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2. 変態…ではなく虹色の魔物を拾いました(本編)

本編です。

拾い物注意報。




「ねぇ、ネア。君の願いなら何でも叶えてあげるから、私の願いをきいてくれるかい?」




そんな麗しい響きが落ちるのは暗い夜の森だ。



ネアこと、名前が魂を握るというちょっと厄介な世界では封印中の本名、ネアハーレイ。

現在、頭を抱えて森の隅っこで運命を呪い中である。


なお、部屋から脱走して訪れているこの世界の夜の森は、様々な色彩と不思議に溢れ溜息を吐きたいくらいに美しかった。

無造作にしゃがみこんだ足元にすら、色とりどりの花々が咲き乱れているだから、驚くしかない。



(…………ううん。美しいというなら、この生き物の方だ)



そろりと見上げた視線の先には、淡い真珠色の長い髪と、水に滲むような紺色の瞳を持つ、背の高い美貌の男が立っていた。



なんて美しいのだろうと思うこの男性がその身に宿した色彩は、一様ではない。


ゆるやかに波打つ真珠色の長い髪には、淡い菫色と水色に、青みがかった灰色にミントグリーン、ほんの僅かな淡い金色に、光の角度で浮かぶ微かな桜色まで。

そんな様々な色合いが淡く淡く混ざり合い、視線を向ける度に、果たして彼の髪色は何色だっただろうと思考の織りに囚われてしまいそうだ。


それは瞳も同じで、澄明な紺色の中には、菫色やパライバグリーンと、これまた万華鏡のような彩りがある。


語彙なくまとめれば、彼はとてつもなく上品に均整の取れた奇跡の白虹色で、そしてその全ての色彩が限りなく透明度の高い輝きを持ち、硝子細工の美しい人形のようであった。



(でも、身を切るように鋭くて、吸い込まれてしまいそうに暗い。このひとは、とても厄介なよくないもの、………なのだろう)



現れてネアを見た途端、ふわりと微笑んだこの男性の瞳の中に、確かな愉悦としたたかさが見えた。

その上でふわりと微笑んだ老獪な獣の作為が、確かに一瞬あったのだ。



「どのような願いでも叶えられるということはないでしょう。あなたは、何の魔物なんですか?」



魔物を捕えるには、鏡の前で歌乞いの儀式をする。

すなわち、鏡に向かって歌い、その歌声に引き寄せられた魔物が姿を現し、交渉に入るという流れだ。


学んでおきなさいと、歌乞いに関する教本が部屋に置き去りにされていたのを良いことに、本来は神殿で行う召喚と契約の儀を、夜の森でこっそり行ったのがいけなかったのだろうか。


それとも、魔術に浸された水鏡で行うべきことを、この世界に持ち込んだ手鏡で、まぁいいかえいやっとやってしまったのが最大の敗因だろうか。

はたまた、儀式最初の詠唱が教本を読みながらだったので、おかしな片言になったせいだろうか。



(親しげな風に見えるけれど、一目見てもう駄目だとわかってしまった。…………この魔物は、とても綺麗で素敵だけれど、到底私の手には負えないわ)



この世界の魔物の階位は、美醜で決まる。

人間や、その他の下位の者達を捕らえる力の一端として、高位の人外者程に美しいのだそうだ。



であるのなら、この魔物の階位はどれ程だろう。



何も、目の前の美貌に気圧されて、ただ慄いている訳ではない。


実は歌乞いであったという、エーダリア付きの護衛騎士が契約している魔物を見ているからこそ、この魔物の美貌にひやりとしたのだ。

よりにもよって、ヴェルクレア国内では最も高位だという魔物より美しいではないか。



(勿論、あの繊細そうで儚げな魔物とは、見る側によっても好みが分かれるだろうけれど、それでも………)



あの護衛の魔物が宝石なら、この魔物は虹やオーロラだろうか。


それは、形を成して人の手に収まらず、恩寵や奇跡の類に振り分けられる、もっと得体の知れないもの。

そして何よりも、そんな恩寵の中でも、善良なばかりのものには思えないという直感に尽きる、この魔物の酷薄さだ。



「私が何なのかを、知りたいのかい?そうだね……。君でも負担なく噛み砕けるように言うのなら、私は、理を司るようなものだよ」

「……………詰んだ」

「おや、嬉しくないみたいだね?」



座り込んだネアの頭を、伸ばされた綺麗な手がそろりと撫でる。


なぜだかこの魔物は、警戒心が振り切れてネアがほぼ石と化した最初から、とても過保護だ。

ひどく嬉しそうにネアを見ては、怖々そっと触れて、また嬉しそうに微笑みを深める。



(概念系の魔物は高位で、その分対価の支払いも大きいって教本に書いてあった………)



しかし、自分のことで頭がいっぱいな人間はそれどころではなく、過ぎたる買い物に対する支払いを逃れようと、必死でじたばたしているところだった。



「あの、私めのちっぽけな能力では確実に養いきれないので、今回はお断りする方向で……………」

「残念だけれど、一度呼び落として言葉を交わしたものは、契約済みとみなされるんだよ」

「………そうなのですね。となると、そもそもが即死確定にしても、最初の願い事すら叶えてあげられない予感がするのです。ごめんなさい」



頭を抱えたままそう詫びれば、不思議そうに見下ろされる気配。



「どうして君は、自分の命に執着しないのだろう?」



目の前の生き物は、魔物らしく人間の心の機微は読まないらしい。

前振りもなく、最奥を突いてくる。



「………していますよ。ただ、今回のことは、色々と私の心の処理能力を超えて降りかかっているものなので、その中で、より心に優しい道を探っているだけなのです」



未知の世界に落とされた挙句、歌乞いなどという命を削る職種を割り当てられた時点から、命に執着するしないの範疇はとうに超えている。


ネアに出来るのはせいぜい、この見知らぬ美しい世界をこっそり観覧しながら、いかに残された命を平穏に愉快に過ごすかの選択くらいだろう。

人間という生き物は、脆弱なりに、そういうところではとても我が儘なのだ。



「では、どうして私に詫びるんだい?」

「あなたは、私が呼んでしまったので、ここに来てくれたのでしょう?……それなのに期待に沿えないとなれば、申し訳ないと思うのは当然だと思うんです。あなた達、……鏡の魔物にとっての歌乞いは、願い事を叶えてくれる恩寵なのだと聞いていますし…………」



魔物などという長命高位の者達が人間に仕えるには、勿論、充分な理由がある。


まず第一に、彼等はその歌乞いの唱歌を気に入り、現れる。

そして、お気に入りの蓄音機を抱え込むようにして、その歌乞いが契約を交わすことを許してくれるらしい。



(ここで、所有物扱いで、人権を無視して独り占めするという注釈がつくのだし…………)



加えて魔物達は、とても独占欲が強いのだとか。


エーダリアに説明された事例を噛み砕いたネアは、この世界に属さない人間としての理解で、それは、魔物達が最初から人間と対等ではないからだと思っている。


彼等は、お気に入りの歌乞いに、子供を持つことも恋をすることも許さない。

それどころか、元々その歌乞いのものであった家族の介入すら、決して許しはしないのだという。


そんな独善的な振る舞いには、歌乞いの心を窺うだけの配慮が存在していないのは明らかだった。



(つまり、魔物という生き物は、お気に入りの音楽を餌にされると、人間などと契約してしまうくらいには、気紛れな趣味人だというだけなのではないかと…………)


従属とは言えないくらいの奉仕量で、それ以外の何だと思えばいいのか。


(何しろ歌乞いは、魔物達に歌ってあげるだけではなくて、彼等の願い事までを叶えなければいけないのだから……………)



そこまでしても繋ぎ止めるだけの価値を周囲に齎すのが、魔物という生き物なのだろう。

お気に入りの歌声に呼び出された彼らがその場に留まる理由は、少ない労力で我が儘に願い事を叶えて貰えるからに違いない。



(それに、魔物という生き物は、自分の歌乞いにしか叶えられない願い事を常に抱えているらしい)



そんな、決して万能なばかりではない生き物の姿には異世界らしい不思議な趣きがあり、ネアは、その事実を知った時には少し驚いた。


強く美しいからこそ万能なばかりではなく、この世界には、魔術というものの理に応じた規則や限度があり、どんな生き物もその縛りからは抜け出せないのだそうだ。




(例えば、あの護衛の騎士さんが契約している魔物は、人間の作る食事が大好きで………)



その対価を美食と名付けられた魔物の願い事は、ひどく安価な報酬のように思えたが、そこにも、謎の魔術のルールが働いている。

なんと、食事を提供する歌乞いは、その食事の内容に見合っただけの命を削られてゆくらしいのだ。


野菜などの場合は一週間から二週間。

肉や魚、その他の稀少な食材を使ったものの場合は、なんと、最大一か月程まで。

契約者とは何の関係のない料理人が作った食事を与えても、なぜか契約者である歌乞いの命が削られるのだから、魔術の理という目には見えないものらしい恐ろしさではないか。


対する魔物も、その力を以ってすればどこでも得られる人間の食事のどれもが、契約者の与える食事には及ばなく感じられるのだそうだ。



(でも、魔物達が恩寵と言うだけのことはある。これは、彼等にとってとても都合のいい仕組みなのだから)



所詮、歌乞いが魔物に与えるのは嗜好品に過ぎず、魔物達が奉仕として与える力は、元々その魔物の質に見合った無理のない労働に尽きる。

命を削ってその機会を得る人間とは違うのだ。


魔物達は、己の趣味と欲求を充分に満たして適度に働くという、たいそう不平等な契約なのだった。




「確かに歌乞いというものは、我々にとってのある種の恩寵なのだろう…………」

「…………恩寵になれなくてすみません」


制御出来る見込みのない高位の魔物の目を見る危険は冒せなかったので、しょんぼりしたネアが蹲りながら詫びると、どこか微笑みを含んだ眼差しを感じた。

それはなぜか、この脆弱な人間を皮肉ったものではなく、この上ない上機嫌さの気配を帯びている。




(…………不思議だわ。この魔物は、どうしてそんなに嬉しいのかしら………)




そうして、ふと視線を上げて気付いてしまった。



淡くきらきらと、そしてふくよかに揺れる森の色彩が、ネアがやって来た時とは比べるまでもないくらいに、彩り豊かに光り輝いているではないか。


それはまるで、この目の前の魔物の機嫌の良さを反映するようで、あらためて、これはもしや、飛び抜けて特別な生き物なのではないだろうかと考える。


ぼうっと青白く光る枝葉の影に、しゃりしゃりと育つ星屑めいた光を孕んだ鉱石の花。

森の茂みには美しい花々が咲き乱れ、ゆっくりと枯れ落ちてはまた花開く。



だからこそ、考えるのだろうか。



(そもそも、魔物というのは、どうやって扱うものなのだろう…………?)



このような美しく恐ろしい生き物と、どうやって共に暮らしてゆくのだろう。


そんな、とても大切な事を調べておくのを、すっかり失念していた。

加えて、そのような部分を、託宣の巫女やエーダリア達も説明しなかったのだ。


何を食べるのか、どんなものを好むのか。

或いは苦手なものや、アレルギーだってあるかもしれない。

うっかり何かを見せたり与えたりして、こんなに綺麗な生き物がぎゃっとなって死んでしまったりしたら大問題だと思うのだ。



「とても初歩的な質問で申し訳ありませんが、私は、…………どうやってあなたと接すればいいのでしょう?ええと、具体的に言えば、食べられないものや、触れるとかぶれるものなどはありますか?」

「私のことは、………もっと、ぞんざいに……?扱って構わないよ」

「呼び出しておいて、何も与えず、その上でぞんざいに扱ったら最低の振る舞いですよね」

「ではこうしよう。それが私の最初の願い事だ」



そろりと視線を持ち上げれば、複雑な夜明けの色彩をした美貌の瞳がこちらを見下ろしている。



「よ、欲求に紐付く願い事が、………ぞんざいに扱われることなのですか?」

「そうだね」



彼をぞんざいに扱うことで、寿命というものはどれだけ削られるのだろう。

もしこれが、実はとても不興を買っていて、願いを叶えさせる体で殺してしまおうという企みなら、是非に辞退させていただきたい。

聞くところによれば、魔物達は、一概に残忍で気紛れなのだというし。



(でも、歌乞いに対する執着だけは本物だというから、手綱を握れるような魔物を呼び落とそうと思ったのに!気持ちはそう簡単に寄り添わないにしても、力を借りられるのなら、唯一の味方になると思ったのに!)



自損事故とは言え、あまりにも世知辛いとむしゃくしゃしかけたネアは、そんなことよりも遥かに重要な疑惑に気付いてしまった。


何かがおかしいぞ、しばし待たれよな気分で、これまでの情報を集約した脳内を一度整理してみる。



(…………もしかして、この魔物は、ぞんざいに扱われるということを願い事として抱えてるの?)



願い事は強いものだ。

ちょっと気安く会話してね、という罪のないものとは違う。



何しろ、呼び出された魔物にとって、歌乞いに叶えて貰える願い事は有限だという前提がある。


場合によってはあっという間に死んでしまうので、それまでの間に叶えられるものの数はとても限られており、そうなると、魔物側の要求は心からの願い事として昇華されるぐらいに切実なものでなければならない。


ぞんざいという言葉を脳内で切実で強力なもので検索してゆけば、恐ろしいことに被虐嗜好という危険なワードに変換された。




「それってもしかして、へんた…」



思わず口にしかけた途端、首を傾げた魔物があざとく微笑んだので、口を噤む。


この魔物の特殊な性質がどうであれ、老獪で面倒そうな性格をしているようなのは間違いないので、か弱い人間としては、本音がだだ漏れる発言は慎むべきだろう。



「私の命程度のもので、叶えられるといいんですが」

「日常で続けて欲しいもので、君の命を削ったりはしないよ。勿体ないからね」

「……………に、日常的に、ぞんざいに扱って欲しいんですね」



しかも、この魔物は、魔術的対価である命を削らないらしい。


そうなると対価としての質は、歌乞いじゃなくても渡せるくらいのものになってしまうので、なりふり構わずの欲求とみた。



「…………仰っている意味がよくわかりません」

「うーん。まだ難しいのかな。ごめんね、…………まだ、言葉の加減がよくわからないんだ」



なぜか原因の魔物まで迷路に入り込んでしまい、悲しそうに眉を顰める。


暗く艶やかな美貌の魔物がそうすると、ひどく蠱惑的な絵面になり、ネアは少しだけ倒れそうになった。



(この色香的なものから察するに、要約されて理と言うこの魔物の系譜は、一体どんなものなのだろうか)



彼の持つ色彩からは、どんな人外者にもあるという系譜は読み解けそうにない。


学んだ筈の知識にもない、多色持ちの生き物が現れてしまったので、属性や系譜、概念などを色分けするという前提から転んで起き上がれないままだ。

色を持ちすぎている場合は、その分量が一番多いもので属性を決めてしまったりしていいのだろうか。



そして、ぎりぎりと眉間の皺を深くしてゆくネアに、真珠色の髪をした魔物は、とんでもない結論を出した。



「好きなだけ私を使って構わないし、どのような事も命令していいよ。私は君にそうされるのが、とても幸福だからね」



排他的で冷やかな面差しが、どこか無垢な煌めきで幸せそうに緩む。

期待を込めてこちらを見ている瞳は無防備できらきらしていて、主に忠実でお利口な犬のようだ。




(…………あれ、犬?)




「どうしよう、本物だ!」



わぁっと蹲ってしまったネアを、美しい魔物は不思議そうに見下ろしていた。

こてんと傾げた無防備な瞳に、ちょっぴり頭を撫でてやりたくなったのは秘密である。






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