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仕立て妖精と刺繍妖精



今日は朝から、ヒルドのご機嫌がとんでもないことになっている。

なぜならば、本日、リーエンベルクを一人の女性が訪れているからだ。



「仕立て妖精さんだそうです」

「ええ、存じておりますよ。顔見知りの妖精ですから」

「お友達…」

「いいえ、友人ではありません」

「………失礼しました」

「ネア様、ヒルドに女性との関係性を問う時には、基本、他人だと認識した方がいいですよ」

「アーヘムさん!」


珍しくローゼンガルテンを離れたアーヘムも来ており、ネアは顔を輝かせる。

あの白いケープの後も、アーヘムの作品にはお世話になっている。

作品への好感度がそのまま本人への好感度になっており、大好きな妖精の一人になっているのだ。


しかし、その最上級の微笑みを受けた刺繍妖精は、困ったように眉を持ち上げた。


「ネア様、これからのお付き合いの為にも、その微笑みは少し左に向けていただけますと…」

「む、ヒルドさんに……」

「おや、素敵な微笑みですね」


そう微笑んだヒルドに、背後で仕立て妖精が生温い気配に変わった。


「ネア様、男共に構っておりますとお時間が足らなくなりますよ。私は、あの契約の魔物に害されたくありません」

「は!失礼しました。さくさくと進めましょうね。あの魔物が悪さをしたら私が懲らしめるので、安心して寛いで下さいね」

「まぁ確かに、そういうお仕置きを喜びそうですね」

「シシィさんは、鋭い観察眼をお持ちの方なのですね」

「その種の判断は出来ないと、仕立て妖精には向きませんからね」


そうからりと笑ったのは、仕立て妖精のシシィだ。

活動的なパンツスーツのような服装だが、彼女は仕立て妖精のシーである。

少年のような短い巻き毛も、くりくりと大きな目も、鮮やかで瑞々しい新緑の色をしている。


本日はアルテアからの紹介状を持ち、リーエンベルクを訪れている。

春告げの舞踏会用のドレスを仕立てるにあたり、アルテアは最高のチームを用意したのだとか。


「アルテアお気に入りの可愛いネア様ですから、今日は気合を入れてかかりますよ!」

「お気に入り………?」

「あら、お気に入りの認識がないんですか?」

「アルテアさんの気に入り方は、珍獣をつついて遊ぶ系です。なので、お気に入りとさらりと言われてしまうと、今迄の苦労が蘇って殺意が蘇ってしまうのです」

「アルテア、馬鹿ですね……」


どうやらこの妖精は、アルテアの個人的な友人でもあるらしく、意外に容赦ない。


「さぁて、あの馬鹿を昏倒させるドレスにしましょう。幸い、ネア様は良い素材をお持ちですし」

「……昏倒は大賛成ですが、私の腰は、大抵の素敵なご婦人方より太いのですが……」

「妖精や魔物と比べちゃ駄目ですよ。種族が違うのですから」

「シシィさんの腰が素敵過ぎて、嫉妬せざるを得ません」

「仕立て妖精は、元々理想体型の者が多いんですよ。司るものが衣服ですからね」


シンプルなパンツスーツを着ていても、シシィはその肉体一つで、どれだけ縫製の曲線が素晴らしいのかを見事に伝えてのける。

それが種族的なものだと知り、ネアは少しだけ心が落ち着いた。


「うふふふ。着痩せして見えるとか、最高ですか」

「シシィ、不用意な触り方をしませんように」

「私としては、ここにヒルド様が居ることの方が問題かと思いますよ」

「おや、監視が必要なあなたでなければ、私とて退出させていただきますが」

「………ヒルド、採寸や合わせもあるから、彼女は嫌がるんじゃないか?」

「アーヘム、あなたも男性ですよ」

「いや、僕は仕事だよ」


何やらこそこそと話している男二人を一瞥して、シシィはさっさと採寸を開始する。

促されたネアは、羽織りものを躊躇なく脱いだ。

ぎょっとしたように斜め後方の男達が体を揺らしたのがわかったが、どれだけ採寸用の薄着になろうと元の世界の夏服程度なのだ。


恥じらう素振りをみせた方がいいのだろうが、実際はさして恥ずかしくもない。


(そもそも、ヒルドさんはもっと薄着の時も見ているのでは……)



「いいですねぇ。脱ぐと結構胸があるの最高です!さっすが、ダリルの見立て通り!!」

「シシィさんは、ダリルさんともお知り合いなのですね」

「はい。五年に一度くらいしか会えませんが、飲み仲間ですよ」

「時間感覚が、さすが妖精さんという感じでした」


シシィは笑いながらネアの体を素早く測ってゆき、胸はしっかり見せましょうねと呟いている。

事前に彼女のデザインノートを見ているので、ネアは特に危機感なく頷いた。

決して品のないものにならないことは、他の作品や、いつものアルテアの服装を見ていてもよく分かる。


このシーは、アルテアの専属仕立て班の一人でもあるのだ。


「……アルテアを唸らせるには、ここも締めて、上品だけど匂い立つような雰囲気で……」

「シシィさんはもしや、アルテアさんのことが嫌いなのでしょうか……」

「いえ、腹を立てているだけですよ。昔の男に伴侶を貶される程、腹立たしいことはありませんからね」

「………思ってたより濃いご事情に、驚きを隠せません」

「でも、アルテアと付き合ってたのは、二百年くらい前の数年間のことですからね。向こうは片手間でしたし」

「片手間なアルテアさんは論外として、うちの魔物と違い、アルテアさんの女性の趣味がとても良いことに敗北感を覚えます………」

「あ、そういうのってありますよね。うちの伴侶も、前に付き合っていた女が性悪なんです」


何だかお友達になれそうな気がしてネアは喜んだが、シシィはプライベートな交友を深めるつもりはないらしい。

仕事外では危険物には近付かない主義だと知り、ネアは消沈する。


(危険と言われれば危険なので、反論も出来ない!)


筆頭はディノだが、ゼノーシュやヒルドも障害になりそうだし、警戒している相手を無理やり友達にするのは難しい。

何しろ、ネアが同性の友人を作るのは、願い事を叶える星屑が砕け散るくらいに難しいのだ。


「色は、品のいい赤紫か、深みのある葡萄酒色がいいかもしれませんね」

「いや、春告げの会なのだから、淡い色彩が好まれる」

「アーヘム!でも、普段見慣れているような配色は嫌よ」

「肌馴染みのいい薄紫色を、肌に溶け込むように見せるのはどうだ?」

「悪くないわ。胸回りは特に……」

「そうなると、虹光沢のある乳白色から透明色の結晶石が必要だな」

「胸元はあえて曲線を見せつけるだけで刺繍を生かして、スカート部分は花びらを連想させたいわね」

「春の夜霧のような質感はどうだろう」

「いいえ。くすませないで、淡く煌めく春の朝靄を紡いだものにする。贅沢に重ねていても透けて見えそうで、勿論だけど決して見えないのよ」

「足首は?」

「足首は見せない長さのドレスにするけれど、踊った時にちらりと覗くように工夫するわ」

「では、内側にも刺繍を入れよう」


シシィとアーヘムで次々と案を出し合ってゆき、ネアにもイメージ出来そうなくらいにドレスの形が定まってきた。


「ネア様、刺繍の曲線を見ますね」

「どうぞ!」

「………アーヘム、近付き過ぎでは?」

「ヒルド、これが僕の仕事だよ」


シシィと違い、アーヘムの観察は片眼鏡越しなのでとても緊張する。

大鴉と言われる独特の装いもあり、成人の男性の真剣な眼差しに少し背筋が伸びてしまう。


(あ、肩のところの刺繍がとても綺麗……)


ふと、視線を彷徨わせたネアは、アーヘムのコートの刺繍が気になった。

羽毛をイメージした刺繍だが、黒の色合いがグラデーションになった糸を使っており、溜め息が溢れそうな美しさだ。


「……ネア様、見つめ過ぎですよ」

「む、ヒルドさん……。アーヘムさんのコートの刺繍が素晴らしいんです!」

「距離感と、現在の装いを考えてのことでしょうか?」

「むぐ…………」


鬼教官の眼差しで微笑まれ、ネアはぐっと黙り込む。

ディノは部屋に置いてこられたが、ヒルドがいるとなると違う不自由さがある。

しかし恨めしげに見上げると、なぜかヒルドはぎこちなく目を逸らした。


「勝ちました」

「ネア様、ヒルドは拗らせると厄介ですから、あまり刺激しませんように」

「拗らせる……?」

「はーい、ネア様、ちょっとお尻触りますよ」

「ふぁっ?!」


事前に断りがあったものの、さすがに両手で掴まれると飛び上がってしまう。

ふるふると震えながら呆然と振り返ると、シシィはヒルドに叱られているところだった。


「でも、しっかり体の形を生かしたいですし、ネア様は理解のある方なのでその強みを使わない手はありません!」

「シシィ、彼女はあなたの上得意の魔物達とは倫理感が違うのですよ」

「とは言え、婚約者は魔物でしょう?淫奔な魔物と一緒に暮らしているくらいですし、このくらいの悪戯は日常茶飯事ですって」

「シシィ!」


シシィの推理にネアは首を傾げた。


「残念ながら、うちの魔物は可愛らしい変態さんなのです。興味の方向性が違うので、幸いにもそちらの嗜好はあまりないような気がします」

「……実際のご趣味もまさにそちらなんですね。………ところでネア様、それは女性として大丈夫な範囲ですか?」


あからさまに動揺したシシィに尋ねられ、ネアは顎に手を当てて思案する。


「まだ、髪の毛を引っ張って欲しいというようなところで止めてますしね。しかし、上級編に向けて今度お勉強会を…」

「ネア様、その前に一度私と話し合いましょうか」

「………ヒルドさん、ええと、………その、大丈夫です」

「………成る程。ディノ様が先手を打ったようですね」


ヒルドの妙に迫力のある微笑みに、ネアは背筋が寒くなるような錯覚にとらわれた。

清廉な美貌であるだけに、仄暗い何かが異様に怖いのだ。


「と言うか、婚約者が変態でいいのですか?」

「シシィさん、決して良くはないのですが、人生には取捨選択が避けられない場面がありますから!」

「………でも、そちらの嗜好だけだと、勿体無いですね。せっかく最高のドレスを作るので、婚約者様の誘惑にも使えそうでしたのに」

「シシィ!」

「ヒルド様は、黴の生えた価値観をお持ちですね。美しいものを着た女性が、自らの魅力で歓びを得るのは当然の時代ですよ」

「その価値観を、ネア様に押し付けないでいただきたい」

「ネア様、どうです?男というものは、本当に愚かな生き物でしょう?」


変態の説明から男女間の永久論争に発展してしまい、ネアは内心苦笑する。

どんな世界でも、この手の議論はつきもののようだ。


「私は、収穫を武力で勝ち取るのが好きですが、アルテアさんからはムグリスに似てる疑惑をかけられていますので、ぎゃふんと言わせるドレスにしていただけると嬉しいです」

「武力……。ネア様は、意外に女王様向きですね」

「………狩りの女王として獲物を倒すのは好きですが、そちらの世界の女王様になるのは不本意なのです」

「もし、本格的に女王様になる日が来たら、衣装は私に作らせて下さいまし」

「………衣装」



ネアの心が折れそうになったところで、採寸とデザイン会議が終わった。

今回はアルテアが代金を持つこともあり、シシィ達はかなり自由な仕立てを許されているらしい。


(………かなり高価なものになりそうだけど、大丈夫かしら)


材料についての話し合いを聞いているだけで、庶民は気が遠くなってしまう。

そんなにオーロラの結晶石が買えるのだろうか。

不安になってきたので、お昼ご飯のメニューでも考えて心を落ち着かせよう。



「ネア様、多少体重の増減があるのは構いませんが、胸だけは減らさないで下さい」

「人生初のお願いをされました。頑張って維持しますね」

「何でしたら、婚約者様に…」

「シシィ!」


そこで仕立て妖精のシーの羽の付け根をヒルドが鷲掴みにし、部屋の外に放り出すという手段で会はお開きとなった。



帰り際にアーヘムはヒルドと少し話すようで、ネアは迎えに来た魔物に回収される。



「………最近、ネアからよく離されるような気がする」

「あら、しょんぼりですね。でも、とても素敵なドレスになるようなので、まずは着て一番にディノに見せますね」

「………春告げか」

「アルテアさんの御役目でもあるそうですが、どんな舞踏会なのですか?」


そう言えば、アルテアからしか概要を聞いていない。

恐らく情報が偏っているので、ディノにも聞いてみることにした。


(靴のサイズ合わせの時に、やっと参加することが確定したから)


ディノが荒ぶれば参加辞退もありえると覚悟していたが、上手く話がついたようだ。

魔物達が話し合いをしている時にアイザックが教えてくれたことによると、不利益よりも得るものの方が大きいのでディノが折れるだろうということだった。



「言葉通り、季節の変わり目の舞踏会だ。参加出来る者が限られていて、高位だから参加出来るという訳ではないんだ。私は入れないから、当日はアルテアから離れないようにすること」

「………それだけでもう、不安でいっぱいです」

「そうだね、私もあまり喜ばしくない。だけど、春告げの舞踏会で踊った者は、復活の祝福を手にすることが出来る。修復を司る者がいなくなった今、それは得難い祝福なんだ」

「復活の祝福とは、どんなものなのですか?」

「その一年に限定されるけれど、一度限り死を無効化する」

「…………とんでもない効果でした」


それは確かにディノは折れるだろう。

前回の咎竜の一件がとてもショックだったようなので、特にネアの死というものにはナーバスになっているところだ。


「季節の舞踏会はそれぞれに、大きな祝福が得られる」

「他の季節もあるのですね」

「冬は冷静さを、夏は不老を、秋は豊かさを」

「秋だけふわっとしています」

「その分、効果が広いからね。美や財産に使う者もあれば、己の領土を富ませる者もいる」

「そうなると、リズモの祝福よりも効果がありそうですね!ディノ、秋の舞踏会に出たいです」

「ご主人様………」



ご主人様の飽くなきお金への執着に魔物は困惑していたが、魔物が春告げの舞踏会の最も厄介な祝福をあえて伝えずにいたことを知るのは、よりにもよって舞踏会の前日のことだった。




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