お粥の調理と迎え酒の精
その日ネアは、朝から二回に分けて長距離用の魔術通信を借りてお礼の挨拶をしていた。
ネアが咎竜の問題でワシャワシャしている時に、魔物がお世話になったらしいウィリアムとアルテアの二人へのご挨拶である。
この二人も咎竜のことを知っていたそうなので、呪いがかかってないということが判明した時にディノから一報は入れてくれたようなのだが、その後は会えていないので直接お礼が言えてなかったのだ。
あまり時間が空いてもと思い、こちらから連絡をさせて貰った。
(こんなところで成長を感じられるなんて!)
実はこの一件、魔物の成長を感じられる一幕だった。
以前はアルテアへの伝言も出来なかったディノが、今回はきちんと二人への連絡が出来ていたと判明したのである。
(連絡をしなければいけないと考えられるようになってくれて、何だか安心した)
ネアも今回の件で色々と考えたので、魔物が周囲の人々と関係性を深めてくれるのは有難い。
朝型のウィリアムには朝一番で連絡をし、朝はまず起きていないアルテアには午後に連絡し、その結果思わぬ事態になってしまった。
「ディノ、厨房に料理人が入るそうです」
そう言うと、プールから帰ってきたばかりの魔物は、とても訝しげな顔で振り返った。
困惑したようにこちらを見ているので、ネアは渋々事情を説明する。
「アルテアさんに、この後で厨房をお貸しすることになりました。報酬として、無償お助け券を二個貰えるそうです」
「何でそんなことになったんだろう?」
「なぜだかとても、邪魔の入らない静かな土地でお粥を作りたくなったそうで」
「こちらの領域に入りたいということは、ウィリアムでも怒らせたかな」
「それは困りましたね。でも、安価に手に入るようなので無償お助け券が欲しいです!」
「対価として君が構わないならいいよ。でも、ウィリアムの制裁には巻き込まれないように、私も注意しておこう」
「朝にウィリアムさんとお話ししたときには普通だったのですが、そう言えば声が少し低かったような……」
かくして、ネアの私有地にアルテアが一時的に避難してきた。
酷くくたびれた様子であるので、これはもう間違いなくウィリアムと何かあったようだ。
大抵の場合、ネアはウィリアムの理由の方に賛成票を入れるので、ここはあえて事情を聞かない方針で運用することにする。
今日のアルテアは、渋紫色のシャツに濃灰色のジレ姿だ。
ジャケットはどこかに置き忘れてきたらしく、その珍しい自損事故でやや不機嫌だった。
「ったく。飲ませて愉しませてやったのに、洒落がわからない男だな……」
「お黙り下さい。私はその事情を知りたくないです」
「赤い羽の妖精にまだ感慨があるらしいからな、引き合わせてやっただけだ」
「黙り給え!」
「お前だって、一人ぐらい経験を積んでおけば、今後の参考になるだろ」
「私を巻き込まないで下さい!」
どうやら、またしても嫌がらせで特定の嗜好の専門家に引き合わせたようだ。
この話の発端は、ウィリアムがネアの為に頑張ってくれたところにあるので、アルテアがこの攻撃方法を取る度に、ネアは申し訳なさでいっぱいになる。
いつかウィリアムの仇を取ってやろう。
「そんなにあちらの世界に興味があるのなら、ご自分で試せば良いのです」
「前にも話したろ。一通りは知ってるぞ」
「え……………」
「ウィリアムも、少しは生活に遊びがあっていいだろ。だから気を利かせてやったんだがな」
「もしや、自分が気に入っているので、人にも強引に勧めようとしているのでは……」
「ふざけるな。あくまでも経験の一つだ」
「こんなに何度も引き合いに出してしまうくらい、興味津々ではないですか」
(と言うか、経験者はもうここにいるではないか!)
お米を海鮮出汁でじっくりと生から焚き上げているので、厨房にはとてもいい匂いがしていた。
そんな中で、よりにもよってという話題を続けることにげんなりはしたが、そろそろこの悪い遊び方をやめさせなければという気持ちが勝ってしまう。
「なんだ?興味があるなら、俺で試してみるか?」
赤紫の艶やかな瞳を細めて、こちらに首を傾げて嫣然と微笑んだ魔物に、ネアはぎりぎりと眉を顰める。
大変色めいた空気で普通なら動揺してしまいそうなところだが、この話題に関してのネアの心はとても狭い。
「私にとって決して笑いごとではない話題を茶化したので、ご希望ならば特定の縛り方を施してどこかから吊るして差し上げます」
「悪いが、不特定多数の前で愉しむ趣味はないな」
「その際には、ディノとウィリアムさんの力を借りて徹底的にやる所存です」
「……………やめろ」
「制裁の範囲なので、絵師さんを呼んで証拠画像も残しましょう。力のある絵師さんの場合、絵が力を持つそうです」
「わかった。黙れ」
からかった人間が思いの外陰湿だったので、アルテアはその話題を強制的に終わらせた。
どうやら絵師はとても嫌であるようなので、ウィリアムにもこの手段を共有しておこう。
「ところで、どうしてお粥なのですか?」
「飲み明けだからな」
「アルテアさんは、海鮮好みなのですね」
「そうか?」
「大晦日も牡蠣祭りでしたし、前にも海の幸のパスタを頼んでいました」
「………ああ、確かにそう思えばそうかも知れないな」
「そういう意味でも、ヴェルリアは合うのでしょうね」
ネアがそう言うのは、アルテアが王都で第一王子と楽しくやっているようだからである。
王都の守りが薄いとこちらにとばっちりがくるので、是非にこれからも仲良くしていて欲しい。
「あそこは大概のものは揃うからな。王都そのものが商人の町である国は、他の大陸でも珍しい」
「理には叶っていますよね。知識も人材も、お金も物も動きますし」
「防御に長けた守り手がいなければ、ああも攻めやすい王都もないがな」
「………そう言えば、水竜海賊が出ているのですよね」
王都の商船などを襲った水竜の集団は、ガレンの魔術師達の尽力により防ぐことには成功していたが、捕獲には至っていなかった。
カルウィの水竜とも繋がりはないようで、外界に適応した亜種の水竜である可能性が高いのだとか。
生粋の水竜と比べて、少し形状が違うらしい。
「さてな、竜は俺の守備範囲外だ。ひとまずは、カルウィの灰被りの動きも影を潜めたところだし、まぁ、暫くのんびりするさ」
「暫くは、ウィリアムさんから逃れなければいけませんしね」
「…………まったく、度量の狭い男だな」
カルウィの白持ちの魔物は、一旦表舞台から姿を消したようだ。
まだ数々の不安要素はあるものの、国家の問題となれば、そもそもがその程度の問題に付き纏われている。
凪いでいる時から悩んでも仕方あるまい。
「そして、風味付けとはいえお酒を入れるのですか………」
「ランスウの古酒だ。飲んでみるか?」
「絶対的に危ないやつなので、ご辞退します。この素焼きの入れ物についているのは、醸造所のマスコットか何かでしょうか?」
「………何もついてないだろ?………っ!それに触るな!」
赤茶色の古酒の瓶に、もっさりとした栗人形のようなものが乗っかっていた。
可愛いらしい飾りだと思って手に取ろうとした途端に、ネアは焦ったアルテアに慌てて止められる。
いきなり羽交い絞めにされて拘束されたので、敵襲かと思い慌ててしまった。
「………さ、触っておりません」
「それは酒の精の一種だ。酩酊するから絶対に触るなよ」
「私の厨房に、妙なものを持ち込まないで下さい!」
「と言うより、ここで生まれたな」
「おのれ、ちゃんと持ち帰って下さい!」
出来上がるお粥目当てで隣にいたネアは、慌てて揺り椅子で熟睡している魔物を避難させた。
リーエンベルクから貰ってきた古い揺り椅子を厨房の外れに設置したところ、監視員をしていたディノはころりと眠ってしまったのだ。
プールの後なので、心地よい揺れにイチコロだった模様だ。
ずりずりと椅子を押して酒の精から遠ざけると、ネアは正面に立ちはだかってキーパーを務める。
そんな姿を失笑気味に眺めて、アルテアは栗人形にしか見えない酒の精を片手で持ち上げた古酒の瓶でこづいてシンクに落とした。
ごろんごろんと落ちて行く酒の精は、心なしか憤怒の表情だったようにも見える。
人様のキッチンで荒ぶらないように、外に捨ててきて欲しかった。
「そういやお前、踊れるんだろうな?」
「舞踏会の件ですか?基本的なものは踊れるように、以前ディノに鍛えて貰いました」
「シルハーンが教えたなら、ある程度様になってるか……」
「きちんと踊るような場面もあるのですね」
「季節の儀式の一環だ。ステップを踏み違えると、戻り雪の魔物に捕まるから気を付けろよ」
「………なぜ舞踏会にそんな罠があるのだ」
そんなことを話していて、ネアはふと雪白の香炉を持って入った、あの空の上の舞踏会を思い出した。
経典の楽園とされるに相応しい、イブメリアの装いに賑わう街の上の会場を。
雲の上に森があり、氷のシャンデリアが美しかった。
(春告げの舞踏会も、綺麗なところなのかな)
儀式としてのものならば、ある意味簡素であるかもしれない。
社交の場は苦手だが、舞踏会という場所の華やかさはもう一度見て見たかった。
この世界のそれは、お伽噺のように美しいから。
そんなことを考えていたら、お粥が出来上がったようだ。
艶のある白いお粥に、糸唐辛子が鮮やかで美しい。
この厨房にはなかった食器を使ってあるので、食材と共に持ち込みである。
「このカリカリしたのは何でしょう?」
「駱駝のコブだ」
「…………駱駝」
すっと出されたお粥の鉢に、小麦色にかりっと揚げたものがぱらりとふりかけられていた。
安易な気持ちで聞いたところ随分玄人好みの食材が出てきたので、ネアはその物体をじっと見つめる。
てっきり自分用に作ったのかと思っていたが、アルテアはネアが食べるのを見ているようだ。
スプーンもこちら向きに置かれている。
「簡単に言えば、脂身を揚げただけのものだ」
「そう聞けば、駱駝以外では食べたことがあるような食材という気がします」
「ほら、食ってみろ」
「アルテアさんは食べないのですか?」
「…………酔い戻しがきた」
「……………え」
言われて顔を窺えば、確かにあまり顔色が良くない。
そんなにお酒に弱い印象はなかったので不思議に思えば、ふと、アルテアのジレの後ろ側のベルトに、何やら茶色いものがぶらさがっていることに気付いた。
「………その酔い戻しとやらは、もしかしたらお酒の精さんの仕業でしょうか?」
ネアが恐る恐る指差したところに視線をやり、アルテアはあまり芳しくない表情になった。
指先で払い落された栗人形が床に落ちてゆくのを横目で見つつ、ネアはこれから起こるであろう事態への備えに入る。
(酩酊するということだから……)
お粥を食べるのはひとまず後回しにして、ネアは揺り椅子でお昼寝中のディノを起こしにかかった。
疲れているところを可哀想だが、アルテアと代わってやった方が良さそうだ。
「ディノ、重篤な患者さんが出そうなので交代して下さい」
「…………あれ、寝てたみたいだ」
「はい。アルテアさんが死んでしまうようなので、椅子を貸してあげて欲しいのです」
「……………おい、待て。その椅子は揺れるんだろうが」
「しかし、このお屋敷には寝台的なものはまだ搬入していないんです」
「………………リーエンベルクに戻る。お前は暫く近付くなよ」
果たしてそれは戻ると言うのだろうかと不思議になりつつ、ふらりと転移するアルテアを見送った。
床に落としていった栗人形こと酒の精は、してやったりという悪い顔をしている。
これはとても悪い精のようなので、後で刺激しないように外に捨てて来よう。
「さてはこやつ、シンクに落とされた復讐をしましたね」
「へぇ、酒精がこんなところに居るなんて珍しいね」
「ついていった方が良いでしょうか?」
「君は行かない方がいいよ。それにきっと、私が行っても良くないだろう。家事妖精に頼むのがいいかな」
「特殊な事情がありそうですね……。アルテアさんが無事なのか心配なので、家事妖精さんに連絡してみますね。お粥の保温をお願いしてもいいですか?」
エーダリアから貰った魔術端末を使い、ネアはリーエンベルクに連絡を入れた。
幸いアルテアは客間の一つで発見されてくれたので、お酒の精による迎え酒現象で具合が悪いことを伝え、看護をお願いしておく。
エーダリア達にも一報を入れたが、本人からも部屋を借りて寝るという連絡はきちんと受けていたらしい。
(そう言えば…………)
ネアはふと、アルテアは深酔いするととても危ないと以前にウィリアムから忠告されていたことを思い出した。
家事妖精の基本形は靄なのだが、危ないという表現の方向性が少し心配だった。
「ディノ、アルテアさんがこんな風になったのを見たことがありますか?」
「ネアは近付かないようにね」
「むぅ。………家事妖精さんは大丈夫でしょうか?」
「さすがにアルテアも、家事妖精にまでは手を出さないと思うよ。彼の場合、ああいう妖精のことは個として認識していないから」
「…………危害的なものでしょうか?ええと、それとも男性特有の………」
「どちらの意味でも、かな。滅多にこういう酔い方をすること自体ないけれどね」
「私も、お酒にはとても強いと思ってました。お酒の精さんは強いのですね!」
「酒精に触れる呪いは、量ではなくて酩酊させること自体を目的としているんだ」
「………もはや呪いだったとは」
そんな恐ろしいものの怨みを買うとは、何とも不注意なことである。
ただ派生したばかりなのだから、そっと庭にでも捨ててくれば良かったではないか。
「呪いというものに対して、また新たな戒めを得ました」
「そうだね、君は特に気を付けるように」
「ぐぬ。酩酊は特に怖いです」
「………酩酊が?」
「以前はヒルドさんに無体を働きましたし、エーダリア様達を殺しかけたこともあります。ディノも何度か倒しました」
「………途中までは可愛いんだけどね」
「…………まさか、酔っ払いに悪さはしていませんよね?」
そこで魔物がふわりと不可侵の微笑みを浮かべたので、ネアは酒の精にだけは気を付けようと心に誓った。
知らぬ間に、たくさん踏まされたり、髪の毛を引っ張らせられたりしているかも知れない。
とても恐ろしい。
その夜、厨房を襲った帰り道に、ネアはこっそりアルテアが寝込んでいる部屋を訪れてみた。
殺されてしまわないよう、ブーツで完全防備して、いざという時には返り討ちにする所存だ。
「………何だ、近付くなと言っただろ」
「元気そうでほっとしました。泥酔者は寝ている間に死んでしまうこともあるので、ちょっと心配だったのです」
「…………さすがに酒で死にはしないぞ。それと、不安になるぐらい平静だなお前は」
アルテアがとても嫌そうな顔をしているのには理由があって、まだ意識がないとばかり思っていたので、起こさないようにノックをせずに様子を見に入ったのだ。
結果、とても薄着な場面に遭遇してしまっている。
通常、薄暗い部屋でほぼ裸身の男性を見るのは心臓に悪いが、水着だと思えばなんてことはない。
「もはや、最低限のものを着ていれば問題ありません。私の心は強くなりました」
「………お前、またろくでもないことをしでかしたろ」
「失礼な!遭難救助で裸の方の介護をしただけです!!」
「あいつはとうとう遭難までしたのか……」
「いえ、ディノではなく……」
そう言ってしまってから、ネアはとても後悔した。
ものすごく剣呑な顔をされたからだ。
「まさかお前、また守護の余分を増やしたんじゃないだろうな?」
「増やしておりません!何故そうなるのでしょう」
「あのシーは遭難なんぞしないだろうが」
「………確かに、ヒルドさんはそんな失態は犯しませんね」
「じゃあ、……………」
そうなるととても選択肢が少なくなり、アルテアは表情の鋭さを欠け落として、半眼になる。
「……………お前、ウィリアムを過信するのも程々にしろよ。あいつが一番腹黒いぞ」
「…………ウィリアムさんは、とても出来たお方です」
とても誤解しているのはわかったが、余計な一言を回収するべく、ネアはだんまりを決め込んだ。
何となくだが、アルテアとノアの相性はあまり良くなさそうなのだ。
ディノからも、リーエンベルクにノアが居る件は、折を見ないと伝えるのは難しいと言われていた。
以前に話した様子からすると、過去に何かあったらしく、ウィリアムもどうやらノアとの相性が悪そうだ。
「そう言えばこれを持って来たのでした。厨房を襲って手に入れたお見舞いの品です」
あまり追求されない内にと、ネアは手に持っていたオレンジをテーブルの上に奉納しておく。
ナイフなどはないので、貴族的な食べ方ではなく男前に手で剥いて食べるしかないが、ネアもそうしているので我慢して貰おう。
「そして、お風呂上がりなのですから、早く上を着ないと風邪をひきますよ?」
「いや、室温の影響はさして受けない」
「でも、あったかくして早くに寝ることです。もう気持ち悪くはありませんね?」
「俺は病人じゃないぞ」
「はいはい」
後は帰るだけなので適当にいなして背中を向けると、不意に後ろから腕を回され抱き竦められた。
色事のそれというよりも、若干凶悪犯の確保のやり方に近い。
「………解放したまえ」
「そんなに俺を温め直したいなら、一緒に入るか?」
「そのお誘いももはやお腹いっぱいです」
「…………は?」
二度目なのでさしたる動揺はない。
体調不良および、体調不良になった後のちょっぴり甘えたい頃合いの決まり文句なのだろうか。
唖然としたアルテアの腕をよいしょと剥がし、ネアは室内をちらりとチェックした。
「後で家事妖精さんに、水差しのお水を足して貰いますね。普通のお水でいいですか?檸檬も入れます?」
「ん、ああ。普通の水でいい。…………それよりも、ウィリアムは何をやってるんだ」
「ウィリアムさんなら、今頃は普通にお仕事中だと思いますよ。もしお腹が空いたらお粥も保温して残してありますし、こちらの厨房にも夜勤の騎士さん達用のお夜食担当の方が居ますから、声をかけて下さいね。ちなみに私の方は後二時間くらいで店仕舞いします」
(…………動かなくなったけれど、大丈夫かしら?)
固まったままのアルテアが心配だったので、一度浴室の方へ戻り、ガウンを持って帰ってくると、湯冷めしないようにそっと持たせておいた。
「では、ひとまずお休みなさい」
部屋に戻ると、厨房に行ったご主人様の戻りが遅いと魔物がとても心配していたが、戦利品のオレンジを剥いてやり、定時には就寝した。
最近はどこにでもくっついてきてしまうので、待てが出来ただけ進歩だ。
その代り今夜は隣に寝るようだが、警備上仕方ないというので受け入れざるを得ない。
翌朝の朝食の席に現れたアルテアは、なぜか寝不足気味に見えたが、うっかり遭遇して隣の席になってしまった銀狐もけばけばになって項垂れていた。
銀狐用の席はテーブルに近付けてくれる幼児用の特別椅子なので、安易に席を変えられないのだ。
「アルテアさん、お隣の狐さんは、リーエンベルクの癒しのもふもふなので虐めないように」
「やれやれ、結局飼うことにしたのか」
ネアが事前に注意喚起すると、アルテアはぽいっと銀狐のお皿に自分のハムを乗せてやっていた。
表情を見るに、食べきれない分を移築しただけだろう。
「狐さん、良かったですね」
銀狐はいっそうにけばけばになって首を傾げていたし、エーダリアもまた朝食に魔物が増えているので複雑そうだったが、ネアは満足げに頷いておいた。
魔物が誰かに食べ物を与えるのは、庇護の証だということを思い出したのだ。
もし二人が出会って揉めそうになったら、今朝のことを持ち出せばいい。
残忍な人間に弱みを握られたと知らずにいるアルテアを思い、ネアはほんの少しだけ唇の端で微笑んだ。