求婚と婚約
思いがけない相手から、思いを寄せられるということがある。
ネアはその日、そのまま踵を返して忘却したいようなお相手から求婚された。
半眼になりそんな厄介なお相手を仲介したアイザックを見上げると、アクス商会の代表は感情の伺えない微笑みを浮かべる。
もし、魔物だの妖精だのが溢れたこの世界で、悪魔というネアの世界の価値観から誰が似合うかを判断するとしたら、ネアはこの男を選ぶだろう。
残虐という訳でもなく、非道さが見えるわけでもない。
しかしながら、やはり得体が知れない。
「………アイザックさん、この方は」
「これでも彼は第一王子ですから。良いご寵愛を得ましたね」
「そして、薔薇の祝祭はまだ再来週の筈です」
「祝祭の頃にはウィームを離れてしまうそうですので、少し早めにとのことでした」
「………厄介なことになった」
思わず本音を零してしまえば、正面に立った男性が目を細めた。
微かに癖のある黒髪に、オリーブグリーンと瑠璃色、艶消しの金にほんの僅かな赤紫。
何とも美しい瞳を持つ魔物で、ネアの記憶が確かならば木通の魔物だと聞いている。
(でも、アクス商会に出入り出来るくらいなのだから、木通の魔物さんは案外に需要がある模様!)
やはり、蔓を使った籐細工のようなものだろうか。
価値判断を間違えていたことが少し悔しい。
そこで思考が逸れてしまったことに気付き、ネアはもう一度視線を灰白の薔薇の花束に戻す。
これを持ってこの扉を出たら、控え室で待たされているディノは間違いなく荒ぶるだろう。
本日は、アクス商会からの委託商品の受け取りということで立ち寄ったのだった。
個人的な品物だと部屋から出されたディノは、ものすごく不機嫌で大変だったのだ。
「悩みの種の相手を、極秘裏に抹殺する手段は取り扱い商品にありますか?」
「………私を見て言わないで貰おう」
「場合によっては台座ごとと思わないでもありませんが、そう言えば初対面の方なのでした」
「………ああ、その通り初対面だな」
「初対面の方であれば、滅ぼす程に無慈悲ではないので、この灰色のみを標的とします!」
初対面だという魔物には興味がないので、ネアはさらりとその視線を受け流した。
やや憮然としているが、今の問題はその初対面の魔物の掌に乗った灰色の生き物だ。
見事な真円のその生き物は、初対面の魔物に素晴らしい薔薇の花束を持たせている。
それがアクス商会に委託した、ネア宛の品物だということなのだ。
「初対面の魔物さんは、そのもふもふの仲間なのですか?」
「いや、通りすがりで持たされただけだ。それと、初対面の魔物という名前ではない」
「関係性をわかりやすく呼びかけにしているのです」
「ジーンだ」
「初対面の魔物さん……」
穏やかな顔でそう続ければ、とても嫌そうにされたが致し方ない。
扉の向こうには嫉妬深い魔物がいるのだ。
そしてもう一度、ジーンの掌に乗ったムグリスを眺めた。
目が合うと羽を震わせて喜んでいるが、なにぶん、もふもふの鼠妖精である。
「アクスの通訳によりますと、信仰の魔物から救われて以来ずっと、ネア様に思いを寄せておられたようです」
「こやつに、高価な薔薇を注文出来るだけの財力があることが謎めいています」
「ムグリスは資産家が多いそうですよ」
「…………なぬ」
思わず心が揺れてしまったが、ネアは慌てて首を振った。
心なしか、目の前のジーンがじっとりした目をしている。
少し悩んでしまってから、ネアは木通の魔物の手の上にいるムグリスをそっと撫でてやった。
「ムグリスさん、素敵な花束はとても嬉しいのですが、私にはもう婚約者がおります」
さっと魔物の指輪を見せると、ムグリスはぶわりと膨らんでぶるぶる震えた。
「ごめんなさい、どうか悲しまないで下さい。薔薇は素敵なので貰えると嬉しいです」
「………悲しんでいるのではなく、相手の魔物を殺すと息巻いているぞ」
「………抹殺しましょう」
「いや、なぜ見上げて言うんだ」
「………アイザックさん、こやつの記憶を消すような商品はありますか?」
慌ててアイザックの方を見て問い合わせれば、アイザックは無機質な微笑みを深めた。
「申し訳ございません。ハン様は上得意ですので」
「お金の力に負けました。仕方がありません、非合法な解決策になりそうですが魔物に告げ口します」
「おや、そうなりますと、私共はいささか困りますね」
(よし、掴んだ)
ネアが姑息な手段に訴えたので、アイザックは表情の読めない微笑みの段階を上げた。
このまま交渉に持ち込みたい。
ムグリスに、人間の言葉を理解する能力がなくて良かった。
彼等は感情や表情から判断するくらいなので、こちらのやり取りが伝わらないようにアイザックが魔術の壁を作っている。
「であれば、このハン氏がうちの魔物に消されない程度の緩和策は、アクス商会さんの売り物にありますか?」
「ふむ。……では、そちらのジーンを雇うと宜しいでしょう。彼は、その手の調整が得意ですので」
「ジーンさん、お値段と品質の調和の取れた商品を提案して下さい!薔薇は欲しいです」
「………薔薇は欲しいのか」
「はい。こんな不思議な色合いの薔薇は初めて見ました。灰色がかった白にピンクの光沢があるなんて!贈り物に罪はありませんからね」
物欲に負けて欲望のままに申し出ると、若干木通の魔物は引いているようだった。
しかし、木通の魔物の評価など知ったことではない。
なので、要求はきちんと伝えて商談するつもりだ。
「………ある程度効果の高い媚薬を買うといい。それを私が操作しよう。後は、適当に窓から外でも見せればいいだろう」
「セット割引きはありますか?」
「さして高価ではないから、普通に支払うといい」
「ジーンさん、私はそもそも、お品物の相場を知らないのです」
「………初回割引をつけてやろう」
「はい!」
すぐさま媚薬の一つが内密に購入され、ネアからのお礼の飲み物ということで銀色のペット用の餌皿に注がれてムグリスの王子に差し出される。
無垢な瞳でこちらを見上げたムグリスに、ネアは狡猾な微笑みを返した。
「ムグリスさん、薔薇のお礼です。こちらで購入した、上等な麦酒ですよ」
麦を食べるムグリスの中でも、王族は麦酒を好むのだそうだ。
よって媚薬はその麦酒に混ぜられ、ムグリスにとって麦酒とは最高の謝辞としても運用されているらしい。
どうやらムグリス語がわかるらしい木通の魔物がその言葉を通訳してくれ、ムグリスの王子は気取った眼差しで羽をぱたぱたさせた。
「…………自分の魅力がわかる女性で良かったとのことだ」
「やめて下さい。翻訳されると微笑みが維持出来なくなりそうです」
ムグリスの王子は、がふがふと思いがけず野生的な飲みっぷりを見せ、媚薬入りの麦酒を一気に飲み干してくれた。
そもそもが丸い毛玉状なので、口周りが泡だらけになっているが気にしないようにしよう。
「すぐに効いて参りますので、ジーンを方向転換させましょうか。出来れば、ハン様が購入意欲を刺激されるようなご婦人がいいですが」
アイザックがそう仕切り、なぜか仏頂面になりつつある木通の魔物が方向転換しようとしたその時、
「ネア、お前がここにいて丁度良かった」
「あ、」
「おや、」
「………予定調和的だな」
うっかり扉を開いて入って来てしまった侵入者に、三者三様の言葉が溢れる。
ネア達の視線を浴びて、こっくりとした色合いの紫のスーツ姿のアルテアは、ふっと口を噤んだ。
さすが高位の魔物なだけはある。
一瞬で良くない空気を感じ取ったらしい。
「………ネア、お前は何をした」
「おめでとうごさいます、アルテアさん。ムグリスの王子様のご寵愛を手に入れましたよ」
「は………?」
愕然としたアルテアの視線が下がり、ジーンの掌でふるふるしているムグリスに向けられる。
ハン王子は、新たな恋に体を震わせており、銀混じりの羽が柔らかく光っていた。
一瞬の静寂に包まれた部屋に、不法侵入してきたアルテアに続いて、控え室で待たされていたディノも入ってきてしまった。
「ネア、終わったのかい?」
「ディノ!たった今、アルテアさんがムグリスの王子様のご寵愛を得たところです!」
「アルテアが……?」
「はい。同性同士ではありますが、片やもふもふの妖精さんなので、悪くない組み合わせかも知れませんね」
「…………やめろ」
地を這うようなアルテアの呻き声に、ぶーんとムグリスがそちらに向かって飛んで行く音が重なった。
「おい、くっつくな!アイザック、これをどうにかしろ!」
「申し訳ありませんが、ハン様は上得意ですので。何なら、贈り物を強請られてはいかがでしょう?ご手配いたしますよ」
「………ほお、よく言ったものだな」
何やら違う争いが勃発したので、ネアはジーンの手元から薔薇の花束をいただいて退出しようとした。
「………え?」
しかし、ネアが花束を受け取ろうとしていると、それに気付いたムグリスの王子がこちらに飛んで来て、小さな前足で邪険に指先を叩かれてしまった。
びっくりしたネアが固まっている中、ムグリスの王子はジーンに何かを伝えて、薔薇の花束をアルテアに渡させる。
「………薔薇が撤収されてしまいました」
「ネア、もしかしてあの花束は君宛てだったのかい?」
「はい。レイラさんの圧殺から解放された時のことを美化しているようでして、ディノが荒ぶらない内に始末してしまおうと、お金の力で他の方に恋をしていただいたのです」
「………あの時のムグリスか。すっかり忘れていたよ」
ディノは複雑そうな顔でムグリスを見たが、当のムグリスの王子は必死にアルテアにへばりついて羽を光らせている。
それを毟り取ろうとして、アルテアはアイザックにやんわりと窘められていた。
「………アルテアと伴侶になるならいいかな」
「ふざけるな、誰が伴侶だ!」
「でも今、髪の毛に羽の庇護を与えられていたよ」
「………な、………」
そこでアルテアは目を瞠って黙り込んでしまったが、ネアはネアで聞き覚えのある単語に首を捻る。
(あれ、私がヒルドさんから貰っているのも羽の庇護だったような……?)
しかし、それならばディノが暴れると思うので、これとは違う形なのだろう。
「婚約おめでとうアルテア」
「やめろ………」
「悪いが、そろそろこれを受け取ってくれないか。私は通りがかっただけだし、支払いの手続きがある」
「ん?灰白の薔薇か。赤系統ならまずまずってところだな」
薔薇は構わないのか、アルテアはジーンの差し出した花束をひょいと取り上げた。
悔しげにそちらを見ているネアに気付いたのか、木通の魔物は微かに眉を顰める。
「すまない、こちらの不手際で取り零しがあったので、代替品を手配しよう」
「まぁ、そのような保証があるのですね!」
「同じ灰白にしておくので、後日配達させる」
「初対面の魔物さんは、とても優しい店員さんでした!」
「ネア、彼は魔物ではないと思うよ」
「………なぬ?」
ディノに指摘されてまじまじとジーンを凝視すると、彼は少し困惑したように視線を泳がせた。
「恐らく高位の精霊だろう」
「精霊さん………」
初めてこんな風に無難な人型の精霊を見たので、ネアはつい観察してしまった。
覗き込むようにしっかり見上げれば、ジーンは複雑な色合いの瞳を細める。
「シルハーン様、あまり当商会の者を詳らかにしないでいただきたい。ジーンの成り合いは、アクスの中でも把握していない者が多いことですので」
「そうなんだね。種族の擬態をする精霊は珍しい」
「彼は、あまり表舞台に出たくないようでしてね」
「暑苦しい弟が乗り込んでくるからだろ」
アルテアがそう補足したので、ジーンとは知り合いのようだ。
そこで、アルテアがムグリスを引き剥がすまでのてんやわんやがあり、ネアは途中で支払いがまだであることに気付いた。
「ディノ、お支払いをしてしまいますね」
「いいよ、私が済ませておくから」
「いえ、今回のことは私の問題ですから。ただ料金によっては、帰りのザハのケーキを任せてもいいですか?」
「やれやれ、頑固なご主人様だね」
視線で、木通の魔物あらため謎の精霊を伺えば、ジーンは軽く手を振ってアイザックから小さな白い紙を纏めたものを受け取ると、そこにさらさらと何かを書き込んだ。
書き込んだ紙をびりりと切り取り、ネアに差し出してくれる。
その金額を確認して、ネアは少し驚いた。
(とても良心的というか、アクス商会のものにしては随分と安いような……)
こてんと首を傾げてから、保証を充てなければいけない事態があったことを思い出す。
ネアが欲しいと伝えた薔薇の花束は、アルテアの手に渡ってしまったではないか。
(そうか、完璧に着地しなかったから、割引になったのかも)
そう納得すれば、この料金も不思議ではない。
アクス商会の看板はたいそうなものだ。
「良いお取り引きを有難うございました」
「いや、今回は後半が事故だったからな。私は力を割いてない」
「……そう言えば、アルテアさんが自ら寵愛の前に飛び込んでしまったのでした」
それで格安の料金設定なのだとわかり、ネアは腑に落ちて微笑んだ。
そのままジーンを見上げれば、なぜか微かにたじろいだ気がした。
人間のしたたかさが恐ろしかったのか、一歩後退されてしまう。
「では、薔薇が届くのを楽しみにしてますね」
「………ああ」
魔物が少し不審そうにしていたが、これはアフターケアのしっかりした店員さんなので、落ち着いて欲しい。
「ネア、それではもう帰ろうか」
「はい。ザハでも安心してお土産のケーキが買えます!」
「おい、待てって。用があると言っただろうが!」
「むぅ。アルテアさんは婚約したてなので、善良な隣人として邪魔したくないのですが」
「やめろ………」
その後、アルテアの用事は舞踏会用の靴のサイズ確認だと判明し、結局ディノは荒ぶった。
アクス商会からの薔薇は、ハン氏の灰白のものよりも上級の灰白を手配してくれているそうだ。
少し配達までに時間がかかるそうなので、届くのは薔薇の祝祭の頃かもしれない。
余談だが、アルテアは仮面の魔物としてのスキルを駆使して、ムグリスの王子とは婚約破棄をしたと報告が入った。
最近、ヒルドと銀狐やジゼルと子狐の微笑ましいセットを見ていたので、ネアは少しだけ残念に思う。
肩にもふもふの鼠妖精を乗せたアルテアなど、堪らなくほっこりする組み合わせではないか。
しかし、そのままの感想を返したところ、春告げの舞踏会のドレスは露出多めにしてやるという報復を誓われてしまった。