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プラムのタルトとリボンの贈り主



その日は、プラムのタルトを買いにザハに来ていた。


毎週水曜日にしか出さない限定メニューなので、まずは一つを喫茶室でいただき、十個を買って帰ることにしている。

グラストとネアにも一個あげる予定だ。


そんなタルトを持っての帰り道、ゼノーシュはふと、気になる後ろ姿を見付けた。


(…………あれ、何でだろう?)


ふと、ネアがいたような気がしたのだが、そこに居たのは見たこともない背の高い人間の男だった。


灰色の綺麗な髪を一本に縛り、幅広の天鵞絨のリボンをつけている。

黒いコートにふらりと歩くので、グラストといるとよく見かける魔術師の姿を彷彿とさせた。

一瞬、トンメルの宴でも見かけた魔術師かと思ったけれど、髪も銀色ではないし、目元の傷もないようで別人みたいだ。


(それに、どっちかというと、要素的にはディノに似てる?)


それならばなぜ、ネアに似ていると真っ先に思ってしまったのか。


ディノに似ていると思ったので本人の可能性も思案したが、ちらりとこちらに見えた横顔は見たこともないものだった。

妙に背中がむずむずするので注視してみたが、何度見てもただの魔術師のようだ。


コートの裾を翻してふらふらと歩き、その男はネアの贔屓にしているリボンの専門店に入っていった。


(何だろう、怪しい………)


少し考えてから、その男をつけてみた。

からりと扉を開けて店内に入ると、その男は背中を丸めるようにして巻き軸だけになっているリボンの棚を寂しそうに見ている。


「ご店主、灰雨のリボンはないんだねぇ」

「そりゃ買い占めの後だからな。あんたもいい加減諦めな」


どこか気が抜けたような言動のせいか、店主にも雑に扱われている。

悲しげに溜息を吐き、男はネアが持っている青みの強い紺色のリボンを手に取った。


ネア自身はあまり髪を結ばないが、ディノの為にリボンを買いに行くので、自分用のものを買うこともあるようだ。

ゼノーシュですら時折しか見かけないそのリボンを迷うことなく選び、しかも今使っているのもそのネアが稀につけるリボンの一つ。


とても怪しく思えてしまうが、同じような灰色の髪なので似た趣味になるのだろうか。


(でも淡い灰色の髪だし、水色寄りだから違う色も似合いそうなのに)


そうこうしていると会計のためにこちら側に来たので、慌てて目的のものがなかったフリをして店を出た。


(気のせいだと思うけれど………)


どうしてその男が気になってしまうのかはよく分からないが、後ろ髪を引かれる思いでその場を離れると、プラムのタルトを持ってリーエンベルクに帰った。




「まぁ、プラムのタルトですか!ゼノ有難うございます」


持って帰ったタルトのお裾分けを、ネアはとても喜んでくれた。

ちょうどこの時間だと、仕事を終わらせてお茶を飲んでいる頃合いなのだ。

午前のお茶なのでお菓子を食べていないことは想定済みだし、ネアもこれが好きなので、思っていた通りの反応だ。


「せっかくなので、もう一度紅茶を淹れますね」

「うん。紅茶と一緒だと美味しいよね」

「ゼノも今食べますか?」

「うん。僕もここで一つ食べる」

「あら、ディノも味見します?」

「いや、ケーキはいらないよ。一緒に紅茶を飲んでいるだけでいいんだ」


ゼノーシュが仕事で出ていた半月程の間に、リーエンベルクでは色々なことがあったらしい。

王もとても苦労したようなので、ゼノーシュは少し不憫に思った。

聞いた話の状態だとネアがどんな反応を示すのかが想像出来るだけに、きっととてもハラハラしただろう。


こうしてべったりになっているのは、その影響によるものが大きいに違いない。


(お労しい………)


少しだけ、側にいて助言出来なかったことを申し訳なく思った。


普通の人間も魔物もわからない、歌乞いを持つ魔物だけの心の有り様というものがあって、それは多分、他の誰かにはわからなかったものなのだ。


(だって、歌乞いは生涯にひとつの恩寵だから)


そう世界に決められている以上、歌乞いを亡くした魔物は同じ形の恩寵を生涯二度と得られない。

それは魔物によって、愛や権力や嗜好品だったりするけれど、己が至高とするからこそ恩寵であったものが、期限付きで手元にある怖さは味わった者にしかわからないのだ。



例えば、誰か人間に恋をしたことがある魔物が王に助言したとする。


(でもその魔物は、また誰かに恋をすることが出来るかもしれない)


けれども恩寵を失くした契約の魔物は、もう二度と誰かを愛することは出来ない。

だから例えばそれがゼノーシュならば、グラストがいなくなってしまえば、もう二度とゼノーシュは誰かを父親のように慕うことはない。


この幸福は、二度とないという対価との引き換えで手元にあるものなのだ。



(………グラストが、ずっとずっと生きていてくれればいいのに)


契約の魔物を使うことで、失われるものを補填する方法はわかった。

でも、これからもずっと若返らせ続けると、きっとグラストは嫌がるだろう。

人間として年を取り、エーダリア達と一緒に生きていたい筈なのだ。



(だから、僕の願い事にはやっぱり時間制限がある)




「ゼノは、暫くのんびり出来そうですか?」

「うん。今回は遠征もあったから、代理のお休みが貰えるよ」

「良かったです。美味しいものをたくさん食べて、疲れを取って下さいね」

「明日はね、グラストの家にケーキ食べに行くんだ」

「ふふ。白いケーキの日ですね!」

「うん!」


お喋りしながらタルトを食べている僕達の隣で、ディノは静かに紅茶を飲んでいる。

こういうとき、会話に入らずに側にいるだけでも幸せそうだ。

僕には歌乞いがいるから、王も安心してネアとお喋りさせられるらしい。

これもまた契約の魔物であるからこそ、ディノに与えられるものだった。


(最近は、時々相談もしてくれるし)


ぽそりと独り言のように困っていることを呟くだけだけれど、何だか嬉しいのできちんと答えるようにしていた。

そうすると、時々ネアを経由してお土産をくれるので役立っているようだ。



「………む、また脱走ですか、狐さん」


そんなことを考えていたら、ガチャリと扉が開いて銀狐がとことこと入って来た。

ネアに指摘されて、首を振ると尻尾を前に寄せた。


「何かひっかかってる」

「メモですね」


取り上げて開いてみると、エーダリアの直筆で許可書が発行されていた。


「会食堂とお茶室には出入り自由にして貰ったようです。さては、もふもふで懐柔しましたね」

「エーダリア、ペットは苦手だったのにね」

「一度撫でたら可愛くなってきたみたいですよ」


そのエーダリアの許可書に紐を通し、尻尾にひっかけて移動しているようだ。

そして口には白い紙袋を咥えている。


ネアの前まで歩いてくると、その袋をネアの爪先の上にそっと置いた。


「まぁ、くれるのですか?」


ネアのその言葉に尻尾を振っているので、ネアへの贈り物なのは間違いないだろう。

でも僕は、その紙袋にどきりとした。


(この袋、リボンのお店の判子が押してある)


と言うことはまさか、この狐がさっきの男なのだろうか。

そう考えかけてぞっとした。

僕がこれだけ見てもわからない擬態なんて、纏える相手は限られている。


それにクリームパイの日、王はこの狐のことを高位の同族だと話していたのだ。


(王が高位だと認識していて、変化を特性とする魔物なんて、………)



「わ、新作のリボンですね」

「ネア………」

「ディノ、狐さんに対抗意識を出さないで下さいね。……見て下さい、綺麗なラベンダー色です。もしかしたらこれ、ディノのリボンとお揃いの色合いでしょうか」


視線を下げたネアに、銀狐は得意げに頷いていた。


「素材違いで、ディノとお揃いの色を買ってくれたのですね!」


喜んだネアが狐を膝の上に乗せたので、僕は慌てて止めようとした。

もしあの人間嫌いの魔物なら、人間のネアは何をされるかわからない。


「………大丈夫だよ」

「ディノ、」


そんな僕を止めたのは、ディノだった。

びっくりして振り返れば、少し複雑そうな顔で薄く苦笑する。


「あれはもう大丈夫だ」

「………ネアは危なくないの?」

「守護を与えているくらいだからね」

「グラストも?」

「君の歌乞いのことも気に入っているようだよ。優しいと喜んでいたから、危害は加えないだろう」

「………ならいいけど、グラストは渡さない」



王が音の壁を作ってくれていたのか、ネアと銀狐はこちらの会話を聞いてはいなかったようだ。

しかし、狐がちらりと僕を見たので、何を話していたのかはわかったのかもしれない。

僕は自分も狐姿で出会っているだけに、この魔物には絶対グラストを渡すものかと精一杯睨もうとしたのだけど、その狐はネアの膝の上で涙目で震えているところだった。


どうやら、僕の気が逸れた瞬間にネアに何か言われてしまったみたいだ。



「そんな目をしても駄目です!タルトは私のものですよ!!こらっ!床に転がって暴れても差し上げません。このようなタルトは丸ごと一個食べてこそ良さがわかるので、一口以上渡すわけにはいきません!」


「ネア、どうしたの?」

「ゼノ、この強欲な狐めが、一口貰ったタルトに味をしめて、もっと寄越せと駄々をこね始めたのです」

「許しちゃ駄目だよ」

「はい。甘やかすつもりはありません。リボンはとても嬉しかったですが、それとこれは別です」


その後銀狐は、不貞腐れて絨毯をばりばりと爪で引っ掻いた為にネアにものすごく怒られていた。


「やれやれ、ネアから食べ物を奪おうだなんて、愚かなことをするね」


ディノも呆れているのに、椅子の下でまたこっそりと絨毯に爪を立てている。

暫くすると悲しくなったのか、もそもそと移動してディノの爪先の上にお尻を乗せて不貞腐れていた。

王はそうされても構わないらしく、今日は洗わないよと言っているので、洗わせたこともあるようだ。

やがて王の爪先にも飽きたらしく、また絨毯に爪を立てようとする。


「いただいたリボンがとても嬉しかったので、あとで念入りにブラッシングして差し上げようと思っていたのですが、狐さんは絨毯の方がお好きなようですね」


しかし、ネアにそう言われた途端、銀狐は素早く体を起こしてきちんと座ると、エーダリアの許可書をひっかけた尻尾を振っていた。



(大丈夫なのかな、大丈夫だといいけれど)


王もネアもうっかりしているところがあるので暫く観察していると、その週に正式な訪問許可を取って遊びに来た送り火に、銀狐は喧嘩で負けてヒルドに泣きついていた。


中型犬くらいの狼に挑むには無謀な大きさだけれど、本当は送り火なんてひと睨みで殺してしまえるような魔物なのだ。

それなのに、一撃で雪に沈められて泣いている銀狐を見たら、何だかもう大丈夫でいい気がしてきた。



(よく考えたら、雪蛍を足にくっつけて泣いてたくらいだし……)



高位だけれど、あんまり生活能力のない魔物なのかも知れない。

そう思ってネアに、ちょっとディノに似てるねと話すと、ネアはとても深く頷いていた。


因みに銀狐は、その後も氷室に落ちて氷漬けになってネアに救出されたり、エーダリアのインク壺をひっくり返して、洗濯の才能のない元王子に丸洗いされてごわごわになったりしていた。

ディノの投げた犬用のボールに夢中になって遊んでいるし、みんなにペット用のシャンプーで洗われている。



何だかもうこれでいいやと思った次の水曜日に、僕は狐の分のプラムのタルトも買ってきてやった。

ただの狐と変わりないなら、やっぱり狐になっていたことのある僕は他人だと思えないのだ。



ノアベルトはとても嬉しかったみたいで、その翌日、僕の部屋の前に大好物のクッキー缶が包装紙に包んで置いてあった。

なので、また買ってきてあげようと思う。




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