え、手紙が送られたのは二百年以上前のことなので、ヒルド達もそこまで怒らないといいのだが。

銀狐は神妙に頷き、ヒルドに叩かれてしまったというお尻を、さっと尻尾で隠した。


「いい機会だし、ウィリアムにも挨拶をしに行くかい?」

「あら、蝸牛に変えられてしまわないといいのですが………」


ディノのその問いかけに、銀狐はけばけばになって、震えながら涙目で首を振っていた。

やはりウィリアムの怒りは恐ろしいのだろう。

やれやれと溜息を吐いたディノが、このことは内緒にして事情を説明すると約束してやったので、銀狐はほっとしたようだ。



後に、ジーンからのアルテア経由でばれてしまうのだが、それはもう少し後のことである。




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