キルトの夢とユニコーンの食事
傘選びの日の前日に、ネアは扉の開いた一室に、一枚の見事なキルトが陰干ししてあるのを発見した。
銀狐がエーダリアと遊びたいようなので、その配達の途中である。
どうやらエーダリアは最近、棒につけた糸の先に毛糸のボールがついたペット用の玩具を手に入れたらしく、銀狐はその道具に並々ならぬ興味を持っている。
「まぁ、何て綺麗なんでしょう!」
思わぬ芸術品を見付けたネアのはしゃぎようとは違い、銀狐は白けた顔でキルトを一瞥すると、廊下の先を見つめていた。
布でしかないキルトよりも、廊下の向こうに興味のあるものが見えたらしい。
ちょうど廊下の反対側から、夜勤明けのヒルドが歩いてきたのだ。
「………ヒルドさん大好き狐ですね」
ふりふりの尻尾を見て、ネアは隣に居るディノにこそっと耳打ちした。
不意打ちに耳を押さえた魔物に何やら苦情を言われたが、ネアは弾みながらヒルドの足元をぐるぐると回り始めた銀狐に遠い目になる。
「おや、ネア様」
「ネアか。どうしたんだ?」
「エーダリア様、このキルトを見てました。素晴らしい職人技です!」
ヒルドの後ろから現れたエーダリアが、ネアが視線で示したキルトを見て顔を痙攣らせる。
「そのキルトが干してあるということは、また夢を見たのか………」
「夢を見るキルトなのですか?」
「これは、滝壺の夢を見るキルトでな。酷い夜は一部屋水浸しになる」
「テロリストでした」
「てろ………りすと?」
これは、アイリスと滝壺という題名のキルトであるらしい。
楓の青葉と、アイリスの咲き乱れる素晴らしい風景が再現された見事な業物だ。
空は夜明けの清々しさに青く、森の木立の奥にはユニコーンがいる。
そして滝壺の深い青はえもいわれぬ美しさだ。
(すごい、キルトでこんな風景が再現出来るなんて!)
ネアの裁縫の腕は、人並み程度の技量しかない。
キルトも簡単なものであれば作れるだろうが、このようなものを構成するだけの才能は皆無だ。
しかし、このクオリティだからこその魔術的な被害が出るらしい。
「このキルト作者は有名でな。先代のウィーム領主の奥方が購入したそうだ。その結果、中央の子爵家から預かっていた令嬢が溺死する事件が起きた」
好意で製作の見本として貸してもらったこのキルトは、一晩で小さな部屋を水に沈めてしまったそうだ。
その際に滝壺と同じ青さの水が部屋を満たしていたので、滝壺の夢を見るキルトとして問題になった。
怒った子爵家の家族がそのキルトを焼いてしまおうとしたが、火を点けた子爵が逆に燃えてしまい騒動は更に拡大し、持ち主であるウィーム領主の奥方はその一件から臥せりがちになってしまったのだとか。
「それなのに、まだリーエンベルクに置かれているのですか?私物だったのであれば、持ち主のご家族の方とかは…」
「前のウィーム領主は、諸事情から血族全てがお亡くなりになっておりまして」
「…………なんと」
それだけでもうネアは絶句したが、使用人も含めてほぼ全滅の有り様だったと補足される。
さすがにそれはキルト絡みではなさそうなので、諸事情とやらを聞いてみようとしたら、エーダリアが魔物の方をちらりと見て目配せしたのでやめておいた。
嫌な予感がしたのだ。
「とは言え立派な品物ですし、引き取りたいという申し出も多かったのですが、何度手離しても戻ってきてしまうので、ここが気に入っているようですね」
「お前は、くれぐれも触るなよ」
「エーダリア様、失礼ですよ!」
「普段から水が出ているんだね」
「…………なに?」
ふと、ディノがそんなことを言い、エーダリアが声を上げて振り返るのと同時に、全員の視線がキルトに集中した。
よく見るまでもなく、かなりの量の水がキルトの一角から溢れ出している。
だが不思議なことに、下の絨毯は濡れていなかった。
「………すごいですね、中に蛇口が潜んでいるような水量です」
「ヒルド、結界の補填は?」
「問題ありません。こういう時こそ、水竜がいれば良かったのですが」
青い青い水を見ながら、身体の位置が低い銀狐を抱き上げようとしたネアは、そのお蔭でとんでもないものを見てしまった。
「き、狐さん?!」
ネアの悲鳴に、エーダリアとヒルドも再びこちらに視線を戻す。
ばしゃばしゃと水が出てくるのが不思議だったのか、銀狐がその部分を前足でちょいっと触っていたのだ。
ネアが声を上げたので首を傾げて振り向き、そして、きゅぽんと吸い込まれてしまった。
「ディノ、狐さんが!!」
「吸い込まれたぞ?!」
「………やれやれ、困りましたね」
慌てるネアに腕を引っ張られ、ディノはキルトを覗き込んで首を傾げる。
「大丈夫だよ、ご主人様。中に呼ばれただけで、損なわれてはいない。………ただ、これ、どこかで見たことがある気がするな」
「狐さんを取り出せますか?!」
「もしかして扉なのかも……ネア?!」
「あ………」
この世には、うっかりという言葉がある。
であるので、それは真性のうっかりであり、決してトラブルメーカーではないとネアは主張したい。
何しろ、最初に吸い込まれたのはノアなのだ。
「…………むぐ、顔の周りがざわざわします」
ぞっとするような浮遊感の後で視界が暗転し、ネアは何やらごつごつしたものの上で目を開いた。
顔にかかっていたのは千切れた木の枝だとすぐにわかり、手でむしり取ってぺいっと捨てる。
「………ディノ?」
「何だろう、久し振りに飛び込んで貰えたような気がする」
この座り心地はもしやと思い下を見ると、ネアは見知らぬ森の中で魔物を下敷きにしていた。
ネアを受け止めようとして背中から落ちたらしいのだが、その原因は足の方に乗っかっているエーダリアかも知れない。
「………す、すまない!」
目を開いたら魔物の足の上だったので、エーダリアはかなり動揺しているようだ。
「大丈夫ですよエーダリア様。強制ご褒美になりましたので、幸せそうです」
「………そうか。幸いだった」
「幸いではありませんよ、エーダリア様。なぜあなたまでキルトに触れたのでしょうね?」
「…………ヒルド」
そう、額に片手を当てて項垂れているのは、すぐ側に立っていたヒルドだ。
唯一の着地成功者にその時の状況を教えて貰うと、うっかり荒ぶるネアがばしりとキルトを叩いてしまい、吸い込まれるネアをディノが掴んだ。
その瞬間、ネアと同じく動転してしまったエーダリアは、なぜかキルトを手で押さえてしまったのだとか。
更に言えば、吸い込まれる瞬間に、エーダリアはヒルドを掴んでしまったようだ。
「エーダリア様、助けようとしてくれて有難うございます。それにしても、人間は、焦ると何をしでかすのかわかりませんね」
「………明日までに戻らないと大騒ぎだな」
「そして狐さんはどこへ……」
「すぐそこで野生化しておりましたよ」
「野生化………とは」
ヒルドのどこか達観した声に視線を巡らせれば、銀狐はさらさらと流れる小さな川沿いで、ばしゃばしゃと水飛沫を上げて小魚を夢中で追いかけていた。
「もはや、野生に返してあげたいくらいの狐ぶりですね」
「生きている魚をそのまま食べるつもりなのかな……」
「ディノ、止めてあげた方が優しさでしょうか」
「出来れば止めたいね」
ネアとディノがふるふるしている間に、一匹の小魚を捕まえた銀狐はご機嫌で水から飛び上がる。
そのまま食べようとしてふと我に返ったのか、或いはヒルドからの眼差しが冷た過ぎたのか、はっと顔を上げて凍りついた。
ぽとりと口から落ちた小魚を、何処からか飛んできた小鳥が奪い去ってゆく。
「………狐さん、向こう側に行ってしまわなくて良かったです」
「いや、狐なのだから小魚くらい食べるだろう」
「是非に、屋内飼いに対応した狐さんでいて欲しいのです」
「友人として色々と考えましたが、何とか踏みとどまったようですね」
その後狐は己の行動にすっかり怯えてしまい、野生の本能的なものを掻き立てる森が怖くなってしまったのか、水気を切ってからネアに抱っこされた。
ところが、今度は隙あらば胸元に顔を埋めようとするので、途中からディノに掴み上げられてその肩に乗せられてしまう。
けばけばになってディノの肩の上に乗っかった銀狐に、ヒルドは重たい溜め息を吐いていた。
「やっぱりだけれど、この内側は箱庭になっているようだ」
「箱庭ですか………?」
「アルテアの固有結界だよ」
「…………アルテアさんの」
途端に一同の表情が険しくなる。
まず間違いなく、厄介な仕掛けがあるに違いない。
「本来ならば固有結界は、ネアだと入り難いんだけれどね」
「なぜでしょう?」
「魔術可動域が低いからだよ。でも、他者を取り込むことを目的としたこういうものは、間口がとても広いんだ」
「不穏な予感しかしません」
森は豊かだったが、アイリスの自生の仕方や滝壺周りの花の多さなど、言われてみれば確かに意図的な配置を感じる。
絵的に整い過ぎているのだ。
「ちょっと呼んでみて、出して貰いましょうか」
「むやみに頼らない方がいいのではないか」
「呼んでいいよ。きちんと言っておくから」
エーダリアは難色を示したが、ディノが口添えしてくれるそうなので、ネアはさっそくアルテアを呼んでみた。
「……………ネア?」
ややあって、ものすごい渋面になってしまったネアに、魔物が恐る恐る名前を呼ぶ。
ゆっくりと顔を上げたネアは、聞いたばかりのアルテアの言葉をそのまま再現した。
「………却下されました。なぜにお前はいつも、個人的なお楽しみの最中に呼ぶのだと叱られて…………」
「ああ、そういうことか……」
「…………それは、確かに叱るかもしれんな」
「寧ろ、よく途中で律儀に答えましたね」
「………?何か悪さでもしていたのでしょうか?」
ネアはこてんと首を傾げたが、男達はさっと目を逸らした。
銀狐までもごもごと顔を逸らしていたので、ネアは少しだけ考えて得心する。
「成る程、わかりました。確かに、答えていただかない方がいい場面でしたね」
「お前は、他人事に対しての順応力が異様に高いな」
「生き物なのですから、色々な事情があると思います。アルテアさんにも私生活がありますしね」
「いや、一般的な女性の反応か………?」
「エーダリア様、考えてみて下さい。アルテアさんですよ?今回のようなことは、きっと珍しくもない状態だと思います」
「………そ、そうか」
色事も個人の嗜好である。
もしこれがネアならば、今はお昼寝中なので動けないとか、ディノならお風呂、ゼノーシュならばおやつ中で動けないとなるのだろう。
「しかしそうなると、自力でここから出なければいけませんね。ディノ、大丈夫そうですか?」
「どこかに番人が居る筈だから、それを駆除すれば大丈夫だ。一報入れたのだし、文句も言われないだろう」
「ばんにん…………。そやつは凶悪だったりします?」
「どうだろう。人間に譲渡した箱庭だし、罪人を入れてあるのかもしれない」
「エーダリア様、離れないで下さいね!」
「お前に言われたくはないがな」
やはり箱庭という名称の通り、キルトの中はそこまで広くはなかった。
キルトという平面にしたときに絵として成り立つ程度の背景を構成出来る範囲、森の一区画が切り取られ、その中をぐるぐると彷徨うようになっている。
森は美しく様々な生き物がいたが、肝心な番人とやらはいないようだ。
「見当たらない上に気配もないか、……小さなものなのかもしれんな」
「エーダリア様、まだ結界を緩めませんよう。或いは水の中かもしれませんね。滝壺がありますから」
「ユニコーンもいないですね。見てみたかったです」
「ユニコーン?」
「はい、額に一本角のある真っ白なお馬さんです!」
ネアは、自分の言葉にエーダリア達が顔色を悪くするのを見て眉を顰めた。
「馬の一角獣がいたのか!?」
「ふむ。呼び方はそうなるのですね。キルト状態の時にいましたよ」
「…………白かったのだな?」
「はい。木立の中から覗いている風でしたが、見えている部分は真っ白でした」
「ネア、それは節制の魔物だよ」
「……ディノ?……そう言えば、スケートの時にそんなことを聞いたような気が………」
確かそれは、青い瞳の乙女を刺してしまう病気を持った魔物ではなかっただろうか。
いつも気が立っていて女性を目の敵にしている筈なので、ネアはさっとディノにくっついた。
これで、いざという時には盾になって貰おう。
そう考えていると魔物の方も警戒をしたのか、するりと腕を絡めてくれる。
何しろ今日は屋内を歩いているだけだったので、あの最強ブーツを履いていないのだ。
「節制だと森に擬態できるけれど、そんな気配があったかな……」
「森に擬態………」
あれだけ白いものなので、どう森に擬態するのかは謎だったが、とても怖いので目立つように白いままでいて欲しい。
(と言うことは、どこかに隠れているのかしら)
「節制さんが出たら、ディノがどうこう出来ますか?」
「近付けさせないから安心していいよ。でもやはり、この中に他の魔物の気配はないね」
「他に、白い馬の一角獣なるものはいるのでしょうか?」
「聞いたことがないけれど、いないとも言えないね」
「エーダリア様、……………あ」
本当に驚くとき、人は声を失うものらしい。
話しかけようとしたエーダリアがなぜか足元を熱心に見ていたので名前を呼んだのだが、その直後何か白いものが彼に力いっぱいぶつかっていった。
ネアが声を失っている間に、純白の疾風がエーダリアを見事に滝壺の方へ跳ね飛ばす。
「エーダリア様!?」
慌ててヒルドが吹き飛ばされたエーダリアの後を追おうとして、素早く身体を返した純白の馬に続け様に体当たりをされる。
とは言えある程度予期していた攻撃だったらしく、ヒルドは踏み止まり、すぐに羽を使ってふわりと距離を取った。
すらりと抜いた長剣に、純白の一角獣は足で地面を掻いて警戒する様子を見せる。
「ディノ、あやつです!そして、エーダリア様は…………良かった、無事そうです」
「おや、あれは絵だね」
エーダリアを突き飛ばし、ヒルドに体当たりした一角獣を見て、ディノはそう判断した。
ネアは慌ててエーダリアが飛んで行った方を確認したが、滝壺に落とされただけのようだ。
本人的にはずぶ濡れで悲惨な感じにはなっているが、こちらに無事を知らせる為に手を振った様子を見るに怪我はなさそうで安堵する。
「…………絵?」
「力のある画家が高位の者を描くと、時折こうして命を持つんだ。恐らくあれが番人だろう。少し暴れるけれど、押さえるから待っておいで」
「油絵でしょうか………」
「そのようだね」
「ディノ、洗浄剤を取り寄せられますか?」
「……………洗浄剤?」
「はい。家事妖精さんの持っている油絵用のやつです」
魔物は不思議そうだったが要求のものをすぐに取り寄せてくれたので、ネアはそれを掴んでボトルの蓋をスポンと外す。
こちらでは特殊なキャンバスを使うので、絵の修正箇所はこの強力洗浄剤で絵具を洗い流すのだ。
罪人などを絵の中から消すために、リーエンベルクにも在庫がある。
罪人の絵姿は夜中に絵の中から出てきて悪さをするので、見付け次第家事妖精が筆で抹殺しているのを見て、面白いなぁと覚えていたのだ。
(多分、これを使えば!)
片手で握れるサイズの円筒形の革の水筒のようなボトルに入っており、素材の性質上ぎゅっと押せば中の洗浄剤が飛び出す仕組みになっている。
「ヒルドさん、少し離れて下さい!」
「ネア様…………?」
エーダリアが滝壺から這い上がる時間を稼ごうと、一角獣を押さえようとしていたヒルドに注意喚起をし、ネアは洗浄剤のボトルをギュッと掴み、勢いよく噴出された液体を一角獣の足元に振りかけた。
突然謎の液体を足にかけられた一角獣は後ろ立ちになって荒ぶっていたが、その直後、攻撃してきたネアの方に向かおうとしてがくんと地面に崩れ落ちた。
「ふっ、愚かな絵ですね」
立ち上がろうとしても立ち上がれないのか、ばたばたと暴れつつ、洗浄剤のボトルを片手に仁王立ちした人間に鼻息を荒くしている。
姿かたちは大変に美しいのだが、なにぶん目が血走っているのでその容貌をとても損ねていた。
そんな絵を見下ろして冷たく笑ったネアに、結局一度もネアへの拘束を解かなかった過保護な魔物が凄いねと呟いている。
「成程、足の絵の具を落したんだね」
「はい。こやつは油絵だと知りましたので、絵の中の罪人を殲滅してゆく家事妖精さんの手法を真似ました」
「私は、燃やしてしまうつもりだったんだ」
「一応はアルテアさんの蒐集物なのですから、ある程度残しておいてあげましょう。このくらいなら、描き足せばいいのですし」
そう話していると、エーダリアとヒルドが戻ってきた。
「お前は相変わらずえげつないことをするな」
ようやく滝壺から上がってきたエーダリアが、地面で怒りのあまりもがいている一角獣を見下ろしながらそう呟いた。
ずぶ濡れだが、どうやら首を痛めたりもしてなさそうだ。
すぐに魔術で水気を飛ばし、健やかな姿に戻る。
「エーダリア様、ご無事ですか?首や背中は痛くありませんか?」
「ああ。結界に体当たりをされただけだ。守護結界がなければ、あの角が刺さるとまずかったが」
「それにしても、絵であったとは驚きですね。確かに気配がないのも頷けます」
「ここはきっと、女性の罪人用の箱庭だったんだろうね」
「む。………そうなのですか?」
「絵は本人の気質を汲むから、あの絵姿の節制は女性を殺すのだと思うよ」
「………そうか、だからリーエンベルクに戻ったのか」
「エーダリア様?」
エーダリアの説明によると、このような隔離型の魔術道具で貴人の処刑を行っていた時代があり、そのような品物は国外に処刑の記録が漏れないよう、特定の場所に紐付けられることが多いそうだ。
恐らくこのキルトはそのような道具の一つで、このキルト作家の生きていた古い時代に、リーエンベルクの依頼で作られたものなのだろうということだった。
であるので、保護機能が発動してリーエンベルクに戻ってきてしまうに違いないと。
「水が漏れるのはなぜでしょう?」
「内部からの干渉かもしれないね。道具として使われなくなるということは、番人の餌がないということだ。内側から手を伸ばそうとしていたのかも知れない」
「…………アルテアさんに頼んで、普通の馬のように草でも食べるようにして貰いましょうか」
しかしネアがそう言った途端、暴れていた一角獣の絵は、突然にぶるぶると震え始めてしまった。
不審に思って魔物に尋ねてみたところ、絵とは言え魔物の気質なのだから、一生草でも食べていろという発言はかなり怖かったようだ。
心なしか懇願するような目でこちらを見るようになったので、ネアは一角獣をもう見ないようにした。
エーダリアに攻撃したので、温情を与えてやるつもりはない。
「ところで、狐さんがいやに大人しいのですが怖がっているのでは………」
やっと戦況が落ち着いたので、ネアはディノの肩に顔を埋めている狐が心配になった。
馬が嫌いだとか、節制の魔物と過去に何かあったりしたのではないだろうか。
しかし心配そうに尋ねたネアに対し、ディノの方を見たヒルドがそこはかとなく遠い目になる。
「………いえ、寝ているようですよ」
「寝てる………」
「肩に乗せてすぐに寝てしまったね」
この騒動に一度も参加してこなかったので不思議に思ったのだが、近寄って確認してみれば、銀狐はディノの肩にだらりと引っかかったまま、すうすうと寝息を立てていた。
最初の水遊びで疲れてしまったようだ。
これだけ動いても起きないのだから、中々な熟睡型である。
「さて、番人も押さえたことですし、戻りましょうか」
そう締めにかかったのはヒルドだ。
あまり友人である銀狐の生態を深追いしたくないらしい。
時々どちらの目線で接してやればいいのか、わからなくなるからなのだそうだ。
ヒルド的には多分、友人として人型としての誇りを失わないで欲しいのだろう。
同じように思ってはいるが、銀狐に強請られれば強請られるだけ遊んでやってしまうディノとは違い、ヒルドは時々あえて厳しく叱っているようだ。
「はい。こやつを捕まえれば帰れるのですか?」
「通常は固有結界の番人を斃す必要がある筈なのですが、動かないのであればここから扉を開けますから。ディノ様、大丈夫そうでしょうか?」
「うん、じっとしていてくれればいいだけだからね」
「明日の傘選びに支障がなさそうで良かったです。……………エーダリア様?」
いそいそと戻ろうとしたネアは、門を開こうとしてネアの背後に目を向けたヒルドの視線の冷やかさに気付き、振り返った。
少し離れたところで、アイリスを二株ほど引き抜いているエーダリアがいる。
本人もヒルドの視線に気付き、慌てて弁解に入った。
「い、いや、この植物の魔術形態は珍しいのでな。持って帰ろうと………」
「まさか、その所為で、先程の攻撃を避けられなかったのではありませんよね?」
「も、勿論だ!」
エーダリアはさっと目を逸らしていたが、その上着の左側のポケットが不自然に膨らんでいる。
明らかに何かが詰め込まれているので、ネアは半眼になった。
あの瞬間、どうも熱心に余所見をしていると思ったら、お土産探しをしていたようだ。
その後、ヒルドがエーダリアを叱りつけることに専念してしまったので、当初の予定通りディノが扉を開き、一同は無事にリーエンベルクに戻ることが出来た。
陰干しされていたキルトは特殊な魔術で箱詰めになり、アルテア宛に発送され、内部の再調整をかけて貰うようにするらしい。
なぜ一角獣の足がなくなったのか不思議がっていたので、ネアはそっと絵具洗浄剤を持たせてやった。
そしてあらためてキルトを見ると、足をなくした結果、ユニコーンが木々の根元に近い低い位置の茂みからこちらを見ているという、かなり猟奇的な構図になってしまっていた。
アルテアもそれは嫌だったようで、すぐに足を描き直させたようだ。
ユニコーンは今、草でも放り込まれた罪人でもなく、食べ物を必要としない体になったらしい。
草を食べさせるのは可哀想だということではなく、植物を食べさせてしまうと景観を損ねるという理由からだった。
番人が食糧不足で荒ぶることもなくなり、キルトは水を吐かずに大人しくなったと聞いている。