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南国の果実と季節の遷移



その夜は風の強い夜だった。

こうこうと唸る風が木々を揺らし、ざわざわと枝葉のぶつかる音がする。


時折ばさりと落ちるのは、枝に積もっていた雪の塊だろう。

こうして季節が移ってゆくのかと思えば、見慣れた清廉な雪景色を惜しんで胸が微かに痛んだ。


(ああ、……私は、ウィームの冬が好きだったんだわ)


きらきらと光るイブメリアの街並みと、カラカラと鳴る馬車の車輪の音。

あの歌劇場のロージェで過ごした素晴らしい夜。

真っ白な雪景色の朝の淡い水色の光、その上で弾けた花火や、大きく翼を広げて舞い降りた雪食い鳥。


きっともう、雪食い鳥は北へと渡る季節なのだろう。

あの群れは、妖精の取り替え子に伴侶にされてしまったラファエルや、もふもふのヒヨコ状になったアンナはどうしているだろうか。


(夏になったら、ジゼルさんはどう過ごすのかしら)


あの子狐も氷の精霊だった筈だ。

恐らく、雪竜の住まう雪の城に篭るのだろう。

夏季の式典などにはあまり姿を現わさなくなるそうだから、勇猛で美しい雪竜の飛行姿はそろそろ見納めだ。


風のざわめきに雪が落ちる音が重なる度に、冬の気配が薄れてゆく。



「ディノ、………少し元気が出ましたか?」


ネアがそう話しかけたのは、寝台でくしゃりとなっているディノだ。

どうやら今夜は悩み過ぎて具合が悪くなったようで、体を折り曲げる巣の中では可哀想だと思い、寝台を貸してやっていた。


「具合が悪い…………のかな」

「具体的にどこかが損傷していなくても、もやもやして元気がないのでしょう?」

「…………うん」

「考え過ぎですね。私が薔薇選びでなったのもこれです」

「これ、どうすればいいんだろう」

「困りましたねぇ」


本当は、ネアがドリーに会わなくてもいいよと言ってあげればいいのだが、そうなると今度からこうすれば折れてくれると学びそうで怖い。

よって、ネアは折れるわけにはいかないので、決して己の欲望に負けているのではない。


「ほら、春待ち風の音が聞こえますよ」

「雪の精霊も抵抗しているね。今夜は春待ちの敗北かな」

「そんな戦いが繰り広げられているのですね!」

「ウィームは、四月の後半までは冬が残る。雪竜の力もあるし、雪や氷の者たちが強いんだ」

「逆に夏が強いところもあるのですか?」

「ヴェルリアがそうだよ。あの土地は、あまり冬が滞在しないから、もう春の芽吹きが始まる頃合いじゃないかな」

「他の季節が強い国もありそうですね」

「うん。豊穣の国は秋の者が強いし、季節というよりは気候に支配される国もある。巨人が住む雨の街は有名だ」

「グローヴァーの産地ですか?」

「そう。昔は春だけの国もあったけれど、戦乱で滅びてしまった」


そういう話を聞くとしみじみ思う。

どこもかしこも長い時間に育てられたものが多くて不変のようにさえ感じてしまうが、この世界だって失われてゆくものはあるのだ。

こんな夜だって、同じ夜は二度とない。


「ディノ、温かい紅茶を飲みますか?」


滑らかな真珠色の髪を撫でながら、ネアは、同じ部屋の中にこんな生き物がいる不思議さに微笑む。


「ネアが優しいと、少し不安になるのはどうしてだろう」

「あら、懐柔する為の優しさではないですよ」


すっかり疑い深くなってしまったのか、或いは具合が悪くて気弱になっているのか、不審そうにそう呟かれて笑ってしまった。


「予防注射に連れていかれるワンコみたいですね」

「犬………?」

「撫でてあげたくなります」


ディノが複雑そうに差し出した頭を撫でてやれば、不本意そうなところから幸せそうな眼差しへと容易く崩れてゆく。

それを穏やかに見つめながら、ネアは内心ほくそ笑んだ。


(よしよし、こうしてご主人様が偉いのだと刷り込まれてゆくが良い!)



しかしながら計画に気付かれても困るので、ネアはこのあたりでご褒美を与えることにした。


「厨房で梟さんが贈ってくれた果物を冷やしているのですが、何か食べますか?」

「ネアが食べたいものでいいよ」

「きちんと自己主張していいんですよ。因みに、メロンとマンゴーはバニラアイスを添えます。西瓜は食べやすく切ってきますが、どれか気になるものはありますか?」

「マンゴー……」


なぜか後ろめたそうに自己主張した魔物に、ネアは微笑んで頷いた。

どれを選んでも自分と同じでなければ二種類切ってくるだけなので、申し訳なさそうにしなくてもいいのに。


(手料理の過程を知って、手間がかかるものだと理解したからかな)


「では、さっと切ってきてあげますから、大人しく待っていて下さいね」

「一緒に行くよ」

「危ないことはないですよ?」

「それでも、側にいたいからね」

「む。その理由であれば仕方ありませんね」


どうしても嫌なところで荒ぶられても困るので、支障のないところでは好きにさせている。


「とは言え、さっと仕上げてしまうのでバタバタするのが疲れるようなら待っていて下さいね」

「わかった」


体を起こしてなぜか爪先を差し出したので、ネアは腰に手を当てて厳しい眼差しで一瞥した。


「バタバタするからといって、爪先を踏んだりはしません」

「ご主人様………」


実は今朝、寝ぼけてブラシを落としてしまい、転がっていったブラシを追いかけて魔物の爪先を踏んでしまったのだ。

魔物はその時のことが忘れられないようだが、迂闊にご褒美を切り出してしまったのは痛恨のミスであり、同じ失敗を冒すつもりはない。


外出しないときは枕元のテーブルに置いている首飾りにしまった鍵を取り出し、ネアはかちゃりと鍵を回して厨房への道を開いた。



厨房のある森は、常に初夏の気候と色彩を纏っている。

魔物曰く季節を変えることは出来るそうなので、ウィームが夏になったら雪景色にして貰いたいとも考えたが、庭にある畑のことを思えばこのままが良さそうだ。


畑の奥には、この前避難してきたアルテアが、勝手に植えていった珈琲の木もある。

ネアもディノも特に珈琲を多用しないので、恐らく自分用だろう。

定期的に来るつもりなのだろうかと、見る度に複雑な気持ちになった。


「さてと。ではマンゴーにしましょう」


自分一人なら半分にしてスプーンで掬って食べてしまうのだが、魔物がいるので綺麗にカットしてやろう。

大きめのスプーンで削り取ったバニラアイスと合わせて、まずはディノの分からお皿を置いてやると、綺麗な水紺の瞳を煌かせて嬉しそうにした。


ネアの手がかかったものは全て、ネアから貰えたものとして認識するのが面白い。

それは手料理から、こうして果物を切って貰うのも全て同じラインなのだ。


使った包丁を手早く洗い、お行儀よくネアが戻って来るのを待っていたディノの向かいに座り、ネアもスプーンを取り上げる。


「いただきましょうか」

「切ってくれて有難う、ネア」

「どういたしまして」


きりっと冷やしたマンゴーは甘さと酸味のバランスが良く、口の中がすっきりした。

酸味が強かったらと思ってアイスを添えたのだが、別々に食べても大丈夫そうだ。


「美味しいですね」

「うん、良い実を送ってくれたね」

「それにしても、あちらの国に行って数日でこれだけの果物を入手出来るとは、やはり梟さんは凄いのですね」

「あれでも伯爵なんだ。人型を持たない魔物の中では、最高位の魔物だよ。でも、あのあたりには梟はいなかった筈だから大きな領土争いはなかっただろう」

「もしや、生態系の均衡を崩してしまったでしょうか………」

「生態系………。どうだろうね、山猿や鸚鵡が多い土地だけれど」

「山猿………とやらは魔物さんでしょうか?」

「その系統の魔物は人間を襲うから、ネアとしては心配ないんじゃないかな」

「梟さんを支持します。やってしまって下さい」



聞けば、山猿の魔物はとても狡猾で、雨の日に傘をさして人間のふりをして近付き、少女ばかりを攫うのだそうだ。

攫われた少女達はそれは陰惨な目に遭うそうなので、人間もよく討伐隊を組んでいるのだとか。

しかし、頭が良く残虐で、尚且つ増えやすいという特性もあり、山猿の被害は一向に減らないらしい。


(土地によって住む魔物が違うのは当たり前だけれど、山猿の住んでいる国に落とされなくて良かったかも)


勿論、その分魔術保有量の高いウィームにはもっと高位の魔物達がおり、その被害も出ているのだが、ネアとしては、山猿よりは雪食い鳥の方がいい気がしてしまう。


そう言えばディノは、どちらにせよ危ないことはしないようにねと微笑んだ。


「ウィームでも春になると、虫系統の魔物も冬眠から覚めるし、熊の魔物も出てくるから、新しい種類のものが見られるよ」

「…………虫」

「この土地は毛皮の生き物の方が多い土地だけれど、それでもある程度はいるんじゃないかな」

「………虫が」


意気消沈してしまったネアは、もうこのまま冬が終わらなくてもいい気がしたが、気を取り直して食べ終わったお皿の片付けに移行する。

気を散らしていないと、これからの季節への不安でいっぱいになりそうだ。


「………ディノ、虫の魔物めは、何月頃から活動が盛んになるのでしょう?」

「ウィームの春は遅いからね。五月くらいだろう」

「あと二ヶ月くらいは猶予がある………」

「時折、春告げの魔物が逃げるから、そうすると遅くなるけれどね」

「困りました。春告げの魔物さんは逃げても構わない、寧ろ自由を謳歌して欲しいという気分です」

「でも、ネアの嫌いな蜘蛛は冬でもいるよ?」

「何て嫌な現実なのだ!」


荒ぶったご主人様に体当たりされて、魔物は嬉しそうに目元を染めた。


(そう言えば、蜂の魔物も冬でもいるし、寧ろ春から出てくるのはどんな虫の魔物なのだろう……?)



「蝶や蜻蛉、あとは百足や蚊かな」

「後半の二つは滅べば良いです」

「ネア、蚊の魔物は祝福を与える者だよ?」

「ぷーんと飛んできて、血を吸ってゆく挙句、猛烈な痒みを残してゆく不届き者ではないのですか?」

「ネアのいた世界の蚊は残忍なんだね……。こちらの蚊の魔物は、妖精のような羽を持つ球形の生き物だ。取り憑いた人間から魔術を少し奪う代わりに、様々な祝福を与えてくれる」

「………ディノ、私の魔術は奪われたら取り返しのつかない分量です」


低く軋むようなご主人様の声音に、ディノはぎくりと体を揺らした。


「…………そうか、そうだったね」

「やはり、滅びればいいと思います」

「ネア………」

「そして、百足もとても苦手なので、決して巡り合わないように尽力して下さい」

「わかったよ、ご主人様」


美味しい果物を食べて少し元気が出たのか、魔物は来るべき春から夏にかけて、虫への懸念にすっかり落ち込んでしまったご主人様を慰めてくれようと頑張った。

しかしながら、巣から魔物を引っ張り出す儀式は決してご主人様の喜びではないので、どうか自重して欲しい。


「それに、川や湖の氷が溶けると人魚達も目を覚ますよ。前に、見てみたいと話していたよね?」

「む。人魚さんは見てみたいです!綺麗ですか?」

「人間の男達はよく、人魚の歌声や美貌に惑わされて水に落ちると言うね」

「少し怖い生き物なのですね」

「興味のない男のことは食い殺してしまうから。でも、恋をした人魚はとても献身的だと聞いているよ。求愛の証に片目を差し出すそうだ」

「そうでした。猟奇的な習性があるのをすっかり忘れていました……」


雪食い鳥のことを教えて貰った時に、その話を聞いて震えたことを思い出した。

人魚は水の泡から生まれる魔物で、同族の雄はいないのだそうだ。

異種族婚をするが、子供を産むことはない。

人魚の伴侶を得た人間は芸術の才能に恵まれるそうで、その種の才能を求める者達にとっては恩寵となる愛でもある。


「後は、森の精霊や妖精、魔物達が目を覚ますかな」

「森の精霊さんは、馬の姿の鱗のある方ですか?」

「鹿や山猫もいる。鱗があるのが特徴だね」

「やはり、こちらの世界の猫さんは皆大きいのでしょうか?」

「ネアの世界の猫は小さかったのかい?」

「お膝に乗るくらいです」

「少なくとも、ネアの膝には乗らないかな……」

「ちびにゃんこを抱っこすることは出来なさそうです……」

「浮気………」



お喋りしつつ就寝準備をしていたネアは、いそいそと隣に入り込んできた魔物に眉を寄せる。



「ディノ?もう元気そうなので、どうぞ巣にお戻り下さい」

「ご主人様は残酷だ」

「ドリーさんと会っても良ければ、このままの滞在を許可します」

「………残酷だ」


もそもそと毛布に顔を埋めて煩悶してから、魔物は結局お泊まり会への憧れに打ち負かされた。

同席の上でなら会ってもいいと言われ、ネアは隣に横になるスペースを空けてやる。


「では、七日間ですね。ただしお泊まり会ですので、個別包装とします」

「もうこっちには来ないのかい?」

「因みに、ここからこっちはご主人様の領土です。入ると蹴り出されてしまうのでご注意下さい」

「………ネアが婚約者なのに冷たい」

「お互いに領土を守って、質のいい睡眠を楽しみましょうね」


そう言って魔物の方を見れば、毛布に頭まで覆われてしまっていた。

拗ねたようなので放置に限る。

寝台の横の照明を消し、ネアも眠りに落ちる。


魔物が何やらぶつぶつと言っていたが、基本その声は低く甘くて美しいので、特に邪魔にはならない。


(…………でも、ただ声だけを聞いていると、ディノの声は甘くて冷たい。美しいけれど残酷さを想像させる、魔物らしい声だわ)



すっかり聴き慣れてしまって、今はもう怖いとは思わないけれど。



そんなことを考えながら寝てしまったようだ。


真夜中に頬のあたりがもしゃもしゃしたので、虫が頬っぺたにくっついた夢を見たネアは大暴れした。


結果、魔物は酷い目に遭ったようで、妖精と戦う夢を見た時以来に起こされてしまった。

どうやら、夢の中で虫を叩き潰そうとしたのが良くなかったらしい。



ディノはとても困惑していたが、案外満更でもなさそうだったので、ネアはぱたりと二度寝に入った。







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